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はなび - 2010年分

選出作品 (投稿日時順 / 全9作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


蒲公英の咲く散歩道

  はなび


昼間に起きて花江はドブ川に沿って散歩する
青い空 橙色に膨張している日光がまぶしい

目眩 ゆうべの会話 
もっと猥褻にもっと卑猥に
もっと生き物らしくぼくを愛して

腐りかけた林檎から漂う独特の香り
わたしは 冬の日射しに
ふらふらになって
フラン フラン 腐乱 と
ハミングする

窓辺に寝そべって
おとこをみている


その男は白いシーツの中で
キリストの様に痩せてゆく

ポルトガルの教会にあるような
黒く骨張った重たそうな四肢に
なにか可愛らしい装飾をしたく

心臓を象ったような深い葡萄色の壜から
パルファンを垂らした

それはいつか空港で
退屈まぎれに買い物した
クリスチャンディオールの
毒という名前の濃厚な香り

花江チャン、君にぴったりなおもしろいものを見つけたよ

当時退屈まぎれに付き合っていたポルトガル語の教授が
フランクフルトでルフトハンザに乗り換える時に言った

このひとは一体わたしの何を知っているというのだろう

それから何年も過ぎた今でも
教授は律儀にもわたしの誕生日に手紙をよこす
どのような仕事をしたか
どのような本を読んだか
仔細に綴ってある 
小さな字で

わたしは何年も過ぎた今でも何も変わらない
特別に何かが得意だとかできるとか知識があるとか何も持たず
このドブ川のような生活の汚水をたらたら流している

その沿道に蒲公英が咲いてるの
それがいかにも健気に見えて
涙がでてくるのよなんだか変ね

冬だというのに暑いじゃない
気候のせいだと思うけどふらふらする
フラン 腐乱 フラン と
ハミングが聞こえる

直射日光が膨張して背景が遠くなる
目眩を引きずる様に影ばかりが濃く長く伸び
地面に打ち捨てられた様に朽ち果てている

その影を踏んで歩く 
踏みつける様にして

蒲公英は黄色くて葉は濃い緑

空は青くて太陽は橙色に脹らんで

影は黒く色のあるものは皆ハッキリと

ドブ川の散歩道をうつくしくいろどり

猥褻な生命をかがやかしくおおっぴらにひけらかしながら

何か知っているのよ わたしのこと

このままいけばどこにたどりつくのか

いまさらさわいだってもうおそい

丁寧な手紙はちがった道へ誘導している

間違っていないのはよくわかる

蒲公英の様に健気なら

それだけでも価値があるもの


une fille une feuille

  はなび


ひとりのむすめ
いちまいの紙
ボールペンで綴られる
つらなる螺旋のような文字群で
それらは毛糸のように
セーターを形成せず
ほつれたまま
ひつじへと
逆行している


striptease

  はなび



場末の酒場のサーカス小屋みたいなおんぼろのステージで
観客は興奮したら死んでしまいそうな爺さんばかり
肉体を憧憬するより背後に渦巻く古典的な愚かさ
身につけた装飾品を剥がしてゆく
たおやかな線が表れる
詩的な昆虫が脱皮するように

ストリップ劇場の外では男も女もその他大勢
何か脱ぎきらないまま抱き合ったり潰れたり

幕間のコントが爆竹の様にけたたましく走り去り
ストリップ嬢の絹の靴下に吸収される

女の匂いが火花のようにパチパチ衝天するような
角材で殴られて気絶した夜

拡声器の残響だけが
脳裏を支配する暗転



幕が引かれスポットライトがあたると女は自分の生立ちで漫才をはじめた
秀才肌だが自慢話と悪口ばかりの年上の男にいつも低能だと罵られていたせいで
すっかりマゾヒスティックになってしまった夜のこと
子供の頃遊んだ公園の滑り台が蛸のフォルムをしていたせいで
曲線と吸盤の快楽を知ってしまった夜のこと
真夜中のキッチンで冷蔵庫を開けた途端紙パックの牛乳に寄り掛かられて
ミルクアレルギーになったこと



覗き穴と世界中の好奇の目
白目をむいて過呼吸気味
まぶたが裏返ったような奇態な人類が
覗き穴の奥に住んでいると聞いたけど
朝になればお弁当を持った小人がゾロゾロ出勤してゆく

