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りす

選出作品 (投稿日時順 / 全49作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


蛮族のいる風景

  りす

 幼稚園のスクールバスには カーナビがない
 かわりに
 「男か女かわかんねえなあ」 
 と園児に言うのが口癖の 私という名の運転手が付いている
 園児という蛮族を乗せるのに 行き先なんてどこでもいいのだ
 いつだって めちゃくちゃなリズムで踊っている君たちの
 その軽快なステップのルールを 私に教えてくれないか

 
 バスの車体に描かれた巨大なひまわりは 
 週末には「じゃあな」と言って 激務で疲れた体を鉄板からひっぺがし
 赤羽あたりのストリップにもぐりこむ
 ウーロンハイを舐めながら年増女の裸を丁寧に批評し 心のケアを怠らない


 「ひかる」という名札をつけた園児のお父さんは私の隣人で
 妻と家庭内別居中なので ベランダにテントを張って寝起きしている
 ベランダ越しに彼と世間話をしていると 
 ときどき「ひかる」ちゃんが顔を出し コンニチワ と 
 私たちに かわいい挨拶をしてくれる
 「ひかる」ちゃんが男か女か わからない
 彼も知っているかどうか

 
 今日は遠足なので 保母さんの不安は増大している
 お弁当を忘れた子供が何人いるだろう?
 彼女は園児のトラウマを最小限に食い止めるために
 早起きして予備のお弁当を10個作ってきた
 ムーンサルトをキメたのに 着地する地面が無い感じ?
 と彼女は不安の種類を説明してくれた
 彼女も週末には不安を蹴飛ばして合コン女王に変身し
 男のたくらみにも体勢を崩さず 自信を持って見事な着地をキメている
 「普通の女です」とのことだ 

 
 学校法人 きぼう  ひまわり幼稚園
 この部分を特に念入りに洗うように ワックスもかけてね
 君もマーケティングの一翼を担っているのだから
 と園長先生から言われている
 蛮族には きぼう という不細工な言葉がよく似合う
 蛮族=希望 私は希望を乗せて走っているから疲れやすいのだ
 それにしても 洗車する週末に ひまわりはいつも留守なので
 彼はいつも埃まみれだ
 たまには 空っぽのバスで ひまわりを迎えに行くのも いいかもしれない

* メールアドレスは非公開


夏のへだたり

  りす

水道の蛇口をひねると
秒針がざっくりと出てきて
洗面台を埋めてしまった
仕方がないので 
それで顔を洗った朝
君に会いに行く

紫外線の指揮する音符が
足元に絡み付いて離れず
歩くたびに 電柱を数えろ と命令する
電柱の数だけ嘘がある
電柱の数だけ権力がある
電柱の数だけ争いがある
そんなデタラメを吹き込まれながら
君に会いに行く

ハンドバッグにいつも
銀色のストップウォッチを忍ばせている君
正確さと意地悪さが双子だとは知らずに
僕の脚力を値踏みしている

夏だというのに蝉は鳴かないし汗もかかないところをみると夏ではないのかもしれない
都会の蝉は声が悪いから追放されたのかもしれない
汗は外側ではなく内側に流れる仕組みに変わったのかもしれない
夏が個人的に語りかけてくる時代はもう終わったのかもしれない

長すぎる時間軸と 短すぎることばの射程距離は
生来 肌が合わないから
いくらデートを重ねても
つないだ手の冷たさに いつも少し
うろたえてしまう

プール帰りの子供たちの 日焼けしたうなじに
走る風はすみやかで 少し濡れている髪の重さを
未来の方向に運んでいる


はばかり

  りす

現代では便器中の排泄物の詳細な観察が可能になり
色艶 形状 サイズを容易に調べることができ
その気になれば写真に収めて持ち歩き 「最近俺に似てきたな」などと
まんざらでもない笑みを浮かべる生活もできるのだが
まだ便所が汲み取り式であった時代 排泄物というものは
肛門から落とした途端 深い暗闇へと消えていくものであり
わたしたちに姿を晒すことなく密かに存在するのものであった
しかしその存在は決してわたしたちの追跡をくらますことはなく
時が経てば大きな柄杓で汲み取られ畑の土に撒かれることで
肥料となり 茄子となり胡瓜となり わたしたちの体の養分になるという
見事な循環の足跡を残していった
もちろん水洗トイレから流された排泄物の行方にしても
下水道を通って下水処理場へという分かりやすい履歴を辿ってはくれるが
まさか下水処理場で待ち伏せするわけにもいかず 水洗レバーを押したら最後
穴に吸い込まれ匿名の存在に変わり果てるのを わたしたちはただ 見守ることしかできない
さらに最近では 望みさえすれば肛門を洗って乾かしてもくれるという厚遇に浴することもでき
不覚にも まるで排泄行為など なかったかのような錯覚を覚えてしまうこともあるのだから
わたしたちと排泄物との断絶は はなはだ深刻であるといえるし あの
汲み取り式トイレの黒い穴に無防備に直面し 不安に震えていた
あの お尻の表情がもう永久に戻ってこないという事実については
もう少し真剣に驚いてみる価値があると思うのだ
記憶を辿ってみれば あの時のお尻の 宙吊りにされたような不安定な姿勢
時おり股下を通り抜ける冷たい風 次第に痺れてくるふくらはぎ
そもそもなぜ こんな不自由な姿勢をしているのかという疑問さえ持たず
ひたすら排泄物を奈落に落とすことだけに集中していたあの瞬間
排泄行為というものが 不安と快感を同時体験するものだという始原へと
わたしたちを導いてくれたあの時を はばかり という名前とともに
もう一度 蘇らせたいと思うのだ


お嬢さん 日傘を忘れないで

  りす

お嬢さん 日傘を忘れないで
届かない残暑見舞いの差出人は
黄金比に似合う言葉が
もう見つからないそうです
葉書の四角い無地が
映画館のスクリーンほど妬ましく
西日にさらして 放置しているそうです

太陽の未練は 偵察飛行しながら
お嬢さんの白い肌を狙っています
白と黒がせめぎあっては許しあう
テキトウなこの世界で
俺は お嬢さんのためなら 台風の夜
ポンズダブルホワイトを買いに
ドラッグストアまで走ってもいいんだ

お嬢さん 日傘を忘れないで
受け取った名刺の数だけ
日焼けの痕が複雑になるから
花の刺繍が美しい その日傘で
名前の散弾を しのいでください
俺は その名前をリュックに詰め込んで
はとバスに乗るから


なにも書かずに投函したそうです
最近は 青いポストもあるそうです
白い葉書の軽さは
残暑のGに逆らって
太陽の隙間をくぐりぬけ
ふわりと舞っていくような
そんな気持ちになったそうです


お嬢さん 日傘を忘れないで
陽射しをさえぎった小さな世界は
街を移動しながら 裏切っていく
影の エージェントの 俺の
道しるべになるのだから


挟み撃ち

  りす

団地の砂場で アメリカザリガニを見た
子供たちの輪の中で 大きなハサミを
低い空へ 突き上げていた


団地の集金当番が回ってきた
住人たちは ドアの隙間から 腕を突き出し
無言で自治会費を手渡す
そそくさと部屋に引っ込む姿は あの
アメリカザリガニ得意の すばやい後方移動に似ていた

アメリカザリガニの背中が 赤く色づく頃
僕たちの平熱は上がりはじめ  夏が来る
ハサミウチ! を合言葉に
僕たちは 前と後ろに網を仕掛けて 
アメリカザリガニを捕まえるのが 作戦だった

集まったお金を見て
「このお金持って逃げちゃおっか」なんて冗談をいう妻の顔は
「このザリガニ茹でるとおいしいよ」とバケツを覗いていた
母親と似てきたようだ

アメリカザリガニの赤い背中を追いかけて
用水路を辿っていたら 隣の町に来ていた 
僕たちは 重たいバケツをぶら下げて
街灯に光る用水路の 青い筋を頼りに
家に帰った


誰もいない砂場に アメリカザリガニがいた
小さな背中をつまんで 持ち上げてみる
体のわりに大きすぎるハサミが
重そうにたれさがっていた

アメリカザリガニは狭いところが好きだった
水草や岩の間
僕たちも狭いところが好きだった
押入れや納屋の奥

アメリカザリガニを帰す場所がないので
部屋に持ち帰ることにした
妻はおそらく アメリカザリガニを 知らない


かえりみち

  りす

ゆるんだ眼差しで 育てられた子供は
しだいに 通学路を 塗り替える
眼にうつる 建築の ちがいの 少しずつ
寝床のありかが 匂わなくなる

鉄屑を積んだ リヤカーについて行く
汚れた手拭いを 首にかけた老人 
振り向いては 諭す
 帰れるところで帰りなさい
やさしく揺れる荷台に はこばれる
たりない くらしの 言葉
 これは 人が乗るもんじゃあ ないよ

雑木林の 枝のさやぎが誘う
行方しれずになる 予兆
戸をたてる音がするたび
求めるように首を回して

細葉の垣根の向こうで
人を呼ぶ声がする
親密に丸められた名前の
遠くまで届く 頼もしさ

踏み慣れない ドブ板の形
はじめての道で吸った空気は
吐いても吐いても
おなかの底で 青く燻っている

陸橋を渡ると よその町になる
 押してくれや
坂道のはじまりで 老人が振り向く
冷たい鉄枠に手をかけ 力を込める
 おう おう いいぞ おう 
嗄れた声が弾んで 夜がどんどん軽くなる

街灯の光に 輪郭を取り戻す 鉄の部品 
たがいには接合しない 断面をぶつけあって 
にぎやかに立ち騒ぐ 濡れたような油の匂い
 
 もういいぞ てっぺんだ

遠ざかるリヤカーを 坂の頂上で見送る
 くだるほうが難しいんだ
残された言葉の 辿りたい手触り
振り向けば もうひとつの くだり


枕を探して

  りす

猫の背中をハードルのように跨いで妹の家へ向かう
枕に調度いい曲線が見つからない
埼玉の猫の質も落ちたもんだ
玄関を塞ぐ妹の背中は 跨ぐに跨げず
つんつん押して 先をうながした
太っているほど 徳が高いのよ
地層プレートがずれる時代
郊外のアパートメントに住む女子労働者にも
高級な思想が滑り込むものだ
高級な妹には高級なお土産
コージーコーナーのデラックス苺ショート
苺がのっているだけでなく スポンジの階層の中に
苺のスライスが織り込まれている 崩れやすい一品
食べるの下手ねえ、育ちが知れるわ
育ちは一緒の筈だが 曲がった角が違ったのだ
おっ、いい枕があるじゃないか
ソファで丸くなるアメリカンショートヘアに顔をうずめる
ああっ、ジュピターに何するの!
ジュピターの背中は香水の匂いがした
昼間は一人でいるの?
誰が?
ジュピター。
持ってくの?
何を?
ジュピター。
猫のマークのダンボールが 壁画のように並んでいる
仲良く二匹 同じ方向を向いて たぶん同じスピードで
五年と三ヶ月かな
ふくよかな五本の指が意外に素早く折り畳まれ
ゆっくりと時間をかけて元に戻る
最初の一歩が早いのに 戻るうちに追い越されてしまう子
狭い場所に車庫入れするように いつも腰のあたりが戸惑っている
やっていけるか?
ジュピターなら大丈夫、適応能力があるから。
猫の背中をハードルのように跨いで家に帰る
埼玉には何でこんなに猫が多いんだ
跨いでも跨いでも夜になると 並んでいる
人が捨てた枕の数だけ猫がいるのだ
だから適当なのを持ち帰って 枕にして
寝てやるのだ
ジュピター、君は枕のように
夢の染み込んだ猫になっちゃだめだ


