#目次

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2007年09月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


八月

  軽谷佑子

ともだちにくびを傾げて
這いずるゆかはつめたくしける
焼けていく脚をみつめながら
ひとのことばかり考える

おしつぶされた
部屋のすみで話をきく
長いあいだほうっていたの
これからもきっと

離れた場所から
すぐに戻ってくる
コンクリートの壁は
声をとおさない

ともだちを犠牲にして
雨のなか帰宅する途中の
まっしろに水をはねあげる
舗装道路

道の向こうに
近づいて遠ざかる
影になごり惜しく
腕をさしのべる


断想 十二

  soft_machine


断想 十二


こどもの頃棄てたはずの手が
壁の中で指をならしている

むかし山の小川に浮かべた舟が
朝のトイレの水面をはしっている

出会った人も別れた日々を憶えずにはいられない日々
雀たちの六月が、アルコオルと骸骨の中でざわめくと

眠っていたことに
雨音で気がつく

 *

黒猫が何かを狙う夜の仕草が
籠のむこうの見えない何かに
背中を丸めて準備する
病院の鉄柵にからまり
鉄線の静かな発情に沿って
東に流れる霧雨の音で

 *

小蝿の前足はうつくしい…男より
ハンバーガーよりずっと内緒話で
乾いてゆくレタスの組成
挟みこんだ…プレパラート
はさみこんで
悦ぶよりもずっと大きな器官で

いつまでもこの温もりを噛み砕いている
てのひらのジャンクフードに染色体
ケチャップが拭いきれない唇の女
そしていっぱいのビール
これらはどれくらいの憂鬱を詰め込んだものか
教育科学番組がさわぐ
世界はひとつの生命帯だ

 *

空腹で忙しかった放課後のこと
雨が森の奥の人気ない神社に少年達を誘い込み
繰り返される禁じられた遊び

単眼と複眼に思想はない
砂を浴びせかけられる蟻をする
蟻は人を憎むことも憐れむことも知らされないまま
紙切れのようになってゆく

通り過ぎたことに振り向くことは
足をふみならして帰り道をゆけば
ことばもない空に似合いの
墓石に刻みこむをする遥か

 *

冷たい風の和音
耳をすまし混ざる銭湯の湯
女に握られた櫂でゆられる気泡をながめ

川岸 電線
あちらとこちら

蝶々 遊々
いきつもどりつ

鏝絵師が虎を
細視し彩帯し

脱獄犯は古里に
再会し最限る

 *

労働が塗るのは空
雲でいっぱいの夢
風の中は
晩酌の肴
鰯のすり潰された
それはきらりきらり
影が砂底に届かなく腐り
生命のスープに溶けてゆく

 *

本当の歌を謡いながら家の鍵を探しても間に合わない
瓦礫の前で積み重なった懐かしさ
酔っぱらいの千鳥足

輝きのみに生活を忘れるならば
幸せの裡に今日の悩みをばらまけた
クレーンの旋回に触れた初雪のように

けれど濡れているアスファルトの下で
土は乾いている
内側からひからびてゆく屍体のように

 *

ぐらうんどにとんぼをかけるあのこは
ぼくのものでも
きみのものでも
だれのものでもないことば
しらずしらずのいのりとねがい

さらりいまんになれなくて
そういってわらってこっぷをつつんだ
おじさんはさけくさいこまをぱちりとならした
みすみすかくをとられるみちが
さんてさきにあるのもきづかず

だれもしらないきおくのにっき
ひらかれずよまれず
もやされるためだけにあるもじがささやく
きまってまよなか
みてはならないゆめのあと

 *

モウクタバッテイイカイ
ナレタウソハコレイジョウツケナイ
コドクナフリモ
ワラウエンギモ
シズカニホウムリサッテ

モウユメダケノゾンデモイイカイ
ジョウダンニナサレ
ヒゲキニミナサレ
キドアイラクハコレイジョウフカノウ
ダレニモハダカヲミセハシナイ

ナゼッテウチュウノハテニトドクノハ
ヒトノカゲキノカゲツキノカゲ
ウミニアルノハナミバカリ
ナミガナミトカサナリアッテ
トビラノムコウデマッテイル

 *

教会が見える喫茶店の窓の隅で
珈琲を眺め飲むこともせず
自分の死に方を悩む男

惨く
しかし痛みなく
どうせなら美しい方法を

思いついた
それはカップの死臭に
微笑みながら唇を触れた

 *

昨日釣りそこねた魚が
今どの辺りを泳いでいるのか
もう誰かに釣り上げられてしまったのか
それとも火山島に背を向け腮をひそめ
仄暗く浮かびあがる海嶺まで‥‥
思いを語りに沈んでゆくのか