お手洗いに行きたくなって目が覚める
朝のひかりにゆうべのラメが鈍く反射して
ここがどこだかわからなくなる

いろいろな部屋のいろいろな窓
いろいろな家具のいろいろな色
いろいろな場所のいろいろな朝

果物や牛乳
不味いパンや美味しいパン

白砂糖がポロポロこぼれてちいさな山になる
小人の上に降り積もる

小人は砂糖をポケットに入れ小屋へ持ち帰り
うすい砂糖水をこしらえて

唇を突き出したような格好でいつまでも啜っている



あたしには夜の記憶しかないんです
脱いでも脱いでもなんにもでてこないのは
あたしっていう人間がつまらないから

おもしろいひとになりたくて
漫才を覚えたくてたくさん本も読んだけど
いつか
男がから揚げを食べながら教えてくれた

積み木でもするみたいに
書物でかよわい城壁をつくりその奥へ沈殿してゆくのだと
無意味な質問をして怖がるのはアホだと

から揚げみたいなあの男が話す口元は
使い古しの食用油で光ってた

あたしがなんにもこわくないのはそういう訳で
怖がりなのは業務用フライヤーに自分から
ダイブしてゆく黒焦げの三葉虫
絶滅するにも才能が要るって訳



「大衆化された芸術ってやつが持ってるようなものは、どんな要素もサーカスの中にみんなあるじゃないか」ってTVからのナレーション 錬金術にかかったみたいに あたし 眠れなくなっちゃって このステージが世界の一点で全体なんだってわかった

それからずっと おばあさんになるまでここを愛せるような気分になって 夢でも見てるみたいにうっとりして 毎日ストリップしてる 見せるものなど何もないけど



お客だって何にもないことをおどろいたりよろこびはしても 
いつまでも感傷的になれるほどアホじゃない 
そうやってこころみたいなものがささえられる 

そういうこころみたいなぶぶんと口笛と紙テープが 
ながいながいながいながい パンティストッキングみたいな首吊りロープにつながってる 
たぶんそれは全人類をつないで結べるくらいにながい

首吊りロープに引っかからない為にあたしは口笛をたぐりよせ
スルスルと吸い込んでは蓄える

安物のスルメみたいな匂いがなんだか恋しくなる
汚れたタオルが洗濯機に放りこまれる
そうやっていろんなものをほうりこんでグルグルまわす

ストリップ劇場の楽屋口の物干し脇で
煙草を吸いながら洗濯していると
焼鳥屋のバイトのコが缶ビールみやげに遊びに来る
下心があるみたいな爽やかさで
下心がないみたいな人なつこさで


L’ecume de Gabriel

  はなび


シャンパンの泡のような花のトンネルをぬけると
階段があって
階段はコンクリートでできていて
ところどころが欠け落ちていた

すり硝子の幾何学模様を指で辿るように
錆びた手すりの感触を確かめる
赤茶色の金属の匂いが
マチ針を刺す

馬の蹄鉄を穿ってやる
鑼のように鍋を鳴らす
恋人達は深夜零時
思い出を食べあい
消えてゆく為の
祝宴をくりかえす

あなたの足の親指の骨の出っぱったところが素敵だとか
きみのひんやりとした脇腹の脂肪がたまらないだとか
ほっぺをつねりあう 鼻をこすりあう 髪をひっぱりあう

思い出に飽きる頃nemuriがやってくる



sex pistolsのようなオレンジ色のあたま
小さなナイフと一緒にバスルームで待っている
rocksteadyのリズムに乗って
バスタブにシャンパンを流し込む
恋人同士を他人同士に戻してやるのが仕事