柿を採りに行く

  りす

重ね着する理由を 問いかける間もなく
君は白いコルテッツに履きかえる
土間に脱ぎ置いたタイトブーツの空洞に
答えはあるのかもしれない

柿の葉は落ち あかい実だけが落ちあぐね
今年は豊作なのよ という君の
見上げもしない視線には 
黒い幹が 漢字の前触れのように
見えるのかもしれない

マフラーで隠した首筋に棲む
慎重に閉じ込めた台詞が
ボタンを外して胸を開き
乾いた柿の葉のように割れるのは
今日ではないのかもしれない

農協に出しても安いのよ 
梯子を架けながら揺れる腰に
ぶら下がっている手鋏を
慣れた仕草で指に収め
懐かしいはずの上目遣いは
一瞬の交わり残して角度を変え
柿の品定めに逃げてしまう

厚手のスカートを手で押さえながら
久しぶりだな 
弾みの悪い言葉と一緒に
君は梯子に足をかける
押さえてようか と問いかける間もなく
君はするすると梯子を上り
これでいい?
と手鋏で柿を示す

これでいい?
これでいい?
これでいい?

頷けば頷いた数だけ 落ちてくる柿の実

籠が一杯になっても 君はマフラーを外さない
その温度を持ったまま 
汗ばんだ冬を やり過ごすつもりなのだ

これでいい?
これでいい?
これでいい?

頷きが止まらない
食べきれない柿の実を抱えて
冬を越す 人もいる


たったひとつの冴えたやり方

  りす

あなたの肩はスムースな浅瀬を求め
雑踏の隙間を測り始める
伊勢丹の温かい黄金電飾が
零れ落ちては流される明治通り
広告塔に見とれるふりをして
その先の空を探す

五年前この上空を飛んだとき
あなたは眼鏡をかけていなくて
見えないから怖くはないと強がった
薄い機体にくるまった固い体温
このまま堕ちたらラッキーかも
そんな言葉を東京湾に落とした

眼鏡をかけたあなたは
ルーラーで雑踏に升目を引き
薄い肩を滑り込ませる
背中を見せないこと
あなたの好きだった言葉
たったひとつの冴えたやり方

世界堂で青いボールペンを買う
新宿通り
言葉が溝であるような
暮らしの始まり

アフタヌーンティーで来年の手帳を買う
甲州街道
日付が鍵穴であるような
暮らしの始まり

風にめくれるコートの裾を
手で押さえる接触も冷めて
空に逃げていく体温を追って
西口の長い歩道橋を上る

あなたが跨いだ残り火が
街に馴染んで消える時刻を
空に近い場所で
待つことにする


中田島砂丘

  りす

海鳴りが聞こえると姉さんは踊りだす
白いソックスを脱いで両手にはめて
籠目籠目を調子っ外れに唄いながら
日めくりを無闇に破りはじめる
跳んできた婆さんが首根っこ押えて
騒がしい屋根に雷は落ちるんぞと叱るが
姉さんは体をよじって婆さんをほどき
縁側から跳びおりてサンダルをつっかけ
海に向かって一目散に走り出す

婆さんに急かされてゴム草履をはいて
姉さんの赤いサンダルを追いかけると
南の空にはもう黒い雲が集合している
叫び声のように曲がった松の防風林が
半島にある人柱塚へ向かう参列に見える
山村生まれの婆さんは段々畑がふるさとで
半世紀を海辺で暮らしても未だに海を疑い
防風林の向こう側はあの世だと思っている

道が果てて砂丘に入っても海はまだ遠い
散在する流木が這い出してくる腕のように白く
踏んづけても飛び越えてもぐにゃりと手招きする
日が落ちた何もない砂丘で海を目指すには
流木の間を蛇行しないで手招きに身をまかせ
地形の記憶など捨ててしまったほうがいい

不意に赤いサンダルがふたつ宙に舞って消えた
姉さんの背中が近づくにつれて潮の匂いが濃くなり
姉さんの肩に手をかけたとき波が足元を洗った
うしろの正面 だ、 あ、 れ、と低く呟いて
姉さんは振り向きもしないで海を見ている

海は石炭のように黒く冷たい腹を見せて横たわり
火を点ければぐらぐらと煮えたぎりそうにみえて
だから姉さんは赤いサンダルを海に放ってみたのかと
口に出しても仕方のない問いかけが喉元で燻っている
雷鳴と同時に竜のような稲妻が黒い空に走り
青光りの瞬間姉さんの白いソックスをはめた両手が
灯台のように空高く突き上がっているのが見えた
もうすぐ巨大な二本足が上陸するよ
姉さんは優しい声でささやいてじっと海を見ている
後ろを振り向くと遠くに婆さんの姿が見えた
拾った流木を杖にして砂の斜面を突つきながら
ゆっくりと海のほうへ近づいてくる


プロポーズ。

  りす

歩道橋が長すぎるので途中で諦めて、壊れた洗濯機の話をする。眼下を灯りのない貨物列車がいつまでも通り過ぎて行く。君は厚い眼鏡をハンカチで拭きながら熱心に相槌を打ってくれる。君の相槌の品揃えは、帝国ホテルのコンシェルジュみたいに完璧だ。僕の言葉は砂漠に降る雨のように、君の相槌に吸収されてしまう。だから僕は君の体内のどこかに、僕の名前を冠した瑞々しいオアシスがあるんじゃないかと常々思っているんだ。それにしても、今日に限ってどうも会話が食い違う。どうやら、僕は二槽式洗濯機について話しているのに、君の頭には全自動洗濯機しか浮かんでいないようなのだ。脱水槽が回転しない、という状況を理解させるのに、貨物列車が五本も通過していった。でもこの程度の食い違いは、君が眉間に皺を寄せて器量を損なうほど、深刻なことではないんだ。マーガリンとバターのように、片方を知らなければ、どっちがどっちでもいいような代物だ。そんな些細な錯誤はこの、長すぎる歩道橋に比べればたいした問題ではない。シェイプアップしたいの、と君が言うから、わざわざ歩道橋なんて前近代的な迂回路を選んだのはいいが、どうにも階段の数が多すぎはしないか。歩道橋の途中に自販機を置けばいいのに、という君の本末転倒な提案にも、そこそこの市場価値はあると思うよ。だけど、最初から踏切を渡れば良かった、なんて愚痴を言うつもりはない。君を見習って、これからは提案型の人生を送ろうと思ってるんだ。君は今、二槽式洗濯機の説明を求めている。説明なんて回りくどいことはやめにして、この際、結婚しようじゃないか。結婚して僕の洗濯機で、君が自分の下着を洗ってみれば、すべては一瞬に了解されるんじゃないか?だからさ、結婚しよう。僕が二槽式洗濯機の柔軟な使い勝手についてくどくど説明すれば、へえ、とか、ふーん、とか、むむむ、とか、君の相槌の訓練にはなるかもしれないが、最近わざわざ全自動洗濯機から二槽式洗濯機に買い換えた、うちの母親の気持ちは一生理解できないだろう。いや別に母親と同居してほしいと言ってるわけじゃないし、安易な文明化に警鐘を鳴らしているわけでもない。ましてや、洗濯と選択の掛詞で恋のボディーブローを狙ってる訳でもない。文明化、大いに結構。スローライフ、断固反対。ところで最近、やけに貨物列車が増えたと思わないか?気のせいなんかじゃなくて、実際に増えてるんだよ。この理由をくどくど説明すると、君のオアシスが溢れてしまうから止めておくけど、ほら、あそこに見えるのが越谷ターミナルだよ。あそこは、たくさんのコンテナがお迎えを待っている幼稚園みたいな所だ。そんな切ない場所だから、人目につかない田舎に貨物ターミナルはあるんだ。結局、僕が言いたいのは、この際、君の心を脱水槽に放り込んでしまったらいい、ってことなんだ。いつまで君は洗濯槽の中でぐるぐる回ってるんだ、ってことなんだ。そういえばこの間、眼鏡を縁なしに変えようか、なんて悩んでたよね。そんなの結婚しちゃえば、すぐ解決することだよ。ウェディングドレスに眼鏡は似合わないから、コンタクトにするしかないだろう?だから二人で二槽式洗濯機のある生活をしてみようじゃないか。踏切より歩道橋を選んでしまう君は、きっとすぐに気に入ると思うよ。でも、さっきも話したように、肝心の脱水槽が壊れているんだ。だから今しばらくは、君の体内のオアシスが枯れてしまわないように、遠回りするデートをこのまま、続けていくしかないと思ってるんだよ


二月の雨

  りす

縦列するハザードランプ
点滅して人影を探す
夕暮れ 二月の雨
傘が開いて灯る色

製紙工場の煙が南に流れる
南には錆びた海がある
岸に触れては戸惑う
波の指先

星座をあしらった傘の下
路地を曲がるふたつの焔
袖を引き合っては正していく
残雪へ踏み込むつま先

窓明かりが雪を蒼くして
わだちは線路のように繋がり
足跡は行き先を尋ねあう
傘は小さな星座を暖めて放つ

終業のサイレンが町を駆ける
工場の音が遠のいていく
マフラーの隙間から少し
鼓動が零れはじめる


花嫁

  りす

貸し出されたまま行方が知れない花嫁。
かつては箱詰めにし風呂敷に包み贈与され集落を循環していたが、やがて在庫の
滞留が起こり幾千ものコンテナに詰め込まれ港から貨物船へ運ばれ海を渡った。
船倉から夜通し聞こえる花嫁の華やいだおしゃべりは二段ベッドの船員たちを朝
まで眠らせなかった。花嫁は五大陸すべての港に上陸し、街角にあまねく行き渡
り全ての男子は母から生まれた途端に花嫁とすでに結婚していた。ショットバー
で隣り合わせた頭が良すぎて使い物にならない女は花嫁であり、遭難した雪山で
首を絞めてとどめを刺す救助隊は花嫁である。花嫁が巷の話題にもならなかった
のは、語り部たちが臆病なレトリックによって脱がすよりは重ね着させることを
使い捨てるよりは再利用することを街灯の下の薄闇から絶えずしたたかに説いて
いたからだ。食卓にそそぐ柔らかな光のように花嫁は家屋を侵し夜になれば一人
ベランダに立ち帰る場所があったかのような眼差をしている。花嫁は回収されな
ければならないが、期限を決めなかった契約は果たされるはずもなく、貨物船が
積んでくるのは花嫁が趣味で書いた遺書ばかりだ。遺書は花嫁から花嫁へチェー
ンメールのように繋がり、花嫁たちの感度を均一にならしていく。
             一斉にヴェールを脱いで世界を裏返す日のために。


斜面

  りす

青みはじめた土手
たぶん名前くらいはある草
いちいち葉をめくって
不安でも隠してないか調べる
何しろ ここは急な斜面だ

君は相変わらず眼鏡で
フレームだけが季節ごとに変わる
どうやら君にも春が来たらしい
レンズと瞳の間で
たくさんの蕾が揺れているよ

ダンボールのソリで滑るのを
頑なに拒む理由はなんだろう
珍しくスカートをはいているから?
珍しくパーマをかけているから?
それとも ありふれたことは悲しいから?

