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リンネ - 2012年分

選出作品 (投稿日時順 / 全5作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


水ぶくれ

  リンネ

目を覚ますと、とある住宅街の狭い路地、これを抜けた先の、猫の通るような路地に出ました。ここはまるで知らない場所でしたので、道ゆく人々を目配せして捕まえ、わたしはこう尋ねています。滑り台のない公園はありますか? あるいはこの町の公園は滑り台のないものですか、と。でも誰も知らないみたい。誰も知らないからわたしはいつまでも探せます。

後藤という表札のある家の裏、するっと飛び出した人間が、水ぶくれのコンニャクのような顔。畑に水をやっている。ナスやキュウリ、ニンジンにジャガイモと。収穫を待っているのでしょうか、張りのある体つきでおいしそうに。そういえば以前、後藤という名前の人間にカレーをご馳走になりました。この人間、ジャガイモに似た顔をしているせいか、決してカレーにジャガイモを入れません。口を開きかけます。カレーは具合良く舌にまとわりついて、わたしが声を出そうとするたび、いやらしく噛みついてきて。後藤の目がこちちを向いてくるのが恥ずかしい。

あまりここに長くいれば、きいろい蛭の断面が右ひじにひっついて離れません。路地裏の道はべったりと湿り、まして太陽の光などまったく届かず。医者は、まず間違いなくこの右ひじのきいろいものはきみの血を吸わないだろうし、吸っても気にしない方がいいでしょうという。死ななければまあいいか、それはやはり思います。この町にはりついている人間のうち、その半分がきいろいものに噛まれて動かなくなりました。高熱ののち、樹脂のように固まってしまう。ですからこれは階段をつくるのや、壁をつくる建材として使われます。例えばこの後藤さんの表札はわたしの父親の一部であるのですが、それはだれにも知らされていない。もちろん後藤さんにも。

脳神経の乱れで寝ている間、父は幻覚を見ずにすみました。水ぶくれのコンニャクのような顔、これは母が死に際の父にかけた科白です。壊れた舵で、父は夢の中を浮遊します。天井に引っかかった父の一部。これは頭部です。あつあつのご飯を口にしながら、わたしは何の感慨もなくそれを見ています。浅蜊の味噌汁からあがる湯気が、そのままいい案配に天井を、父の部分を湿らせて、すでに部屋中を覆っています。私の横で転がり、幼い妹が折り紙を折っています。母はサンマの骨を丁寧に取り除いているところです。わたしは熱気とともに味噌汁をすすりながら、放心したような表情をして。あ、お椀の底、浅蜊が音を立てて放屁した。

父さん、あなたは今、滑り台です。この公営団地の、ごく人通りの薄いこの公園で、子供たちの尻を滑らせます。ときどき念仏のような音がする以外、おおむねおとなしく眠っていますね。あなたは他人と助力し合おうという気持ちが薄い。それでも夜がくれば、遠くから旧友のように滑り込む月たちと、一種の快感をむさぼる。誰かの舌が、ゆっくりなぞるよう、銀色の滑り台をさすりはじめています。それがわたしです。ざらっとした砂を口で絡ませ、空からはいい調子に霧雨が降り。後藤の目がこちらを向いています。大きな、人間よりも大きなジャガイモの気配が、わたしの頭に重たくおぶさってきます。

