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山田太郎

選出作品 (投稿日時順 / 全9作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


NOBODY CAN HEAR YOU

  山田太郎

ときどき、
もうすぐ死ぬことを
忘れている。

そのことにはっと気がついて、
まだ死んでいないことが、
少し、うれしくなる。

そんなときは、
過ぎきし人生を振り返ることが多い。

とにもかくにも
しあわせな人生だった。
奇跡のような伴侶にも巡り会えたしね。

なしえなかったことより、
言えなかった言葉のほうが多く
いまとなっては悔やまれるが。

人間は、死ぬとはかぎらない、
という名言を吐いたひとがいた。
それから半年後に亡くなったと聞く。

歳のせいで本が読みづらくなったから、
朝から晩まで
ネット配信のドラマをみている。

日本のテレビはみない。
新聞も読まない。ラジオも聞かない、
人と話もしない。
携帯の電源はいつも切ってある。

ここ数年、他人とまともに話したのは
イーオンのレジ係りだけだとおもう。
(袋いれますか)(お願いします)
これが毎日交わす唯一の対話。

対話とはいえないかもしれないが、
人はもう表見上の言葉で交流しているのではなく、
暗黙の傍白のようなものを
キャッチしあっているのではないか。
ずいぶんいろいろ話したような気がしている。

昼間からカーテンを閉ざし
HULUやNETFLIXに釘づけの日々が続いている。
お茶とお菓子を用意し
たえず口をもぐもぐさせて、
ドラマのお風呂にはいっている。

この歳でスケーターとしてのフィットネスを維持するため
酒もタバコもやめた。
コメ、小麦などの糖質をすべて断ち
乳製品いっさいを排除してきたのに、
とうもろこしでできたキャラメルコーンだけは
一日中、手放せない。
わたしのからだの半分は、
お茶とキャラメールコーンでできている。

わたしが死んだらよく燃えるだろう。
煙は飴色で、キャラメルコーンのすこし甘い香りが
火葬場の周辺に漂うかも知れない。
ちょっとした見ものだ。

さて、お陰で、
簡単な英会話は字幕をみないでも
わかるようになった。

印象に残ったドラマは、
なんといっても、
『野望の階段』(ハウス・オブ・カード)という政治内幕ドラマだ。
スリリングである。

スリリングというと、
主人公のアンダーウッド、(わたしは木下さんと呼んでいる)
が命の危険や地位を失う危機にさらされる
とおもうだろうが、そうじゃない。

人が人としての存在を自ら否定する、
その葛藤の過程がドラマチックに描かれている。
日本人がふつうにもっている美意識やモラルを
キュートにひっくり返してくれる。

ふつうの神経ならぜったいに譲れないモラルや信念を
かれや彼女らは地位や名声のためにその手で壊す。
これがなんとも無残で痛い。痛いけどおもしろい。

権力者やセレブが次々に登場し、
無慈悲かつ欺瞞に満ちた駆け引きが展開される。

たまに、なんとも理解不能なシーンにでくわす。

使えなくなった新聞記者を地下鉄の線路に突き落として
自殺を偽装することもいとわない大統領候補の木下さん、
なにを血迷ったか、
木下さんに向かって批判的な言説を大声でわめいている
ずた袋のように汚れた路上のホームレスにちかづき、
同じ目線にしゃがんで、
語りかける。

NOBODY CAN HEAR YOU
NOBODY CARES ABOUT YOU
NOTHING WILL COME OF THIS

ド迫力の演技。
しばらくキャラメルコーンをくわえたまま、
息をのんでいた。

わたしがいわれたような気がした。
そういえば子どものいない木下さんも家に帰れば、
寝る直前まで独りで、
テレビゲームに熱中している。
議員なんて選挙に落ちればつぶしが効かないガラクタだ。
主人公はいつでもホームレスに転落しうる契機と戦っている。
ホームレスの無念、怒り、憎悪、悲しみ、孤独。それは、
主人公の木下さんのものでもある。
ホームレスたちの無慈悲、冷酷、残忍な政争や謀略が、
世界の頂きにおいてスパークする。