草を摘み取ってポケットに詰める
青い匂いを君に着せておく
緑に染まった爪 
太陽にかざして
ここに置き忘れていいような
たぶん名前くらいはある手


蓮華

  りす

夜の音を束ねた髪
指でとかして
わけ入って光を
つかむ、あれは
蓮華畑の、
クローバーの、
ふくらはぎの、
駆け抜ける午後
舞い上がる緑の虫を追って
青い堤防を刃渡りする少年
触れば鳴り出すような四葉を
見つけた土手から
少女は跳んで
落下傘のように着地するスカート
そこは
仰向けで空を見る場所
赤い屋根の水防倉庫が
ちぎれ雲を引きとめて
長い歌を聞かせている
裏返りそうな声を
空の重さでおさえて
ひとり言のような
長い歌を

少女の首を持ち去る
鋼鉄の首飾り
開きかけた襟元を隠し
しずくの喉を、
霧の汗を、
芽吹きの匂いを、
逃がさないまま夜に連れ去る
街灯の光を集めて
断ち切られた路地をつないで
夜の地図を作る少年
ちぎった四葉を落として
青い匂いを散らかす少女
カバンに閉じ込めた蓮華を
置き忘れるような仕草で
曲がり角に葬る
少年は地図を塗り潰して
余白の少ない路地を曲がる
鋼鉄の首飾りが街をくるんで
夜の終わりは明日へ
先回りしている

名前を呼んでも黒髪の闇
足首をつかむ蓮華の群れ
いつしか仰向けで見ている空
ちぎれ雲を剥がしても何かある青
空を見ながら作る首飾り
茎を束ねても鳴り出さない午後
鍵の壊れた水防倉庫
錆ついたドアのきしみ
すきまからすきまへ逃げる風の音
首飾りの中
丸い空に
ひとり言のように
走っている傷


夜の水槽

  りす

月明かりの夜だ
水のないプールで自転車を漕ぐ
湿った枯葉の上をゆっくりと回遊する
眠れない夜だ
飛込み台に立つ六本の白い影
かつて泳いだヒト
いずれ泳ぐヒト
水に抱かれた記憶をなくし
前傾
のまま固まって
車輪
カラカラ回って
潜れない夜だ
白い影を順番に
荷台に乗せて遊泳する
矩形 円形 八文字
交代してゆっくりと反復
終わった影から渦になって
排水溝に消えていく
ここは沈めないヒトが浮遊する水槽
地上に落ちた月面
満ち欠けの水脈を辿る二人乗り
冷たいペダルが発動して
明けてしまう夜


勤続

  りす

勤続十年で表彰された
女の子の
深海のような笑顔
頭上から降り注ぐ
「当社への多大なる貢献」は
すりきれたパンプスに踏まれ
窒息している

冬瓜のようなふくらはぎを走る
ストッキングの伝線
辿ってごらん
伝線を道なりに行けば
スカート 群青の丘を越えて
ブラウス アイロン皺を突っ切って
おかっぱ 掻き分けて再会する
「全社員の模範となるべき」
深海のような笑顔

タイムレコーダーのジジッ
ていう音が好きなの
いたずらっぽくウィンクした
永遠に勤続する
女の子


夜の転移

  りす

送電線を渡っていく黒い片肺
夜を濾過するために眠りを捨て
置いてきた片肺を遠い声で呼ぶ
のっそりと玄関から出てくる私
たわんだ電線の間に身動く文字が
震えて声になる唸りを呼吸する
思い出した腰の下が夜を歩きはじめる


バス停 電話ボックス 私
似たような三体の空洞は
似たような三つの夜を迎える
時刻表 電話帳 新鮮な後悔
その近似値に光がさせば
正しく平等な朝がやってくる
それまでは夜の偏った濃度を舐めて
喉を湿らすしかないのだ


鼓動にあわせて手折る鉄塔
硬い先端はすみやかに嗅覚の蕾となり
香ばしい心室を串刺す針となる
シャーレに落ちる予め赤ではない血
私の標本が街に散らばる展覧される
電線をだらり垂らした押し花
枯れないための枯れたふり
仮死
私は理科室を内包して貧しい


欄干に頬を寄せて聴診する
岸と岸が交わす伝心の波
佇む影が残した熱のありか
河を抱いて私を抱かず
水をいつくしむ橋を蹴る蹴り
蹴らなければ
金属は私のように眠らない
金属は私のように甘受しない
軋みながら馴れて離れて
しばらくは人肌になる金属と私


遠く河口をふちどる光の粒
清潔な夢が海に落ちる港
幾千の眠りがのぼりつめて裂け
胸骨の裏側へ出航していく
汽笛が鳴ったか 鳴らなかったか
誰が乗ったか 乗らなかったか
振ったり 振らなかったりする手が
指紋を飼育する手であったと
忘れずに
冷たい欄干に言い含めておけ


輝く痛点を繋ぐ架空線を走り
船は波を潰しながら沖に出る
凪いだ水面に垂らした糸は
深海魚が不意に接吻してくる
懐かしい触りに震えている
深海でひいたルージュは光を借りず
つまり過去を返さない者の唇の強さで
声の門番として発光している
回遊している

  今こそ
  水揚げ 

唇を割って 
何が、
何を、
震わせるのか
私の閉じて尖った唇は
知りたがっている


港の灯が消えれば闇の遊びもない
視線が滲む温度の蓄えも尽きる
河は送電線から溢れた唸りを喰らい
向き合う岸を裂いてたしなめる
背骨に残る肉片のように橋にはりつき
私はあした聞きたい声を橋に刻む
赤く錆びて隆起する声を


A・K  夏の椅子

  りす

子供があんまり見上げるので
座っていた椅子を踏み台に
ちょっと つま先立ち
夏蜜柑 ひとつもいで
白いブラウスの袖できゅっとひと拭き
A・Kは白が好きで
白を汚すのも好きで
「重曹かけて召し上がれ」
ツバキの垣根を越えて
夏蜜柑 ごろり
おっきいねえ
おっきいよ
すっぱいかねえ
すっぱいぞ
ジューソーカケテ メシアガレ

おかーさん、
ジューソーが必要だよ、ジューソー
ほらほら、夏蜜柑
あ、
あーあ、 重曹 ね。 しゅわしゅわ ね。
暗い戸棚の奥から小さな箱
ほんと 見事な夏蜜柑
これが あの、
うん これが あの、


カミキリムシ
蜜柑の枝から飛んで
黒と白が滲みあう硬い羽
カミキリムシ
A・Kの白に止まり 
羽に閉じ込めた あと さき
ブラウスの二の腕をのぼって

A・K
カミキリムシが、

呼びかけてもそよともせず
木を食べて暮らしてきた虫が
もう肩にまで迫って触覚が
白い首筋をくすぐりそうで
触れたなら A・K 笑うといい 
ギシギシと機械の音を鳴いて
ほら、カミキリムシ、侵入して、


A・K
眠って
いるのか。

初夏
夏蜜柑の白い花を無闇に摘んで
椅子の足元に敷きつめて踏んで
その香りたちのぼる
夏を隔離して ひとり
摘めば摘むほど
残された花は大きな実を
と知るまもなく
誰もが仰ぐ果実を
仰がないで
A・K
夏を椅子に仕舞ったまま


A・Kが椅子にいない日
ツバキの垣根を越えて
重曹の箱をポケットに
椅子を踏み台にして
ちょっと つま先立ち
届かない 
子供は
もう少し背伸び
椅子はよろめき
できない
夏蜜柑
届かない
A・K
夏の高さ


モモンガの帰郷のために

  りす

モモンガが森に帰る朝
謝るとは何を捨てることなのか
すまない。
わたしはモモンガにそう言ったのかもしれない
なぜ、謝る?
家内が君のことをずっとムササビと呼んで、
いいんだ、慣れてる


レガシーのサイドミラーに自分を映し
女生徒のように丹念に毛づくろいしている
長旅になるのだろう
モモンガは鏡が好きだ
モモンガは断言する
これが人間から学んだ唯一のことだ、と


餞別のつもりで
三日分のバナナチップスを渡そうとした
モモンガは現地調達で行くから心配するなと呟き
振り向きもせず毛並みを整える
長い距離を飛ぶのは久しぶりなんだ
そう言って薄い飛膜を朝陽に透かす
きれいだな、とわたしは言ったが
モモンガは相変わらず
きれい という言葉を理解しない
わたしは 現地 とはどこだろうと
気になったが尋ねなかった


たとえば、とモモンガは言う
例えば、あの人はムササビをなんて呼ぶと思う?
ムササビはムササビと呼ぶだろう
そこには モモンガ が抜け落ちている
まちがい、ではないんだ
ただ 抜け落ちているだけだ
あの人を責めてはいけない


コンクリートジャングル という言葉を
わたしは初めて理解した
電柱を飛び移るという行為を
わたしは想像したことがなかった
想像する前に実行する生き物もある

電柱を飛び移るとは
繁った枝に飛び移るような
曖昧な着地を許さない
モモンガはここ数ヶ月 猛練習をしていた
モモンガの目撃情報が
朝日新聞の夕刊にのったのはその頃だ
「大都会でたくましく生きるモモンガ君」
そんな見出しだった
「君」をつければ誰でも仲間になるのかい?
モモンガは皮肉も上手かった


