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Kolya (コーリャ) - 2012年分

選出作品 (投稿日時順 / 全6作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


レモンの花が咲くところ

  コーリャ

・クリスチャンでない僕らは上手な祈り方を知らなかった。

日曜日になると、僕とレモンは当たりをつけた家を訪れる。金属製のドアノックを叩く。臆病な小鳥が屋根から飛び立つ。家人は不在だ。そういう決まりになっている。僕たちは頷く。芝刈り機の心臓を揺り起こす。

・時間は掛からない。

小石を取りのぞき、芝を刈り高さをならす、雑種の花はすこし眺めてから毟り取る。窓辺の猫は、その工程を宝石の瞳でみつめつづける。すべて終われば写真を三枚撮る。芝生の写真。レモンの写真。僕の写真。家に帰って日付を書き込み、アルバムに挟む。アルバムを閉じる。パタン。

・名前は呪いのようなものだ。

あなたにいつも寄り添うくせに、それを必ずしも望んだわけではない。レモンという名を始めて耳にしたあなたは、つづりを訊ねてよろしいですか?と言うだろう。L-E-M-O-Nと彼は仕立ての良い楽器のような唇を動かす。当たり前だ。レモンにそれ以外のスペルがあるはずがない。良い名前ですね、とあなたがお世辞を言うと、彼は笑う。彼はかなりスマートに笑う男だった。

・彼はあまり自分のことを話したがらない。

とくに家族のことを口にしたのは一度しかなかった。左胸のポケットをいじる手癖をしながら、父親が病気だ、と彼は言った。それはまるで宣告のようだった。「早く死ねばいい」と彼が言い継いだとき、車のヘッドライトがガードレールに腰掛けた僕たちを舐め、深い影を張りつけにした。はまってしまったらどこにも出ることができない落とし穴みたいだった。自分の影に吸い込まれないように、彼は黙って足元を見張り続けた。

・「私の名前が欲しくないか?」

そう彼は言ったことがある「それなら僕の名前はどうなってしまう?」「紙飛行機を折って空に飛ばすさ。ゴッドファーザーに返すんだよ」名前を交換するというアイディアは馬鹿げていた。僕のそれも使い途がないくらい奇妙だったからだ。「それなら君の名前はなくなってしまうよ」「新しいのをみつけるのさ。もっと良いやつだ」それからレモンは名前を失くした。「どうやらどこかに落としたらしくてね」と彼は言った。ちゃんと探したのか?とたずねると彼はスマートに笑った。

・僕たちは二年かけてたくさんの芝生を刈った。

そろそろ終わりにしようと彼が言った。たしかにアルバムの紙幅も少なくなっていた。僕はゆっくり頷いた。最後の芝生。風の強い日。雲が早送り再生され、さまざまな生物の架空の進化図を示しながら流れていた。裏庭の一番奥には、小さな物置があり、その屋根に老いた果樹の梢が寄りかかっていた。日曜なのに街は無人だった。猫すらいなかった。不気味で静かな庭だった。

・刈り終えたころに天気雨が降りはじめた。

早く済ませてしまおう。彼がカメラを手にとる。そこで彼は凍りついてしまう。訝しんで彼の視線を追うと。芝生の上にレモンの実がひとつ転がっていた。なんだ。僕はおもわず笑って彼をかえりみたが。彼は無表情だった。僕は笑いを手早く隠す。彼をスポットライトで当てるように、水と陽光が手をとり合いながら降った。雪みたいだ、と僕はおもった。彼はそんな場所に凍っていった。もし彼が名前をもたなければ、僕は彼をどう呼びかければいい?君の名前は?花の名前は?国の名前は?そんなことばかり僕は考えた。おもむろに彼はカメラをあげる。ピントを震える指で丁寧にあわせて、シャッターを切った。

・すっかり雪の積もった芝生を彼は歩き始める。

そのたびに、ぼとり、ぼとりと肩から雪塊が落ちる。かがんでレモンを取り上げる。そのまま彼は罰のように雨と光を受けながら、ゆっくりと雪原に沈んでいった。

・その四枚目の写真を僕はアルバムに収めることができなかった。

彼が望んで持ち帰ったからだ。葬式の日。僕は彼にたずねた。まだあの写真は持っているかい?「焼いてしまったんだよ。すごく細かくやぶいてね。焼いてしまった。親父も焼いてやれるとよかったんだけど」この国ではむしろ火葬のほうが高くつくのだ。そういう決まりになっている。夕方。あらかたの光が紫に色を変えながら死んでいく。射光が低いから墓穴はまるで洞窟の入り口のように暗かった。異教の僧侶の呪文が終わると、柩は穴の中へ、やわらかに吸い込まれた。そのまま彼はかがみこみ、闇の深さをはかるように墓穴に手を伸ばした。何も掴むものがないことを知ると、白い花片が彼の手から離れ、それは棺の額に注がれていき、暗闇といっしょに閉じ込められていった。パタン。

・"Do you know the land where the lemons blossom?"