紙飛行機が飛んでいます。
雨の中、どうして飛んでいられるのか。
どうしてこの世界を生きていられるのか。


カイダン

  リンネ

特に書くこともないが、何もやることもほかにないので書き始めている。書くことのないのは幸せだ。書くことは、書くことがあるのは幸せなわけがない。恨みつらみを持った人は書くことがあるということだ。書くことは何かそうやって書いたものをだれかに訴えるということだ。だから幸せな人は書く必要には迫られない。しかしこの世に幸せな人がいるというのも信じがたい話だ。わたしこそは幸せ者だと信じ込んでいるやつは、実は不幸であるということに気づいていない居た堪れない連中だ。生きるのは、言ってみれば苦痛でしかない。けれど生きることと苦痛であることが同じ意味なら、生きていることも悪くない。Kは階段をのぼっている。これはKの物語だ。物語というのだから、それはもちろん恨みつらみの話になるはずだ。他人の幸せ話など語る必要があるか? Kはまだ階段をのぼっている。かれこれ数時間だろうか、数日間だろうか、はんぺんのようなしろい頬に青いひげが成長している。目筋には涙の跡が。この男に何があったのか。スーツはこぎれいだ。しかしだまされないようによく見てみれば、背中に汗のシミが黒く広がっている。呼吸は異常といってよい程度に遅い。息をしてないとも言える。K以外、階段をのぼるものも、おりるものも見当たらない。ここは公営団地のアパートの階段だ。折り返し折り返し、上へと続いている。さみしい、つめたいような弱い風が上階から吹き下ろしてくる。Kの長い汚いけれども弾力のある黒い髪の毛がふわふわとなびいている。滲んだ汗のにおいがKの後ろに残されていく。これが物語なら書くものがあるはずだが、今のところをみれば、このKという男は階段をのぼっているだけだ。他にはだれも見当たらない。あるのは階段と階段だけだ。高さだけが威圧するように積み重なっていくが、書くべきものはどこにも表れない。ようするにわたしはだまされたのか。Kは幻のようなものを見た。階段の上には見たことのあるらしい、しかし大きすぎる雛人形が座って笑っている。と、こんなことが書ければしめたものだと思っていたが、Kは幻のひとつも見ない様子でただ階段をのぼっているだけ。何とも書きようがない。まじめな男め。何か書かせたまえ。Kの右の手には爪がある。しかしこれは当たり前の話だ。訴えるべきことはない。爪など生やしていなければよかったのに。爪のない手は秘密の前ぶれだ。しかしこのKには爪がある。普通の右手がついた男だ。何の変哲もなく、つまり書くべきこともない、ただ階段をのぼるだけ、おりることすらしない、笑っていなければ、女を探すこともしない。女がいれば恨みつらみも生まれる、書きがいのある物語に女はつきものだ。階段をのぼるだけの男の物語なんて誰も読むはずがないし、そもそも書かれるべきではない。有限とされる時間のうちのどこにそんな無駄をしていい時があるだろうか。描写可能なことはなにもない。後ろ向きに階段をのぼるなら、それは何かの寓話にもなろうが、まったく普通、まったく当たり前に両の足を交互に一段ずつのぼっているこの男になんの物語があろうか。目筋にだらしなく伸びた涙の跡だけが前ぶれであったが、その跡でさえもうすっかり消えて乾いてしまった。Kは階段をのぼっている。Kは階段をのぼっている。Kは階段をのぼっている。Kは階段をのぼっている。Kは階段をのぼっている。Kは階段をのぼっている。のべつ幕なしにのぼりつづける。こんな男に階段はいらないだろう。すなわち、Kはのぼっている。Kはのぼっている。名前だってなんでもいい。Mはのぼっている。佐藤はのぼっている。本多はのぼっている。無いのもいい。のぼっている。のぼっている。のぼっている。こんなのもありだ。私はのぼっている。私はのぼっている。私はのぼっている。私はのぼっている。私はのべつ幕なしにのぼっている。


身体がどうして花に触れられよう。花に触れられるのは、たましいばかりだ。

  リンネ

ほこりっぽい多摩川沿いの砂利道いっぱいに、
平日の時間の無意識が失調し、
いたずらが行く手で陽炎めかして燃える。
ここは昼間ほかに客もおらず、
他人の醜悪な顔を見て不愉快な想像を掻き立てられることもない。
男でありながらその不思議な現実に耐え切れない世界は、
足元に存在した簡単な石を学生アルバイトのウェイターにみたて、
アイスコーヒーとシナモンワッフルをいつも通り注文する。
記憶の片隅からは一足先に、
シナモンのなまなましい実体が強烈な臭いとともに降ってくるが、
ウェイターが注文を聞き入れた様子は無論ない。
世界の目はだんだんと縮こまって、ぐっと、
目やにがはじけるような控え目さで男の存在を主張するが、
他に注文を聞いてくれる者もいないのだから張合いがない。
いや、確かにここには。
石ころにまぎれて今は陽炎のような内臓しか見えないだけだ。
初夏は辛うじて男のまなざしをまとい、
川は滔々と流れているがその先に、
信号が点滅するような、危うい光の言葉たち。

「昔の話だけど、女の子に、君は人間の看板だねと言われて、なるほどと感心したことがある」
「そう言ったのはその子の気まぐれ」
「百メートルも離れたところに、僕が背を向けて立っていた」
「それが歌でできたプラスチックのように見えたの」
「一目でそれとわかるように立っていたのさ」
「それって?セルロイドの人形と見分けもつかない」
「頬を火照らすことはできる」
「あら、自分で確かめてみて。ほらあなたはあっち、対岸にいるわ!」



