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リンネ

選出作品 (投稿日時順 / 全32作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


  リンネ

 目を覚ますと、部屋の中に嗅いだことのある匂いが充満していた。どうやらドアの隙間から流れてきているようで、いつからしていたのかは分からなかった。目が痛くなるような甘い匂いだ。時計を見れば、三時である。きっと妻が菓子でも作り始めたに違いない。私はまだぼんやりとした頭で、妻が何を作っているのかを想像し始めた。
 カシャカシャと小気味よく擦れ合う金属の音が聞こえる。これは小麦粉をタマゴと混ぜて練り上げる音だろうと思う。しばらくすると、まな板をたたく音が聞こえてくる。ミキサーの回転音が響いてきたところで、ほぼ見当がついた。熟したバナナの甘ったるい匂い。妻が作っているのは、どうやらバナナケーキに間違いなさそうだった。
 そう思ったそばから腹が鳴り始めた。どれくらい食べていなかったのだろうか。手元の鏡を見れば私はかなり痩せているようだった。私は伸びをしてベッドから立ち上がり、匂いのするほうへとぼとぼと歩いた。ドアノブがやたらとひんやりしているように感じた。私はゆっくりと部屋を出た。
  
 狭い廊下の突き当たりに、見知らぬ男が立っていた。予期せぬ出来事に無防備な私は、哀れな犬のように後ずさりながら部屋に戻った。震えながらドアを閉じる。
 あいつはだれだ。当然のように疑問に思う。髪は光沢をもって捲し上げられ、男は黒いスーツを着ていた。どこまでも真っ黒のスーツ。その部分だけ空間がそがれたかのように黒かった。しかし、そもそもどうして私はあれが男だと分かったのだろうか。壁のほうに向かってうつむいていたため、顔の様子は分からなかった。それでも、あれは男だろうし、その顔は私よりも整ったものだろうという気もした。あいつはだれだ。
 たとえばあの男は訪問販売員かもしれない。たしかに、あの小奇麗な身のこなしはそういう胡散臭さを感じさせた。しかし、そうだ、なぜあの男は靴を履いていたのだ!人の家に土足ではいる販売員があろうか!いつのまにか男に対する恐怖がどうしようもない怒りに変化しつつあった。ここは私の家ではないか。なぜ私が隠れていなくてはいけないのだ。久しぶりに高揚した鼓動に、半ば新鮮な快感が沸いてくる。
 私は男を怒鳴り散らしてやろうとばかりに、勢い任せでドアを開いた。

 しかし、この家の主人だろうか、向こうの部屋から出てきた男が、顔を歪ませてこちらを睨みつけている。何か言いたいのか、口をもごもごとタコのように滑らかに動かしているが、声がまるで出ていない。真っ赤に高潮した顔を見ていると、こちらまで情けない気持ちになってくる。だが、その男の持つある種の異物感が、この家にフィルターをかけ、家は余計に静かになったような気がした。まるで母親の体中のようにゆっくりとしていて、耳元の血管を流れる血液の音すら聞こえ始めてきた。
 髪の長い女が台所で何かを作っている。尋ねれば、バナナケーキだということだった。甘ったるい匂いが部屋に充満している。家は完全に閉め切られているようだった。もしかすると、匂いをできるだけ満喫しようという意図でもあるのかもしれない。あるいは家に入ったものを逃さないためか。
 いつの間にか日は落ちかかって、西日が部屋に差し込んでいた。
 気がつけば、女の顔に生えた産毛が日の光を受けてきらきらと光っている。女の視線は落ち着きなく私の足元を見ていた。下を見ると、私は靴を履いたまま上がりこんでいるらしかった。申し訳ない気がし、すぐに脱いで謝った。女は非難する様子をまるで見せず、いいんですよと私を許し、バナナケーキを勧めてきた。
 どうして私はここにいるのだろうか。何かを売りにきたのだろうか。きっとそうだろうと思う。しかし、ここは居心地がいいし、女も私を拒む様子はない。もう少しここにいてもいいだろう。私は誘われるがままダイニングの椅子に座り、女の作ったケーキを食べ始めた。バナナケーキは皿の上で山のように積まれている。
 背後では先の男が、今度は全身をタコのように躍らせて何かをしきりに訴えている。


●●●●の回帰

  リンネ

 ようやく着いたかと安心していたが、よくよく見れば全く別の場所にいるようなのである。四階建ての白い建物が横一列に四棟並んでいる、というところは同じなのだが、果たしてこんなにツヤのある壁だっただろうか。屋根の色もなんとなく鮮やか過ぎて、印象派画家の描いた絵をそのまま立体化したような見た目である。
 どうもオカシイ。よく知っている気もするし、まるで見覚えがない気もする。キツネに抓まれるというのはこういう気分なのだろうか。たしかに同じ団地内であることは確かなようだが、もう一度辺りを見回してみても、どうにも違和感を感じる。あんな公園はあったろうか。小さな子が砂場で立っているが、あれは見覚えのない子だ。
 だが、その子の着ていた黄色いTシャツが妙に気になる。しばらく心なしに見つめていると、次第にTシャツの輪郭がぼぉっと崩れていく。やがて蛍の光のようにぼんやりと千切れ、夕暮れの薄暗い空気へ染み込んで消えてしまった。……どうも、少し眩暈がする。
 ともかく、ここが私の知る場所であるなら、左から二番目の棟の三階が私の家なはずだった。
 
 『●●●●』
 いや、確かに私の家である。なんとなく表札の名前が他人のもののようにも感じるが、●●●●は私の名前のはずだ。ほっとして家に入ろうとドアを回すが、鍵が閉まっていた。(カギハドコダッケナ) 両手でジーンズのポケットをまさぐるが、何も入っていない。尻側のポケットにもなかった。カバンを開いてしばらく探すと、暗い底の方に落ちていたカギを見つけた。
 しかし、開かなかった。どうやらカギが違うようだ。ということはつまり、ここは私の家ではないのだろうか。だが表札には私の名前がある。ますます様子がおかしい。何度も言うが、キツネに抓まれたような気分である。私はわけが分からず、その場でぼんやりとドアを眺めていた。
 (ドコカラドコヘカエルノカ?)思えば最近、私は帰宅することに強烈な嫌悪感を感じていたように思う。私は、何度となく家に帰る。こうして、どこからきたのかもわからず、ただ家に帰るだけの、なんとも矛盾した行動。痙攣のように繰り返される運動。振動。帰宅する、私は帰宅する。その脊髄反射。(ダカラワタシハ、キタクシナイヨウニ、キタクスルノダ。)

 「こんにちは」
上の階から誰かが降りてきた。「こんにちは」と私は奇妙に腰をかがめて会釈をする。
 「どうなさったんですか?」
私のことを知っているような口の利き方だった。「いや、どうにもないのです」と私は答える。
 「はあ」
といってその人は下の階に下りていく。嗅いだことのある香水の匂いがした。

 私はあの人に聞くべきだろうか。ここはXX町4丁目ですか。私の名は●●●●ですか。あなたは私を知っていますか。このカギはこの家のカギですか。あなたの名前はMさんでしたよね。ええ、おっしゃるとおり私は●●●●です。あの公園にいる子は私の子ですか、それともあなたの子でしたっけ。あなたはどこから来たのですか。え、上から?(ジャア、ワタシハドコカラ?)

 「すいません」
先の人が戻ってきた。
 「私が帰るまでこの子を預かっていてくれませんか」
公園にいた子である。そうだった、この子はMさんの子供だった。「ええ、もちろん」私は笑いながら答える。
 子供を残して、その人はまた階段を下りていった。

 どうやら、はっきりとしてきた。あの人はやはり上の階のMさんで、この子はMさんの子供だ。たしか今年で四歳になるはずだった。いつも黄色いTシャツを着ているので、黄色を見ると必ずその子の顔が浮かんでしまう。そして、やはり私の名前は●●●●なのである。記憶は連想によって甦ってくる。さっきまで感じていた朦朧感が、蒸発するようにじわりと消えていく。おもむろにカギを挿して回してみると、今度は当たり前のように開いた。私は次第にはっきりとしていく意識で玄関に入った。黄色いTシャツが駆け足で家に入っていく。ふと、私は壁に掛かった絵画に目をやる。
 意識ははっきりとしている。記憶は連想によって甦ってくる。しかし、この絵は私の記憶に何も訴えかけてこない。だが無理もなかった、それはフレームだけの絵だったのだ。フレームがあるからそこに絵がある、というわけではないのである。
 「こっち、きて」家の奥で黄色いTシャツの子供が柔らかく手招いていた。私は招かれるまま、一歩一歩とその子の方へ近づきながら、今後自分にはもう何一つ蘇る記憶がないのではないかと、妙な気分に浸りつつあった。それはしかし、思いのほか不安ではなかった。


ナルシス・ナルシス・

  リンネ

 さて、どうやら人々はひどく急いでいるようである。こんな瓶の中でいったい何を急ぐ必要があるのだろうか。誰も立ち止まる気配を見せない。ともかく、誰もがせかせかと動き回っているので、なんとなく活気のある風景ではある。――それにしても、瓶の中に人が住んでいるなんて! 
 Nは、そのことに驚くというより、どことなく不安だった。しかし、途方に暮れる思いに陥りながらも、彼はその不可思議な瓶の観察を続けている。
 なるほど、いくら瓶の中とはいえ、これだけのスペースがあれば何らかの動きは取れそうである。誰かがこうするというとき、どこかにこうしないという人が現れる。このとき一方の人の動きに隠れてしまう人ができるが、こうして生まれた陰影がこの瓶独特の世界観を作り出すようだった。瓶の内部では、様々な人物が交錯して現われ、一時一時に見え方が変わっていく。それはまるで万華鏡のような具合である。
 しかし、どうも変な気持ちだった。Nはいつのまにか、瓶の住民の存在が妙に鼻についてきていたのである。異世界とでもいえるような場所で生活する彼らに対して、こちらから一方的な嫌悪感を抱くというのは、なんともおかしな話ではないか。そんな理不尽なNは、きっとどうしようもなく愚かな奴なのだろう。だが、そうやって自分の内面の醜さを確信しつつも、彼はやはりその瓶の観察を続けるのであった。
 ガラスの表面に映り込む、Nの間延びした顔の向こうで、住民はせっせと動き回っている。まるで、泳いでいないと死んでしまうカツオのようである。瓶を軽く振ってやると、底に溜まっていた埃のような粉が舞い上がった。瓶の中では人々が無関心にそれを見上げている。住民たちの活動の一切が止まり、それに沈黙が続いた。
 立ち止まる人々の中に、見覚えのある女がいた。若々しく、蟻のような光沢のある黒髪が、背筋の半分くらいまで伸びていた。それがどことなくエロチックである。肌が白いのだが、それは美しいというよりも、むしろ頼りなさげで、色素のない白という感じだった。Nは、その女の顔がよく見えるようにと、引き出しから虫眼鏡を取り出して瓶に顔を近づけた――が、やや手間取ったせいか、すでに人々は元のようにせかせかと動き始めていた。あの女はどこにも見当たらなかった。瓶のふたを開ければ、匂いだけでも微かに残っているのではないかと思ったが、別の女のものかもしれないことを考え、それはやめた。
 Nは気を沈ませた。自分の愚鈍さに眩暈がする。どうも今日は悲観的になりすぎるようだった。たかが瓶の中の人物ごときに、なぜこうも――Nは久しぶりに外の空気が吸いたかった。そして、まるで水中を浮上する泡のように無自覚な足取りではあったが、しばらくしてようやく彼はその部屋を抜け出したのである。

 昨晩降った雪で、外の景色は青白くなっていた。雪はまだぱらぱらと降っており、道行く人はみんな傘を広げている。道路ではチェーンを巻いた車が、何かを潰す音を残して走っていた。途中、今日は自動車があまりに無関心に走っているではないか、などという変な感傷に襲われた。雪景色で町がひと際静まり返っていたせいだろうか、あの車のうちのどれかには、よもや一台くらい無人で走っているものもあるのではないか、とまで訝る始末である。Nは、どこにも行く予定などないのに、ひどく焦った歩調で通りから通りを抜けている。次第に見覚えのなくなっていく町並みに快感を覚え、Nの足取りは溺れるように速まっていく。町はのっぺらぼうのように表情を失い、Nはただ夢中になってその中を歩いている。道を。道を? 町が見えない。
 いつのまにかNは帰宅している。なにやらテーブルに置かれた瓶を掴んで、それをまっすぐ上に放り投げた。もう何も考えることがなかった。後のことは何も知らない。何かの割れる音がする。それが女の叫び声に聞こえる。なぜか、おお、それはNの声にも似ている。
 そのことに気が付く私とは、なかなか冷静な奴である。
 部屋は再び沈黙している。


私たちの食卓

  リンネ

 朝、日差しが差し込んで、私は目覚めました。いつもと同じように、なかば夢見心地でトイレへ向かうと、ドアの隙間から明かりが漏れています。私は一人暮らしでしたので、これはおかしいと思いました。ためしにノックをしてみると、カンカン!と、金属をたたくような音が返ってきます。仕方がないので少し待っていると、やがてトイレを流す音が聞こえて、中から誰かが出てきました。 
 驚くことに、それは私でした。といっても私はここにいるので、正確に言えば、私そっくりの誰かです。胸があわ立つような気分がしました。何か言うべきだったのですが、そいつは影のようにするりとリビングのほうへ過ぎ去ってしまいました。仕方がないので、私もまずトイレで用を済ませることにしました。 
 一度トイレに入ると、じわじわと不安な気分が沸いてくるようでした。あいつはいったい誰なんだろう、あまり自分にそっくりなので、私は私であることの自信をなくしてしまいました。強烈な吐き気が咽喉にのぼって、私は慌てて便座に屈み込みます。溜まった水に映る顔を見て、私は思わず息を飲みました。
 私は、私ではありませんでした。見知らぬ女の顔が、ぼおっと水面に揺れています。はっとして、(私は男なのですが)股間に手を当ててみると、本来あるはずのものが確認できません。そういえば、胸が異様に膨らんでいます。肌はきめ細かくなって、まるでプラスチックのようです。何かとんでもないことが起きている、そんな予感がしました。ですが、それもあまりに突然のことだったので、私は動揺さえすっかり通り越して、妙な確信へたどり着いてしまいました。つまり、私はもともとこの女だったのだと、そんな風に感じたのです。

 トイレを出ると、真っ先にあの男のいる方へ向かいました。男はダイニングテーブルに座って、手の関節に何かを塗っています。差込む朝日がその男に反射してよく見えません。肌が妙にギラギラと光っています。もちろん、人間の皮膚はあんなに光を反射しないはずです。近寄って見ると、どうやら男の肌は金属のように光沢をもった特殊なものでした。

 「おい、K子。」男が言いました。
 「何?」私は思わず答えました。(もちろん私の名はK子ではないのです。)
 「そろそろ子供も生まれるんだし、安静にしてるんだぞ。」

 たったいま気付いたのですが、私は妊娠しているようなのです。お腹が急にずっしりと重たく感じました。まるで鉛を詰められたような気分です。お腹の子も、もしかしたら金属製なのかもしれません。 
 私はいつものように台所へ戻り、ゆっくりと朝食の支度に取り掛かりました。お腹の中では赤ん坊が、空腹を訴えて泣きはじめたようです。このいささか不自然な世界に、私はめまいがしてきました。どよりとバランスを崩して反り返ると、男が私を素早く抱きとめました。男の磨かれた顔が私を覗いています。その顔に私の顔が映りこんでいました。私は紛れもなく、K子でした。
 とすればどうやら、泣いている赤ん坊が、もしかすると本当の私かもしれない。そうだとしても、それにだれが気がつくでしょうか? 私はまだ生まれてもいないのです。
 けれどそれがかえって、私を安心させたのかもしれません。私は穏やかに泣き止んで、眠りが一瞬のうちに、あたりを包みこんでいます。
 どこからともなく、家族の団欒が聞こえてきて、私はゆっくりと夢を見はじめていました。


正午

  リンネ

 そこには、証明写真の撮影機が立っていた。ボックス型のよく見かける何の変哲もないものだ。奇妙なのは、それが設置されている場所である。なぜ公園の真ん中に置いてあるのか。

 私は昼食にいつもここを利用している。だいぶ早めに来ているので、自分の他にはまだ誰もいない。公園には一面、白い砂が敷かれていて、そのせいで日の光が強烈に反射している。だからだろうか、ここにいると、妙な陶酔感を味わう。きっと、足元から照らされて、その浮力をなんとなく感じ取っているからだろう。ただ、理由などたいした問題ではない、ともかく、それは心地よいのだ。
 その撮影機は円形の公園の、ちょうど中央に設置されていた。明らかに周囲の景色から浮いていて、見ているとなんだか居心地が悪い。なるべく気にしないようにしながら、隅にあるベンチに座ってそそくさと昼食をとり始めた。

 いつからか、思い出せないが、私は夢を見ている。窓のない窮屈な廊下。その先は暗闇に消えている。歩き続けていると、向こうからろうそくの炎が近づく。危なげで、消えてしまいそうな明かり。人だ。宙吊りになっている。ろうそくはその人に握られている。私に気がつくと、わざとらしくほほえんだ。だから私も笑おうとする。が、顔が引きつって、できない、その人は左右に揺れはじめる、ろうそくの明かりが半円を描く、私もゆらゆらと、静かに動き始める。
 さかさまの人と踊るのは初めてだ。お互い上下があべこべで、思うようにいかない。強引に相手を引っ張りまわす。すると顔が擦れ合い、とたん、いきおいよく炎が爆ぜた。まるでマッチだ、燃えながら、左右に揺れあう、そしてさかさまの愛撫。
 いきなり、私は落下した。いや、そうではなくて、相手が浮き上がっていく、気づけば天井が消えている、みるみるうちに遠のきながら、その人が何かを叫ぶ、それはほとんど聞こえない、オモイダシテ、と言ったような気がした、だが、私にはどうしようもなかった。

 はっと目を開くと、視界に光が溢れる。突き刺さるような目まいがし、視神経が耐え切れずスパークした、次の瞬間、私は、一枚の証明写真の中にいた。

 向こうに、ベンチが見える。男が力なくうつむいているが、眠っているのかもしれない。私は写真取り出し口の中で、これからのことを考えた。まさか、このまま写真の中にいるわけにもいかないのだ。しかし、どうやら写真には出口もなさそうだし、現状なす術なしというところである。そしてなぜか、頼れるのはあの男ぐらいしかいない、ということが分かっていた。幸い、かれは私に気がついたようだ。弁当を持ちながら、じっとこちらのほうを見つめている。おかしな話だが、かれとここで待ち合わせをしていたような気もする。  
 だが、一方でやはり私は不安である。どうしてもオモイダセないのだ、夢の中で踊った相手は「他人」だったか、それとも「私」だったか、もしそれが他人ならば、私はこう結論する、ベンチにいるあの男こそが現実の私であり、ここにいる私は単なる証明写真に過ぎないと、しかし、もしも踊った相手が私自身だったならば―――さかさまだったのは、どちらの私だろうか?