それから彼がどうしたのか? 新しい名前を探しに北半球に渡ったという噂をきいたが、それは誰にも分からない。一度だけ差出人不明の手紙が僕に届いた。消印のスタンプは、いままで誰も見たことがない国名を表記していた。写真が一枚だけそこに入っていた。山の裾まで続く広大な花畑の全景だった。白い花の群れが溢れる光だったころの思い出を懐かしんでいた。まるで世界の始まりの日に盗んできたような情景だ。僕はその花の名前を知らない。裏面には走り書きで。『レモンが花咲く国を知ってる?』 そう書いてあった。馬鹿にしないでほしい。それがレモンの木の花でないことは僕でも分かる。分かるけれど、なるほど。美しい国だ。僕はその絵葉書に書きこみを入れる。名もない花の国。アルバムの最終ページに挟む。アルバムを閉じる。パタン。



*タイトルはゲーテ「ヴィルヘルムマイステルの遍歴時代」第3巻第1章から。原文は"Kennst du das Land, wo die Zitronen bl〓hn"


生贄

  コーリャ




きみがほめてくれた鼻梁のさきから

からだは腐りおちていきます

(崖にたつ風車たちがうつろに手をふって

入水自殺をこころみるたぐいの


そうして盲いるときは

たとえ

けつえきが砂鉄で

ざえざえになっても

黒人というよりは

黒曜石(sic)にちかい鳥類として

うみべを警備しようって

こんたん

氷を燃やしたみたいにつめたい火矢を

星空に放ちながら

夜が朝にプロポーズするのを

指さし確認する

というおしごとをします


世界にはいろんなひとがいますからね

なんで生きてるんだろうってひとばっかりですが

みえない精霊と手をつないでぐるぐるダンスしつづけることで

神様にちかづいていく

そんな祈りかたを

いちばんはじめに

祈ったひとをしってますか?

