#目次

最新情報


2006年09月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


スカイリッキー

  ケムリ

あなたが死んだ日に
僕はどこまでも並木道で
一回聴いて忘れてしまった歌を数えながら
星空を噛んでいる

全てのラベルを「可食」に書き換える人たちが
静かにオルタネイトの往復を始めた
三日目のラマダン 風を和らげて
僕は新しい女の子を抱けるかずっと考えてる

6弦のテンションが途切れませんように
そうやって坂道でいつだって かかと履きつぶして
棺を打つリズム そっと裏拍にかえたよ
ソーダのあわ立ちの下で 

ほら、子どもたちはプロペラにロープを結んで、初めての呼吸みたいに走り出したんだよ。腰まで埋もれた麦畑でみんな裸足になっていく、地平線の見える丘から、降り注ぐ泡立ちと濃度と境目の曖昧さで、跳びたてないとしても、飛びたてないとしても、それはもうそんなに問題じゃない、いつかチェリービーンズの雨が降るとしても、それはとても。いつだって、とても。出来れば、ボタンはもう一つはずそうよ。

ライムの切れ端にまとわりついたあぶく
そういう風にだけ いつも飛行機は海を越えていく
全ての並木道が上り坂なら
こっそり彼女たちは飛び立っていくんだ

海岸線を歩く人がゆっくりと、砂くれ足の指先で掴みながら、まずカフスボタンから外すルールを、これからも密やかに守り続けるとだけ、祈りながら離れていく大陸のために、ただ飛行機は飛び立っていく。全ての並木道の麓にたって、注がれるソーダを浴びながら、あなたが居るのはいつも素敵なことで、夕暮れの方向を示すような含羞に頬染めて、全ての飛行機は海を越えるためだけに、食べられそうなものならみんな食べてしまう僕ら。

寝床にはいつだって棘がある
棘のある草にはいつも真っ赤な実が実る
降り注ぐチェリービーンズと満たされたソーダ
全ての飛行機は海を越えるためだけに

ラマダンの終わりみたいな慈しみのなかで
そっと数を増やしていくストロークのように
一つもマイナーコードを使わない演奏の中で
ただ幸福な女の子のように


あまのがわ

  三角みづ紀


わたしには
世界が足りないと
示された午後
錠剤が友達でした
お母さん、
それが毒だと
あなたは何故云えるのか


おいてかれたくないんだ
って
呟いたサカイメのひと
わたしも
って
云えなかったのは
別の船を選択していたから
お母さん、
あなたは
何色の船に乗るのか


お母さん、
あなたが隠した
ヒントはいまでも
島に埋まっている
ことを
知っていますか
あなたの娘は
インクに血液を
忍ばせている
わたしの意志ではない
血がそうさせるのだ


お母さん、
わたしはもう
果ての果てまできてしまって
あなたの織りかけの布だけが
到達しているのだと
おもう


わたしには世界が足りない
世界が足りないことを
産まれながらに知った
わたしには
錠剤が必要で
それが毒だと
手足ができるより先に
知ってはいたのだ


遠いよ、違うよ、ぎろちん

  夜鱈波糒

 公園のまん中には、ギロチンがあるから、あたししか行っちゃいけません。さとしくんをつれていったらいけません。彼はお肉がたべたいです。あたしのお肉なのに、お肉をたべたがります。だからふん水のとこへおいておきました。つぎの日、女の子たちがギロチンのとこへいました。あたしはむかっときたので、さとしくんをとりにいきましたでもさとしくんはいませんでした女の子たちがわんわん泣いていましたあそぶからだと私がいうとチョークをなげてきたのであたしはギロチンのリモコンでがしゃんがしゃんさせましたそうしたら僕たちみんな牛乳の中でコーンフレークみたいでしたみんなわんわんないていました僕はないてなかったのにないとるといわれてむかついたのでばしゃばしゃおよぎましたみんなをたべましたそしたら公園のまん中にみかちゃんがいてぼくをしばっていたのであたしはやめなよといおうとして手をのばしましたそうしたら私がリモコンでごしゃごしゃやっていたので公園は立ち入り禁止になったけどぼくはまだいるのでとけいをみたらまだ三時でしただから帰っておやつをたべましたコーンフレークに牛乳をそそぐとみんなみるみるうちにふやけておおきくなっていったのでかまずにのみこみましたそしたら「違うよ」といわれてみかちゃんに公園につれていかれました。小鳥が焼いてあってたべなさいといわれたけど毛がついたまんまだったのでたべたくないというと女の子たちがきてわんわん泣いて僕にことりを返せといってきたけどどうしようもなかったのでチョークを投げてみるとだれかがきてまたわんわん泣くのでみんな冷蔵庫の中へいれておきました。とびらをしめるとき、またちがうよといわれたけれどあたしはさとしくんをまだふん水のとこにおいといたままだったからエレベータにのったそうしたらいっぱいうごいて下についたらだれもいませんでした。だから公園はあたし以外たちいりきんしだっていったのに。ちゃんと、いったのに。


  樫やすお

わらうふりはやめろ
内部の閃光へと
むなしい風のこがれは身を散らす
苦い胚乳があったから
木が真っ先に倒れて
おれは厚い炎に包まれる

おまえの言葉には終わりがないから
聞き飽きた
風のように頭をぶん殴ってやる
痛みをとがった角膜に溜めておけ
おれたちは地底で殴りあう

 *

ぎしぎし鳴らして生まれでた
するとあらゆるものがマグマを呑んでいる
水が根を浸せば空にも枝がのびるのか?
はじめから枯れているものはもう見るな

骨を燃やしたら
空気には毛が生えた、誰もこたえない
背骨のなつかしい時間帯
遠い、
何度も訪れた見知らぬ地名を口にすると
おれのヘッドランプは
ちょうど電池が切れそうになっていた

 *

おれの手が土を握ると
触れたところから鉄になる
おれの最後の言葉は
肉にしか刻めない


ボーマン嚢 経由 ランゲルハンス島 行き

  ヒダリテ


ここにいる人はみんな変です壁に貼り付けた遺体のようです壁に貼り付け損なった異体のようです犬を怖がる人に悪い人はいませんが、あなたはバカだから、そうやっていつも肘から折れ曲がっているのですね。なるほど、バカだから、そうやっていつもあなたは首からぶら下がっているのですね首からぶら下がった下の部分のことはお構いなしですか。けれどそんなに肘から折れ曲がっていては不便でしょう。いつからそんな風に折れ曲がってしまったのですか。さかりのついた犬のことをママと呼んでしまったからですか、かたことかたことと、老婆が押す車に轢かれてしまったからですか。火星の牛のことを考えてしまったからですか? 教えてください、今、地球には何本の毛が生えていますか?