 私は、その薄っぺらな証明写真を手に取り、覗き込んだ。やにわに写真はするりと手から滑り出し、地面に落ちる間際、吹き消されたように無くなってしまった、思わず落ちたはずの場所を触ってみたが、砂が眩しくて、よく見えない、公園には一面、白い砂が敷かれていて、そのせいで日の光が強烈に反射している、ここにいると、妙な陶酔感を味わう、きっと、足元から照らされて、その浮力をなんとなく感じ取っているからだろう、……まだ、夢は続いているのだろうか。
 正午を過ぎ、公園には、ぞくぞくと人が集まってくる。
 私は気づかれないようにそっと、カーテンをあけ、撮影機の中に入った。


ある徘徊譚

  リンネ

少し遅れているが、それはいつものことである。待ち合わせのレストランまで、バスに乗っている。乗客はすでにほとんど降りてしまった。もうそろそろだろうと思い、手元のブザーに触れると、無数の赤いランプがまったく同時に点灯した。おやッ、なんとなく外を見てみるが、まるで見覚えがない景色である。…レストランはもう通り過ぎてしまったのだろうか。これではますます約束の時間に間に合わない。憂鬱な気分に浸りながら、バスが停止するのを待っていると、運転手がいつのまにか隣に座っていて、

「ぎりぎり、間に合うか?」
「そう、そうかもしれません」
「どこへ行くんだ?」
「もうじき、ですね」

停留所に降りると、あらゆる方向に森が広がっており、途方に暮れてしまった。バス停のポールがくるくると回転していて、何が書いてあるのかまったくわからない。仕方がないので、しばらく木々の隙間を抜けて歩いて行くと、とつぜん視界がひらけて、神社とバスターミナルが現れた。神社はとても長い階段の上にある。どうもそれを登る気にはならなかったので、自分はバスターミナルのほうへ向かった。制服を着た人が二三人いたが、どうしてだろうか、そばに行くと、わッ、と言って近くに掘られた洞窟の中に逃げていってしまった。自分が避けられているのかと思い、しかしその理由がまったくわからず、しばらく一歩も動けないままでいた。友人のAから電話がかかってきたのは、ちょうどそのときである。

「ああ、ちょっと間に合いそうにないよ」
「それは残念だね」
「ほんとうに?」
「ここはどこだろう」
「わからない、もしかしたら、間違えたのかもしれない」
「バスをかい? 残念だね」

話しながら歩いていたら、いつのまにか大きな駅の前にきている。近くにとても大きな路線図の看板が掲示されていて、とりあえず自分が今どこにいるのかを確認してみる。東京だということはわかるが、位置がはっきりしない。どこに書いてあるのだろうか、駅名が見つからないのである。何度も線路を目で追っていくが、何回目かで、そもそもこの駅の名前がわからないということに気がついて驚いた。しかし、友人のAはすでにここがどこかわかっているようで、

「一時間半くらいはかかるな」
「遠いね」
「バスでいけばいい」
「四十分はかかるよ」
「ほんとうに?」
「わからない、ここはどこだろう」
「やっぱり、ちょっと間に合いそうにないよ」

駅の中にはショッピングセンターがあって、服や惣菜やテレビゲームなどの店舗が並んでいる。運よく本屋もあったので、いい地図がないか探してみることにした。手当たりしだいの地図を広げて品定めをしていたら、このあたりの地形が詳細に描かれたものを見つけた。自分は驚くほど嬉々としてそれをつかみ、レジのあるほうへ向かっていく。しかし友人のAはもはやレストランに行くことも忘れて、エスカレーターを登っているので、それがとても頭にくる。もしやッ、と思い、地図を開き、しらみつぶしに探してみると、この駅の中にX…というレストランがあった。それが待ち合わせ場所だという確信はないが、自分は、すでにエスカレーターに乗って上の階へ移動している。どこからか、店内放送が流れているが、よく聞いてみると、それは友人のAの声であった。

「不思議なものだね」
「とても、とても」
「というのもつまり」
「つまり?」
「もうじき、だ」
「ほんとうに?」
「わからない、もしかしたら」
「そのとおりだ」
「夢を見ているのかもしれない」

自分はいよいよレストランへ入って行くが、ほんとうは、もう約束など忘れてしまっている。心のどこかでは、また遠く、あてどもない移動をくりかえす予感が生まれようとしており、だが、そのことに気がつくのは、とうぜん少し遅れてのことである。現に自分は、もうレストランをあとにして、友人のAを追いかけはじめている。しかし、それはまた、いつものことだろう。プラットフォームに電車が到着し、ぎりぎりで駆け込むと、さて、自分はふたたび抑えがたい絶望に襲われているのだ。つまり? これは決して夢ではないのだと、その身をもって実感している、そんな様子なのであった。車内にはたくさんの人が乗り込んできており、友人のAは、それに紛れていつのまにかどこかへ消えてしまった。不思議と静かな車内である。


林檎のある浴室

  リンネ

 自宅の風呂である。いつから浸かっているのか、まるで思い出せない。ひだ状に醜くふやけた指を見れば、どうやら相当の間ここにいたということが分かるが、それにもかかわらず、私は、一向に風呂から出ようという気持ちにならずにいる。
 そしてそれはどうも、すぐ目の前にいる女のせいであるということが分かっていた。向かい合わせに浴中で座っているが、まったく黙りこくっている。何かに怒っているのだろうか。どうしてこのような状況にあるのか分からないが、石鹸の香りに混じって、女の体臭がかすかに感じられ、それが私をこの場に引き止めているようである。

 浴室はしだいにふんふんと湯気に溢れている。その様子がどうもおかしい。両手で必死に扇いでみるが、厚い霧に阻まれて、少しずつ女の顔が見えなくなっていく。そのまま、すぐに目の前がまっしろになってしまった。
 湯気は不思議なことに、鎖骨から上だけを覆っているのだが、むしろ自分はそのことで不安である。私は、さっきまで見ていたはずの女の顔が、すっかり思い出せなくなっていたのだ。浮かんでくるのはまずどうでもよい人の顔ばかりで、思い出そうとするほど、女の顔がそれらに埋もれていく、という、妙な状態になってしまった。

 ふいに、誰かのすすり泣くような声が聞こえ、私はどきりとして耳をすませた。どうやら、その泣き声は、湯船の中から聞こえてくるようである。
 水面の一点をしばらく眺めていると、突然そこから、林檎が一つぬっくりと浮かんできた。これはいったい、どういうことだろう!
 私は手を伸ばし、その林檎に触れようとするが、奇妙なことに、水面に立った波にのって、林檎が自分の手を避けてしまう。何度も掴みかかるが、そのたびにゆるりと見当もしないほうへ逃げていく。そうしているうちに、私はひどく悲しくなってしまい、林檎を見つめたまま、もう何もせずにぼうっとしている。

 女の足がいつのまにか、自分の股間まで伸びている。そのせいで私は、なんとも恥ずかしい気持ちになってしまった。女のほうはそれを察してか、先ほどから、ふたを開けたようにかしゃかしゃと笑っている。その笑い声がますます羞恥心を高揚させ、私のからだは驚くほど紅潮していた。
 湯水の中では、女の素足がうねっている。質感といい、動くさまといい、まるでイカのように滑らかだ。林檎が、波に押されてじっくりとこちらに近づいてくる。私は女の足により、しだいに絶頂に迫りつつあるが、それにつれて、目前の赤く丸い果物が、心なしか膨らんでいくように見えた。そしてよく見れば、その果実の球面には、向こうの女の顔が、そっくりと映りこんでいる! その女の首が、のどやかに、こちらを見てにこにこと笑っていた。

 ああ、これで女の顔が思い出せる、と私は目を細めて覗きこんだ―――が、そのとたんである。私は興奮のあまり、痙攣的に林檎をつかみ取って、あろうことかそのままかぶりついてしまったのだ。するとどうだろう、突然、女の足がよりどころなく、湯船の中をあっちへこっちへと、困惑したように行ったり来たりするではないか。
 私は二口、三口と、繰り返し、林檎をかじった。トマラナイ。トマラナイ。霧はなおも浴室を満たしているが、女ははじめのように、すっかり動かなくなってしまった。
 そんな折、湯船の中から、ふたたび何かがすすり泣く音が聞こえてくる。つまり、新しい林檎が水面に浮上する、という予感の芽生えである。私の視覚は、まだそこに現われる前から、冷たく、丸く太った林檎の姿を想像して、実に無邪気に喜んでいる。
 女はすでにそこにいないが、残り香によって、私はそれに気づかない。だがむろん、それはとりたてて重要なことでもなかった。
 浴室はますます湯気に溢れている。


日常的な公園

  リンネ

 Kは鬼ごっこをしているが、妙なことに、およそ鬼と呼べるような人間がどこにも見当たらないのである。そういって悪ければ、Kはすっかり鬼の顔を忘れてしまったのであった。
 ベンチの裏に丸くなって隠れてはいるが、はたして鬼がだれかも分からない状況で、どうしてこれが隠れているといえるのか。実際、向こうのジャングルジムの近くで煙草をくわえている長身の男から、Kの姿は筒抜けであるし、いうまでもなく、このベンチに座っている男の子と老人には、とうに気づかれているはずである。それに、あの女、砂場でしゃがみこんで猫と遊んではいるが、さっきからこちらのほうを横目を流してうかがっているようなのだ。それから、その女の大きく開かれたスカートの垂直線上には、雨合羽を羽織った若い男が立っている。そいつはうつけたように、真っくらな両の目を女の股間のほうへ向けていた。
 いってみれば、どいつもこいつも鬼であるかのようであった。Kにしてみたら、いつのまにかこのゲームに巻き込まれていたのだから、いつそれをやめてしまってもかまわないような気もした。おそらくそれができなかったのは、この遊びをやめたところで、はたして自分は他に何かやることがあるのか、まったく見当もつかなかったからであろう。ともかくKは、しばらくして、このいっかな動きそうもない状況を打開するため、さりげなく公園内を歩きはじめたのであった。鬼を誘って、探り当てようという魂胆である。
 だが、意外にも、だれひとり何の反応も見せないという結果であった。Kなどまるで見えていないかのようなのである。ただし、疑ぐり深いKは、これを鬼の策略であるとまんまと見抜いていたからだろうか、あらゆる人から十分逃げ切れる距離をとって、なおもじっくりと公園中の人々の観察を続けている。
 いやに大人の多い公園である。三つあるブランコは、恰幅の良い中年たちが占領しており、なにやらもっともらしい顔つきで前後に揺れている。公園中央にある広場では、黒いスーツを着たグループと、灰色のスーツを着たグループとが、ボールを投げ合って何かを競っている。それから、公園周りの歩道を、二三十人はいるだろうか、手を繋ぎ列になった初老の男女らが、オモチャのようにぎこちなく歩いている。これを要するに、Kにしてみればだれもが不自然で疑わしいのだった。だが、やはり気になるのは、例の砂場の女である。
 Kは、しゃがむ女が開いたスカートのなかに、奇妙に光るものを見つけたのだ。じりじりと近寄ってそれを確認しようとはするが、いかんせんそこは女の股間である、まんじりと見つめていては怪しまれるのが世の道理であろう。ところが、しばらく躊躇してふらふらした挙句、なんとKは大胆にもその女性のほうへ歩み寄った。いやこれはむしろ、何かKの制御できない力によって引き寄せられた、というのが本当かもしれない。
 Kは、もはや完全に警戒心を失って女に迫っている。しかし、もう少しで何か見えそうというところであった、突然、女の股間が猛烈な光にあふれ、Kの視覚をはげしく貫いたのだ! 閃光に目をくらませながら、Kはその光へと倒れこんだ。


 ―――実は、女の股のあいだには、一枚の鏡がしっとりと収まっていた。そこに太陽が映り込んでいたのだ。Kはあまり眩しすぎて、その鏡に映る、照りかえった自分の顔と、背後に迫る雨合羽の男の姿を確認することができなかった。どうしてすっかり晴れた日に、彼が雨合羽など着ているのか、そんな単純なことに気がつかなかったというところ、明らかにそこにKの落ち度があったといえよう。ジャングルジムでは長身の男が煙草をくわえながら、その入り組んだ鉄の棒にからだをねじり込んでいる。ベンチに座っていた少年と老人が、Kのほうを指差して何かを訴えているようだが、女の悲鳴がそれをかき消してしまい、Kにはまったく聞き取れない。
 Kは鬼ごっこをしていることもとうに忘れて、女を黙らせようと必死に言い繕っている。
 鉄棒に現われたリクルートスーツの女子が、プロペラのようにくるくると回りはじめた。つまり、ゲームが新たな展開を迎えようとしている前触れである。


一の蝶による五の夢景

  リンネ

 i. eating machines / Parantica sita

その日の朝食は、いつものように厚めのトーストが一枚でした。私は表面にのせたバターが溶けていくのを嬉しそうに見ていますが、何かが溶けきらず、パンの上に残ってしまいました。それは生まれたばかりの赤ん坊のように粘液でまみれています。目を疑うようなことですが、どうやら、アサギマダラという蝶の幼虫のようなのです。生きているのでしょうか? ためしに指でつつくと、幼虫は判別しがたい色をした体液を流して、みるみるうちにしぼんでしまい、後には脱ぎ捨てられた服のように、まだら模様をした派手派手しい体皮が残りました。本来キジョランの葉に住むアサギマダラが、なぜこんなところにいたのか、当然それを疑問に思わなければいけないのですが、私はなぜかそのとき、アサギマダラが有毒であるということに頭がいっぱいで、とにかく、そのトーストを食べてはいけないのだ、食べてはいけないのだ、と自分に言い聞かせるのがやっとでした。というのも、私はすでにそのトーストを手に取り、よだれを口いっぱいに溜めて、のどを鳴らしていたからです。

 ii. metamorphosis / Papilio xuthus

二人で赤ん坊のお守りをしていました。赤ん坊が泣きだしたので抱き上げると、おむつに柔らかい便がたまっています。もう一人のお守りはその便に怯え、頭を抱えて震えています。私は、そうっとおむつを剥がして便を処理しました。洗面器に湯がたまっています。藤編みのバスケットをもう一人から手渡されました。中のシーツの上に、さっきとは別の赤ん坊がうつ伏せになっています。不安になり、仰向けにすると、顔がトカゲのようにしわがれていました。急いで洗面器に浸けて揺さぶります。けれどそのせいで、首もとがゴムのように裂けてしまいました。大きく開いた切れ目から、一匹のアゲハチョウが羽を広げて這い出てきます。二人は「救急車を!!」と絶叫しましたが、もはや赤ん坊は洗面器にぷかぷかと浮かぶ、単なるさなぎの殻に過ぎないということが、心のどこかで、にわかに予感として芽生えていました。

 iii. reproduction / **** ****

さて、深い森の中に、スーツを着た男がいました。おかしなことに、その男の背中には大きな蝶の羽が生えているのですが、私はそのことよりも、なぜこんな場所に彼がいるのかが気になりました。自殺願望者かと思ったのです。「気づいたら生まれてた、おまえもそうだろ?」と彼がそういうと、私はいつの間にか何匹もの蝶になって、男とこもごもに交尾をはじめていました。終始淡白であった情事を終えると、男はすぐにどこかへ飛んでいってしまいました。私たちはさっそく、産卵に最適な植物を探していますが、自分たちがどんな種類の蝶か知らないのに、それが分かるはずありません。けれども、もはや私たちにはそれ以外、目的といっていいものがまるでなかったので、何も心配せずに森じゅうを飛び回っているのでした。

 iv. suspended animation / Byasa alcinous

ベッドに寝転んだ赤ん坊のおでこに、手のひらのように大きなジャコウアゲハが留まりました。私は突然のほほえましい光景にうっとりとし、カメラのファインダー越しにそれを眺めています。赤ん坊の白い肌とジャコウアゲハの真っ赤な斑紋のコントラスト、これが素晴らしく美しいのです。しばらくすると、縫い針ほどに細い蝶の口吻が、蜜を探るようにせわしなく赤ん坊の口元へ伸びていきました。私は夢中でシャッターを切りつづけています。しだいに赤ん坊はますます白く、蝶のほうは赤々と鮮血のような色合いを増していきました。しまいには、もはや真っ青になった赤ん坊を残して、毒々しいまでに赤らんだジャコウアゲハが、私のいるほうへ揺れながら飛んできました。何気なくそれを避けると、蝶はそのまましばらくまっすぐに飛んでいき、突然大きな円を描いたと思うと、音も立てずに破裂してしまいました。私は残念に思いましたが、その瞬間がうまく撮れていたか、カメラのモニターで熱心に確認しています。

 v. eating machines / Graphium doson (Papilio mikado)

体中に汗が吹いています。夏、でしょうか。家のベランダから見える公園に、全身にミカドアゲハという蝶をまとっている人を見かけました。あまりたくさんの蝶が留まっているので、顔も見えず、もちろん男か女かも分かりません。人かどうかさえ怪しいものです。昔沖縄の林道で、川辺の地面を吸っている数え切れないほどのミカドアゲハを見たことがありましたが、もしかしたら、あれに集っているミカドアゲハも同じ目的なのかもしれません。目的といえば、蝶は単に水分を求めているのではなく、そこに含まれた塩分などを得るために、ミネラルの豊富な川辺の地面に集まるのです。そう考えると、人間の汗には多くの栄養分が含まれているはずですから、この状況もあながち特殊なことではないといえましょう。おそらく、たくさんの蝶がまとわりつくことで、人間の体温もおのずと上昇し、より豊富な量の汗が出るのですから、これは実に効率のいい作戦であるともいえます。


テンオアラの嫁

  リンネ



いったいこれは何の会議だろう。何となくではあるが、つい最近もこういった会議に参加した覚えがあるので、きっと自分に無関係ではないはずなのだが、なぜか全く知らない言語で討論が行われていたので、わたしには何も理解できない。それでも、みんなとても粛々と話し合っている雰囲気から察すれば、実に重要な議論が続いていることは感じられる。が、そういった会話も、その意味が分からないわたしにとっては、どうしても動物が囁き合っているくらいにしか思えず、それがあまり滑稽なので、ついうっかり笑ってしまいそうになるのである。もちろん不謹慎であるので、わたしは必死で笑いをおさえている。胃が痙攣して思わず身震いしてしまう。すると、ちょうど向かいの席の女性がわたしのこの状況にいち早く気づいたらしい。さっきからじろじろとこちらを見て、諌めるような顔をしているのがわかる。そうやって目を細めて、口元をきゅっと歪めた彼女を見ていると、なんだか不思議に心が落ち着いてきて、とてもうまく笑いの発作を鎮めることができた。会議はなおも続いているが、わたしの心はすっかり落ちついてしまい、今度はうとうとと眠気に襲われている。向こうに見える女は、その顔をますます歪めて、執拗にわたしを睨み続けている。



今は学校の教室である。何かの授業の最中で、静かにみんな着席している。先生が学生たちに紙を配っている。一枚は白紙で、もう一枚には白黒で花の写真が載っている。「ここに花を描きなさい」と先生がおっしゃった。蓮の花に似た大柄な花ではあったが、見たことのないものだ。早速描き始めるのであるが、どうも写真の印刷が悪く、花の細部を捉えることができない。前の席の方に本物の花を用意しているとのことだったので、席を立って見に行くが、すでに先生と近くにいた学生たちがその花を食べてしまったのだろう、蓮の花托に似た芯の部分が、まるで食べ終わったとうもろこしのようにごろりと転がっていた。先生の口の周りは透明な汁でびしょりと濡れている。先生は教壇の向こうに座って、教室全体を厳粛に監督なさっている。



そしてわたしはどこかの研究所の中、部屋から部屋へと移動を続けている。自分が奥へ進むのをやめるまで部屋は連なっていくのだろうという予感がなんとなく感じられる。ふいに、何の根拠もなく、そろそろ解剖室に行き着くのではないかという気がした。わたしは怖くなって震えながら来た道を引き返していく。背後から自転車に乗った女性が現われて、ぐんぐんと近づいてくる。そのままわたしを追い抜いた。後部の補助席にはなんとも可愛らしい幼児が座っているが、死後しばらくたっているため、石のように固くなって動かない。自転車があまり揺れるので、子供は上下に震動して、補助席から少しずつずり落ちている。母親はますます速度を上げて走っていく。



いま気づいたのだが、自宅の前の通りで映画の撮影をしている。子役の女の子と男性俳優が手を繋いで歩いていく。その後ろから八百万の神さまたちがついて来ている。神々はげっぷのようなうめき声を吐いていて、それにより女の子と俳優の会話が聞こえないが、撮影は中断されることなく続けられている。「これで絶対に平和だ」と誰か言う。