階段の折り返しばしょで

なんとなく

神聖にふるまっているのは

その踊り手へのあこがれからです




ヤクの角でできたカヌーが霧の川をくだっていくように

いちばんはじめにこの街の匂いをかいだときみたいに

あるはずもない天国のことをかんがえています

そこにすむ動物の性格

なきごえ

にじの色のかぞえかたや

あらゆるおぞましい地名

ドストエフスキーはそっちでげんきにやってるか

ただ生きてるだけでなにかを盗んでいるきもちになることとか

なにもかも

なにもかもだった




「やっぱり許されたいから?」

とカーラジオのCMがいった

やっぱり許されたいから6月


よぞらに

アルミ缶を

星のかずだけ吐きだす自販機と

おなじ声質で

踏み切りの遮断機はうたって

あちら側とこちら側を

すらりとした二の腕でへだてた

助手席になげていたポールモールに手をとる

さいきんは世界中どこでも

悪魔の従者のように喫煙者をあつかうため

失明のげんいんになります

という警告文と

アイスランドでたべるブルーハワイの色をしたひとみのおとこが

異端審問官として

喫煙者たちをへいげいしている

車のハンドルにもたれてなにげなく

めのまえを横断していく

二両編成の列車は

仲良く手をつなぎながら

雑種のしょくぶつがよこしまなことをしているような森の奥へと

いみもなくわらいあいながら

かけこんでいった

そのあいだ

ずうっと

車のラジオは

季節のはなしをしていた

レモンを半分にきります

片方はすてます

のこったほうを

お皿にそえます

はいどうぞ

これが六月です

ということらしかった




神様は

ひとびとを

はんぶんこにしちゃったのである

だから私たちはいわば理科準備室の人体模型であり

いきることは

えいえんに放課後をまっていることにほかならず

立たされたままねむる夢のなかで

わたしたちは半身の肌を探しに

いつもたびにでかけているんだよ



と言った



天国では死んだひとたちが

生きてきたなかで

いちばんきれいだった海の話をするそうだけど

海のかわりに僕はいちばんきれいだった女の子のこと



と言った



あなたが死ぬとわたしも死ぬよ

と言った

自殺よくない

と言った

ちがうの

死んだあなたに殺されちゃうんだ

死んだあなたはわたしのすこしのぶぶんを略奪して

しのせかいにつれさってしまうの



と言った



いまも人体模型たちは

せかいじゅうのおおきなまちとちいさなまちを疾走しながら

半身をさがしているんだろうか

とは誰も言わなかった

そのかわり

さよならはちょっとだけ死ぬことだ

と誰かが言った

もしあなたたちのどちらもただしいなら

ぼくたちはさつりくをくりかえすことになり





そして、

そして、

とつぶやく接続詞が、

やさしくいだくうちゅうを航跡をひきながら旅団していく、

ながれぼしはいちびょうのあいだになんども死にながら

かつてうつくしかったものをひとつづつていねいに忘れていったのち

ショートケーキでできた地上に

アイシングシュガーとしてふり注いでいた

大気圏を突破したじゅんから

虹色のばくはつをおこす

戦時中にもかかわらず

ひとがしんだりするにもかかわらず

彼女はそんなところからわらいかけてる

流れ星をそのてのひらにうけとるごとに

地平線が歌うみたいに仄かに光る

そう 滅びるってこういうこと!

彼女は駆け出す

もう

うごかないオルゴールみたいな

うごかない遊園地の

うごかないコーヒーカップに

ふたりはのりこむ

聴こえる近さのものでは

みんな気狂いのお祭りのようだったし

聴こえこえないくらい遠くでは

国がホットチョコレートととして溶けながら滅亡した

かれらはまたどうしようもなく諍う

ひとが死んだらどうなるのか?

天国にはいかない

もしあなたが死んだら?

天国にはいかない

さようならは


そしてそしてそして

きみがほめてくれた鼻梁のさきから

崩落がはじまっていったら

すべてのビルがぜつぼうにくずれおちたら

ぜんぶのことばのいみがほどけて

いっぽんのピアノ線になってしまったら

クローゼットのなかには

さんかくすわりの天使がいて

あなたが死ぬまで歌をうたいつづけたら


素敵だなとおもったのですが

たぶん

ビルはおもいのほかくずれませんし

ことばのいみはわりとちゃんとわかってますし

天使とかいない

ピアノもなります

きせきとかもない

それは絶望とすらよんではいけない

魂とかほんとうはわからない

それでも

美しさをぜんぶさしひいたあとの地平に咲いた

なにかを

神聖とかんちがいしながら

生贄でもいいから

生贄でいいから



  追伸.


 (列車のレールは

 水底まで届いていたから

 なすがままに列車たちは

 みずうみに

 音もなくすべりこみ

 やっぱり

 手をつないだまま浮かんで

 空を飛ぶさまざまなものを

 みつめながら

 くるりくるりと

 水没してゆきました



 れっしゃは

 てんに

 のぼっていく

 あぶくをはきながら 

 あおいてんに

 のぼりながらぼくのなかでことばがあふれていく

 そのしゅんかんに

 ころされていれる

 ぼくたちはそのままの

 ことばになれずに

 みずにさいて

 さけて

 ちりになり

 ほのをもしらずに

 もえていく

 といい

 へんじがないと

 となりをみると

 とっくに水没してしまい

 とてもちいさいものになってしまっていて

 ひかりさえもぼくらをからめとらない

 なめらかなあんこくの

 もっとおくで

 なる心音に)


朝を待つ

  コーリャ


 /朝焼けを待つ。そのあいだに。口当たりのいいことばかり。話してしまうのを許してほしい。希望や。理想。その怪物的な言葉たちの。立つ瀬がなくなっていく。冬の夜の海浜の。そこここに。誰にも模写されたことのない。不燃性の生き物たちが身を波に洗わせて。すこしづつ体の色をうすめていく。彼は凍えながらそれを眺めている。吐く息が眼鏡のレンズを。バターでも刷いたようにくもらせるから。動物はみんな機械仕掛けにみえてしまう。ヒトデは。波の白さが。接触しあい。ショートして。エラーを起こしている場所から。気だるげに誕生して。そのままのかたちで。かつえながら死ぬのを待つのだろうし。海岸にしきつめられた岩砂は。いつかの満月よりも。なお人工物らしく。むしろここが月の裏側みたいな。水と砂漠の風物だ。抱きあって無理心中を後悔する海藻たち。砂の小丘に埋まったラジオは。そのまま小規模な音楽をながしながら落城し。無人島みたいに誰もいなかった。海が刺青した箇所をひたすら撫ぜながら。すこし―――。その光を思い出すことがある。暗闇とはいまでもときどき連絡を取り合う仲だ。缶コーヒーはまるで鉄を詰め込んだみたいに冷たい。タバコの匂いがしつこく潮の匂いに付け入る。彼は口当たりよく語りはじめる。例えば。そのあいだに。夜は白という色を。絵画を愛撫するみたいに。すこしづつ繋げていく。薬指はそんなときに役立つ。彼の隣で横たわっている女の髪を耳にかけたり。はずしたり。波のリズムにあわせて。首を緩くゆらしながら遊んでいた。


