歩幅がずれて
肩は並んでいた
知らない音楽を聴いていて
聞こえなかった
外したかったけれど知らなければならなかったから
知りたくはないけれど幸せそうに唇を動かしつづけているから
歌っているみたいで
だから歌いはじめたのはきっとちがううただったからずっと知らずに
外さないでいて
交わらないでいることだけを聴いているから
聞こえないで走りだして歩幅をひろげて歌いながら肩は離れ幸せそうに遠ざかる唇の
ちがううたはちがうままで歌いつづけて聞こえないのをずっと知らずに聴いているから知らず知らずに手をひろげて
手をひろげて
手をひろげて
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午睡機械 - 2007年分
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
途中まで
雪により二時間遅れの便を待つあなたは鳥のかたちを真似て
経由地で足止めを食らった。
アムステルダム発東京行KLM862便は17時半ごろようやく搭乗を開始した。
窓側の席だった。
離陸して雪の海を抜けるとすでに日は沈んでいて、深い橙色の残り火を雲間からのぞかせていた。機内は静かだった。東京は8時間先を東へ回っている。その時差を、これから12時間かけて徐々に詰めていく。速度のなかに主語はいつしかまどろみ、夜へ果てなく墜落していった。
気がつくとまだ飛んでいた。窓の外が明るいようだった。いつの間にか下ろしていたらしいシャッターをあげると、飛行機の左翼から青空があふれだした。
地上にはツンドラが広がっていた。氷に覆われた山脈はうねり、凍てつきながらもなお蛇行する川に沿って、時間の残骸のように三日月湖がところどころ横たわっていた。
手荷物から父のカメラを取り出して構えた。
死んだひとのことを考えていた。
雲の上は、どこも青空だった。
着陸して入国審査を過ぎ、税関を抜けると、日本語以外は聞こえなくなっていた。けれどそれさえも異国のことばのように思われた。あるいは、音楽。意味はいたるところで欠落し、音の高低と長短、休符にかたどられた――
売店で「おーいお茶」を買っておつりをもらったあとで、"Grazie."と口走ってしまって、"Ah, no, " 「いえ、なんでもありません」と訂正しなければならなかった。
ホームへの道が思い出せず、立ち尽くした。
青い鳥凍土に散ることなく汝(な)の帰るべき空をその羽で塗れ
ばらばらに離陸する影を
閉じて
朝 まどろみを挽いて
漉す
どうして
落ちずにわだかまっていられるのか
昼 白髪を説明して
冗談のほかになくなる
若いと言えなくなって
「感光しすぎました」
苦い
日々
なにもかもひとりごと
飲みほして
乾燥させたら脱臭剤にもなる
「市販のは買ったことがありません」
けれど
まだ空の底に夢見たままの
水
また離陸
閉じて
また
幸福論
I
机の上の観葉植物に
傾けて
こぼしてしまう
拭きとっても
緑
電話をかけようと携帯を
取り出したりしない
八月六日
割ろうとして確かに胸郭を
叩きつけた
できればもう水は飲みたくなかった
根を凍らせないように冬には
がらんどうには
おしながされない残響があった
もはや草木は生えないと
いわれていた
いまは
グラスをにぎる
蛇口をひねって
とめる
グラスは満たされ
そして日向へ
II
しぶきを立てて
走り抜けていく
時間
飲みつづけても
このゆらぎでは
まだまどろむことができない
耳
玄関に置いてある箱からじゃがいもを取り出す
芽が
生え始めていて
確かに流域がつづいている
ああこの鼓膜は白い国の寒さを知らない
水はそこでも夢を
聴くのか
いますぐ電話を
かけたりしない
日向へ
日向へ
III
薄く斜線で消しておくこと
語りえないこと
何度でも語りなおすこと
表面にまだらが出ること
しばらく減らすこと
底を手のひらに包んでベランダに出ること
そして日向に
ひとすじ貫かれた未完の動詞をなぞりつづけること
忘れないこと
忘れること
忘れたこと
思い出すこと
生きること