#目次

最新情報


2007年11月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


幸福論

  午睡機械

 
 
 
 I 
 
 
  
机の上の観葉植物に
傾けて
 
こぼしてしまう
拭きとっても

電話をかけようと携帯を
取り出したりしない
 
八月六日
割ろうとして確かに胸郭を
叩きつけた
できればもう水は飲みたくなかった
 
根を凍らせないように冬には
 
がらんどうには
おしながされない残響があった
もはや草木は生えないと
いわれていた
 
いまは
 
グラスをにぎる
蛇口をひねって
 
とめる
グラスは満たされ
 
そして日向へ
 
 
 

 II
 
 
 
しぶきを立てて
走り抜けていく
時間
 
飲みつづけても
 
このゆらぎでは
まだまどろむことができない

玄関に置いてある箱からじゃがいもを取り出す
芽が
生え始めていて
 
確かに流域がつづいている
 
ああこの鼓膜は白い国の寒さを知らない
水はそこでも夢を
聴くのか
いますぐ電話を
かけたりしない
日向へ
 
日向へ
 
 
 
 
 III
 
 
 
薄く斜線で消しておくこと
語りえないこと
何度でも語りなおすこと
 
表面にまだらが出ること
しばらく減らすこと
底を手のひらに包んでベランダに出ること
そして日向に
ひとすじ貫かれた未完の動詞をなぞりつづけること
 
忘れないこと
忘れること
忘れたこと
思い出すこと
生きること
 
 
 


最後の遊園地

  レルン

最後の遊園地で
ペリカンと遊んだ
ペリカンは規則正しく揺れるだけの
機械、と呼んで差し支えないやつ
冷たい体を震わせて
前へ後ろへ、前へ後ろへ、
よそ行きの服が
ボロボロになって
自分の軋む音以外
何も聞こえなくなるまで

それから
朽ちた自動販売機で
オレンジジュースを買い
店員のいないレストランで
おもちゃ付きのカレーライスを食べれば
雑草の影から
鉄だったものが延々と伸びてゆく
笑い声のない
魔法の国
埋まったままの呼吸たちのせいで
少し風が強い、
分かれ道を
ずっと左へ行く
係員が笑顔で
ぬいぐるみを着こなしている


最後の遊園地は
優しい人が自殺するシーンからはじまる
スクリーンが血で染まり
夕陽の訪れを知る
ロケットの形をした乗り物が
永遠に回転をつづけ
振り落とされてしまった子供たちは
大人になってしまう
誰かの悲鳴と
ぬいぐるみの背中の真実
そしてレストハウスの
ぬるいレモネード、
錆びついた鉄の曲線、
エントランスゲートの脇に
そっと置かれた白い花を密封すれば
夜には蛍になるはずだったのに
夜は来ない
来ないまま
夜をこえてしまった


ペリカンの軋む音が
錆と雑草の鼓動を消す
無音
ひかりの波が
ざわめきをやめた路面ではじける


青いことり

  キメラ

少しあるいてはあしもと
黒い四角形のキューブだったから
反射する光もなさそうで
光を探していたきみによく似ていた

きっと佇んでいたはずの
帰らない買い物手さぐりで
夢幻なの
そうでないかなんて
ゆるい夕焼けいつもは響いた

こころの裏付け
寂しいってしらなかった
なんども赤トンボをえがき
なぜ兄弟はあのかわ縁に
ぼくにも似ている緑をわらう

うしなわれたものはなんだなんて
ふらつきながら深夜を飛ぶ鳥の
痛々しくも宇宙の形
しているのかもしれないそれらに
柔らかい羽根を認めなかったのは
おおきく並べながら
せかいの形をつくっていた
過失だからだ

 ほら
 せなかから
 きみの羽根はずれることなく

はずそうとする夜
いつだって裸でいたきみによく似ていた
歩幅はそろえた靴の間隔で
いつしか丸いしゃぼんになって
丸の内を飛んでゆくから


よくにている
寝そべりながら探していた
あの頃の僕も

きっと旅をしていたの
それを知らなかったぼくら
なんども寂しくて


結晶

  Ar

あしたはお葬式だから
わたしたち夜中ていねいに
からだの準備をする
やさしく膨らんで
剥がれていく熱を洗面器にためて列に並び
つまさきを揃えて
ぐずぐずと、甘くなる夢をみる


空気は冷たくてつんとしているから
裸足になるのに臆病だった
ひやりとしてからわたしたち
唇を撫でながらお祈りをする
ふやけて甘いかたまりは
空にかえしていった


白いひとの横たわる
足の裏がわでいくつもの色が交差している
睫毛のかげが遮られ
そのかわりに
たくさんの腕がうごめきあっている
なぞる手のひらが宙を泳ぐ


ぱさぱさに
乾いてしまっている
空気の淀みを
くちびるをきちんと結び
吸い込まないでいる
息をしていないのに
吐き出したいものがある



わたしたちの簡単な正装は
いつでも雨に濡れてよかった
からだの中身がきゅっとなる
もう準備はできている


音はどうしても静かで
沈んでいったわたしたちの
正確な微笑みを
もうだれも取り返そうとはしない
西の空には密やかに夕暮れが静止している


晩秋

  軽谷佑子

階段をかけおりていく楽しさを
思いだして日は暮れる
いつまでもあかるい気のまま
立ちどまっている

食卓のうえに
ながいあいだ置かれて
すこしも動かなかった
声もあまりださなかった

乗りものの中で
たくさんの家の窓辺に立つ
風景は割れてとんで
皆うまれた町の
幻をみる

降り注ぐ落葉の下
誰も彼も起こしてまわり
ひとの名残を
みつけてはないた

立ちあがる夕暮れに
両腕をさしのべる
迎えようとするつもり
建物のかげで
鳩が垂直に降りて


パティオ

  ミドリ



ぼくは プライマルスクリームを聴いた
リズミカルなストロークで腰を振り
右っかわの乳房を
ぼくの口に含ませるまなみ

磁気嵐のようなホワイトノイズが
彼女の喉から
胸ん中から漏れる
それはまるで150億年前の
ビックバンの残響に
耳を当てている感じで
その亀裂という亀裂から 孤独が溢れ出し
ふたりは融合し
ギュッといつまでも抱きしめていたい
亀裂の中に ふたりは居た