さて、わたしはこの巨大な美術館に立てこもっているはずだが、自分でも居場所が確認できない。外には何万人規模の集団で警察関係者たちが取り囲んでいる。「大変な戦いになる」とその集団を指揮する一人が言う。隊員の一人が、美術館の扉を左右に押し開ける。しかし、押し開けても押し開けても、じゃばらのように新しい扉が繋がり、一向に中へは入れない。むしろそうやってますます美術館に飲み込まれていく。とつぜん、耳鳴りがしたかと思えば、ちょうど手をかけた扉の隙間から白い髭を生やした聖職者の顔が浮かび上がる。それが何かをつぶやいたとたん、隊員は暗闇に吸い込まれるようにして消えてしまった。開かれた扉が今度は次から次へと閉じられていく。最後に聖職者が言う。「ここにいる、死……すると美術館の周りから誰一人残らず消える。わたしは夢が終わるまでひとり静かにどこかでたたずんでいるが、やはりその姿は見えない。」



ところで、わたしはようやく自分の住んでいる集合住宅に到着したのである。五階建ての最上階が自分の住み家だったので、さっそく階段を昇りはじめた。ところが、昇って行くうちにいつのまにかどこかの図書館にいる。私の家はどこへいってしまったのだろうか。とにかく責任者を呼ぼうと名前を叫ぶ。(その名前はもう覚えていない)図書館の住人たちがざわめき始める。館長はすでに何者かによって殺されていたからである。



結局わたしたちは監禁されている。ビー玉のように目のつやつやした女が、鍋の中の沸騰した液体にタオルを浸している。そのタオルが仲間の首元へ押し付けられる。呻く。体が黄色く変色していく。「おまえは自分がなぜ人を殺すのか、考えたことがあるのか」とわたしは女に聞く。「心地よいから」と女。「欲望は決して満たされない」とわたしは言い返す。「本当は四月ごろがよかったんだ。蜂が殺気立ってるからね」悔しがる女。床に日本刀が落ちている。それを取り上げ、女を思いきり切り捨てる。(そのとたん、一緒に捕まっていた子どもたちはどこかへ消えてしまった。)奥の部屋から見知らぬ男が現われる。わたしはもう一度日本刀を握りなおし、その男に立ち向かおうとするが、振り下ろす間際に、自分が持っているものが日本刀ではなく、ただのパン切り包丁だということに気がつく。殺気立つわたしの目の前で、男が静かに怪談話を始める。消えたはずの子どもたちが全員ベランダに立って、こちらを見ている。



気がつけば自宅のリビングである。10cmはあろう巨大な白蟻を追いかけている。幼い妹が危うくそれを踏みつけそうになる。ぼくは妹を叱った。そうこうしているうちに、すでに白蟻は腹を破かれ死んでいる。



見えるだろうか。エスカレーターの途中にバービー人形がいる。エスカレーターのステップは上へ上へと流れていくが、一方の彼女はそれと同じ速さで下りてくるので、常に一定の場所にとどまっている。



見えるだろうか。雨が降ってぬかるんだ道を、一匹の鳩が歩いてくる。片足が折れ、羽があらぬ方向に変形しており、なかなか前に進まない。ついに泥の中に倒れてしまう。そばに直径一メートルくらいの穴があって、鳩は口から細い管を伸ばし、それを使って穴の中を探り始める。すると中から、見たこともないほど巨大なミミズが顔を出した。ほぼ穴を埋めようかというほどの大きさである。鳩は口から伸びた管をミミズの体に差込み、食らいついた。そばにいる人たちに、このことを伝えようと、ぼくは声を出そうとしたが、その間際、ミミズは穴からなめらかに飛び出し、体に鳩を刺したまま、近くにあったスーパーマーケットの中に滑り込んでしまった。



さて、商品陳列棚は壁に沿って置かれている。その隙間から、たくさんの黒人が見える。みんなリンゴのスライスを持っていて、それをこちらへ放り投げてくる。わたしはうまくそれをキャッチして食べる。



そろそろ反対ホームに移ろうと、地下通路をくぐった。階段を上ってホームに出ると、なぜか急な丘の斜面が広がっている。木々が転々と植えられてるが、その合間を、まるで川が流れるようにして上から下へ、線路が引かれていた。どうやら、電車が停車するのはさらに上のほうらしい。通勤するスーツの男女が駆け足で登って、わたしを次々と追い抜いていく。どうしてかみんな後ろ向きで走っていた。もういいだろう、というところでわたしはそれ以上登るのをやめ、電車が来るのを待った。丘の上のほうでは、さきほどの通勤者たちがさらに上を目指しているようだった。電車がこちらへ走ってくるのが見える。しかし、スピードを緩める気配がまるでない。停車場所はここではなかったのだろうか。電車はますます勢いを強めてこちらへ向かってくる。



ここは締め切った部屋にもかかわらず、風がいやな音を立てていた。どこから吹いてくるのだろうか。女の長い髪があれだけ巻き上げられているところからみれば、単なるすきま風ともいえないだろう。「ああ、すいません。うっかり閉め忘れていましたわ」と、女は申し訳なさそうに言い、髪をたなびかせながら部屋の奥へ向かうと、開きっぱなしだった電子レンジの扉を閉めた。その瞬間、風はぴたりとやんだ。



するとプラットホームに一人。乗車して、扉が閉まる。電車は動かない。運転手はいるが、操縦室で向こうを向いたまま微動だにしない。あるいは運転手がいない。自分で発車させる。駅がない、線路だけが延々と続く。



しかたなしに近寄ると、その人だかりの中心に何かが落ちていることが分かった。嘔吐物である。それを見てみんな笑っているが、ぼくはわけも分からず、ただ悪臭だけが気になった。いつのまにか集団が移動し、自分を中心にして人だかりができているのであるが、やはり、ぼくはそれに気づかない。



結局アカムシユスリカをスライドガラス上に乗せ、ピンセットとピンで頭部を引き抜く。するとそれに繋がって引き出る諸器官たち。唾腺のみを残しほかはすべて除去する。1%酢酸オルセイン溶液にて染色後、カバーガラスを乗せ、顕微鏡観察。巨大染色体を見つけ、わたしは笑う。それをもう一度、繰り返す。唾腺のみを残しほかはすべて除去する。1%酢酸オルセイン溶液にて染色後、カバーガラスを乗せ、顕微鏡観察。巨大染色体を見つけ、わたしは嬉々として目を細めている。さて、これをもう一度、繰り返すのである。



見えるだろうか。橋の上から見下ろす町並みが、まるで遠近感を失っている。その色合いも、べた塗りの浮世絵のごとくである。ところがわたしは、この町はおそらく北斎が描いたのだろうと、変に納得してその場を去って行く。



今はぶよぶよとした丸い女と暮らしている。テーブルの上には一升瓶ほどの大きさをした自分の妹が走り回っており、からになったわたしのコップにビールを注いでくれる。



見えるだろうか。空から何か黒くて、たわしほどの大きさの生き物が、五六匹の集団で落ちてくる。体の何倍もありそうな大きな羽を広げ、羽ばたきながら、速度を緩めて生垣の中へ消えた。わたしは集合住宅の前に立っている。建物に入り、一階の二号室に入ると、男が食事をとっていた。男はわたしの友人である。自分の後ろから、近所のおばさんらしき人物が勝手についてきていて、友人に対して何かいろいろと文句を述べ始めた。友人は不機嫌そうにしてそれを追い返す。ここで「今、家の前にいたら、空から人間みたいのがたくさん落ちてきた」とわたしは言うが、当然、さっき落ちてきたのは人間などではないはずだ。


アワー・オフィス

  リンネ

とある清潔な会社のオフィスである。わたしの指はパソコンに向かってなめらかにキーボードを打ち続けている。それに応えるようにして、キーの一つひとつが軽やかな音を放っており、静かなオフィス全体にくっきりと反響している。頼まれていた仕事を終えたわたしは、さっそく上司にそれを報告しに行くところである。

さっきから隣の同僚がイスに座ってくるくると回転している。やけににやにやとしているところから察すると、どうやらその状況をとても楽しんでいるようではあるが、あの状態では仕事などできるはずもない。現にそいつは出社してからまだパソコンの電源も入れていないままである。職務怠慢と言われても仕方がない状況だが、同僚はいつになく楽しそうで、さすがに声は上げないが、満面の笑みで回転を続けている。

妙なことに、見える限りすべての社員が椅子に座って回転しているようだ。みんな見たこともないほど幸せそうな表情をしている。もちろんわたしの上司もほかの社員と同じで、かろうじてパソコンは動いているようだが、くるくると回ってしまい何の仕事もできないありさまである。これでは資料を手渡すこともできない。仕方がないのでわたしはいったん自分のデスクに戻り、別の仕事に取り掛かることにした。

ところが戻ってみると、自分の席にはすでに別の社員が座っていた。その上、みんなと同じようにくるくると回転してしまっている。妙なことになった。いったいわたしはどこで仕事をすればいいのだろう。オフィス中を歩き回ってみるが、どこにも空いている席が見あたらない。困ったものだ、いったい、わたしはどこにいればいいのだろうか。これでは仕事ができない。しかし、考えてみればそもそもみんな椅子の上で回転していて、仕事などほったらかしにしているのだから、なぜわたしだけが律儀に仕事をする必要がある?

とつぜん、電話が鳴った。わたしは近くの受話器を取る。「もしもし――」といったところで、そういえばこの会社の名前は何であろうか、と疑問に思う。さて、わたしはポケットから自分の名刺を取り出して確認してみるが、印字された文字がくるくると回転していて判読できない。しょうがないので、近くの社員にうちの社名を聞こうかと思うが、すぐにそんな馬鹿なまねできるはずがないと考えてやめた。名刺の文字はますます回転を速めて回っており、いつのまにか、その名刺を中心にわたしまで回転を始めていた。

くるくると回り続けていると、不思議なことに、なにやらとても愉快な気持ちになってきた。しばらくこのままでいることが、何かこの会社にとって必要不可欠なことなのではないかという予感がした。受話器の向こうでは何者かが未知の言語で流暢に何かを訴えかけ続けているが、もはやそれがこの会社にとって何の価値もない話であることは明白であった。

全社員がくるくると回転を続けている。もうまもなく定時を迎えるが、だれひとりとして帰宅の準備を始める社員はいない。それどころか、かれらは先ほどまでの笑顔を一変させて、今度は鋭く険しい表情でもって、いよいよ何かを始めようという気迫をうかがわせている。

壁にかかった大きな時計に、あらゆる社員の視線が集まった。

窓からは夕日が差し込んで、オフィスは金色に染まっている。


夢の見える部屋

  リンネ

 (立方体の個室に、インタビューをするものとされるものがいる)


「子供のころよく見た夢の話です。人をばかにするような引きつった笑い声が、空のほうから聞こえてきます。さっと上を見上げると、なんと笑っているのは太陽のようなのです。」

――で、すぐにガラス砂を播かれたような刺激を眼球に受け、視線をそらした、と?

「ええ、夢の中であれ、太陽は眩しい。ですが、それでもなんとなく太陽に口があって、それが豪快に歪んでいるのが分かりました。サングラスなどがあればもっとよく見ることができたのでしょうが、まだ幼い私の夢にそんな大人びた品は登場するはずもないのです。わたしがまじまじと見れないのを知ったからでしょうか、太陽は小刻みに震えながらいつまでも笑い続けていました。」

――さて、見渡す限りの平らかな砂漠の一点で、あなたは、こちらを覗き込むようにして浮かんでいる一つの太陽と向き合っていた。不思議なことに、そんな灼熱の光景にもかかわらず、あなたは何の暑さも感じていなかった。

「夢の中のわたしは、なぜだかそのことに気づいていませんが、それとは別に、何か気まずい空気を感じているようでした。ビルや木々の凹凸のない空間。まったく、どこを歩いてもあのおかしな太陽に見下ろされてしまうのです。一度砂を掘って身を隠そうかと考え、試しに足元の砂を素手で掻こうとしたのですが、穴を作ってもすぐに元通りの平らな砂地に戻ってしまう。どうやら掘った傍から砂がくつくつと湧き出しているようなのです。」

――ところで、生物の口の形は、その持ち主の食性を反映しているはずです。はたして人間のように笑うことのできる口を持つその太陽は、普段どのようなものを口にしているのでしょうか。少なくとも何か形ある物を咀嚼していることは間違いないはずです。納得できないのは、絶えず自らエネルギーを生成する体をもつものが、どうして何かを摂取する必要があるのかということ。

「もしかして太陽にとって食とは娯楽にすぎないのではないでしょうか。夢の中で気づいたのですが、考えてみれば、声を上げて笑っているというのも不思議なもので、どうして呼吸の必要のない存在が肺をもっているのでしょう。そもそも、どうしてあの声は宇宙空間を伝わってわたしの鼓膜に到達しえたのでしょうか。もちろん、夢の登場人物に合理性を追及することほど馬鹿げたことはないのですが、夢の中にいるわたしは、そこが夢の世界だなどとは思っていないのだから、これは仕方がないともいえます。」

――そうなれば疑問は太陽に対してではなく、あなた自身に対しても生まれます。そうです、どうしてまだ小学生にもならない子供が今のような推理を始めることができたのでしょう。それはもしかしたら、今あなたが語っている夢の話は、笑う太陽の夢を幼いころに見た、それを語る夢についてのものであるから、ということではないでしょうか。

「どうでしょう。そういえば、まだ幼いわたしが、あの夢を見て何を感じたか、そういったことが今となってはまるで思い出すことができません。夢の内容は覚えているのに、その夢を見た自分についてよく思い出せないのです。もしかしたら、現存するわたしにとって、かつてわたしが見た風景のほうが、それを見たわたし自身のことなどよりも、何か重要な意味を持っているのかもしれません。」

――さて、夢の終わりです。いままでの荒涼とした光景がしだいに様子を変えていく。平らな砂漠の内側から木々やビル群、道路や信号機などが現れ始め、一片の雲もなかった空には腫れぼったい積乱雲が浮かぶ。いつのまにかあなたは都会の雑踏を歩いていて、蟻の行列のように流れる人々の列に引き込まれてしまう。

「単なる比喩ではなく、本物の蟻のように、黒い光沢をもった人間たちが、町の隙間という隙間から這い出てきました。それがしだいに町中を、まるで舞台を終わらせる暗幕のように埋め尽くして、そうしてある時点から今度は反対に、引き潮のようにあらゆるものをさらいながら、瞬く間に一点へ収縮していきました。つまり、あの笑う太陽の口の中へなのですが、その最後の光景は、夢から覚めたわたしたちの願望による、いささか安易にすぎる想像なのかもしれません。」

――そう、夢というのはきっと、本当に見た風景と、見たいと思った風景とが、自分でもそれと気づかないくらい絶妙に混ざり合った、裂け目のない液体のようなものなのでしょう。

「ちょうどここに注がれた、このカフェオレのように?」


 (二人は笑いながらティーカップを覗き込む)


 (ここに、インタビューをするものとされるものがいる。テーブルに置かれた白いティーカップの中で、いつのまに乳白色の渦を巻き始めたのは、むろん、われわれのよく知るありきたりなミルクなどではない。つまり、そこに回転している白い液体は、かれらが見たというあの太陽の夢の姿なのである。非常にゆっくりとした調子ではあるが、二人はその小さなティーカップの周りで、中途半端にヘリウムの入った風船のように、上昇するとも下降するともせずに漂い始めていた。いつのまにか個室は夢で満たされている。思えば笑う太陽とは、少しも不思議な存在ではないのだ。二人がなぜだかそう了解できたとき、すでに破裂した風船が二つ、カフェオレの中で夢を見るように窒息していた。)


 (二人はティーカップの中からこちらを覗いている)


ぽっぷこおん

  リンネ

 おお、ポップコーンのカップの中で空振りする右手。食べつくしてしまった。食べた記憶もないのに。バターとキャラメルでぬめぬめと光って、指先が、母乳にべたついた乳首に見える。吸いつくわたしは、そういえばどこにいるのだ。埃でざらついた暗がり。埋もれた地下室の湿ったかび臭さ。前方に設置されている横長の大型スクリーン。つまり、どこかの老朽化した映画館の中らしい。上映は始まっていないが、ポップコーンの陽気なコマーシャルが劇場を淡く照らしながら、繰り返し、動いている。前のほうの暗がりには、男女のすらっとしたいもむしが一組だけ座っていて、睦まじく身を擦り合いながらお互いの存在を確かめ合っている。たまにうっすらと気持ちのよい香りが漂ってくるのはどうやらその女の香水のせいで、それが劇場をだんだんと酔わせている。
 ふいにさまざまな匂いが動き出すのに気付いた時には、すでに座席のほとんどが観客で満たされている。古びた座席シートの匂い、定番の香水が何種か、制汗スプレー、消臭しきれない体臭、洗剤で清潔になった老人の、匂い、そしてポップコーンのバター。もうまもなく映画が始まる、そんな雰囲気に満ちて観客たちは無口だった。真っ暗な天井に色とりどりの電光が輝いている。首をのばし、スクリーンを見つめる観客はみんな蝸牛だ。棒状に突き出した不安定な目。その怪しい尖がった目玉から、夜のヴェールに包まれて消えていく、弱い星屑の光が浮かんでいた。

 わたしは、ロビーであたらしいポップコーンを買っている。思い出せないどうやってここまで戻ってきたのだっけ。ともかく店員に千円札を。こうしてるあいだに映画が始まってしまっては困る、なんとしても早く戻らなくてはと思ったが、どういうことか、店員は千円札を握ってそのまま動かない、つまりマネキンになっている。――それに、おお。こいつは、中学のときのあの男ではないか。くちびるの端にあるケツの穴そっくりのほくろがまさに不吉ないじめのイメエジ。机の上の変形したメガネ。エロ、インポ、ママ大好き、という工夫のない落書きが浮かぶ。何度も消して、何度も書かれた。あいつは笑っている。するとあいつの顔にぽっかりと穴が開くのだ。それは排水溝だった。わたしは何度も吸い込まれた。わたしはそこで幾度となく溺れた――
 千円札を抜き取ろうとするが、マネキン男の指にしっかりとくっついていて離れない。ぐっと力をこめてひっぱると、男が千円札ごとふわりと持ちあがってしまったわっと手を離すと、吸い上げられるように上昇してそのまま勢いを増して天井でぐしゃりと潰れた。変形したマネキンが天井にはりついて電気光線を放っている。そのまま、さっとインクになって天井へ染み込んだ。
 
 わたしは逃げた。友達のいない廊下を。ゆがんだ眼鏡のせいで、教室も人間も、どうしようもなくねじ曲がって見えるんだ。わたしは教室にいた。一人だった。中学校の三階には、大量の昆虫標本が保存してある教室があって、積み重ねられたプラスチックケースがぶ厚い埃に覆われて眠っていた。わたしは一人だった。夕日が窓からこちらに、薄い光を落として、プラスチックの標本箱に反射していた。教室の向こうから、何かすべり寄ってくる。足元に散乱した蝿の死骸やポップコーンが踏みつけられて、沸騰石のようにきゅうきゅうと鳴りながら床にへばりつく。映画館にいた男女のいもむしだ。だが今度は、いもむしではなく、人間の格好をしている。二人は、素っ裸である。全身が青白い。皮膚から、じっとりとした光を放って。いもむしのぶ厚い体皮が裏返って足くびにつながっている。

 男と女が協力してわたしに覆いかぶさった。密着した二人の汗腺からしとしとと、溢れ出したのは豆電球だった。わたしの顔に立ち昇った光が、眼球の中へ逆流していく。どんどんと。そして皮膚の深くまで、光を失った男は星空になった。女の、豆電球がみっしりと繁茂した顔が伸びて、わたしに覆いかぶさっている。わずかな隙間から、前方に浮かぶスクリーン。無数の流星が、真黒に煤けた天井から落ちて、発光した。発光し、スクリーンが浮かぶ。映し出されているのはわたしだった。スクリーンサイズの。それはこちらのわたしを探している。ひどく困った顔で。そして見つかることのないわたし。わたしの名前を呼び始めるスクリーン上のわたし。視界は暗い。暗い。劇場のあちこちに、光が打ち上がり、跳躍し、消えた。消えると、映写機が壊れ、ぶつぶつと破裂音が続いた。停止と開始を繰り返すわたしがちかちかと点滅して、窮屈なこの男女の天幕から、隠れるのをやめて出て行こうか行くまいか、出ていくならばどのような顔をしていくべきだろうか、などということを考えたり、もう何も、考えなかったりしたそれからちょっと、いき、ぐるしくなったのでおおきく、いき、をすってせなかをこうすうっとそらせながらちぢこまってしまっていたりょううでをうまくひろげてあしもながくぴんとのばしつつおやゆびをきゅっとてまえにひいてそれでもういちどおおきく、いき、をすいこむとこんどはきゅうにからだがいたいほど、ぼうちょう、してしてしてしてしてして