ああ、もうすぐ死ぬ身であることを
すっかり、忘れていた。
世の中はうまくできている。


 モザイクの首

  山田太郎

狐の嫁入りの昼下がり。
ゴミ置き場があるコンビニ裏の空き地は雜草がのび放題で奧の林にやぶれ幟がひとつ、小さな祠の所在を示してゐた。
みえぬものはみどりの奧に隱れてゐる。
明るい空からぬるい雨が降り出すと。その祠のわきから人間のやうな顏をした白い首が浮かび上がつた。
黄色い闇をまさぐりかきわけてあらはれた稻荷の狐のやうな不吉な清潔さで、ほんのり經血の混じつた漆喰の白壁のやうなお粉をつけてゐる。それがいまにも崩れさうに。高頬にまとはりついて。落ちさうで落ちない。生き靈のやうな年増の藝妓のやうなつくり笑ひを浮かべてぬめつと浮いてゐる。果実の黒い種のやうな眼はどこも見てゐない。

なんだ、おまへ、妖怪か!

おのらが呼んだぁだよ。
天を仰いで紅(べに)を震はせる首。

狐首はあごを突き出して喉を鳴らすと眞つ赤な鬼燈の実をぽつと吐き出した。落ちると地面がまあるくぱああと朱に染まり。波紋が廣がる。

なにすんだよ、おい、バケモノ。

箒を握り締め、
境界のフェンスを跳び越えて近づくと。
すり硝子のやうな身體があるのだがモザイクがかかつてゐる。
遠目にはわからなかつたのだ。
短形の色細工の集合が寄せ合つてゐるにすぎない。
箒ではたくとよろける。手が空をつかみ、
あとずさりすると宙に浮かぶ首がまたそこでへらつと笑つてゐる。
おまへ。

わらはは鐵と石で木のいのちを切り裂き
千年の緑と水のえにしを屠り 
都へいたる血の川を街道と名附けた
 おのらに
マサカリひとつでこの地に種を蕃殖させた
わらはが撃てるかへ

せらせらとお粉の崩落がはじまつた。髮の焦げるやうな匂ひがして閉ぢた眉間に吐き氣が兆した。ばあああと鳥の飛び立つ音がする。目をひらく。
わたしは祠のわきに作られた國道24號線の奈良2區選出候補國政選舉掲示板をみてゐた。日の丸を背に頬骨の高い女が笑つてゐる。

雨はもう降つてゐなかつた。
飮み干したコーヒー罐をぎゆううと押し潰し、穴のあいたゴミ箱へ投げた。やつぱり命中しなかつた。


センテンツィア 

  山田太郎

  
空がゆっくりと落ちてきて、夜になると、闇が呼びかけるように地の底から光の洪水が押し寄せる。光の海とダンボールハウスの浸透圧がかさなる時刻、一艘の小舟が歌舞伎町のガード下をくぐる。たちまち光の泡が押し寄せ、かれは、だれからもみえなくなる。
鸚鵡貝にみたてたアスファルトと鉄のオペラ座。その地下道に一匹の鴉がいる。飛べない羽をたたみ、この一年、ずっと爪先をみている。
失恋した元プロレスラーが、いくあてもなく足音を響かせて通る。正気を失ってしまった哀れな肥満体の男は粗相をした女優のように内股で歩いている。
口からどろりと灰色の影を吐いた不動産屋の老人は老人斑の浮いた禿頭を断頭台に乗せるように伏して壁際で酔い潰れている。
片脚のない中年女が地下道の出口を探している。首の腱を針金のように張り、「あ」音と「い」音を間欠的に交互に突き上げながら、もと来た道をいざりながらまよっている。粗末な服と同じくらい粗末な皮膚は黄ばんで干からびている。瞳だけが朝露のように透明でうつくしいほかは。