世界は異なるものを出会わせるパティオだ
彼女は左の道から来た ぼくは右の道からだ
すべての出会いは パティオだ
世界はパティオであり
異なるものを出会わせる場所であり 力だ

ベットの中に
ふたりは7時間ばかり居たろうか
コロナビールが2本床に転がっていて テレビでは
隣国のミサイル実験の ニュースが流れ
彼女は裸のまま浴室へ入っていった
そしてそのすべてが
ぼくの目にはクリアだった


  りす


浅い日暮れに 顔をあげて
低く飛ぶ鳥を 追っている部屋
星の来歴の微粒が 音もなく降り
手の届かない椅子に
遠近法を残していった


あかるい器に 居たことがある
うわぐすりを焼き付けた壁に
コツコツと爪を立てると
ときおり器が傾いて
人々がこぼれた


長いせせらぎの 持続がある
泣いた骨は乾くと 岸を転がる 
夜のある朝を 支度した目覚め
時間の撚糸で 編んだ心が
足場の悪い 林道を拓いて


秋に馴染んだころには
秋の話はしない
もみじ狩りから帰った人が
遠山に雪を見たと言う
椅子をすすめて お茶を淹れる


遠い空で私有の 星が破裂する
広がった空を 誰か横切る
最初の風が 走って消えた
ことしは麓も 色づきが早いと 
さらさらと枝が 目の前で揺すられ


編みあげたものに 袖を通す
鳥の背景で 夕日が潰れる
器の外には 座る人がいない
暗くなれば私の 母船は戻るだろう
こぼれた人々を 平らに積んで


corona

  泉ムジ

そっと手をひらいて
潮が去ったあとに
日輪にうつるオウムたちの
羽冠
とり残された 点描の泡
立ち眩む/宿借は殻を捨て
行くべきなのだ/
という嘘に
湾曲をなぞっていた黒い肌の少女は
赤い波打ちぎわに腰かけて
砂まみれの足首を抱いた

ここには王国があったという
彼は道路に立ち 胸を指して
自分にはその血が流れているだろうかと問う
聞こえなかったふりをする
私の肌は白すぎて 熱に膨れ
かつて幻想だった大地に横たわる
影を踏んで
日傘を捨て
堅い手をやわらかな腹部へとみちびき
ここにあなたの血が流れていると答えると
彼は膝を折り 髭だらけの口で祈る

ひと月ぶりの朝に
岩穴を這い出し
水が退いた平地へ下りる
歓声
打ち上げられた 木製の船に
漕ぎ手はない/宿借は新しい殻を
見つけられずに死んだ/
それでも
石壁に奴隷や家畜が折り重なる神殿で
新しい生け贄が捧げられ
砂浜の足跡は消された

母はこの海を渡ってきたという
誰も知らない 遠い場所から
そのことを母に尋ねても何一つ教えてくれず
聞こえなかったふりをする
白く輝く肌は あたしと違い
幻想と呼ばれる大地を思わせる
風が吹いて
髪がなびき
はるか昔に飛んでいったオウムたちへ
ふたたび切りひらかれていく予感を告げると
あたしの爪先は濡れ 濃い朝焼けに触れる


カット、コピー

  鈴木

無数の目がくくり抜けた町の向こうには巨大な水ぶくれがあった。父親が枯葉になる童話を子供に読み聞かせた女は家を抜け出し手頃な寿司屋に立ち寄った。店は比較的繁盛している。女は本日の牛肉が昨日の牛肉よりいくぶんだが柔らかいと板前に語りかける片腕のちぎれた男の横に座った。店内を見渡すと奇妙な日本語が書かれた紙があちこちに張り巡らされていたが、それをすり抜けるように水ぶくれはゆっくりと移動した。おそらく表面をかりかりにするには時間が足りないのだろう。今頃になって時計の針かなにかが、なにかのはずみで水ぶくれに刺さり女は口に入れたばかりのいくらを吹き出した。数えきれないほどの膨れっ面がきれいに跳ね上がるのを横目で他人事のように見やった女は、ちぎられた腕が間違いでつけられた板前の右腕にぐいと引っ張られた



オレンジ色の半透明の球体の中では寡黙な女たちの熟練した手つきで冷やし飴が大量に作られそれが市販されるまでに、この町に住みついた利口な子供たちだけが招かれる試飲会があるという。その日工場長はおもむろに立ち上がると、治療された虫歯を子供たちに遠慮なく振る舞い始めた。一様に利口な子供たちは工場長の虫歯の位置を正確に記憶してしまうと、すべてに退屈した顔で方々に散らばっていった。つまりごくまれにこういうふうなものが生まれてしまうということに自ら気付いてしまうのだ。やがて水ぶくれは空に被さり老女の妖しい腰つきでしつこく揺れ動くうっとうしい、という子供の声が日本語スクールで培われた奇妙な日本語の発話でもってアボガドと一緒に巻かれてしまう時ぼくたちはやっぱりそれを英会話学校で先生に教わった印象的な英文のように永遠に繰り返してしまう。なにもかもを了解しない板前は女の側に横たわりネタを切る包丁を宙に無造作に放り上げた。それが水ぶくれの一番下のいちばんやわらかいところにつきささりその穴からは子供たちの体の一部と思われるものが、次から次へと落ちてくる。女はそれを拾い集め、最後に冷やし飴を注文しそれがいくらも冷やされていないことを知ると、かつてどこにも存在しなかったかのような証拠を寿司屋に残し、からからと吸い込まれていくだろう

