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kaz. (はかいし) - 2010年分

選出作品 (投稿日時順 / 全4作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


  はかいし

向こうに布をかけて、道を閉ざしてしまうことにした。繊維の隙間から街々の影が覗いている。それが次々に増えていって震え出した頃に、わたしは布を撥ね除ける。布の下から青や赤が駆け抜けていって、部屋全体を染め上げる。それからつめたくなった彼女を見つけて、まど、と呼んだ。

いつも向こうから囁いているのは、やけるような夜景だ。彼女はそこに恥部をさらけ出して言う。物語の作り方を知りたい、と。それなら、とわたしはその背中に滑り込んだ。背中の上で燃えて、わたしは灰になる。ここには誰もいない。誰もいないんだよ。

(引き延ばして欲しい、もっと、影だけでも背伸びして、太陽に裸体を曝して、どこまでも続く背中の中に、)
向こうから、夜景の消えていく音がする。それは街路樹の群れをこえ、信号機の点滅をこえて、やがてわたしの鼓膜をこえて、中へと入ってくる。代わりに色彩が少しずつ短くなって部屋から抜けていく。

彼女は歯をわたしに向ける。日差しはそこかしこに散らばって、ぎらぎらと滾っている。彼女はわたしの物語のせいで、歯まで真っ黒だ。夜が更ける頃に、わたしはつめたくなった背中を探して、部屋中に広がるだろう。だから、また布をかけて、向こうからくるひかりを閉ざすことにした。


再誕した、明月は遠野に

  はかいし

行き先も告げずに走り、ただぼうっと霞んでいくだけの影がしなる草木に乱されていくやがて夜間が方々で燃やされて(こんな霜焼けみたいな野原をおれは歩いていた)彼女は何も告げずにその中に飛び込んで見えなくなった/対角線のない野原に突っ立ったままのあばら屋でじっとりとしめるような音を聴いて眠りたい


死者の道(化石)

  はかいし

石炭を詰め込んだ袋を背負い、夕焼けの帰路を歩く。丘をなぞるように続く細い道には足跡が続く。その中に昨日の雨水が溜まり、夕日がぽつりと溶け出す。二つ目の峠を下りた頃、炭鉱から帰る途中らしき女性を見つける。彼女の脚は長い丈の衣に隠され、何かの爬虫類、ニワトリ、と一歩一歩違った足跡が続く。それを指差して、これはあなたの足跡ですか、と聞く。いいえ、これはあなたの足跡でしょう、と苦笑される。丘のてっぺんまで来たとき、彼女は纏っていた衣を脱ぎ捨て、足元を指差す。踝から下が透けており、あなたは幽霊なのですか、そう聞くと、彼女は何かを答えようとして口を開く。その中では白骨が燃やされており、驚いて誰の声も聞こえないまま、喉の奥の暗がりへと飲み込まれていく。

(女の腹の中で、黒光りする液体を泳ぎ切り、家に帰り着く)

ぽつり、ぽつりと星が照り出したのを見計らって、私は家を飛び出し、街灯を避けて走り出す。時々私の口に羽虫が飛び込み、そのまま飲み込んでしまう。羽虫は喉の奥で何かをまさぐって、その度にぞっとしながら、闇へ。羽虫が唇を掠めることもなくなった頃、墓地に辿り着く。星だけが点在する、ピンで留めたように。まだ、喉に何かが引っ掛かっていて、ガビリと引っ掻いて全身に響く。ガビリ、ガビリ、辺りの墓石からも聞こえ出し、重たい石の戸を開けて骨だけになった影が立ち上がり、私の周りで踊り狂う、ガビリ、ガビリ、骨を鳴らしながら騒ぎ立て、耐え切れなくなり、もうたくさんだ!そう叫んだ後、喉につかえていたものを吐き出した、

(吐瀉物の中からツチボタルが這い出し、頭蓋骨に入り込む、)

頭蓋骨を棒に掛けて洞窟を進む。眼窩からは糸状の燐光が次々と放たれ、触れた岩肌から放射状に広がって暗闇を照らしていく。ツチボタルの松明。私が呼吸する度に光が通い、壁に張り巡らされた網が震え。進んでも進んでも辿ってきた道が輝くばかりで、少しも前を照らさない灯。やがて私は空腹を感じ、それに同調するかのように、頭蓋骨はいっそう青白い血液を滾らせ、四方八方に送り出す。急に強くなった光が背中を押していく。
ここで洞窟は二つの道に分かれている。一方はしんと静まり返り、もう一方からは石油が臭い、そちらに行くと、オレンジの燭台が見え、徐々にその半透明の影が広がっていく。見つけた!ひとりの男が叫び、すぐに何人かが集まってきて、化石だ、と口々に言い合って、渦巻いた塊が男の手の中で黒光りする。引き返して、もう一方の道に向かっていくと、ツチボタルの松明が弱まり出す。進めば進むほどに弱くなり、遂に消えてしまう。手探りで進み、ようやく洞窟を抜け、墓地に着く。死者たちがたき火をぐるりと囲んでおり、ひとりから、これを食べないとお前は消えてしまうよ、と言われ、握り飯をもらう。戻ろうとして振り返ると洞窟は跡形もなく消えている。手足が徐々に透け始め、消える前に握り飯を飲み込む。そして、家に帰ることもできないまま、仕方なくその人たちとずっと一緒に暮らすことにした。