男の歌はうんざりするほどの分かれ道続きだった。
笹藪の中の笹藪の足跡をたどって、覗かれた、
笹の口の中には、怪訝な表情をし、多摩川を眺める都市がある。
酒の席で、腹広蟷螂がアメリカのように膨れた腹を振った。
これは居酒屋から葬式用の死人を運んでいる。
死んだ人間は運ばれることを知らない。
知らないものたちが増え、いつのまにか、都市の感覚の上から、
死んだものたちがはたりと消えて、運ばれてしまった。
運ばれる前、多摩川は死者たちを流れていく。
流れるものたちの浮かぶ、波紋ではネオンが観音様のように光る。
傾斜という傾斜がいちいち病院に収容されていく。
平坦だけが残り、あぶれものの川が点となりとどまる。
逃げそびれた、文字のたましいが、
救急車のサイレンからこぼれる。
こぼれた手前、蝶のように逃げてしまった。
運ばれない、蟷螂たちの文字だけが歌になる。
ときどき多摩川は病院のカテーテルを流れる。
同じくして、歌は群れるものたちの悲しみを流れている。
鉛筆と文字のような遠い睦まじいかかわり。
川が分裂していく、点滅する死を流れるために、死を探しに。
あっという間、目が見えないところまで来た。
男のまぶたは多摩川を閉じた。

「君はつり橋の中に急に現れた林に潜れるかい?」
「つり橋なんて、どこにもありません」
「ないって、君は確かにそこで生まれたんだ」
「余りにも生まれすぎたわ、私をつなぎとめるのはあなたの視線」
「他人に見つめられて、それっきり固まっていたいのかい?」
「ナイフとフォークを頂戴。それで光を食べ続けられる」
「ごまかさないでくれよ。こうしている間に、ぼくは渇いてしまう」
「やめて、あなたは病気。自然に通り過ぎるのを待つのよ!」

光が人間に光らない。
雨におたまじゃくしが流れない。
八月の道が七月の道をくぐって。
何も主張しない看板が積もり。
子供の宿らない妊婦が閉じられる。
ほら比喩ばかりがそれらしく述べられて。

「きみは歌になった世界を見たことがある?」
「やめて、あなたは病気。自然に通り過ぎるのを待つのよ!」







*タイトルはタゴールの詩文より引用


話も尽きて、どうしようもない沈黙のたゆたいが

  リンネ

話も尽きて、どうしようもない沈黙のたゆたいが、待ち構えていたかのように一瞬のため息の間もなく場に満ちて広がる。女の鈍感さか、あるいは性根からしてこうした雰囲気の冷たさを好むのか、まったく悪びれるともなく、無意識の端に身をほうり出さんばかりに、そちらのほうへ肩の重みを絶えず落としてはその重力にあらがうかのよう、ぎりぎりこちらの表情をうかがって目を現実に泳がす。手前で勝手に身の危機をつくり出すんだからどうしても危なっかしいものだが、そうしている時の表情は反対に湯にでも使っているように平穏なのだから怪しい。そんな女の繰返しを五分十分と眺め続けるうちに、次第に自分も女の放心の姿を鏡映しするかのごとく指先鼻先全身いっぱいに微力を溜め、努めて現実の瀬戸際に居座り続けようとする。私がむやみに人の気をうかがいがちなせいでもあろうが、どうやらこの場合は、ともするとこうした粘りの中に女との皮膚の触れ合いを見つけうるのではないかと俄かに予感する、肉体感覚の当たり前な情動が関与しているのではとも訝る。気づけば女のほうは水を含んだような妙に黒く重いワンピースから剥き出しに伸びた生白い腕を赤く掻き毟りながら、その動きの危うい鋭さを自覚するともなく、時間の流れに紙一重先をゆくかのようにしてふいに静止する。そうして指の動きが止まれば、私がその女の曖昧な時間間隔を捉える間もなく、再び立ち行く生の時間を追うようにして私の目の少し手前を女の視線が動き出す。
 「わたし、この頃、右目が重いんです。すごく重くて、もう少しで右足からつんのめってしまいそうなくらい。まるで目の下に憑きものがぶら下がっているように、じわりじわりと視線が右下に沈みかかって、はっと気づいて持ちこたえるんですけど、こうひっきりなしにそんなことが続くと、もう踏ん張りも聞かなくなって、その重みに身を投げ捨ててしまおう、そうすればでんぐり返しをするように、もう一度くるりとまともに戻れるんじゃないかしらって、都合のいい話ですけど、どうもそんな気がするんです」
 「それは危険な兆候だな。右目が落ちるなら左目も同じように落とせばいい。問題はつり合いです。もし左目が落ち過ぎたのなら、今度は右目をそれに合わせて落としてゆけばよい。調整がきくんですよ。終わりない不毛な微調整に見えかねませんが、結局私たちは生きて往生するまで常にそうやって右と左の釣り合いをとり続けて過ごしているようなものですから」
 まして、人間の生活である。右に傾き一つの生活に落ちついて寄り添えども、そこに踏みとどまろうと右手右足にどっしりと重みを蓄えれば、今度はその重力で生活が弛んでいく。慌てて左半身に重心を傾け、ぐらりと釣り合いを図ろうと前のめりになっても、すでに大量の重みを含んだ右半身にすっかり身体を取られて、あとはきりきりと残りの人生を舞い踊るばかりである。