水ぶくれ

  リンネ

目を覚ますと、とある住宅街の狭い路地、これを抜けた先の、猫の通るような路地に出ました。ここはまるで知らない場所でしたので、道ゆく人々を目配せして捕まえ、わたしはこう尋ねています。滑り台のない公園はありますか? あるいはこの町の公園は滑り台のないものですか、と。でも誰も知らないみたい。誰も知らないからわたしはいつまでも探せます。

後藤という表札のある家の裏、するっと飛び出した人間が、水ぶくれのコンニャクのような顔。畑に水をやっている。ナスやキュウリ、ニンジンにジャガイモと。収穫を待っているのでしょうか、張りのある体つきでおいしそうに。そういえば以前、後藤という名前の人間にカレーをご馳走になりました。この人間、ジャガイモに似た顔をしているせいか、決してカレーにジャガイモを入れません。口を開きかけます。カレーは具合良く舌にまとわりついて、わたしが声を出そうとするたび、いやらしく噛みついてきて。後藤の目がこちちを向いてくるのが恥ずかしい。

あまりここに長くいれば、きいろい蛭の断面が右ひじにひっついて離れません。路地裏の道はべったりと湿り、まして太陽の光などまったく届かず。医者は、まず間違いなくこの右ひじのきいろいものはきみの血を吸わないだろうし、吸っても気にしない方がいいでしょうという。死ななければまあいいか、それはやはり思います。この町にはりついている人間のうち、その半分がきいろいものに噛まれて動かなくなりました。高熱ののち、樹脂のように固まってしまう。ですからこれは階段をつくるのや、壁をつくる建材として使われます。例えばこの後藤さんの表札はわたしの父親の一部であるのですが、それはだれにも知らされていない。もちろん後藤さんにも。

脳神経の乱れで寝ている間、父は幻覚を見ずにすみました。水ぶくれのコンニャクのような顔、これは母が死に際の父にかけた科白です。壊れた舵で、父は夢の中を浮遊します。天井に引っかかった父の一部。これは頭部です。あつあつのご飯を口にしながら、わたしは何の感慨もなくそれを見ています。浅蜊の味噌汁からあがる湯気が、そのままいい案配に天井を、父の部分を湿らせて、すでに部屋中を覆っています。私の横で転がり、幼い妹が折り紙を折っています。母はサンマの骨を丁寧に取り除いているところです。わたしは熱気とともに味噌汁をすすりながら、放心したような表情をして。あ、お椀の底、浅蜊が音を立てて放屁した。

父さん、あなたは今、滑り台です。この公営団地の、ごく人通りの薄いこの公園で、子供たちの尻を滑らせます。ときどき念仏のような音がする以外、おおむねおとなしく眠っていますね。あなたは他人と助力し合おうという気持ちが薄い。それでも夜がくれば、遠くから旧友のように滑り込む月たちと、一種の快感をむさぼる。誰かの舌が、ゆっくりなぞるよう、銀色の滑り台をさすりはじめています。それがわたしです。ざらっとした砂を口で絡ませ、空からはいい調子に霧雨が降り。後藤の目がこちらを向いています。大きな、人間よりも大きなジャガイモの気配が、わたしの頭に重たくおぶさってきます。

紙飛行機が飛んでいます。
雨の中、どうして飛んでいられるのか。
どうしてこの世界を生きていられるのか。


カイダン

  リンネ

特に書くこともないが、何もやることもほかにないので書き始めている。書くことのないのは幸せだ。書くことは、書くことがあるのは幸せなわけがない。恨みつらみを持った人は書くことがあるということだ。書くことは何かそうやって書いたものをだれかに訴えるということだ。だから幸せな人は書く必要には迫られない。しかしこの世に幸せな人がいるというのも信じがたい話だ。わたしこそは幸せ者だと信じ込んでいるやつは、実は不幸であるということに気づいていない居た堪れない連中だ。生きるのは、言ってみれば苦痛でしかない。けれど生きることと苦痛であることが同じ意味なら、生きていることも悪くない。Kは階段をのぼっている。これはKの物語だ。物語というのだから、それはもちろん恨みつらみの話になるはずだ。他人の幸せ話など語る必要があるか? Kはまだ階段をのぼっている。かれこれ数時間だろうか、数日間だろうか、はんぺんのようなしろい頬に青いひげが成長している。目筋には涙の跡が。この男に何があったのか。スーツはこぎれいだ。しかしだまされないようによく見てみれば、背中に汗のシミが黒く広がっている。呼吸は異常といってよい程度に遅い。息をしてないとも言える。K以外、階段をのぼるものも、おりるものも見当たらない。ここは公営団地のアパートの階段だ。折り返し折り返し、上へと続いている。さみしい、つめたいような弱い風が上階から吹き下ろしてくる。Kの長い汚いけれども弾力のある黒い髪の毛がふわふわとなびいている。滲んだ汗のにおいがKの後ろに残されていく。これが物語なら書くものがあるはずだが、今のところをみれば、このKという男は階段をのぼっているだけだ。他にはだれも見当たらない。あるのは階段と階段だけだ。高さだけが威圧するように積み重なっていくが、書くべきものはどこにも表れない。ようするにわたしはだまされたのか。Kは幻のようなものを見た。階段の上には見たことのあるらしい、しかし大きすぎる雛人形が座って笑っている。と、こんなことが書ければしめたものだと思っていたが、Kは幻のひとつも見ない様子でただ階段をのぼっているだけ。何とも書きようがない。まじめな男め。何か書かせたまえ。Kの右の手には爪がある。しかしこれは当たり前の話だ。訴えるべきことはない。爪など生やしていなければよかったのに。爪のない手は秘密の前ぶれだ。しかしこのKには爪がある。普通の右手がついた男だ。何の変哲もなく、つまり書くべきこともない、ただ階段をのぼるだけ、おりることすらしない、笑っていなければ、女を探すこともしない。女がいれば恨みつらみも生まれる、書きがいのある物語に女はつきものだ。階段をのぼるだけの男の物語なんて誰も読むはずがないし、そもそも書かれるべきではない。有限とされる時間のうちのどこにそんな無駄をしていい時があるだろうか。描写可能なことはなにもない。後ろ向きに階段をのぼるなら、それは何かの寓話にもなろうが、まったく普通、まったく当たり前に両の足を交互に一段ずつのぼっているこの男になんの物語があろうか。目筋にだらしなく伸びた涙の跡だけが前ぶれであったが、その跡でさえもうすっかり消えて乾いてしまった。Kは階段をのぼっている。Kは階段をのぼっている。Kは階段をのぼっている。Kは階段をのぼっている。Kは階段をのぼっている。Kは階段をのぼっている。のべつ幕なしにのぼりつづける。こんな男に階段はいらないだろう。すなわち、Kはのぼっている。Kはのぼっている。名前だってなんでもいい。Mはのぼっている。佐藤はのぼっている。本多はのぼっている。無いのもいい。のぼっている。のぼっている。のぼっている。こんなのもありだ。私はのぼっている。私はのぼっている。私はのぼっている。私はのぼっている。私はのべつ幕なしにのぼっている。


身体がどうして花に触れられよう。花に触れられるのは、たましいばかりだ。

  リンネ

ほこりっぽい多摩川沿いの砂利道いっぱいに、
平日の時間の無意識が失調し、
いたずらが行く手で陽炎めかして燃える。
ここは昼間ほかに客もおらず、
他人の醜悪な顔を見て不愉快な想像を掻き立てられることもない。
男でありながらその不思議な現実に耐え切れない世界は、
足元に存在した簡単な石を学生アルバイトのウェイターにみたて、
アイスコーヒーとシナモンワッフルをいつも通り注文する。
記憶の片隅からは一足先に、
シナモンのなまなましい実体が強烈な臭いとともに降ってくるが、
ウェイターが注文を聞き入れた様子は無論ない。
世界の目はだんだんと縮こまって、ぐっと、
目やにがはじけるような控え目さで男の存在を主張するが、
他に注文を聞いてくれる者もいないのだから張合いがない。
いや、確かにここには。
石ころにまぎれて今は陽炎のような内臓しか見えないだけだ。
初夏は辛うじて男のまなざしをまとい、
川は滔々と流れているがその先に、
信号が点滅するような、危うい光の言葉たち。

「昔の話だけど、女の子に、君は人間の看板だねと言われて、なるほどと感心したことがある」
「そう言ったのはその子の気まぐれ」
「百メートルも離れたところに、僕が背を向けて立っていた」
「それが歌でできたプラスチックのように見えたの」
「一目でそれとわかるように立っていたのさ」
「それって?セルロイドの人形と見分けもつかない」
「頬を火照らすことはできる」
「あら、自分で確かめてみて。ほらあなたはあっち、対岸にいるわ!」



男の歌はうんざりするほどの分かれ道続きだった。
笹藪の中の笹藪の足跡をたどって、覗かれた、
笹の口の中には、怪訝な表情をし、多摩川を眺める都市がある。
酒の席で、腹広蟷螂がアメリカのように膨れた腹を振った。
これは居酒屋から葬式用の死人を運んでいる。
死んだ人間は運ばれることを知らない。
知らないものたちが増え、いつのまにか、都市の感覚の上から、
死んだものたちがはたりと消えて、運ばれてしまった。
運ばれる前、多摩川は死者たちを流れていく。
流れるものたちの浮かぶ、波紋ではネオンが観音様のように光る。
傾斜という傾斜がいちいち病院に収容されていく。
平坦だけが残り、あぶれものの川が点となりとどまる。
逃げそびれた、文字のたましいが、
救急車のサイレンからこぼれる。
こぼれた手前、蝶のように逃げてしまった。
運ばれない、蟷螂たちの文字だけが歌になる。
ときどき多摩川は病院のカテーテルを流れる。
同じくして、歌は群れるものたちの悲しみを流れている。
鉛筆と文字のような遠い睦まじいかかわり。
川が分裂していく、点滅する死を流れるために、死を探しに。
あっという間、目が見えないところまで来た。
男のまぶたは多摩川を閉じた。

「君はつり橋の中に急に現れた林に潜れるかい?」
「つり橋なんて、どこにもありません」
「ないって、君は確かにそこで生まれたんだ」
「余りにも生まれすぎたわ、私をつなぎとめるのはあなたの視線」
「他人に見つめられて、それっきり固まっていたいのかい?」
「ナイフとフォークを頂戴。それで光を食べ続けられる」
「ごまかさないでくれよ。こうしている間に、ぼくは渇いてしまう」
「やめて、あなたは病気。自然に通り過ぎるのを待つのよ!」

光が人間に光らない。
雨におたまじゃくしが流れない。
八月の道が七月の道をくぐって。
何も主張しない看板が積もり。
子供の宿らない妊婦が閉じられる。
ほら比喩ばかりがそれらしく述べられて。

「きみは歌になった世界を見たことがある?」
「やめて、あなたは病気。自然に通り過ぎるのを待つのよ!」







*タイトルはタゴールの詩文より引用


話も尽きて、どうしようもない沈黙のたゆたいが

  リンネ

話も尽きて、どうしようもない沈黙のたゆたいが、待ち構えていたかのように一瞬のため息の間もなく場に満ちて広がる。女の鈍感さか、あるいは性根からしてこうした雰囲気の冷たさを好むのか、まったく悪びれるともなく、無意識の端に身をほうり出さんばかりに、そちらのほうへ肩の重みを絶えず落としてはその重力にあらがうかのよう、ぎりぎりこちらの表情をうかがって目を現実に泳がす。手前で勝手に身の危機をつくり出すんだからどうしても危なっかしいものだが、そうしている時の表情は反対に湯にでも使っているように平穏なのだから怪しい。そんな女の繰返しを五分十分と眺め続けるうちに、次第に自分も女の放心の姿を鏡映しするかのごとく指先鼻先全身いっぱいに微力を溜め、努めて現実の瀬戸際に居座り続けようとする。私がむやみに人の気をうかがいがちなせいでもあろうが、どうやらこの場合は、ともするとこうした粘りの中に女との皮膚の触れ合いを見つけうるのではないかと俄かに予感する、肉体感覚の当たり前な情動が関与しているのではとも訝る。気づけば女のほうは水を含んだような妙に黒く重いワンピースから剥き出しに伸びた生白い腕を赤く掻き毟りながら、その動きの危うい鋭さを自覚するともなく、時間の流れに紙一重先をゆくかのようにしてふいに静止する。そうして指の動きが止まれば、私がその女の曖昧な時間間隔を捉える間もなく、再び立ち行く生の時間を追うようにして私の目の少し手前を女の視線が動き出す。
 「わたし、この頃、右目が重いんです。すごく重くて、もう少しで右足からつんのめってしまいそうなくらい。まるで目の下に憑きものがぶら下がっているように、じわりじわりと視線が右下に沈みかかって、はっと気づいて持ちこたえるんですけど、こうひっきりなしにそんなことが続くと、もう踏ん張りも聞かなくなって、その重みに身を投げ捨ててしまおう、そうすればでんぐり返しをするように、もう一度くるりとまともに戻れるんじゃないかしらって、都合のいい話ですけど、どうもそんな気がするんです」
 「それは危険な兆候だな。右目が落ちるなら左目も同じように落とせばいい。問題はつり合いです。もし左目が落ち過ぎたのなら、今度は右目をそれに合わせて落としてゆけばよい。調整がきくんですよ。終わりない不毛な微調整に見えかねませんが、結局私たちは生きて往生するまで常にそうやって右と左の釣り合いをとり続けて過ごしているようなものですから」
 まして、人間の生活である。右に傾き一つの生活に落ちついて寄り添えども、そこに踏みとどまろうと右手右足にどっしりと重みを蓄えれば、今度はその重力で生活が弛んでいく。慌てて左半身に重心を傾け、ぐらりと釣り合いを図ろうと前のめりになっても、すでに大量の重みを含んだ右半身にすっかり身体を取られて、あとはきりきりと残りの人生を舞い踊るばかりである。


  リンネ

 べっどの端に巨きな猿がぽつねんと腰かけている、屈託に塗れた、しわだらけの顔を赤く燃やし、静かに息をしている、世の中馬鹿なこともあるもので、夜が更けるとともに猿は銭湯へと変化してゆく、そこではさまざまな効能を持つ数多の湯が用意されているが、どれもくつくつと煮えたぎっているために、入浴後、胸から足の先まで赤く焼けただれる羽目となった、そのまま停車した電車に押し入り、いくつかの街を通り過ぎてわたしの部屋に来たのだと言う、わたしは猿に言われるがまま鎧兜を着せられるが、これは線香の匂いがする、厄払いなんて要らないよ、本当はこの時間、文庫を片手に眠り落ちてしまいたいのだと文句を吐いて猿を困らせる、さしあたり他人事のように感じる、猿を見つめてみると、彼もまた巨きな目でこちらを見守っている


 無様にひっくり返ったわたしは、兜虫のように両手両足をもそもそと動かしてべっどから転げ落ちる、が、運悪く仰向けになったままである、感傷に浸る間もなく、わたしは神輿のように担がれてどこかへ連れて行かれる、猿はいつのまにか三匹になっている、道中、彼らの話が聞こえてくる、まもなく地球は水滴のごとく宇宙の底に落ちて、暗く一面に広がって朽ちてしまう、などという他愛のない冗談を、再生機のように繰り返している、毛むくじゃらの手が六本、根のようにわらわらとわたしを支えている、心地良くもある、路上には点々と間隔をあけて、子猫の燃え殻が転がっている、皆、ふらふらしていたところを猿に燃やされてしまったらしい、恋人たちは大事そうにそれを拾い、神妙な面相を向け合って愛を確かめ合う、そんなふりをしている、人は皆愛を知らない生き物だった、焼けた猫の真っ赤な舌が一瞬飛び出してそうつぶやいた、幾分脅迫めいた表情をしている、恋人たちは何も知らずに拾った猫の頭部をもぎ取り、丁寧に鞄に詰める、きりもない


 空っぽの竈のまわりにはぐるりともう数え切れないほどの猿が囲んでいる、巨きな釜の中にぽつねんと座りこんで、煮られるということの恐ろしさに思いを馳せてみる、決して愉快ではない、もうすぐ準備ができますから、と、べっどに居た初めの猿が久々に顔を覗かせて笑う、とたんに、幻覚なのだろうか、一面見渡す限りの雪景色が見える気がする、乱れも冷たさもない、このどこかに猿たちは埋まっているのか、要らぬ心配もする、たまに顔だけ雪の中から覗かせている猿が居る、だれもかれも照り返る光に眩しそうな目をしている、ここに座ったまま、知っている顔を探すが、いざ見つけてしまうのが怖くて変にきょろきょろとしてしまう、大声で呼んでみると、返事はない、皆ただ人のように笑ってこちらを見返してくる


 黒い布で目隠しをされてしまった、わたしはもう押し黙ることを決めた、不安のねじまがりの中に言葉はむしろ邪魔になるだけではないか、次第に暗い視界の中央から巨きな川が流れてくる、猿たちは首尾よく橋を架けて渡り始めるが、こちらは容赦なく激流に呑み込まれた、体が強張る、くるくると天地が回り回り、自分の居所が蒟蒻のごとくまるで掴めない、分かるのは回転の中心にただ自分が居るという事だ、彼方から何者かが接近してくる、どうも怖くなる、そちらに目をやるが、つかのま、わたしの視線は思わず全てを通り越して、自分自身のまっくらな背中に突き刺さる形となった


「きみは狂ったように、哭くことができるか!」
「哭く間もなく、川は走り去った!」
「猿たちは嗤いながらぼくを歌った!」
「きみは空が大地の上に流れることを知っているか!」
「呆れた!空は雲に食べられてしまった!」
「雲は大地に落ちた!」
「きみはこのお話を気に入ったかい?」
「もちろん!ぼくはきみが憎くてたまらない!」
「猿が、竈の火に飛び込んだ!」


 終日、中身が無い、中身が無い、と、嘆く声音はどこから流れてくるのか、きりもなく、ともかくその繰り返しは案外気持ちよくわたしを慰める、朝、だらだらと体中を垂れる汗を、風呂場でしきりに流しながら、一度死んでしまった人間のように、開き直って屈託のない一日に向かおうとする、それは、さて、今日の朝食は何をつくろうかと、食に悩むことからはじまる一日である
 炊飯器が湯気を吹きあげている
 どれ、白飯でも、食べようか


朝、寝起きでトイレに入ろうと

  リンネ

朝、寝起きでトイレに入ろうとしたときである。父親が便座に座ったかたちのまま動かなくなっているのを見つけてしまった。両手をそれぞれのひざについて、ややうつむいたまま息もせずに石像になっていた。触ってみるとからだはやはり石のように硬直していて、目玉は真珠のように濁って白い。顔はなぜか満面の笑みに波打ったまま止まっているが、しかしそのせいで逆に気味が悪くなってしまっている。石になるなら石になるで、もうすこしそれらしい顔というものがありそうだが、きっとそんな事を気にする前に瞬間でこの状態に陥ってしまったのだろう。ともかく、このままでは用を足せないし、父親のほうも仕事を欠勤せざるをえないし、うまいこと行く方法はないものかなあ、などとしばらくぼんやりと考えていると、今度は母親がトイレの扉をたたいて、早く済ませて頂戴としきりに後ろで訴えている。母の扉をたたく音がするたび、父がわずかに揺れてそれが便器のセラミックとぶつかり合ってかちゃかちゃと変な音をたてる。もうしょうがないので、こうなったらと、父の股のわずかに開いたところを狙って小便を注ぐことに決めた。



気付いたら動かなくなっていた。最近は夜中に何度も小便をしたくなるのだが、今日も同じように暗い廊下を手探りでたどって、この便器の上に座った。ふっとため息をつく。立ちながらだと飛ばし散らかしてしまって、あとで始末するのが面倒だから、小便だけのときもはじめから座って用をたすことに決めている。息子にもそうするように言っているが、トイレの床がたまに黄ばんでいるのを見つけるので、あいつはたぶんこのルールを守っていない。ともかく、人が石になるだなんてありえない、という人がいたらどうかわたしを見てほしい。まるで体が動かない。しかし動かないくせにこうやって物事を考えることができるのだから、人間とはやはり不思議だ。朝になって息子がトイレに入ってきた。驚いた様子でこちらをじろじろ眺めてくる。しばらく考えるように首を傾げたあと、真面目な顔をして股間を広げた。ほれ見ろ、言わんこっちゃない。立ちながらするから、トイレの床や、便座のふち、しまいにはわたしの太ももと股間にまで、一面に飛び散っている。



トイレを開けてみると、そこには見たこともないような風景が広がっていました。はじめ、わたしはそれが息子と旦那だとは全く気付きませんでした。というよりどうしてあれが人間に見えるでしょう! それは石像でした、けれど人間のかたちをした石像ではありませんでした。もはや生き物としての姿かたちは全くとっておらず、まるでなにか現代美術館にでも置いてあるような変に芸術的なかたちをしていたのです。芸術なんてなんにも知らないわたしですから、それがほんとうに芸術的なものなのかはこれから批評家のかたがたに見てもらえばいいとして、ともかくなんだかよく分からないかたちをしていたといっておきます。それはもしかしたらトーテムポールに似ていたかもしれません。しかしそれはアーチ状に広がってもいました。いや、メビウスの輪のようにねじれて、終わりがまたはじめの所に戻っていくようでもありました。ともかくです、わたしはあんなおかしなもののことを考えるのは金輪際もうけっこうです。家も売り払うことになりました。こうしているうちにも、口まわりの小じわは増えていくばかりですし、これから独り身でどう生活をたてていけばいいかということに、もっぱら頭がいっぱいです。



おそらくこれは人類史上初めて、人間の身体そのものが芸術になった稀有な現象である、そういうふうに言えるのではないでしょうか。逆にいえば、芸術とはそもそも人間そのものに他ならなかった、というとくにエキセントリックでもなんでもない、いたってまともな一つの命題に、われわれはとうとう行きついたのだと言えます。父と息子、この特徴的な組み合わせに、ひとまず精神分析的な態度をとることをあえてわたしは否定いたしません、しかしなによりも今この瞬間われわれが必要とするのは、なぜこのような現象が起きたのか、という意味解釈論的態度などでは決してなく、むしろこの類まれな作品をいかに味わうか、味わうべきか、という実践的で倫理的な問題に対する、まことに真摯な姿勢であるといえましょう。この珍事がトイレという特殊な空間で、いや、じつにささやかな日常の空間で展開されたということに、じつのところ、わたしは感慨を隠しえません。デュシャンが便器を選んだのは必然でした! ゆえにわたしはここで提案いたします。このオブジェを便所空間とともに広く世界中に公開すること! かの住宅を、そのまま美術館として成立させること!


