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リリィ

選出作品 (投稿日時順 / 全8作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


我が母に

  リリィ

墓石も無い墓をふうと見ております
母よ
私には黄泉の道が見えております
四角い石板の下の扉が見えております
そこは隠れんぼをするには狭すぎますねえ
そこに居ます母よ
鬼となった私が捕まえられない母よ
そこに隠れた時を私は見ておりました
斜面から見上げる陽の高いこと
へうと鳴く声が向こうの山から聞こえたこと
観音様の美しさを覚えております
母よ
私には触れることが出来ません
その荒れて透明な皮の手にも
目の回りにいつの間にか増えた皺にも
埃の沈殿する緑色の水の入ったコップにも
砂埃の積もる四角い扉の重しにさえも
雨の音に途切れるスピーカー越しの石焼芋の詩を右耳に
白く濁る黄色の掌を合わせて
無味無情のこの心をさらけ出す
その清々しさを
母よ
貴女に伝えているのです


紙飛行機

  リリィ

旋回



親指の爪は黄色く変色して白い罅が細枝をしならせていましたが
真四角に似せた青の色紙で
紙飛行機を折りました

電線で仕切られた靄掛かりの空気の中へ


すふう


吸い込む動画が私の頭を愉快に貫き脳に押し込みますが

急降下


くおおおおう

青は地球の境界と同化する前に

くぬん…

バケツに溜まった凍った雨水に飲み込まれてしずみました。


三月の晴れた日に

  リリィ

爪が伸びています
一つの花を掴みます
揺らぐ蜃気楼がそれを阻みます
肩が気に入りません
掴むと硬い骨が気に入りません
ですから
関節を溶かす夢を見るのです

この地にはいつ夏が来るのでしょう
桜の花びらがベランダに干した布団に焼き付いて離れません

向こうに梅が散っています
昨夜の雨で乱れた丸く白い花びらを
網戸越しに眺めるのです

春がやって来たのでしょう
車の排気ガスの何処にも
花火の煙は見当たりません

貴方は
向日葵の上に手を伸ばしました
それを微笑ましく見ていたはずなのに
思い返すと切なさと空しさが瞼にのし掛かります

三月の日差しは
貴方の入った小さな箱を
仄かに暖かく照らすのです


魚骨

  リリィ

魚の骨を父のように綺麗に取りたいと思っていた。
親指と人差し指と中指。
その箸使いで半分にぱっくりと割れる、脂ののった白い身。
乳色の光の下、私の手は油と黒く割れた尾で汚れ、母が隣りで汚くほぐしていた。

持ち方が不器用で、中指で上の箸を動かしていた。
カチャンカチャンと箸が交じる。
父はそれを見ながら、お前の頃にはグーで持っていたと話した。
中指と親指で割れた尾を砕いた。べとついたそれで髪を梳かした。

鈴虫の耳鳴り、車の過ぎる音、酔っ払いの鼻歌、隣りの部屋で母が泣いた。
パイナップルの缶を開ける。
グコ、グコ、グコ。
シロップをすする。
「ねえ怒る?怒る?」
甘い匂い。
指を舐めたら苦かった。

いつか父の骨を抜ければと思う。
黄色の輪を掴む。白い線がないのが好ましい。
噛むと繊維が歯に詰まる。
中指が長いのは父親ゆずりだろうか。
頭が痒い。
枕元に羽虫が付いていた。

夢を見た。空中をさまよって紐を引く。
壁に目をやると3時を過ぎていた。
知らないふりをしていたが、
股が濡れている。
甘い匂い。
母の匂い。
頬が熱い。
指をしゃぶる。

先程から母が味噌汁を作っている。
出汁は取れているだろうか。
昨日捻った煮干しの頭を思い出す。
遠くで雷鳴。近くで天気予報。枯れた朝顔の絡まる簾越し。
私は箸をグーで持ち、背骨の横に溝を入れた。
かふぅ
あさりの開く音がした。


追憶

  リリィ

夏のなごりのサンダルを、乾いた裸足につっかけて
猫を追いかける心地で、100円ショップに向かいます
もうすぐ空が一回りする気配が、揺れながら通り過ぎた自転車のおじさんや、しみのついた焼きそば屋のラジオ、遠い向こうのたなびく煙突からしましたが
坂道を軽々と、徒歩3分で着きました

紙コップ。105円。

急いで走って母の裁縫箱を化粧台の下から引っ張りだします
テカテカのビニールを千切って固い底に糸を通すと、左の窓から赤と紫の段々雲が光ります
つないだ紙コップを、一つは床に、一つは口許に押し当てて、低く息を吸いました

