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疋田

選出作品 (投稿日時順 / 全4作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


キャベツ畑

  疋田

(1)
キャベツ畑に放り込まれた日の暑さが、まだ幾らも遠くにいかず。油絵具の擦り切れたような渇きを、私はいつだって恐れている。延延と続く畑に、農薬を撒いている農夫が一人、二人。昨日も一昨日も、ただそればかりを見ていた。そして散布された農薬の飛沫が顔に振りかかるたびに、私は、車椅子で微笑む祖父を思い出した。祖父が何事かを呟いて立ち上がろうとすると、目の前の農夫達は、何十年も忘れられていたかのようなぼろぼろのカカシへと変わり。カカシとカカシの間、厳しい渓谷の向こうに海が現れる。そこでは一艘の船舶が警笛を鳴らし、もっと向こうだ、と言わんばかりに私を待ち構えている。遥かな海が視界を埋め尽くし。青から、青へ。青、へ。青。と、毎回そこで視界は破裂し、次の瞬間には背を向けた農夫が相変わらず、どれも同じようなキャベツに向けて農薬を撒いているのだ。今日もまた日が暮れようとしている。

(2)
いつしか私は、立ち上がろうとする祖父が何を呟いているのか知りたくなった。思えば思うほど、どうしても気にかかる。キャベツ畑に夜が訪れて、農夫達がみんな居なくなってしまっても、私はそれだけを考えていた。そんな調子だから、誰とも分からない三人と、一つのキャベツを囲んでババ抜きをしている自分に気付いたころには、三つのうちのどの顔をも見上げることが出来なくなってしまった。目のやり場に困って、中心に鎮座するキャベツばかりを見つめていた気がする。そうしてババ抜きはいつまでも続き、私は、決してババを引かなかったが、一つも数字は揃わなかった。誰もがカードを捨てられないし、きっとババだって引いていない。カードのこすれる音だけが辺りに響いている。結局、思い出したことと言えば、祖父がいつも砂埃を気にしていたということだけだった。

(3)
明け方、ひんやりとした土壌に仰向けになっていると、厚い曇り空から数匹の鳥が落ちてくるのに気が付く。コマドリにスズメ。ハト。オームやキュウカンチョウなんかまでいる。鳥達は一つのきれいな円を描くように地面に落ちていた。私は何食わぬ顔で一羽また一羽と土の中に埋め、近くのものからちぎったキャベツの葉をその上にかぶせていった。そして最後の一枚を土にかぶせ終えたとき、空からはまた何かが落ちてきた。目を凝らしてみるとそれは、ハンドリウムの折れ曲がった車椅子で、祖父が使っていたものと似ていた。いや、恐らく同じものだろう。と、そう思うが早いか。「さあおいで。飴玉をやろう。」そんな声が、私よりもずっと近いところからあふれてきた。同じようにあふれてしまいそうな数の飴玉を両手に抱えながら、今度は私が何処かに向かって落下している。飴玉は幾つも、幾つも、空中に氾濫していくものの、決して掌から尽きることはなかった。横手にはさっきまでいたはずのキャベツ畑が延延と広がっており。私に頭を向けるかたちで農夫が農薬を撒いている。何人も何人も。ひたすら農薬を撒いている。農夫は見えなくなり。また現れる。キャベツ畑は延延と続き。農夫も。続き。ババ抜きだって。終わらず。不意に一人の農夫が飴玉を拾って空を仰げば、いよいよ私だけが見えなくなる。


積み上がる子供

  疋田

朝になると、無数のくらげが砂浜を覆いつくす。それを眺める男の子は、粘土で手足のうんと長い猿をつくった。しかし粘土はみるみるうちに劣化して、それは猿ではなくなり、ざぶん、人間の形をした流木が海面から顔を出し、粘土を拾いにやってくる。そうして、その口と、目と、耳から、砂をこぼして、重そうな足取りで沖へと戻っていく。だだ暗い沖には、垂れ落ちようとする積乱雲を支える巨大な電信柱が、何本かあって、男の子は「落ちる。落ちる。」としきりに指を差している。指を差して泣いている。泣いている、何が悲しくて、この海岸線、朝はいつもこうだった。「おはよう。きょもあついなぁ。」


「もうずっとおんがくがなりやみません。」
「ええ。わたしにもきこえます。」
「たのしいですね。」
「いいえ。ゆるせません。」
「もう、ねむいんでしょう。」
「そうでもありません。」
「わたしなんかすぐにねむくなるのに。」
「とてもいいことです。」
「それでもにんげんはうまれます。」
「うまれます。」
「だからわたしは、おはようを、わすれます。」
「それなら、わたしは、おやすみを。」
「わたしは、わたしを。」
「じきにおんがくもなりやみます。」


莫大な人工林に空っ風が吹き抜ける。木木が。ぼそぼそと唸っている。女の子は、おやすみなさい、と呟きながら雑草であふれ返ったアパートの一室に駆け込む。その顔はずいぶん青ざめていて、やはり日も落ちかけ、何もかもが丁度、群青に染まっていた。おやすみなさい。ひび割れた窓に目を遣ると、もう半分以上枯れてしまった椚の木に、二匹の猿がいて、ぼんやり女の子を見つめている。女の子は今にも泣き出しそうな顔で。おやすみなさい。ぼんやり立っていた。ぼんやり。猿を見ていた。ぼんやり。そのすぐ後ろでは、人間の形をした倒木がやかんでお湯を沸かしていて。足元には大量の砂が在り。誰もが不在し。やかんを見据え。砂は積み上がっていく。おやすみなさい。やがてお湯も沸騰する。「ねえ。お化け電球がお父さんを連れてくるよ。」女の子はそう言ってその場に座り込んだ。「おやすみなさい。もうよるだね。」