しかもな、梶原がおらんねん

  リンネ

 しかもな、梶原がおらんねん。近くのドトールで待ち合わせて、一緒に行こうぜwっちゅうことで、おれは先に着いて待っとったんやけど、時間になっても全然き―へんから、もし梶原くんはいつ来ますか?ってメールしたったら、わーーーー、風邪ひいちゃったよーーーw なんてかましよって、しかたなく一人で来てんねん。ま、行ったらだれかしら知っている人がおるでしょう、なんて思っとったけど、来てみたら、ははは、誰もおらん。見事に知らない人だらけや。ま、ちょっと到着が早かったし、まだこれから来るでしょ、いや来るにきまっとるでしょ、いやだれか来てうんうんと、ちょうど持ってた数珠絡まして両手合わして念力かましたってたら、はあ、クワバラくんは千ちゃんとむかし仲良くしていましたからね、さぞ悲しいんでしょうね。ご愁傷様です。オーデコロンでぬらぬらした正体不明のおじんが話しかけてきました。オールバックでした。ぬのお、おのれ、なぜわしの名を! と肝冷やしましたけれど、クワバラくん、千ちゃんに最後会ったのいつですか? 千ちゃんの好きなところは? 千ちゃんの武勇伝と言えば? マラソン大会100人抜き? それとも校内大食い選手権三年連続優勝? さあどっち!? などとまるで俺がほんとうに参列者としての権利を所持しているのかどうか、何やら試してるかのようにまくし立てるので、できる限りに神妙な顔つきで、やや肩を落とし俯き加減に、へぇ、ほんま100人ほにょにょう、ご愁傷様ごにょごにょーーーと尻すぼみに言っているうちに、葬儀屋の兄ちゃんが、お寺さんがもうすぐ来ますので、目をつむって静粛にして御着席くださいと始めたので、助かった、襤褸でえへんかった。南無法蓮華経ーーー。なむ。

 ここは千ちゃんの葬儀場です。むろん故人を偲ぶ場所ですから、厳粛に、厳かに、つつがなく執り行われる儀式に対しあらがうことをせず、参列者は日常のざらざらした雑念を取り払い、虚無的に万事流されるまま転じるままに在らねばなりません。南無法蓮華経。せやけどなんや、ほんま千ちゃんって誰やねん、明日千ちゃんの葬儀があるから一緒に行こうw なんて梶原が急にメールよこしよって、おれ、千ちゃん言われても思いつく知り合いなんて一人もおらんかったけど、そやかて千ちゃんってだれやねん、なんてかましたったら、どないなる思うてんねん。まあそれできっと千ちゃんが誰かっちゅうことは分かりましょうが、なんですか、きっとあだ名も忘れてしまうくらい疎遠な人ですから、そりゃちょっと葬儀に行くことはできへんのです。そんな中途半端な感じで故人を送ることは、おれの人間性つーか、信仰心つーか、そういう熱くてコアな部分が断じて許さないし。でも、千ちゃん誰やなんてゆうて、お前千ちゃんのこと忘れちゃったのかよ、まじ人間性疑うはw なんてことになったら、ちょっとやっぱりなんとなくさげさげで後ろめたい気分になるし、いや、普通に何とも言わずに用事があるんやなんや言って、するっと断ればええんやけど、そしたらまあ、了解w なんてふうに話が済むんでしょうけども、あいつまじ人間性疑うはw などとあとで友人のあいだで要らない風評流されるのも嫌でしたので、こうして誰かも知らない人間の葬儀に参加しているというわけです。たたられるでほんま。ややわ。怖いわあ。南無法蓮華経なむ。なむなむ。

 あかん、だめや、やっぱりだめや、ぬるぬるやおれは。見ず知らずの人間の葬儀に半端な気持ちで、なんや、ごめんなあ千ちゃん。誰か知らんけど、まじごめんよお。南無法蓮華ーーー経。南無法蓮華ーーー経。それにしても、南無法蓮華ーーー経、みんななんで揃いも揃ってそんなにぬるぬるしていらっしゃるのですか? すみません参列者のみなさん、ねえおいこら。あい、そこの兄ちゃん、葬儀中にくるくる髪の毛いじり過ぎですわ、女かあほ、ほんとに送る気ありますかあほ、南無法蓮華ーーー経、それとそこの端っこ一帯のおばはん淑女の方々、今更化粧直しても土台知れてるっつーか、いまあなたたちは葬祭の儀式に参加しているのですよ? 真っ最中っすよ? そこ自覚してます? なんですかその体たらくは、え? お寺さんに見えないから大丈夫だって? ふざけるんじゃありませんよ。ふざけるな。千ちゃんは見てるよー。千ちゃんはあんたたちの行いを何もかもお見通しだよー。やばいよー。このままじゃ、千ちゃんの魂うまく昇天できないかもなあ。うんそれってやばくない? なんかあれでしょ、そういった場合のプロセスとして、おれ全然詳しくないけど、地縛霊的なあれになっちゃうわけでしょ、けっきょく。あ、おいガキども、DSは今やってはいけませんよ。今は静かに千ちゃんの御魂を送ってあげましょうね。ほらほら南無法蓮華ーーー経! あにい? もう少しでラスボス倒せそうだから暫し待たれよ? いけませんねー、最近のお子さんはしつけがぜんぜん足りませんねえ、おらおら南無法蓮華ーーー経! 南無法蓮華ーーー経! 

 ぜはぜは、もうあかん、声もようでえへんわ。それにしても悲しいなあ、千ちゃん誰か知らんけど、いやこの葬儀はあかんて、まるで実の入ってないなよなよのインゲン豆のごとく形式的じゃないですか。もうあんまり千ちゃんが不憫なんで、おれ涙ちょちょ切れてきましたわ。おいんおいん。おいんおいん。おいんおいん。ん、なんですか? 泣いたらいけないですって? うっさい、故人をしのんで泣いて何が悪いんですか。わたしゃ存分に気の向くまま泣かせてもらいますよ。おいんおいん。おいんおいん。おいんおいん。え? クワバラくん、クワバラくんて、みんななんでおれの名前知ってんすか? どうして、そんなみんなおれを慰めてくれるんスか? それでよけい悲しくなってまうだけですやん。おいんおいん。おいんおいん。おいんおいん。おい、おまえら、やめてほほほ、くすぐったいちゅうに、いや胴上げはだめでしょう。あ、うわなに胴上げちゃってるんすかみんなまじで。お寺さん怒りますよて、ええお寺さんまで何しとんの、そんなお経もあげんで、万歳万歳、クワバラクワバラって。ああ千ちゃん。ああ千ちゃん。悲しいなあ。えらい悲しいなあ。達者でなあ。南無法蓮華経。こんなぬるぬるのおれを許したってやあ。でもでも千ちゃんのことほんまなんか他人とは思えんのです。ここにきて心底そう思うのです。生きてるときに会いたかったなあ。千ちゃん。ほんま誰やねんおいん。南無。南無。南無。


「お客様、お客様

  リンネ

「お客様、お客様、本日は当館にご来場ありがとうございました。映画の上映が終わりましたので、速やかにご退場ください」とアルバイト係員の近藤明美が三度丁寧にアナウンスするが、それでも座席でぐったりしたまま動じず、いっかな退席する気配の見せないケンタに対し、加えて三度「お客様、お客様、本日は当館にご来場ありがとうございました。映画の上映が終わりましたので、速やかにご退場ください」とこれもばか丁寧にアナウンスを繰り返すが、ここにいたってもやはりケンタは鑑賞シートに深く座したまま動じないといった体たらくゆえ、同僚の間でもっぱら生き仏であるという定評をもらい常日頃愉悦することしきりの近藤明美もとうとうこれには業を煮やし、しかし業務中であるのでむやみやたらに声を荒げることもままならず、それでも内面に押さえつけられた憤怒のために声はいきおい大声となり、「おきゃくさまあ……おきゃくさまあ……あ! ……ほんじつわあ……はやくう…あ! はやくたい、たいじょうしてえ……はいい!」と仏顔を化粧崩れの如くに崩しながらにじりにじりと場内の隅に座するケンタのほうへに詰め寄るが、暗がりでケンタが泡を吹いて悶絶しているのを見てとるや否や「ぎやーっ」と反転し、そのまま素っ頓狂な声をあげて思わず後方伸身宙返り二回ひねり後方屈身宙返りしてしまうなどの狂態を演じたのち退場口をくにらくにらして駆け抜けていく、と数秒後、すぐに事情を聞いた訳知り顔の年輩の係員岸田一信がAEDを抱えながら場内にそそくさと駆け込んできたかと思うと、「患者は……患者はどこだ!」とバリトン気味の声音でとりあえず絶叫し、席でぐったりしているケンタを発見すると駆け寄ってまた、「ぉおれが、おれがきみを救う!」ととりあえず絶叫した。岸田はケンタの着ていたネルシャツのボタンを一つ一つ慇懃に取り外すと、さらにわけのわからないふにゃふにゃしたマカロニ文字の書かれたTシャツを、持参した布切りバサミで慎重に切り開いたのち、装置の電極をはだけた胸部の適当な場所に貼り付けてみるが、この岸田という奴、要領を得ぬといった顔でなかなか装置を起動できず、おもむろに両の手に拳固を握りしめたかと思えばぐわんと天井を見上げ悔恨に塗れた体で、「……くそこれまでか、おれには、ぐ、おれにはこの男を……救うことが、でき、なかった……まこ、もこ、まことに無添加、いや無念、極まり、ない……ゆ許せ、許せ、青年よお、青年ようおおおおお……」などと大仰に非劇を演出している手前、AEDは勝手に起動しケンタの体内に電流を注ぐと、ケンタはむくりと覚醒、嗚咽号泣しながら「救急車、救急車」と叫ぶ、が、喉が裂けたような感覚があってけっきょく叫べず、代わりになぜか「スープパスタスープパスタ」「色即是空パスタ」あるいは「君の瞳にパスタ」などという意味のないようなことばをわめき散らし、そのまま数人の係員の制止する声を戦場へ向かう兵士らを鼓舞する類の声援のごとくに気持ち良く受け止め意気揚々と映画館を後にし、それでもいまだ半分意識を失ったままであったゆえ、やはりわけもわからずむやみに映画館近くのハンバーガーショップへ勇み顔で立ち入り、なぜかチーズバーガーのピクルス抜きと頼むところをバンズ抜きと言い間違え、店員は「チーズバーガー、バンズ抜きですね、二百五十円になります」と快活な笑顔で朗らかに答え「あ、すいません、追加でミートも抜いてもらって、コカ・コーラの、ええとコーラ抜きもお願いします!」とケンタが白目をむいて威勢よくのたまえば「かしこまりました。そうすると合計で三百五十円になります!」とやはり快活な笑顔で朗らかに返ずるのであった、であった、であった、などと悠長に三度云っているような暇もやはりなくそのままはやる足で近くの公園まで無心に彷徨、人妻婦人たちが日ごろのうっぷんを晴らすべく愚にもつかぬ世間話などを激烈な勢いでべちゃくりあうのをしかしよく耳をすましてみると、もはや彼女らの会話は内実を失った何やら会話っぽい発話のやり合いに過ぎないものへと変じており「あらそうなの田城さんの旦那さんもええほんとお? そうなのよまあまあそういう加藤さんのとこの旦那さんもほんとそんな感じじゃありませんの? そうよねえ分かる分かる。ほんと勘弁してほしいわよねえ。わたしたちだって羽伸ばしたいわあ。そうよねえ分かる分かる。でもあれじゃあない? あれ? え? あれ? ……あ! え? あれ。あれそうよねえ分かる分かる、え? うんうん、ほんと勘弁してほしいわよねえあれ。分かるわたしもほんとそう思うすごく思うわあって、おほほ。やっぱりあれよねえ、わたしたちって、分かるわよねやっぱり気が合うのよねえ分かるほんと、わたしも分かるほんと、ほんとそう思う分かるわあなんでこんな分かるのかしらほんとそう思う分かるわあ」などと表層的上っ面のレベルにおける意味のない相互理解を認証し合って愉悦することしきりであるのをベンチに腰掛け耳に受け流しながら、砂場におびただしく溢れかえる体長三四尺ほどの童女らの蟻のごとく賑やかで無邪気な戯れをぼんやりと平均的に眺めるなどしていると、うわこれはもしや食物神オオゲツヒメノカミのお告げかなあなどと感得せずにはいられぬほどあまりにも唐突に無性に腹が減った感覚に襲われたかと思えばそのまま空腹的欲望は階乗的スピードで絶頂にまで到達、あわてて先ほど購ってきた紙袋を開き、何やら楽しげなピエロのマークのついたべらべらの包装を取り除いた途端、そこに本来あるはずのバンズが存在しなかったのゆえ、むろんミートも存在しなかったのゆえ、チーズとタレとレタスなどのくにょくにょどもが押さえを失って無残に膝元にぶち撒かれるという状況に至って、ようやくケンタははっきりと意識を取り戻しおもむろに天空を仰いだ。
 快晴、快晴、まさしく快晴!


どこからか伸びてくるタイル地の街路を

  リンネ

どこからか伸びてくるタイル地の街路を、何だか人間のようなそうでないようなぼんやりと膨らんだ白い影が滔々と波打ちながらひとしきり流れていて、コンビニの前や、道端に缶ジュースを吐き出す自販機の前など、方方で渦を巻いているのが見える。牛のように巨大なショッピングセンターの壁面には、映画館の宣伝モニターが上映中の数編の映画の予告を眩しく映し続けている。どれもモザイクが全面にかかっていて、愛想笑いをする人間の顔のように思われる。ぼうとした明かりに照らされてわたしの顔が、青白く滲んだり、鬼面のように赤黒く溢血するなどしたかと思えば、茄子のごとく紫に膨らんでみたりする。もともとの顔がどうであったか、こうなってしまってはまるっきり判然としない。

「いつだったか、ときおりきみはそういう何もないような顔つきをしてみんなを怖がらせたことがあったよねえ」と背後の人ごみの方から油のように染み出す妙な声があって、はっとして首をくるりと背後に回してみると、死んだと思っていたK太郎が、狐のような人嫌いのする目すじのきつい顔をしてこちらを覗いている。「あれえ、てっきりきみは……」とまで云って顎が外れた人形のようにわたしの口が呆けてしまった。K太郎の目は黒目がなく、真っ白で、視線らしきものが生まれないので昆虫じみて不思議である。私の顎が他人のもののように、誰かに自動操縦されているかのように「卵を詰め込んだみたいな目をしやがって」と勝手にぱくぱくと痙攣し出してわたしは面喰ってしまった。しまいにはねじまき式の兵隊のように無表情でK太郎の方へ向かって行進していく。

何もかも活動写真じみたようになってわたしは不安になってきた。と同時になんだかどうでもよいような開けた気分も湧いてくる。近くでみるとK太郎の顔は中学生の時の幼い眼鼻つきをしていて、しかし目玉はぐりぐりと尋常じゃない動きをしている。それでいて肌は女性のように柔らかいらしく、妙にふわふわとした雰囲気でほほ笑んでいる。わたしと同じでもう三十近いはずであるのに。懐かしがってしげしげと眺めていると、向こうは昨日会ったばかりだと云うように当たり前な顔でにやにやしてくる。中指と薬指を絡ませては解く、と云う運動をしきりに続けているのが見える。K太郎は狂っているようでもあった。人臭い風が通りに吹き走り出してきて、腹を壊したような、電車の転がるような雷の音が空を伝わってくる。稲光は見えない。

突然、K太郎が膝を崩して、けけけ、と声を引き攣らせた。昔から笑い出したら止まらない奴であったなあ、と懐かしみが心底から浮かんでくる。こんな様子なのでよく聞こえなかったが、笑い声の隙間に「M太郎も来る」というようなことを云っているようであった。するとわたしのすぐ隣に、引き延ばされた餅のようにのっぺりゆらりとしたM太郎が突っ立っている。こちらもK太郎と同じく中学校の同級である。伸びきって七尺近くの長さになっていて、わたしを見下ろして、何かもごもご言っているが、よく聞こえない。気づけば、K太郎のほうもびろんと七尺くらいに伸び上がってしまっていて、わたしの頭上を二人の頭部が吊ランプのごとくに揺れている。その楽しげな視線の交錯するところでわたしは妙な表情を湛えている。それはあるいは表情でないかもしれない。輪郭のないゴムボールのような顔であった。

意識がぼんやりととりとめもなくなっていく。周囲の、街のにぎやかな感じは、すっかり忘れ去られてしまったように、わたしの顔の裏側から抜き取られてしまって、代わりに漠然とした虚空が顔面に満ちている。顔が、さらにむくんでしまった。自分の居場所はどうも判然としないが、自分がどうにかしてそこに立っているのは分かった。街路のあったはずのどこか向こうから、今となってはどことも云えないような向こうのほうから、見果てもないほどの煙のような人影たちが茫然と浮かんでこちらに迫ってくる。ふいに「セイヨクハトッテオキナサイヨ」と臆面もなく云う声が上がって、はっとする。小汚い、波型のトタン板のような皺に汗をにじませたお婆さんが、制服姿の中学生男子数名に向かってにこやかに云ったのだ。あっけらかんとして云うので、こちらが面喰って友達と笑いあってしまった。その笑いは身に沁みるような悲しさがあった。煙が四囲からどうしようもなく近寄ってくるにつれて、その悲しみも、段々とぼやけてくるような気がした。
 
K太郎!
M太郎!

