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深街ゆか - 2012年分

選出作品 (投稿日時順 / 全5作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


白檀の香り

  深街ゆか



台所で卵を洗っているところ
茹でて殻もまるごと食べられるように
マヨネーズの用意もできてるよ



あなたはトイレのなかに映った自分の顔が
血の気がなくてとても歳をとっているようだと
ひどくおびえているけれど
その必要はないとわたしは思うんだ
だってわたしから見ればあなたは十分若いし
好きな子を自分のものにできる美貌ももっているじゃない
鉄筋コンクリートの壁に熱をあずけて
もういちど一緒に1から数え直しましょう
眠りの先には目覚めがあると決まっているんだから
卵なんて、あんな過去のもの、もう忘れて
ほら、過去のものはこうやって踏み潰すのよ
固い殻の中のやわらかいところ一緒に潰して
お腹がすいてるなら冷蔵庫にヨーグルトがあるよ
冷蔵庫が空っぽなら
スーパーマーケットになんだって売ってるんだから
そんな心配そうな顔をするのはやめて
あなたのその顔、見てるとイラつくわ
ともだちが新人賞を受賞した?
知ったこっちゃないわよそんなこと
それよりあなたの背中、ずいぶん曲がってない?





ばあさんはよく死んだふりをする
息子夫婦がお見舞いにやって来たときも
目を閉じて死んだふりをしていた
お母さん何か足りないものはない?
そんなものはなかった
ただ、夜になって院内の電気がすべて消されると
宇宙にほうり出されたように寂しかった
木星にほうり出されたこともあったから
だからばあさんは無線機が欲しかった
それとメンソールの煙草
だけど
何も言わずに死んだふりをきめこんだ
ばあさんは夜になると
無線機のかわりにナースコールを握る
そんなばあさんに孫のイチタが
誰にも繋がらないおもちゃの携帯電話を持たせた
ばあさんは1から0まですべてのボタンを押してから
ありがとね、帰りに中庭に寄っていくといい
ゼラニウムがとてもきれいだって
看護師さんが言ってたから
そう言ってイチタを帰した





おかえりなさい、わたし考えたんだけど
わたしの誕生日にはビャクダンの香りを贈って
あら、あなたすごく疲れてるみたい
おばあさんが亡くなったの、そう
でも昔からおばあさんて生き物はすぐ死ぬものよ
それにわたしたちだって
ねえ、顔色がとても悪いわ、ベッドで横になりなさい
いやだ、泣いてるの?
だいじょうぶ、あなたのおばあさんは
あなたがおもちゃの携帯電話をほんものだと言ったこと
これっぽっちも気にしてないわよ
だっておばあさんは機械音痴なんだもの
そんなことより、おねがいね
わたしが生まれた日にはビャクダンの香りを贈って
死んだ日よりもわたしが生まれた日のほうを
あなたには知ってほしいのよ
それから今すぐにでも猫背はなおしたほうがいいわね


だいだらさんの沼

  深街ゆか



市営団地
5棟402号室

テーブルの真ん中の野菜炒めを盛った皿をかこむように、弟は茶碗と箸を並べた 、青い箸は父さん、黄色い箸は弟ので、赤い箸はわたしの箸、茶碗も箸も全部プラスチックでできてるから、どれもこれも簡単にぶっ壊せそう。はめごろし窓のすき間から、大きな目玉が覗きこんでいて、すぐにダイダラボッチだとわかった。晩ごはんをたべながら「最近あれをよく見かけるよ」と言うと「この辺りは昔大きな沼地だったからね」と父さん。それっきり会話は途切れてしまった。ねぇ父さん、隣の家から漏れてくる野球中継のほうが賑やかだね。
湯船の中でわたしの体が揺れている、白く、ふやけてゆく、輪郭を失ってゆく、柔らかく張りの無くなった皮膚に、ドジョウが穴を開け入り込んでゆく、17才少女、浴槽で謎の死、体には無数の穴、ふやけた妄想が頭から離れない、とくに、夜は