稼いだコインは泉に投げ込む
「もう少し背が伸びますように」

ちいさなnemuriの小さな願い



シャンパンの泡のような花のトンネルをぬけると
階段があって
階段の先にドアがあって大きな音の
マネキンのような人体

ところどころ剥げ落ちた先から
指に伝わる体温の蒸気

待合室のソファーのスプリングに
尻を乗せて数センチ浮遊する
カーペットの色について

toilet paperがホルダーを鳴らしながら
ほそく しろく たなびく 青空の下

ネズミがカリカリ齧り続けるデザインの
明日の朝の目覚まし時計という名前の
新しいTシャツを着た
ガブリエル

おはよう


すべり台をさかさにあがる

  はなび


わたしの恋人はすべり台をさかさにあがる
さかさにあがる景色のすみに砂場が見える
砂場のかげにスコップが見えるスコップの
向こうにちいさなちいさなあなたが見える

そうしてわたしの恋人はすべり台をすべる
すべって砂場に滑り落ちる滑り落ちて膝を
すりむいて泣いている泣虫を夕日がさらう
サイレンがわらうさらわれた子供達のかげ

すべり台をさかさにあがると怪我するのよ
でもおもしろいよ上からすべるとさかさに
あがるがぶつかるとはな血がでるんだぼく
鉄棒にぶら下がっててもはな血がでるんだ

わたしの恋人はすべり台をさかさにあがる
よくみると子供達は皆さかさに遊んでいて
さかさに遊ぶものたちに許されている景色
わたしの体を通り抜けてサイレンがわらう


relation

  はなび

par hasard


あなたは 多分
何処かで本を読んでいて
眠れない女の子のためのお話を
書いている途中

そして
ほんの少し休憩したところで
ほんの少しお腹も空いたころ

電話をかけると
疲れたようなかすれ声の
femme de menage は母親の手つきで
soupe de poisson ばかり拵えている

このところ

あなたは電話を切って
また別の電話をかける
話を聞くのが上手なあの子に

小さなテーブルの薄暗いお店
炭化した木製のイスに座って
彼女が細い長い階段を下って来るのを
ほら また本を読みながら待っていて
眠れない女の子のためのお話に出てくる
眠ったままの眠れない女の子の名前を考えてる

あなたはそんな態度を拵える このところ
酔っぱらいみたいにグラグラ煮立った
頭を 支えるのもやっとだって
人差し指をこめかみに当てる

ねえ こっちをむいたらいいのに
ちょっとした清潔な食べ物をを口に運ぶ素振りで
口移しで眠り薬をばら撒いて ほら

あなたは多分
何処かで 本
を読んでいて 眠れない女の子のためのお話を 書いて
いる 途中だったわ

お腹を空かせた 酔っぱらいのお膝の上に
からっぽのお腹から 這い出して来た女の子が
くるぶしをブラブラさせて 待ちくたびれてる
彼女がテーブルにつくと あなたが読んできた本の様に 
たくさんのページを繰り出すわよ そして
眠らない男の子の眠ったままの冒険が始まる

泣いている様な 笑っている様な おかしな表情で
ほら 今もあなたは多分何処かで本を読んでいて それは
懐かしい とても懐かしい 記憶を手繰る 沢山のお話
あなたは揺りかごで眠っていて遠くの音を聞いている様に

遠くの音は偶然のかさなりあいのようにかさなりなりあって
沈黙のようなフォルムをかたちづくってゆく
眠れない女の子のための眠らない男の子がお話を始めるとやがて
眠れない女の子は眠りに落ちてゆくそれは
あたらしいせかいのはじまり


こいびと

  はなび


こいびとのてのひらがすき
ゆびがすき
つめもすき
てくびのそとがわの
ほねがでてるところもすき

ごはんのたべかたがすき
かいだんをのぼるときの
あしおともすき

あさおきたときの
めのほそめかたがすき
ねむりにおちてゆくときの
こきゅうのしかたもすき

おおきいこえでおこるとこわいからきらい
だまりこんでむずかしいかおでかんがえこんでいるとき
どこかべつのところにきえていってしまいそうにみえる

じてんしゃで
なみきみちをはしるとき
はっぱのかげやみきのかげがうつって
ながれるのはなんてきれいなんだろう

たいせつなひとを
おもいきりたいせつにするには
どうすればいいのかな

たいせつなひとも
はっぱのかげやみきのかげみたいに
ながれているのがわかる

うつろいうつろう
うつりゆくきせつ

ことりがおしえてくれた
なんてきれいなんだろう

こいびとのしんぞうのおとがすき
たいおんもはだのにおいもすき
あたまのつむじのまきかたもすき


VAPORISER

  はなび


手をつないで歩いた
名前を忘れてしまった小さな町
舗装された路地の角を曲がり曲がり
靴の革底がやわらかく硬質な音を響かせると
それらはすぐに
洞穴みたいな石造りの
牢獄みたいなちいさな窓に灯る
マッチみたいなろうそくの炎に
気化したように吸い込まれてしまう

深夜は気圧が少し高く感じられて
水の中の空気の音を聞いているみたいね



赤い毛糸の膝掛けをした老婦人が
暖炉の前でまだ何か編んでいる
赤い毛糸は詩人の血管の様に
胸元から腰へ腿を伝い踝足の指へ
ながれながれて床を這いその先の
まるく球体に纏められた塊のその先へ
冒険をする

