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中村かほり - 2006年分

選出作品 (投稿日時順 / 全3作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


日常(せいけつな老人)

  中村かほり

そとに出ると
蝉のふるなかでひとり
老人が
桃をむいている

みじかく
ととのえられたつめ
ひとさしゆび
おやゆび
ていねいに
ぐずぐずとやわらかい
やわらかい桃をむいてゆく

水をいっぱいにはったうつわに
いちまい いちまい
皮をうかべて
花びらみたいでしょう、
老人はわらう
指先についた桃の汁を
なめとるその舌が
とてもせいけつな色をしている

八月になってからまいにち
老人は桃をむきつづけている
あらわになった実は
もういっぽうのうつわに入れられる
食べてはいけないと
あらかじめ
告げられていた

夕方になると
老人はどこかへ行ってしまう
花びらのうかぶうつわを
たいせつそうにかかえて
老人はどこかへ行ってしまう
帰るのではないことは
ずいぶんまえから知っていた

あしたも
老人はここに来る
あしたも
わたしはそとに出る

何のために桃はむかれ
それがわたしたちに
何をもたらすのかは
どうでもいいはなしだった

繰り返されれば
日常となり
なまなましさはうしなわれていく

らんざつにならべられた
桃はあまいにおいをはなち
鳥や蝶をまどわしながら
ゆっくりと腐敗する


つまり愛とかなんだろう

  中村かほり

あたしたちは腐敗してゆく。
12日、ようするに288時間もあたしと男ははだかのまま床のうえにちょくせつ寝ころんでいる。男はあたしのだ液を飲料水として飲む。あたしは男のだ液を飲料水として飲む。おなかがすいたらはらばいになってベランダに咲いている花の蜜をすう。軟骨や歯、その他の器官はすでに退化してしまって、あたしたちはとてもたんじゅんなつくりになっていた。夜、あたしは男をふとんがわりにしてねむる。肌のないあたしたちはずいぶんかんたんに体温を交換できる。男の背中が冷えればこんどはあたしがうえになる。そうしてころころと部屋のはしからはしまでころがると朝になるのだ。ひまなときは過去のはなしと現在のはなしと未来のはなしをした。それでもひまなときはかずをかぞえた。1から100。100から2000。あたしたちは寝ころびはじめて9日くらいから、鮮度とかはもうどうでもよくなっていて、だから皮ふの腐敗がはじまってもおどろかなかったし、つぎはどこが腐敗するのかとわくわくした。手をつないでねむっていたら、手が腐敗して、ひとつになった。キスをしながらねむっていたら、くちびるが腐敗して、ひとつになった。意志伝達が困難になるから、舌をあわせて眠ることは、やめた。この状態に社会的な名前をつけるとしたら、きっと愛と呼ぶのだろう。けれどもあたしたちはもうひとではなくなっているから、それがただしいのかはわからない。男ののどがかわいたらあたしがうえになって、彼ののどにだ液を落下させる。あたしののどがかわいたら、男がうえになってあたしののどにだ液を落下させる。冬になれば花はすべて枯れるだろう。でもそのころにはあたしたちはあたらしいいきものになっているから、不都合はなにもない。あたしたちは腐敗してゆく。


堕胎

  中村かほり

蝶に追われるのは
わたしのからだが
あまいものでみたされているからだろう

半日おりたたんでいた指をのばすと
そこから朝がはじまるから
光に飢えた子どもたちが
とおくの空より落下する

あしの使える者は走って
使えぬ者ははらばいになって
わたしのもとへとやって来る

けれども彼らは
乞い方を
学ぶまえに再生してしまったから
わたしの指先を
ながめるだけしかできない

街のほうでは
檸檬の配給がおこなわれていて
半裸の女が
うつろな目をして順番を待っている

いますぐにでも駆け出して
あなたたちのうしなった
子どもはここにいるのだと
伝えたいけれど
檸檬のにおいがただよう街のなかに
蝶をともなっては行けない

もういちど指をおりたたんで
あたりを夜にする
わたしのだ液は
蜜のようにあまいから
いちめんに咲く花のうえに吐き出して
視力のよわい蝶をだます

生まれたかった、と
声をあげはじめた子どもに
光をあたえることはできない

けれども彼らのために
あしたもあさっても
女たちは檸檬を待ちつづけるのだと
告げることはできる

あちら側から風が吹いて
瞬間
ただよった檸檬のにおいに
子どもたちは顔をしかめた

蝶に気づかれぬよう
わたしたちはしずかに
街のほうへ行く

文学極道

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