/その夜がすこし憎い。彼は笑顔のまま凍えている。その暗いことがちょっと怖い。みんなそのまま目を覚まさないかもしれない。その夜が怖い。その夜の廊下が怖い。もうひとりの自分がすぐ後ろにいて。いまにも彼になりすまそうとしている。鳥が眠るのを認めない。ずっと彼を見張れ。白夜のことは好きだけど。実在することは信じていない。その夜になると声がきこえる。その夜の声。頭蓋骨のなかに閉じ込めている。ときどき頭をかしげたときに。その夜が擦過音をたてる。それは砂時計の想像する五分間ににてる。耳馴染みのある夜だった。誰かの声がとどかない場所。その夜の音がたえず命令するので。水滴が水面を打って水紋をつくってなにもなくなるようにたよりない彼は従順に生きてきた。なのに砂時計の砂はなぜか湿って。流れることをしない。なのに。また別の朝はやって来る。その朝は彼らの望んだ朝じゃないのに。彼らの大切なことをなにも知らないくせに。彼らをあまねく照らし救う。そんなのもに捧げたくない。その朝も怖い。夜も怖い。だから彼は口当たりのいい言葉で語り続ける。そうすれば。彼の中だけでは。その夜はちがう夜と連結し。満月を背景に弓なりのシルエットを残しながら。長い列車にでもなってしまう。そんなことを独りで考え。彼は笑った。希望が泣いてる。理想が鳴いてる。などという。口笛もふいていく。


 /そのあいだに朝を待つ。冬の遅い日の出を待つ。さっきから海沿いの舗装道路に整列して彼らを眺めていたマネキンたちは。なにかの合図を待ちきれずにいっせいに汀に駆け込みはじめる。 車の通りがおもむろに増えて戦車がクラクションのかわりに空砲を打ちはじめる。それに驚いた飛行機はウィングをなくしたからそのままの加速度で溶いた雲につっこんでいく。朝の早いキャンディ屋がたくさんの飴を投げ込んで塩飴をつくってる。それをじっと見てるだけで。隠しステージにいけるような模様の空飛ぶ絨毯が。誰かの手紙をばらばらと捨てにくる。 また朝が始まろうとしてる。もう世界とは呼びたくないなにか。ただの生きるという発音では適切じゃないなにか。道すがらに誰かと手をつなぎ。手放すこと。それは。薬指の爪先が離れたとき。風に触れたとき。オブラートを舌で溶かすように。混沌の中のみえない一色になる。彼らはどんな顔をして溶けてゆけばいい?疑いようもない朝の光の幾筋に!そしてそれは嘘のひとりごとでしかない。彼は彼だけの言葉で。恐れていたものをなだめ。光を崇める。ということはできないことを知ってる。それは誰かから教えてもらったことだから。もうどうでもいい。とくに。あなたなんかは。それでいいから。だから。返そうとおもったんだ。言葉のほかで受け取ったものも。言葉も。そろそろだろう。起ち上がる。朝は来たが。朝焼けはみえない。老いた羊の群れのような雲が現れ。間の抜けたスロー再生で雨を降らせる。長いあいだ。女は砂に頬をつけて横たわっていた。 落ちた泥まみれ手首を唇にあてようとして。やめる。冷たい鉄が重く。冷たい。誰かが叫んでいるけど。わざと振り返らないで。進む。いまさらやっと海の匂いがする。灰色の海の光と闇の段々がさね。水平線のはるか遠く。白と青があざやかに手をつないでみえるのは幻想だね。風が朝から逃げていきざま、彼の長い前髪を開け放つ。緑灰色の泡立ち。僕の頭のなかで水滴が水面を打って水紋をつくる。体を捨てたあとの腕の温感。少しだけの眩しさ。なぜ光っている?どこが?海。海。海。と口当たりのいい言葉で。暁で空にかえっていくはずだから。望まれない冷たさと角度で。朝焼けはやってくるから。


