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リンネ - 2013年分

選出作品 (投稿日時順 / 全5作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


朝、寝起きでトイレに入ろうと

  リンネ

朝、寝起きでトイレに入ろうとしたときである。父親が便座に座ったかたちのまま動かなくなっているのを見つけてしまった。両手をそれぞれのひざについて、ややうつむいたまま息もせずに石像になっていた。触ってみるとからだはやはり石のように硬直していて、目玉は真珠のように濁って白い。顔はなぜか満面の笑みに波打ったまま止まっているが、しかしそのせいで逆に気味が悪くなってしまっている。石になるなら石になるで、もうすこしそれらしい顔というものがありそうだが、きっとそんな事を気にする前に瞬間でこの状態に陥ってしまったのだろう。ともかく、このままでは用を足せないし、父親のほうも仕事を欠勤せざるをえないし、うまいこと行く方法はないものかなあ、などとしばらくぼんやりと考えていると、今度は母親がトイレの扉をたたいて、早く済ませて頂戴としきりに後ろで訴えている。母の扉をたたく音がするたび、父がわずかに揺れてそれが便器のセラミックとぶつかり合ってかちゃかちゃと変な音をたてる。もうしょうがないので、こうなったらと、父の股のわずかに開いたところを狙って小便を注ぐことに決めた。



気付いたら動かなくなっていた。最近は夜中に何度も小便をしたくなるのだが、今日も同じように暗い廊下を手探りでたどって、この便器の上に座った。ふっとため息をつく。立ちながらだと飛ばし散らかしてしまって、あとで始末するのが面倒だから、小便だけのときもはじめから座って用をたすことに決めている。息子にもそうするように言っているが、トイレの床がたまに黄ばんでいるのを見つけるので、あいつはたぶんこのルールを守っていない。ともかく、人が石になるだなんてありえない、という人がいたらどうかわたしを見てほしい。まるで体が動かない。しかし動かないくせにこうやって物事を考えることができるのだから、人間とはやはり不思議だ。朝になって息子がトイレに入ってきた。驚いた様子でこちらをじろじろ眺めてくる。しばらく考えるように首を傾げたあと、真面目な顔をして股間を広げた。ほれ見ろ、言わんこっちゃない。立ちながらするから、トイレの床や、便座のふち、しまいにはわたしの太ももと股間にまで、一面に飛び散っている。



トイレを開けてみると、そこには見たこともないような風景が広がっていました。はじめ、わたしはそれが息子と旦那だとは全く気付きませんでした。というよりどうしてあれが人間に見えるでしょう! それは石像でした、けれど人間のかたちをした石像ではありませんでした。もはや生き物としての姿かたちは全くとっておらず、まるでなにか現代美術館にでも置いてあるような変に芸術的なかたちをしていたのです。芸術なんてなんにも知らないわたしですから、それがほんとうに芸術的なものなのかはこれから批評家のかたがたに見てもらえばいいとして、ともかくなんだかよく分からないかたちをしていたといっておきます。それはもしかしたらトーテムポールに似ていたかもしれません。しかしそれはアーチ状に広がってもいました。いや、メビウスの輪のようにねじれて、終わりがまたはじめの所に戻っていくようでもありました。ともかくです、わたしはあんなおかしなもののことを考えるのは金輪際もうけっこうです。家も売り払うことになりました。こうしているうちにも、口まわりの小じわは増えていくばかりですし、これから独り身でどう生活をたてていけばいいかということに、もっぱら頭がいっぱいです。



おそらくこれは人類史上初めて、人間の身体そのものが芸術になった稀有な現象である、そういうふうに言えるのではないでしょうか。逆にいえば、芸術とはそもそも人間そのものに他ならなかった、というとくにエキセントリックでもなんでもない、いたってまともな一つの命題に、われわれはとうとう行きついたのだと言えます。父と息子、この特徴的な組み合わせに、ひとまず精神分析的な態度をとることをあえてわたしは否定いたしません、しかしなによりも今この瞬間われわれが必要とするのは、なぜこのような現象が起きたのか、という意味解釈論的態度などでは決してなく、むしろこの類まれな作品をいかに味わうか、味わうべきか、という実践的で倫理的な問題に対する、まことに真摯な姿勢であるといえましょう。この珍事がトイレという特殊な空間で、いや、じつにささやかな日常の空間で展開されたということに、じつのところ、わたしは感慨を隠しえません。デュシャンが便器を選んだのは必然でした! ゆえにわたしはここで提案いたします。このオブジェを便所空間とともに広く世界中に公開すること! かの住宅を、そのまま美術館として成立させること!


