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2007年07月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


  みつとみ

 雷光の闇にくらみを覚えながらも、雨のなかに立ち、かすむ地平を、よりそう狼と見据えていた。雷で地に発火した炎は雨水で消えていた。眼鏡のレンズに大きな雨滴がたまっては落ちていく。
 行こう、わたしは狼にしずかに告げる。ふらつきながら、狼を見る。狼もわたしの目を見る。わたしたちは雨に打たれながら、互いにもたれあいながら歩む。

 白いもやの地に朽ちた樹が一本あった。ねじれた枝には葉はなく、幹は裂け目が走っている。その樹のしたで、わたしと狼は体を休めた。雨よけにもならない。灰色の毛から雨水が流れ落ちている。わたしは狼の背にそっと手を置く。やせている、感触でもそれがわかる。狼は雨でかすんだ彼方を見ている。賢そうな目で。口元はひきしまっている。わたしと狼は同じ地平を見つづける。

 灰色の毛皮のところどころに褐色の部分がある。鼻から額にかけては黒っぽい色をしている。わたしに牙をむくことはないが、ときおり覗かせる歯は鋭い。わたしは膝を折って、樹の根本に座り、狼の背に体をよせた。狼はわたしの匂いをかぎ、口元をなめる。互いの体温だけを頼りにした。 
 眼鏡のフレームをあげ、ジッポのライターの火をつける。狼の目は水で濡れている。火もとが熱くなり、ライターを閉じた。紺色の空気にまた包まれる。

 眠った。足下を流れる雨水の流れは、手の届かない空の雲から落ち、木やわたしたちの体をつたい、そして地表にたまる。雨水はいくからは地下にもぐり、多くは低いほうへと流れる。わたしたちは眠っていった。
 狼はわたしの首筋に顔を押しつけ、寝息を立てている。眠りながら、女の背。それもすぐに眠りの中で、流れていった。

 咳をして目が覚めた。雨は止んでいたが、寒い。暗がりのなかで、ジーンズのポケットのライターを取り出し、火をつける。女からの。いなくなってから、タバコはやめていた。味がしなくなってしまったから。銀色のライターに描かれた、片方だけの閉じたまぶたと長い睫毛。

 狼がわたしの顔を仰いでいた。何を考えているの、とでも問いたい目で。狼の首をなでる。灰色の毛に指先をいれる。もう片方の手でライターの火をかざす。暗やみに、ゆらめく。狼の目が濡れている。ライターのふたを閉じた。やみをわたしたちは見続けた。狼はわたしの膝に顔をのせた。

 それから、白い朝がくるまで、樹のしたでふたりもたれる。目を閉じると、どこまでも続く地平の彼方に、海がきらめいていたさまが見えた。あそこまで行ければ、助かるかもしれないと。そう思い、目を開けると、そこは果てのない大地。点々とした石、折れた枯草が風に吹かれて、ちぎれて空に舞う。遠くで鳥が叫び声をあげた。その声が火となって、乾きはじめた地の草を燃やしていく。



*8/9修正。「荒れ地」という言葉を「狼」シリーズ全編全面削除。第2連修正。


ウィンターランド

  軽谷佑子

まどの向こうに降る雨をみている
だけならとても好きなんだけど実
際に外へ出て雨に濡れるのはいや
なのだとあのひとは言って皿に残
るソースの染みをみつめていたの
でした

夏の木の緑をずっとおぼえていた
ので力だけはうしなわずにここま
で来ることができたのだと思いま
すわたしは引き返せないたくさん
の時間をずっととてもちいさなこ
とに使いつづけていてそれはとっ
ても楽しかった

明けがたにセミが鳴きだすのはい
つもきまって午前四時十七分あの
ときはいつも目が覚めていたので
鳴きごえはすべて理解できて手あ
たりしだいにつめこんでいました

ビルとビルのあいだにみえるちい
さな夜空が好きでたばこを吸うあ
のひとに言ったらそれはめずらし
いみかたをするね空はいつでも広
いものだといわれてそうかしらん
と首をかしげたあのひとは海王星
に行って死ぬ

綿の木をそだてていたときに裏の
日あたりがわるいところで植木鉢
のプラスチックの白さがいつも湿
気ていたのをおぼえていますあの
ときはとても暖かかったけれど綿
の木はそだたなかった

いまは冬の国に住んでいてここは
庭なんの心配もなくスカートをひ
ろげて座っていると空からたくさ
んの冬が降ってきて髪の毛や腕を
おおいわたしは地面とかわらなく
なります


soundness

  はらだまさる

黒になる。全てが黒になって沈んでゆく。ぼくらは恐怖ではなく、惑星に同化する幸福感に包まれる。呼吸が面倒に感じた。夜光虫というものを体感したのもこのときがはじめてだった。赤潮だとも知らずに、はしゃいだ。越前岬での夜間潜水、十年も前になる話だ。水平線にぶつかって砕け散る夕陽の音だけが、写真に残っている。