台所で刺身とバッハが重なって見える
換気扇の中のジェット機は
午後をゆっくりと這って
‥‥茫洋と舞う
ひかりを浴びた塵も私かに
黒髪に降り震えている

たったそれだけのもので
逃れられない生と死の密想に気づく
優しい言葉は諦めたことへの言い訳だろうか‥‥

 *

それでも飽きることなくカーテンが翻る
吊るされた緑が水を失う時と睦む遍在を綴りなさいと
街角の迷路に変容する為に痴れなくてはなりませんと
銀のポットと金の皿と石膏にされた少女の上で

北向きの一枚の画に最後の筆を加える
いなくなったはずの男
腹を縫われ鼻に綿を詰められ紅をひかれ
十字架の前に現れ‥‥ひとつ心臓を響かせ

片羽根のニケがおろおろと首を探す
それから病葉がくるくると落ちてくる
すると蛇口からひと雫こぼれるあなたとのこと‥‥


しいっ‥‥‥ほら、

雨が‥‥‥

なんて‥‥‥

甘美な幻‥‥‥


枯れた花を存分に抱いて
私はもう眠ってしまったが‥‥‥

‥‥‥雨はどこへゆく
豪奢な夕暮れを雨が降りゆく


鎌倉

  ピクルス


 
蝉の鳴かない朝でした
胸の端からほどけてゆくひかり
できたばかりの海は睫毛に乗る軽さ
静かに浮かぶ顔に人知れず声を燃やす

髪を結んで横たわる
約束、と呟いて水より生まれし数字を忘れてゆく
墨絵の空が一枚、句読点の雨に開く傘は
覚悟を秘めたまま決意までには少しだけ遠い
偽りあり
偽りなき
待合室の冷たい長椅子には
切手を真っ直ぐに貼れない男が座っている

まだ乙女達の脚が堅く閉じられていた頃
新しい靴が欲しかった
宝物みたいに切符を握りしめた改札口
桜を見下ろすレストラン
もう、手を洗った回数さえ思い出せない
いつの間にか誰かが九官鳥に悪い言葉を教えてしまう

薬を飲む度に
大切な名前を呼ばれた気がします
同じ話は同じ返事と寄り添っては
さほど残念そうでもなく、すれ違ってゆく
命乞いする顔色の男が咳払い、ひとつ、ふたつ
林檎を剥くのが巧い、知らない男だ

冷たい枕の下に眠れない瓜を冷やす
夜具に問いかけては
心臓のところ、指を伸ばしたその先に乳房は無い
もう違うんだよ
まだ違うんだよ
あの花を取って
と、せがんだ鎌倉には
白い夏帽子がよく似合いました
どなたか存じませんが
いつもありがとうございます


ペガサス

  みつとみ

太陽が隠れ、雨が降っている。
駅から、歩いて帰る途中、
だれもいない、
公園による。

幼いころ、よく公園で待たされた。
雨が降っていても、
寒さで凍えながら、
靴の中が水で濡れても、
汚れた指先で、
小石をつかみ、
地面に落書きをした、
なびく、たてがみの、
いっとうの馬。

公園のそばにある、
ソロバン塾には、
わたしの指を逆にそらせ、
手の甲につけては、
喜ぶ上級生たちがいた。
いつも、塾の授業が終わるまで、
わたしを、待たせている。

雨がひどくなれば、
塾ののきで、
水のはった地面を眺める。
いつまでも雨が、
降っていてくれれば、と。
塾の先生が心配して、
顔をだし、声をかけてくれても、
わたしは黙って、首をふり、
あいまいに微笑むだけ。

濡れた前髪からは、
しずくが落ちる。
足元の、
水たまりに映る、
空が小さくゆれる。
冷たい空気の中でも、
ひとりで笑っていた。

スーツの上の、
コートのすそを気にしながら、
公園の中に、
しゃがみこみ、
濡れた傘を肩にかけながら、
地面に小石で、
落書きをして遊んでいる、
わたしは、無力な子どものようで、
いつまでも、
だれもこないことを祈っている。