 生け簀の中の魚はいちまいうろこが剥がれるたびに、鳴き声をあげた
 調理されるのに待ちくたびれたけどわたしは産卵には慣れているから


風はうたう

  丘 光平


  風はうたう、
 わたくしの隅々で 風はうたう、
夜半にくるまる薄い背なで
いさり火のようにふるえるまぶたで 風はうたう、
けもの道で立ちつくしたまま冬を身ごもる枯れ木のように 
聞きもらすことのないしずけさで
雪が鍛えた青白いまなざしで 風はうたう、
ことりたちの指さきが届かないわたくしの隅々で
 痩せたおんながうつろに手まねる
  銀のぴすとるのように 風はうたう―


バースディプレゼント

  兎太郎

えらばれたワンピースが歌っている、桔梗色して、
セーラー襟(カラー)には 純白のほほえみ 
そのしたでねむる黒豹
昼さがりの秋の陽の沈黙が マゼンタの毛なみをぬらしている
ちいさなあかい花ちりばめた地肌がすけてみえる
黒豹はねむりながら 魚たちに接客する
魚たちのよろこびのため こんこんとねむりつづる

誕生日にはぼくのかのじょも魚になる
水中花のあいだをおよぐ群れにくわわって 
しなやかに 珊瑚色のカーテンのむこうにきえていった
半魚人のぼくはただよいながら 待っている、
魚たちのよろこびがつむがれているあいだ

――待つことができなくて ぼくはみてしまった
そこは母胎のしずけさをたたえたアトリエ 
テーブルの上 みおぼえのあるふたつの手 
ついさっきまでぼくをみつめていたふたつの眼球、
瞳の色素がぬけて きらきらと女王さまの宝石のよう
そして豊満なぶどう 籠からこぼれおちそうになっている

黒豹はめざめ すらりとたちあがる
桔梗色した歌は なれた手つきでトルソからはがされる、
セーラー襟(カラー)に純白のほほえみ留めたまま 

「プレゼントになさいますか」
「はい、かのじょの誕生日なのです」
「冷凍パックにしていただいたほうがよろしいかと」
「それではそのようにお願いします」

チョコレートのようにとけてしまわないために つめたい包装紙
そこにはちいさなあかい花柄 
黒豹の つややかな漆黒にぬりつぶされ 
もはやみえなくなった 地肌にあったのとおなじ花柄
エメラルドグリーンのりぼんがむすばれて
ぼくは半魚人のまま ひとりぺたぺた それを手にさげあるいていく、
いちょう舞いちる 喪失のあかるさのなか 


チョコレートいるかい?

  ミドリ

色々やったさ
何年喰らっても おかしくないようなことをいっぱいね

チョコレートいるかい?

いや いいんだ 気にしないでくれ
一度ガールフレンドに 左目を打ち抜かれたことがある
拳銃でさ
病院の廊下を ストレッチャーで運ばれてくんだ
大したことはなかったよ
3日後には退院してたからね
もちろん深夜に非常階段から こっそり抜け出してさ
友だちにひどいアル中がいるんだが
そいつのアパートに転がりこんだ
俺が知ってるやつの中で 一番サイテーのやつさ
俺が転がり込むなり
やつはこう言うんだ
歴史の本で 首は吊れないものだろうか
マルクスの本なら可能かもよって言ってやったら
そんな本もあるのかって言ってたな

チョコレートいるかい?

オーケー 気にしないでくれ
あんた金持ちそうに見えるけど
俺に奢る気あるのかい?
どうやったらそんな高そうな服が買えるんだい?
まぁ いい
そこにマクドナルドがある
俺は字を読むのが遅くってね
数字もまったくダメで 手先も不器用ときてる
他人に暴力を振るう瞬間だけが
自分の尊厳を保証してくれる

チョコレートいるかい?

2年前に弟がパクられた
ブチこまれたんだよ無期懲役さ
大したことはしてやしない
どうやら神様は
善良な人間と悪人を時々間違えるらしい
人はみんな
幻を飲まされて生きてるんだ
わかるだろ?
毎日ショピングだ
食料品にトイレットペーパー
寒くなれば上着がいる
擦り切れた靴下に穴があけば 替えも必要だ
レジへ行って金を支払う
愛じゃ買えないものばかりだ

チョコレートいるかい?

今日は映画を観に行ってきた
その後 ストリップ小屋に少しね
知り合いの女の子がそこにいるんだ
仕事の合間
彼女にカレンダーを買いに行かされたよ
忙しいんだってさ
予定を書きこむ 空白がもうないんだって
ヒステリーを起こすわけさ
カレンダーに15分刻みの予定を書きこんでいく
メモ帳が入るような服を 彼女は持っていない
ポケットがないんだよ
笑えんだろ?
もっと楽しくやれる仕事が見つかればいいんだが
幸せを見失った後じゃ もう遅いんだ
一年なんてあっという間さ
カレンダーの空白は 少し大き目がいい

チョコレート いるかい?


