#目次

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2008年08月分

月間優良作品 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


アゲハ蝶

  丘 光平



あなたは目を閉じていた
なにかの償いのように
剥がれてゆく絆さえ
 食まれてゆく傷みにまかせて


 散りつもるあなたは
やわらかな土になった

そしてもうあなたが見えぬほど
 夏は生い茂り


 渇いたのどを
風で潤す野ばらを噛んで
飛びたってゆくアゲハ蝶


 ぬぐい落とせぬ蜜のように
暮れてゆく夏空で
しずかに燃えています―


  丸山雅史

ちょっとした出来心で 神様のおやつを盗み食いしたとして 罰を食らい 蛙は重い皮膚病にかかった 全身が白くなり 粘膜が無くなり 皮膚科の病院に行って 塗り薬を貰ったが 全く効き目が無かった 蛙が何度も病院に通う内に 次第に医者は神様に対する恐れからか 邪険に振る舞うようになった 最終的にはろくに診察せずに 処方箋だけ出す始末だった 皮膚呼吸の蛙にとって 皮膚病とは致命的なものだった 蛙は仲間達と共に 建設が中断された住宅の コンクリートの土台の中に住んでいたが 皮膚病がうつると言って 皆蛙から逃げていった 蛙は太陽の光を浴びると全身に激痛が走るので いつもじめじめとした日陰に隠れ かさかさの皮膚に 絶えず塗り薬を塗ったくって じっと孤独に暮らしていた

この蛙は冬眠しない種族だった 年が変わり 繁殖時期に差し掛かると 至る所で 求愛の鳴き声が聞こえてきた その蛙も雌を求める為に 求愛の鳴き声を発した すると数匹の雌が目の前にやって来たが 蛙の皮膚の色を見て 顔色を青くして 一目散に逃げていってしまった それ以降 幾ら雌を呼んでも 誰も蛙の傍に寄って来なくなった

蛙の皮膚の病態は悪化し また 皆蛙から疎遠になっていったので それらに耐えきれなくなり 折角三浪して入った大学を中退した 同級生は既に定職に就き 家庭を持ち 幸せに暮らしていた 以来 大学の学費の返済の為に 夜間の工事現場でのアルバイトに励んだ その仕事は 蛙にとって 陽の光を浴びずに済むので 大変都合が良かった しかも現場の監督達は 蛙が皮膚病を患っていることを全然気にしなかった 収入の殆どは薬に消えていった 蛙は時々思うことがあった このまま独身で死んでいっても悪くはないな と 住処で浴びる 月の光は蛙の精神にも すぐに乾く皮膚にも優しかった 蛙は 草を咥え ドビュッシーの 「月の光」を 鼻歌で歌いながら 堤防で頭の裏に両手を組んで 星空を見て眠るのが大好きだった

しかしある時 工事現場で 砂利を載せたリヤカーを運んでいる時 突然蛙は意識を失い 救急車で運ばれ 病院の集中治療室で 十数時間にも及ぶ手術が行われた 末期の皮膚ガンだった 意識が朦朧とする中で 神様 あんたのおやつを勝手に食べたことは謝る けど この罰はいくら何でも酷すぎはしないかい? やはり死の間際に直面すると 何者でも 微かな希望に縋り付きたくなるのは 当然のことだった 心電図の波が直線になると 執刀医は手を止め 電気ショックを与えた が 何度やっても全く脈が戻る気配は無く やがて心拍数がゼロになると 執刀医は首を横に振り ご臨終です と一言呟いた

蛙の遺言書通り 葬儀は行われなかった だが蛙の同郷や大学の同級生や仕事仲間達の要望が強かったので 密葬が行われた 蛙の皮膚病を嫌悪して 疎遠になっていた同郷や同級生は皆涙を流して 蛙を弔った 仕事仲間達は彼らに対して罵倒雑言を飛ばし そして蛙のぼろぼろの皮膚を撫でて 永遠のお別れを告げた 遺体は 遺言書の最後にあった 希望通り ドビュッシーの墓のある パリ十六区のパッシー墓地に埋葬された