飛ぶことよりも着地が難しいんだ、モモンガは言う
友人のANAのパイロットも同じことを言っていた
教訓のような 常識のような
モモンガの言葉は いつもそんな印象だ


妻がパジャマのまま庭に出てきて
あら、どっか行くの? と尋ねる
モモンガに言ったのか わたしに言ったのか
判然としないうちに
どっか行くなら、ついでに燃えないゴミ出してきて、と言う
妻が差し出す半透明ゴミ袋に わたしが手をかけると
いいよ、俺が持っていくから、とモモンガが奪いとる
すまない、わたしはまた謝る
いいんだ、慣れてる

モモンガはひょいと物干し竿に飛びのると
手足を伸ばし 飛膜をいっぱいに広げ
一番近い電柱に飛び移る
ムササビってお利口さんね、と妻が微笑む
そうだな、わたしは相槌を打つ
ゴミ袋をぶら下げて 
モモンガが電柱から電柱へと遠ざかる
せめて ゴミ袋ではなく バナナチップスを
持たせてあげたかった
いつも何か抜け落ちている
謝るとは何を捨てることなのか
すまない、モモンガ。


たべもの

  りす

ベイビーは寒天のなりすまし
プルプルふるえながら
五月のベランダに這い出して
毛布の毛羽立ちをつまんで 
ホイップのようにツンと立つ
空を見上げる
くしゃみでそう、くしゅん
春風にのって綿毛の精神で飛ばされて
鯉のぼりをくぐって 戦闘を組織する
血は流れなかったよ
ベランダの洗濯物に憑依してお茶の間へ
テレビの中は自然体な戦場で
兵隊は整列してテレビを見ている
ベイビーは整列して母を見ている
おかーさん、
エプロンに透明な血が、
大丈夫、
角砂糖なめて、生き残ろう


井戸の中で破裂した爆弾の話
知らない生き物がうようよ出てきて
眼鏡をはずせば たべもの に見えた
とりあえず捕まえてリアカーにのせて
姉さんが手拭いで首を絞めて殺めて
縁側にぶらさげて乾かして
ご飯にのせて食べたり
おつゆにして飲んだり
着物と交換したりして 一家団欒
たべもの とっても おいしかったよ
またいつか井戸に
爆弾が落ちるといいね


わしゃわしゃ
沢山のベイビー
わしゃわしゃ
沢山のおかーさん
わしゃわしゃ
ああ、こぼしちゃった
キッチンペーパーがベイビーを吸って
おかーさんがベイビーを流しで絞って
低温殺菌だから 死なない
燃やせないイノチに分類されます

急に雨が降り出して
おかーさんはブツブツ言いながら
五月のベランダに走り出して
洗濯物をフランスパンのように抱く
空を見上げる
するすると鯉のぼりが降りて
ベイビーがベランダに整列して敬礼する
おかーさんがフランスパンを構えて
鯉のぼりの口に砲撃する
やっぱり 血は流れなかったよ


刃こぼれさん

  三井 晶

夜光虫が満ち寄せて 青く燃えている海に
泳ぎだしていく、私たち
夜ごと よくわからない用事で 呼び出されて
堤防に整列して 背中を押され
私たち、泳ぎだしていく


私たち、服を脱がない
みんな同じ服を着ているから、脱がない
私たち、魚じゃないから
私たち、息継ぎするから


刃こぼれさん、に会っておいで
背中を押すひとたちはそう言って
光る海を指さす
片方の手は、もう
私たちの背中にまわって
やさしく 刃こぼれさん、と言って


刃こぼれさん、は 脱がすひと
服と体のあいだに滑り込んで
内側から ボタンをゆるめて はずして
アァ、スッパダカダネ、ワタシタチ
ウン、スッパダカサ、ワタシタチ
ヒカッテルネ、キラキラ、ヒカッテルネ、
ヒカッタラ、ツギ、キエルンジャ、 ナイノ?


私たち、魚じゃないから
私たち、息継ぎするから
帰れるね、帰れちゃうね
刃こぼれさん、私たち
だいぶ薄くなってきたみたい
あしたもまた来るよ


悪い癖

  三井 晶

バレッタを置き忘れる 悪い癖
髪が重たいので ワイパーを苛める 
長いバイパスと長い午後
ハナミズキの並木道が
ピアノの練習曲のように
終わりそうで 終わらない
悪い癖のように 息ばかり長くて
たぶん私 道に迷う


このあたりは確か
野蛮人がベランダから
小鳥をポトリと落としては微笑む
瀟洒な住宅街
子供たちは通学路で
小鳥を拾い 
少し食べて
少し残して
禁じられた部位を
家に持ち帰るので
美しい物語はいつも
この街の勉強部屋から生まれる

野蛮人がそっと覗くたびに小鳥が
小鳥と呼ぶには大きすぎる嘴で
子供をもてあそんでいるので
その様子を描写して記憶に留め
行き過ぎる前に小鳥を
廃棄するのが野蛮人の
古くからの習慣だった
確か そんな
習慣だった


髪が重たい
たぶん私 道に迷う
バレッタを拾った人
それが何を留める道具なのか
想像もつかない
そんなことがあったら
家に持ち帰って小鳥の
細い首をバレッタで
束ねてみてください
子供が寝ている 夜のあいだに


檻空

  三井 晶

飼育係に体を洗ってもらった日
私たちには 体を乾かすための
高さが必要だった


私たち
協力して 
尖った爪を
剥がし合い
屋上からぱらぱらと
落としはじめてまもなく
帰りがけの飼育係に見つかり
隠し切れない桃色の部分を見られ
途方もなく下品に笑ってもらったので
夕暮れには少し 楽になって
髪の毛を落とす
準備もできた


遠くで放課の鐘が鳴る
今日も手ぶらで吊り下がる
私たちの不様を
見咎めても 許してほしい
今日も私たち 無血だった
まだ洗いたての 肌色だった
体の中に風を走らせる
合図を待っているので
もう少し高さを
保ったままにする


飼育係は私たちが剥がした爪を
小さな瓶に詰めて
生活のために売っている
桜貝のように
指先で潰れる感じが良くて
手ぶらでは帰れない
心ある人たちが
貨幣と引き換えに
お土産にして
誰かに与え
誰かが喜ぶ
ここまでなら まだ
誰も憎まれてはいない


口寂しいからといって昔話する
湿った唇が塞がるように
指を一本貸しましょうか
関節の可動があなたに
優しいでしょう
爪のない桃色があなたに
美味しいでしょう
今日は私たちが暴れますから
あなたは離れでいい?
髪の毛は退けておきますから
ああ、その前に
性的な郵便物を
飼育係に預けて
明日投函してもらうと
良いでしょう


赤い櫛 

  袴田

  あたしに痛んだ赤い櫛を 誰も近寄らない路地に捨て 誰にも拾われないために髪をからませ 青草などぱらぱらとまぶしておくと 見あげる細長い青い空は 色見本の短冊のように美しすぎて 眼差しで色をはじいてしまえば ぺらぺらと軽々しく剥がれて 私の首に落ちて絡まってきそう あたしその無色を支えようと いつまでもあたし たった一度の瞬きができないでいた、

  生まれたからには生まれた時より 少しでもましな人間になって死にたい だって てめー そうは言うけどよ 考えてもみろ この現場で足場組んでる奴ら みんな堅気の人間じゃねえよ さっき飯場で汗拭ってる時 背中に彫り物があってよ 龍がこう 首を持ち上げてよ 赤い舌出してよ オレのこと こう睨みやがってよ 奴らの背中 血が通ってねえよ 奴らがまともに板組めると思うか 奴らに命預けてるんだぜ 前の現場でよ 落ちた奴いてよ ボルト何本か抜いてあってよ 死んじまったよ まったく ひでえ話もあったもんだって そんなんでよ ましな人間になる余裕なんて あるわけねーべ オレのコレに赤んぼできてよ オレだって今 大変だけどよ、

  子供と視線の高さを合わせることが必要でしょうね 怯え という膜が 子供の心の表面を覆っていまして 何かに触れた時にそれが震えてしまう 破れてしまうことがあります いや コーヒーはもう結構ですから 胃を悪くしますのでね それで 視線の高さを合わせるというのは 別に意識の問題だけではなく 実際に姿勢を低くして 中腰とか片膝をつくなどして 子供とあなたの眼球の位置を水平に保つようにすることです この力の均衡が先程の膜を 穏やかな状態に保つのですね 静かな湖のように像を結ぶのですね 子供はあなたが考えている以上に 瞳の暗闇をよく見ています 暗闇に映る自分の姿を見ています ああ お茶を頂くことにしますよ どうかあまりお気遣いなく しかし暑いですね毎日 やっと五月だっていうのに、

  膝を折って光を避け 首を折って湿った苔を爪で削り パンプスの先端に擦りつけると 青臭いだけの気流が生まれて 無遠慮に首筋へ滑り込む気配がして しばらくあたし たった一回の呼吸ができないでいた 無計画に並んだ室外機がビル風でカラカラと回り 回りそうで回らない羽根があってもどかしいので 唇を尖らせて息を吹きかけると キャベツの葉っぱのように重たくて このまま今日は回らないつもりなのだろうと諦めていたら 突然勢いよく回転し始めるので 青臭い匂いは千切れて消えて あたしの爪の中にだけ深い緑となって残った、

  そういえばよ あのマンション 全然買い手がつかないらしいんだ そうそ あの横長の 白い建物さ 珍しいべ 東京23区でよ 駅から近くてよ まだガラガラなんだって 気持ちわりーな スカスカのマンションて なんか気持ちわりーな たまにあるんだってよ エアポケット っつーのかな よくわかんない理由で人が住みたがらないマンションがあるんだってよ てめー どうよ あそこ絶対お買い得だぜ 辛気臭い顔してないでマンション買っちまったらどうよ 今のアパートよりましだべ かみさん喜ぶべ なあ 今よりましだべ オレが? オレは駄目さ オレ コーショ キョーフ ショー だから 駄目なんだオレは コーショ キョーフ ショー だからよ、

  放熱するモーターの唸りが聞こえてくると ここはもうあたしの領域ではなく それは赤い櫛にふさわしい騒々しい情動のはしくれで 切り取っておくべき余計な部分として存在して どこかに寄せ集めて放っておくより手立てがないみたいで ああ なんだ あたし息してる 寄せ集めたら息してる でも瞬きができない、

  ところでご主人は銀行にお勤めでしょう いえね 本棚に金融関係の専門書を見かけたものですから たぶんそうだろうと では ご帰宅はいつも遅いでしょう お子さんと顔を合わせる機会があまりないでしょうね 私だってそうですよ 平日は子供の顔なんて見たことがない 土曜日に一週間ぶりに再会しては お互いの安否を確認しあうといった感じでして 勿論そうですね その時も 目線を合わせてお互いがお互いの瞳に映っているかどうか きれいに映っているかどうか 確認するわけです いえね 実は妻とは死別しましてね 早いものでこの五月で もう七年になりますが まだ赤ん坊だった息子を残して 逝ってしまいましてね、

