やさしいひとをふみました。
やさしいひとの
たゆたう精神がつくりだす
いっしゅんのすきをついて
いっしょに落下する
なるべくやわらかい場所を選んで
やさしいひとをふむのです。
痛がる、でしょうかきみは
痛がり、ますよねもちろん
痛む、ようにふむのだから
痛ま、ないと困ります
「にんげんだからいたい?」
やさしいひとの
やわらかい場所をふんだら
やさしいひとが
きのう食べたものや
じょうざい
たばこ
ぎたー
なんかが
あふれてひろがる
痛いよ、
落下したままの格好で
やさしいひとは
言うのです
それでも
私の足は
やさしいひとをふみつける
いたい?
とてもいたい。
「あのね」
にんげんだからいたいのですよ。
やさしいひとをふみました。
土曜日の朝に
月曜日の深夜に
いまとなっては
やわらかい場所は
もうあらかた
ふみおえていた
私の足もとで
あふれるきみ
ひろがるきみ
もしあした
きみが人間でなくなっていたら
きみをふむのを
やめようと思う
きみから
あふれでたもの
ひろがりつづけたものを
捨てに行かなければならない
きみから
あふれでたもの
ひろがりつづけたものが
私を人間だと
気づかせるまえに
最新情報
中村かほり
選出作品 (投稿日時順 / 全8作)
- [佳] やさしいひとをふみました。 (2005-10)
- [優] 日常(せいけつな老人) (2006-08) ~ ☆
- [優] つまり愛とかなんだろう (2006-09)
- [優] 堕胎 (2006-12) ~ ☆
- [優] のろみちゃんの戦争 (2007-02)
- [優] 獣をください (2007-05)
- [佳] rebirth (2007-10)
- [優] 赤い鶴 - 胎 (2008-09)
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
やさしいひとをふみました。
日常(せいけつな老人)
そとに出ると
蝉のふるなかでひとり
老人が
桃をむいている
みじかく
ととのえられたつめ
ひとさしゆび
おやゆび
ていねいに
ぐずぐずとやわらかい
やわらかい桃をむいてゆく
水をいっぱいにはったうつわに
いちまい いちまい
皮をうかべて
花びらみたいでしょう、
老人はわらう
指先についた桃の汁を
なめとるその舌が
とてもせいけつな色をしている
八月になってからまいにち
老人は桃をむきつづけている
あらわになった実は
もういっぽうのうつわに入れられる
食べてはいけないと
あらかじめ
告げられていた
夕方になると
老人はどこかへ行ってしまう
花びらのうかぶうつわを
たいせつそうにかかえて
老人はどこかへ行ってしまう
帰るのではないことは
ずいぶんまえから知っていた
あしたも
老人はここに来る
あしたも
わたしはそとに出る
何のために桃はむかれ
それがわたしたちに
何をもたらすのかは
どうでもいいはなしだった
繰り返されれば
日常となり
なまなましさはうしなわれていく
らんざつにならべられた
桃はあまいにおいをはなち
鳥や蝶をまどわしながら
ゆっくりと腐敗する
つまり愛とかなんだろう
あたしたちは腐敗してゆく。
12日、ようするに288時間もあたしと男ははだかのまま床のうえにちょくせつ寝ころんでいる。男はあたしのだ液を飲料水として飲む。あたしは男のだ液を飲料水として飲む。おなかがすいたらはらばいになってベランダに咲いている花の蜜をすう。軟骨や歯、その他の器官はすでに退化してしまって、あたしたちはとてもたんじゅんなつくりになっていた。夜、あたしは男をふとんがわりにしてねむる。肌のないあたしたちはずいぶんかんたんに体温を交換できる。男の背中が冷えればこんどはあたしがうえになる。そうしてころころと部屋のはしからはしまでころがると朝になるのだ。ひまなときは過去のはなしと現在のはなしと未来のはなしをした。それでもひまなときはかずをかぞえた。1から100。100から2000。あたしたちは寝ころびはじめて9日くらいから、鮮度とかはもうどうでもよくなっていて、だから皮ふの腐敗がはじまってもおどろかなかったし、つぎはどこが腐敗するのかとわくわくした。手をつないでねむっていたら、手が腐敗して、ひとつになった。