その響きは恐ろしかった。


Kは家に帰るまでの道のりを知っていたが

  リンネ

Kは家に帰るまでの道のりを知っていたが、決して家にたどり着かないであろうことを予感した。会社の上司であるA氏によれば、こうしたいわば帰宅不全のような状態は現代人特有の珍しくもない病らしく、実際上司の息子のBくんも修学旅行に云ったきりいつまでも帰宅を続けて一向に帰ってこなくなってしまったという。なんだあ、つまらないねえ、君もけっきょく現代っ子なんだ、とA氏が笑うとゆらゆらと笑いが伝染してしまいには同僚みんなが笑っていた。Kもおかしくてたまらなかった。ともかくKはいつものように自分の部署が担当している新製品の試作品の作製や、解析結果のまとめをひとまず終えると、同期のMさんに先に帰ることを告げ、リノリウムの床を甲虫のようにさかさかと滑り、ロッカー室の扉をぶつかるほどの勢いで開き、紺色の湿った作業着を自分の身体からはぎ取った。気分はむしろ踊るように軽やかであった。そのせいであろうか。先にロッカー室で着替えていた先輩のH氏が丁寧に何度もKに向かってお辞儀をしてくる。Kが気恥ずかしく思って、無理やり先輩の頭を素手で両側から掴むと、お辞儀の姿勢のままぴったり九十度で固まってしまった。これは不味いことをしたなとKは後悔したが、顔は嬉々として傍からは反省しているように見えない。ともかく、ロッカーにしまわなくては。幸い、両親が墓参りにいったきり帰宅不全に陥ったと云う一身上の都合で退職せざるを得なくなった、後輩のOくんのロッカーが今は使われていない。そこへ先輩を隠してしまおうとするが、気が急いて無理に押し込んだので自分の腕と先輩の腕があべこべに絡まってしまい、なかなかうまくいかない。それでも丁寧に腕を解いてしまい終わると、やはりKは満面の笑みを湛えて甲虫のようにさかさかと顔面を床すれすれのところまで下ろしながらロッカー室を出て行った。Kはそれっきり家に帰れなくなった。もちろん道順は知っているし、帰る意思もあった。というより今でも彼は実際に帰ろうとしている。帰宅の途中にある。それでも帰れないのは思想の問題であるとKは考えた。電車のつり広告にはこう記されていた。

 『たとえ道を知っていようとも、私は決してコルドバに着かないであろう』

 Kはもっともだと思った。これこそ世の中の真理であろうと思った。むろんKはコルドバというのがいったいどこにあるのか知らなかったし、この言葉がいったいどのような状況で使われたかなど全く想像もつかなかったが、だからこそ得心がいった。気づけばKはどこぞともしれぬ駅に漂着していた。そこは実にすばらしい駅であった。複数の線路に接続しており、駅周辺には大規模なショッピングモールや高速バスのターミナルがあった。そのもっと外側には高層ビルがつくしのように密生していたし、まさに中枢都市という立派な景観であった。Kは往来の人々のあいだを、つま先立ちで体を細くして逆流していくが、K自身いったい自分がどこへ向かっているのか分からなくなっていた。もちろん帰宅中であり、方向としてそれが自宅へ行く道であると云うことは明確に分かっているのだが、思想として、やはり根本のところがどうしても明確でないのである。いっそ、ハンガーのように肩を張って、地面に根を伸ばしてしまおうか、いや、やはりよしとこうかなどと、首を奇妙に傾げて懊悩していると突然、五歩分ほど離れたところにあるベンチに座っていたおばあさんが、羽を広げて街路樹に向かって飛びつき蝉のごとくわめいた。

 『口から、へその緒を通っていく血を吐いている!』

 Kは突然の眩暈に襲われ、吐き気をもよおした。雷に撃たれたように強張った足取りで来た道を戻り、電車に潜り込んで、会社まで駆けていくと、リノリウムの床をやはり甲虫そっくりに滑りロッカー室に飛び込んだ。
 H先輩の頭部が、ロッカーからはみ出して、こちらを見た。
 後輩Oが背後からKに飛びかかった。
 Kは自分の腕を自分の身体に巻きつけられ、脚は蛇腹のように幾重にも折りたたまれ、『しまった!』と叫んだときにはすでにロッカーの中であった。
 鍵の閉める音に続いて、上司Aの歌う声が響いてきた。
 その声はどこまでも響いていき、Kの頭の中で渦を巻いた。


うどんの想像力

  リンネ

 夢うつつというでもなく、ふと日ごろの疲れよりくる眠気に足をとられ、ほんの一瞬目を閉じれば最後、のっぴきならぬ結果を生むと云うものだ。毎朝毎朝、どこに行くともしれぬ通勤電車に体をねじこみ、右も左も沸き立つ人肉に囲まれもみくちにされるしまつ。さながら煮込み饂飩である。せっかく朝起きてしゃきっとした右と左の目玉が、ごったがえしの車内で茹であがってしまう。ぬるぬるになってしまう。ともすれば輪郭がゆるくなって、自分が饂飩のように、饂飩が他人のように思われてくる。人生はごろごろと混ざり合い溶けあいしまいには何ものもしっかりとした自分らしさを持てぬまま電車のすきまからするすると這い出し、そのままレールにこびりついて気づいたら平凡な饂飩のごとき一生涯を終えてしまっている、そんなことまで起こりうるかもしれないから怖い。かかる嘘のようなこともあり得るとすれば、たとえばふと眠気に意識を失ったかと思った次の瞬間、自分がたちまちたっぷりとしたぜい肉を蓄えた、一人のまっくろな牧師へと成り変わっていたとしても、別段に驚くことはないんじゃないかとさえ思う。そしてそれがたとえばわたしの身に降りかかったとしても驚くとかなんていうかそういう意外だなあとかいうふうには感じないんじゃないかなと思う。というかじっさい全然そういうふうに思わなかったというか、むしろ本当の自分を見つけて最高にハッピーな感じである。うわ、これだよこれ。ついに分かっちゃったよわたしは。ある日とつぜんに凡百の月給稼ぎから、凡百の信仰の徒となった、まごうことなき凡百の人間であるよわたしは。
 凡百の権化であるよわたしは。
 例えばこういう洞察を得ることがある。すなわち、百萬の饂飩たちがわたしの説教を待っており、それは火を見るより明らかであると。というのも風の立たぬところに火は起こらない。つまり、気づけば屋内にもかかわらず一筋の風が吹いている。それは饂飩粉の香りのする風である。しかしそれがどこから吹いた風かは知れない。それが本当にいわゆる風のごときものなのかもじつは一人の凡人の憶測に過ぎない。憶測というのは怖い。しかしともかくその吹いてくる方向にあらがって進んでみよう。ポジティヴに行こう。風は強いが、足取りは軽い。爪先も踵もひょうひょうと飛び跳ねている。一介の派遣社員とて、こんな出自不明のわけのわからぬ風に対してなら立派に仕事を成し遂げるというわけだ。

 ふと目を覚ますと、戯れにあくびをする間もなく重たいベッドの掛布団はひっぺがされてしまうのだ。これはつらい。いやいやながら軸のないふらつく背中を二本の頼りない足によってぎりぎりに支え、さあ歩き始めるぞといざ意気込んだところ、肝心の体のほうはといえば、これがうんともすんとも言わぬのだから始末が悪い。それでも無理やりに全身を震わせて、はるか彼方、寝室の出口扉にとうとうしがみつき、手首をくるくると回して戸を開いた。そうしてようやく壇上に上がったかと思えば、もはや息も絶え絶え、説教どころの話ではないのだ。説教のできない牧師なんて、饂飩の吸えないサラリーマンのようなものだ。
 生きていくこともできない。
 しかも信者など一人もいないのだ。代わりに沈黙ばかりが部屋を埋め尽くして偉ぶっている。日ごろからその身を信仰の道に捧げ、何事も疑うことなく生きてきたというくせに、しまいにはこのていたらく。信者というのも今では流行に関わらざるをえぬというわけだ。よろしい。ともかくありようはこういうことなのだ。わたしはわたしで自分の仕事を全うするだけ。今の今までたまたまそこに信者がいたればこそ、一人空っぽの一室で声を上げずに済んだというもの、こうなれば腹をくくって事をなすのみである。あれこれの道具立てはもはや無用。こうしてある日、狂気の天井はサーカステントのように遠のくのだ。ときに教会の天井のどこかまったくの暗闇から垂れ下がって誘惑してくる白い紐に対して、できることといえばどうしたってただ一つ。それもまことに簡単な仕事。しっかりと首にそれを巻きつけ、のっぴきならぬ用向きに、それ相応の準備を整えるだけのことである。
 わたしの白い頸。わたしの黒い頸。天の紐に導かれるようにして、ふらふらと所在ない二本の足を揺らしながら、上へ、上へと昇っていく。信者に見限られた今となって、この身が一寸ほどの球体間接人形へと変化してしまってもなんと文句がいえよう。こうした肉体の過激きわまる変容は、どうやら精神のほうにも少なからず影響を与えるらしい。ちっぽけな身体には、ちっぽけな昆虫なみの精神があれば用は足りるというわけだ。そして他愛もない人間には、やはり他愛もない神程度がおあつらえ向き。左様、わたし自身の顔立ちが今ではいつのまにか神(うどん)の子のそれそっくりとなっている。こうも目鼻立ちがそっくりとくると、よもや信者を失うということももはやこの先あるまい。あとはわたし自身の問題だ。しかし身体は大変に熱い。目がしらは溶け出してしまいそうに煮え立っている。天井の中央にある、あの白熱灯の熱波が、わたしの身体に巣くう毒をあぶり出そうと云うばかり、真面目な目玉をこちらに向けてぎろぎろとしている。まっしろにきれいな、大きな目玉だ。まるであのルドンの妄想した巨人キュクロプスの持つ一つ目だ。ということはやはり、あの目は恋に病んだ目だとでもいうのだろうか。それゆえに熱を帯びているとすれば納得もいくというものだ。もちろん少なくともあの巨大さは、わたしが一方的に小さくなってしまったゆえのこと。いわば嘘っぱちの巨大さ。ところがその嘘っぱちが、わたしにとってはどうしようもないほんとうなのだから困ったものだ。
 はっはっは! 頸にかかったこの頼りない紐は、それでも遠慮なしに上昇を続けている。その紐の先で、くるくると身体をねじったり、あるいは両手両足を無意味に伸縮することくらいしかできないわたしは、さながら、神の垂らした疑似餌に食いついた哀れな重病患者のごとき有様である。もはやなすすべなど何もない。それは先刻承知のこと。しかしこんなわたしも一人の神の子なのである。凡人にはそうそう耐えかねるこの灼熱の明かりを背に受け、無用な叫びをあげることは少なくともありえない。どうしたって目前の運命を受け入れるしかない。そんなことは承知の上。これがしかし、あるいは何かその筋の指示によって巧妙にしくまれた謀略であったとしても結果は同じ。おお。あつい。あつい。背中が焼け野原のように無言の叫びをあげている。むろん私の口は、一文字を描いたまま微動だにしない。
 あ。耳の穴から火が噴くことがあるとは! 人ひとりの人生というのはほんとうに奇妙だ。ほうれ、ほれ。わたしの背中はとうとう白熱灯にぴったりと重なりあってしまった。つまりはこういうことなのだ。いつのまにか煮込み饂飩たちの叫びが、わたしのはるかかなた下の、これもいつのまにやら忍び寄るように現れた黒い魚の口蓋のような穴ぼこのほうから、耳を弄さんばかりのごつごつとした怒号となって、うなぎ上りに上ってくる。そうか。そうか。これが終末論のなれの果て! ああ! こいつはうかうかとしていた。どうやらわたしはすっかりだまされていた。磔刑というものを、わたしは少しばかり勘違いしていたというわけだ!

 脚立うどんにそっと足をかけた二名の子供うどんらによって、ゆっくりと自殺者うどんが下ろされてくる。子供うどんらは顔立ちがまるでそっくりで、はた目からは区別のつかないほどだ。この場合、とかく区別をつけないというのがむしろ実際の理うどんにかなっているといえよう。自殺者うどんの頸にかかったロープは、見ればまったくその役目を果たし終えようとしてくたびれていた。とどのつまり、根元のほうはすでに業火うどんによって頼りなげに黒焦げていたのだ。そして悲劇うどんが起きた。それはまことに突然のことであったが、あながち論理うどんは通っていたようにも思える。つまり天使のごとき二名の細腕うどんが、宙ぶらりの自殺者うどんの体を自らのもとへそっと包み込もうとした間際の、瞬間の出来事であった。何の予兆うどんもなく、白熱うどん灯からとたんに炎が上がると、まるで導火線うどんを伝わる火の子のよう、首吊りのロープうどんを経て、またたく間もなく燃え広がったかと思えば、すでに炎は自殺者一名と子供二名の全身をすっかりと包みこんでしまっていた。そうして三名の体うどんは渾然一体うどんとなって墜落うどんし、この一室うどんの、ニス塗りうどんをされて光沢うどんじみた床うどんの上うどんに、胴部うどんや腕足うどんのことごとくを失った奇妙うどんなシルエットうどんで、三名うどん一様うどんその体うどんをぐったりと寝かせたのであった

 ここにいたってようやく目を覚まし首を振るとすぐさま背筋に妙な悪寒を感じたがそれはすぐに身のどこかしら果てへ果てへと沈んでいき代わりに臍から湧き上がってきたものといえばそれはまったくわたしの思案の範疇外より現れたとしか言いようのない恍惚のごとき突拍子もない饂飩であった。が、それもいまでは失くなった心のうちにかすかな残り香を濁すばかりでなんともさみしい。もはや何ものもどんな意味のあるものもすべてわからないということが判然としたときそこらじゅうにぶら下がっている輪っか状の吊皮や、かたちを持ったさまざまな饂飩たちの鋭い幸福の視線がきりきりとわたしの顔をまぶしく彫刻していくように思われた。
 乗客の大きな顔が、それを眺めて笑っている。


一枚岩でない

  リンネ

「群人の記憶」

ひとびとは群をなして一方向に走り出す
そしてわたしたちは前方に見える
愚鈍なカメを追い抜く
猥雑なウサギを追い抜く
分裂病質のアキレスを追い抜く
斜視のゼノンを追い抜く

わたしはひとびとの塊のなかで一枚岩でない
わたしはその塊のなかから
しゃもじのような腕をぬらりと生やして
こっそりと、しかし限りなくすばやく、その
カメの愚鈍をもぎ取る
ウサギの猥雑をもぎ取る
アキレスの分裂病質をもぎ取る
ゼノンの斜視をもぎ取る

すなわち
わたしはけっして一枚岩でないのだ
しかしわたしたちは
宵のころ、コンビニの明かりのむこうに
それでも見える北斗七星が
およそ単なる星星のきらめきでないのと同様に
なにはともあれ
何束もの愚鈍な札束である
何本もの猥雑な棒金である
何枚もの分裂病質のクレジットカードである
何刷もの斜視の領収書である

それにもかかわらずやはり
わたしは移動するひとびとの
肉列車の建築ふかくからそっと
なま温かい雲形定規ふうの
ひとまずの裂け目をひらいて
一本のわたしのまっきいろな手頸を
生やそうとしては
仕方なく立ち寄った蕎麦屋で
もう何年も同じしゃもじを捜している

しかしそれも今ではすでに残響である


【註解】



[愚鈍な亀]は、ある日突然に人に飼われ、ある日突然にやはり池に捨てられたところのかわいそうな亀である。その亀はまるで泳げない、愚鈍そのものの亀である。飼われているあいだに泳ぎ方をすっかり忘れてしまったのだと、亀は首を珍棒のように伸ばして弁明するが、ほんとうのところ、亀は猥雑なウサギを見るたびに全身が煮えたぎるように熱くなるのを感じた。しかしそれは全く性的なものではなく、むしろ鋭い嫌悪感によるものであった。何の訳もなく亀の珍棒は憤怒に満ちた。その漲る怒りの気分は身体の端々へと溢れて、亀は硬直した陰茎の如くぎらぎらになった。その日の天候はとても気持ちの良いポエムびよりであった。



[猥雑なウサギ]は、いわゆるところのネット詩人である。たとえば、かれは仕事(このウサギは登録制の派遣社員である)のない日などは自宅近くにあるログハウス風のカフェーに行き、読書などに耽る。そんなときカウンターに置かれた花瓶にささった、頼りなげな青白い薔薇が花弁をぽろりと落とすと、ウサギの胸にたまさかの詩情が湧く。そこでかれはすかさずポエムを練ろうとする。しかし相変わらず何も生み出せないのだ。薔薇はウサギを急かすようにもう一枚花弁を落とすのだが、全くウサギは益々焦るばかりなのだ。それでいて薔薇は花弁を落とす作業を尚もやめないのだ。それでもようやく無理やりのように書きあげた一篇の詩も、註解なしには成立しないような、まったくどうしようもない低劣な落書きであるのに、ウサギはほとんどそれに気づかず、パソコンの前で顔という顔をすべて真っ赤にしてマスをかいている。



[分裂病質のアキレス]は謎かけが好きな法学部の青年である。曰く、

「これは良識のいずれかの基準の下で禁止されているからですか? わたしは個人的にネット詩人を攻撃しません。実際に、わたしはさらに、これらの詩は麺のように吸うだけのこと、彼は良い詩人だと述べているのです。『ディベート』を目的としたコメントのセクションではないですか? それでは命題を出します。

命題1−1 どのようにあなたが詩を聞いていない場合は、あなたが詩を好きではないことを知っているだろう
命題1−2 詩はあなたが詩の夢の人であり、あなたの声が詩に来ていることも見ている
命題1−3 あなたは詩があなたを夢中にさせる詩を愛して、あなたはこの詩が大好きなゼノン

さあ、わたしは再びわたしを愛して歌うわたしのポエムをした、わたしは大量にしたいが、再びわたしを愛し、詩を

けしてチェックアウトしないでください」



[斜視のゼノン]はこの詩を評して、かくのごとく言い放った。

「どどん。ゆどのん。あぐおいんご。んどぽー!ひゅどぽー!ざぱぱぱぱあ! って不意に叫びたくなるくらいの衝動が我が胸に灯されたとしたら、果たしてそのとき僕は恍惚を味わえるのか!? ということとかをやっぱり時折考えてしまうよねこの年になるとね。まあ人間の王国に住む限り仕方のない話だよね。でもこの詩ってさ、結局ぼくらの想像力の範疇を超えないわけじゃない?凡庸凡庸。こうゆうメタ形式にしたって、結局だめなものはだめ。ぼくの前にはたしかにアキレスくんが歩いていたし、アキレスくんの前にはウサギが、ウサギの前には亀がいました。でもあなたはあのアキレスくんの何を知っているというの? ウサギだって亀だって、みんなこっちでは生身の存在なの。わかる?まずあなたはそこから反省しないとだめ。アキレスくん、男色よ。あたしだってそう。うっふん。そんなこと、あなた、なんにも知らないで書いていたんでしょ? やだやだ。だから詩人は嫌い。んもう。読者にしたって、同じことよ…