夏、ぼくらはブルーベリーを頬張って、左手で千歳緑の喘ぐ点描画を描く。天然酵母のパンを焼く。全粒粉、胡桃、レーズン、玄米粉、イチジク、クコの実、煎り大豆。窯に入れて、大量にスチームする。アントシアニンで染まるまで、ぼくの世界は平面だった。焼き上がったばかりのパンは、パチパチと鳴く。

山鳥と、松林が囁く。「いいか、眼をそらすな、動物の耀きが、動物そのものが砕け、黒になる瞬間から眼を逸らすな。熱と、倫理の腐敗と、文化総体のよどみが、白と黒、左から右、西から東に並べられて、ゆびさきで弾かれ、ページがめくられ、破かれる祈りに似た、絶望、雲が雲からもげて、生成される音楽が終焉を迎える、その瞬間から、眼を逸らすな。」

大きな歌は、あまりに高音域でぼくには聴きとれない。

二十世紀のエレクトロニクスの結晶が、一台、二台、三台と遠くで重なってゆく。小さなスタジオでプラスチックを叩く。電子音。機械音。ビニールの擦れる音。非金属が金属を打ちつける音。振動する、音。水や、木や、痛みから遠く、遠く離れた、音。何故こんな音に安心するんだろう。快楽と嘔吐することの平衡感覚、または欲望するアンテナ。

「それが地上の楽園だ。」と、顔のない世界では老成だが年齢不詳の少年が、爪を噛みながら、ぼくらの耳に届かないくらいの小さな声でこぼすと、世界は白々しく耀き出し、空が跡形もなく黒に燃え尽きる、サウンド。

東寺に木霊する、ピアノ。Michael Nymanの、ピアノ。反復と動的な旋律と、ポエジー。人間の歩幅で奏でる感情。暴走族と、ぼくら。騒音と、ピアノ。恥ずかしさ、悔しさ、遣る瀬無さをも吸いこんだ、黒。黒のタキシード。そして赤い靴下。あたたかい。

ぼくらは、今夜もたった一つと抱き合う。


猥褻物陳列罪の王様

  ヒダリテ

 昔々の遠い国、僕がいました。
 僕は昔々の遠い国で、昔々の遠い国の王様でした。
 僕はたいそう立派な王様で、たいそう立派な柴犬にまたがって、たいそう立派なラッパを吹きました。
 僕は王様でした、王様は僕でした。僕はたいそうお金持ちで、たいそう立派な柴犬はジステンパーで死にました。
 王様は悲しみに暮れました。王様は王様のちょっとしたイタズラ心から、たいそう立派な柴犬のたいそう立派なお尻の穴に突き刺したたいそう新鮮なトウモロコシがたいそう立派な柴犬のジステンパーを引き起こしたのではないかと思い、たいそうショックを受け、自分を責め、泣きました。
 泣いた後、おやつにエクレアを食べました。エクレアは王様の大好物で、「これなしじゃ生きていてもしょうがないね」と言ってました王様は僕でした。
 たいそう立派な柴犬亡き後の王様は、ヤドカリの去ってしまった巻き貝のように虚ろで、エクレアをたくさん食べてちょっぴり太りました。そんな王様に王様のあまり立派ではないお母さんは「ダイエットが必要よ」と忠告しましたが、たいそう立派な王様はたいそう立派な大型テレビで「ドリフ大爆笑」を見ていたので「ダイエットが必要」であることを理解しませんでした。
 そんなこんなで少しずつ太り続けた王様は、ある日とうとう糖尿病と診断されました。糖尿病とはそれはそれは恐ろしい病気です。やがて王様は迫り来る死の恐怖に耐えきれなくなり、少しずつへロインをやるようになりました。
 ヘロインの効果はてきめんで、王様は人間として、終わりました。
 人間として終わってしまった王様はもう立派ではなくなってしまいました。だから王様は全裸で果物ナイフを持って近所のコンビニへ行きました。エクレアのある陳列棚を物色しているところを、警察に通報され、王様は逮捕され、右手に持っていたエクレアのカスタードが飛び散りました。
 王様はその後、いろんな形の建物の、いろんな色の鉄格子に閉じこめられたりしましたが、王様は人間として終わっていたので、いつも何だか気分が良かったのでした。だから王様は幸せでした。時々知らない人が王様を殴ったりしましたが、王様は何もかもすべて、面白くて、笑いました。笑って笑って、大笑いでした。うんこ洩らしたりしましたが、気持ちがいいのでそのままでした。