はい。ありませんから僕は、決して犯罪者では。ありませんから犯罪者では。どうかここから逃がしてください服を着たくはありませんから、これ以上あんな服は着ていたくはありませんから、ここは暗くて狭くて、鉄筋コンクリートの床から壁からにじみ出たあとで染み渡る骨の痛みに立体的な亀がいつも僕を空中で貼り付ける縄ばしごを僕に下さい、そして三つ編みの少女の髪を掴んで、僕は、逃げるのですが、逃げるのは苦手ですが、逃げなくては逃げられませんから、逃げるのですが、逃げるより前に逃げ出すことはできませんから、逃げるのですが、けれど逃げる前より前に逃げ出すことはできるかもしれませんから、僕は逃げる前より前に逃げ出しますから、あなたは、逃げる前より前の、そのあとに逃げるのです。だからあなたはカバを背負ってください。僕が目玉をくりぬきますから。そしたら僕が空気を入れて目玉を膨らませますから、その間にあなたは、壁に掛かった半ズボンに目配せしてください。それが合図ですから。今はたっぷりとヨーグルトの詰まったあの看守のでっぷりとしたシカバネを叩くための長い棒があなたには必要ですがラの音で叩くと三点というルールにしてください。なぜならドレミのラはラッパのラであることより先に、ドレミのラであったはずなのにいつもラッパのラであることを強要され続けて少し悲しいからです。その黒い鞄には僕の糞がたっぷり詰まっていますので大切にしてください。最後、僕の糞の合図によって大統領の部屋の赤いランプがぽっと灯りましたら、すべての戦争が終わりますから大切にしてください。もちろん現存する一部のアメリカ大統領は僕の奥歯の間に挟んでありますので、安心してください。僕はもうじき増えます。増えたらちょっと面倒ですから、増える前にやるべき事をやるのです。

まあ、一体どうしたというのですか、またあなたはあのピンクのラクダを失望させる気ですか。分からないのですか、世界が壊れて、世界中至る所で、ヘルメットが不足しているのですよ! 地球上あらゆるところで、ヘルメットが、ヘルメットが不足しているって言うのに、なのに、なぜあなたは、そうやってあごの下からひっくり返って、肘や膝から折れ曲がりながら、首からぶら下がっているのですか、ヘルメットが、ヘルメットが、不足しているというのに!

ぼ、ぼ、くあ、あ、あた、たた、あ、たしの。あたしの彼はあの人たちのボーマン嚢を経由してランゲルハンス島へ行ってしまいましたのであたしはいつも、あたし自身を隠し損なうキッチンのフライパンの下で、彼を待っていました。
彼に会ったら。
あたしが彼の内臓を引きずり出しますので、あたしが彼の内臓を引きずり出すスピードで、あなたは壊れていいです。彼らはエスカルゴを殻ごと平らげますが、とてもいい人たちです。どちらかというとナイスですから。ナイスですから。ナイスナイスナイスな人たちですから。
それでは取りかかりましょうか。


蜃気楼

  苺森


あなたが遠くなるから、電話機をクッションに縫い込んだ
その夜、レコードをかけたまま眠ったらしい
寒気がして体がぶるると震え、針飛びするように目覚めた深夜
悪い夢でも見たのかパジャマは寝汗でぐっしょり濡れていた
着替えを済ませ洗面台で顔を洗っていると鏡のなか、肉体がボクを嘲笑うので
慌てて自転車で近所の電話ボックスへと駆けていく途中、それはボクを襲った

立体がたちまち平面化し、やがて呑み込まれた地面もろとも崩れ去る、
(この幸せな感じ――ああ、それだけでもう何もいらない)


父さん母さん 揺らがないで
手を離さないで お願い

時計の針が車輪のスピードでぐるぐるし、
このまま いつまで回りどこまで行けルかな
ぐしゃりと潰れ墜ちた先で
それでもまだぢりぢりと啼いているのがボクですか


 るるる、るるる、


からっぽでなンにもないからなかに容れルものをさがしています、
(どうかボクを夢中にさせて!)
ほら、もう あなたでいっぱいにしたらボクはボクでいられるの母さん
そういうのお好きではなかったですか父さん

 繋がラないよ

父さんとボクがさかさまで、母さんが殴られて、かばったらボクの鼓膜が破れた
いつだってすべてを求めては すべてを奪われ、
そうやて生きてンのが好きなのではなかったのボクら
繋がらないね、ダイヤルが壊れているんだ ぐるぐるしてもどらない
ずっと奥で耳鳴りがしてやまない、うるさい、
(戻ラない!)思い出せない、、ちが、違う、ないているのは――聞こえない


なにも 何もいらない!


ごめんなさい、ごめンなさい、もう気持ち悪いこと言わない
筆箱にナイフを突っ刺したのは睡眠不足のせいです
ロッカーを間違えたのは熱帯夜のせいです
もう交番でお家聞いたりもしない、忘れたのはボクです
死ねばいいなんて言ってやらない、泣いてなんてやらない

そう、あれはとても暑い日だった
とおく伸びる断末魔のような耳鳴りが、からっぽの真空を抜けて
ボクは無我夢中で父の首を絞めた
流れていた曲は、あの日と同じ“ミッドナイト・サマー・ドリーム”で
気がついたらボクはあの日の父と同じ歳になっていて
レコードの溝を辿るよう、からから からからと ただ回って
そのうちに 生きてンだろうかも みんな 忘れたのです