3棟204号室

もうすぐゆう太が、黒いランドセルを背負って、階段を一段一段登って帰ってくる。ねえ、ゆう太はどうして、ランドセルに石ころを詰めこんでいるの?教科書はどうしたの?筆箱は?ゆう太はうつ向いたまま、体をふらつかせている、窓の外をダイダラボッチが通りすぎた、湿った空気が髪に絡みついて鬱陶しい、きっと今夜は雨だ。
おかあさん、おかあさんがぼくを寝かしつけて、部屋をでていったあと、部屋は、まっ暗で音もなんにもない宇宙になるんだよ、ランドセルの中の石ころは、星くず、部屋の中をとびまわる星くずに、頭をぶつけてしまわないか、ぼくがこわがっているのを、窓から大きな目ん玉が見てるんだ、あれはきっとダイダラボッチだよ、むかし、この辺りは大きな沼地だったんでしょう?
私は黙ってゆう太を抱きしめた、難しい年頃なのだ、ゆう太の黒いランドセル、いじめで自殺をした子どものニュースが胸をよぎった。
おかあさん、おかあさんがぼくを生んでから、ぼくはずっと宇宙でひとりぼっちだよ



6棟103号室

観葉植物にベランダを占領されてしまってからは、洗濯物は部屋で干すようになりました。観葉植物の手入れをしているときには、よくだいだらさんに会いました。
私は3日前に死んでしまいましたが、今日もカルチャー教室へ行って、木炭でリンゴを描いてきたんですよ。カルチャー教室の帰りにはいつもこうやって町を見渡せる丘に登って、わたしが住んでいた団地や、誰かさんたちが住んでいる家の屋根を、眺めてから帰るんです。屋根が、ずらりと並んでいる様子は、見ていて、とっても愉快な気持ちになります。だいだらさん、あなたの姿もここから見えますよ、あなたはどうしていつまでもそこに留まっているんです?そこにあなたの沼は、もう無いんですよ。
だいだらさん、だいだらさん、あなたもこっちへいらっしゃいな


パチンとはじけてみんな終わる

  深街ゆか

缶詰を開けると外は雨降りで賞味期限はとっくに切れていた  婆ちゃんがどこもかしこもこんなものだわよって  母さんも私もそうかもねって  あの頃は確か毎日なんだかんだおかしくて  わたしたち手をつないで笑ってたんだったと思う  でも今は婆ちゃん半分ボケて  貝殻を耳にあてがって暮らしてる
/夜のね海のね波打ち際で/わたしねひとりぼっち/だったんだよ/小さな貝殻拾ってね/耳にあてると/波の音に混じってね/お母さんの声が聞こえるんよ
そう言って涙を流しておんおんと泣く  婆ちゃんの顔は小さなスズエちゃんの顔  スズエちゃんの涙が絶えず吹き込むから家の窓という窓はすべて閉ざされ  母さんはスズエちゃんをおんぶして暮らすようになった
スズエちゃんは母さんのおっぱいを気に入り  夜になると母さんの胸の中にずるりと潜り込んだ  スズエちゃんの涙はまだまだ止みそうになくて  ラジオから流れる台風情報に耳をすますと  聞こえてきたのは遠い日の母さんの声でした
傘をさしスズエちゃんをあやす母さんの影がもう少しで消えそう  私は部屋のすみっこの少し高いところからそんな母さんをただ見てた



  母さんコンビニ行ってくるけど何かいる?
  そう言って私スズエの貝殻をポケットに入れて
  家に帰らなくなって今日で何年経ってしまったんだろう



母さんをおんぶしてスーパーマーケットに行くと  生鮮食品売り場が季節の訪れを教えてくれた  魚が食べたいなと言った母さんのくちに  身をぐずぐずにしてから骨をはじいた魚を運んだ  ゆっくりと咀嚼する母さんを  どんな立場で見つめればよかったのか  今も正解が見つからない  夜  母さんは私の胸のなかで丸くなって眠る  わたしも母さんを包み込むように丸くなる  暗い部屋の一点を見つめていると  視界が狭くなって真っ暗でなんにもない  だだっ広い宇宙に迷いこんでしまった
婆ちゃん母さん  子宮に託した夢が  パチンパチンとはじけ散る音 が からだのなかで響きわたってます こんなところでしょうか こんなものなのかもしれませんわたしたち



缶詰を開けるとあのころのわたし達がゲラゲラと楽しそうに笑っていた


ミカコ

  深街ゆか



あかちゃんの頃から体内に隠し持っていた梯子。眠りについたとき降りてゆく、ゆっくりと確実に足をずらす、地上はすぐそこで空は遠い。夜空に実る果実をもぎ取ることができなかったことは、昨年日記に書いておいたはず、残念だったと締めくくって。それにしても地上に広がる街はうかれてる、青白いガスを放つ電球の群れ、もみの木を担ぐ労働者、歩道を渡ればクリスマス。