しかもな、梶原がおらんねん

  リンネ

 しかもな、梶原がおらんねん。近くのドトールで待ち合わせて、一緒に行こうぜwっちゅうことで、おれは先に着いて待っとったんやけど、時間になっても全然き―へんから、もし梶原くんはいつ来ますか?ってメールしたったら、わーーーー、風邪ひいちゃったよーーーw なんてかましよって、しかたなく一人で来てんねん。ま、行ったらだれかしら知っている人がおるでしょう、なんて思っとったけど、来てみたら、ははは、誰もおらん。見事に知らない人だらけや。ま、ちょっと到着が早かったし、まだこれから来るでしょ、いや来るにきまっとるでしょ、いやだれか来てうんうんと、ちょうど持ってた数珠絡まして両手合わして念力かましたってたら、はあ、クワバラくんは千ちゃんとむかし仲良くしていましたからね、さぞ悲しいんでしょうね。ご愁傷様です。オーデコロンでぬらぬらした正体不明のおじんが話しかけてきました。オールバックでした。ぬのお、おのれ、なぜわしの名を! と肝冷やしましたけれど、クワバラくん、千ちゃんに最後会ったのいつですか? 千ちゃんの好きなところは? 千ちゃんの武勇伝と言えば? マラソン大会100人抜き? それとも校内大食い選手権三年連続優勝? さあどっち!? などとまるで俺がほんとうに参列者としての権利を所持しているのかどうか、何やら試してるかのようにまくし立てるので、できる限りに神妙な顔つきで、やや肩を落とし俯き加減に、へぇ、ほんま100人ほにょにょう、ご愁傷様ごにょごにょーーーと尻すぼみに言っているうちに、葬儀屋の兄ちゃんが、お寺さんがもうすぐ来ますので、目をつむって静粛にして御着席くださいと始めたので、助かった、襤褸でえへんかった。南無法蓮華経ーーー。なむ。

 ここは千ちゃんの葬儀場です。むろん故人を偲ぶ場所ですから、厳粛に、厳かに、つつがなく執り行われる儀式に対しあらがうことをせず、参列者は日常のざらざらした雑念を取り払い、虚無的に万事流されるまま転じるままに在らねばなりません。南無法蓮華経。せやけどなんや、ほんま千ちゃんって誰やねん、明日千ちゃんの葬儀があるから一緒に行こうw なんて梶原が急にメールよこしよって、おれ、千ちゃん言われても思いつく知り合いなんて一人もおらんかったけど、そやかて千ちゃんってだれやねん、なんてかましたったら、どないなる思うてんねん。まあそれできっと千ちゃんが誰かっちゅうことは分かりましょうが、なんですか、きっとあだ名も忘れてしまうくらい疎遠な人ですから、そりゃちょっと葬儀に行くことはできへんのです。そんな中途半端な感じで故人を送ることは、おれの人間性つーか、信仰心つーか、そういう熱くてコアな部分が断じて許さないし。でも、千ちゃん誰やなんてゆうて、お前千ちゃんのこと忘れちゃったのかよ、まじ人間性疑うはw なんてことになったら、ちょっとやっぱりなんとなくさげさげで後ろめたい気分になるし、いや、普通に何とも言わずに用事があるんやなんや言って、するっと断ればええんやけど、そしたらまあ、了解w なんてふうに話が済むんでしょうけども、あいつまじ人間性疑うはw などとあとで友人のあいだで要らない風評流されるのも嫌でしたので、こうして誰かも知らない人間の葬儀に参加しているというわけです。たたられるでほんま。ややわ。怖いわあ。南無法蓮華経なむ。なむなむ。