 つぅんと真っ白――、


道端の空蝉、自転車でひいたら ぢりと鳴いた
タイヤを食いちぎりそうな大きな声で

ボクは死んだのです
そうやてボクは 死んだのです


creep

  ケムリ

 夜の底の海辺に倉庫たちが立ち尽くしていて、廃棄された連なりを静かに受け止めている。夏の終わりの透明な枯葉をゆらしながら、いばらに苦い潮風が渡っていく。倉庫のなかでは羊の毛刈りが行われていて、羊の脂の匂いと潮風が混じりあった苦さで口のなかを満たす。むっとする夏の空気と、汚れた海の臭気が僕の髪にまとわりついて、離れない。 彼らは、揃いの薄汚れたポロを着て、かつてぎらついていた強さを思わせる黒い腕を振り回しながら、深い色合いの水を湛えた瞳で羊たちを刈り込んでいく。
「羊を、一匹ください」
ぼくは言う、羊なんか一匹もいないよ、と彼はいう。
「もう、刈り取ってしまったんだ。あとは、刈り取るものしかいない」
脂に汚れた指先に、両切りの煙草がくゆる。羊たちの鳴き声を僕は待つ。でも、羊はただの一匹も嘶かない。ただ、無骨な手に身をまかせ、刈り取られていく。脂の匂いが立ち込めている、誰も換気をしようとはしない。礼を言って、ぼくは歩き去った。誰も振り返らなかった。

 街灯に羽虫が群がる道で、女の子が石英を売っていた。沿道の木々は傷むほどにざわつき、風はぬるく、鼻腔の奥に苦味を残していく。微かに深紫、紫蘇の匂い。
「羊が欲しいんでしょ」
彼女は言う、ぼくは「欲しい」と言う。長い旅には、いつも暖かさが求められると。
 彼女は、茣蓙の上にいくつもの石英を広げて、その一つの縁を紙やすりでなぞっている。そういえば、月が見えない。こんなに晴れ渡っているのに。それがなんだかぼくの居心地を悪くさせている。
「ひとつ、あげるよ」
彼女は、ぼくに石英を手渡す。微かに、掌の温かさが残っている。
「でも、どこを探してもやわらかい草なんてないよ」
その通りだった。とても、その通りだった。少し嬉しくて、ぼくは財布を丸ごと彼女に渡そうとしたのに、列車はもう走り出している。森の奥で、誰かが振りかえったような音がして、月が卵割を始めた。姿さえ見せず、静かに。生まれるのはいつも秘め事のあとだけで。そんなことはいつだって、誰だってわかってるよ。列車はもう、走り出していると。

 向かいの座席には、色んな人たちが等間隔で座っている。申し合わせたように、一人分のスペースを間に取りながら。ぼくは彼らをみな、知っているけれど。彼らはみな、ぼく以外の誰も知らない。だから、ぼくらは誰も口を開かない。
車掌が切符を確認しに来ると、すぐに彼らは逃げるように窓から飛び降りていって、ぼくは一人になった。車掌は「連れは一人だけだね」と尋ねる。ぼくはそうだと言う。
「予約席のお客様が、呼んでるんだがね」
前の車両には、昔の友人が座っていた。セッションをしないか、と彼はもちかける。でも、ぼくのギターは3弦も1弦も切れたままで、しかも酷くさび付いているし、真っ赤な塗装もところどころ剥げてしまっている。
 彼は、ぼくの手をとって、「そういうことじゃないんだ」と言う。わかってるよ、そんなことは。地球の裏側で、新しい命が生まれていることも、きっともうじきたくさんの母親が刺し殺されることも。月が卵割を始める、等割の広がりが世界を微かに甘く色づける。
「やわらかい草のある大陸の話をしよう」
ぼくは首を振る。そんなことは、きっと最初からわかっていた。

 幾つかの駅をやり過ごして、石英をポケットに入れたまま、ぼくは今にも崩れそうな駅舎に降りたった。どれだけ近づいても駅名は読み取れず、靴がいつの間にか打ちっぱなしのアスファルトにくっついている、そんな駅に。
 駅のドアは堅く閉ざされていて、ぼくはベンチに座ったまま、誰もいない売店から新聞を一つくすねて、それを枕に眠った。石英は微かに暖かく、羊の脂の匂いがする。ぼくの髪からも、あの子の首筋からも、どこからも羊の匂いがする。
 石英は、気付いたら羊になって、ぼくの上に丸まったまま小さな寝息を立てている。若く柔らかい子羊の呼吸が、ぼくの前髪をほんの少しゆらす。ぼくはいたたまれなくて、泣いた。綺麗な水も、柔らかい草も、もうどこにもないんだよ。ごめんよ、ぼくはいつだって靴紐の結び方がいい加減だった。ぼくの顔に残った涙の塩気を、彼女は優しく舐め取る。そんなことは、きっとわかってたんだ、誰にだって。耳を澄ませば潮の引いていく音さえ聞こえそうだった。

 卵割が終わろうとしている。全ての母親が刺し殺された大地に、ぼくらはいつまでも立ち続けるだろう。そしてまた、卵割の中に新しい痛みが重なっていく。世界に蜜の甘さが降り注いで、目を閉じることさえ赦されていく。
 そして、ぼくはあなたの血がしみこんだ大地に、羊を放とう。月に向かって槍を投げた、幼い子どもたちの先頭にたって、彼らの嘲笑を浴びながら、朝焼けの中の鳥が描く軌道で、高らく。目を閉じた、光の残渣が幾何学模様を描いてのしかかってくる。月が弾けとんだ、全ての細胞たちは道しるべに分かたれて。