おしまい。


僕らは樽を抱いて眠れ

  宮下倉庫



ギネス
そう告げると
瓶のまま出てくる
樽じゃなくてよかった
そう思う

左手をのばすと
ロイドの角がカウンターに触れ
カツン と
小さな音をたてる
半袖が
香る季節を僕は
嫌いじゃない

そういえば
部屋の蛍光灯が一本
切れかかっていた
白熱灯はもとより
蛍光灯だって熱くなる
唐突に思い出すのは
熱っ
そう呟いて
手を引っこめた
きみの細い指先の
やけど

黒い
ロケットがあったら
格好いいと思うね
ギネスの瓶みたいな?
そう 今にも
飛び立ちそうなくらい
冷えてる感じがさ
僕は人差し指の先を
淡く結露しはじめた瓶に
おしつける
蛍光灯くらい自分で
換えるべきだったのだろう

ね マスター
ギネスの樽って
どこに行けば買えるかな
樽?
うーん
本場に行けば
買えるかもよ
成田から
ロンドンまで直通で
約13時間
その間ずっと
酔ったままでいられるなら

相応の 理由がある
ロケットが黒くないのも
ギネスが瓶で出てくるのも
半袖一枚じゃ
表はまだうす寒いのも
13時間もしたら酔いは醒めて
僕は背広を着ているだろう
ロイドの角を
カウンターにぶつけるのは
次の次の週末くらいに
なると思う


john

  一条

身代金が準備されたと犯人から電話があり、住所名前年齢職業全部を言わされた挙句、犯人は私にすっとんきょうな質問をした。君は葡萄の中身に興味があるかと訊かれ、私は事態が悪化するのを防ぐ為に、葡萄の中身には興味があると答えた。犯人はしばらく沈黙した後、死んでしまいそうな犬を飼っている話を始めたのだが、犬の名前と種類が明かされるまでに数十分も経過し、犯人は私の少しまごついた様子を察知したのか、電話は乱暴に切られた。階下からは妻のうわごとのような歌が聴こえ、春夏秋がちょうど半分になった頃、私は書き終えたばかりの小説を印刷した。紙に印刷された小説を私は何度も読み直したが、ひどく退屈な内容だったので、妻には読ませなかった。それ以来、妻は葡萄の中身を丁寧に櫂棒ですりつぶし、庭に植えられた観賞用の花々とともに食卓に添え、やはりうわごとのような歌を歌うようになった。特に例年よりも冷たい冬になると、その歌は私の耳には必ず聴こえてきた。書き終えたばかりの小説の冒頭には、それらのことが事細かく書かれているのだが、私の小説は誰にも読まれていなかった。眠れない日が増え、夜更かしをした翌朝に私たちは、ワンとふたりで吼え、道端に落ちていた生き物の骨をすみからすみまで舐めまわした。妻は喜んで犯人役を演じたが、私は葡萄の中身には興味がありません、と答える日もあった。そのことに激昂してしまった犯人が、いきおいあまって犬の名前がジョンであることを明かした。その日の夜、数年前に庭にこしらえたジョンの墓が何者かに荒らされ、明日私が妻に代わって犯人役をするのであれば、ジョンの墓を荒らした真犯人を突き止めなければいけない、と私は書き終えたばかりの小説の脚注欄に書き足した。私は紙に印刷した小説を最初から読み直した。最後まで読んでしまうと、冒頭部分が完全に破綻していることに気付き、ジョン以外の登場人物には名前を与えないようにした。テレビは人質が射殺されるシーンを繰り返し、ジョンを救い出した警官がやはり何者かによって射殺された。私と妻は、彼らが射殺されたビルの屋上に挟まっていた鉄パイプを二本引っこ抜いて、それで巨大な十字架を作って、ジョンの墓のそばに飾った。私の横で手を合わせている妻が、犯人だろうが犯人でなかろうが今はたいした問題ではない。やがて取材を申し込む人間が私の家にあふれ、そのうちの半分の人間を私たちは応接間に閉じ込めた。餌を与えなければ、あいつらっていつまで生きるのかしら、と妻はつぶやいた。身代金はどこかに用意されたまま、例年より冷たい冬の空から雪が落ちてくるのを、私は妻とベランダで寄り添いながら眺めた。後は、私が、死んでしまったジョンのように前脚を高く突っ撥ねて、腰を激しく振りながら、妻に覆いかぶさるだけだ。私は左のポケットから三本目の前脚を取り出しそれを真ん中にして回転しながら、後ろに積み重ねられていく手掛かりに焦点を合わせ始めた。