棄教。遠足。

  コーリャ

たぶん始めに言葉も行いもあったから、僕たちは踊る。祖母はすこし丸いお腹にたくさんの宝石をつめて死んだ。むしろ僕は悪い宝石のためにお花をささげます。夕空だってきっと、その日は僕らを覆うこともせず、 鳥もカンガルーも厳粛です。地図のここと、人差し指であなたは、僕らを定め、いままでなににも捧げなかった薬指で、私はここ、と鼻の頭をゆび指しました。

右耳のイヤホンからあなたの声。左耳のイヤホンからだれかのお腹が凹んでいく音。どちらもわけ切れない。空色の道路。天気雨のトンネル。やがて僕ら朝霧に溶けて。空の姿見で化粧する海。あるいは望まれない浅い朝。すべてがガスからできた街。遠く、ガラスの海嘯。がらがらと崩れるみたいに景色はすすむ。暁と夕暮れはべつべつの双生児。そして街!文明を僕に光らせてね。メリーゴーランドの馬賊だ。コンクリートにゆっくり沈没するビル群の橙色。地雷を踏んだら虹色につつまれちゃうんですね。虹が沈殿。夜が自作自演した、ちがう夜。財宝。銀貨を噛み砕く野良犬。NPCな人々。本当にいきているの?神様がインストールされてないのだ。まるで不機嫌にうつむいて、ワン、ツー、ワン、ツー、足踏みして、どこにもいけない、いかない二進法。カーテンのように、祀られる神殿の。

振り返らないやさしさ。怒りをこめない雄々しさ。そして僕たちの諍い。逆しまの季節に語られる言葉は、みんな数学の問題みたいに分からない。 なにもないことが本当にあるなら。それはそれで素敵だから、ポカラの湖のことを最後に語らせてください。コップに水をいれます。(なるべく澄明に)ビー玉を落とします。カタン、と底に落ちたときにする音。それであなたの眠りが始まる。あなたは夢をみている。汀に座るあなたが考えることは、湖なんてそもそもなかったこと。古い光が根絶やしにされたら。それはただの大きな穴ではない、間歇ではない、空虚ですらない、火山湖でもない、精霊なんかいない。あなたしかいない。生きる、あるいは生きてないぼくらしかいない。めのまえの闇。静寂の発音。透明すぎる水。裸足の絶望。花の香りが散華するのをまって。心音が定まるのをまって。あなたはおもむろに棄教した。もうすべてがどうでもよくて、その時はなんでもなかったくせに、なぜかそのことばかり思い出しながら。そして、野原に歩いて帰るとき、あの遠方から、あなたに目配せする風車にむかおうとするとき、そしてあなたが目覚めるとき、言葉があったか、それとも行いがあったか、豪奢な光に瞼をけしかけられるとき、はじめて唇をひらくとき、それはまったく、あなたが贈る、祝詞しだいだ。


世界の終わり

  コーリャ


弟のプリンを冷蔵庫から盗む。鳥の名前にやたら詳しい。血液型が気になる。勉強ができない。(世界の終わり)

遅刻する。早退する。ブッチする。君に会いにいく。電車のドアが目の前で閉まる。(世界の終わり)

「蟻の巣にさ」「うん」「溶かしたアルミニウムを流し込むのね」「えげつな」「でも、キレイなんだよ」「うん」「ビルの化石みたいでさ」「うん」沈黙が実はキライじゃなかったりする。(世界の終わり)

蝶を原に放つ。シマウマを塗り絵にする。月光が自販機に落ちてる。天使についての歌を口ずさむ。(世界の終わり)

カブトムシになりたかった。船乗りになりたかった。通訳になりたかった。 詩人になりたかった。(世界の終わり)

ビッチのあの娘はカポーティを借りパクした。「遠い声、遠い部屋」(世界の終わり)

光る。回る。自転車のスポークス。坂道をくだる。先月の移動遊園地のポスターをはがす。(世界の終わり)

決まって深夜に出発する。助手席にカバンを置く。なにも終わらない。なにも始まらない。環状の橋を越えつづける。朝にはまだ時間がある。タイムスリップしちゃいそうな。濃い霧の先。(世界の終わり)

いつもの散歩道に花が咲いてた。(世界の終わり)

流れ星はあまり見たことがない。どこからか懐かしい匂いがする。振りかえる。シーンとしてる。フードをかぶる。冷蔵庫の扉はパタリと閉める。(世界の終わり)