キスをしながらねむっていたら、くちびるが腐敗して、ひとつになった。意志伝達が困難になるから、舌をあわせて眠ることは、やめた。この状態に社会的な名前をつけるとしたら、きっと愛と呼ぶのだろう。けれどもあたしたちはもうひとではなくなっているから、それがただしいのかはわからない。男ののどがかわいたらあたしがうえになって、彼ののどにだ液を落下させる。あたしののどがかわいたら、男がうえになってあたしののどにだ液を落下させる。冬になれば花はすべて枯れるだろう。でもそのころにはあたしたちはあたらしいいきものになっているから、不都合はなにもない。あたしたちは腐敗してゆく。
堕胎
蝶に追われるのは
わたしのからだが
あまいものでみたされているからだろう
半日おりたたんでいた指をのばすと
そこから朝がはじまるから
光に飢えた子どもたちが
とおくの空より落下する
あしの使える者は走って
使えぬ者ははらばいになって
わたしのもとへとやって来る
けれども彼らは
乞い方を
学ぶまえに再生してしまったから
わたしの指先を
ながめるだけしかできない
街のほうでは
檸檬の配給がおこなわれていて
半裸の女が
うつろな目をして順番を待っている
いますぐにでも駆け出して
あなたたちのうしなった
子どもはここにいるのだと
伝えたいけれど
檸檬のにおいがただよう街のなかに
蝶をともなっては行けない
もういちど指をおりたたんで
あたりを夜にする
わたしのだ液は
蜜のようにあまいから
いちめんに咲く花のうえに吐き出して
視力のよわい蝶をだます
生まれたかった、と
声をあげはじめた子どもに
光をあたえることはできない
けれども彼らのために
あしたもあさっても
女たちは檸檬を待ちつづけるのだと
告げることはできる
あちら側から風が吹いて
瞬間
ただよった檸檬のにおいに
子どもたちは顔をしかめた
蝶に気づかれぬよう
わたしたちはしずかに
街のほうへ行く
のろみちゃんの戦争
/18月39日、あたしは南西町で暮らすことになった。2年前から戦争はつづいているけれど、そこは比較的安全と言われていた。
/この町では、生産性のある者は白い服を、そうでない者は黒い服を着なければならなかった。町役場にあたしの生産性が認められたとき、だからあたしはお気に入りのピンクのスカートや鮮やかな虹色をしたマフラー、喪服を捨てなければならなかった。
/あたらしい家の前の通りには、花がたくさん咲いている。赤い花。青い花。黄色い花。紫色の花。あたしの部屋の窓からは、のろみちゃんのうしろすがたが見える。のろみちゃんは南西町で、ゆいいつ黒い服を着た女の子だった。
/のろみちゃんは毎日、毎日このお花畑にある花を摘みつづけている。のろみちゃんの足下には、赤い花、青い花、黄色い花、紫色の花がいつも散乱していた。どうして咲いている花を摘んでしまうの。一度だけ、聞いたことがある。「わたしには生産性がないから。」のろみちゃんはこちらを見ずに答えた。あたしはのろみちゃんと友達になりたかった。だから、のろみちゃんのうしろすがたを見つけるたび、外へ出た。
/21月4日、あたしがこの町に来てから、はじめて空襲警報が鳴った。子どもたちは母親に手をひかれ、家の中へと急ぐ。あたしはその日も、いつものようにのろみちゃんが花を摘む様子を見ていた。簡単な音楽が鳴り終わるころには、あたしたちのまわりには誰もいなくなってしまった。
/のろみちゃん、空襲だよ、はやく帰ろう、誰もいないよ。あたしが叫んでも、のろみちゃんは花を摘みつづけている。赤い花。青い花。黄色い花。紫色の花。人さし指、中指、茎をはさんでひきぬく。場合によっては花びらをちぎる。のろみちゃんの小さい爪。こちらを決して見ない。
/どんなときでものろみちゃんが花を摘みつづけられるのは、ポケットのなかに爆弾をしのばせているからだと、あたしはとっくの昔に知っていた。黒い服を着た者に南西町から爆弾が支給されること、あたしたちには知らされないけれど、路地裏ではあたしの生産性を妬んだ男たちがいつも爆弾をちらつかせていたから、つまりそういうことなのだと思う。