  いや 奴が落ちたのはあのマンションじゃねーよ 別んとこでさ そこはちゃんと全部売れたってさ 結構死ぬんだぜ現場でさ そんなんは隠すにきまってっからよ みんな知らねーで買うわけだけどよ だからって関係ねーよ そんなんは気持ち悪かねーよ たくさん人間住んでんだから さっきもいったけどよ スカスカのマンションが 気持ちわりーのよ そんなの建てちまったらオレ この商売やんなるね なんかでっかい墓でも建てたみたいでね あ ほら見てみろ あいつの背中に龍がいるんだぜ 雲の上に長い首だしてよ 赤い舌べろんと出してよ 汗かいても冷たいんだぜ あの背中は ほんと気持ちわりーよな、     

  ちょっとそこまで と言い置いて部屋を出たわりには あたしはとてもきちんとした身なりをしていて どこに出しても恥ずかしくないから どこまでも行くつもりでいたのに 案外近くであたしは諦め 髪をほどいてばっさりと背中に落としたら急に 広い道は歩けなくなって何だか 整えたいものがあるような気がして 体ひとつぶんくらいの路地に嵌まり込んでみたのだけれど 薄い胸が空間を持て余してするすると あたしするすると入り込んでしまい ああやっぱりどこまでも行けるのだ思っていたら ここから先 私有地です という看板に遮られて ああやっぱりあたしそのへんまでしか行けないんだと諦め そういえば整えたいものがあったんだと 手鏡を鞄から出して襟元を直して 手櫛で重たい髪をとかしていたら あたし何であの赤い櫛を使わないんだろうと思い出して 暗い場所で冷たい胸元に手を突っ込んで長い時間 赤い櫛を探していたんだっけ。」」



剥き海老

  袴田

海老の背綿抜く 
あなた どこのひと
こんなに並べてしまって
今夜は果てしなく
召しあがるつもりですか

あいにくの断水で
(ほら 蛇口から遠いせせらぎが 聴こえてくるでしょう)
手を洗うことは叶いませんが
盥に水を張ってあるのは
ご存知でしょう 勝手口のよこに

そのクロッカス 造花だと
教えませんでしたか
植物にしてはすこし
瑞々しすぎるとあなた 
茎を撫でていきました

海老の足毟る
あなた どこのひと
足のなかに手が何本かあると
今夜はずいぶん丁寧に
えりわけていくのですね

あいにくの断水で
(ほら 蛇口からせせらぎの匂いが 洩れてくるでしょう)
お茶の支度もままなりませんが
喉をうるおすのなら何か
果物でも切りましょうか 戴き物があるので

そのクロッカス 生花なら
早春に花を咲かせるそうです
寒さに強いので冷えた
あなたの帰るすみかに
植えてもきっと咲くでしょう

盥からひと掬い
あなたは 水を運んでくる
あなたの 椀にむすんだ手のなかで
あなたに 背綿抜かれた桃色の
海老のからだ 
きれいにあらって
見逃されたかぼそい手足
きれいにもいで
あなたが剥いた順に
きれいにならべて
透きとおった海老の整列を
あなたとしばらく眺めていた

あいにくの断水で 
あなた 留め置く
じゅうぶんな水を 調えられず
あなた 勝手口から帰っていった
盥の水で 足の汚れをすすいで
冷たいすみかへ 帰っていった 

そのクロッカス あなたから
戴いたような気がします


鈴が来る

  袴田

純木の廊下をしのび歩く おそらく五、六人の 衣擦れの音 迂回して 囲みに来る 枕元 テレビ サンドストーム 汚れた光で 壁が読める あらかたの結末など 襖に白く走って 裸足なのだろう 床に馴染んで離れる 落とし切れなかった肌たち 湿りが足りない足音 言葉なく 衣擦れの音 それとわかるように 鈴を鳴らす一人 鈴と鈴のあいだ しだいに狭くなり 通過できない者は あからさまに 鈴を結われる 茶碗に放り込まれた 食べかけのワッフル 神楽坂 石畳 細い坂道 並んで買った 焼けたシロップの香り 喉に絡ませたまま 行列は胴をのばし 首尾の区別なく 黒塀に凭れて 簡単に 気が遠くなる 白い手袋を拾い 見咎められる ためらわずに 嵌めて 見ぬふりを引き出す 手が白く なればいい 頷きあっている母娘 首が外れそうな気配に 手を添えて 支えて あげたい それから ワッフルを割りたい 格子柄に沿って 砕いて 口に運んで そこは食べる所ではないと 注意されるまで ワッフルを齧りたい やがて手がいらなくなり 手袋を外す そのような用向きで 白い手袋を拾う また少し 気が遠くなる ワッフルを退けて 水を呑む 闇を集めて光る この水が 欲しいのだろうか 水はもう首を流れた 胸を触る おなかを触る 動物と思う 至らない 動物と思う しっぽがあった所 体毛があった所 貧しい硬さ 貧しい柔らかさ まっとうできなかった性器 冷たい生え際を撫でる 手触りを 剥きだしにする 最後の水が 通過していく 鈴が近い 鈴が近い


鰐の仕組み

  りす

空ノ広サハ ソノヒトノ心ノ広サニ 正確ニ一致シテイル
ナンテ アンタガ余計ナコト 言ウカラ
アタシ 空ガ恐クテ 上ヲ向イテ歩ケナイノヨネ


今日 雨ガ降ッテキテネ
ツメタイ雨ガ降ッテキテネ
傘ナクテ
鰐ガ居タノヨ
クロコダイル ダカ
アリゲーター ダカ
知ラナインダケド
口ヲパックリ開ケテネ
少シ休ンデケヨ ナンテ言ウワケ
食ベラレチャウ ト思ウデショ?
鰐ノヤツ 上手イコト言ッテ
アタシヲ食ベル気ナンダッテ フツー 思ウデショ?
デモ 雨降ッテ ブラウスガ濡レルト イロイロ アレデショウ?
ソウ アレナンデ トリアエズ イツデモ ダッシュデキルヨウニ
アタシ 右足ニ体重ヲ乗セテネ 雨宿リシタノヨ


ソレガ 案外 イイ奴ナノヨ
誰?ッテ 鰐ヨ 鰐 鰐サン
食ベナイノヨネ アタシヲ
ジット口ヲ開ケタママ動カナイノヨ
デモ 安心デキナイジャナイ?
アタシガ気ヲ許シタ途端ニパックリ ナンテ
アリガチジャナイ? アリガチヨネエ
ソレガ意外ト ナイノヨ
何ガッテ? 
パックリトカ ムシャムシャトカ
ソノヘン? ナクテ


鰐ガ言ウノヨ
モウ一人クライ 入レルカラ 呼ンデオイデ
優シイノヨ 鰐ッテ
ソレデ アンタヲ呼ンダノ
ナノニ 傘モッテコナイノネ アンタ
ソウイウトコ キライ
ウソ
ソウイウトコ スキ
ホラ 鰐 食ベタリシナイデショ?
コンダケ大丈夫ナラ 大丈夫デショ?
アタシ ココデ 産ンジャオッカナ
アタシ ココデ 死ンジャオッカナ
ウソ


アタシ サッキ 久シブリニ上ヲ見タノヨ
鰐ノ歯ガ スゴクテ 虫歯ガネ スゴクテ
コレジャ 食ベタイモノ 食ベラレナイモノ
カワイソウヨ カワイソウジャナイ?
歯医者ヘ? 行ケナイデショ 鰐ダモノ
往診ヨ 往診 ココニ歯医者ヲ呼ブノヨ
アンタ 電話シテクレナイ?
アタシ 説明トカ苦手ダシ
アンタ 電話シテクレナイ?
患者サンハ 鰐ダッテコト
アバウトニ 伝ワレバイイカラ


群馬のイタチ

  りす

きのう桐生市(群馬県)でイタチに出会い
お前に惚れたと言われた

そんな大事なこと 
突然告白されても困ると追い払い
国道で路線バスを待っていると
イタチもバスに乗りたいと言いだして
僕の隣に並んだ

錆びた背の低いバス停を挟んで 
僕とイタチはしばらく無言で
国道を歩いて横断する 一匹のトノサマバッタを見ていた
「あいつ、バッタの癖に殿様なんだぜ」イタチが言う
「ちがう、殿様の癖にバッタなんだ」僕は反論する
中央分離帯の陰に トノサマバッタが消えた時
お前に惚れちまったんだ
イタチがまた繰り返す

ひとめ惚れか?
そうだ。
イタチにも可愛い子はいるだろう?
いないね。
出会いが無いわけじゃあるまい?
ないね。
考え直す気はないか?
ないね。

トノサマバッタは中央分離帯によじ登り
首を傾げながら 左右を見回している
「あいつ、なんで飛ばないんだろう?」僕が呟くと
「そりゃ、家来を探してるからさ」とイタチが答える
車が激しく行き交う車道へ
トノサマバッタはまた 歩き出していく
僕とイタチは無言で見守る
黒いタイヤの流れの隙間に
見え隠れする緑色のトノサマバッタ
「飽きないね」とイタチ
「飽きないね」と僕
トノサマバッタは近づいてくるが
バスはなかなかやって来ない

お前に惚れちまったんだ
イタチは懲りずに繰り返す

僕はイタチを問い詰める
本当はバスに乗りたいだけなんだろう
僕に小銭を貸して欲しいだけなんだろう
東京にはイタチがいないから寂しいぞ
いたとしても群馬出身とは限らないからな
同じイタチでもこうも違うものか!
なんてイタチ同士の温度差にショックを受ける
なんてことは東京ではよくあることだぞ

イタチは悲しそうに僕を見上げる
そういう嘘でお前を諦めたイタチは多い
お前に惚れた
この気持ちを大事にしたいんだ

国道を渡り終えたトノサマバッタは今
僕の横でバス停によじ登っている
このあたりではバス停の上が
一番見晴らしがいい
「バス停の名前を隠すなよ」
イタチがトノサマバッタに注意する
「バスが停まらない可能性があるからな」

やがてバスがやって来た
扉が開くとイタチは 
イタチのようにシュルルとバスに乗り込み
後部座席にコロンと寝そべる
バスが発車すると同時に
バスを追いかけるように
トノサマバッタが飛び立つ
僕はバスに乗らなかった
隣に別のイタチが立っていて
お前に惚れたと言っている


  りす

月あかりを踏んでも
つまさきは冷たく
閉めわすれた窓に
あとすこし 手が届かない
またひとつ 星を噛み砕いた犬が
青い光を零しながら路地の
ほそながい暗がりを横切る
あした あのあたりで あなたは
冷めた星の破片を拾うだろう、そんな
うそをつく
あいてもなく
すきま風が膝を撫でて
かたい骨からなにか一本
抜いていった