夜の帳

  如月

行き交う車のヘッドライトが流れていく
川に流されている
小さな魚のように

遠ざかる
約束、と言う傷口に
そっと触れる街灯り

コンリートのビルは冷たく
けれど
かがり火のように優しく

*

道路工事の標識が立ち並び
夜警の赤いランプを
誘導員が揺らし始める

真夜中ではない真夜中で
労働が生み出す
白いため息が消えていく
そのほころびを結びつけて
私たちは満たされていくのです

煙突の煙が彼方
骨はここにはありません

*

光を帯びて散り敷かれた
夜の袖がはためく雲の隙間

願うすべを知らない
山々に消える
密かに響く鹿の鳴き声

ねんねこよ ねんねこよ

手のひらの中、
 母の歌を探しています

誰も知らない記憶の底で
誰も知らない秘密の歌を

*

いつもの公園を通りすぎる
相も変わらず人気はない

冬と呼ばれるお前が
そろそろ来る頃合いですか
枯れ葉はすでにつむじ風の仕草にまかれて去ってしまったよ

まつ毛をふるわせ
爪先まで染み渡る風に
ここが秋だとやっと知る

電灯で照らし出された木々が
音も無く
さやさやと揺れている

波打つ池は煌めいて
どこか海に似ていた

*

街のかがり火の向こう側
夜警の赤いランプが
 ゆらゆらと
真夜中ではない真夜中に
夜の帳が私へと開かれていく

ねんねこよ ねんねこよ

母の歌を探す手のひらに
やはりあの頃は見つからないから

せめて夢を、と願うのです

 指先でなぞるようにして


  はらだまさる

 曲がり角からかまっすぐに垂れ落ち
●ょくぶつの根っこのように、●ずかに撥ね
生まれたやわらかい波に、脳がびくりとふるえ
はも●が、たいないにうちよせ
胃へ、十二●腸へ流れ

 ほそくするどい、その根っこは意味をもち
なにかや、かれらに、ふくざつに混●り
ちつ●ょによって、ならび
か●けいにそうにゅう●
か●けいに●ゃせい●

 その●ょくぶつが、伸びを●て
まっ●ろなそらにいっぺん、●●●と吼え
黒くおもい、寒冷前線をよびよせ
そらに響いては、すぐに消え
また、黒く吼え

 お●なが●う●うと、鼻水を垂ら●
かおを立方体にぶ●かつ●て、なみだをこぼ●
まるで、いそうきかがくの蝉みたいに
皮膚にはゆううつな、ひかり
ぼくらにはやさ●い、やみ

 けものどものまえあ●で、掘り起こされて
ひとびとによって●極丁寧に間引かれ
どこかの隅に積み上げられ
日を浴びて、枯れ果て
生温かく、はずか●いままで

   ●、


      ●、



●、


[entenjizai]

  香瀬


[entenjizai]





   撤回に翅を縫う。眼の前にはいくつもの完全な球体、影が滑り行く風景、浮かぶ、頭
   の上に浮かんでいる太平洋の表面張力、波打つ完全な球体に影はあるのだろうか、ひ
   とつひとつ滑る、丸い影は何もかも染める、黒く、注がれている無数の完全な球体は
   頭の上で表面張力に怯える、無数の浮かぶ太平洋を歩いていけたらいい、そろり、と。

   割らずに残される、頭の上、残された完全な球体は肺胞に拒まれる、阻むくちびるは
   開き、東京湾を嚥下しようとする、咽喉をくだっていく無数の東京湾、さはれ、いく
   つもの完全な球体状の影に、内臓は血みどろ、染められていく、黒い東京湾は汗とな
   る、いたるところから翅が出てくる、握られる、抜け殻になってしまう、はらり、と。

   脱皮、せいこうした扇風機に消される翅音、コンセントを捻じ込むとき、人差し指と
   中指のあいだに生じる愛を発見する、荒川の河川敷には、敷き詰められた影が、頭の
   上に浮かんでいる無数の荒川を凝視する、あ、おひさしぶりです、「あ、おひさしぶ
   りです」と言われた精子を内包する完全な球体、黒くて透明に破裂する、ぱちん、と。

   見える、誰かの唾液でも乾いた眼球を加速させる血液、すべて完全な球体が通過する
   、皮膚に触れる回転運動、雨が降るたびに身体が蒸発していく、空隙になった翅に透
   明な活字が浸透してしまう、完全な球体におかされている、無数の見えない効果とし
   て立たされては、次の海が縫い返される、完全な球体の転がりはやまず、ころり、と。






.