 あかん、だめや、やっぱりだめや、ぬるぬるやおれは。見ず知らずの人間の葬儀に半端な気持ちで、なんや、ごめんなあ千ちゃん。誰か知らんけど、まじごめんよお。南無法蓮華ーーー経。南無法蓮華ーーー経。それにしても、南無法蓮華ーーー経、みんななんで揃いも揃ってそんなにぬるぬるしていらっしゃるのですか? すみません参列者のみなさん、ねえおいこら。あい、そこの兄ちゃん、葬儀中にくるくる髪の毛いじり過ぎですわ、女かあほ、ほんとに送る気ありますかあほ、南無法蓮華ーーー経、それとそこの端っこ一帯のおばはん淑女の方々、今更化粧直しても土台知れてるっつーか、いまあなたたちは葬祭の儀式に参加しているのですよ? 真っ最中っすよ? そこ自覚してます? なんですかその体たらくは、え? お寺さんに見えないから大丈夫だって? ふざけるんじゃありませんよ。ふざけるな。千ちゃんは見てるよー。千ちゃんはあんたたちの行いを何もかもお見通しだよー。やばいよー。このままじゃ、千ちゃんの魂うまく昇天できないかもなあ。うんそれってやばくない? なんかあれでしょ、そういった場合のプロセスとして、おれ全然詳しくないけど、地縛霊的なあれになっちゃうわけでしょ、けっきょく。あ、おいガキども、DSは今やってはいけませんよ。今は静かに千ちゃんの御魂を送ってあげましょうね。ほらほら南無法蓮華ーーー経! あにい? もう少しでラスボス倒せそうだから暫し待たれよ? いけませんねー、最近のお子さんはしつけがぜんぜん足りませんねえ、おらおら南無法蓮華ーーー経! 南無法蓮華ーーー経! 

 ぜはぜは、もうあかん、声もようでえへんわ。それにしても悲しいなあ、千ちゃん誰か知らんけど、いやこの葬儀はあかんて、まるで実の入ってないなよなよのインゲン豆のごとく形式的じゃないですか。もうあんまり千ちゃんが不憫なんで、おれ涙ちょちょ切れてきましたわ。おいんおいん。おいんおいん。おいんおいん。ん、なんですか? 泣いたらいけないですって? うっさい、故人をしのんで泣いて何が悪いんですか。わたしゃ存分に気の向くまま泣かせてもらいますよ。おいんおいん。おいんおいん。おいんおいん。え? クワバラくん、クワバラくんて、みんななんでおれの名前知ってんすか? どうして、そんなみんなおれを慰めてくれるんスか? それでよけい悲しくなってまうだけですやん。おいんおいん。おいんおいん。おいんおいん。おい、おまえら、やめてほほほ、くすぐったいちゅうに、いや胴上げはだめでしょう。あ、うわなに胴上げちゃってるんすかみんなまじで。お寺さん怒りますよて、ええお寺さんまで何しとんの、そんなお経もあげんで、万歳万歳、クワバラクワバラって。ああ千ちゃん。ああ千ちゃん。悲しいなあ。えらい悲しいなあ。達者でなあ。南無法蓮華経。こんなぬるぬるのおれを許したってやあ。でもでも千ちゃんのことほんまなんか他人とは思えんのです。ここにきて心底そう思うのです。生きてるときに会いたかったなあ。千ちゃん。ほんま誰やねんおいん。南無。南無。南無。