ふしぎと猫が寄りつかない庭で
ひるま 鉄砲ゆりが咲いた
三番目の来客は
煙草を吸っていった
ゆりの株をわけてほしいと
乾いた土を掘り返す背中に
根は洗わないようにと 言おうとして
どこにでも咲く花だと 言っていた
煙草と土の匂いが庭を渡り
またひとつ 
まぶしいだけの 午後をかぞえた


名刺を畳んで青銅の
灰皿へ放り込むと 
ゆっくり
かぶった灰を押しのけながら
はじめの 
かたちへと 
戻ろうとする 
うごくので
燃やそうと
火をつけて 
ふと
生まれかわりたいと
おもった


一番目の来客は 
白い箱を置いていった
つまらない箱だと言いながら
置いていった
この箱を開けるにはどこから
破りはじめればよいか
四隅が とても似ている
四隅を 鼻の先でさわる
いちばん痛かった角をつぶして
きょうの目印にして
戸棚の奥に仕舞いこむとうしろで 
廊下をさすらってきたあなたが
降ってきたよと
窓を閉めていった


悪書

  りす

目が悪くて ちょうどそのあたりが読めない
世田谷区、そのあたりが読めない
悪書でお尻を突き出している女の子の
世田谷区、そのあたりが読めない
もはや 言葉の範疇ではない
もはや ストッキングが伝線している
伝線を辿ると たぶん調布なのだ
それを誰かに伝えたいのだけれど
目が悪くて 読み間違えるので
ストッキングを被ったような詩ですね
と書いてしまい アクセス拒否をされたのは 
世田谷区、ちょうどそのあたりだと思うのだ

眼球が腰のくびれに慣れてしまい
女を見れば全て地図だと思い
上海、そこは上海であると決めつけ
あなたの上海は美しいですね、と褒めておくと
行ったこともない癖に、と怒られた
この場合の「癖に」は、逆算すると
北京、だろうか
やはり 言葉の範疇ではない
やはり 世田谷区はセクハラしている
それを誰かに伝えたいのだけれど
目が悪くて 読み間違えるので
かわりに読んでもらおうとしたら
上海は書く係で 北京は消す係で
読む係はいないのだと教えられ
どうしても読んでほしければ
世田谷区、そのあたりで読んでもらえると
悪書を一冊渡された


  りす


浅い日暮れに 顔をあげて
低く飛ぶ鳥を 追っている部屋
星の来歴の微粒が 音もなく降り
手の届かない椅子に
遠近法を残していった


あかるい器に 居たことがある
うわぐすりを焼き付けた壁に
コツコツと爪を立てると
ときおり器が傾いて
人々がこぼれた


長いせせらぎの 持続がある
泣いた骨は乾くと 岸を転がる 
夜のある朝を 支度した目覚め
時間の撚糸で 編んだ心が
足場の悪い 林道を拓いて


秋に馴染んだころには
秋の話はしない
もみじ狩りから帰った人が
遠山に雪を見たと言う
椅子をすすめて お茶を淹れる


遠い空で私有の 星が破裂する
広がった空を 誰か横切る
最初の風が 走って消えた
ことしは麓も 色づきが早いと 
さらさらと枝が 目の前で揺すられ


編みあげたものに 袖を通す
鳥の背景で 夕日が潰れる
器の外には 座る人がいない
暗くなれば私の 母船は戻るだろう
こぼれた人々を 平らに積んで


器II

  りす

みなもに鮎が跳ねて 手鏡のように光り それが何かの合図であるかのように ふと背景が居なくなってしまう初夏の岸辺や シティホテルの最上階で 冷えたプールを眺め 陽射しもないのにサングラスが欲しくなる 第4コースの深い揺らめきが 容積にしておよそ1リットルの器の中に身を寄せ おそらく忘れ物でもしたのだろう プールサイドでは少年がランドセルの中身をあらためながら 筆箱の収め場所に悩んでいる プールの底には教室があるのだろうか(水色の黒板の上、立ち泳ぎで方程式を解いたり?)そのような疑いに 私が少し首を傾けるだけで 少年の黄色い学童帽はバランスをなくして みなもに落ちてまずは やわらかく浮くだろう 浮いたらゆっくり水を吸いとり 沈むまでの清潔な待ち時間に 傾けた首をそっと元に戻しておくこともできる とっさに手を伸ばせば繕ってしまう綻びのはじまりに 少年は塩ビ製の筆箱の角を潰して ランドセルの空間の造形に余念がない 乾いた黄色から濡れた黄色へ ゆるやかな布地の変色にも気づかず 学童帽に留まっていた少年の小さな頭の名残も とっさに手を伸ばさなかった という理由で失われていくとすれば 首を傾げる前に忘れ物を手渡すことを 忘れ物はありません そうひとこと云い添えることを あの朝に忘れていたのではないかと 親でもないのに少年のことを気遣っていることが とくに不自然な心持ちでもない冬のはじまりだった 初霜が平等に降りて もの思いに招かれる朝の 半歩手前の暗がりには それとわかるように 藁のような乾草が盛られた あたたかい膨らみがある 今日の暖をとるために その狭い温もりを掻き分け 冬支度に忙しい真面目な地虫たちを掘り出し いちいち名前を尋ねて きちんと整列させるわけにもいかず 踏みしめても身を硬くして生き延びる 強い生命への気安さから 固い靴底で膨らみに踏みこんでしまう私は 器にわずかばかり残ったコーヒーを 電子レンジで温め直す儀式を 家人に疎ましがられても やめることができない 少量を適度に加温することは難しく 目盛のついたスチールのツマミに 秒の単位まで分け入っていく はりきった指先と視線の 愚かさと自愛を量る天秤が チンッという音と同時につりあってしまう瞬間に つとめて無関心でいることで 残り少ないコーヒーを 美味しく頂くことができた 空の器を覗いていると 対岸の町が見えてくる そこはかつての学区外で 知らない人ばかりが暮らしている 石を遠投して様子をうかがうと ときどき届いたという合図が送られてくる 合図があった日には おろしたての新しい器に手をかけて 冷たい縁を円にそってなぞりながら 最初に口をつける場所を 決めることにしている


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  りす


未明、街中のマンホールの蓋が持ちあがって打ちあけ話をはじめる。
人々は眠っているので気の利いた相槌が打てない。その代わりに透
明な付箋(貼って剥がせる)を夢の中に飛ばして、告白を聞いたこ
との証明を立てる。そして朝、気持ちよく目覚めることができる。
(蓋を閉めるとき、手を挟まないでね)


 寝ることにも寝かされることにも疲れ
  読むことにも読まされることにも疲れ
   読み終えた小説のような枕を耳が嫌う
    蝋燭に手を翳して火を守る優しい人よ
     どうしても僕は風を捨てられないのだ
      Blackbirdを狙って寝具の陰で息を殺す


未明、佐々木は街中の鉄塔に名前を付けてまわる。鉄塔(遠藤)は、
鉄塔(渡辺)を、佐々木を介して知っている。鉄塔(渡辺)は、鉄
塔(川嶋)を、佐々木を介して知っている。佐々木(人間)は遠藤
を囲む高い鉄柵を乗り越えるために、今まさに冷たい手摺に手をか
けようとしている。鉄塔(渡辺)と鉄塔(川嶋)は、今夜は珍しく
佐々木が訪れないので、どうせ田中に登っているのだと考えている。
(お願い、登ったら、必ず降りてきてね)


 狙いが定まらない獲物はいつの時代も
  Blackbirdと呼び習わすのが僕達の夜だ
   翼を広げるとちょうど人間の大人位で
    翼をたたむとちょうど人間の子供位で
     つまり無責任な黒鳥が野放しになって
      僕達という未明を旋回している地と図


未明、街中の新聞配達が空き地に集まって三面記事を朗読している。
「業務上過失致死」という言葉が出てくるたびに、一人ずつヘルメ
ットを被る。全員がヘルメットを被り終えると、朝を迎えることが
できる。最後までヘルメットを被れなかった僕は、夜明けまでに明
日の三面記事をでっちあげなくてはならない。今日の安全運転の為。
(包丁で新聞を切り抜くのは、あまり上品じゃないね。)


 どうにかして未明の嘴をこじあけたい
  どうにかして栞を挟んで印をつけたい  
   犯行現場に戻ってくる佐々木のように
    枕の代わりに固いヘルメットを被って
     圧着した嘴の隙間に風を差し入れたい
      田中がそれを目撃すればそれで充分だ



未明、Blackbirdの雛が僕のベッドに迷い込んできた。雛の心に僕の
姿が刷り込まれて、雛の羽毛に僕の指がくすぐられて、僕はまだ、
疲れてなんかいないと、読みかけの小説があったことを思い出す。
未明、
 未明、
  未明、

          (鳥の羽なら、栞にうってつけじゃない。)


靴下

  りす

今日も何人かが旅に出て
靴だけが
ハの字に残された
僕は靴下を脱ぐついでに
膝を抱えようと思ったのに
今日は手が短い
ハハハ、おかしーなと 
頑張って肉を伸ばしても
手が短い
脱ぎたての靴下が
床でボーっとしている
足を抜かれたばかりで
やる瀬無いのはわかる
でも、もう少し
きちんとしてほしい
僕は膝を抱えて
裸足で行っちゃった人の
旅の無事を祈りたいんだ
でも、今日に限って
手が短い
足りない物は 身近な物で 補うべきだ
放心状態の靴下を拾って膝に回す
両端を持つとギリギリ、
膝を抱えることができた
靴下の爪先は 湿って冷たい
いやな匂いもする
でも、靴下のおかげで
今日はなんとか 祈ることができた
キッチンでは健康サンダルの妻が 
動物の肉を温めている


岸辺

  りす

母が岸であることをやめ
誰も橋を架けなくなった

水が溢れそうになる日は
父が対岸に先まわりした

父が見逃した水があれば
息子がその隙間を埋めた

母は岸に背を向けて
自分の醜さを恥じた

醜いから遠くへ行くのだと
母は岸であることをやめた


青い魚

  りす

部屋に水槽のある
暮らしがしたいと
僕は希望する
木目が清しい
床板で跳ねる
葉書大の
青い魚を
硝子の小部屋へ還したい

魚は
水を渇望すると自ら
腹を割いて披瀝する
泳げなければ
自負から自由になり時間に
抗議する権利があると
鱗の鎧で
半身を防御しながら
弱い腹を誇示する

飛び出した浮袋は
人目に触れても
容易に破裂には走らない
汚れた床を転がり
粘性の
もどかしい光を曳いて
あした浮かべる体を求める
落命しないのなら
周遊しなければならないと