   

  午睡機械

 
 
  雪により二時間遅れの便を待つあなたは鳥のかたちを真似て
 
 
 
 経由地で足止めを食らった。
 アムステルダム発東京行KLM862便は17時半ごろようやく搭乗を開始した。
 
 窓側の席だった。
 離陸して雪の海を抜けるとすでに日は沈んでいて、深い橙色の残り火を雲間からのぞかせていた。機内は静かだった。東京は8時間先を東へ回っている。その時差を、これから12時間かけて徐々に詰めていく。速度のなかに主語はいつしかまどろみ、夜へ果てなく墜落していった。
 
 気がつくとまだ飛んでいた。窓の外が明るいようだった。いつの間にか下ろしていたらしいシャッターをあげると、飛行機の左翼から青空があふれだした。
 地上にはツンドラが広がっていた。氷に覆われた山脈はうねり、凍てつきながらもなお蛇行する川に沿って、時間の残骸のように三日月湖がところどころ横たわっていた。
 
 手荷物から父のカメラを取り出して構えた。
 死んだひとのことを考えていた。
 
 雲の上は、どこも青空だった。
 
 着陸して入国審査を過ぎ、税関を抜けると、日本語以外は聞こえなくなっていた。けれどそれさえも異国のことばのように思われた。あるいは、音楽。意味はいたるところで欠落し、音の高低と長短、休符にかたどられた――
 売店で「おーいお茶」を買っておつりをもらったあとで、"Grazie."と口走ってしまって、"Ah, no, " 「いえ、なんでもありません」と訂正しなければならなかった。
  
 ホームへの道が思い出せず、立ち尽くした。
 
 
 
  青い鳥凍土に散ることなく汝(な)の帰るべき空をその羽で塗れ
 
 
 
 


ワールド・ライト

  田崎

重力の演奏が、あた  乾燥し、聖文字の様
りには散乱している、 に去勢された植物が、
カーテンが何かを隠  森のあちこちで絵を
し、塗り潰された色  描いているから、足
の部屋、大きく息を  を振って距離を取り、
吸い、自分勝手に、  引かれる髪にはむら
色をつけていく、そ  が生まれ、歩いた道
の時の右手の静脈だ  の残り香に、こども
けが、ただ赤い、温  が群がっている、夜
みを絶ち切られる、  が降りてきている、

雨降りの街で、鈴を付けたヒトに連れられる、
ジャンク・フードがそこいらで、再生されて
行き、あまもり、振動、頚動脈の触感、携え、
地下で心を失くし、エンドレスの、雨音、吹
き出してくる、波の泡と、どこかへ消える階
段、服のきれはしは、見事に踏みにじられ、
小児科の前で白服のヒトが演説をたれている、
鈴の音は、水てき浮く肌を打ち、遠きを近く
にして、踏み鳴らすおとさえ彩色に、豊かか
ら、獣がうまれおちて、子を生そうとする、

重力の演奏が、あた  乾燥し、聖文字の様
りには散乱している、 に去勢された植物が、
折り紙の手で、カー  タイルの脹脛に亀裂
テンを掻き分ける、  を入れ、その線記号
手から情報誌がぽろ  をこどもらに話して
ぽろおちて、それが  聞かせる夜、こども
蛾になる、部屋は水  らも植物も、何をも
浸しで、蛾が耳のな  怖がらないから、自
かに入り、なにもか  由時間の猶予を与り、
もが、綺麗だった、  つい、遊び惚ける、

雨降りの街で、鈴を付けたヒトに連れられる、
そのヒトが歩いた跡、打ち身めいた腫れが浮
かび、街は挨拶をしないヒトであふれた、急
患、と叫びゆくヒトは罪過を振り撒き、季節
の隙間に入っていく、卵黄をつぶして子供た
ちが遊ぶと、夕方になり、むしろ静まった空
は、軽業師のようだった、切れてゆく切れて
ゆく、から、繋がり、ぼくらが一斉に逮捕さ
れゆく夕闇に、街に除光液が降り頻り、身体
の冷えていく僕を、路地の奥で見つめる獣、


積み上がる子供

  疋田

朝になると、無数のくらげが砂浜を覆いつくす。それを眺める男の子は、粘土で手足のうんと長い猿をつくった。しかし粘土はみるみるうちに劣化して、それは猿ではなくなり、ざぶん、人間の形をした流木が海面から顔を出し、粘土を拾いにやってくる。そうして、その口と、目と、耳から、砂をこぼして、重そうな足取りで沖へと戻っていく。だだ暗い沖には、垂れ落ちようとする積乱雲を支える巨大な電信柱が、何本かあって、男の子は「落ちる。落ちる。」としきりに指を差している。指を差して泣いている。泣いている、何が悲しくて、この海岸線、朝はいつもこうだった。「おはよう。きょもあついなぁ。」