着色される風景

  草野

まっしろいシーツが
かぜのように気まぐれに
ふっと、ためいきをついたとき
けずられたきみの脳は
あたりの風景に色をつける


くりかえされる
ひかりのみえない毎日を
記憶から消去し
消し去り
消し去りして
きみは
まどのそとにひろがる
きみを
ながめている


ちいさな雲のむこうで
はじけるように笑っているのは
たしかに
きみの
あのころ


丘のうえにうかんでいる双眸は
たしかに
きみの
こころ

そして、ほら
純粋が体操している



手術から2年
雲のうえに
きみが
すわった日
青空いっぱいに笑う
ひまわりを見た


知らない町で

  はるらん

夕陽を浴びたサイクリングロードに
自転車を乗り捨てて地面に這いつくばる人
それを見て地面から跳ね起きる
メタリックなアンドロイドの影が長く伸びる

ライオンとキリンが
仲良く草原で遊んでいる
無邪気にカンガルーに
エサを与える子供のそばで

イルカに頭を食べさせる外人
ひまわりに咲いた犬
ペットボトルの光が眩しい子猫
夕べ帰らなかった幸せの青い鳥

お湯を捨てるのに失敗して
食べ損ね流しに投げ出された
インスタントのカップ焼きそば
引越しそばの出前を頼む気にはなれない

新幹線のホームのベンチで
眠り込んでいるネクタイのおじさん
「本日の新幹線は終了しました」
のテロップが頭の上で流れている

パソコンのタスクマネージャーに
入っている家族全部の名前
パソコンにこぼれている
トーストの散らばった粉

二階の窓から遠くに見えるキャンパスの時計台
プラチナを散りばめたアスファルトの朝の輝き
新聞配達のバイクが窓の下で止まる音
ポストに名前はまだ書いていない

僕の朝はきっと
いま始まったばかり
この町にどんな人がいるのか
これから誰に会うのか僕はまだ知らない


帰還

  ためいき


別れる今になって
はじめて
あなたに出会えた気がする

子供の頃
学校を早退した帰り道
灰色の淋しい空間に入ったまま
途切れていた時間

お帰り、と裏口でささやくのは
顔のない母の影
長い
旅だったね

眩しい光りの下
白い病棟に歩むあなたが
不意にわたしに手を振る
・・・ありがとう
こんな男には
過ぎた報いだよ


灯台に登って

  シンジロウ


俺とあんたで
灯台に登って話そう
石造りの螺旋階段を登って

きっと
空は青々 日はテラテラ  
崖は黒々 波はザンザン 
カモメが鳴くから 腹ヘッタ

あんたはポルトガル語で喋り
俺はオランダ語で喋る

お互いの国の貨物船が通れば
素っ頓狂にそのデカさを褒める
ニヤニヤしながら
異国であった異国人達みたいに

このぬっぺりとした白い壁にもたれて
俺とあんたは治外法権だから
罪悪のないこの灯台に登って話そう


Save Our Balloons

  レルン

窓の外
砂漠からの強い風のせいで
体調を崩してしまった
38度5分
熱は首の後ろで
風船のように膨らんでゆくので
そのままベッドに沈み
そして
壁に追われる夢を見た


目が覚めると
女が台所でお粥をつくっている
鍋からは中性洗剤のにおいがする
女はそこに刻んだネギを入れる
ネギと金属熱がからまる音で
部屋の壁が規則的に波打っている

女はまたネギを刻み、そして入れる
寸分違わぬリズムで刻み、そして入れる
鍋がネギで溢れだすころには
ネギは牛乳パックに変わり
牛乳パックは菜箸に変わる
刻む音
入れる音
刻む音
首にからまった熱が
それらの音を都合良く変換する
モールス信号
Save Our Souls



女と出会ったのは数年前のことで
大道芸の真似ごとをしていた俺に
あなたは才能がある、と言って抱きついてきた
俺は風船で鼠をつくって渡し
長いことキスをした
それ以来俺たちは一緒にいる
何の才能なのかは二人とも知らない

女は刻むものを探している
俺は熱でぼやけている




ふと思い立って
首の風船を割ってみた
乾いた音をたててベッドが傾いた
ちょうどTVでは
初雪を告げるニュースが終わり
白い壁に
風船の残骸が貼り付いて取れない
女はついに自分の指を刻み始める
リズムは乱れない
俺は起き上がり
風船の入った箱をを棚からひっぱり出す
熱のせいで
棚を見失いそうになりながら

プラスチックの箱を開け
灰色に光る風船を握りしめてベッドに戻り
また昔のように
鼠をつくろうとするが
痛みと衰弱で息が続かず
なかなか風船は膨らまない
女の指がすり減る音を受けとめ
少しずつ
少しずつ
リズムを刻みながら
息を




モールス信号
二重奏
Save Our Souls
Save Our Souls
Saveとは
Ourとは
Soulsとは何なのか
知ることもないまま
初雪を告げるニュースは
いつまでも終わりつづける



台所の床は
肉や野菜や不定色の液体に塗れている
雑多な砂漠の中央で女は
刻むものを失い呆けている
その横を
不細工な鼠が通り抜け
玄関のドアにぶつかり破裂した
乾いた音をたてて
二人は傾いた


肩にふりかかる、雨が

  Canopus(角田寿星)


肩にふりかかる、雨が、
どうしてもやまないのなら
そっと傘をこわしてしまおうか
暗い昼の空、信号機がにじむ、
雨雲はつつましく北東を向いていて

シャツの背中に変な汗をいっぱいかいてる
シャツの背中に変な汗をいっぱいかいてるよ
と 言われる
水はけのわるい古びた団地が
ぼくの故郷だった

ぱらぱら、ぱらぱらと、ここちよく雨音がひびくのが良い傘の
条件である、と 父さん、いつだったかあなたは話してくれま
したね、父さん あなたのつくる傘は大きくはないけれど、ぼ
くはあなたの傘の雨音で眠りました、そして雨に濡れた冷たい
肩で目を覚ますのですよ、靴がよごれないよう気をつかいまし
た、雨はどこまでも肩にふりかかる、父さんの肩は、ぼくより
もさらに濡れて、重く冷たい両肩を岩のように振りしぼり、父
さんは、ひとつひとつ、ていねいに傘を仕上げていきます

国産の傘は売れなくなって
修理に訪れる人もみるみる減って
ぼくは団地を出て
ちいさく貧しい傘をひとりで差すことにした

     、、、雨が、、、、、肩に、、、、
     、、、、、ふりかかる、、、、、、
     、、、、、、、、、、、、、、、、
     、、、、、、、、、、、雨が、、、
     、、、、、肩に、、、、、、、、、
     、、ふり、、、、、、、、、、、、
     、、、、、、、、、かかる、、、、
     、、、、、、、、、、、、、、、、

傘、傘、傘、道行く人、傘の花が咲く、誰の肩も雨に濡れ、濡
れた肩を寄せ合う、幼な児をしっかりと抱いている、落とさな
いよう、みづいろの濁流に溺れないよう、父さん、ぼくは偉大
な傘職人ではありませんでした、ぼくの傘は、皆が濡れないよ
う、あたたかく包みこむには、多少ほころんでこわれているの
です、父さん、そんな時あなたはどうしていたのか、今になっ
て折にふれ思い出そうとします、誰の肩も雨に濡れ、誰の傘も
こわれているのか、いやむしろこわれているのは暗い昼の空で
あり、肩にしつこくふりかかる雨であり、そんなことはないよ、
と、肩を隠して諭している、ぼくが浮かべた、つくり笑い、で、
あって、