赤い毛糸はセーターになると週末は旅へ
赤い毛糸はどこかへ行きたいまだ見ぬ場所へ
赤い毛糸は青い魚の潤んだ瞳のその理由を尋ねたい

赤い毛糸はチベットで ピンクの塩を手土産に
ハノイ タンザニア サンフランシスコ

赤い毛糸はまた解かれ纏められ
オルリー空港の陽のよくあたる階段で

ブルガリアからやってきた少女の
民族刺繍の布かばんに詰め込まれ

パリ ソフィア トーキョーへ



2057年

東京辺りの日照時間はだいぶ短くなっていて
沼化した湿地帯からは有毒ガスが放出されていて
大部分の生活者は地下に潜ったまま暮らしていて
地上に残っているのは貧しくて地底通貨が買えなかった人々
病気に侵されて気が違っていて暴力的で危険な人々
笑いながら怒る人 笑いながら泣く人
ゾロゾロ歩きまわるこども 

赤い毛糸はお祈りのかわりに

狂気を鎮め興奮を呼び覚まし

赤い毛糸はお守りのかわりに

硬直をしなやかさへと変化させ

厄介事は

鼻息荒いスペイン牛の如く猛然と突進してくる

様々な火の粉同然であったが

赤い毛糸は優秀なマタドールのように丹念に刺していく

巨大になった残虐な残骸達の隙間をすり抜ける



手をつないで歩いた記憶
名前を忘れられた小さな町
舗装された路地の角を曲がり曲がり
靴の革底がやわらかく硬質な音を響かせると
それらはすぐに洞穴みたいな石造りの
牢獄みたいなちいさな窓に灯る
マッチみたいなろうそくの炎に
気化したように吸い込まれてしまう

深夜は気圧が少し高く感じられて
水の中の空気の音を聞いているみたいね


Une serie de l'homme 3〜En Iriyamada

  はなび


入山蛇さんの論文「科学と哲学と経済と教育と家庭と芸術と人」はアカデミックなものの対に位置しているなどと酷評されましたが、やはり、各方面から非常に評価されている。ということに対し先日「お前ら!どうしたって無視できない筈だろ!!」とコメントを発表。社会に対するさらなる衝撃をお与えになった。
その、入山蛇さんのある意味非常に反抗的な姿勢、というか、いつも喧嘩腰なご様子を拝見しておりますと僕のような凡人には到底わからない。と、盲目に信じてきた「どん底のいろ」の噴出のようなものを、しかし否応なく感じてしまうのですが、その部分は意識しておられますか?

いやべつに。

はては血圧大将などとおかしなニックネームまでつけられる現状は?

好きだね。

哲学者である入山蛇さんですが、喧嘩腰の哲学者というのは、どうも、まずい、とお思いにはなりませんか?

そうかな。

そうですよ。

まぁ、しかたがないね。

で、こうしてお会いしていると、おそろしいという印象が全く微塵もない。

温和に見えるのは私が気の小さい男だからです。

え?

ええ、そうです。

はぁ。

たとえば、わたしは年をとってもうすぐ死ぬんですけれど、わたしがいない世界というものは決して抽象ではないので、そちらとまったく逆をゆくなら永遠であるということなんです。それならば時間と呼ばれる軸はまったく基準にならなくなってくる。時間の始まりの地点である0を誰も証明できないというのはそこに体験がなかったということです。具体的に言うならば海で溺れて死にかけた時に海底に体を叩き付けられたら記憶となるが、それを共有することは出来ません。正義のおそろしさの裂け目はそんなところに存在しているように思います。その場所にいない人間がわかったような知ったかぶりをするのは罪だと思います。思想や言論や運動などのさまざまな行為はテーゼをふりかざさなくてはいけないという硬さもやはりもろいのではないかと感じています。それは―陥りやすい危険―という意味でですが、集団のモチベーションのためだけにあるのなら小学校の運動会のスローガンでいいのです。そういう視点を知ってしまったので、わたしは、自身のドブをさらうようにして探してゆくしか方法がないだけなんです。気が弱いので、残酷になるのが恐ろしいのです。はじめて書いた論文が「批判と防御 その趣向と三時の菓子について」ですからね。

三時の菓子ですか。

そうだよ。

甘いものはよく召し上がりますか?

そうだねマロングラッセなんか好きだね。

入山蛇さん、本日は素晴らしいお話をありがとうございました。シリーズ人、第三回目は入山蛇 艶(いりやまだ えん)さんでした。来週は春賀 美知太郎(はるか みちたろう)さんをお招きします。それではみなさまごきげんよう。

文学極道

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