それでも、
あの雨雲の上は、
晴れているはずで、
羽根を付け足し、
地面の、
ペガサスが、
太陽に向けて駆けのぼる。


アゲハのジャム

  浅井康浩

どんなによわよわしくたって、見つめられているということの、その不思議な感触だけが
のこされていた。あなたはねむりに沈みこんでゆくけれど、塩のように、わたしとの記憶
を煮つめてきたのだから、そっと、さらさらとしたたってゆくものが、とめどないほどに、
みえてしまったとしても、わたしはもう、どうしようもないのでしょう。だから、そう、
あなたのからだが朽ちてゆくのを待っているのだとしても、わたしとの思い出がほつれて
しまうおとずれを、まつげをふるえさせるかすかなしぐさとして、あなたはそっと、わた
しにだけおしえてくれる。そうして、ともに、あなたから溢れだす、しょっぱい記憶の海
のなかへ、はからずも息をすることができてはじめて、わたしたちはこれから、どこへも
たどりつくことなく、ながされてゆくことができるのでしょう




教室で、わたしばかりを抱いてはほほえんでいたあのひとのやさしさのなかへ、ひかりに
さらされたままのすがたで、くるしさを告げようとしていたことの、それをだれもが告白
だというけれど、ささやくことのできなかったことばの、その手触りのひとつひとつが、
手のひらからゆっくりと消えてゆくことを知っていたからこそ、あのときの雨は、ふたり
を閉ざして、しんしんと降りしきることをやめなかったのだろう。





たとえ、なにもできなかったとしても、わたしはこの静けさのなかをあゆんでいける、そ
んな気がしていた。たとえ、あなたのかんじているだろうくるしみが、わたしに近づくこ
とをこばんでやまないのだとしても、あなたはやってきたのだから。ときには水のなかを
もぐって、こどもだったころの記憶にゆられながら。あなたはやってきたのだから、この
場所へ。こうして、見つめつづけているわたしのまわりの酸素は、どこまでも透きとおっ
てゆくのをやめなかったから、あなたにはなそうとしていた言葉たちは、みみもとをかす
めるようなささやきにしかならなかったけれど、それでもそっと、わたしを、つぼみのよ
うにやわらかく、つつみこんでくれていた。あなたのなかで、すこしずつうしなわれてゆ
くわたくしという記憶。それでも、こうしてかんじていられるあなたへのあたたかなまな
ざし。そして、この場所で、うまれてはじめて、きれいだといってくれたあなたとともに




たとえば、わたしがとしをとって、そっと、いまのわたしをふりかえれば、ここは、たど
りつけない場所になっていて、もういないあなたのそばで透きとおる、記憶のなかのわた
しがいるあの場所へ、ほつほつと、アゲハのジャムを煮るように溶けあう手はずをととの
えている、そのようなおさないわたしが、みえてくるのでしょう。思い出は、そっと霧の
ように降りそそいで、やさしく、時間のながれをゆるめてくれるから、ときには意味もな
く、隣でカタコト揺れながら、ほこりをかぶったままの空き瓶となって、あくびもし、え
いえんに、詰められることのないジャムの、あわいラベルを貼られたりもする。そうやっ
てすごすひとときが、しずかに夏のおわりをつげて





そういえば、あたたかかった夕食と、ぴちょん、とスプーンを鳴らすのがクセの、あなた
のいたずらっぽいまなざしの記憶に、部屋をでてゆこうとするわたくしの気持ちは、うっ
かりと染まりきってしまうのだった。やんわりと、気持ちがほどけてゆくのをみとどける
のを待っているかのように、思い出はやさしく、わたくしのうしろから手をふってくれて
いる。泣きたくなる、その一歩手前のさみしさを、ふりかえろうとする感傷のいいわけに
して、じぶんをどこまでもはぐらかすために、世界はつまり、ひとさじのたまねぎのあつ
いスープなのだとおもう。そして、忘れないでいよう。そのどれもが、かけがえのないも
のであったということを。


Seashore

  宮下倉庫

 
 

 
濃紺のシーツは床まで垂れ下がり、Seashoreは春だと誰もが知る。巻き煙草のゆらめき
の中、ジーンズの裾をひきずりながらいくおまえは/風紋だった/呼鈴が鳴る。玄関で
手紙を受けとる。ひらかずにそれを壁のコルクボードに、画鋲で留める。ペーパーナイ
フを机の引出からとりだし、濃紺のシーツに、ほとんど平行にあてる。滑らせていく。




どんな部屋にも
ひとりくらい幽霊がいるものよ
そうだな
だからこの砂浜には
足跡ひとつつけられない
おまえは
俺の右手から吸いかけの煙草を
抜きとり
灰を 落としてはいけないの
そう言って
空に投げる
灰が 北に流れていく
ジーンズの裾が
波に洗われている
俺はここが
春だと知る