クリーニング屋さん

  ミドリ



口にいっぱいヘアピンを咥え
髪をとめていた母を思い出す
クリーニング屋さんに 行くところ
その夏の日の午後
食べ過ぎて丸々と太った男の子が
わたしとぶつかった
いつかのことを思い出してしまう
その夏の日の午後のことを

わたしは生まれて初めて
エレベーターに乗った
男の子は赤い髪をしていて
どこか他の子と雰囲気が違っていた
とても生意気な感じだった
夕方の6時台
彼はマンションの屋上で犬を抱いていた
わたしは空がとても高いことを知った
マンションよりもずっと上の方
座る場所を確保するとわたしたちは
ポテトを頬張った
一言も口を利かなかった気がする
たくさん しゃべった筈なのに

赤い髪の男の子は
犬をぎゅっと抱いていた
そしてとても小さく
小刻みに震えている
今にも雨が降り出しそうだと
わたしたちは空を見て
空がとっても
近いことを知った
マンションの上の ちょっと先

口いっぱいにヘアピンを咥えた母を思い出す
クリーニング屋さんに向かうとき
その晴れた空が夕立に変わるころ
わたしはまた誰かに
ぶつかってしまわないかと
いつかのことを
思ってしまう


だから、ぼくらは眠っている。

  はらだまさる

デスクトップにぶら下がった森下くるみのおっぱいが捻じれて、木魚に
もなれない黒いキーボードを叩きながらひかえめな眠気が、日付のない
カレンダーのうえで足を滑らせていた。前田サムエルの出張覚書に目を
やると、ふわりちらりと朱色の篆書(てんしょ)が飛んで、しつもんを
何度もくりかえすものだから、仕方なく、ぼくらは耳をおさえる。嘘が
ひたひたに漬かるまでミルクを注いだコーヒーカップのなかで、ぺちゃ
くちゃと、女の子がおしゃべりしているみたい。おっぱいのサイズとか、
彼氏のキスがどうだとか、ぼくらにとって内閣改造くらいどうでもいい、
どうでもいいと、強がっていたい話をしているのかな。しらないうちに
入道みたく大きくなった眠気は、りょう手でおさえた耳を、無意識に澄
ませているのが分かったのか、まどの外では山のてっぺんがしろく消さ
れ、ぼくらは誰にも気づかれないうちに、涎を垂らして、

午後は、営業をサボって公園のベンチにすわり、味のなくなったチュー
インガムを噛みながら、夏の暑さに、ぼやけてしまった太陽のしたで、
しんぶんを読んでいた。登山家たちが、十七の日に、山に入ったようだ。
「一、九、十七かえらずの二十五日」は縁起がわるい、とこぼしては、
山の神にりょう手を擦り合わせて、一先ず、アメ色になるまでじっくり
と念仏を唱える。それでも夜になると、どこからともなく谷のしたの方
から声が聴こえてくる。オーイ、オーイと誰かが呼んでいる、オーイ、
オーイと。登山家たちは、そのオーイ、オーイという声を追いかけてい
ってかえらぬ人になる。そうして、何十年もかけて風にくしゃくしゃに
丸められた真実が、ひねもす空をころりころりところがって、はばたい
て拡散するあいだずっと、ぼくらは森下くるみとセックスのことばかり
考えていたんだけど、それがしあわせというものなんだ、と連行されて
ゆく殺人犯に、やさしく説教された。

今日も風が吹いて、薄いひつじが音もたてずに落ちる。一枚、また一枚
といつまでも落ち続け、百枚落ち、千枚落ち、いつまでもいつまでも、
何年、何十年も、何百年、何千年とぼくらは、それをぼうぜんと眺めつ
づけ、眠っている。


<参考>『黒部の山賊 ― アルプスの怪』伊藤正一著


あなたのゆくえ(1〜5のうち4・5)

  鈴屋

4 花 


夜、星たちが暗黒に天蓋の形をあたえた
昼、太陽が天蓋に軌道をひいた
灼熱が地平のわずかばかりの禾本科の草を枯らし
驟雨と夜がまたわずかばかりの発芽をうながした
あなたは細い水脈を見つけては水を手のひらにすくい、すすり
ただちにそれは汗となって薄い衣服を濡らし、乾いては塩の染みを跡づけた
日に日をついで大地を蛇行していくあなたの足跡が、まだしも、けものの証なら
神の名を知らぬまま、未明の空遠く鳴いてみることも