  リンネ

 べっどの端に巨きな猿がぽつねんと腰かけている、屈託に塗れた、しわだらけの顔を赤く燃やし、静かに息をしている、世の中馬鹿なこともあるもので、夜が更けるとともに猿は銭湯へと変化してゆく、そこではさまざまな効能を持つ数多の湯が用意されているが、どれもくつくつと煮えたぎっているために、入浴後、胸から足の先まで赤く焼けただれる羽目となった、そのまま停車した電車に押し入り、いくつかの街を通り過ぎてわたしの部屋に来たのだと言う、わたしは猿に言われるがまま鎧兜を着せられるが、これは線香の匂いがする、厄払いなんて要らないよ、本当はこの時間、文庫を片手に眠り落ちてしまいたいのだと文句を吐いて猿を困らせる、さしあたり他人事のように感じる、猿を見つめてみると、彼もまた巨きな目でこちらを見守っている


 無様にひっくり返ったわたしは、兜虫のように両手両足をもそもそと動かしてべっどから転げ落ちる、が、運悪く仰向けになったままである、感傷に浸る間もなく、わたしは神輿のように担がれてどこかへ連れて行かれる、猿はいつのまにか三匹になっている、道中、彼らの話が聞こえてくる、まもなく地球は水滴のごとく宇宙の底に落ちて、暗く一面に広がって朽ちてしまう、などという他愛のない冗談を、再生機のように繰り返している、毛むくじゃらの手が六本、根のようにわらわらとわたしを支えている、心地良くもある、路上には点々と間隔をあけて、子猫の燃え殻が転がっている、皆、ふらふらしていたところを猿に燃やされてしまったらしい、恋人たちは大事そうにそれを拾い、神妙な面相を向け合って愛を確かめ合う、そんなふりをしている、人は皆愛を知らない生き物だった、焼けた猫の真っ赤な舌が一瞬飛び出してそうつぶやいた、幾分脅迫めいた表情をしている、恋人たちは何も知らずに拾った猫の頭部をもぎ取り、丁寧に鞄に詰める、きりもない


 空っぽの竈のまわりにはぐるりともう数え切れないほどの猿が囲んでいる、巨きな釜の中にぽつねんと座りこんで、煮られるということの恐ろしさに思いを馳せてみる、決して愉快ではない、もうすぐ準備ができますから、と、べっどに居た初めの猿が久々に顔を覗かせて笑う、とたんに、幻覚なのだろうか、一面見渡す限りの雪景色が見える気がする、乱れも冷たさもない、このどこかに猿たちは埋まっているのか、要らぬ心配もする、たまに顔だけ雪の中から覗かせている猿が居る、だれもかれも照り返る光に眩しそうな目をしている、ここに座ったまま、知っている顔を探すが、いざ見つけてしまうのが怖くて変にきょろきょろとしてしまう、大声で呼んでみると、返事はない、皆ただ人のように笑ってこちらを見返してくる


 黒い布で目隠しをされてしまった、わたしはもう押し黙ることを決めた、不安のねじまがりの中に言葉はむしろ邪魔になるだけではないか、次第に暗い視界の中央から巨きな川が流れてくる、猿たちは首尾よく橋を架けて渡り始めるが、こちらは容赦なく激流に呑み込まれた、体が強張る、くるくると天地が回り回り、自分の居所が蒟蒻のごとくまるで掴めない、分かるのは回転の中心にただ自分が居るという事だ、彼方から何者かが接近してくる、どうも怖くなる、そちらに目をやるが、つかのま、わたしの視線は思わず全てを通り越して、自分自身のまっくらな背中に突き刺さる形となった


「きみは狂ったように、哭くことができるか!」
「哭く間もなく、川は走り去った!」
「猿たちは嗤いながらぼくを歌った!」
「きみは空が大地の上に流れることを知っているか!」
「呆れた!空は雲に食べられてしまった!」
「雲は大地に落ちた!」
「きみはこのお話を気に入ったかい?」
「もちろん!ぼくはきみが憎くてたまらない!」
「猿が、竈の火に飛び込んだ!」


 終日、中身が無い、中身が無い、と、嘆く声音はどこから流れてくるのか、きりもなく、ともかくその繰り返しは案外気持ちよくわたしを慰める、朝、だらだらと体中を垂れる汗を、風呂場でしきりに流しながら、一度死んでしまった人間のように、開き直って屈託のない一日に向かおうとする、それは、さて、今日の朝食は何をつくろうかと、食に悩むことからはじまる一日である
 炊飯器が湯気を吹きあげている
 どれ、白飯でも、食べようか

文学極道

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