息を、失くしている。足跡を、波が浚う。ひらかれていく、とじられていたあらゆるも
の。しゅるると切り裂けていく濃紺の海は、冬のほつれのようで、おまえの糸切り歯の
ように、優しい。ひらかれた南向きの窓から、風がふきこんでくる。吸いかけの煙草が、
机の上の灰皿で今、燃え尽きる。画鋲で留められた手紙の封がひらいて、砂がこぼれ落
ちている。風はシーツを撫で、風紋を形作る。そして部屋には誰もいない。
 
 
 
 


雪道の四景

  田崎



*


小さい橋が覆われている雪に
街灯を胞子として映して
この道も失くなる向こうで交差する道路では
人の気配を感じない
自動車の車体が
音もない距離から
私の映像をなぞっている


*


川のような道から
中空を掻き毟る粉の雪が
いくつも青の糸を咲かせて
上げていく視線に粘る暗闇が
回折をグラデーションさせ
あの車庫の上部は消えている


*


通りに光は円を描いて
震えて影は場所を移動する
電飾は冷え
無いはずの音を
やはり無音として響かせる
電飾は冷える


*


トンネルのように照らされたこの通りより
脇へ入る小道の方が
漏れる光は清冽で
(どの道も渡り切れないだろうから)
踏み込む雪を
鳴らす音を
いくつも憶えておく


(だけどおそらくは君の眼差しを経由している……)

  ロータス



 身体によって絶えず突き動かされる呼吸が番われの時間となって紙片を埋め尽く
そうとして、僕は僕のあまり動かない指すべてを使って五つ空間を群生させる。つ
まりはその漣痕を見つめて、僕は君の破壊したのではなかった言葉を待ちわびなが
ら、まぶたの沈みの方へと再び書き加えようとしている。

 詩の恍惚の裏切りさえも逃れて、僕は代わる代わる脚韻を拘束する。その肢体の
片側から伝う譜線にのせて、僕はそこに子音を交えたかった。君の安息のため白け
てしまった「死」をいっそう紛らわせるために。五譜の裂け目において闘争する獣
達の名を、墓碑の石にあらかじめ書き加えておくようにして。

    天使の膜、 それはとどめない。 
                                それ
  を、  土の上に残すこともしない 。
        だけど白い地肌          の、煤けた
   くぼみの内に、     いったいどれほどの、    
                            柩。
                                    

 季節の反復のなかで、僕は互いに違う音階をめぐらせる。埋葬された鳥の嘴を閉
ざしたまま、話されることもなくただ血管の中を海が流れていく。手首の先までつ
ながれているこの剥き出しだった心臓、あるいは同一性においてこごまる時を、過
呼吸によって僕は調律する。

 すでに肺となったテクストを侵蝕する僕の『埋葬された鳥』と呼べるものと、あ
るいはそうした運動に執拗な緩慢さを伴いながら詩の形象を交える君の視線とは、
海を支える砂の重さと分かちがたく結びついている。

   柩の中、灼ける                     日輪。
      その 残照をしたがえる、    わず
   かな羽根
   にまで            細波は沈み込んでいく 。
   息を         吹きかけて
                     。  ちぎることを。
                                    

 冷たく、かくも開け放たれている床の傍らで、代わりに僕はかつて僕のものであ
った肌のイマージュを解放したいと願う。それも雨が路樹の枝を弾くようにして、
僕の鼓動(あるいは君の)シラブルを無視することなしに。


 僕が立ち会った季節の日付にうかされながら、左手に向かって掻きむしったのは
散開として番われた断片のあと。水腫とでも砂塊とでも呼べる音域を指定する君の
残していったパロール。あまりにも不釣り合いな僕の断念の余白を埋め合わせるた
めに掘りかえされた『埋葬された鳥』。

 五線譜の膜目から挿し込まれる二本の陽光のイマージュ。(だけどおそらくは君の
眼差しを経由している)

          閉ざされぬままの        燃ゆる柩。
    それはとどめない。        どこかで、
   葉枝をかさねている     。        あるいは
        樹皮が、波にさらわれている。         それが
もし、 言葉でなかったなら
                                    



 この余白の端から片端へとインクの紙魚を行き渡らせて、僕はこの譜線と視線と
の交わる地点に新たな「死」を黒く塗りつぶす。やがて巡る天使との契約を、君の
瞳の上において再び結ぶために。冷えきった僕の指先と触れ合った君のすべての指
のイマージュとが、象徴の名を告げる音素の一続きの五線譜のものとなるようにし
て。