「もうずっとおんがくがなりやみません。」
「ええ。わたしにもきこえます。」
「たのしいですね。」
「いいえ。ゆるせません。」
「もう、ねむいんでしょう。」
「そうでもありません。」
「わたしなんかすぐにねむくなるのに。」
「とてもいいことです。」
「それでもにんげんはうまれます。」
「うまれます。」
「だからわたしは、おはようを、わすれます。」
「それなら、わたしは、おやすみを。」
「わたしは、わたしを。」
「じきにおんがくもなりやみます。」


莫大な人工林に空っ風が吹き抜ける。木木が。ぼそぼそと唸っている。女の子は、おやすみなさい、と呟きながら雑草であふれ返ったアパートの一室に駆け込む。その顔はずいぶん青ざめていて、やはり日も落ちかけ、何もかもが丁度、群青に染まっていた。おやすみなさい。ひび割れた窓に目を遣ると、もう半分以上枯れてしまった椚の木に、二匹の猿がいて、ぼんやり女の子を見つめている。女の子は今にも泣き出しそうな顔で。おやすみなさい。ぼんやり立っていた。ぼんやり。猿を見ていた。ぼんやり。そのすぐ後ろでは、人間の形をした倒木がやかんでお湯を沸かしていて。足元には大量の砂が在り。誰もが不在し。やかんを見据え。砂は積み上がっていく。おやすみなさい。やがてお湯も沸騰する。「ねえ。お化け電球がお父さんを連れてくるよ。」女の子はそう言ってその場に座り込んだ。「おやすみなさい。もうよるだね。」


あらかわようこ

  いかいか

おわりがたがやされて
ひらかれてしまった
はじまりはいまだたがやされずに
とじられている
わたしたちのおうこくのたはたのように


どこかとおくをみつめる
しっちたいにあつまった
はなばなのむれよ


わたしたちのおうこくのかなしいつきよ
そしてたいようよ
わたしたちのこのゆきのおうこくに
きょうかいせんを
わたしたちのひめいは
ひつじたちのあし
わたしたちのかなしみは
ひつじたちのゆめ


ひつじたちがさんどねて
さんかいころぶ
あさはそうやって
うみだされて
はじまりはとじられる
よるはひつじたちのまばたき
ろっかいとんで
よるはうみだされて
たがやされたまま
ずっとひらかれたままになる


わたしたちのおうこくのゆめ
それはひつじたちのむれのつめたさ
わたしたちのこえ
ひつじたちのようもうにからまって
おちることをしらない
わたしたちのからだ
それはひつじたちのかなしみ


おわりとはじまりを
たべるひつじたちの
けだまから
ひる
わたしはせーたーをつくって
ふゆにそなえてひとりきる


熱射病

  はらだまさる

               チューシャは少女のようにはしゃいでいた。午後の陽射しが強いスジャータ村の大きな木の陰で、普段はサドゥなんかがルンギーとして愛用するオレンヂの布を大地に広げて、ぼくらは次の汽車に乗るまでのひと時を共に過ごした。チューシャの笑顔はジョアン・ミロの色彩のように鮮やかだ。日本人のような湿り気がないのかもしれない。冗談で自分の名前の由来を説明する際に本名の「将(まさる)」ではなく、地元の日吉大社にいる猿みたいに「神の猿」と書いてマサルと読むんだ、と言ってしまったせいもあって、スパニッシュの彼女はぼくのことをモンキーと呼んで慕ってくれた。Xusaと書いてチューシャと発音するそうだ。素敵な名前だとぼくは思った。ガヤ駅で声をかけたときは警戒していたのか、すごく愛想が悪くてちょっと怖かったけれど、仲良くなるとこんなにも素敵な笑顔になるんだ、とびっくりさせられる。

               ブッダガヤの暑さは京都の暑さに似ている。平均気温なんかは比較にならないものだけれど、熱の逃げ場がない、という点において似てるのだと思う。砂煙と牛糞と、複雑な香辛料の混ざったインド人特有の汗の匂い。バンコクの空港に着いたときに嗅ぐ匂いと、同じくらい記憶にこびりつく匂いだ。ぼくがはじめてこの土地を訪れたときは、随分と蚊にやられた。皮膚が柔らかくて匂いがないからだ、とラカンさんに笑われた。ラカンさん、っていうのはブッダガヤの一部の若者のヒーローだ。その他の善良な市民からみれば、質の悪いヤクザだ。仕事もろくにせず、筋骨隆々の威勢のいい若者を手なずけて日本語を巧みに操り、毎日酒を呑んで牛肉を喰い、宗教に唾を吐いて神さまの名を名乗っていた。今回の、二度目になるブッダガヤ訪問はラカンさんに会いたい、というのが本音だったのだけれど、ちょうど彼が雨季を避けるようにネパールに旅立った後のことだった。