くちびるの薄皮を剥いで水槽に浮かべたら、熱帯魚が吸い込んで吐き出して吸い込んであきらめて。かわいい世界。熱帯魚の尾ひれから放たれる微弱な電波が引き寄せるのは新しい一日。ちいさな世界。人を殺してほんの少し牢屋で暮らす人、それはあなたでそれはわたしだった。看守に与えられた果実を壁に向かって投げつけたら、こどものころから育んできた世界が破裂して。軽くなるからだ。やわらかなものを潰す感触になれてしまえば、何にでもなれるはずだった。



錆び付いた髪の毛を竹櫛でとかしたとき、ばらばらと地面に落ちる乾いた果肉を見てあなた泣いてしまった。かわいそうあなた弱虫ね。カワイソウアナタヨワムシネって目を閉じて十回つぶやいて、そのまま三回まわってオギャアってないて。目を開けたら駅のコインロッカーに捨てられたあかちゃんだった。ミカコという名前をプレゼントしてもらった十二月二十五日に拾われた女の子、小さな果実を握っていた。



夜空に実る無数の果実をもぎ取ることができた誰かが、アイスピックで穴をあけて空から街へ果汁を垂らした。街は甘いにおいを放ち蟻やねずみやゴキブリを歓迎するから、街で暮らす人達は風呂敷で宝石を包みそれを担いでよその街へ移住した。悪い夢でもみているようだと誰かはつぶやき、ミカコを背負った老婆はあてもなく南へ向かって歩き続けた。生まれて間もないミカコの臍の緒はまだ夜空と繋がっているから、老婆が一歩進むたびミカコはむずがって背を反らせる。



十七になったミカコの背は歪んでいた。歪んだ背骨を恋人に指でなぞってもらうと夜がきた。ミカコにはやわらかなものを握り潰す感触を楽しむだけの優しさがあったから何にでもなれる。猫にでも、亀にでも、サンタクロースにも 、歪んでいてもいいのなら


ラベンダー色の少女

  深街ゆか

ラベンダー色の時代、わたしは一匹の子豚を抱きながら夜をまっていた。開け放った窓から見える白い月、これでは駄目、体内にはまだ朝の余白がつまっていて、胸はパックリと口を開けているからどこまでもイヤらしくて満たされないままだった。結局のところ、掴んだとしてもわざとらしく離すことに美しさをおぼえて、酔しれる、浴槽に浮かぶアヒルみたいに愛らしく救いようのない、こんな色の時代だから。くしゃみをしたら地球の裏側で外国人が三人死んだけど、何も無かったみたいにレースのカーテンは静かに風に揺れて、わたしの弟が生まれた。産毛を生やしたピンク色の弟は子豚という名前が与えられ、こんな時でもお母さんは、きょう地球の裏側で死んだ外国人たちを想いなさい毎日想いなさいとわたしを叱った。行為で示すことに抵抗を感じたお母さんの眼球は、ソーダ水に浮かぶ氷よりも透き通っていて素直で、なによりも自分を信じていた。そんな女に用は無い、わたしは、はだかの子豚を自分の部屋につれだし、こうして夜をまっている。ラベンダー色の夜はいつだって、穴ぼこだらけのペテン師だけど、酒臭い男と女の朗らかな笑い声は、鼻孔をやさしくくすぐるから、酒樽の中で互いを噛みあう人たちのことを許さずにはいられない。曖昧さが口の中で溶けたとき、わたしたちは母なる大地にキスをして、ひとつの時代がついた嘘さえも許してしまう。月明かりが窓から入り込んで、夜のはじまりを知らせた、何かを悟って顔をぐずぐずにして泣き出した子豚の湿った鼻に、頬をすりよせわたしは目を閉じた。じきにこの時代も終わるだろう、そしたらお母さんの行為への抵抗も薄れるかもしれない、わたしと子豚がいなくなっていることに気づいてくれるだろうか、警察はわたしたちの足跡を見つけることができるだろうか、新聞紙はわたしたちを徹底的に調理するだろう「新たな時代の幕開けとともに消えた少女と子豚、残る謎!!」だけど誰にもわたしたちを見つけることはできない、わたしは夜の穴ぼこで、ラベンダー色の時代が産み落とした子豚という名前の弟を、責任をもって丸飲みにしたら新しい時代に毒を盛る。覚悟して待ってろ。

文学極道

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