カップヌードル式

  リンネ

 ぼくは部屋の中をぐるっと見まわした。そして思い掛けない激しさで、「カップヌードルがある!」ふと涙ぐんだのも思いがけないことだった。「カップヌードルがある」もう一度小声で繰り返すと、目の前の壁がもやもや霧のように胸いっぱいにひろがるのだった。
 カップヌードルというのは、目に見えるということが大事なのだ。そのカップヌードルが不可視の存在になってしまったら。そしたら、どうだろうか。目に見えないカップヌードル。これは矛盾そのものである。
 時計を見ると午前十時三十八分二十六秒だった。そのときのカップヌードル。二十七秒のカップヌードル。二十八秒のカップヌードル。カップヌードル、カップヌードル、カップヌードル。いろんなカップヌードルが僕の部屋に溢れて、僕はそのすべてをだきしめたいなあ、と思う。部屋に満ちるカップヌードル。
 ぼくはここにあるカップヌードルがカレー味であろうと、しょうゆ味であろうと構うまいと思った。ここにカップヌードルがあって、ある関係を結ぶだけだ。ぼくのペニスがコンドームと関係を結ぶのと同じように。頭と枕が関係を結ぶのと同じように。
 こんなふうなカップヌードルの一列を「口中オルガン」と称していた。並んだ抽斗にはそれぞれフリュート、ホルン、天使音栓などと貼札がしてあり、ぼくはこれを引き出して、あちらで一滴、こちらで一滴とカップヌードルを味わいつつ、内心の交響曲を奏するのである。
 ぼくは頭蓋骨ののっている机のはしからカップヌードルをとりだした。ぼくはほんのちょっとのあいだ、そのカップヌードルに自分の手をのせた。それは、冷たくてしめっぽい、カップヌードルだった。
 そのカップヌードルがころころと転がり落ちた。そうしたら、本当に不思議な話のようだが、そのぼくの、二十年前の兵隊さんの外套のポケットから、いつかカップヌードルがころころっと転がり出してきたことがあったのだ。それを、とつぜん思い出したのである。
 しゃがんだぼくは夢中でカップヌードルにしゃぶりつく。陥没した容器から蠅が飛び立つ。蠅はしばらくカップヌードルのまわりを飛んでいたが、シーツの上に降りるとまもなく消えた。
 それからぼくは、こぼれたカップヌードルのなかに寝転がり、平らな麺に自分の頭を載せて、乳を流したようなスープを見つめた。スープには、星の精子が点々と穿たれ、天の尿が流れて奇妙な模様を作り、それが、星座をちりばめた人間の頭蓋にそっくりの円天井に広がっていた。
 ぼくはここでもうじき死ぬる。でも大丈夫。ぼくはカップヌードルだ。ぼくは初めから、むかしもいまもこの世界に居るし、居続ける。適当な紙にカップヌードルの記憶を書き込んでみよう。カップヌードルはまた同じことを繰り返すのだ。
 いまでも責任をもって確信することの出来るのは、この世のなかには、唯一絶対の、だからほんとうのカップヌードルなんかありはしないということである。そしてぼくは、はなはだ無邪気で申訳がないが、そのことをこの世のやさしさとして喜ぶことが出来るのである。
 ぼくはいま幸福なのではないかしら、とふと思った。幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、幽かに光っているカップヌードルのようなものではなかろうか。

 箸を、だれかが、ぼくの心臓に刺し込み、二度えぐった。眼がかすんで来たが、箸を構えた二人の男がぼくの顔のすぐそばで、最後を見極める有様が、まだわかった。「カップヌードルのようにくたばる!」ぼくは云った。屈辱が、生き残っていくような気がした。
 そうして房飾りのようになってしつこくつきまとう、燦然たるカップヌードルに囲まれて、ぼくのスープは、夜空に微動だにせずかかっている星座の下で、自らもまた銀色に輝く姿となって、ゆっくりカップヌードルの外へと流れ去った。

 いったい、いつから、そのカップヌードルがカップヌードルとなったかを、ひとびとが忘れはててしまうことによって、カップヌードルはまさにカップヌードルとなる。



  【註】

 パラグラフごとに次の順序で各々の作家の文章の引用である。しかし引用文のほとんどは作者により人工合成の添加物を幾ばくか混ぜ合わせてあることに注意が必要である。

阿部麺房、松浦麺輝、町田麺、麺田雅彦、J・K・ヌードルマンス、ジェイムス・ヌードルス、麺藤明生、麺取真俊、ヌードルジュ・バタイユ、町田麺、椎名麺三、太麺治、F・N・カフカ、ウィリアム・ヌードルディング、プラメン


愛人

  リンネ

 上等の小麦粉のような肌が。あらゆる美しいものがそこに詰まって、出口を見失っている。死ぬことと生きることが完全にそこで分かたれて開かれている。決して食べることはできないのに。食べたいのに、食べられないものを、食べようとする間際に、肉の門番が、からだが立ちはだかる。あの音色の、あの乳房の、皮膚という皮膚すべてが、それらの攻防を極限まで追いやる。くびを、そのことばの響きさえも、締め付けられてしまう。それは決して食べることができないのに。食べたい、という底抜けの欲求がある。あらゆる対象に向けて。迷路のように。すべて、じぶんに欠如したものを、食べたい、と欲望すること。それは、食べられたい、というありえない欲求を、幻想の胃壁のうらに、うらとおもての狭間に。織り込もうとするかのように。それはおもてではない、それでも、うらのうらでしかないような面に。指折り、写し取っていくそれを。影をすくうように。影によってすくわれるように。やっぱり何も食べられないのだけど。食べたい。わたしは食べたい。わたしは呪文を、空しく残飯の積まれた廃屋の、くちびるを指でなぞって、数えていく。ぜんどうする見えないものこそを。このからだに情愛として記すことで、食べたい。呪文、宣誓、奇声、見えないもの、うらがえしになったその輪郭をなぞって、溶けていくある過剰さ、欠如しているがゆえの過剰さを。ビフテキに、折りたたまれた太陽の、欲情を、わたしは信じない。食べることを可能にするものに、わたしは異議をさしむける。信じないからこそ、書き込まれたわたしの過剰さは、ビフテキにも、そのことばの痕跡にも、顔にも、香りにもなにものにも先立っている。あまりにも繰り延べられているゆえに。すべてに遅れをとっているがゆえに。あれをしても、どこにも届かない。繰り返すほどに、離れていく。食べたい、ということばは、どこを見まわしても、その輪郭が見え過ぎている。しかしそれは、ほんとうの過剰さとはほど遠いしかたで。しかしいずれはさほど遠くもないどこかで、わたしはおそらく、結合したい。わたしとそれを。しかしそれを口にする間際に、わたしの口が、わたしを超え出てしまっている。その口はわたしのものではない。おそらくは、舌も、食道も、胃も、消えていくことばの尾ひれも。わたしのすべては、からだに遅れをとっている。決定的なほどの遅れを。先立つはずの、からだもまた、わたしに遅れている。食べたい、という感情はどこにも居場所をもてない。たましいにも、精神にも、あらゆる器官においても。それでも、食べたい、と口ごもって、存在している。それほど、わたしは愛している。だから居場所をもてない。愛にも結実しない。食べたい。食べたい。と。わたしは繰り返し、わたしは食べる。人間を。そのことばを。ことばでしかないような、人間でしかないような、それを。延長していく扉の前で。半開きの空間から、差し込むまばゆい光の前で。ひかり、とは似つかない、ある輝くものをのぞき見るために。卵のような目の、その口をひらくことで。すべてをみごもりたいがゆえに。わたしは食べたい。食べたい、と言うのだ。そのことばの苦しさに、触発されて震えることがある。なにもかもわからず、ただ並べられたことばに感情が引き寄せられ。夢を見るような、ある認識できない過剰さに。わたしはその過剰に、その欠如におぼれてしまう。本を折りたたむようにして、口を閉じる。緊張した胃に、ひとつの物語がまた孕まれたのを知って。流れる糞便のような、その物語を知って。それを吐き出すために、それに先だって、口を閉じようと。先立つものに、遅れるものに、その双方に抗いながら。


メンマ・シンドローム

  リンネ

わたしは三日三晩ひたすら同じラーメンをすすっている。ずずっと。吸い込むたび、手のひらの月丘と呼ばれる部分から、あるものが生えてくる。あの赤ん坊のものだった足。足が生えてくる。しかしいったいこれを足と呼んで良いのか。この足はわたしのものなのだろうか。足の生えた手は、だが、手と呼んでもよいものだろうか。あるいはこれは足の形をしたあの赤ん坊の記憶なのだろうか。わたしは誰にすがってこのことを問えば良いのか。割り箸に染み込むスープを見つめて酒臭いため息をつくが、あたりに人影はなく、あるのは一杯のラーメンのみである。手に生えた小さな足がばたばたと楽しそうに動いている。その足がどんぶりを蹴り上げてしまった。ちくしょう。床一面にスープが広がっていく。ひっくり返ったどんぶりの隙間からメンマが顔を出している。

わたしの赤ん坊には生まれつき腕がなかった。指だけが脇の側面から生え揃っていてそれらの指の並びは人工的で美しかった。等間隔に控えめに並ぶ指。風を受けてさらさらと気持ちよさそうにそよぐ指。いや、抵抗するように硬直しているようなそんな素振りで耐え忍んでいるようにもみえる指。ちょうどこの床にひっついたメンマのように。赤ん坊に足があったかどうか。よく覚えていない。赤ん坊には足があったのだろうか。いやしかし、知ったことか。もういい。バスが来ている。

熱々のスープの中に指をつっこむとラーメンにも背骨が生えているのがわかる。ラーメンには四肢がないのだろうか。ラーメンにはやはり命もないのだろうか。命のないラーメンは癌になるのだろうか。「わざとらしい問いかけだ!」バスの運転手は突然の通行人を避けてハンドルを右に切りそう叫んだ。ハンドルは巨大な鳴門であった。通行人の四肢はどこかにふっとんで、みなラーメン屋の店長になってしまった。いらっしゃいませ、いらっしゃいませと不自然に笑みを浮かべ、人々の往来する交差点の中央などで根を生やしている。迷惑極まりない。口からスープまで吐き出して。これはわたしの妄想か?

バスの中で乗客たちは手を合わせてぶつぶつと祈り始めた。その手にはメンマ。殺菌された、清潔なメンマ。

いつのまにわたしはバスを降り、渋谷のどこかの交差点で、月を見上げている。しかしわたしの目玉は裏返ってわたしの内部のラーメンを覗いている。すると、ふたたびメンマのような輪郭がわたしの頭部をすいすいと泳いでいるのが見える。ばかのような話だ。あの赤ん坊の顔をしたその奇妙なメンマには四肢があったように記憶している。わたしの記憶はいつも曖昧である。わたしの手足はいつも曖昧である。手のような足のようなそんな曖昧な四肢が、わたしの記憶のメンマのくちびる、その魚そっくりのくちびるのなかに、ぱくぱく、と吸われていく。わたしはメンマが大嫌いだ。メンマは私の憎悪でできている。だから食い尽くしてやる。

人々は木々の下でしばし酒を酌み交わしながら前世に食べたラーメンをすすりあう。或るものは自分だけのメンマを咥えて歌い。或るものは鳴門のハンドルを握る。わたしはといえば夜空に流れては消えていく無数のラーメンの切れ端に気を取られ、足元に生えたあの赤ん坊をいま踏み殺してしまった。ちくしょう。それでも降り注ぐラーメンがわたしたちの存在を祝福していく。めまぐるしく風景が移り変わり、ラーメンがあるのか、世界がラーメンなのか、わからなくなってくる。わたしはラーメンをすすり続ける。なんて不味いんだ。なんて味気ないんだ。

ああ。店のカウンターに残されたのは極上のラーメンとわたしだけだ。灼熱のスープのなかで楽しそうに笑っているのは踏み潰したはずの赤ん坊である。ふと、手元が濡れているのに気がつく。手のひらに生えた足から腐乱したスープがしみ出してきているのだ。手遅れではあるまい。わたしは急いで両手の足をもぎとって、目前のスープに投げ込む。煮えたぎるスープに映し出されたわたしの顔は、もはやあの赤ん坊の顔そっくりになっていて、わたしはもう赤ん坊のことが誰だかわからなくなるほど赤ん坊となっている。

「人間は死なない。それは人間が麺類だからなのだ」わたしはそうひとりごちて鳴門のハンドルを今度は左に切ると、壁のように巨大なメンマが一行の行く手に立ちはだかった。「食い尽くしてやる!」とわたしは腹の底から絶叫したが、その声は乗客たちが麺を吸う音によってかき消された。


すぱいはリズムのドラムを叩く

  リンネ

K、魚類のような細長い顔して
遠くから望遠鏡ごしに覗く

都会のリズミカルな生活

ここは徒歩10分
プロフェッショナルな目つき

隣人のY子、ぶるぶるとグラ
マラスにしゃべる
Kのとなりの隙間に挿入されている
Y子、のグラマラス
ふたつの瘤がY子のクオリティ
頭と尻の、転倒したバディ

ここはワンルームの密室
響き渡る沈黙のドラムと洗濯機
疲弊した、食卓の
語り出す、すばらしいリズム
硬直したパン・ティを縫い
縫いまくり、生活の兆候へ
痛ましいことこの上ない
nylonstockingのような人生


「わたしヒタスラに食べ続けてた。三日三晩どこ
ろの話ではないの。そうやって麺状の何か得体の知れない
物質を、二本の棒切れによってひとつびとつ口元に運
びつづけるわたしのことを、道行く人々の視線はさも
おもしろそうにいためつけてくる。ひとつびとつの視
線によって、わたしのこの継ぎ接ぎだらけのみすぼら
しい容姿が、するどい針に縫われるようにして周囲の」


うるさいんじゃぼけ、とKは薄ら笑い
けぱけぱけぱけぱあ
どこか別のところから
浮かんでくる笑い声
すぱい、が潜んでいる
すぱい、を探せ
すぱい、にY子のグラマラスを
差し込むのだ
見つかり次第な
頼んだぞ、不細工な素人
娘たちよ
サウンドチェックはおれ
がする
領収書はおれが切る
すぱい、はリズムのド
ラム、を叩くらしいからな


「景色にねっとりと張り付いていくようだたわ。ラーメン
と呼ばれるあの清潔で文化的な汁物も、こう毎晩毎晩
ひたすらに食べ続けていればいつのまに怪物じみて見
えてくるのもおかしくはないのよ。これがまったく見ず知
らずの怪物ではないとはいえ、不眠不休、ただ食と排
泄を繰り返す人生を送っていれば、ひとつのラーメン」


うるさいん
じゃ、と
うるさいんじゃ、と
うるさいんじゃ、と切実
まないたに包丁をスタンバイ
食文化の悲しみに
ひとしばらくの落涙を
いざ、参らん
と、おもう
いざいざいざいざいざ
ツブ貝でも食ってから
たんすの布団を運びだせ
Y子の阿呆
すぱい、は羽毛布団の中にあり!
あったかいからなあすこは!
と、おもう


「だってわたしを殺すには十分。しかし考えようによ
ってはあまりに当然の事。必死になって食をこなすこ
とに没頭すれば、特急列車に乗るがごとくに死へと直
行できるというもの
。こんなふうに目前の麺を口に
運んだら最後、のべつどこまでも伸びていく一本の麺」


うるさいんじゃうるさいんじゃ、
ってパニックかなこれ
脳くその花園からよりぞろやってくる
アレルギー性のすぱい
見つかってしまった
不治の病のすぱい
東京じゅうから、Y子への賛歌
ハレルヤ、をコピー
世界の平和をすばらし
いリズムのドラムにペースト


「によって、わたしは人生のあるべき方向へ導かれてい
くというよりも、釣り上げられた魚のようにいっぺんに
死の世界へ誘われていくの。そうなればまったくもっ
て耐え難いことなんだけどね、とはいえこれでなかなか難し
いのよ。舌を滑るこの小麦の糸束によってよ、わたしたちは同
時に生かされてすらもいる。そんな罠にわたしたちはは
じめから足首を捉えられてしまっているの。それでい
てその罠はけっしてわたしたちのマトモな視線には見えて
こないから。その足かせはあまねくひとびとを結びつけ」


すぱいがいるぞ!


「て、人一人が動けばみながその一歩に引きずられなく
てはならない有様。これをして人は平等などとよくわ
からない戯言を、いっとう真面目な眼差しでのべつまく
なしに喚き立てるのだから世話ない。へその緒というあ
の愛情で出来たグロテスクな紐を断ち切ることで
、わたしたちはこの世界に晴れて入場できたというのに」


いいか、おれは、はく白状する、ハクジョウスル、ごめんなさいみんなおれが悪いんです、ほんとうにこれはおれのせいなんで勘弁してくださいほんと、おっどろいたのよおれも、まさかね、まさかね、とおもったのよ、もうね、気づいたら遅かったの、とりかえし、つかなかったの、うんじゃった、産んじゃった、まるでだめねおれって、いやになっちゃう、もういちどチャンスをちょうだい、もういちどだけ、いいでしょう、それくらいおねがいよ、あなただってあるでしょう、こうなっちゃうことくらい、ねえ、ほら、さあ、カゾクじゃない、あなたとおれは、ね、そうでしょう、カゾクなんだからこれぐらいねえ、いいわよねえ、そうおもわない、どうしても、そうおもわない、そうなのね、そう、それならいいわよ、わかったわよ、じゃあやっぱり謝るよ、でもねえ、そうじゃないんじゃない、それはおかしいんじゃない、こうやってさあ、ひとがはくじょうする、すべてを認めます、ってまじな態度とろうとしているのに、どうして歩み寄れないわけ、ねえ、おかしいわよね、むしろどうかしてるのはあなたのほうというかのうせいすら浮上してきた感じよね、ねえ、ほんと、ホント今そんな感じになってるとおもうの、ほら、おもうでしょ、おもうわよね、そう、やっぱりおもうわよね、悪いのは、やっぱりおれじゃないじゃない、やっぱりあなたなのよ、やっぱりそういうことなのよ、やっぱりそう、みつけた、やっぱりそうなのよ、わかっちゃった、おまえが、おまえがあれだな、おまえが、

うるさいんじゃうるさいんじゃ、
ってパニックかなこれ
脳くその花園からよりぞろやってくる
アレルギー性のすぱい
見つかってしまった
不治の病のすぱい
東京じゅうから、Y子への賛歌
ハレルヤ、をコピー
世界の平和をすばらし
いリズムのドラムにペースト

けぱけぱけぱけぱけぱあ


都市のような罠

  リンネ

 そしてある国にて、ある日ある街あるところにて、ある明け方のある時間のこと、つまりある特定されない能面のような時間、歴史から切断されたところに現れる細切れの時間におけるしかしそれゆえに普遍的な物語であること。こうした幾何学的な時空間を用意する試みは、冒頭から、しかしまたあなたがこれを読むという出来事の圧倒的な諸力に対して、なんの力も持ち得ないことは明白である。どうしても作文というのは生身の人間によって読まれるしかないのだから。それでもあなたの共感を得ようとする作者からのこの見え透いたアプローチに対して、あなたはきっと不快に思い、あるいは拒絶する。わたしのこうした過剰な注釈すらたしかに不快ではある。なおさら一層不快であるとすらいえる。ならばおおいに読み飛ばして頂いて結構である。こうしてあなたはいまこの作文を読むことを拒絶することのできる自由に従属されている。そしてもはやその自由から逃れることはできない宿命なのだ。このようにして、わたしたちの時間や人生というものは、ある一定のかたちをすでに帯びていやがおうにも到来して、

 などと脳内に響き渡る愚にもつかぬ思想の音色を、肛門からおならのようにもらしつつ街なかを歩いていると、場末めいた繁華街のうすぼやりとした裏通りにて、とつじょ静止する中年男のすがたが目に入ってくる。ほうらいまいったとおりだ。この世界のあらゆる事物は虚構のようにとうとつなしかたでわたしの前に現れてくる。人生はテクストなのだ。わたしは敷かれたレールを走る公共交通機関のように駆け寄り、清潔に髭を剃られたその男の口元に対し、いまささやかで公式的なキッスを与えてみる。それは葉書に切手を貼るようにあたりまえになされたので、このとうとつな接吻が、たんなる儀礼的なしぐさであり、もっといえば、一種のレトリックにすぎないということが、誰の目にも明らかであった。しかしどうも不思議なのは、この男にははっきりとした顔がないことである。というより、淫部をかくすかのようにして白ぼんやりとしたもやもやが彼の顔の一面をおおいつくしてしまっているのだ。