             汽車は明日にならないと来ない、と彼は言った。木陰で眼を閉じて風に吹かれるまま寛いでいると、村人がわらわらと集りだして、そのうちの一人、ランブーという男が話しかけてきた。ぼくはこの旅で、娯楽を娯楽として楽しめない人間はきっと簡単に殺されるだろう、と思った。世界各国、色んな土地で鳴き続けている蛙の、ときに美しく、ときに珍しい歌声は録音されてマニアのあいだで高値で売り買いされている。それでいいのだ。ただ、ぼくがランブーに届けたいのは、決して蛙の歌声ではない。宗教の正しさでも、聖人君子や偉人哲人のようなすばらしいおことばでもない。娯楽として、また芸術として広く愛される日本の唱歌だ。馬鹿でかいチロムを廻しながら、誰もが簡単に歌える歌だ。ランブーが土産にくれたお茶の葉は、インドで飲んだどんな飲み物よりも旨かった。

         イマジンぢゃなく、「上を向いて歩こう」をぼくは歌う。チベタンのホテルで催された宴会で、ぼくは歌詞を見ないで歌える数少ない歌のひとつ、THE BOOMの「島唄」を歌った。ビートルズもストーンズもレッチリもJBもボブ・マーレィもマイルス・ディヴィスも坂本龍一もマルクスもジャック・ラカンも聖書も仏典もランボーも知らないインド人と、いっしょに。チューシャが手拍子を叩いて、眼を輝かせている。決してぼくは歌を歌うのが上手ではないし、歌詞の意味だってぼくにしかわからない。だけどぼくが歌い終わると、みんなが拍手をして「いい歌だ」と言って抱きしめてくれた。ランブーにもう一曲歌え、と言われてぼくは坂本九の「上を向いて歩こう」を下手なりに一生懸命歌った。それはブッダガヤの夕焼けに溶けるように消えてしまったけれど、すごく気持ちが良かった。その場の空気が、とても温かかったのだけを憶えている。それを感じたぼくは、歌いながら知らず知らずのうちに泣いていた。歌手が歌をうたうことをやめられない理由が、少しわかった。

                 汽車は毎朝、ガヤ駅から出発している。ラカンさんの部屋の壁にはある有名な時計職人の写真が飾ってあった。ダラムシャーラーに居る人だ。ラカンさんは神さまを信じないけど、彼のことを自分の次くらいには認めていたようだ。そんな彼が京都の精華大学に講演に来たのはいつだったっけかな。兎に角、ぼくはインド滞在以来、それまで以上に善や悪を鵜呑みにしないようになった。自分でも気がつかないあいだに自分の正義を振りかざしていることに気がついたときほど、気分が滅入ることはない。偶にやってしまったときは、マジで結構、落ち込んでしまう。ほとんどの人がいう正しさなんてその人の都合でしかないんぢゃねえかと思い込んでしまうのも例外があるから危険だが、その正しさなんてのも自分の都合だってことだけは自分に言い聞かせなきゃならない。ぼくなんか無名の歌手と比べても歌はなってないし、隣の大学生より文学の知識はないけれど、インドの田舎ヤクザに殺されずに楽しむ術なら、少しくらい知っている。


風にのることもなく逢いにゆきます

  丘 光平


 道すがら、
くちうつしで教わった花々は
にごってゆくきのうの空を

散ってゆきます、
糸の切れた約束のように
 声をあげることもなく


 なにと引き換えに
忘れてゆくのでしょう、

ささやかな庭で
生まれる前のおとなしいものたちを
こんなにもよろこんでいるひとを
 なにと引き換えに


 手紙は届きません、
僕の手紙は
いちどきりの白い空を

逢いにゆきます、
翼の折れた五月のように
風にのることもなく
 逢いにゆきます


七月、猫連れ。

  紅魚


そこは悲しみが悲しみのまま降る場所だったので、
あたしはあたしでしかなかったので、
猫を連れてきたのは正解でした。

ぬるすぎる水の底
金魚たちは丸くなって溜息を吐いています。
落としたヨーヨーが割れてしまって
小さな子供が、死んじゃった、と泣いている。
路面に張り付いた極彩色の残骸は
まるで、
轢かれた蛙の腑のようです。
わざと踏み散らして歩いてやった。