秋の眠り

  疋田

深海に無数の驢馬が横たわっている。それらを泥雨がひたすらに打ち付け、海中なのに、と呟いた父親は、秋を知らない。そんな父親が瞼を閉じれば、水圧はいよいよ上昇し、眠りが具象して顔を持つ、唇しか無い巨大な顔、もう父親は居ない。半開きになった口からは涎が垂れ続けているというのに、拭う手も無く、全ての驢馬は縮んでしまい、海の底に私は無い。肥大する、眠りが肥大する、肥大している。顔を持った眠りが、多くを思い出そうとして、無いはずの瞼が何枚も何枚も、閉じていく、だから泥雨は見えない、思い出すものなんて始めから無いのに。眠りは。肥大する眠りは深海を埋め尽くし、私は、その中で確かに死んでいたのだろう。泣き続ける、秋の眠りを追って。

砂丘に無数の驢馬が横たわっている。それらを泥雨がひたすらに打ち付け、秋から秋へ、いつまで経っても冬が来ない、だから私は秋しか知らない。そして何にも考えず、ただ、何処へも行かない気球を眺めていた真昼間。開いているはずの瞼がもう一度開き、私は、ジグソウパズルに成った自分の体を必死に組み直していた。どうしたってピイスが足りなくて、一瞬の永遠はしっかりと私の腕を掴む。やけに世界が近かった。遠くでは二匹のアラビア調のアブラ蝉がこそこそ話をしている。暗雲がおどろおどろしい、雨の降りしきる砂丘でだ。眠りは。眠りは泥雨の間で一層深まり、おいてきぼりにされた私は、また、瞼を開けることになるのだろう。泣き続ける、秋の眠りを追って。


眠り(a)

  疋田

指で作った覗き穴の向こうで
かなぶんがひっくり返っている
そのうちにかなぶんは足の付け根や
頭と胴体の隙間から伸びだした雑草に包まれて
まるでゴムボールみたいになると
ひたすらに同じ場所をころころと転がっていた
誰もいない隣の部屋では
確かアシクケリブが再生されていて
誰かがぼそぼそとしゃべる声がここまで聞こえてくる
(1)
月曜日。ゆがき過ぎて味の抜けたほうれん草を三角コーナーに捨てると、青臭さに混じってどこからか線香の香りが流れこみ、追って、引き戸のすれる音がした。おもむろに首をひねれば、ぼやけた視界の端で押入れが開いているのに気付く。僅かに開いた押入れからはこっちに向かって蟻の行列が伸びている。
(2)
月曜日。詳しくは知らないが、平和を訴えるために銀行強盗をやったという女が逮捕された。女の口元にはつけぼくろでない大きなほくろがあり、それは姉のほくろと似ている。姉はいつも障害者手帳を紐に括り付けて首から垂らしており、二十六になる今でもあいうえお、のほかをうまく言えない。姉はいつも姉の知らない人に罵られ、姉の知っている人に罵られた。そんな姉が言うには、押入れには幽霊がいるらしくて、台風が近づくと懐中電灯を持ち込んでは一日中籠もっていた。
(3)
月曜日。三角コーナーからほうれん草があふれ出し台所を埋め尽くす。いつやって来たのか、私の隣では、体育座りする姉が不自然に長い腕を伸ばして、隣の部屋の押入れを開けている。押入れの中にある懐中電灯の光線がやけに眩しい。そのせいであね、
の顔が見えないのが怖くて
がちゃん
とつぜん鉢植えが割れる音がする
窓ががたがた揺れる
「風が強いからね。」
「台風。」
「14号だってよ。」
一瞬、心臓が止まった
その声は姉のものだった
同時に綺麗な声だとも思った
もしかしたら始めから、あね、はこんなふうに話せたのかもしれない。だけど一筋の光線を残して部屋は真っ暗になり、その後は姉も私も、何一つ喋らなかった。
(4)
月曜日。大きな積乱雲が重そうに垂れている。あね、は美しいものが好きなんだと、母親がよく言っていた。あね、は、夏の真っ昼間、のぼりきった太陽に金平糖をかざしていた。あね、はすっぽりと壷に収まった祖父の骨を、じっと見つめていた。いつやって来たのか
気が付くと
姉が押入れの前に立っている
あね、が
ゆっくりと引き戸を開けると
その隙間から
"完全な"晴れ間がはみ出してきて
姉やその裏っ側を
くっきりと存在させていく
そして不在させていく
晴れわたる空が
絨毯のように敷き詰められ
た頃には
私たちは傾い
て傾いていて
"完全な"東京、に散りばめれた葱畑に倒れ込み、鬼のいないかくれんぼをいつまでもしている。金平糖を握りしめていつまでも泣いているあね、の頭をなでて、いつまでも、強く生きるとはどういうことなのかを考えていた。

文学極道

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