たんのう

  ヒダリテ


少なくとも
胆嚢は
愛ではないと思う

真剣な顔の彼が
突然、自分のおなかに
手を突っ込んで
どす黒く血に濡れた
胆嚢を取り出す

汗びっしょり
息を切らしながら
胆嚢を
あたしの顔の前
差し出しながら
「これが僕の愛だ」
なんて事を言う

「いいえ、これは胆嚢よ」
と、あたしが言うと
「そうか」
と、彼はちょっと
残念そうな顔をした後
「間違えた」
なんて言って笑う

「胆嚢は、いらないか?」
と、言う彼に
「間に合ってるわ」
と、あたしが言うと
「じゃ、冷やしといて」
と、彼はあたしに
それを手渡す

「確かこの辺に、あったはずだが」

そう言いながら
彼はまた
おなかの中に
手を突っ込む

あたしは彼の胆嚢を
ラップに包んで
冷蔵庫に入れる

「胆嚢なくて平気?」
と、あたしが言うと
「死ぬかな?」
なんて言って彼は笑う

「君は愛がなくても平気なの?」
と、彼が訊くので
「愛なんて、どうでも良いのよ」
と、あたしが言うと

彼は
ぽっくり
死んでいる

冷蔵庫には
彼の胆嚢
部屋には、あたしと
彼の死体
少しだけ開けた窓
ひらひらと
カーテンが揺れている

「愛を、探しに行ってくる」

彼の声が聞こえた気がした


AYAKO

  コントラ


アヤコの手を握って歩いていた。路面電車の駅からつづく暗い道で、7月。祭りのあとの、風のない夜。客のない喫茶店の室内灯と、黒い電線がはしる空。単線の踏切を渡ると原っぱのなかにタバコの自販機がぽつんと光を放っている。僕らは小さな橋をわたり、行き止まりの道にあるアパートにつく。戸口には古い蛍光灯が消えかけていて、錆びた自転車が置いたままになっている。窓から川が見える2階の、6畳の部屋。薄闇のなか、僕らは水槽の魚のように折り重なって眠る。窓の外で原付自転車が橋をわたり、ゆるい坂を登ってゆく。マンホールの蓋がくぼむ音。闇に伸びてゆくテールランプの帯。

オレンジ色のランプが入口にかかっている。半地下にあるアフリカ料理屋のテーブルで僕はアヤコと向きあっていた。派手な髪飾りに気づくと、いつも東南アジア系に間違われるから、と言いながらはにかんで笑う。薄暗い店内にいる僕らの肌には赤や黄色のセロファンが投影されている。それは立体壁画のモザイクのように過去や現在を透かして見せる。バクラランからコタキナバルへ、シンガポールからアロースターへ。アヤコは涼しげな顔で僕の話を聞いている。ときどき、「それはどうして?」と言って僕の目をみる。グラスの氷がぶつかり合う音。ドアのガラスのむこうではセミが鳴いている。

アヤコを見送る。私鉄線の駅前。小豆色の6両編成が小さな光源になって森の裏側へ隠れる。風のない夜。深夜の丸太町を4速で走った。90ccの消えいりそうなエンジン音が、穏やかな海のように凪いでいる。シャッターを下ろしたディスカウントストアの交差点を入ると街路樹が闇を包みこみ、灯りの消えたアパートや家並みがつづく。何年か前に、赤道近くの白く乾いた街で同じようにホンダを走らせたことがあった。くねくねした支道をどこまでも入ってゆくと、道は未舗装になり、電気もまだ来ない海岸の村にたどり着く。サロンをまいた老人は、高床の家の筵に僕を座らせて、酸っぱく味つけた焼魚を振舞ってくれた。

水をふくんだ空気。窓からみえるラグーンの向こうには緑に覆われた島が横たわっている。老人は言った。あの島は数年前に白人の大富豪に買い取られて、高級ホテルと自然保護区が整備されて立ち入り禁止になった。だから私たちはここから島を眺めるだけなのだ、と。硬質プラスティックに映るタバコの自販機の灯りを視界の隅にとらえる。橋をわたり右にターンしてアパートの前にバイクを止める。フルフェイスを脱ぐと、星々がきれいに見えた。鍵を抜いてポケットに入れ、アパートの階段を上る。

夢をみた。たちのぼる陽炎のむこうには緑の島がにじんでいて、僕は油の浮いた海を、岸を目指して泳いでいる。苦しくて息がきれる。老人は後ろから僕の肩をつかんで引きとめる。そのうちさざなみの合間にはいくつもの褐色の腕が浮かび上がる。港では短針が振り切れた白い時計塔の下で女たちが膝をついている。午後の太陽は島の中央基線の上に14時間以上もとどまりつづけていて、浜辺にはいくつもの干上がった魚が打ち上げられていた。

アヤコと向き合って路面電車に揺られていた。肩からブラジャーのストラップがのぞいているのをぼんやり見ていた。電車の広告が江ノ島の写真を載せている。「江ノ島って熱帯みたいな感覚がある」と僕はアヤコに話す。窓に指をあてながら「それはどうして?」と彼女が答える。祭りのあとの人いきれを載せた電車。乗客の背丈のうえで扇風機が風を送る。窓の外で飽和してゆく、水をふくんだ盆地の夏。古い家屋の軒先に風鈴が揺れている、僕らが歩いている道の、マンホールの底のように暗い夏。いつか深夜便のせまい窓から見た赤道直下の島々のように、そこには風がなくて、ただ白く光るタバコの自販機だけがかすかな音をたてていた。


陽になれ

  砂木




木の蝶
歩道橋の手摺りに置いた

棒に のっかってた
口元 陽に さわり

生真面目な終わりから始まる
朝に 応えるはず

腕の中で 木に戻り
変えられた 前の顔

幾度も 聴かされてた
古い 葉の つぶやき

飛べないもの 飛ばそう
小さな水滴の 落ちる
手の冷たい 夜

スピード上げて 走る車の上
水脈から遠く高く

木霊が 冷めた 眼を揺らす


センチュリーハイアットホテルとブタのブギ

  ミドリ

じりじりと陽にやけ付く夏の
車のフロントガラスに目を覚ましたとき
高速道路のパーキングエリアは
巨大なトレーラーで埋め尽くされていた

プーマのロゴでプリントされた
スポーツバックを肩に担ぎ
小ぶりのブタが
フロントガラスの真正面を横切る

下っ腹の出たそのブタは
缶コーヒーをグビっと横目であおると
ツカツカとこちらへ寄ってきた

ロックされたドアをガチャガチャと揺らし
「乗っけてくんない?」と
いわれなき言葉を僕に吐く

ウィンドーガラスをおろし
「どこまで行くの?」と訊くと
「ジャカルタまで」

冗談だろっ!