/これからものろみちゃんは毎日、毎日花を摘みつづけるだろう。爆弾の重み冷たさを感じるたび、赤い花、青い花、黄色い花、紫色の花、花を摘みつづけるだろう。それが爆発の可能性を十分にはらんでいても、花を摘みつづけるために、のろみちゃんはからだで爆弾を隠す、守る。
/あしたもあたしは、のろみちゃんの様子を見る。このお花畑の花をすべて摘み終えるときが、のろみちゃんの爆弾を爆発させるときなのだと思う。たとえ誰も爆発に巻き込めなくても、それがのろみちゃんにとっての正しい戦い方だった。
/いつかのろみちゃんが死んだとしても、あたしはお葬式には行けない。生産性のあるあたしは、南西町に住むかぎり、喪服を着てはいけないのだから。
獣をください
獣と歩いている。なるべく遠くへ行く。鋭そうな長い爪、全身を覆う灰色の毛、感情表現のできない尻尾をもつ、獣と歩いている。
晴れた日に獣は踊る。雨のときは木陰で歌をうたう。獣のうたう歌はふしぎだった。踊りはもっとふしぎだった。そういう習性なのだろうか。雨の日も風の日も、獣は同じ回数だけ息つぎをし、同じ角度でポーズをとった。
獣が踊っている時、あるいはうたっている時、わたしは食べられそうな果物を探す。女はいつだって生産的なのだ。獣は、長い爪で器用に果物を食べる。皮と実のあいだがいちばん美味しいんだよ、と笑う。獣の口からしたたっているのが、果汁なのか唾液なのか、わたしには分からない。
獣は土を掘り、食べられない種を埋める。再生を願うその姿を、うつくしいと思った。獣の手によって、埋められた種のおおくは死んでしまうのだと、いつだったか教わったことがある。この種は、はたして発芽するのだろうか。たとえしたとしても、そのころにはわたしたちは、どこか遠いところにいる。
夜になると、獣はわたしをはだかにする。長い爪をたたんで、わたしの肌に泥がつかないよう、汚れた手のひらをなめる。わたしのはだかを見て、獣はああゆかいだと叫ぶ。はだかはゆかいなの?ああはだかはゆかいだ。わたしの乳房にふれてみる?ああ乳房はもっとゆかいだ。獣の唾液が、清潔なわたしの肌のうえで回転する。回転し、落下してゆくさまを、わたしは暗闇のなかで見る。
獣が寝つくまで、わたしが何かお話をしなければいけないというのは、金木犀の季節からの約束だった。獣は、悲しい話ばかりを聞きたがった。誰かが死ぬ話はとくに喜んだ。わたしは即興で話をつくる。母親が死ぬ話。赤ん坊が死ぬ話。子犬が死ぬ話。処女が死ぬ話。はなしながら、わたしは獣が寝返りをうつ回数をかぞえる。1回。2回。3回。4回。8回目に到達するころには、獣は眠りはじめる。つまりそういうしくみだった。
ときどき、獣は西に向かって吠える。何に威嚇しているのかは、わたしは知らない。林檎を与えても、葡萄を与えても、獣は吠えつづける。興奮し、わたしに牙をむきさえするとき、わたしははだかになる。暗闇の中に、突然ぼうとうかびあがった、わたしの白い肌。ひるんだ一瞬のすきをついて、獣のひたいを、両の乳房に押し付ける。そうしてそのままふたり倒れて、のどが渇ききるまで眠るのだ。
獣と歩いている。なるべく遠くへ行く。鋭そうな長い爪、全身を覆う灰色の毛、感情表現のできない尻尾をもつ、獣と歩いている。獣とわたしが、いったいどこへ、何をしに行くために歩いているのか、いまとなっては忘れてしまった。乳房のあいだにある頭を、力まかせに抱きしめると、獣は細い弱い声を出す。それが鳴き声なのか泣き声なのか、わたしには分からなかったが、あらゆる光が上昇するなかに、獣を怯えさせるようなものは、何一つ無いように思えた。もうすぐ朝になる。はだかのわたしは獣の頭を抱えたまま、西に向かって吠えた。
rebirth
群青だった、
子供たちが消滅してから
どのくらい時間が
たったのだろう
道端では精密な玩具が
なにかの目印のように
落ちていた
子供の手をはなれてもなお
ぬいぐるみは
人工的な愛想を
ふりまきつづけている
群青だった、
わたしたちはそれらを
無言のままに回収し
街のはずれにある焼却炉へ
燃やしに行く
灰となったすべての玩具が
風にさらわれ
雨にうたれれば
消滅ははたされる
焼却炉からうまれた煙が
わたしたちの記憶を
撫でては流れていく
群青だった、
街にはゆがみが生じ
それによってできたくぼみへ