肩にふりかかる、慈愛の雨が、
どうしてもやまないので
ずっと傘を差している
雨は肩にふりかかる


包まれて

  soft_machine

水はグラスに包まれ
グラスは両手に包まれ
あなたを包むのは誰ですか
水が包むのは、何

泣いているのは
瞳だけ幼い老人
その掌に
日溜まりのような優しいぬくみ
あなたの額に新しい水を注いで
泣いている
枯れながらも匂いをなくさない花を

あなたはふと考えこんで

それから、また忘れて
あした窓からくる朝のひかりが
その眉に美しい橋を掛けるだろう

 お前、もう枯れるね
 水は汚れ
 花器にも拒まれ
 お前、死んでしまうんだよ

 とてもきれいだ
 あと少し
 夕日でかがやいた姿を
 描かせてくれ

傾いた虹の
開け放ったその窓に舞い込んだ
ペイントナイフにとどまって

人は花に包まれ
花は世界に包まれ
遠くにあるのは、海
あなたが駆けてゆく海


「 コワレ。 」

  PULL.



 あぶない!そう思ったときにはもう突き飛ばされていて、コワレていた、かしゃん。音がして、包み中のわたしが、コワレ、ていた。コワレたのでみるみる中からわたしが漏れ出し、包みに、染みをつくる。染みは、わきゃわきゃと喋りながら満ちしたたり、わきゃっ。と地面に落ちる、落ちた、とどうじにまたわたしはわきゃわきゃと、喋り、満ちて、まわりをぐるぐるとまわりながら踊り出す、踊りは随分と騒がしく、わきゃわきゃとしていて、これはまた随分とコワレたな、と少し遠くのことのように思った。そう思っていると、声がした。突き飛ばした男が、こちらを見ていた。男は、大丈夫ですか、随分とひどくコワレてしまいましたが…とか細い声で言った。これが大丈夫に見えますか、ひどいですよ、コワレてますよ、どうしてくれるんですか、ときつい調子で返すと、男はしみじみ、地面のわきゃわきゃを見て、申し訳ない、ほんとうに申し訳ない、とくり返し、ほとほと困り果てたように溜息をひとつ、ついた。わたしはわきゃわきゃとおとこのまわりにも満ち満ち、ぐるぐると、踊る。踊る。そうしていると通行人のひとりがのぞき込み、ああ…これはひどい、ひどいコワレようだ、あんたこれ弁償してもらいなよ、と言った。すると別の通行人が、こないだ見たコワレじゃあ丸ごとぜんぶ弁償してもらったらしいよ、と言い。また別の通行人が、泣き寝入りは駄目よ、出合い頭のコワレだからってあきらめちゃ駄目、コワレた分はきっちりもらいなさい、ぶんどりなさい、やっつけてやりなさい、と言った。そうよ!、とどこかの通行人が相槌を打ち、そうだ!、とさらにどこかの通行人が相の手を入れた。相の手と打ちはまたたく間に広がり、すぐに人だまりができた。人だまりの口は、口々に、コワレたコワレた、と言い、その隣の口がまた、コワレた、と言うのだった。

 男は、小さく、なっていた。
 男は、コワレた、と言われるごとに溜息をひとつ、つく。なので、ひとつつくごとに男は、小さくなり、溜息ごとに、一まわり、萎んでゆくのだった。やがて男は手に乗るほどの大きさになり、わきゃわきゃと踊るわたしの中で、しくしくと泣き出した。泣くほどに男の涙は大きくなり、わんわんと大粒の涙と鼻水をたらし、泣きじゃくった。泣きじゃくるもので涙はかわくこともなく流れ落ち、水たまりになった。水たまりではぱしゃぱしゃと、音を立て、またさらにわたしがコワレ、激しく、踊りまわり。男はそれを見るのでなおのこと涙を流し、またコワレれてしまったまたごめんなさいまたごめんなさいと、か細く、謝るのだった。
 何だか、かわいそうな気分に、なりはじめていた、あの…とりあえず、納めるものがあれば、それで、ひとまずのあいだはしのげますので、と言うと、男が、こちらを振り返った。ほんとうですか、とか細く聞くので、ほんとうです、と答えると、ほんとうですね、とまたか細く聞かれ、ほんとうにほんとうです、とまた答えた。ほんとうなんだ、ほんとうなんです、ありがとうございます、いえどういたしまして、と会話は続き、気がつけば人だまりもまばらになり、皆口々に、何だつまらねえけんかにもなりゃしねぇ、袖振り合うも多生の縁いやぁいい和解だった、後はお熱い若いふたりにまかせて邪魔者は帰るとしますか、それではおたっしゃで、さらば、また合う日まで、アデュー、と言い言い、通行人に戻っていった。

 急に、あたりは静かになり、わきゃわきゃというわたしの喋り声だけが、やけに大きく、聞こえた。なのに相変わらずか細い声で、男は、この近くに、ぼくの家があるので、そこに行けば何か納まるものが、あると思います…あるといいです…ごめんさいごめんなさい、と小さくなった体を、さらに小さくして、言うのだった。その小さい姿を見ていると、どうにも、こちらが悪いことをしているような気にもなり、わかりました、そこへ、連れて行ってください、とらしくもなく気を利かせ、努めて明るく言うと、男は、なぜか頬を赤らめ、さらにか細く、こ…こちらです、と歩き出した。わきゃっ。男に続き、わたしが、わきゃわきゃとついてゆく。小さく、なった男の足取りは、やはり小さくて、いつまで経っても男の家には、辿り着かなかった。途中何度か、男を手の上に乗せてゆくことも考えたが、さっきの男の赤い頬が気になり、最後まで手を出すことはなかった、ようよう辿り着いたころには、日はとっぷりと暮れて、すっかり夜になっていた。
 