墓石がそびえたつ地表には無数の数字たちが、笑いさざめきながら革靴やハイヒールを履いて交信し、小さなパネルに収斂されていく。それを人工衛星が回収し、支払い能力の多寡に換算して地表に送り返す。

はじける光を背景に長い黒髪を垂らした、リヤカーのジュジュがゆく。痩せ細ったジュジュの歩行は止まっているかのようにみえる。引き上げられた後足が前足と入れ替わるまでに、風景はすっかり変わる。それはリヤカーに積まれたゴミの重さのせいかもしれない。あるいは、ジュジュは、暗黒舞踏のカリスマのように路上でダンスを踊っていたのか。いや、かれは、闇からの光に目がくらみ、独りでオリエンテーションをこころみていたのだろう。目立つものは殺されるぞ、といわんばかりに。慎重に。それにしてもどこへ?

リヤカーを引くジュジュの影をプログラミングされた男たちの影が追い越していく。電荷のように瞬時に数百メートル先へ。そこへデフラグされた女たちの笑い声が星のように落ち。フォーマットされた恋人たちが再フォーマットされた恋人たちと行き交う。
数字は名詞を口にし、幽霊は感動詞を叫ぶ。

地も木も空も鏡でつくられた森がある。
その扉がひとつ ──ちりんと鳴って、丁寧に包装されたおんなたちが黒い紳士を送り出す。角柱に映った巡礼の男の汚れた姿をみて女のひとりが小さな声をあげる。男は白い歯をみせて微笑んでいる。振り返ってもだれもいない。男の断片はすくなくとも幾度もの屈折と反射を繰り返してそこに届いているのだろう。漫画喫茶、居酒屋、キャバクラ、ホストクラブ、風俗店、ラブホテル、パチンコ店の柱や庇や窓ガラスや扉のなめらかな鏡のなかを巡ってきたのだ。男はひょっとするとそのビルの裏道を逍遥しているのかもしれなかったし、笑いかけているのは野良犬の仔にだったのかもしれない。

露店には黒い手で摘まれた果物が山積みになっている。それはもうだれの汗も爪痕も残さない。それはもう巨大タンカーを映さない。それはもう西陽の影になった木立のシルエットを映さない。それはもう舟になった男の瞳にも映らない。果物売りにはかれがみえない。

夢のスクエア ── 祭壇は酒場の裏にあって、そこには色ガラスの林があった。色ガラスの底には琥珀色の吐息が忘れられている。ちりちりちりと空から落ちた光がガラスの肩にのってちいさな火花をあげた。かれは跪き、祈りを捧げる聖者になる。祝宴がはじまる。天体からも、その姿はみえない。


海ができるまでに

  山田太郎

その発端は
 水に書かれなければならない

その顛末は
 水で描かれなければならない

たれにも見ることが叶わない
ただ
ふれることができるだけの
物語だとしても

どこにでもあるような一本のロープが 世界を
わけるように張られ
かつてあった世界と もう なくなった世界を
隔てた

あのとき
絵本が 一冊
ロープの向こうへ流れていったのだ

鉦、太鼓も もう 聞こえないでほしい
わたしはただ 
とりかえしのつかない色をした
朝焼けの
 朝焼けの
滲む色だけをなつかしむ

近づけない
出来事の 淡々としたあざやかさに
沈黙する地平

幾つもの水たちが
幾つもの陰影に語らせたお話の結末は
水と塩がなごむ世紀まで
綴じている


岩手七号

  山田太郎

幽霊として生まれ
幽霊として死んでいくこのわたしは
生きているあいだは
すこし塩けのある水を湛えた
ちいさな
水槽にすぎなかった。

(メダカくらいは泳いでいた 
(かもしれない。

幽霊であるわたしにも
コトコト動く心臓と
巡る青い血があり
健気に動く筋肉と腱があった。
すこしも 
役に立たなかったが
並の下、程度の脳みそも完備されていた。

問題は
それ以外に 
なにもなかったことだ。

ある ── 空腹の夕べ
手のひらをみつめて
何げに ソラをもちあげてみた。
なぁ〜んちゃって
と 肩をすくめた姿勢で 浮かしてみた。
ふわっと
手のひらに血がきざし 血流のしびれがきざした。
錯覚だろうか。
なにかに触れている。
これが あの、 ソラと呼ぶものか。
嘘のように軽々と「ソラ」とつぶやき
信者のように見上げてみる。
まるでお尻の なめらかさだ。
かなしいかな
扇風機の風で翔んでいく。
ほんとうは ないので
見送って
泳がせて いた。