本気だよ
この車なら
この先にある30分ほどの
おり口から下りて
国道へ出ればいい

そこでルナって女を拾って欲しいんだ
ルナだよ 間違えないでくれ
「とりあえず後ろ? いいかい」

ブタはアシックスのシューズで
後部座席に踏み入ると
プーマのバックをポンっと放り投げ
どっかりと腰を下ろした

「何だか俺たち 笑えるよね」と
ブタは大きく背もたれに肘を掛けながらいった

「ハァ?」って
あきれた顔で振り向くと

ブタは葉巻を咥え
キューバ産だぜと
片目を瞑りながら
葉巻を挟んだほうの指を 軽くあげて見せて

さて
これからドライブだ
ルナとの待ち合わせは
センチュリーハイアットホテルの
スィートルームだ
もちろん
そのまま国道へ出てくれればいい

「悪いがブタ君 僕はこれから
 女の子を迎えに行くとこなんだ
 すぐに降りてくれっ
 今すぐにだ!」

ブチ切れた僕はブタの目を真正面から
見据えていうと

ブタは葉巻に火をつけて
とても静かな物腰でこういった

ここから日本海はとても近い
耳をすませば
海風をこの手でつかめる程の距離だ
ゴォゴォってさ
まるで絶滅した世界の果ての後
子供たちが互いに抱き合って
脅えたて泣き喚く声のようだよ

とりあえず5分くらいの力で
ブタの胸倉をブン掴んで
グゥーで殴り 気絶させたあと

センチュリーハイアットホテルへ向かって
車を走らせた

後部座席にクタッと
ブタは気持ちよさげに
眠っているかのように 目を瞑っていて

ホテルに着くとスィートルームには
ブタの名前ですでにチェックインはされていた
3時間くらい待ったが
ルナという女は
とうとう現われはしなかった

気絶したままのブタを
ふかふかのベットに寝かしつけ

センチュリーハイアットホテルを後にした
バックミラー越しに夜景の傾いていく
ブタと居たこの街を残して
僕は再びインターへと車のハンドルを切った

センチュリーハイアットホテル
そこは
ブタとスィートルームと
ルナとジャカルタの在る街だ


コンプレックス

  葛西佑也

あなたの名前をつぶやいていた。私は錆びた車椅子から立ち上がって、一人で歩き出せる。/ようになっていた?愛だとかは、どうでもいい。「愛って隣人愛?」東北地方の小さな街で生れた。真冬の、窓の外の、ように白い肌の赤ん坊の私。抱き上げる腕にいつも噛み付いていた。/その時は、世界は平和だったのですネ。雪解け水で錆びたんですよ、この車椅子。酷いでしょう。ええ、酷い。車輪は踏み潰している。毛布(あなたの名前が刺繍してあるやつ)を。


クラスのみんなに嘘をついている。「どうして?」って、私のために。真実は名前と身長だけ。(友達が欲しかったんだ。)うそつき。教室の隅っこで、独りぼっちで本を読んでいる。読書は独りぼっちでするものだから、それで、問題はないでしょう。時間が過ぎるのは、案外、早かったし。本当は、車椅子なんかなくたって、歩けるのだ。弱気でつぶやく相手は教室の隅の壁。誰も私を認めてはくれない。/うそつき は なかよし。友達なんていらないよ。なかよし は うそつき。埋まらない空白には辛めのガムを押し込んでおく。たまに、車輪は踏み潰してしまうガム(味がまだ残っているやつ)を。


ゆーうつ。気に入らないものは、すべて轢き殺す(習性)。ばれてしまった嘘と、崩れた人間関係は修正が効かないなんて、もっと早く教えてくれたらよかったのに。いじわる。いじわるは嫌いだ。私は寂しくてしょうがないだけだったのに。あなたの名前なんてどうでもよかった。愛は隣人愛。私はみんな家族だと思っていたのに。ネ。世界は真冬には戻れない(毛布はもう必要ないのですね。)。それが摂理というものだ。教わらなくたって、そのくらいは分かる。私は今日も、錆びた車椅子の車輪の音で、何度も目覚めているのです。


No Title

  浅井康浩

そういえば明日、カントール忌だけの展翅
あかるい鱗粉をしたたらせゆくきみのために
こどものためのソルフェージュを。さぁ、




染みこんでしまうほうがいい。ここは、やはり潜れぬままに終わってしまった水泳のあと
の、あの午後のけだるさが満ちはじめてきた教室だから、そこにはきっと、どうしようも
ないねむたさにかたむいてゆくあなたがいるし、うっすらとあおいままの浮力に包まれて
いた、息をすることがみだらにおもえたそんなあなたであるために、からだじゅうをめぐ
るあのやわらかな酸素からこぼれ落ちたまどろみが、かなしみとなってほどけはじめて、
あなたのあかるい裸体そのものへとあふれだしてゆくその感触を、どこまでも手にとるよ
うにみつめることのできたあなたの視線のやさしさもあった。きっと、うすらいでゆくの
でしょうね、そう、きっとだれかにねむりをひきのばされてゆくのでしょうね、あわくて
きずつきやすいひとつの気管支となって。ひとしきり、あなたを想ううつくしいひとの視
野のなかへとおさまりながら。




dim.または dimin.音量を次第に弱めることを指示するディミヌエンドは、いま鳴り終え
たばかりの音域の消尽点をときほぐしてゆくかのようにして、かすかにひろがろうとして
はまた消えてゆくためだけのささやきをあかるいままに透きとおらせてしまうことがある。
それは、ほのかにひろがってゆくレモンピールのかろやかなあまさへと招かれて、どこま
でもやすらかに溶けいってしまうから、ときとして、その移ろいやすさが静謐さの変奏と
して鳴り響いてしまうこともあったりもした。ときに、そのようなしずけさに包みこまれ
るあなたの、しんしんとはきだすあおい息づかいにあわせながら、喉やくちびるをふるわ
せているささやきの、そのかすかないいよどみを聴きとることができたのなら、それはや
がて星辰のたわむれめいた航跡のきしみへと似てゆくことになるのだろう




きみがそっと目をさますまで、かすかにふるえることをゆるしておく
植物のえがかれたブルータイルにまぎれこむ卵殻めいた質感も
いつしか、水の銀河となってみずからを濡らしはじめるのだろう
針葉、群落、葉緑素。
ほどけゆく果皮をうすめるためだけに過ぎる時間はやがて洩れはじめるけれど、
きっと、かすれることで青としてのやさしい葉脈をとりもどしてゆくみちすじだから
きみには、いつか、プラネタリウムでみた星のはなしを


