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破片 - 2010年分

選出作品 (投稿日時順 / 全4作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


世界語(aie aie)

  破片

朝焼けがこの手に入れば、雲を掴むことができたなら、走り去っていく星々が停滞するときを見逃さず、瞬きと、瞬きとの間に眠る赤子を取り落とさない、そのままでいてほしい、待っているあなたへ、光は指の間隙に入り込んで爆発するから、どうかそのままで、握り込まれた手は、こんなにも小さいのだから。


少しずつ新芽が綻びる、そんなふうにして目を開くべきだ。あなたの眼球はきっと世界になる。飲み込んで、そして好きにしたらいい、光の爆発を見たのはあなただけじゃない、その瞼の奥にしまい込むことなんてできない、太陽はわたしたちの足の下へ潜り込んでいく、異国の言葉で、誰にでも祝福されるために、だからこそ、目を開いて待っていてください、喜びが連なってたなびいていく姿を、


赤子は次に言葉を話した、母音しかない発声で、世界の様態を作り替えていく、そこには、ああほら、見えている、上昇と下降を繰り返す七色が、そこらじゅうで笑みをたたえている、こんなにも太陽が近い、しぼむことのない光彩があたたかく霞んで、その向こう、向こうまで果てのない、プリズムみたいな眩さで、世界はおおわれている、目を焼く鋭角的な色の景色には、生物がいない、いないまま、なにもかもが微笑んでいる、抱き上げる優しさを忘れないように、そっとつまさきから踏み入ろう、短くて小さな手が、胸の前で編まれている、水を浴びせてあげたい、双肩にとりついている見たこともない時間を、洗い流してあげるために、


まわりを囲んでいる新たな稜線が浮き上がっていく、その中心で、ふたり、鈍く発光する雲を掴んで、踝をくすぐる草々に墜落させた、「わたしたち、雨を降らせているの」という言葉に、赤子は無邪気に笑い、そして母音だけの世界を紡ぐ、若草色の、もっとも広い絨毯に話しかけて、どんどんと、どんどんと無尽に広げていく、水をやれば花が開き、空気が潤って色がつく、赤、橙、黄になり、そして緑、青、藍、紫、そんな色、そのあとで突然色が抜けた、草は草の色になり、千切っては落とす雲はやはり白かった、空気は空気の色になって、母親らしき人影の、そして、雲を掴む細い指の向こうに―――

雨が降れば、次には空気が燃え始める、空気を燃やす火の玉が、赤子に「はじめまして」と挨拶した、山も下草も、空さえも無限の光で照らされて、「アイエ、アイエ」という母音だけの言葉で、母が笑い赤子が目を開けて、せかいが、

うまれる。


Rainy seconds

  破片

背中では、ショパンが、
まだ生きていた、
ゆるやかな停滞を
微笑む、
一時も眠らない雨、
動かずにいた世界、
影のようなピアノに、
かの相貌が、
降りた
音を扱える友人、

時計が刻む一秒間、
埃まみれのアスファルト、
屋根から屋根へ走る背広、
梢の中で脈打つ若葉、
そして濡れていく
自分で淹れた
コーヒーの温度に、
息をついて、
数えきれない
その一秒、

やまない
スタッカートが、
垂らした、一筋、
偏在する始点、
つまり「わたし」
仄暗い、
世界の隅、
この部屋から
拡充して描かれる
地図を、
求めてた、

言葉の尽きた
歌を
うたおうとおもう、
そのブレスの度に、
わたしたちはうまれる、
向かう先のない、
読点が
存在するかぎり、
吐息に潰れた声で、
雨空を近づけて、

アコースティックベースのピックに、
暖色照明で浮かんでく部屋に、
マルボロの燃える香草に、
友人が組んだメジャーなコード達に、
宿る、素粒子の
わたしたちは、
雨粒となっていくから
世界が休む、
こんな日、
受け止めきれない
見たこともない、
星くずのカタチした
一秒が、
降ってくるんだ