やがてあなたは色濃い草と森に沈む村に辿りついた
炎天のもと、静まりかえる畑中の道、よどむ溜池、生垣から覗く庭、
なぜ人は花を植えたがるのか、あなたが怪しむそこここに夏の花は咲き
よそ者ふぜいを隠しもせずとぼとぼと過ぎていくとき
蓮華、露草、昼顔、山百合、金鶏草
あなたを訝るすべての花が
あなたに強いた
「もだせよ」と
小道のわきには百日草がならび咲き
土塀をなぞる指がふと空をおよいで、あなたが覗き見た庭には
沙羅、合歓、花魁草、凌霄花
花かげの奥の座敷で、花よりも紅い女と
花よりも蒼白な男が
死よりも哀しくまぐわい
あなたが見渡すすべての花が
あなたに強いた
「もだせよ」と

百日紅の根方の石にあなたは座した
足許の先に六つ七つの蟻の巣穴が散らばり、
運び出すもの、運び込むもの
旅に出るもの、帰還するもの、交渉するもの、連絡するもの
蟻の集落の殷賑をあなたは飽かず眺めた
周囲には酢漿草の花が明かりのように咲きそろい、さらに鳳仙花、葉鶏頭の森が囲んでいた
なつかしい民族のように彼らの言葉を音楽をかすかに聴きながら
幹にもたれ、日暮れへさそう風にわずかに花冠をゆらす芙蓉を
見るとはなしにいつしか眠った
それは誰だったか、肉親がひとり
あなたが忘れていたあなたの名をしきりに呼んだ




5 広場


秋になった
わたしはあなたを失った広場に佇んでいた
あれからいくたびか雨が降り、いくたびか日が照り、舗石はしろじろ洗われ、清潔な風がふきわたり
舗石の隙間という隙間に針金のような帰化植物が生え
あちこち鼠色の穂ををつけているのもあった
ビルの壁には四角い青空が整然とならび、そのなかのひとつが思いがけず日を弾いた
  
地平線は目の高さにあった
点と見えたものが短い縦軸になり、ゆらめく紡錘形となり
それはわたしにむかって歩いてくるあなたの姿だった
あなたは歩を止めると、両手を垂らして立ち尽くし
その眸はわたしを、それともわたしの背後を、いや、なにひとつ見ないかのようにさ迷い
やがてわたしが聴いたのは、たしかに懐かしいあなたの声だった
「批判につぐ批判、払拭につぐ払拭、変遷につぐ変遷、草をはむこと、石をけること
落ちているものを拾い、手のひらにのせ、見つめ、捨てること、歩いていること、川をわたること、そしてなお、けっして成就しないこと・・・、そう、だから、わたしはあなたに言う、さようならすべて・・・
キイロスズメバチが死ぬまぎわ、嗤いながら言ってた、地上の解放は人の消去だって、わたしはかれを笑って見送った
眠り、目覚め、水をのむこと、日をあび、風にさらされ、ときに生に、ときに死に至ること
そしてなお、けっして成就しないこと、・・・そう、だから、わたしはあなたに言う
さようならすべて
さようならすべて
さようならすべてがすべて」
 
地平線は目の高さにあった
あなたの後姿はゆらめく紡錘形となり、短い縦軸になり、地平線に交わる点となって消えた
わたしは舗石の上に落ちているホワイトパールのケイタイと片方のパンプスと
キイロスズメバチの屍骸を拾い、ベンチの上にならべ
手をはらいネクタイを締めなおし、広場からオフィス街に向かう広い鋪道を歩きはじめた
振り向かずともたしかに、背後で人々やバスやタクシーが行き交い、鳩が舞ったりしているのがわかった、はやりの唄や靴音やクラクションが聴こえてきた
わたしはわたしが給料生活者であることを思い出し、それはゆくりなくも
「嗚呼」という声とともに空を仰ぐほど新鮮だった


(無題)