右手に齧りかけの林檎飴握り締めて、
あたしもぽとりと泣いてみる。
夢の世界のいきものみたいに
あたし、
優しくなりたかった。

ねぇ、猫、
双子の星ごっこをしよう。
あんたがチュンセ童子、
あたし、は、ポウセ童子。
星の千年があたしを駄目にする前にあたしは是非とも泣き尽くさなくちゃならない。

だからさ、つまり、
あたしには純粋がとてもとても必要だって、
そういうこと。
それだけ。

赤い鳥居はくぐりたくありません、
かざぐるまがカラカラ舞うから不可ません。
鬼さんこちらと狐が笑う、
翳した尻尾の先に赫の華一つ。
触れちゃあ不可ないよ、
指が爛れっちまう。
だってあんたの夢だもの、
とてもとても重いンだよ。
こんこん!

そこは悲しみが悲しみのまま降る場所だったので、
あたしでしかないあたしは酷く頼りなかったので、
猫を連れて来たのは正解でした。

さぁ、
星が出た。
あれがチュンセ童子
ポウセ童子はあっち。
遠くのお囃子は星渡りの銀の笛。

微かな祭りの喧騒が、
耳雨になって降り注ぐ。
ねぇ、猫。
きちゃったね。
こんな所まできちゃったね。
どうしてあんたのまなざしは
そんなに真っ直ぐなんだろう。

林檎飴はもうありません。
優しくなれる筈だったけれど、
林檎飴は、もう、ありません。
隣のあの子ももういません。

こんちきちん。
こんちきちん。
全て七月の出来事です。



***
チュンセ童子、ポウセ童子:宮沢賢治『双子の星』より。


石榴

  ワタナベ

黒い布で顔を覆い隠した女が
まるみをおびた重いはらをかばいながら
前から、後ろから早足で通り過ぎる人々に
おびえるような足取りで市場を歩いている
ときおり女の腰のあたりにぶつかっては
”ベバフシードゥ”とはにかみながら謝って
走り去っていく少年の後姿は
女の顔にぽっかりとあいた二つの穴に入ることなく
(女は知っている、走り去った少年の行く先を、あの笑顔の上に塗られる影のことを)
女は石榴を一つ買い求め
市場をあとにした

夜中、病院の待合室で貧乏ゆすりをしている
どこにでもいるような青年の鼓膜を命の産声がふるわせた
青年はあわてて病室のドアを開け
どこにでもいるような母となった女の腕に抱かれる
どこにでもある希望におそるおそる手を伸ばした
(どこにでもあるということは、なんと素晴らしいことだろう!)
桃色のやわらかなほっぺた
これから迎えるすべての未来をつめこんだかのような
まるいはら
青年の親指ほどしかないちいさなちいさな手を見て
彼は泣いた
あたたかい涙が赤ん坊の額に
ぽつりぽつりとおちて
赤ん坊の体温が
母親の胸につたわって
彼女のこころはぬくもりで満ちたり
その両目から流れる涙にも気づかずにいた

(気づかないことを誰が責められるだろう)

部屋の片隅で
女はおびえるように出産した
伝わってくる確かなぬくもりに
哀しい笑みをうかべながら
今夜もいつものように
遠くからの轟音が机をかすかにゆらし
産まれてきた子のやわらかな背中を
部屋のくらがりが包み
そこに死がへばりついている気がして
女は涙もなく嗚咽する
ゆれる机の上にある石榴が
音もなく落下していった


[ sister(s)/石の視線 ]

  枷仔





[ sister(s)/石の視線 ]





空色

折り紙

川底

汚泥



さぐっていても  鶴 は

なの よ

「「
姉のことが、すきでした。
」」
靴の裏がわ
アスファルト
/コンクリート
(土たちは息苦しさを感じている)
あるいている

そして 鰭〈支えている
Minai de kudasai
わらっている
ひざ
ちきゅうとこおうして
膝の負担はそのまま、地球の負担と同じですもの。外核は滲み出てくる一方ですから、かわかしてください。
ようがんのような
nami,da
(人知れず水に戻っていくということ)
(寄せては
、〈
返してく
。〈 )
すきでした。
姉のことが 、のことが、
「うた
っているのですか、幻

、っているのですか。
幻なのよ
(きらきらうろこ)
〈いえ、まろぼし です
掌をつかって
あたためてはいけない
あるべき  卵」
かたいものも
かたくないものも ありました/
すきっでしったあっねのっこと、っが。
/割られた
ひたい、から溢れる、は、妹