「お客様、お客様

  リンネ

「お客様、お客様、本日は当館にご来場ありがとうございました。映画の上映が終わりましたので、速やかにご退場ください」とアルバイト係員の近藤明美が三度丁寧にアナウンスするが、それでも座席でぐったりしたまま動じず、いっかな退席する気配の見せないケンタに対し、加えて三度「お客様、お客様、本日は当館にご来場ありがとうございました。映画の上映が終わりましたので、速やかにご退場ください」とこれもばか丁寧にアナウンスを繰り返すが、ここにいたってもやはりケンタは鑑賞シートに深く座したまま動じないといった体たらくゆえ、同僚の間でもっぱら生き仏であるという定評をもらい常日頃愉悦することしきりの近藤明美もとうとうこれには業を煮やし、しかし業務中であるのでむやみやたらに声を荒げることもままならず、それでも内面に押さえつけられた憤怒のために声はいきおい大声となり、「おきゃくさまあ……おきゃくさまあ……あ! ……ほんじつわあ……はやくう…あ! はやくたい、たいじょうしてえ……はいい!」と仏顔を化粧崩れの如くに崩しながらにじりにじりと場内の隅に座するケンタのほうへに詰め寄るが、暗がりでケンタが泡を吹いて悶絶しているのを見てとるや否や「ぎやーっ」と反転し、そのまま素っ頓狂な声をあげて思わず後方伸身宙返り二回ひねり後方屈身宙返りしてしまうなどの狂態を演じたのち退場口をくにらくにらして駆け抜けていく、と数秒後、すぐに事情を聞いた訳知り顔の年輩の係員岸田一信がAEDを抱えながら場内にそそくさと駆け込んできたかと思うと、「患者は……患者はどこだ!」とバリトン気味の声音でとりあえず絶叫し、席でぐったりしているケンタを発見すると駆け寄ってまた、「ぉおれが、おれがきみを救う!」ととりあえず絶叫した。岸田はケンタの着ていたネルシャツのボタンを一つ一つ慇懃に取り外すと、さらにわけのわからないふにゃふにゃしたマカロニ文字の書かれたTシャツを、持参した布切りバサミで慎重に切り開いたのち、装置の電極をはだけた胸部の適当な場所に貼り付けてみるが、この岸田という奴、要領を得ぬといった顔でなかなか装置を起動できず、おもむろに両の手に拳固を握りしめたかと思えばぐわんと天井を見上げ悔恨に塗れた体で、「……くそこれまでか、おれには、ぐ、おれにはこの男を……救うことが、でき、なかった……まこ、もこ、まことに無添加、いや無念、極まり、ない……ゆ許せ、許せ、青年よお、青年ようおおおおお……」などと大仰に非劇を演出している手前、AEDは勝手に起動しケンタの体内に電流を注ぐと、ケンタはむくりと覚醒、嗚咽号泣しながら「救急車、救急車」と叫ぶ、が、喉が裂けたような感覚があってけっきょく叫べず、代わりになぜか「スープパスタスープパスタ」「色即是空パスタ」あるいは「君の瞳にパスタ」などという意味のないようなことばをわめき散らし、そのまま数人の係員の制止する声を戦場へ向かう兵士らを鼓舞する類の声援のごとくに気持ち良く受け止め意気揚々と映画館を後にし、それでもいまだ半分意識を失ったままであったゆえ、やはりわけもわからずむやみに映画館近くのハンバーガーショップへ勇み顔で立ち入り、なぜかチーズバーガーのピクルス抜きと頼むところをバンズ抜きと言い間違え、店員は「チーズバーガー、バンズ抜きですね、二百五十円になります」と快活な笑顔で朗らかに答え「あ、すいません、追加でミートも抜いてもらって、コカ・コーラの、ええとコーラ抜きもお願いします!」とケンタが白目をむいて威勢よくのたまえば「かしこまりました。そうすると合計で三百五十円になります!」とやはり快活な笑顔で朗らかに返ずるのであった、であった、であった、などと悠長に三度云っているような暇もやはりなくそのままはやる足で近くの公園まで無心に彷徨、人妻婦人たちが日ごろのうっぷんを晴らすべく愚にもつかぬ世間話などを激烈な勢いでべちゃくりあうのをしかしよく耳をすましてみると、もはや彼女らの会話は内実を失った何やら会話っぽい発話のやり合いに過ぎないものへと変じており「あらそうなの田城さんの旦那さんもええほんとお? そうなのよまあまあそういう加藤さんのとこの旦那さんもほんとそんな感じじゃありませんの? そうよねえ分かる分かる。ほんと勘弁してほしいわよねえ。わたしたちだって羽伸ばしたいわあ。そうよねえ分かる分かる。でもあれじゃあない? あれ? え? あれ? ……あ! え? あれ。あれそうよねえ分かる分かる、え? うんうん、ほんと勘弁してほしいわよねえあれ。分かるわたしもほんとそう思うすごく思うわあって、おほほ。やっぱりあれよねえ、わたしたちって、分かるわよねやっぱり気が合うのよねえ分かるほんと、わたしも分かるほんと、ほんとそう思う分かるわあなんでこんな分かるのかしらほんとそう思う分かるわあ」などと表層的上っ面のレベルにおける意味のない相互理解を認証し合って愉悦することしきりであるのをベンチに腰掛け耳に受け流しながら、砂場におびただしく溢れかえる体長三四尺ほどの童女らの蟻のごとく賑やかで無邪気な戯れをぼんやりと平均的に眺めるなどしていると、うわこれはもしや食物神オオゲツヒメノカミのお告げかなあなどと感得せずにはいられぬほどあまりにも唐突に無性に腹が減った感覚に襲われたかと思えばそのまま空腹的欲望は階乗的スピードで絶頂にまで到達、あわてて先ほど購ってきた紙袋を開き、何やら楽しげなピエロのマークのついたべらべらの包装を取り除いた途端、そこに本来あるはずのバンズが存在しなかったのゆえ、むろんミートも存在しなかったのゆえ、チーズとタレとレタスなどのくにょくにょどもが押さえを失って無残に膝元にぶち撒かれるという状況に至って、ようやくケンタははっきりと意識を取り戻しおもむろに天空を仰いだ。
 快晴、快晴、まさしく快晴!