 男の家には、ながく、居た。
 男の家にあったものはどれも、わたしには納まらず、また、男が外から持って帰ってくるものにも、わたしは納まりきらず、そうこうしているうちにずるずると、とどまることになり、気がつけばながく、ながいということがどれぐらいのことなのか解らぬほど、ながく、居た。男はもう小さくはなかったが、ときおりこちらを見ては、ふかく、溜息をつき、涙を流した。それは出合ったときの溜息とはどこか違い、わきゃわきゃと、涙の下でコワレ遊ぶわたしの踊りも、どこか、いつもとは違っているのだった。
 ある夜、男が入ってきた。男はぎこちない手つきでほどこし、もぐり込み、しばしの後、果てた。生ぬるい感触を残し、入ってきたときよりも小さくなって出た男は、か細い声で、あいしてる、と言った。意味が解らずにいると、男は見掛けによらぬ強いちからで抱きしめ、また、あいしてる、と言った。あいしてる、あいしてる、男は、飽きることもなく続け、息ぐるしいほどのちからで抱きしめ、また、入ってくるのだった。わきゃ、わきゃっ、まわりではわたしが踊り出し、交わりの中をぐるぐるとまわり、まわり、踊り続けた。
 踊りは、朝まで続いた。
 その夜以来、男は毎晩のように、入って、きた。ときには、こちらから導く夜もあり、そんな夜はことのほか、男は悦んだ。またしばしば男とは、事変わる夜もあったが、それでも男は嬉しいようであり、よく応え、交わりを続けた。そうしてながいときが過ぎ、さらにながいときが過ぎた。わたしは、相変わらず納まることはなかったが、とりたてて不満な様子を見せることもなく、毎晩踊り、まわり、交わり、続けた。男は、いつしか夫と呼ばれるようになり、おとうさんになり、おじいちゃんになり、ある朝、死んだ。

 葬式を、出した。
 式は盛大なもので、参列するものたちの列は向こうの端まで続き、その涙は川となり、海まで流れた。泣き虫のおとうさんらしいいいお葬式だったと、娘たちは口々に言い、泣いた。娘は三人、生まれた。生まれたときから娘たちは、男に、近かった。ときを経れば変わる、そう定められたものたちだった。おまえは変わらないねぇ、おまえはいつまで経っても変わらないねぇ、死ぬ前の晩も、男はそう言って、撫でてくれた。もう随分とながいあいだ、男とは交わしていなかったが、それでも男は毎晩のように抱きしめ、あいしてる、あいしてるよおまえ、とか細く、続けるのだった。朝になり、冷たい感触で覚めたとき、男はもう、そこにはいなかった。わきゃ…わきゃ…男の抜け殻をつつくわたしの声が、ひどく、遠くに聞こえた。涙は、出なかった。葬式のあいだも、泣くことはなかった。わたしはわきゃ…わきゃ…と、沈んだ、声を上げ、男の棺のまわりをぐるぐると、まわり、まわり、まわり、続けた。それを見て娘たちはまた泣き出し、父親そっくりの涙を、こぼした。娘たちは最後まで、男に近く、おかあさん、と呼んでくれたことはなかった、確かに産み落とし、確かに産み落とされたもので、あったはずなのに、娘たちは、遠い、相容れないものたちであった。それはコワレたわたしが、男の、どのものにも納まらなかったことと、どこか似ていた。だがそれでも、相容れないものは、相容れない、娘とは、そういうものだった。

 気がつくと随分と、居ついて、いた。近ごろは孫たちが、ひ孫を連れて遊びに来るようになった。ひ孫たちはことのほかわたしになつき、日が暮れて眠くなるまで、縦に横に、ひっぱったりのばしたりして、遊んだ。ひ孫たちは無邪気で、残酷で、まだ何も知らぬ、いたいけな存在であった。ひ孫たちは皆、大きな目を目をさらに大きくして、こちらを見る、ひいおばあちゃんどうして違うものなの、いつから違うの、コワレちゃったの、どうしてずっとコワレているの、と矢継ぎ早に言う、答えずにいると、その小さい手で、ねえどうして、どうして、と上に下にわたしをひっぱり、飽きると、つまんない、と投げ捨てる、そしてしばらくすると、また、わたしを掴み、右に左に振りまわし、ひいおばあちゃんはどうしてひいおばあちゃんなの、おばあちゃんはみんな死んじゃったのに、どうしてひいおばあちゃんなの、と言うのだった。娘たちは、皆死んで、男と、同じ墓に入った。風の心地よい朝には、男と娘たちが好きだった花を持って、参ることもある。そんな日の夜には、男の肌のぬくもりを想い出し、眠れなく、なる。あいしてる、あのか細い声が、もう一度聞きたく、なる。わきゃ…また沈んだ、声で、わたしが喋り出し、踊り出す。あいしてる、あいしてるよおまえ、男は何度もそう言ったが、あいしてくれているか、と聞いたことは、なかった。もし聞かれていたら、どう答えただろうか、あいしていたのだろうか、解らない、ながく、あまりにもながく、すべてが経ち過ぎてしまった。だが聞きたい、もう一度、あの男のか細い声で、あいしてる、その一言が、どうしても聞きたい、眠れ、ない。