「もしもし、聞こえますか」

じいちゃんには右手の中指から小指がありません
一つは私が生まれる前から、あとのものはしばらく包帯に巻かれていました
それが解かれたころの、紫の黄色の丸い皮膚がとても美しく、じいちゃんは心臓よりも高く手を挙げるのでした
その手は不器用にパンにジャムを塗りますが、車のハンドルを回す手のひらは固く逞しく緩やかでした
目は白内障の膜が張り、マイルドセブンのヤニが前歯を黒く溶かします
風呂掃除の仕事を辞めたころ、脹れた腹が気になるようでしきりにメタポメタポと、じいちゃんメタボだよ、そのメタポだ、と繰り返していました
そして堅くなった鼓膜で水戸黄門を見だすと、私は隣りでセロハンのゼリーを一つ開くのです

紙コップを手放すと、階下から母の呼ぶ声が聞こえます
古いカーテンを閉め、あともうすぐの一番星を思いながら、煮物の匂いのする方へ向かいました


流星

  リリィ

80デニールのタイツに
かすめる風は冷たくて
ガーゼのマスクが鼻を濡らす
少しかゆくて、赤いのはわかっていた

ここでは砂が崩れないから
消えない足跡を追う

しし座流星群を見逃していた
「冬だからまだそこらへんで星が流れるよ」
父の言葉を信じられるほど星を見たことがなかった

富士山のふもと
牛の臭いの道路は
空よりも暗闇だった
月から30cmの星がまたたき
そして流れなかった

帰り際、扇形の街を見る
そこに吹く風を感じられず
頭上で星が燃えているだろうから
いま、そこに帰る

足跡が並ぶ
黒ずむ葉が凍り
私のあとを
雪が降る

しんしんと
しんしんと


  リリィ

ころころと青い梅の実
明け方の静寂になだめられ
きゅうっと一声
氷砂糖の腹に生る

おいしくなあれ

女が腹をさすり
あたたかくあたたかく
臍から溢れる羊水は
ほのかに甘く、舌先で確かめると
頭をごろり
山吹のあおさ

みみずが障子戸に張り付く
陽炎の日を過ぎると
どうしようもなく匂う
薄い腹を押さえ
ふやけた実を
男が一つ食んでゆく
すっぺえなぁ、すっぺえなぁ
また一つ、また一つ

ひとしきりの蝉時雨に
酒の香がなびき
ようやく静まると
水脹れが手の甲に並んでいた

頬の汗を拭う
転んだ一つを食むと
トロトロと流れる
紅い種が割れ
オギャアと一声
腹の音が鳴る


仏壇

  リリィ

祖母が仏壇に向かうとき、和室に入ってはいけない疎外感を味わう。
三十秒ほど念入りに手を合わせると、丸い腰でいそいそと掃除を始めるのだが、私の知らない宗教を、祖母は日常としていた。

この部屋で、ボールを投げて遊んだことがあった。
もの静かな祖母は、祖父に対しても無口であり、野球中継の間も独りで皿を洗っていた。
青いゴムのボールはよく跳ねた。
弟に向かって投げたボールが仏壇にぶつかると、祖母の怒号が響く。
仏壇の黒は、触れてはならなかった。

仏壇に死んだものが居ることは知っていた。しかしそこに誰が居るのか知らなかった。
私が存在するより昔、母の祖父母が暮らしていたという。
それは黒い板切れでしかなく、名前すら難しい。
祖母は何に向かっているのか。正座した足の罅が赤い。まぶたの向こう、底知れない黒が染み渡る。

先輩が流産を経験している、と入社半年の昼に聞いた。
それを伝えると母は「おばあちゃんも私の前にひとり」といつものように話した。
祖母の子宮は墓だった。淡い臍の緒は、二人の娘の前に一度断ち切られていた。

母が私を流産しかけたことを知っている。
臨月に白目で倒れた母を診た医者が、腹の子は無理かもしれないと父に告げたという。
「それがこんなに大きくなっちゃって」と笑い話のついでに語られた私は、母の腹が墓でありえたことを考える。
脂肪が付いた母の腹は、外から触れてもあたたかく、ころころと音が鳴る。

仏壇の前に座る。ポテトチップスの箱が置かれ、向こうに仏が佇んでいる。
子宮を思う。そこはいつも子を生す恐怖を携えている。
まぶたを閉じると、丸い光りがうねっている。
外をこどもが通る。はしゃいだ声を見送ると、祖母のように手を合わせる。触れることのない、なんとも黒い、母たりえるこの墓に。

文学極道

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