灯台

  まーろっく

若くして死んだ男のことを
思い出す ただそれだけのために
過ぎた歳月のぶんだけ遠く
いつか旅してみたい

それもどこか南の灯台で
あの遠い日を悔いていたい
世界の誰からも見つからぬように
抱えた膝に顔を埋めていたい

厚いコンクリートの塔の内側で
叫びだしたい思いにさいなまれていたい
吹きすさぶ風と立ち騒ぐ波の音に
ただ聞き入っていたい

紅い椿は千切れ飛んでしまえ
海鳥の翼も折れてしまえばいい
わたしの灯台は冷たい光を放ち
おまえの知らない秋をまねくのだ

若くして死んだ男のことを
思い出す ただそれだけのために
白髪のようなススキの穂に
いつか覆われてみたい

おまえが死んだ北の岬は冷たすぎるから
せめてどこか南の灯台で


つまり愛とかなんだろう

  中村かほり

あたしたちは腐敗してゆく。
12日、ようするに288時間もあたしと男ははだかのまま床のうえにちょくせつ寝ころんでいる。男はあたしのだ液を飲料水として飲む。あたしは男のだ液を飲料水として飲む。おなかがすいたらはらばいになってベランダに咲いている花の蜜をすう。軟骨や歯、その他の器官はすでに退化してしまって、あたしたちはとてもたんじゅんなつくりになっていた。夜、あたしは男をふとんがわりにしてねむる。肌のないあたしたちはずいぶんかんたんに体温を交換できる。男の背中が冷えればこんどはあたしがうえになる。そうしてころころと部屋のはしからはしまでころがると朝になるのだ。ひまなときは過去のはなしと現在のはなしと未来のはなしをした。それでもひまなときはかずをかぞえた。1から100。100から2000。あたしたちは寝ころびはじめて9日くらいから、鮮度とかはもうどうでもよくなっていて、だから皮ふの腐敗がはじまってもおどろかなかったし、つぎはどこが腐敗するのかとわくわくした。手をつないでねむっていたら、手が腐敗して、ひとつになった。キスをしながらねむっていたら、くちびるが腐敗して、ひとつになった。意志伝達が困難になるから、舌をあわせて眠ることは、やめた。この状態に社会的な名前をつけるとしたら、きっと愛と呼ぶのだろう。けれどもあたしたちはもうひとではなくなっているから、それがただしいのかはわからない。男ののどがかわいたらあたしがうえになって、彼ののどにだ液を落下させる。あたしののどがかわいたら、男がうえになってあたしののどにだ液を落下させる。冬になれば花はすべて枯れるだろう。でもそのころにはあたしたちはあたらしいいきものになっているから、不都合はなにもない。あたしたちは腐敗してゆく。


水の瞳

  


デッサンされたあなたの瞳は
粗い鉛筆の跡が残ったまま
冷たくこちらを見つめていた

それはデジタルで不整脈を思わせ
何度も外人の声が響いては回る


細かい網目の罠は台風のごとく襲い
思い出の障害が引き起こされる


あのフィルムには確か
海を知らないイルカと
空を知らない天使が写っていた


水の流れる音が
音符に成り得ようと
している瞬間だった


わたしは震える手で
鉛筆を握り
鬱病の人魚を描き出した


水は上から下へ滴り
わたしもそれに従って息をした
命が流れた光景は
天のがわに似ていた
もう生きてはいられない


その端のほうで輝く瞳は
デッサンしたあなたの目の片方だった
わたしは見つからないように
優しく宇宙のくずになる

密かに持ち出したレッドの絵の具を
あなたの周期に加える
いつか美しい太陽が現れて
わたしを忘れて
しまわないように


ランディの海

  ミドリ

生命のないものに
かたちが宿るというのは
とても不思議なことだ

夫はすでに会社に行ってしまっていて
私はパジャマのまま
ソファーに座っている

雨が目まぐるしく 窓ガラスを打ちつける
小骨の多い魚みたいに 私は部屋にいる

雨が少し小降りになると
玄関からのそっと
とても大きなクジラが入ってきて
私の居る部屋のソファーの隣に座る

「話し相手になってくれるのかい?」って
クジラに話しかけると
彼は甘い鳴き声を上げて
チェストの上に置いてあった
時計とか 鏡とかを
ぶるんっと振るわせた
彼の体の尾びれに弾かれて飛ぶ

とても手ごたえのある
そのとても男っぽい動きに
私はうっとりして
彼の肩に頬をのせた

「気にしないでいいの 壊れたものは
 また買えばいいのだから」って言うと

私は彼の大きな背中に抱きついて
この大雨のせいで
君もきっと
あの海からやってきたのね

私も去年
そうやってこのうちに来たの
だから一緒だねって言うと
彼の胸の中の
とても大きな鼓動がコトコトと
甘いラブソングみたいに聴こえた

そうだ!
これから君がやってきた
あの海へ行こう
車に乗って
これからドライブするんだよって
耳に囁くと
彼の男前の顔が
わずかに歪んだような気がした

雨の中
ぱっと傘を差し出し
ワゴンに彼のお尻をギュッと詰めこみ
窮屈そうな助手席の彼を尻目に
車のギアをドライブに入れる

ダシュボードの下に
ビスケットとチョコレートがあるから
好きなだけ食べてって
言うが早いか
彼はそれらをぺロっと一口に
平らげてしまい

あまりのその行動に
あきれた私の大きな丸い目を
キュッとかわいらしく見つめる彼の目

それから私は彼を
ランディと名づけることにした

車はとても底力があった
ドスンっと とっても重たい彼をのせて
よく走ってくれた
海に着いたのは 午後の3時前
そこは人気のない海辺で

わけのわかんない感傷にとらわれてる場合じゃないって
きゅっと眉を上げ
ギュギュっと彼の尾びれを引っ張り出した

車から彼を降ろすと
バイバイって
軽く手を振った

ほら
そこが君の帰る場所だよって 指をさすと
彼はずん胴の体をくねらせて
海の方へ向かっていく

その大きな肩と 背中とが
人で言う うなじの辺りとかが
なんだか
夫に似ているような気がして

私は思いきり
「バイバイ」って 手をあげて
つま先を持ち上げ ランディと海に向かって
思いきり叫んだんだ

バイバイって 
思いきり 叫んだんだ


無題の題

  隅田夕立


僕は 大きな まるになる

僕は 大きな まるになる

小さな まるを 飲み込んで

小さな まるを 飲み込んで

そして 大きな まるになる

体力つけて まるになる

立派で 大きな まるになる

小さな まるは おどろいて

小さいどうし まるになり

仲間と あつまり まるになり

僕より 大きな まるになる

あっと言う間に 飲み込まれ

僕の歴史は なくなった。


枝が生えた少年の冒険

  空栖



 白い枝が背中から生えてきたので
 僕は出掛けることにした
 理髪店の角を曲がったところで雀が飛んできた
 どうやらこの枝が目当てらしい

 雀を乗せて僕は歩く
 橋の下に住むジジイも目を丸くして大丈夫かと言う
 「邪魔なら切ってやろうか?」
 それを痛そうだからと断り手を振った

 踏み切りを過ぎたあたりから背中が重くなって
 首を捻って見ると白い烏が留まっていた
 上を見上げると電信柱に留まった烏がカアァと鳴くので
 僕は日傘を差すことにした