どこからか伸びてくるタイル地の街路を

  リンネ

どこからか伸びてくるタイル地の街路を、何だか人間のようなそうでないようなぼんやりと膨らんだ白い影が滔々と波打ちながらひとしきり流れていて、コンビニの前や、道端に缶ジュースを吐き出す自販機の前など、方方で渦を巻いているのが見える。牛のように巨大なショッピングセンターの壁面には、映画館の宣伝モニターが上映中の数編の映画の予告を眩しく映し続けている。どれもモザイクが全面にかかっていて、愛想笑いをする人間の顔のように思われる。ぼうとした明かりに照らされてわたしの顔が、青白く滲んだり、鬼面のように赤黒く溢血するなどしたかと思えば、茄子のごとく紫に膨らんでみたりする。もともとの顔がどうであったか、こうなってしまってはまるっきり判然としない。

「いつだったか、ときおりきみはそういう何もないような顔つきをしてみんなを怖がらせたことがあったよねえ」と背後の人ごみの方から油のように染み出す妙な声があって、はっとして首をくるりと背後に回してみると、死んだと思っていたK太郎が、狐のような人嫌いのする目すじのきつい顔をしてこちらを覗いている。「あれえ、てっきりきみは……」とまで云って顎が外れた人形のようにわたしの口が呆けてしまった。K太郎の目は黒目がなく、真っ白で、視線らしきものが生まれないので昆虫じみて不思議である。私の顎が他人のもののように、誰かに自動操縦されているかのように「卵を詰め込んだみたいな目をしやがって」と勝手にぱくぱくと痙攣し出してわたしは面喰ってしまった。しまいにはねじまき式の兵隊のように無表情でK太郎の方へ向かって行進していく。

何もかも活動写真じみたようになってわたしは不安になってきた。と同時になんだかどうでもよいような開けた気分も湧いてくる。近くでみるとK太郎の顔は中学生の時の幼い眼鼻つきをしていて、しかし目玉はぐりぐりと尋常じゃない動きをしている。それでいて肌は女性のように柔らかいらしく、妙にふわふわとした雰囲気でほほ笑んでいる。わたしと同じでもう三十近いはずであるのに。懐かしがってしげしげと眺めていると、向こうは昨日会ったばかりだと云うように当たり前な顔でにやにやしてくる。中指と薬指を絡ませては解く、と云う運動をしきりに続けているのが見える。K太郎は狂っているようでもあった。人臭い風が通りに吹き走り出してきて、腹を壊したような、電車の転がるような雷の音が空を伝わってくる。稲光は見えない。

突然、K太郎が膝を崩して、けけけ、と声を引き攣らせた。昔から笑い出したら止まらない奴であったなあ、と懐かしみが心底から浮かんでくる。こんな様子なのでよく聞こえなかったが、笑い声の隙間に「M太郎も来る」というようなことを云っているようであった。するとわたしのすぐ隣に、引き延ばされた餅のようにのっぺりゆらりとしたM太郎が突っ立っている。こちらもK太郎と同じく中学校の同級である。伸びきって七尺近くの長さになっていて、わたしを見下ろして、何かもごもご言っているが、よく聞こえない。気づけば、K太郎のほうもびろんと七尺くらいに伸び上がってしまっていて、わたしの頭上を二人の頭部が吊ランプのごとくに揺れている。その楽しげな視線の交錯するところでわたしは妙な表情を湛えている。それはあるいは表情でないかもしれない。輪郭のないゴムボールのような顔であった。

意識がぼんやりととりとめもなくなっていく。周囲の、街のにぎやかな感じは、すっかり忘れ去られてしまったように、わたしの顔の裏側から抜き取られてしまって、代わりに漠然とした虚空が顔面に満ちている。顔が、さらにむくんでしまった。自分の居場所はどうも判然としないが、自分がどうにかしてそこに立っているのは分かった。街路のあったはずのどこか向こうから、今となってはどことも云えないような向こうのほうから、見果てもないほどの煙のような人影たちが茫然と浮かんでこちらに迫ってくる。ふいに「セイヨクハトッテオキナサイヨ」と臆面もなく云う声が上がって、はっとする。小汚い、波型のトタン板のような皺に汗をにじませたお婆さんが、制服姿の中学生男子数名に向かってにこやかに云ったのだ。あっけらかんとして云うので、こちらが面喰って友達と笑いあってしまった。その笑いは身に沁みるような悲しさがあった。煙が四囲からどうしようもなく近寄ってくるにつれて、その悲しみも、段々とぼやけてくるような気がした。
 
K太郎!
M太郎!