銀の雨

  はかいし

やかましいほどの叫びを上げて小鳥たちが飛び立つのを暑さの中で聴いた。ひとつ、ひとつと逆光の中の影が深い青さの中に飲み込まれていく。一匹の猿が毛深い木の上へ駆け登りそれを見送った。ぼくはその猿を追い掛けて木に上る。揺さ振られた枝から肥大した芋虫が落ちてくる。太い胴体には紫の環が張り巡らされ模様をつくっている。猿は近くの葉にしがみついていた芋虫を拾ってモシャモシャ食べてしまう。それに倣って芋虫を口に含む。甘さが噛むうちに酸味に変わっていく。向こうの山焼けの火から煙が立ち上っては、風に当たって何度も消えていく。突然猿はぼくの顔を見て笑い出す。ぼくはしばらく不思議に思っていたが、その猿の舌が青く光っているのを見て思わず笑う。


山焼けに驚いた鳥たちの群れが煙を避けて次々飛んでいく。猿がその群れのひとつを指差して興奮の声を上げる。青い瞳をした灰色の翼が整列してこちらに真っ直ぐ飛んでくる。ぼくはそれが何という鳥だったか思い出せない。この辺りに住むようになってから始まった物忘れは今でも続いている。頭より先に手が動く思考に、記憶は反復される機会を失った。これは、物の名前を覚えたり、誰かと会話することもなくなったせいだ。こうして木の上で暮らしていればいいのだから。そして群れはぼくらの上を通り掛かり糞の雨を降らして去っていく。ぼくも猿も体中銀色にまみれ、笑いながらお互いの体を嘗め合う。仄かに甘く水分が豊富に含まれている。そうだ、この雨林に住まう前、ぼくはあの群れを『銀の雨』と呼んでいたのだった。ぼくらはもうかなり後ろに行ってしまった『銀の雨』に向かって大きく手を振った。『銀の雨』は甲高くゲラゲラ笑いながら小さくなりやがて霧の中へと姿を消した。


猿はすっかり満腹になり太い幹にもたれ掛かり眠っている。ぼくは周りに敵がいないかどうか見張る。例えば、まだらの黒点を纏うあの獣や、大空から襲ってくる猛禽類。この辺りの森も開発の影響を受け多くの木々が伐採されているため数はそう多くはない。住家を奪われた獣たちの行き場はなく大抵はその場で死ぬ。木に跡を付けて数えていたその個体数も今ではただの引っ掻き傷にしか見えない。変化を、記憶できないのだ。動物たちの数が、減っているのか、増えているのか分からない。思い返せば、この森に入ったときに持っていた道具があった。歳月がその道具の使い方を失わせ所在は色褪せていく。名前などなかったかもしれない。その穴の空いた先端部分を向けられた相手はあっという間に血を吹いて死んでしまう。覚えているのはそれだけだ。だからぼくらはそれを持っている人間、あるいは持っている気配のする人間には決して近付かない。


不意に風圧が強くなり頭上に影が過ぎる。ぼくは猿を揺すり起こし戦闘の体勢に入る。翼の内側だけが深紅に染まった巨大な黒鳥。上空を旋回しながら隙を見て襲いかかる気だ。ぼくらは長めの枝を折りしきりに振ってこちらの警戒を示す。いつもより殺気立っており逃げようとはしない。急降下し、ぼくらの側に突っ込んでくる。木の枝と拳を振るう。素早く交わし怪鳥は鈎爪をぼくの腕に噛ませようする。猿が枝を繰り出す。怪鳥はそれでも諦めない。大声で威嚇して猿を襲う。すかさずその頭部を殴る。怪鳥は獲物を諦め飛び去っていく。ひどい空腹だったのだろうと思う。そして、今度はぼくが眠る番になる。


夢の中に飛び込む。今日浴びた銀の雨の中に沈んでいく。重たい水を掻き分けて顔を出す。水銀の海が広がり照り付ける陽射しを反射する。雲の切れ間にあの芋虫たちがへばり付く。少しずつ皮を脱いで蛹化し、食べようとするぼくの手は届かない。水位が次第に増し液が体の中に染みて身動きができなくなり溺れかけたところで目が覚める。
夜の雨林は憂鬱の景色。星たちが青白く輝きながら無数の雲の裏側を抜けていく。ぼくはかつてその名前と位置をすべて覚えていた。今はその数を数えるだけ。途中でどこまで数えたのかが分からなくなる。いつか、分からないということさえも、分からなくなるかもしれない。あるいは気付かないだけで、既にそうなっているのかもしれない。
ここでは、ただ、危険なものを避けていればいいのだ。危険なものが何なのか分からなくなるということは、それが危険である限り一生ないだろう。危険は目に見えるものであり、耳に聴こえるものだ。そうして毎晩少しずつ忘れていく。

文学極道

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