手のひらを眺めていると
トツゼン
セックスがほしくなった。

テレビで
セックスはいい セックスはいいねと
女優やタレントに 笑顔で
叫んでいるのは人工肛門手術をした後の渡哲也だ。
不思議な人もいるものだ。

わたしのセックスライフにも、
相手が必要だ。
そのお相手はいまテーブルの白い皿に載っている。
あれでも昔は山田さち子という名前があったのだ。
それがいまはなぜか岩手七号になっている。

わたしの手のひらにあわせて
身繕いをしている
薄紅の秋の実。
わはは、ざまあみろ。
福山雅治、 
おまえの吹石一恵より丸いぞ。
とカラ威張りしていると──。
 いや、だめよ、
 そんなことはだめ、
 まさか、そんな、コトは。
 いくらなんでも
 それは神を冒とくしている。
 スカートめくりじゃあるまいし、
 半分に切るなんて。
岩手七号がいやいやをした。
でも切らなきゃはじまらないだろ。
吉永小百合をみろ、小百合だって
やってるんだ、
まして幽霊がリンゴとやってどこに
不都合があるのだ。


時計

  山田太郎

七分、という時間はないのよ
電車を乗り継ぐ時間があるだけ
四秒、という時間はないの
日傘をひらく時間があるだけだわ
と女はいった

それから快速に身をゆだね
見なれぬ街で
深々と黒い、じぶんの井戸に
身を投げる

三十分、などというものはないのよ
熱いお茶が冷めるあいだがあるだけ
五分、などというものもないのよ
汗がひくあいだがあるだけ
と別の女はいった

そのあとで、猫舌の喉をうるおし
ほつれた鬢がかわく

匂いを感じる時間は一瞬
頬を打たれる時間も一瞬
とまた別の女はいった

そのあとわたしに還った本当のわたしが夕飯をつくり
本当のわたしから抜け出た本当のわたしが
つぎの日 電話をかける

時間の長さを忘れさせるのは
時間だけだわ と女はいった
かつて花と花をつなぐのは風だった
風になろうとした花は
時間につながれるしかなかったのか

便りには
空はいつも時計だったと書かれていた
便りには
川はいつも時計だったと書かれていた
便りには
あなたはいつも時計だったと書かれていた


十センチの空、オモチャの川

  山田太郎

         

            

     路 オ み
     上 レ ろ
     の ン  
     陽 ジ
     だ 色
     ま の 
     り 銀 
     に の
     落 束 
     ち が 
     て 
     い 
     る
  

calamus (葦)を鳴らせ /
     ィ
   シ ラ         ソ
 ラ♪  ♪ソ       ラ  ラ  
ソ♪        ラ  シ ♪   ア♪
♪       ソ ♪  ♪         
わが歩行は\    凱旋であり\    チャルメラである
      背景への      我が足は

ぼくは行こう 秋の朝のような眼で
光のとどくかぎり
無遠のパースペェクティブを
どこまでいっても縮まらない道を
         
足より先に 肩を押し出して
なにもかも溢れるように 空っぽになるように

皇帝のように
盗賊のように
ならず者のように  

すべてを愉悦にすり換えるコツさえつかめれば
贋金作りの、抜け穴さえ見つかれば

石碑が聳えるオフイスに 
わが馬が疾駆するスペースはない 
マントは 窓ガラスを砕き 
交差の群衆を石にして 草原を翔ぶ

逆立ちしてみろ
足下の空の広さに驚くぞ
クトウテンとしての、、鳩が、五線譜を横断させている逆さまの空
わ、水を 濾す臓器だ
なんて きれいなんだ
         アタ            
すべてに かたちを中へ、
消しゴムのように、消していく 風。