  DNA

おそらく手足を伸ばしたその先には届かないほどの視野のなかで見出されることを待
っていただろう深い森の水面 小さな鳥たちは隊列を組み 閉ざされた光のなかでタ
イヨウを目指すことなどとうに忘却していた昨日までの 

  (雲、のように孤立、し)

三日三晩だった わたしたちの霧を正常でない位置から見定める死に体の

  (狂い、のたたき売、り)

はじめる はじめよう 届かない 「いいえ」 
燃えることのない葉書など 届かない 「いいえ」 

桟橋の下の光を喰った魚の腹のなかには一匹のゲンゴロウがいまも呼吸を続けている
 ときみからの手紙には書いてあったね わたしはイモリの生態について研究する少
年の 助手であったからイモリの写真を収めること以外になんら興味はなかった 

  (残酷、な青が到来、し)

明けない夜はあった
橙色の灯は霧を
最後まで
裏切ることはなく
浮かび上がる
三人の
影と水滴 
そして

露になった
背中に
イモリの
写真はゆっくりと
焼きつけられ 
正しいやりかたで
おこなわれた
小さな追悼の

  チョコレイロ ディス ロ
  口のなかに
  転がる
  チョコレイロ ディス ロ
  摩耗しきる
  その前に

たとえばわたしたちは円卓を囲んでひとつひとつの記号が周遊するじかんを計測した
のだった 測ろう 測れない 「いいえ」 あの湖には イモリのやってくる季節が
失われることのなく 


秋楡

  裏っかえし


白熱灯に垂直に交わる蟻の葬列が、足元を昏くする八月の終わりに、ようやく背中の
汗はひいて、アコースティックの空洞には、寒色の香気が満ちてくる。午後から雨。
二階の机の上のラジオは、今日の天気の寸評を述べると、少し押し黙ってから、四十
年前に死んだエリック・ドルフィーのMiss.Annを、甘食代わりに僕にすすめる。ラジ
オの隣でコーヒーの紙袋が、微かに音をたてる。風が吹きはじめたらしい。僕はガラ
スの密閉容器を探しに、階下へと下りていく。庭の秋楡の互生した葉。その鋸歯が切
り取る稜線は、曇天の低さを、葬列と平行に走る坂道を上り下りする人たちに告げて
いるかのようだ。昏い、足元で、蟻たちは次々と燃え尽きていく。棺のない葬送に終
わりはなく、密閉容器のガラスは、真昼の湿気を冷えた体に抱き寄せている。昨日よ
りもずっと前から、空に太陽はなく、机の真上で白熱灯は灯り、ラジオの影はそれ自
体で充溢している。やがてMiss.Annは終わるだろう。ソロも、即興も、葬送も、秋楡
の葉擦れの音に包まれて消える。半袖の腕に少しだけ肌さむさを覚えながら、そのよ
うな二階に僕は、ガラスの容器を携えて、戻ってくる。


無題2(メンフィス)

  プラスねじ

おなかに食いこむ螺子が
きるきるきるる、と回転する
貧弱などぶ川が突っきる野っ原で
立体的に人びとが死んでく、の
をあたし見てた
絶滅したように平坦な空
豪雨を呼んでる
雷鳴が閃いて水面を流れ
そこからまたひとり這い上がり
石っころに躓いて雑草にしゃぶりつく
塔になるだろう、ね
その上で白人のロックスターが恋を歌い
あるいは黒人のキリスト者が夢を説いて
死んでく、メンフィス
名前なんて要らないのに、ね
はな先に雨粒
あたしは、野っ原に
直立する塔の礎で枯れた雑草をむしり
どぶ川に頭からめりこんでく
閃く雷鳴に撫でられながら
きるきるきるる、と回転回転回転する
螺子螺子螺子が、せなかを食いやぶり
空を波立てながらメンフィスまで飛んだ、の
をあたし見た気がする
どしゃぶりのなかで


(無題)