星霜

  破片

 青く開けていくビル群に横たわるアリアが名前を欲しがる、その耳打ちは誰にも聞かれてはいけないよ、人々はいつだって起きるのではなく、起こされるのだから。時間。冷たく呼吸もない建物たちの天辺と、まだ少し黒い空との交差するあの辺り、溶け合うようにして、だからこそ遠近で際立つ境界の、さらに向こうからやってきて、眼を細めながら夜明けにまどろむ、交通整備の制服にしみた。風雨に晒されて均質になったアスファルトにはなんだか光る粒々が散らばっていて、わたしたちはそれを「星が落ちた」と表現する、星が落ちるとわたしたちの眠りは次第に薄れていく、そうして今度は落ちた星が集まり、太陽になって浮かぶんだ、わたしたちはそうやって起こされているから、伸びやかで繊細な旋律のアリア、今は歌ってはいけない、愛されて美しくなるアリア、唇に指を当てて。



 雨が降ってくると星たちがいないから、人間っていうのはね、動きたくなくなる、じっとしていたくなるから、そういうときに旅ができたらこれほど素晴らしいこともない。身体を動かさなくても人はどこへだって行ける、この踵はザンクトゴアールの赤茶けた石畳に驚き、肺はプラハの清冽な風で喜んだこともある。きみもどこかへ出るといい。丁度外は雨が降っていて、時差でどこかの誰かが眠っていようとも、きみが煩く思われることはないだろうから。それにしてもこの雨は長い。溺れてしまいそうだ、星も、太陽も。だから、わたしの吐息もどこへも行かずに、二酸化炭素の濃度を強くして、再びこの身体の血液に乗って旅をする、そしてまた吐き出され、動かなくたってこれが生きてるってこと。



 これといって言葉を使う必要がなかった。ひとり何事かを呟いてみても、それは誰にも渡らず部屋の隅で口を開けているゴミ箱に吸い込まれてしまうから。少し寸法の合わないカーテンの隙間を、短命な星たちが縫い合わせていく、それでも仰げば同じ場所に瞬くのは、墜落した後再生しているからなのだろうか、わたしや、わたしたちのように。わたしの部屋。コンピュータや雑多な書がもはや部屋の空間自体のように僅かも身じろぐことなく在る中で、安っぽい天板だけの机に、メトロノームが揺れている、LentoかGraveか、わたしたちはいつも議論していたけれど、どうやらあの針はLentoで振れていて、今にも聞こえてきそうだね。脳細胞やその組織に鮮やかな色彩で音色を醸す、もう待てないと囁かれても、わたしは言葉を持たない、だから音を歌う、ありふれたイタリア語の音階で、ゆったりと荘重に。
 


 どうしてあんな場所にいたのかずっと不思議だった、黄金の恵み、葡萄の収穫や厳かな洗礼に生きる人たちの傍でないのか、硬すぎる街並みや暗闇のような夜明けに身を震わせるきみは少し滑稽でさえあったように思う。全く動こうとしないきみの声はそれなのに弾んでいて、澄んだ声がビルやモニュメント、タワーといった無機物にまで、その原子を割り込み、陽子や電子と絡まった、その時からここには星が降る。人間という生物を刻む。雪が積もるように、首を少し持ち上げて正面に見た信号機には、星が積もり、たくさんの影を作る。

 背の高い建物に囲まれたスクランブルの交差点には、なんとか数えられる程度の人だけが歩いていて、ちょっとずつ落ちてくる光の粒々には見向きもしない、雨と違ってあたたかいはずの星降りなのに、冬の空気はわたしたちの吐息を勢いよく引っ張り出す。時だ。空から星がなくなる、だからこんなにも、夜明け前は暗い。

 ひとひら、落ちてきた星を拾い上げると、その上に星じゃないものがぶつかって、ちいさく空気に噛みついて消えた、星が濡れている、規則正しい形状の結晶は星に食べられて、そうして濡れた星がわたしたちの頭上に落ちてくる、降ってくる、きみは歌う、音程をヴァイオリンの音色に変えて、人々は眠っているのに、わたしたちは歌う、指先は、星に届いたのに、閉ざさなければならない唇には、もう届かないのさ。