溺れない
華奢な保証に宛てて
今日も一枚の魚が
この部屋に配達される
水槽が無い
想像もできない不始末が
魚を苦しめるとしても

君は
片膝をついて
床の汚れを拭きとる
ウェットティッシュが三枚
魚の内臓のために消費される
君はため息をついて
暮らし向きなど尋ね
足早に部屋を出て行った
きれいな床と
魚の青い部分だけを残して


新車

  りす

君が死にに行くというので
僕は道々に立って案内をした
長いつきあいだというのに
君は他人行儀に礼を言って
重たい頭を下げて通りすぎた
君の髪の甘やかな香りを
僕が覚えていようと思った

隣の斉藤さんは新車を買ったので
誰かを乗せたくて仕方がない
なんなら送ってくよ
ナビだってあるし
そう言って君を誘うけれど
車ではちょっと早すぎるので、と
君は丁重にお断りした

街灯に照らされる君の顔は
年々若返って青白くなり
薄暮と黄昏のあいだに溶けて
ときどき見失うようになった
それでも君が迷いそうな時間に
僕は標識のように道々に立ち
君の行くべき方向を
ひとさし指で示した

君が通りそうな道を
僕はどうして知っていたのか
後日、斉藤さんに尋ねられたけれど
それは僕にも分からなかった
僕のひとさし指がピストルに見えたと
後日、君は言っていたけれど
それは斉藤さんには言わなかった
新車の匂いってたまんねーな。
どっか行きたいとこあるかい?
斉藤さんはまた新車を買ったので
誰かを乗せたくて仕方がない


仔鹿

  りす

引き摺っていた仔鹿が抵抗するのだ
細い前脚を踏んばって前へ
前へ前へと歩み求める
張り切った臀部の若い筋肉
いま、一本の針があれば
仔鹿の表皮は破裂する
裂けた勢いで生まれた風は
想像力の遥か前方へ
千切れた仔鹿を運ぶ動力だろう、破れ、
破ってくれ、破れ、と
アスファルトを掻き毟る耳障りな命よ
仔鹿よ 
私はまだ迷っている
いま、一本の縄だけが
仔鹿と私を繋いでいる
ある少々の手応えの為に
私はこいつの首に縄をかけ
どこへでも引き摺って歩いた
これは何という動物かと
人々は尋ねたが
見ればわかる
という答えが逆に
問いかけになるのかいつも
人々の顔は不満そうだ
そんなとき私は
仔鹿を偽善的に道から抱き上げて
足早に街を去るのだ
仔鹿の名前は
アー、とか 
ウー、とか
およそ価値のない反射の集合で
恥ずかしい結合を実現している
恥ずかしくて走り出したい
そうなんだろう、仔鹿よ
前へ前へと逃げたい仔鹿よ
あいにく
そっちは後ろなのだ
さいわい
仔鹿が重荷なのか私が重荷なのか
誰にもわからない
したがって
どちらが前なのか後ろなのか
決める自由が残されている
おや、角が、と言って
仔鹿の頭を指さす他人がいて
その一本の指によって
私の蒙昧は破られ
破れ目から時間が鋭く流れ込む
角は何度も生えかわるが
仔鹿はいつまでも仔鹿のままだ
角は生えかわるたびに違う角度を持ち
何かをしきりに狙っているようだが
狙っているという構えが
仔鹿を仔鹿のままに留め置くのか
いつの日か仔鹿はその角で
私を破裂させるのだろうか
仔鹿よ、お前もまだ迷っているのか
私はいつまでもいつまでも喋っていたい
この少々の手応えがあるうちは
お前と私は離れられない
お前が抵抗を続ければ
お互いに消耗もするが
逞しい筋肉もつくだろう
筋力と想像力を天秤にかけて
どちらの膨張に賭けるべきなのか
そんな勇ましい決断を
私とお前の軽いユニットで分かちあう頃には
私の頭にも一本の角が生えて他人が
おや、角が、と指をさしてくれたらいいと思う


冷製の夜

  りす

さめてしまう眠りのなかに
鉄のスプーンをさし入れ
夢のとろみをまわす
まだ温かい
液状のわたしはどこへでも流れ
私をすくう匙加減は
夢のなかでも 夢ではない

夜という浅瀬を破り
小舟たちが眠りへと漕ぎだす
数人の仮死と袖が触れあう
夢をみたと言えば許される人の
口を摘みにやってきたという
青く錆びたスプーンを
口元に強く押しつけられて

寝苦しい夜のふちに手を掛け
眠りを傾ける
唇を寄せて
冷めた夢を啜る
水っぽい私の味がして
暗闇でじわりと
喉が鳴る

華奢な小舟の腹を噛むと
甘い血が舌を走った
まだ温かい
わたしが手足に運ばれ
夜半 
満ちるように
ふいに上体を起こす


地蜘蛛

  りす

子供のように
子供の真似をして
尖らせた唇の頂に
春をのせて歩く
咥え煙草の灰が
落ちるのをためらうほど
見晴らしがいい
此処では

縦書きの縊死 
横書きの寝返り 
今日も何か書こうとする手の日陰に
一匹の地蜘蛛が生まれる

 これが地蜘蛛だよ。
 字蜘蛛?
 そう、地蜘蛛。
 地中に細長い袋を編んで
 獲物を待ってるんだ。
 待ち伏せ?
 そう、待ち伏せ。

春は一瞬の集合だから
絶えず何かが落ち続ける
湿った若葉を路肩に探り 
鼻を潤す野良犬
その澄んだ眼が捉える 
開かずの踏切でじっと待つ 
人々の骨格
その灰白の林へと
字蜘蛛は滑り込んでいく

背骨をそっと這いのぼる 素早く  
あるかないかの溝に脚をかけ 
そろそろと肋を巡る
頚椎の中庭で蜘蛛は考える
何が姿勢を支えて
人は倒れないで
何かを待てるのだろう
胸骨に巣を仕掛け
字蜘蛛は待ち伏せる
遠くで聞こえる警笛よりも
骨の軋みは騒々しい

新緑が陽に透けるように
人も明るく透ける
野良犬は目を細めるが
嗅ぎつけたものにしか
興味がない 
鼻が承認したものだけを
舐め尽くす
きょう見えたものは
あしたには見えない

野良とは
そのへんにいる
という意味ではない

書くことと書かないことの
わずかな隙間を押し拡げ
光と見まがう闇の中へ
縄を一本垂らす
だらりと 
わざと
だらり、と
鳴るような手つきで

見晴らしという言葉を捨てる
身軽になるために
暗い裂け目へ降りていく
ここは字蜘蛛の故郷

この縄は
字蜘蛛が吐き出して撚った
意図だろうか

 罠にはまるとどうなるの?
 ムシャムシャ。
 食べられちゃう?
 そう、ごちそうさま。

野良犬とは
気がつくといない
イヌのことである


ピーマンの午睡

  りす


膨らみの
ほとんどが空洞であり
貧しい綿に巻かれ
眠るだけの空間がある
たえず青臭い思想に囲まれ
翠緑を振りあげても朝は
壁ごしに完成するだけだ

両の乳房を持ち上げる
持ち上げる
と思わなければ
計量できない幸福がある
いつしか重さの欠けた胸に
誰のものとも知れない欲望で接触し
耳を 傾けるようになった

調べるのが好きな あなた
右でも左でも
どちらでも好きなほうを
裂いていいのよ


ファルス
挽いた肉を詰め込まれた
無口な少年が食卓に並ぶ
どこをくぐり抜けて来たのか
油っぽい頭脳を光らせ 
青い胴体を割ってみせて
ここが家庭ですか、と
火の通った内部で笑う

ナイフとフォーク
を握って
いずまいを正す君に
肉食獣の明るい孤独が
つかみかかるとしても
習い覚えたテーブルマナーが
君の暮らしを守ってくれる

チッと音を立てて
ナイフと皿が出会うたびに
君は頬を紅潮させて
ファルスを口に運ぶ
冷めないうちそれを
君の乳房に運ぶのが
僕の仕事なのだ
弱肉をいつまでも
生かし続ける喜劇のために


ピーマン
チラシに載ってた 
バラ売りの
ピーマン
安いヤツでいいの
ピーマン


なにかを探すとき
その名前を繰りかえし呟いて
引き寄せる手応えに
飽いてはいけない


膨らみの
ほとんどが夢であり
夢を掴み出すと鋭い苦味が
こめかみを走るだろう
綿を剥ぎとると寒さで
目が覚めるだろう

平台に高く積まれたピーマンの
崩れそうで崩れない斜面を
僕は 遠巻きに見ていた


隣人の空似

  りす

胸のうちに 捕虜が一人
背中を丸めている
蜂蜜色の肌
舐め甲斐のあるくびれ
解像度の高い汗で濡れた
僕たちの黄色い道具

瓶詰めの戦争が
窓際に並んでいる
鉢植えの華奢なハーブの隣で
戦争は死んでいる
透明な保存液のなかに
午後の最後の光が溶けて
僕たちの遺伝子が燃えている

散々殴られたあと
赤く腫れ染まった皮膚を
まだ黄色いと 恥じている
美しい捕虜の背中に
一枚の地図が浮かぶ
殴れば殴るほど
鮮やかに発色する国境線に
僕たちは嫉妬し
狂った眼を借りてきて

捕虜を打つ、
捕虜を打つ、
捕虜を打つ、

低いベッドから
這いおりたり
這いのぼったり
逃げ惑う捕虜の緩慢で規則正しい動きだけが
戦闘がないこの胸に時間の観念を呼び込んで
捕虜が生まれながら捕虜であり囚われであり
逃げる場所も記憶も痛みもないことに安堵し
空腹が訪れる
幸福な日々を
僕たちは喜ぶ
地図はいらない
空想と現実の
合い挽きは食べられない

捕虜には労働をさせよ!
僕たちの延命のために

等身大の穴を 千個掘らせよ!
千回死んで 千回生き返るために

そして
千回目のゾンビを
僕と名づけよう

僕の目の前には
掘り出した豊富な土がある
これで僕の土像を作ろう!
千体の夥しい 僕を作ろう!
僕の王国の建設
僕らしい軍備を整え
僕らしい戦争をする
僕の名を冠したミサイルが
国境線を越えていく


呑み込めなかった肉を
皿の中央に戻す日
肉はゆっくりと立ち上がり
皿の平野を歩き始める
ハーブの茂みをよけて
肉汁の沼を迂回する
地図を片手に
ナイフの橋を慎重に渡ると
肉は
皿の果てまで
辿りついてしまった