  マキヤマ

i

鳥の尾に、しなだれて
まばらだった、
星々、

数え、
またたいては、数えていた、
星々に、
朝つゆは冷たい

冷たさに
白く、
杭うたれた、
鳥の尾に、はかない
ものたち

首すじに
はじまり、屋根裏に
続く、
道たずね、
もの奪う、
目に
はかない、

しなだれては
燃え、
飛びたっては
嘘つく、

口々にすさみ
くべられてゆく、
声は
尾を引く、


「黙示録」と題されたひとつの画面の持つ意識

  右肩良久

   I

 潮の臭いがすると思ったが、それは形を失った古い時間の発酵だった。本当は、ここでは何も臭わない。
 僕らは峡谷の崖から突き出す岩鼻に、白いプラスチックの椅子と丸テーブルを置いて暫く話をすることにした。
 目鼻もなく柔らかく言葉が生まれると、赤い夕暮れの赤黒い雲が頭上で静かにひとつの渦を巻く。ひとつまたひとつ渦を巻き、僕らの話は遥か眼下の大河へ流される。
 そうだ、ちょうど暗い落葉のように、次々と。

 風音。激しい流水の音。ときどき破砕音。

 据わりの悪い椅子とテーブル。傾いて置かれているカップには生ぬるい水が注がれており、それは甲冑魚の吐き出した太古の海に由来している。
 はらはらと砂が降ってくる。赤く苦い微細な砂が、髪の間やシャツの襟元に入り込み、湿気のないテーブルの上を滑ってゆく。僕らもまた当然それらの一粒である。
 
 僕らは失踪した君のことを話している。
 クラムボンと呼ばれた君が、今丁度記憶の新宿の亀裂に嵌り、路上に置かれたトリスバーの箱形看板にすがって激しく嘔吐していることを。
 路上には折れた焼き鳥の串、輪ゴム。陰毛。
 それらの上に被る生白い吐瀉物の中に、噛み潰された子羊の肉片がびくびくと生あるもののようにのたうっていることを。
 君の知らない君のことを僕ら、延々と話しているのだ。

 遥か向こうの岩山の頭に巨大な木柱が直立し、漆黒の影として乾いた風の舌に舐められている。その由来は古く、総ての神話と史実を超越する。そこへプロメテウスが縛られていたのも、イエスが打ち付けられていたのも、ムッソリーニが吊されていたのも、相対的には一瞬の出来事に過ぎないはずだ。

   II

 僕らの間違った予感の中に生きている大勢の人々よ。
 やがて僕らは目を閉じ、口元へ静かにカップの水を傾けるだろう。唇が濡れる。口腔に水が充溢する。その間も確固として実在する世界の喧噪よ、君や君たち、人々よ。
 やがて僕らは君や君たちを塩の柱とするだろう。それは断罪ではない。だから、何ひとつ怖れる必要はない。君や君たちにまつわるものの総てが、まったく混じりけのない塩化ナトリウムの結晶と化すという、そういうことだ。
 塩は僕らにとって無闇に美しい物質である。

 赤い渓谷にぱらぱらと雨が降り始めるが、雨粒は地上に弾ける前にすべて蝙蝠へ変身してしまう。彼らは上下左右へ不思議な軌跡を描いて飛び交い、攪拌される僕らの話。

 遠望する岩山の中腹では、赤い岩の凹凸が人の顔の形を描き出している。誰だろう、あの岩の形として存在する人格は。僕らは囁き交わす。僕らが見ているこの暗喩としての風景を、僕らが話す暗喩としてのこの言葉を、君が解く。それはとても官能的な営みとなるだろうと。くすくす笑いながら囁き交わす。

 まるで全世界の映り込んだ水晶玉を口に含んでちゅぷりと舐めるように。 


きみとともに

  殿岡秀秋

生まれるときに
きみという伴侶をもらった

きみはどこへいくにもついてくる
旅する仲間である

首筋がねじれ
関節がかたまり
腹が痛む

きみに医者が名前をつけても
それはきみの一部でしかない

ぼくの頭から足のつま先まで
きみはいて
ぼくの弱った部位に
顔をのぞかせる

健やかというのは
ぼくの中のきみを
忘れているときだ

きみはぼくだけのものだ
ぼくの気持ちがそうであるように

高熱を出してうめいているときは
きみがぼくをあざ笑っている
もう二度と
元気に歩きまわることができないのではないかとおもう
それもきみのせいだ
ぼくはきみをのろう
きみをからだから永久に
追いだせたら
どんなにすっきりするだろう