  まもなく嵐がやってくる

ボウコウ
暴荒の海よ 十センチの空よ
ここまでくれば もう 人間がいちばん醜い(ワタシガイチバンミニクイ

斎場の煙突より
      直
      角
      に
      折
      れ
      て白煙は真横になびき
              足
             は
            y
           軸
          の
         ソ
        ラ
       へ
      と
     向
    か
   う

海 ◯ はあったか?
陽___は陰ったか?

緑青の屍体を横たえて 眠る
人形であった 過去
の魚よ
ああ、こんなにも色彩が豊かであることが
果たして シアワセといえようか


仇   一 根   と ん   女 は 浜
名 死 生 足 一 り に 場 に や 松
を ん 女 を 編 い 肘 末 モ く 町  
  だ と 求 の た 鉄 の テ 消 の  
ひ 廃 口 め 詩   を   な 耗 外  
き 人 が て よ   食 下 い し れ  
蛙 が き い り   ら 町   て に
の い け た も   っ の 貧 し あ
ラ た な 詩     た   乏 ま る
ン   い 人 品     大 な い 廃
ボ   で が の   さ 衆   た 港
ウ     ひ な   え 食 ブ い の
と   焼 と い   な 堂 男 と 都
い   酎 り 田   い の が 願 営
っ   に い 舎   流 お い っ ア
た   お た 女   れ ね た て パ
    ぼ   の   者 え   い |
    れ       が ち   た ト
    て   大   ひ ゃ     に


 ______ふり返ってごらん
3°の方角に まったく違った風景がみえるだろう
ひと跨ぎできるオモチャの川にそって 


秋 2016

  山田太郎

天体の仰角が
秋のともし灯を乱反射する 朝
木々は凍え 幾千もの手に火をともす
道のカーブに人気はなく
老人たちはフンを拾う

自動散水機がみどりを洗い
苔むした太い幹にからむツタが天辺をめざす
まぶしき照明は森に明るい霧を降らし
人々は毛虫のように外套を逆立てて
しずかに歩む

おはよう ゴッホの黒猫
おはよう アンデルセンのカラス
おはよう ひさしの下で果物をならべる人
おはよう 白いブラウスの女学生

昨夜 強盗と詐欺師が争い
強盗が世界最強国の大統領になった
年が明ければこの国でもマッチポンプのテロが
頻発するだろう
陛下の軍隊はアフリカの人たちを撃つだろう
ぼくたちの崇高な詩のために

乳母車の乳児が
ぐーをのばしてあくびをする
わたしも小さなあくびを返す
小さなあくびはため息であり
秋の空をゆく
風や笛の音もまたため息である

小さな鳥たち
缶拾いのおじさん
学資稼ぎの新聞配達くん
ゴミ収集車の運転者さん
飛行機雲 おはよう

露草はかすかに揺れて
光の玉を落としている
困り顔の犬はくうううんと鳴き
夏を燃えたひまわりは束ねられ
晩秋は
いっそうあざやかに
実っている


嵐の中で、抱きしめて、

  山田太郎

    1

どしゃぶりの雨のなかを
あなたは傘もささず
自転車で走り
あの 泥と埃の街で
なにかを捜して回っていた 

もとめるものなど
みつかるはずもなく
盛夏といえど
ずぶ濡れで帰るあなたの顔は真っ青で
捨てられた猫のように目がへこんでいた

鉢合わせしたあなたに
傘を差し出すと
あなたは哀れむようなわたしの目に気づき
その傘でわたしを叩いた

わたしは恥ずかしさをおぼえて
あなたの気が済むまで雨のなかで叩かれていた
それはむしろ夏の嵐にふさわしい小気味よい打擲だった

雷鳴が遠ざかるころ
わたしはあなたを自転車の後に乗せて
帰っていった
あなたはわたしの背にもたれて半分眠り
前かごには
折れた傘がしずくを垂らしていた

      2

もう三十も半ばになるというのに
精神を病んだ彼女は子どものままだった

 ねえ、なんて、なんて?