 郵便局の前で親子連れに会い、子供に緑の天使と言われた
 何時の間にか枝はたくさんの葉を付けていたのだ
 その子の母親は不思議な事があるものですね、と言うので
 不思議な事もあるもんですと答えた

 特に行き先も決めずに歩いていると
 空き地で子猫が鳴いていた
 僕は鳥と猫が仲良く出来るか不安で悩んでいたら空が曇ってきて
 雨が近そうだったので子猫も連れて行く事にした

 ため池に続く坂道を下っていたら黒い蝶がひらひらと
 此方にやって来て枝の方へ留まった
 見てみると枝は花を付けていた
 僕は何だか上機嫌になって鼻歌を歌い始める

 市営団地の駐車場で女の子が泣いていた
 「どうしたの?」
 女の子は顔を上げると子猫を見つけ目を輝かせた
 それから泣いてた理由も言わずに子猫を抱えて去って行った

 雨が降ってきたので側にあった教会に入ることにした
 若い神父が貴方の懺悔を聞きましょうと言ってきたので
 懺悔は無いけど背中から枝が生えて来たんですと言った
 「それはきっと神からのプレゼントです。」神父は微笑んだ

 雨が上がって外に出ると道路の真ん中で狸が轢かれていた
 僕は悲しくなって死骸に触れてみるとまだ温かかったので
 ますます悲しくなって何処か静かな場所に埋めることにした
 さっき降った雨のせいで夕暮れの道は金色に光っていた

 やがて目の前に海の見える丘を見つけた
 穴を手で掘っていると何処からともなく髪の長い美しい女性がやって来て
 スコップをくれた
 お礼を言うと彼女は手話を見せた

 狸を埋めた後で僕は背中の枝を一本折って供えた
 赤い花と深緑の葉が付いた枝だった
 僕と彼女は手を合わせる
 それからもう一本枝を折り、彼女にプレゼントした





 


 
 
 

 
 
 
 
 
 


  


被視

  ゆい

化膿した傷口にかけた
オキシドールの泡

今朝会った老猫の目を
傷の中に見つけて

妙に納得した、これが君の言う小海の猫だと

どんな小さな水たまりにも
小海の猫がいると言う君、
(と目の中の猫)

「わたしは何時もあなたを見ていますから安心していらしてね。そう、あなたの体液でも何処でもこの目を探して。ゼラチン質な液体だったら尚いいの、どうぶつ性の、あの蛋白質の生々しい臭いが特に好きなの。人はコラーゲンで形成、されていると聞きました。ふるふるとした動物の液体を食べなさい。大丈夫、あなたはいつも守られています。」(と目の中の猫)


僕の母親は
猫の目をしていた
舌の形がこわくて
口元を直視できなかった

僕は包帯で傷口を塞ぐ
傷を増やしてはいけない
傷口は夜、光る


夕暮れの並木道

  服部 剛



春の陽射しに 
紅い花びらが開いてゆく 
美しさはあまりに脆く 
我がものとして抱き寄せられずに
私は長い間眺めていた

今まで「手に入れたもの」はあったろうか 
遠い真夏に手を伸ばした酸味のある果実は 
皮だけを手元に残した幻

やがて秋を迎えると 
胸の空洞から浮かび上がる淋しさは
透明な雲となり
いつも傍らに浮いていた

夕暮れに照らされた
うっすらとした雲の輪郭を横目に 
私は往き過ぎる 

路面に枯葉の舞う 
秋の調べと共に 
無人の冬の夜へと続く 
夕暮れの並木道を 


狩り

  Toat

窓を一息に開け狩場に、入った。人々の囃し立てる声がする。獣の振りをする。息をちりちり刻み、素早く振り撒く。頭は、プリズムの攪拌。そして理性を手放××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××歓声で我に返×。喰い殺した一匹×愛し××恍惚に吐息し躰を開いていく。××××! エナメルの大腿骨をごそり取り、透る筋を両端に張り、弓を作る。磁器の小骨に灰土色の犬歯を括り、矢を作る。その、あまりに流麗な弓矢で。僕は獣を次々殺していった。狩場には骨と、皮が山をつくった。汗を拭い熱が涼しい風に吹かれた。僕は骨を組み上げその上に皮を被せ、家を作った。家の中は開放的で清潔だったが、獣の骨はひやり光っていた。余った骨と皮でベッドを作り、暖炉も服も、作った。肉は保存食用に加工した。そうやって。そうやっ、て、。僕はしばらくのあいだ、暮らした。しばらく。暮らすうちに、言葉を忘れ、両足で歩くこと、すら、忘れた。落と、した。体表は次第々々厚い毛で埋められたが、僕はまだ純潔なの、だ。家や家具は極小のテトラポットになり崩れ降り、気付いたときには狩場には元の獣たちが、(……みんな)、いて、僕を見てい、た。彼らの白い赤毛は、風に乾き甘く震えた。狩場、は。狩場は夕方の風にゆれうごく人々の歓声。狩場は僕はまだ純潔で理性があっ新しく男が窓から入ってくる


悲しい気持ち

  コラコラ

迷いは
何に対して迷うか決めかねているのか
ぼうぜん
夕闇の色の淡さを体内にとりこもうとして
お腹に空がささったらこわいよ
幼い頃のようにコンクリートの上にだって寝転んでしまう
口の中がなまあたたかさで一杯になる
お家に空がささったらこわいよ
コンクリートのまな板で魚のようにもがいて
早く帰らないと暗くなってしまうのに
動けない