〈染メた
(いったい、
、なに色なのだろう)くちのなかは、)を、優雅におよいでいる)。
つつみこまれた女は
夕日のようだった。
スッデッタ!                           〈oe
ッッガ!                          〈oe
妹の酸素が卵をゆでるので
かたいものも
かたくないものも ありました〈か
「「
・・・・・・
」」
姉の声がきこえる
きこえない (そういうこともありました)。〈か
いいえ、
ちがいます あれは 姉は、kotoba(〈小魚は鳥に食まれることとなっ/地球だったものを飲み下す)
妹のひたいは泥のようになって
そのくちばしを  おおさめください
赤い空気を 吸い込んで  (吐き出して)
うまれ


うまれ

くる
うまれ

くるう
( 石/の)ghost
姉はもうどこにもいな い。
はなすじから唇をわって、なかへ
鉄の味


、 そしてつつかれる
鶴にさぐられる
いやだ。
ぬれるのが嫌いだった姉は、雨の日は折り紙を折るのがすきでした。すきでした。折り鶴がおられました。
よく晴れた日がすきでした。空色の折り紙がすきでした。空色の折り紙で鶴を折るのがすきだった姉の妹の
ひたいは石で、
わられました。
わらいました。
開いたきずぐちは  わらっているようでした。
――――――で・し・た。
「傘をさしても
「傘をさしても
「傘をさしても
「傘をさしても
「傘wos-/                   -a-                 /-nenokotoga,
ふりません
何も
ふりやみません
折りたたんでしまいましたから  空は
しろい羽根を汚し続けている。
(薔薇色ならばいいというものでもない)(<胃液は魚の体液に浸されている)stone(液状記憶)one
イキ(をす)るため〈か
、指から血を流す。
、と



かお

〈Minai de kuda-/                -s-                 /-ukideshita


rainy,rainy

  はるらん

rainy,rainy
工場のパイプラインに流れる雨の
しずくを受けとめるのは紫陽花
ただじっとうつむいて
ヘルメットの下の
あなたの笑顔を思いだして

rainy,rainy
あなたがいま 何処にいたって関係ない
あなたがいま 誰を抱いていたって関係ない
気温40℃の工場の中でただ今日も汗が流れ出す
眼に染みる化学液の匂いと蒸気で
私の心は芯まで ただれそう

rainy,rainy
あなたがいま 何処にいたって関係ない
気温40℃の工場の中でただ今日も汗を流し
陽気な男たちの笑いに囲まれて弁当を食べる
あなたが置き去りにしたこの町でガラス窓の向こう
パイプラインの雨が紫陽花に降り注ぐ

rainy,rainy
雨上がりの空に工場の終わりのサイレン響けば
遠くに架かる淡い虹
汚れた作業着のまま自転車に乗って家に帰ろう
大きな水たまり幾つもハネれば
空っぽの弁当箱がカゴの中で踊る

rainy,rainy
紫陽花の花びらに銀のしずく光って揺れて
明日の天気なんて もう気にしない
rainy,rainy,
うつむくのは もうやめて
遠くに架かる淡い虹


一面に散りしかれた朝がある

  丘 光平

 一面に
散りしかれた朝がある

ともに渡った羽がある、風に撃たれて
 いまでも潤うその傷口が わたしへ静かにことづける


 風に撃たれて、切り絵のように
帆の破れた昔日の群れは 知らないのです、いったい自分が
 なにを運んでいるのかを――


 打ち上げられた砂丘で
睡蓮が 音もなく咲いていました、音もなく
 泣いていました、そして


 摘みとるのです 晩秋の手のひらで、

一面に 
散りしかれた朝がある 赤く流れる歌がある、それが
 あなたでした


ジャンプ イントウ アクアリウム

  軽谷佑子

ジャーンプ、イントウ アクアリウム、
かれはいつもあかるい、
熱はわたしの目をさます。
ジャーンプ、
走っていく向こうの船は、
大きな魚だけでできている、
手をふるといっせいにこちらを向く、
ぎょろりとした目、目、目。

抱きしめてほしくてしかたがない、
わたしの熱はとびあがる。
ジャーンプ、
向こうの船はスクリューをまわす、
したからうえへ、はてないたかみへ、
ジャーンプ、
雨は目のまえ、水槽の底、
アクアリウム、アクアリウム。

ジャーンプ、
じゃけんにあつかうことを知ってる、
かれは邪悪でいつもあかるい、
水槽のエアはきっと切れてる。
ジャーンプ、
船のスクリューはまわりつづける、
ぐしゃぐしゃに濡れてほおにはりつく、
わたしの下の毛、毛、毛。

やがてばたばた落下していく、
小さな魚は一列に並ぶ、
ジャーンプ、イントウ アクアリウム、
もういちどいちどもう一度、
かれはあかるいあとをのこす、
甘くておもたい。
こちらを向いてそのままでいる、
邪悪なかれはいつもあかるい。

文学極道

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