花火

  ミドリ

空は
とても静かな森だと
まなみは感じた
病室の天井を飾る
オレンジ色や青や 黄色や赤やらが
ぶつかっては消えていく音

まなみはサイドテーブルから
果物ナイフを取り出して
刃先を天井に向けた

自分でも何をしているのか
よくわからなかった

でもなんとなく
そうやって果物ナイフの刃先を
天井に向けて突き立てていると
まなみの腕を
誰かがグッと掴んだ気がした

「誰?」って
声を潜めて彼女が訊くと
「俺だよ」って声がした
「あなたは誰?」

  *     *

病室の窓から見える空は
いつになく澄み切った色をしていて
ベットに固定された首から
まなみがようやく覗くことができるのは
この病室の白い壁や天井ばかりだ

「バカ」って書かれた紙くずが
いくつもベットの下に転がり込み
風が窓から入り込むたびに
カラカラと音を立てた

今日は
街の花火大会だ
明かりの消えた
病室の天井を見て
まなみは影に溶け込んでくる
打ち上げ花火の色と音を じっと聴いていた


夜叉ヶ池

  兎太郎

少女の指はきつく閉ざされ 
その両手が掬った水が 山の上におかれた
そんな池のほとり 龍神さまのちいさな祠に
少年と少女は手をあわせた、
パーンの祠にいのるダフニスとクロエのように

少女をみつめすぎた少年は じぶんがかのじょになったようにかんじつつ
かのじょに乳房があることをふしぎにおもう
すぐそばにあった扉がひらかれ 未知のほほえみがあらわれた
少年ははじめて光に手をふれる
光は弾力をもち 意外なおもさ

少女はおもった、
この水に素足をいれても まむしにかまれる心配などしなくていいのだと
かたくのび ねじれていく少年
笑いながらくるしむかれのありさまに 少女はとまどったけれど
炭酸水のようにはじけながら 流星群がかのじょの喉をすべりおちていくと
龍神さまのこころにまんまんとみたされて 
かのじょはじぶんのやるべきことを悟り それをおこなった

もりあおがえるのおたまじゃくしが いっせいに身をふるわせ
微細な三日月やビーズ細工をまいあげる・・・・・・

くりの花のにおいとゆりの花のにおいがまじりあった
すずやかなひと掬いの水のそば むすばれあった小指と小指
少年はやわらかさをとりもどし 瞑目してあおむけによこたわる
かたわらに少女もよこたわり おおきな空をみあげる、
きらめく少年の眼で
さらさら さらさら ながれていく薄い雲
その底にしずんでうごかない濃密な綿雲に 血がにじんでいく


舞妓の葬式

  いかいか

年老いた舞妓が齧る、
骨の音は、
いつまでたっても、
小さな音だろう、
僕が、遥か昔、
伊勢神宮で嗅いだ、
古代の人々の裸足の土の香りは、
今にも、私の隣の家の畑を耕してしまいそうだ、
そういえば、僕は葬式を散歩するのが日課だ
例えば、別れたばかりの恋人たちが好む雨の中を、
サンドバックを引きずりながら、
砂煙を上げて噴水に投げ込むまでに、
どれだけのカップル達が
アメリカンフットボールの試合の用に、
タッチダンすることができるだろうか、
もし、幽霊だけで結成されたチームがあったら、
間違いなく優勝するだろうが、
彼の足が生えてこないかどうかを審判はきっと気にして、
審判の足はさらに増える
そうこうしているうちにホイッスルが鳴らされて、
チアガールじゃなくて舞妓達が踊り始めたら、
恐らく僕の勝ちだろう、と、
毎晩、舞妓達が塗り上げる肌色は、
きっと彼女達の熱い闘志を隠すもので、
彼女らがボールを投げあいながら、のしかかりあいながら
押し合いへしあいしながら、
グッドモーニングアメリカ、と、ラジオで叫ぶことを
夢見ることは間違いだろうか?
深夜、壊れたラジオなんてのは使い物にならないのだから、
葬式と一緒に火葬場で燃やすことを僕は強く推薦したい、

京都に住んでいた時、
友人の友人が舞妓だったが、
彼女が僕に言った事といえば、
長唄の一つでも歌えるようになったら、
本能寺で遊びましょうと、
つまり、僕に燃え落ちろってわけか、


   

  午睡機械

 
 
