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午睡機械

選出作品 (投稿日時順 / 全7作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


途中まで

  Haraguchi

 
 
 
 
歩幅がずれて
肩は並んでいた
知らない音楽を聴いていて
聞こえなかった
外したかったけれど知らなければならなかったから
知りたくはないけれど幸せそうに唇を動かしつづけているから
歌っているみたいで
だから歌いはじめたのはきっとちがううただったからずっと知らずに
外さないでいて
交わらないでいることだけを聴いているから
聞こえないで走りだして歩幅をひろげて歌いながら肩は離れ幸せそうに遠ざかる唇の
ちがううたはちがうままで歌いつづけて聞こえないのをずっと知らずに聴いているから知らず知らずに手をひろげて
手をひろげて
手をひろげて
 
 
 
 


   

  午睡機械

 
 
  雪により二時間遅れの便を待つあなたは鳥のかたちを真似て
 
 
 
 経由地で足止めを食らった。
 アムステルダム発東京行KLM862便は17時半ごろようやく搭乗を開始した。
 
 窓側の席だった。
 離陸して雪の海を抜けるとすでに日は沈んでいて、深い橙色の残り火を雲間からのぞかせていた。機内は静かだった。東京は8時間先を東へ回っている。その時差を、これから12時間かけて徐々に詰めていく。速度のなかに主語はいつしかまどろみ、夜へ果てなく墜落していった。
 
 気がつくとまだ飛んでいた。窓の外が明るいようだった。いつの間にか下ろしていたらしいシャッターをあげると、飛行機の左翼から青空があふれだした。
 地上にはツンドラが広がっていた。氷に覆われた山脈はうねり、凍てつきながらもなお蛇行する川に沿って、時間の残骸のように三日月湖がところどころ横たわっていた。
 
 手荷物から父のカメラを取り出して構えた。
 死んだひとのことを考えていた。
 
 雲の上は、どこも青空だった。
 
 着陸して入国審査を過ぎ、税関を抜けると、日本語以外は聞こえなくなっていた。けれどそれさえも異国のことばのように思われた。あるいは、音楽。意味はいたるところで欠落し、音の高低と長短、休符にかたどられた――
 売店で「おーいお茶」を買っておつりをもらったあとで、"Grazie."と口走ってしまって、"Ah, no, " 「いえ、なんでもありません」と訂正しなければならなかった。
  
 ホームへの道が思い出せず、立ち尽くした。
 
 
 
  青い鳥凍土に散ることなく汝(な)の帰るべき空をその羽で塗れ
 
 
 
 


   

  午睡機械

 
 
 
ばらばらに離陸する影を
閉じて
 
朝 まどろみを挽いて
漉す
どうして
落ちずにわだかまっていられるのか
 
昼 白髪を説明して
冗談のほかになくなる
若いと言えなくなって
 
「感光しすぎました」
 
苦い
日々
なにもかもひとりごと 
飲みほして
乾燥させたら脱臭剤にもなる
「市販のは買ったことがありません」
けれど
まだ空の底に夢見たままの
 

また離陸
 
閉じて
 
また
 
 
 
 
 
 


幸福論

  午睡機械

 
 
 
 I 
 
 
  
机の上の観葉植物に
傾けて
 
こぼしてしまう
拭きとっても

電話をかけようと携帯を
取り出したりしない
 
八月六日
割ろうとして確かに胸郭を
叩きつけた
できればもう水は飲みたくなかった
 
根を凍らせないように冬には
 
がらんどうには
おしながされない残響があった
もはや草木は生えないと
いわれていた
 
いまは
 
グラスをにぎる
蛇口をひねって
 
とめる
グラスは満たされ
 
そして日向へ
 
 
 

 II
 
 
 
しぶきを立てて
走り抜けていく
時間
 
飲みつづけても
 
このゆらぎでは
まだまどろむことができない

玄関に置いてある箱からじゃがいもを取り出す
芽が
生え始めていて
 
確かに流域がつづいている
 
ああこの鼓膜は白い国の寒さを知らない
水はそこでも夢を
聴くのか
いますぐ電話を
かけたりしない
日向へ
 
日向へ
 
 
 
 
 III
 
 
 
薄く斜線で消しておくこと
語りえないこと
何度でも語りなおすこと
 
表面にまだらが出ること
しばらく減らすこと
底を手のひらに包んでベランダに出ること
そして日向に
ひとすじ貫かれた未完の動詞をなぞりつづけること
 
忘れないこと
忘れること
忘れたこと
思い出すこと
生きること
 
 
 


    

  午睡機械

 
 
 
鳥を捨て
 
こころではない
こころではない

言い募る
風の

 
舞い落ちないものを悲しんだ
調整のために
 
空けられた
一行
かつて一身に受けた風力に引き延ばされていた
 
自転車でスピードを落とさずに坂道を上ってゆくための
 
たったそれだけでいいのに
濡らしたはずの指先にはもう感触がない
あえぎながらも
支えつづけろ
腕が攣りそうになっても伸ばしたまま走ってゆけ
空を指して
ああ
 
この指とまれ
この指にとまれよ 
 
 
 