青空

  コーリャ


*

ミサイルかな?と思ったけど、青リンゴだった。天気予報は嘘をついた。預言者も嘘をついた。みんな嘘をつきすぎて、こんな結末は幸福なんだ、なんて言ってた。空から、バラバラと、降ってくる青リンゴは、すこし跳ねたあとに、破裂して、青い炎が発火して、青い草原に、青い野火がひろがり、天気予報士は真っ青になり、預言者は青空に逃げ去り、青リンゴは降りつづけたので、ぼくたちの瞳は青く染まり、青い炎はどんどん燃え盛って、ぼくたちの瞳は真っ青になって、ぼくたちは、動物も、植物も滅びた。たとえば、白鳥たちは群れで横たわりながら、自分たちの白さを呪っていたが、青リンゴはそれでも降りつづけて、地球はさらに青くなってしまった。ひどく甘くもなってしまった。赤はなくなってしまった。やがて赤くない色も、青だけを残してすべてなくなり、ぼくたちは、青リンゴと等しくなりながら、ひどく甘くなりながら、どこまでも青に浸されていった。最後まで戦って、死のう、という雄々しさまでも、青く、青くなってしまい、それは、最後まで戦ったあとは、アップルパイを焼こう、というふうに、ひどく甘くもなってしまうのだった。


*

「絶望から逃げろ。」お祖父さんは[一の駅]を過ぎたとき、そう言った。車窓の外で、交戦状態にある風の連隊が花の敵機を撃墜していく。「雲の上には神様がいる。誰かが死ぬと宴会をする。だから雨は酒だ。神様たちの口からこぼれる、パンの滓は、雪。と呼ばれるし。酒盃からあやまって零れる数滴の酒のことを。雨と呼ぶのだ。」雹は唾だそうだった。[二の駅]を過ぎたとき、お祖父さんは眠ってしまった。まるで、音楽に聞き惚れるみたいに、ゆっくり、ゆっくりと、頷いていた。車窓の外で、水平線がそれとない曲線で広がり、その3分の1くらいのところで、帆をめいっぱい膨らませた船が、とかしすぎた水彩絵の具の色をしながら、画面の奥に消えていった。[三の駅]を過ぎたとき、お祖父さんはガラス瓶になってしまっていた。その中に紙片が入っていて、それを取り出す。「愛から逃げろ。」列車はトンネルに入っていった。トンネルを抜けたら、青空だった。[四の駅]を過ぎた。[五の駅]を過ぎて、[六の駅]を過ぎて、[七の駅]を過ぎたのに、ぜんぶ青空だった。


*

万策は尽きた。敵の大群はもう眼前にせまっているのだ。しなやかな四肢を猛らせる彼らは、美しい刺青をくっきりと浮かびあがらせている。ぼくたちは武装を解いて芝生に仰向けで寝転がり、殺戮がはじまるのを待った。空は冗談のように青くて、雲も、ベースボールも飛んでなかった。さっきまで、おとぎ話にでてくる、生きている怪物の森のように、たくさんの軍旗が賑々しく林立しているばかりだったが、いまはすこしづつ、歌が聴こえるようになっていた。その歌の詞は意味を保てずに、和音に溶けてしまい、やがて聴こえる軍靴のタップダンスが、調子をすこしづつ軽快にしていった。そろそろ始まるのだろう。まずは弓矢だ。あなたたちは、青空に狙いをつけながら、弓弦をめいっぱい引き絞る。歌も。仲間も。呼吸もなくなったときに。あなたたちは矢を放つ。矢の群れは跳ね上がって、青空のいちばん高いところで、いちどだけ翻り、新しい色を思いついた順から、雨として、ぼくたちに降り注ぐだろう。そしてひとり、ひとり、と、ぼくたちは雨に打たれて、終戦していく。雨粒がぼくたちを貫き、その鮮血が舞うとき、世界は赤という色を思い出し。意趣を凝らした羽根のさまざまな色が、本当の色を思い出しながら滑空し。敵兵は声を上げ突撃する。つややかな毛並みの馬群が、虹色のアーチをくぐりぬけ、鋭い剣をふるって、その度、ぼくたちの鮮血が吹き出て、ちいさな虹がいくつも吹き出て、世界は色という色をそのときだけ思い出しながら、ぼくたちと、あなたたちと、虹と、青と、等しいものになりながら、焼きあがったアップルパイのする、ひどい甘さを(空、光がどんどん光量を上げて)ぼくたちは思い出していた。

文学極道

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