 
ばらばらに離陸する影を
閉じて
 
朝 まどろみを挽いて
漉す
どうして
落ちずにわだかまっていられるのか
 
昼 白髪を説明して
冗談のほかになくなる
若いと言えなくなって
 
「感光しすぎました」
 
苦い
日々
なにもかもひとりごと 
飲みほして
乾燥させたら脱臭剤にもなる
「市販のは買ったことがありません」
けれど
まだ空の底に夢見たままの
 

また離陸
 
閉じて
 
また
 
 
 
 
 
 


産声

  灰人

 金魚の死体を私達は置いた。破線となって昇っていった。上空で帯が輪を描いた。龍のように見えた。
 雷雲と共に舞い上がり、世界の柱に喰らい付く。しかしやはり、龍にはなり損ねていたのだ。噛みすがる牙もなく、唾液をなすりながら落ちていく。空中で光る屑は涙の跡であった。
「どうして」
 上がる声に、無知であったのだと、私は答えた。

 力なく横たわるその尾を、統べる者の手が摘み上げ、ふらりと去って、どこかで放った。我々は急ぎ落下地点へ。闇の母なる湖へ。

 必死な水音を立てども、ついに見出すことは出来なかった。低く響く嗚咽が聞こえたと言う者があった。泣き腫らしたような目が見ていたとも聞いた。舌に撥ねた水は、潮のように塩辛かったとも。我々は術なく辺りを見回した。
 息苦しさを訴える者が出た。辺りの空気は後悔の濃度が高すぎた。我々はついに退散することに決めた。矢先、重い水音。

 私は水の中で、自分の姿をも見失った。
 水はあらゆる上に充ちてゆき、全ての輪郭を溶かしていった。何もかもがなくなり、そうなったところで裏返った。裏返った、そこには水さえない。何もない。
 
 何もない。を裂くひとすじがあり、それはやがて完全なカッターの姿を浮き上がらせた。裂かれた先にひとつの目があり、白い前歯と、舌が覗く。憎悪と呵責に輝くそれら自身を、長く伸び出した舌が巻き、輪になって向こうへ転がり落ちた。ぱたりと横様に倒れると、破線はその芯から昇り、

 点らない街灯の下、口に指を当てて、しきりに何か呟く姿をしながら彼は歩く。彼は湿気たパンに塩をかけて食べる。標識は破線によって描かれているが、それには気付いていない。
 やがて混乱と、巨大な白い影に乱され、彼は地面に向かって駆け出す。そこで溺れぬ金魚はいない。然るに彼は溺れ、苦しみに喘ぎ、泡を吐き、手足をもがく。今一口の酸素が与えられ、安らかに、彼は脱いだ。脱いで、小さくなる。また。やがて指も丸きおさなごに。裏返る。

 虚無ばかり。赤児はアアンとひとつ啼く。


待ち合わせ

  ミドリ


成田空港で 待ち合わせをしている
クマに逢うために
まなみは化粧室でリップをひいていた
ボストンへ出張していた彼が 帰ってくるんだ
ボブヘアーになっている私を見て
きっと彼は驚くわと
まなみは思った

飛行機の到着時間は
予定通りだった
人ごみの中
一際背の高いクマが 彼が
ゆっくりとこちらに歩いてくるのが見えた
彼はネクタイを緩め
サングラスを胸のポケットに仕舞い
はにかんだ笑顔で私をグッと抱きすくめた

「お帰り」
「ただいま」

半年ぶりに出逢う彼の胸の中のぬくもりに
思わず
涙がこぼれそうになった

「元気そうだね」
「あなたこそ」

そういうと彼はまるで
勢いよくプールに飛び込むみたいに
私にキスをくれた

「色々あったよ」
そう言って ウィンクする彼に
私は少し不安を覚え
「全部 全部その話を聞かせてよ」っていうと

「全部を語りつくすには
一生かかっちまうよ」
そう言っておどけてみせた 顔をする彼の肩に
私はギュッて
思い切り抱きついた

通りすがりの子連れの母親が
「クマだ!」って
彼を指差すわが子に
「見ちゃいけません」って注意をしている

彼はポケットからチューインガムを取り出し
子供に手渡した
「何だクマのくせに!」って
その子は彼に悪態をつき
ガムを床に投げ捨てた

母親はあわててキュッと子供の手を引っ張り
その場をそそくさと立ち去ってしまった

ガムを拾い上げる
指先を見つめる悲しげな彼のその横顔が
私には
この世で 一番美しいもののように 見えた

文学極道

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