見出された室内

  午睡機械

 
 
 
こう書くのに何年か
 
かかった
「雨が降っていて洗濯物を干せなかった
ほんとうにかかったのだ
何年も
ベランダまで
 
観葉植物も 
渇かなければ飲めないから
 
振り返る動作に力は要らない
肩はそのまま見るべきところと聴くべきひとを向き
ただ
後ろ手に
 
終助詞
そしてまた書くのだ
「誰もいなくなった部屋の扉を閉め――
 
おいで ああ
 
何年か向こうから誰かの立ち去る靴音が聞こえる
 
そして
また
 
 
 


A Daydream of Jumpin' Jack

  午睡機械

 
 この気恥ずかしさをなんとかしたいと思った。
 あんたみたいなやつがうたわないから、あたしがうたってる。ア
イリーンはそう言った。でも、あんたがいまさらうたいだしたって、
あたしは静かにしてやんないからね。
 あたしはかつてとてもきれいな声をしていたと聞かされた。けれ
どあるときひどい風邪をひいて、それが治るとからからになってい
た。それでもポリープをとればきっと良くなるってお母さんは何度
も言った。お兄ちゃんはあんなにうたが上手なんだからって。
 でもそれはうそだと思う。たとえ声がきれいになったところで、
あたしは音痴だ。お兄ちゃんはよく言う。お前は思い込んでるだけ
だ、何でも練習だ。お兄ちゃんは音楽だけしかひとに認められなか
ったからがんばってきたって言う。っていうより、音楽やってるひ
とをとくに尊敬してたから、彼らに認められたいと思ってがんばっ
てたって。必要があったらひとはどんなことでも一生懸命になれる
し、うまくなっていけるって。たぶんほんとうだと思う。そしてあ
たしにはその必要がない。
 あたしがうたいだすことはない。だからアイリーンを見て、怖が
らなくてもいいのにと思った。でもアイリーンはテレビのなかにい
て、あたしは現実という物語の登場人物だからアイリーンと関わる
ことはないので、アイリーンがあたしを怖がるはずはなくて、あれ
はアイリーンの弟に言ってるだけだ。まだテレビ画面は弟の視点の
ままで、アイリーンをじっと見つめている。何よ。アイリーンは少
しひるんでそう言った。あんたは思い込んでるだけ。アイリーンは
お兄ちゃんと同じことを言う。視点が切り替わって、アイリーンか
ら見た弟が映る。やさしそうな弟は、きっと姉を傷つけまいとして
ことばを探している。アイリーンが怖がっているのは、きっとそう
でなければいけなくて、もしも怖がらなくなってしまったら、お姉
ちゃんのうたはだめになってしまうかも知れないと弟は思っている。
きっとそう思っている。弟は視線をうつむける。ここでカメラがま
た切り替わって、映し出されるのはだまって立っている姉と座って
いる弟。そして奥の扉が開く。
 なに、またこれ見てるの。智子が入ってくる。あたしは静かにう
なづく。りっちゃんも好きだねえ、私はこれ、なんか、気恥ずかし
くって。日本人てほら、こんなに、しゃべんないでしょ。はいこれ
りっちゃんの。智子は二人分のカップをテーブルに置きながらそう
言う。ありがと。あたしは画面から目を逸らさない。アイリーンは
言う。ジャック、あんた何か言ったらどうなの。そうだね、でも気
恥ずかしいから、家で見ちゃうんじゃないかな。あたしはそう答え
る。気恥ずかしくないのは、家で見なくたって済むじゃん? ジャ
ックは黙っている。智子はコーヒーに口づける。あっちち、家っつ
うか寮なんだけどさ、でもりっちゃんちょっと毒されてるね。アイ
リーンは言う。まあいいわ。
 出て行く後姿。切り返しショット。怖がらなくてもいいのに。そ
う言わなくて済んだことで、ジャックはすこしほっとしている。き
っと、ほっとしている。智子はすこし飲んでふうっと息をつく。も
うひとがんばりだわ。あたしは画面から目を逸らさない。ジャック
の静かに諦めたような横顔。その横顔に透明な紙をあてて輪郭をな
ぞりたいと思う。智子はつづける。明日までに間に合いそう。りっ
ちゃんもう出したんでしょ。さすがだよね。あたしはうなづく。ジ
ャックは遠くを見る。そのまま目を逸らさない。智子は思い出した
ように尋ねる。りっちゃん、あさってさあ、私の彼氏来るの覚えて
る? あたしはうなづく。画面が切り替わって、ジャックの視点に
なる。窓の外には田園風景がひろがっている。あたしは目を逸らさ
ない。だいじょうぶ、ちゃんと時間までに出かけるから。あたしは
目を逸らさずにそう言う。よかった、お願いね。智子は席を立つ。
だからね、怖がらなくてもいいんだよ。え? 何か言った? 智子
は冷蔵庫からチョコレートの袋を取り出したところで、画面のこち
ら側にいるあたしのほうを振り向く。
 
 

文学極道

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