落下するのを避けるため
わたしたちは消滅が起こるたび
身体構造を変えてゆかなければならない
消滅が起こりはじめたころにくらべると
わたしたちの身体は
ずいぶん簡単なものになった
舌
骨
爪
そして
生殖器
わたしたちの身体は
ずいぶん簡単なものになった
群青だった、
子供たちが消滅しても
はらみつづけていた女は存在したが
子宮のなかにあるものがなにかはわからず
みずから炎のなかに
飛び込んで行った
子供の消滅は
妊婦の消滅であり
妊婦の消滅は
母親の消滅であり
母親の消滅は
あらゆるものの消滅だった
精密な玩具を回収し終えたら
つぎに煙となるのは
わたしたちなのだろう
群青だった、
あらゆるものが消滅するとき
この街は
血のにおいのする煙でつつまれる
わたしたちの煙のなかで
あたらしく
生まれるものがあるとすればそれは
より簡単な身体構造をもつ
わたしたちなのだろう
群青だった、
こうして
わたしたちは再生しつづける
これが
進化なのか退化なのか
簡単な身体構造となった
わたしたちにはわからないが
再生する朝の色はいつも
群青だった、
赤い鶴
深夜
窓辺で
キョウコの唇に
新しい色の紅をぬってやる
わたしの人さし指で
ちょくせつ紅をぬってやる
「ねえ、あたし、きれいかしら」
机の上に手鏡はあったが
指のないキョウコには
持つことがあたわない
窓にうつった
自分の醜い顔を見る
紅は
ちらと見えたキョウコの舌と
おなじ色をしていた
キョウコは
不思議な女だった
朝になるたび再生し
ゆうべのことをすべて忘れる
そんなキョウコにとっては
あらゆることが奇跡の連続で
不完全な身体であるにもかかわらず
「あたしは、なんてしあわせなのかしら」
と
こちらに向ける笑顔もひどく醜い
歯がないのは
退化してしまったからで
キョウコは
なにも食べずに成長できるのよ
不潔ね
そう思いながら
折り紙を折る
赤
黄
緑
青
紫
さまざまな色の花が
わたしの手のひらで咲く
さまざまな色の獣が
わたしの手のひらで産まれる
そしてわたしの意のままに
花が枯れる
獣が死ぬ
キョウコの身体は不完全だったが
そのために完全でもあった
わたしは
キョウコとは違い
完全な身体をもってはいたが
その
完全な身体にたいして
劣等感をいだいていた
キョウコは
衣服が汚れれば
誰かが取り替えてくれる
尿がもれたら
誰かがぬぐってくれる
そんなキョウコを貶めるために始めたのは
折り紙だった
指をもたないキョウコは
なにかを
咲かせることも
産み出すこともできない
キョウコは
わたしをうらやむだろう
自分の不完全な身体の放棄を
望むだろう
キョウコの希望により
わたしは赤い
鶴ばかりを折った
鶴は紅と同じ色をし
そして
鶴はキョウコの舌と
同じ色をしている
来る日も来る日も
わたしは鶴を折りつづけた
キョウコが
自分の身体と
わたしの身体との差異に気がつくまで
産まれつづける鶴
いつになっても
キョウコはなにも気づかない
赤い折り紙
赤い紅
赤いキョウコの唇
赤い紅に染まるわたしの指
赤いわたしの指が赤い折り紙を赤く染める
赤い紅に染まったわたしの指が折る赤い鶴
赤い鶴を染めた赤い紅
赤い紅に染まった赤い鶴
赤いキョウコの赤い唇に塗りたくる赤い紅
赤い鶴
赤い鶴
赤い鶴
赤い鶴
赤い鶴
赤い鶴
赤い鶴
赤い鶴
赤い鶴
赤い鶴
赤い鶴
「指が五本あるからなのね」
もうこれ以上わたしに
鶴を折らせるのはやめて頂戴
気づいてしまった
キョウコが醜いのは
わたしを見ているから
わたしだけを見ているからよ
不潔
キョウコのまぶたが閉じられる
再生の合図だ
あしたもまた
わたしは鶴を折らなければならない
そしてそれをキョウコは
奇跡だと呼ぶのだ
キョウコは美しい
わたしは自分の不完全な身体に紅をぬる
キョウコ
どうか
どうか
どうかその完全な身体で
わたしを鶴にしてくれないか
そして
キョウコの意のままに
わたしを産み
わたしを殺してくれないか
そうなればキョウコ
わたしはキョウコに
奇跡と呼ばれるにふさわしい
キョウコ
キョウコ
キョウコ
キョウコ
はやく
再生はまだなのか
わたしの不完全な身体を染め上げるには
紅が足りないかもしれないのだ