その響きは恐ろしかった。


Kは家に帰るまでの道のりを知っていたが

  リンネ

Kは家に帰るまでの道のりを知っていたが、決して家にたどり着かないであろうことを予感した。会社の上司であるA氏によれば、こうしたいわば帰宅不全のような状態は現代人特有の珍しくもない病らしく、実際上司の息子のBくんも修学旅行に云ったきりいつまでも帰宅を続けて一向に帰ってこなくなってしまったという。なんだあ、つまらないねえ、君もけっきょく現代っ子なんだ、とA氏が笑うとゆらゆらと笑いが伝染してしまいには同僚みんなが笑っていた。Kもおかしくてたまらなかった。ともかくKはいつものように自分の部署が担当している新製品の試作品の作製や、解析結果のまとめをひとまず終えると、同期のMさんに先に帰ることを告げ、リノリウムの床を甲虫のようにさかさかと滑り、ロッカー室の扉をぶつかるほどの勢いで開き、紺色の湿った作業着を自分の身体からはぎ取った。気分はむしろ踊るように軽やかであった。そのせいであろうか。先にロッカー室で着替えていた先輩のH氏が丁寧に何度もKに向かってお辞儀をしてくる。Kが気恥ずかしく思って、無理やり先輩の頭を素手で両側から掴むと、お辞儀の姿勢のままぴったり九十度で固まってしまった。これは不味いことをしたなとKは後悔したが、顔は嬉々として傍からは反省しているように見えない。ともかく、ロッカーにしまわなくては。幸い、両親が墓参りにいったきり帰宅不全に陥ったと云う一身上の都合で退職せざるを得なくなった、後輩のOくんのロッカーが今は使われていない。そこへ先輩を隠してしまおうとするが、気が急いて無理に押し込んだので自分の腕と先輩の腕があべこべに絡まってしまい、なかなかうまくいかない。それでも丁寧に腕を解いてしまい終わると、やはりKは満面の笑みを湛えて甲虫のようにさかさかと顔面を床すれすれのところまで下ろしながらロッカー室を出て行った。Kはそれっきり家に帰れなくなった。もちろん道順は知っているし、帰る意思もあった。というより今でも彼は実際に帰ろうとしている。帰宅の途中にある。それでも帰れないのは思想の問題であるとKは考えた。電車のつり広告にはこう記されていた。

 『たとえ道を知っていようとも、私は決してコルドバに着かないであろう』

 Kはもっともだと思った。これこそ世の中の真理であろうと思った。むろんKはコルドバというのがいったいどこにあるのか知らなかったし、この言葉がいったいどのような状況で使われたかなど全く想像もつかなかったが、だからこそ得心がいった。気づけばKはどこぞともしれぬ駅に漂着していた。そこは実にすばらしい駅であった。複数の線路に接続しており、駅周辺には大規模なショッピングモールや高速バスのターミナルがあった。そのもっと外側には高層ビルがつくしのように密生していたし、まさに中枢都市という立派な景観であった。Kは往来の人々のあいだを、つま先立ちで体を細くして逆流していくが、K自身いったい自分がどこへ向かっているのか分からなくなっていた。もちろん帰宅中であり、方向としてそれが自宅へ行く道であると云うことは明確に分かっているのだが、思想として、やはり根本のところがどうしても明確でないのである。いっそ、ハンガーのように肩を張って、地面に根を伸ばしてしまおうか、いや、やはりよしとこうかなどと、首を奇妙に傾げて懊悩していると突然、五歩分ほど離れたところにあるベンチに座っていたおばあさんが、羽を広げて街路樹に向かって飛びつき蝉のごとくわめいた。

 『口から、へその緒を通っていく血を吐いている!』

 Kは突然の眩暈に襲われ、吐き気をもよおした。雷に撃たれたように強張った足取りで来た道を戻り、電車に潜り込んで、会社まで駆けていくと、リノリウムの床をやはり甲虫そっくりに滑りロッカー室に飛び込んだ。
 H先輩の頭部が、ロッカーからはみ出して、こちらを見た。
 後輩Oが背後からKに飛びかかった。
 Kは自分の腕を自分の身体に巻きつけられ、脚は蛇腹のように幾重にも折りたたまれ、『しまった!』と叫んだときにはすでにロッカーの中であった。
 鍵の閉める音に続いて、上司Aの歌う声が響いてきた。
 その声はどこまでも響いていき、Kの頭の中で渦を巻いた。

文学極道

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