おもしろいとおもうと必ず聞き返してくる
何度でも笑いたがるのだ

 ねえ、なんて、なんて?

といいながら、もう笑いころげる準備をしている
気に入ると
少なくとも片手の数ほど同じことをしゃべらされた

 なんでおれが、こんな我がままで
 エゴのかたまりのようなキチガイ女の相手をしなきゃ
 ならんのだ 神さま どういうめぐり合わせなの? 

内心腐っても 微笑みをつくる
わたしはふつうに喋っているつもりだが
彼女からすると おかしくてしょうがないらしい

山のような向精神薬を飲む合間に
彼女は
ごはんをたべる

薬が食欲中枢をずたずたにして
彼女の食欲は宙に舞う紙切れのようだ
ガム一枚差し出しても首をふるかとおもうと
とつぜん大食らいする

ラーメンは必ず汁から飲みまして
それもゆっくりと味わいながら飲みまして
器に麺のボタ山が残るのでございます
そのボタ山が時間がたつとなにか膨らんでまんじゅうのようになり
こちらは気が気でなく
できるものなら汁を分け与えてやりたいのですが
ボランティアでやっている
資格もないカウンセラーもどきという立場ではそうもいかず
無理に微笑んでやりますと
当人はふんふんとハミングしながら
ボタ山をくずしはじめ
最後にチャーシュウを惜しそうに口に放り込むのです

すこしずつ減らそう
麻薬のようなものだから
一気にやめるなんてとても無理だし逆効果だから
一日一ミリずつ薬をけずって
そう、
半年から一年かけて薬を減らしていこう
ね?
猫なで声で
いったら
うなづいてくれた

おお! 大工の倅よ 不倫の母親の息子よ
おまえを
信じてもいいような気がしてきたよ 

彼女は一年かけてがんばってくれた

途中、断薬の苦しみを断つために
雨のなかへ飛び出し 狂気のように走り回って
だれも救ってくれないのに
なにかに救いをもとめて 半狂乱になったことがあり
嵐のなかを捜しにいったことがあった
(あのとき、なぜ傘でぶたれたのかわかっているか?)

彼女が薬物から脱して元気になっていく姿をみながら
ぽつ、ぽつと、わたしはバイクの面白さを教えた

彼女はバイクの免許をとった
ヤマハのビラーゴを買い
知らぬ間に
北海道を一周してきたよ という
ダルマさんのように着込んでひとりで雪原でポーズをとる 
真っ赤な陽を照り返す笑顔
送ってきた写真に なぜか胸が少し痛んだ

わたしは彼女に
指一本触れたことがなかった

数週間後
あまり話したことのない母親から篤報をもらった
九州で事故を起こしたのだという
早朝4時のできごとだった
沖縄へのロングツーリングを誘われたが
断ったことを母親に話した
「いろいろ、ようやってくれたんやてね」
はじめてお礼らしいことばをもらった

ケータイの蓋を閉じて
これでわたしもせいせいするかとおもった
厄介なお荷物といえばお荷物だったじゃないか
じぶんの義務は完璧に果たしたのだから
カウンセラーもどきとしては満点だろ?

いまでは悔いている
映画の一コマのように
強く抱きしめてやればよかった
歳の差で彼女の両親に遠慮することはなかったのだ
シラノ・ド・ベルジュラックのようにせまれば
彼女はくすくす笑ったかもしれない

 ねえ、なんて、なんて?
 なんていった? もう一度いって?

それからだ 心療内科に駆け込んで
大嫌いな安定剤のお世話にならざるをえなくなったのは
わたしは案外、彼女のエゴ丸出しの我がままに
ずっと ずっと長いあいだ
介護されていたのかもしれなかった

文学極道

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