夜の坂をからだに感じ
お腹にひびく ドオ ささったらこわい
幸せだ幸せだとくりかえし
くだびれた足を動かせ
けばだった灰の犬が月を示す
あんなに黄色すぎる月には目がつぶれてしまう
お腹がつぶれてしまう
月に死んでしまう
犬は幸せだ幸せだと瞳に語るだろう
月はただある


迷いは
感情などではない
この気持ちはただ悲しい気持ちだ
幼い頃のようにコンクリートは根気よく熱を保っている
ひざのうら側が汗ばんでいる
口の中がなまあたたかく風が吹きぬけると
ここに世界のすべてはあるか
星は雲はわたしの口に 見えるすべてのものは
わたしがつぶれてしまう

犬のしっぽの先に 本当に真実がゆれた
手を伸ばす 体は這いつくばったまま


荘厳主義II

  橘 鷲聖

物盗りが入ったか
大規模な秘儀が行われたあとのような書斎で
不可能言語が埋め尽くした本を
庇にして眠っていたのだ
しかもテーブルの上の書き物は
詩と、ダキニのデッサン、見当も及ばない計算、航海術のような、または神々の御名、未曾有の書き出し
俺はぼんやりとだが煙草とウォッカの銘柄を云える
ただし型崩れたシャツやコートのブランドは知らない
今日のスケジュールと夕食の約束も
ほぼ忘れている頃合いだろう
暁の居間に着いても勿論
髭を剃る気配も否や
見えない図を天空画に顕わしたまま
かろうじて寝癖を発見したくらいだ
おまえからの事務的な電話が律儀に入らなければ
おそらく煙草の空き箱を覗いた正后まで
手探っていただろう俺が
夕方までにせめて寝癖を直すはずはない
そうしておまえと花束が訪れ
ようやく今日の日付を確かめる様子を
一番期待していたようなおまえは
ちょっとイタズラな笑みを赤らめて
赦したつもりは無いんだが
心尽くしの花束を抱かされて
せめても寝癖を直させたおまえの
真心がそうさせたと云ってしまえばそれまでだし
控えめなおまえが薔薇を選んだ理由を
どんな思慮でも気紛れでも容易にさせてしまったのは
普段のように靴を揃えて見せない顔や
小さな仕草と整った隅々
グラスに注ぐ月の氷解
その叙情さえ気につかないほど
澄んだ暗黙を共有していたせいだろう
程なくして書斎の扉が軋んだ
それはどういった経緯か
料理店で程度の知れない洋酒を一本きり空けても
気が済むはずもなかった以後
それは確かだ
椅子に凭れる新しい一節と暗唱
静物の囁きも影も夜気に冷め
ようやく見開いた予感の一閃が
筆先や星の暦でなくまさかおまえが胸中より洩れる
淑やかな酔いの口寄せ
後戻ることのできない断崖を以て
スピカの譫言なら
ついに俺に掬わせた
生来より遠い静脈を辿り
果てしのない余韻を曳いた虚ろで
おまえは見つめた
降りしきる羽が初雪の月影であることを
俺は伝えない
アルコールより長く続く瞬間
余白は流れた水滴で焦げた
永遠に引き伸ばされてゆく
コロナを掲げた雪上で
悦びを星天ほども縫いつけて
おまえはその嗜虐を知っている
または臨界の向こうにある祈り
積乱する指先とインニヒス
速記される脚本は追いかけるように消え


コトワリ(理)のあいまへ

  喪主

どどのつまりにばるさんたく
ぷらたなすの花。
けまりくるめる
いとおかしきなゆたいの
ひいらぎの
ふるまいに
きわめつくされししんぞうの
セルゲイに
はじめて日の出のボルボックスは
丸コゲになって
ひきちぎられ
太ようと
あくしゅを
する。

ひるひなかの太ようの
さんさんたる火の光に
丸こげボルボックスは内ぞうをはみ
ありんこの巣の中に
オレンジジュースひとつかみ
口うつしを
する。

ありの巣に
オレンジじゅうすをくちうつしする丸こげボルボックスは
したを中にいれ、
丸こげないぞうを、
ゆっくりと、
なかへ、なかへと
おしこみ、
おしこみ、

みもだえするありんこの巣
ぼっきし
丸こげた内ぞうを
うけいれ
そしゃくしそしゃくし
丸コゲの中の白いものがふきだすまで
かみつぶす。


あげはちょうがとぶ。
あげはちょうはゆっくりと
眼下にひろがる
ボルボックスとありんこの巣とのまじわりを
えせらえせらにやつきみおろして
ひらひら、ひらひらとびかうも

じゅえきにこびりついた
丸こげボルボックスの内ぞうの
何か白いもの
に見入られて

その場で
どうこうを
ひらく
全開に
その
まっくろな
どうこうを
ひらき
白いものを受け入れようとするも、
とどかず。

さらにさらに
まっくろな
どうこうを
ひらく
ひきさけるまでひしゃげるまで、
どうこうぜんかいびらきはつづく。


やがてそこからまっさらな
あかい汁がにじみでて、
しるのなかからまっしろな
とうめいな
おりものがふきだし


あげはちょうは


コトワリのあいまを

すりぬけている
ところです。


刃こぼれさん

  三井 晶

夜光虫が満ち寄せて 青く燃えている海に
泳ぎだしていく、私たち
夜ごと よくわからない用事で 呼び出されて
堤防に整列して 背中を押され
私たち、泳ぎだしていく


私たち、服を脱がない
みんな同じ服を着ているから、脱がない
私たち、魚じゃないから
私たち、息継ぎするから


刃こぼれさん、に会っておいで
背中を押すひとたちはそう言って
光る海を指さす
片方の手は、もう
私たちの背中にまわって
やさしく 刃こぼれさん、と言って


刃こぼれさん、は 脱がすひと
服と体のあいだに滑り込んで
内側から ボタンをゆるめて はずして
アァ、スッパダカダネ、ワタシタチ
ウン、スッパダカサ、ワタシタチ
ヒカッテルネ、キラキラ、ヒカッテルネ、
ヒカッタラ、ツギ、キエルンジャ、 ナイノ?


私たち、魚じゃないから
私たち、息継ぎするから
帰れるね、帰れちゃうね
刃こぼれさん、私たち
だいぶ薄くなってきたみたい
あしたもまた来るよ

文学極道

Copyright © BUNGAKU GOKUDOU. All rights reserved.