どこかで見たような顔だ、と
フォークが肉を突き刺す


衣替え

  りす

夏と秋のあいだを
くぐりぬけていく
こんなに狭いすきまを
つくった人の気が知れない

左手は夏に触れ
右手は秋に触り
温度差があれば
気はどこまでもうつろう
人はどちらかに傾いて
重さを小水のように漏らす

体をあずけるのなら夏
信用のおける夏がいいと
耳打ちした人は戻らない
脱ぎ捨てた衣服を跨いで
行ってしまったきり
固い夏の格子が
がらんがらんと落ちる

くるぶしの高さまで
過去は来ている
歩くと小さな渦が生まれ
渦のひとつは口になり
渦のひとつは耳になり
足元で問わず語りをひそひそと

 記憶のしっぽに化かされて
 肥溜に落ちた愚かもんがぁ
 糞尿に溺れながら改心してさね
 記憶のしっぽにつかまってぇ
 命からがら助かるっちゅうね

改心したのは記憶のほう
助かったのは記憶のほう
そう言いかけた渦が
大きな渦に飲まれて
くるくると死んだ

愚かもんが
夏の首を絞め上げる
いらないものを
吐かせようか
いらないものを
吐かせまいか
愚かもんの両手
両手の愚かもん

いまはむかしの前で
むかしはいまの後ろで
燃え尽きる
燃え尽きている
点々と
点々と
汗のように
血のように
脱ぎ散らかした衣服を
拾い集めながら身に付け
他人の匂いに袖を通す

焼け爛れた足首から
くるぶしが
胡桃のようにころんと
転がって坂道を行く
冷めた火種を固くにぎって
夏と秋のあいだを
くぐりぬけていく

こんなに狭いすきまを
つくった人の
気が知れない


金曜日のフライデー

  りす


遠くで
水を使う音
遠くまで
水を遣わす者
その正体は
もう少し浅く
眠らなければ見えない


フライデー
金曜日の絶壁に立つ野蛮人
孤島に時間は溢れ
過剰な時間はロビンソンが喰う
喰いきれない時間が
フライデーを追いつめる

フライデー
金曜日の資格がない野蛮人
孤島に言葉は溢れ
ロビンソンが食べ残した言葉を
フライデーに教える
頭を抱えたフライデーが
姿勢良く 断崖から飛ぶ


遠くで
水を使う音
近くには
さらさらと病の糸屑が集まる
鳩尾の入口がいつになく涼しい
愁訴が終わった体で
そろそろ何かが始まり
そろそろ何かが終わる


フライデーのからっぽの頭が
浜辺にうちあげられる
太陽光を浴びて
高透明ポリプロピレンのように輝く
この島の海岸では
水でさえも
不純な漂着物にすぎない


そして
四人目のフライデーを
フライデーと名づける
何も教えず 
一緒に暮らす


キネマコンプレックス

  りす

電気由来の感傷を
どこまでも深く植えて

眼底で映画がはねる
フィルムを硝子体に仕舞う

ねぇ、あなた
エンドロールで拍手する癖
どうにかならないかしら

映画は見世物なんだから
拍手して いいんだよ

映画は偽物なんだから
拍手なんて しなくていいの

似せ者の女に恋する男の
終わらない眩暈をめぐる
映画を観ていた

なんかね、恥ずかしいの
いまどき誰も拍手なんて
しやしないのに

キャメラの定まらない視線が
抜き差しならない光ばかり
拾っては 患っている

ねぇ、帰りましょうよ
すっかり明るくなっちゃった

男は似せ者を追いかけて不意に
本物の女に出会ってしまう

ねぇ、帰りましょうよ
誰もいなくなっちゃった

偽物を追いつめると本物になる
そこで恋が終わり 女は死ぬ
上映が終わり 映画が生まれる

人にぐるぐる巻きついて
驚かす妖怪なんだって

誰が?
一反木綿が。

それは苦しそう

でも今は 不景気だから
映画館のスクリーンになりすまして
日銭を稼いでいるんだ

それも苦しそう

暗い空からふんわり舞い降りて
白い布が覆いかぶさってくる

こうやって
ぐるぐる君に巻きついて

ほら、
もう何も見えない


net 詩

  りす

みずから編んだ網の
美しい放射を 
蜘蛛は知らない
だから ため息をつかない 
網をたたむ 
空腹の夜さえも

ストッキングに爪をかけて
破りたい、欲望の夜 
彼は ヒョーゲンする
破れ目から顔を出す
絶世の自我像を
破れ目から手を振る
薄化粧の父親を

となりでは
鳥目の彼女がいそいそと
メタファーをずり下ろす
足首で丸まったストッキングは
金糸雀の巣のように暖かい

劣文を敷いた冷たいベッドでも
性交はできるんだ
痛んだバネがギシギシ鳴るから
甘い睦言にも切実さが、

ねえ、できちゃったの。
なにが?
詩が。

もしもし、おふくろ、
何日身籠れば 産んでもいいんだ?
なにを?
なんだろう。


鳥目の彼女には羽がない
おだてても 懇願しても
飛んでいってくれない
これが モモ肉
これが ムネ肉
これが ササミ
全部に名前が付いてるの
豊満な鳥肌を惜しげもなく差し出して
ああ、君を食べ尽くすことなんて
僕にはできないよ


未熟児を産湯からあげて
原稿用紙にくるむ
赤ん坊から立つ湯気の香りは
うまく表現できないけれど良いものだ
やはり 
原稿用紙は満寿屋に限る
ところで
この子の名前、どうする?
「無題」はどうかな?
あ、いいんじゃない、字画もいいし。


何日も 何日も
獲物が掛からないことがある
網を張る場所が悪いのか
網の出来が悪いのか
蜘蛛に そういう悩みはない
腹が減れば 網を食ってしまう
網は また張ればいい
糸なら、
糸ならたくさん
あるのだから
この腹の中に


ハ ル         

  りす

梅のなかにハルは隠れていた

男たちの少女期のように

前髪をあげる時機を逸して

笑顔をもらえなかったハル


桜が咲いて散るのは

冬の粗相だというのに

ハルはかたくうつむいたまま

冬の代わりに罰を受ける


暖かい梅の幹を追われ

毛虫のように叩き落とされ

この世の冷たい草むらで

ほっそりと生きはじめるハル


背中を丸めた小さなハルは

ながいながい余生をさかのぼる

この世は巨大な獣のようで

波うつ広い平野をもっていた


なめらかな毛並みに逆らって

獣の背中を越えていくハル

獣はあたたかい土地から土地へ

盲目に走りだしてしまうから


ハルの頭のうえをひゅんひゅん

飛び去って行くたくさんのハル

ハルはハルをなんにちも

見送って飽きなかった


見あげるハルと見おろすハル

見あげてもハナはなく

見おろしてもハナはなく

見えるのは桃色のハルの影ばかり


胸のなかにハルを隠していた

膨らむことのない硬い胸に

ハルがあふれてもあふれても

ハルはハルになんにも

教えることができない


散歩者

  りす

 衰えるということは、反射の少ない冬の陽射しが人の正体を明瞭に透かす残酷な二月の午後のようで、時の傾斜がしだいに勾配を緩めて歩行を鈍らせる穏やかな日々が、流れる風景を視野に留め置く時間を少しずつ伸ばしていくのか、この眼に映る映像をけして忘れないという予感をとめどなく積み重ねはするものの、予感はことごとく裏切られ、私たちの足元に若葉の青さを演じながら舞い落ちてしまう。例えばそのとき一人の散歩者が不意に現れ、まだ瑞々しい落葉を平気な顔で踏みつけて私たちを追い越していくとしたら、私たちも足どりを早めて散歩者に追いついて肩を並べ、白い吐息と共に時候の挨拶めいた二、三の言葉を共有することはできるだろうが、彼を追い越して私たちの背中を読ませることは叶わない夢であり、衰えるとはそのように背中を失っていく磨耗の過程でもあるのだろう。夢といえば、途切れた夢の続きを、切れ切れの眠りの中で手渡していく儚い遊戯に慣れてくると、いよいよ夢は生活の暗渠として時間の裏側を流れはじめ、隙があれば逆流して鋭い波を立ち上げ、時間の表層を破ろうと荒れた表情を垣間見せるが、またしてもあの散歩者のほっそりとした大腿が夢の波頭を事も無げに打ち砕いていくので、私は私に向かって夢の続きを搾り出すように、まだしばらくは命令しなければならない。
 
 人がひとり増えたので、人をひとり捨てるのです、そう呟いた男は、小さな黒い影に手を引かれて暗闇に消えた。あれはいつかの夢か、あるいは編み込んだ記憶の綻びか、男が捨てるのか男が捨てられるのか、気がかりではあるが気がかりを確かめないままやり過ごす暮らしに慣れすぎた私は、未来へ赴く気配で過去へ遠ざかる男の背中に届くほどの、飛距離を備えた言葉を咽喉に充填することができない。人が人を捨てるには、理由という鮮やかな萌黄で自らを塗り潰し、晩冬の陽だまりに投身する華やぎが必要だとして、いったい誰が、その陰影の美しさを褒めてくれるだろう。増えたり減ったりすることが、私たちのあらゆる出発と終着を支配するのだから、いずれ誰もが廃棄される側の言葉を図らずも漏らすことになり、いつかは名前という重たい荷物をおろす場所を決めなくてはならない。口実という名の木の実を道すがら食べ零す小動物のように、立ち止まっては振り返り、立ち止まっては振り返り、自らの名残に発芽の兆しをあてもなく探してみても、ふたたびあの散歩者が華奢な足どりでふらりと現れ、私たちの退路を冬の林道のように踏み固めてしまう。

 蘇るということは、古井戸から這い上がって現世の縁に青白い手首を掛けるような運動神経の酷使ではなく、目覚めると見慣れた部屋に見慣れた朝の光が射し込み、天井の木目模様が少し違っていることに気付かないまま半身を起こして一日を始めるような、きわめて静かな振る舞いの中で起こるのではないか、そのような聞き慣れた言い回しを信用しないために、私たちはなにを信用すればいいのだろう。冬の次に訪れる相対的な季節の中で、中空の陽だまりから落下する重たい荷物を両腕でしっかりと抱きとめるとき、おそらくは臀部をしたたか地面に打ちつけた衝動で思わず叫んでしまう悲痛の言葉を、まずは信用してみようか。あるいは、人を捨てた男と、人に捨てられた男が、けして出会うことのないあの場所とこの場所で、まったく同じ口癖を呟いて日々の抑揚を同期させている奇妙な符合を、その口癖を私の唇でも真似てみることで信用してみようか。いずれにしても反復と継続が無効な挙措のささやかな閃きは、始まりも終わりもない夢の断片の乱暴な切り口のようで、その切り口に駆け寄ってはとりあえずの手当てをしている、その縫合の美しさを、いったい誰が、悼んでくれるだろう。

文学極道

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