血涙

  破片

・与えられた真黒で、どこにあるかもわからない、輪郭のはっきりした、「くだらねえ」、呪詛。
・そこにジョイント挟めよ、このマチエールが捌ききれない、読む、慧眼、書く、興味が失せる。
・金はなく仕事もない、学は投擲されるために一旦手の中にこぼれる、そうして価値が浮上する。
・ドカタの人たちは誰よりもブルーシートを綺麗に畳む。手つきには擲たれた時間が見えている。
・煙草を捻りつぶす時、眠りに就いた瞬間らしいただ黒い時空、一日の呼吸の回数、気持ちいい。
・場所を選べない稲妻、カップの取れない黒シミ、帰ることもできない雨粒、下へ、したへ、と。
・カミュの最大の命題を思い出してニーチェへの信仰心が必要になる、きっと暗算を果たしみる。
・四十三、その暗算の正当性について「そら」、「みず」、「演繹」の語を用いて論述されたし。
・糸のように、引き伸ばすと音が可視になる。全ての物質から音階を抽出してスコアを描きだす。
・真黒が降ってくる、のではなく、拡充していく、もとより存在していたものなんだよ、洗濯槽。
・生涯現役韜晦。阿呆阿呆しい字面、気品はないが説得力がある。それで充分じゃないか、詩人。
・祖母の声は枯れない、肌のキメも涙も脳髄を食い潰してでも誰かを起こし人を呼ぶ、死んでも。
・部屋が明滅するからワケがわからない。疎らな雲の悪戯。そのときだけ、部屋は開けていった。
・土まみれで仕事してみたい。だから叩かれた。何か強制してほしい、だから時は巻き戻らない。
・外界と自室の境界が曖昧になると、雨音が、ゆっくり忍び込んで、受け取れない夢を差し出す。
・主観と客観の境界が曖昧になると、言葉が、いきなり去っていき、分割された意図だけが残る。
・いと、いと。つながない。あたりまえだろう。人種によって色彩感覚さえ違う。空は白いんだ。
・他人が喜ぶと蹴飛ばしたくなるので、だから他人とは他人のままでいて、そうであるしかない。
・∴コーヒーを啜る、自画が醜い、鏡を叩き割る、手の甲が破けて流れ出たのは「くだらねえ」。
・石段には水滴の形した孔がある。穴ではない。続いていけよ、そこからが本当の深淵だろ神様。
・深緑の山並みをなぞるから限界が生じる、何もないことにできないなら、せめて「何かない」。
・何かない、そう呟くとどこかで生まれる生命は黒い。何かはある。だから白くなくて心になる。
・物干しに猫なんていない。ここは新海誠が創ったユニオンだ。空と戦闘機と雲だけがいていい。


 それだけでできたわたしは、もうこれ以上言葉を持っていない。あるいは、絞り出せば、まだまだ織り紡いでいけるかもしれない。けれど時間がなくて、力もない。熱意は、最大値が予め設けられていて、自覚せずに増やそうとしなければその頂辺はみるみる降下してしまうんだろう。しかしわたしは、わたしではない。わたしはわたしのふりをしている。わたしは、わたしのふりをすることで熱意を詐称し、ごく個人的なラベルを焼き込まれた頭脳をクラックし、悪意性のある一部開示を施し、部分的にではあるが自在に操作することによって、本来あり得るべきではない電気信号と薬学物質との交感を意図的に発生させている。そういうふりをしているのだろう。

 どうして生んだの、と母親に尋ねた。今度はどうして生きているの、と尋ねている。手当たり次第に。最後にわたしに。何度も。

 ひとは空を見果てなくて、幾多の、幾億幾兆の、指先が届かない。どうして空から求めるものを掴みだそうとするのかわからないので、わたしも思い切って掌を掲げます。縮こまって赤ん坊みたいな五指が胡散臭く透明になるのを見たその時が、今になって、両肩に焼きごてを、Vの文字を、刻まれた記念日だと知りました。わたしが声をあげて泣く、濡れた頬の下には冷たくてたしかな石の感触。わたしはわたしの痛みのために泣いたのに、どうしてでしょう、この涙が石畳全体に染み渡り、ほんの少しでも温度が伝わればいいと思っていたのでした。

文学極道

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