 わたしはかれこれ一時間、接吻を続けている。男の顔はレトリックまみれだ。すると次第にかれの顔つきが明らかになってきた。この男、会社勤め人らしい、不自然にしわの見えない清潔なスーツに身をすべてつつまれている。しかし衣服で包装された人体模型とでもいうように、まったくといっていいほど人間らしさがない。それがむしろ彼のかくされた人間性を予感させる。だからこそよけに惹かれてしまう。こんなところでいったいこの男は何をしていたのだろう。足元を薄汚れたおがくずに埋もらせたまま仁王立ちをして動かないその男は、ひょっとすると死んでいるようにもみえる。こうした光景はそう珍しいことではない。死にかけた人間が、他人に記憶されるのを待ちわびて、道端でひかえめに直立不動していることは、こういう現代的な都市の中ではままあることだ。ただいつもよりもちょっと洒落ているのは、その壁面のような顔の正面に、眼球には似ても似つかない小ぶりの四角い窓枠が、しかしそれでいて眼球のように二箇所しっかりと取りつけられている、という点である。人間にも建築にもなることのできない曖昧で悲壮な雰囲気が、じつに自然と見るものを魅力するというわけだろうか。たしかに妙に魅力的ではある。そのとらえようのない無機質な表情には、しかし、どこかこの世のうらみつらみといった情念に対する、決然とした抵抗の意志も読み取れそうだ。

 その男は、とつぜんそれまで閉じきっていた口をかたかたと開閉させ始めた。それとは少し遅れるようにして、その口蓋の暗部からつぎのようなポエムの音色が流れてきた。

悲しみの涙ではなく
あふれる涙だったんだ
解放される感覚
あのあたりから
目が見えなくなった
そういうことさ
情報を見たくないから
ブロックしていたんだ
遮断しだしたみたいな感じで
強制的にね、一週間ぐらい
医者にはものもらいと言われたんだが
自分の感覚的になんだか
自分が変わり始めているサインなんだ

ちゃんと全部理由があるのさ

 根のない草のように均質な内容の詩。いったいこれが人間の生み出したものとはだれだって思えないような抽象性。しかしたしかにまたこれもなにもかも脚本通り、すべてかれの自作自演の演出であるという可能性もある。そう、ほんとうはきっといたって健康な男なのだ。人間の健康なんて、作者の描写次第でどうにでもなる。それでいて作者はテクストのなかの世界など全く関心がないのだ。これがたんなる文字のつらなりでしかないともっとも切実に理解しているのは作者なのだから。無機物に対する完全な降伏。諦念。それにわたしははっきりいってこのように生物学的に分類困難な男となど、すこしだっておなじ時間を共有したいとは思わない。あなただってそうだろう。面倒ではないか。今後、この男の容貌についてはいっさい描写しないことを作者に要請しよう。しかしその一方でわたしは、すくなくともこの男を記憶することだけは努力しよう。かれの吐く息の醜悪さと、顔面に施されたふたつの窓枠とを。あなただって無理に忘れることはないだろう。覚えることも忘れることも、すでに人間の向こう側にあって、わたしはどうにもそれに耐えきれない。わたしは作者から、そして読者と、その、忘却されつつある男、それらすべてから逃げるようにしていま大通りに向かって走っていく。しかしまわりの景色のなにもかもがそれ以上のスピードでわたしを追い越して前方に消えていく。それはこの都市がおおきく傾きはじめた最初の兆候であったが、わたしにはそんなこと知るよしもなかった。

 そもそもどうしてかれがあのような姿であのような惨めな場所に立ち尽くしていたのか。わたしはあの男の顔に見覚えがあるようにも感じる。どこか魅力的な、ある国にて、ある日ある街あるところにて、ある明け方のある時間のこと、つまりある特定されない能面のような時間、歴史から切断されたところに現れる細切れの時間におけるしかしそれゆえに普遍的な物語であること。冒頭からのこうした……


観賞魚

  リンネ

アダンの葉の裏に隠れたナナホシキンカメムシの光沢が照り返った日差しを受けて乱反射している。その輝きに呼応するようにして鬱蒼とした茂みのなかから浮かび上がる無数の頭蓋骨が、眼窩の空洞にくらやみを蓄えて近寄るもののなにもかもを飲み込んでいた。ひんやりとした地面のそこかしこで小さな甲虫が土埃をかすかに舞い散らせながら交錯して、いくつもの読み取ることのできないメッセージを繰り返し描いている。断末魔の叫び声が洞窟のなかにこだまし、そこで増幅した声音がいつまでもスローモーションのように重たい時間のうずまきに滞留している。あたりに満ちているのは水の揺れる音すら聞こえる驚くほどの静寂だった。ふと幻想の魚が洞窟から流れてくるひとすじの空気に逆らって泳いでいくのが見える。尾ひれからほとばしる虹色を浮かべた水滴が、透明な歴史の軌跡を色づけするようにしていつまでも消えずに宙づりになって残っている。その魚の顔面には無垢な輝きがあった。いずれ死ぬはずのものに特有の痺れるような輝きが、その洞窟のなかに堆積したあらゆる記憶を順々に照らしていくのだ。気がつけば数えきれぬほどの観賞魚があたりに散らばる頭蓋のなかから溢れ出て洞窟の方へ流れている。もう洞窟の内部は生きることも死ぬこともできないほどにまぶしい光の洪水に満ちて見えない。



まっくらな世界に、おまえは生まれまいと抵抗している。粘膜のようにまとわりつく時間が、時間の周りに幾重にも重なってはりついて、おまえは微動だにできないまま産み落とされかけている。むりやりのように開かれた目やにだらけの瞳を通じて、ようやくおまえはいまおまえの抜け殻を眺める。おまえはおまえの抜け殻の周りにあつまる虫けらのようなおまえの親族たちを眺める。そこでおまえはおまえの抜け殻に近づくおまえの息子に気がつく。おまえはおまえの抜け殻に火を放つおまえの息子を眺める。おまえはおまえの抜け殻に放たれた火が、おまえの抜け殻の顔面を焦がしていくのを眺める。おまえはおまえの抜け殻を燃やし尽くす炎に怯えて逃げ惑うおまえのまわりに集まる虫けらのようなおまえ同然の親族たちが燃えていくのを眺める。おまえはおまえの息子がおまえの抜け殻がごみくずのように燃えていくのを眺めて笑うのを眺めている。

おまえはおまえの息子がそのひんやりとした洞窟のなかにおまえの息子の家族を連れていくのを見てなにを思うか。おまえはこのまっくらな世界のなかで一段とくらやみに包まれたこの場所でおまえの息子がおまえの息子の家族に手をかけるさまを見せつけられてなにを思うか。おまえはなにもかもを見なければならない。おまえはおまえのほかだれでもないおまえじしんの息子の演じる一幕の唯一の観客なのだ。おまえは知らず知らずのうちに泣き始めた。おまえはおまえじしんの涙の表面に何重にもゆがんだおまえじしんの息子が映っているのをしらないのか。さあおまえは新たな命を生きねばならない。もはやおまえはおまえじしんをおまえのまま生きていくことはできない。おまえはもうおまえの息子に見せられたすべてを忘れることはできない。



Kがまだ高等専門学校に在学していた頃、父親が、巨大な水槽と何匹かの熱帯魚を突然家に持ち運び、自室にそれを置いて飼育を始めた。父は毎日朝早く家を出て仕事場に行き、いつも決まった時間に帰宅したあとはご飯を食べてテレビを見る。そうしてだいたい十二時前には床に着くという単調な生活を送る父には、それまでなんの趣味もないようにみえた。Kとしてはそうした父親の非人間的とも言えるような単調さに畏怖の念すら抱いていたものだから、意外に人間臭い一面もあるのだと、ある程度の好感を持って父親のその急な行動を見ていた。ところが何ヶ月かしたある夜、父が不気味に明るい声で観賞魚の一部が死んでいることを母に伝えた。そうして死んだ魚を網で乱雑にすくうとすぐにトイレに駆け込み、その魚を便器の中の汚水に放り込み、水洗レバーを大の方へまわし、勢いよく渦をまく便座の水流に飲み込まれて、死んだ魚は消えてしまった。母はやめなさいよ、と半分笑いながら諭すが、恐怖がその表情の裏側でふかく流れているのがKにはわかった。Kはそれまでの漠然とした父への恐れが、決定的な具象性をもってあるかたちを帯びていくのを感じた。何の感慨もなく屍体を処理するその光景に彼は初めて悪魔的なものを見た思いがし、それが自分の父親の行為であることがにわかに信じられなかった。その夜から、Kは自分の死骸が父親によって巨大なトイレの底に流されていく悪夢を、たびたび見るようになった。

ベッドに伏す父親の周りに、喪服に身を包んだ親族がびっしりと集まっている。Kは枕元に行き線香を焚く。近くで見ると、実に穏やかな表情である。死化粧をしているからか、どことなくマネキンのようなうさんくさい顔つきになっている。しかしそれはただ化粧をしているからではない。眉間から頭頂にかけて、見えずらいが一筋の切れ目が入っているのが見える。それは父親の抜け殻なのであった。Kはそうして抜け殻となった父のまわりに集まる親族たちが、なにか滑稽なものに見えてしょうがなかった。すべての欺瞞を暴くために、Kはおもむろにライターを取り出すと、父のその抜け殻の表面を燃やした。するとみるみるうちに火は勢いを増して燃えあがり、吹き上がるように天井まで炎が登っていく。頭上に広がる炎の海の中からなにかがKの額にぶつかって足元に落ちた。目前の炎に照りかえって青白く光るそれは、一匹の観賞魚であった。くねくねとのたうちまわりながら、死へと急速に向かっている。Kはその見覚えのある観賞魚を踏み潰そうといきおいよく足を上げた。一瞬、かれは父にすべてを見られているような気がして、それ以上動くことができなかった。Kはそのまま反転して生家を飛び出し、扁平な甲虫のように素早く自動車へ乗り込んでアクセルを踏んだ。かれはすべての因縁を追い抜くようにして何台もの車を幾度となく追い越した。そして翌日の早朝、Kは羽田空港から家族とともに沖縄本島へ向かい、そのまま読谷村にある有名な自然洞窟のなかで家族心中した。こうしたすべてのことは人々の記憶から水洗トイレへ流れるようにあっけなく消えていった。



インターネットを開きながら、おれは沖縄戦で集団自決を経験した人物の証言を覗いている。山の中の壕で家族をカミソリによって失血死させ、最後に自らも自殺を図るが、どうしても死にきれないで助かってしまった父親というのは、いったい何を感じるのだろうか。おれは試みに、自らの父親が自分の首元にカミソリの刃を突き刺すところを妄想してみた。ぐさりとやられた感触を首に感じる。血しぶきを浴びる父の顔を見ようと、振り返り、いまわのきわに目を見開いた。父の顔のあるはずのところには、無数の甲虫がひしめき蠢いており、容易にはうかがい知れなかった。となりでは妹と母親が血の海に溺れて、すでに傷口から白いものがはみ出して動いている。気づけば周りでは複数の家族が殺し合いを始めており、馬乗りになり、包丁で兄弟をどすどすと刺し続ける者や、赤ん坊を岩に叩きつける母親、注射を片手に毒殺の説明を始める看護婦などがいた。ふいに、そんな窒息しそうな妄想を取り消す明るい調子で、現実の台所から妻の呼ぶ声がした。それでも無視したままでいるおれを呼びに、今年小学校に入学したばかりの娘が部屋に入ってくる。おれは妄想をやめ、娘に怒られながら台所へ行き食卓につく。突然、電話が鳴る。母からだった。父が死んだという。原因はなんだというおれの質問に、母はにわかには答えづらい様子で沈黙している。本当は死んでいないのかもしれない。父が死ぬはずはないのだ。包丁をもったまま台所で立ち尽くす妻に話を伝えると、身支度を始めた。一人車に乗り込み、エンジンをかける。大きな舌打ちをしてから、おれはせき切ったように嗚咽した。


くちびる、くちびる、スモークサーモンのような……

  リンネ

 ──この国では、年間だぞ、二三万人の人間が自殺をするんだ。

 大学時代、「文化の政治学」と題した講義の中で、在日朝鮮人二世の先生がなにかの話の流れでそんなことを教えてくださりました。たしかそれはワーキングプアだとか現代の貧困に関する授業をしている最中だったかもわかりません。梅雨明けの日差しの強い日でしたが、まだ時期が早く冷房の動き始めていないときで、二百人ほど収容できる中規模の講義室には、不快なぬめりのある空気が満ちていました。学生たちの汗が蒸発してあたりを覆い始めているのでしょうか。買ってきたばかりのスポーツドリンクのペットボトルも汗をかいて白い机の上に露を広げています。 
 毎年二三万の人間が消えていく。まったく、その話をする前に9・11同時多発テロの話題や様々な大量殺人や自然災害に関する死者数のデータを提示されていたので、二三万人、それも毎年毎年それだけの数の人がこの見かけのうえでは平和の保たれた日本のどこかでみずから命を絶っているのかと思うと、その数字の只事でないことが胸に突きつけられるのです。というのもわたしは自殺について決してけっして他人事にはできない事情があったのです。先生はそれを知ってかわたしの目を張り付くように見つめてくるのです。この授業がすべてわたしに対する先生の鮮やかな恋の謀略であると考えると、その弁舌の巧みさに驚嘆の念を感じえませんでした。まだ恋人もいないうぶな少女だったわたしはそのときはじめて、その男性教師に対する憧れのような気分を抱きつつありました。しかし棒のように痩せさらばえた先生のからだがわたしの心を愚鈍にして、それ以上に別のことを考えさせていたのです。

 ──この人は自殺を考えたことがあるんだろうか。

 ああ! わたしは恋の甘さよりも死の崇高さのほうに魅せられていたのでした。よく見れば先生の目はすでにたっぷりの死兆を含んで濁っているのです。四十代にまだ入ったばかりにしては頭髪がだいぶ荒廃していて、眉間には深い皺が断層のように刻まれています。日本の抱える欺瞞的な闇について、いくつかの事例を交えながら小気味良い調子で説明する先生は、講義室の窓から差し込む光のなかに移動すると、まったく木漏れ日を浴びる死にかけた蝉のように乾燥して見えるのです。あるいは使い終わって炭になったマッチ棒のように悲しいのです。若い学生を啓蒙する人間にしては滑稽なほどに使い古された容貌なのです。しかしそれでいてわたしを見るときの目は猛禽のように鋭いのでした。
 先生は講義を終えると、授業のプリントの残りをまとめてベージュの薄ぺらい布製のトートカバンに丁寧にしまっています。そのカバンがまたくたびれた雑巾のように薄汚いものなのです。けれど先生はそれに偏執的の愛着を持っているようで、まったく新品のカバンを取り扱うかのように幸福な眼差しを下ろして布を手で何度も摩るのです。それでその部分だけ手垢がこびりついて紅茶をこぼしたような染みが浮かび上がっているのです。先生の屈託は尋常の域ではないことが窺い知れました。そしてそれだけ深い屈託にまみれた人間が自殺という概念に全く無関係であるはずはありませんでした。
 他の学生たちは倒れたペットボトルの口から流れる清涼飲料水のように教室の外へこぼれて行きました。わたしは熱病にうなされる心持ちで、右に左にふらつきながら先生の方へ歩いていきます。以前授業で紹介された、ヴィクトール・エリセ『エル・スール』の録画したものを先生にお借りしようと思ったのです。ほんの十数メートルの距離が、砂丘三つ分は離れているように感じました。喉が乾こうにも先ほど倒れたペットボトルの中身は一滴のしずくも残さずに干からびています。わたしは一歩一歩足を引きずるようにして前に進みますが、そのたびにからだが縮みあがるような悲鳴をあげています。そうしてようやく教壇で待ち構える先生のところへ辿り着く頃には、わたしは何匹もの蝶に変形していました。

 ──気づいたら生まれてた、きみもそうなんでしょう。

 先生がそう言うと、わたしたちはちょっとしたはにかみのあと、教卓の陰で先生とこもごもに交尾をはじめています。
 終始淡白な情事。みなで力を合わせて先生の洗いざらしの衣服を引っぺがすと、意外にも中身の体には人間らしい屈託がほとんどありませんでした。その代わりに先生には昆虫のような機械的な精力があって、何の感情もなしに興奮しているようなのです。わたしたちは純粋な交尾というそんな人間離れした経験に無感動な歓びを感じるまま、先生の体につぎつぎと口吻を擦り付け始めました。温かみのない体を盲滅法に愛撫していると、先生はディーゼルエンジンのような粗雑な振動音を立てて喜ぶのでした。わたしたちもそれを見て興奮します。とはいえそうした絡み合いにはまったく人間の男女の生み出す情熱のようなものはまるでなく、複雑な機械同士が少々センチメンタルに人間を模倣しているだけのようなものでした。先生は何かぶつぶつと口ごもっています。黙々と空気を食べているのでした。それから存分に精を放つと、先生はあの屈託に塗みれたトートカバンを脇に抱えてどこかへ飛んでいきました。
 教室の中にはどことなくかれの生臭い香りが残っています。そこにたまにブルガリプールオム・オーデトワレの香水の匂いが点滅するように感じられました。一期一会の情事はなんともあっけないもの。わたしたちはさっそく先生の陰嚢にあった星型の痣のことを思い出して悦に浸ります。スモークサーモンのような濃厚な唇。無花果のように赤黒い舌。そしてシリンジのように無機質な突起物。事後的に情欲が湧き出してきたのです。しかし悲しいかな、そんな性的な妄想によって時間を無為にすることはできません。張り詰めたお腹には、いまやたっぷりの子種が植えつけられているのです。喉まで達しているように息苦しい。出しかけたげっぷを飲み込んでしまったような不快感。どうにかして産み落とさなくては収まりがつきません。わたしたちは意気込みました。こんなに力が湧くのは久しぶりだね、いつぶりだろう、楽しいね、幸せだね、気分は悪いのですが、みんなで嬉しそうにささやいています。
 わたしたちはさっそく、授業を抜けて遊びに出かける学生さながらに胸を躍らせながら、窓の隙間から教室の外に飛び立ちました。そのまま大学裏にある市営公園に向かい、産卵に最適な植物を探しはじめましたが、よく考えてみれば、自分たちがどんな種類の蝶か知らないのに、見つけ出せるはずもない。けれど、もはや卵を産み落とす以外、目的といっていいものがまるでないのだから、なにも心配せずに森じゅうを飛び回っていました。おまけに蝶のくせに、のべつ大声をあげて公園じゅうにわらいごえの大合唱を響かせているのです。

 ──くちびる、くちびる、スモークサーモンのような……。

 けれどしばらくして、わたしはすでに何の変哲も無い妊婦に戻っていました。そのとたんに、あの棒のような大学講師と行きずりに交接したことがどうも恐ろしくなってきました。もしあの先生が人間でなかったらこのお腹にあるものは何なのでしょう。歪なからだをした地球外生命体が、人間のからだに卵を植え付ける映画などを何度か見たことがあるので、これは当然の不安でした。とはいえ、わたしの想像力の範疇はその程度のものです。けれど一方で一度イメージしたものは心の核心にしっかりと張り付くだけの信仰心はありました。腹部が地面に吸い寄せられるように重たく、皮膚が薄く張っています。馬蹄形の痣がいくつか浮かび上がっているところからすると、子宮の中に馬型の人間かなにかが眠っているのでしょうか──。
 そういえばこの都営団地に引っ越してきたばかりのある日、隣室から、馬の嘶く音と、甲高い女の喘ぎ声が聞こえてきたことがありました。わたしが掃除洗濯を終えて台所で昼食の豆ご飯をつくる準備をしていると、突然それは聞こえてきたのです。良人は休日でしたので寝室でまだ眠りを貪っていました。わたしははじめぼんやりとかべを伝わってくる音に耳をすませていましたが、ふとそれが獣姦をテーマにした成人映画の音声ではないかと気がついて、顔がいっぺんに熱を帯びました。そしてどうしてか自分がなんと定型的な主婦であるかということに恥じらいを感じていたのです!

 ──くちびる、くちびる、スモークサーモンのような……。

 お前のひやりとした足が、わたしの体のなかでしなやかに動きました。
 寝室の扉の隙間から、良人がこちらを覗いています。
 わたしは横目でそれを確認しました。
 

文学極道

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