 また、さらにながいときが、いくつも過ぎた。ひ孫たちはもう随分とながい前に、死んだ、その子たちや孫たちやひ孫たちも皆死んで、最後のひとりも、ふたつながいときの前に、死んで、絶えた、残ってしまった、誰も、いない、はるか向こうの果てまで見渡してみても、残っているものは、もういない。いない。皆絶えてしまった。このままずっと、すべてが果てるまで、残り、変わらずに続いてゆくのだろうか、そんなことを考え出して、もう随分とながいときが過ぎていた。ながいときは、終わることがなく、コワレることも、なかった。遠くで、大きい、音がした、音は、広がり、響き、どこまでも揺さぶった。やがて、夜がなくなり、空がなくなり、ながい、無限の朝の中、すべてが、なくなった。だがそれでも変わることなく、ときは流れ、わたしはここに、居る。今でも、わたしはわきゃわきゃと、喋り、満ちることが、ある。耳を澄まし、その意味を探ろうとするのだが、それはようとして掴むことが、できない。




           了。


不眠温度

  黒沢




・舟ぎらい・

夜を劈く、
不眠を巡るなめらかな舟。
それは星でない何か、
かぜでない震えや、
人でなしの基底音を受けて、
波をぬう蜜腺のはざ間を降りては浮いている。
影の終端におんなの指のような、
ひと巻きの塔が居残り、
降りては浮き、
それもずれていく。
ふみんの夜を彩る絶対の声は。


・きつね鏡・

眠りをまねて鏡を抱く。
凶の字が部屋の外で荒れ狂い樹の枝や時間が飛び去る。
轟く雷鳴さえそこらに反射され狐ですら贋ものの月に愕くだろう。

それからお前を呼ぶ。永劫の雨にも狂わない狐を。九の字となるその化生の愉
悦。その汗ばむ無言は逆さの行だろう。汗ばむ程の夢の過剰だろう。若しここ
ろが時間を持つのならば滅ぼす。いま私の袖を引くお前。引かれる窓の輝きの
底に猶もあの鏡が見えている。凶の字や九の字そのほか書体にならない不眠の
写しが。


・夜ふくろう・

ふたたび私は夜ふくろうに就いて考えそれは思うよりも恐怖をなお追認するに
過ぎないのだが翼を拡げゆくあの希少種が真っ直ぐ私を見返してくる大いなる
目。鉤爪は暗く燃えるみたいだし何より夜ふくろうは捕食せずじっと安定した
三角形のような幾何学的精密さで夜の静寂を卵さながら温めている。たちまち
私は湾をなす海なんか忘れ揺曳する集合マンションの制約に縛られて呼吸すら
できないのだ。断じて私は叫ぶ。これは断じて眠りではないと。

夜な夜なの死。それを曲折して来ない限り蘇生があり得ないというのは一体誰
ぞの約束事なのか。こんな時間に唄いだす星も鉄道もなく夜ふくろうの鳴き声
は車輪のきしり音に似て私を幻聴に誘い込むばかり。私をじっと見ているあの
大いなる目は傷みを伴い後悔やら羞恥すら伴って瞬きを繰りかえす。まるで
延々と。終わりなく。私はみたび湾をなす海の沸騰を思いそこを徘徊する身体
的自由に悶えながらまた初歩の地理的な制約条件に揺りもどされ塩からい涙を
流すのだ。

夢は眠りを真似る私の意識を誰かが真似ようとするプロセスに過ぎないから私
は思い切って夜ふくろうを除こうと思う。誰が何を言おうと夜な夜な私のもと
を非礼にも翔び立ってゆくあの夜ふくろうの羽ばたきを私は断じて許すことが
できない。


・ひと魂・

幼い日に見たひと魂は雨を裂いてやや崩れるような片隅で細く燃えていた。庭
の暗がり。夜ごと蛭のように火花を吸っては成育するそれを私は懐かしく見て
いた。

いま時間を経るごとに水の温度は赤から青へ緑から黒へすべてが私とは何ら関
係なくまた紫へと見つめ返す天蓋の一瞬の閃光が庭の暗がりの個人的な感慨を
さむざむと反芻している。生きながら見ていたそれは。


・ひつじ数え・

息をつき息を吐く。
ふたたび息をつき息を吐く。

それらが
ふみんの辞書において声を生成し、
転記された波紋が終に、
みよ子というよそ者を標榜しはじめるのを、
私は万感の悔いやら歓びを交え、
許すのだろう。
みよ子が数えたてる羊はひつじひつじと檻から放たれ、
中二階になった、
きびしく触媒された私の愛惜に似て、
木枠の柵を何度も越えていく。

羊が一匹ひつじがにひき羊が、
一匹ひつじがにひき。
丸ごと鋳造されては投げやりにされた喉。
声という、
とうてい私には容れられないお前が、
しんみり深爪されていく窓枠。
みよ子が数えるたび浮き上がり、
熱を奪われるたび
沈み込む、
ひつじ達のむげんの跳躍を星でない青空が視ていた。

息をつき息を吐く。
ふたたび息をつき息を吐く。


海岸帯

  田崎

振られ、凝っていく海に、
服の切れはしが散り、
「家なし」の、私たちは
体がやけに海に似て
組成式は樹となり
色んな元素を孕んで
空には光子が走り回り
気圧はスペクトラムをつくる――一層砂浜は拡がる。
分解して、蒸発したり
生成して現れたりする外縁は、
行き場のないこの入江を
連続して定義しつづけ
壊れているのを
組上げることで
相殺しようとする。
水は清く
微細に振動している。流体はなにも
含まずただ温みを撫でるだけ、鴎も海猫も
いない、鴎も海猫もずっといない、鳴き声の存在が消去された途端、
鴎も海猫も、
時間には関係なくいなかった。
そうやって色んなものが足りないけど私は、
この海岸に組み込まれることを許されていた。

文学極道

Copyright © BUNGAKU GOKUDOU. All rights reserved.