しかしきみが去るときは
ぼくが逝くときだ

ぼくをなるべく長く生かすように
きみは幾度となく警告を発している

そのせいでぼくは
からだとこころの変化に気づく

きみと対話してきたから
人の言葉の背後に
悲しい音楽を聴くようになった

きみが痛みをくれたから
人の涙に立ちどまり
その意味を考えるようになった


施餓鬼

  兎太郎

ぢいぢい燃えながら おちてくるせみ
餓鬼たちがわれさきに ひろって喰らう
滋養はすでに夏の日にすいとられ おちてくる
せみをいくらたべても 餓鬼の腹はむなしくふくらむばかり

ああ、きみはそんなに無防備に、
せみしぐれに髪ぬらし、樹をみあげていてはいけなかった。
きみは餓鬼にしがみつかれてしまったではないか。

きみを外科治療することもできないで 
ぼくは抜き身のまま 修羅のちまたをさまよった
それから巡礼のいく年月 山こえ海こえ谷をこえ あの縁この縁ほどいていった
いまでは無縁仏のむれのなか

千の燈明は 名も素性も顔もなくしたぼくたちの
影だけをよみがえらせる
あかるいお釈迦さまの胎内で 小学生のようなぼくたち
は臍のない かえるの腹みせあい わらっている
お釈迦さまのおはなしがはじまると きまじめに耳かたむける
 
ああ、きみにしがみついていた餓鬼はもう離れていったんだね。

ほほえみをうかべ合掌するきみの鎖骨のあたりにあかい爪あと
燈明でうるおう子宮
そのねばつく内壁に ぼくはそっと手をふれる  
きみとぼくとの縁はほんのいっときむすびなおされる


 八十八夜語り ー夏嵐ー

  吉井

十四夜
 寝息で僅かに上気した湯呑茶碗が傾いて
 秒針が束になって落ちてきた
 石壁に焼かれた人の影が何度も寝返りを打つ
 
 日焼けした天使が羽根を休めている向こうで
 夏の闇に浮ぶ少女の輪郭が 
 首振り扇風機にあたって千切れそう
 
 差し延べた指先が少女の目に触れ
 巣立ったばかりの小鳥たちが
 溢れでる涙を啄み 寝静まった町に落としていった
 
十五夜
 半尻を出して熟睡している妻のベットに 
 八方美人の神様が下りてきて添い寝している
 その姿を夢中になって撮っている妻が一杯いて 
 望月があちこちに転がっていた


小夜

  雨宮

 
 
ほどけない気持ちが
見えないところで絡まって
ゆるゆると溶けていく途中の
深い眠りを求める夜には
出来るかぎりのやさしい仕草で
こぼれないように
そっと、星を手にとる
 
 
願いごとは
聞き飽きましたかと
吐く息のように呟いて
きらりきらりと
遥か遠く
届かない距離を
感じさせない瞬きは
誰のものでもないけれど、
たぶんこれからも
願いごとは
積もり続けてしまうから
せめてわたしだけでも
この夜に
さようならを届けます
 
 
意味もなく、
辞書を開いてみれば
今日の夜は、星月夜
月のない
星たちだけの長い夜
しゅるしゅると
風が肌をすりぬけて
眠らない?
眠れない、
ほどけない気持ちと
星の瞬き、
そのふたつが
音のない音を響かせて
静かすぎる夜の空に
混ざり合って
混ざり合って重なって
 
 
深い眠りは
もう、すぐそこですか、
手の届きそうなほど近くに
見えそうで、
見えない
身体だけがほどけていくような
感覚だけを置き去りにして
更けていく夜の暗闇に
包み込まれて
またひとつ
瞬いている星を
手にとって、
 
 


Tシャツ

  ミドリ




今朝 部屋にふたりの警官がやってきた
警官は「おまえ、中でクマを匿ってるだろ?
隠すと為にならんぞ!」とぼくを脅した
そして警察手帳になにやらシコシコと書き込んで帰っていった

クマはグレーのTシャツにジーンズを穿き
リビングのソファーでTVを観ていた
「今、警察が来たよ」とクマに話すと
ポテトチップスをピーチのジュースで流し込み
「お前なんか悪いことしたのか?」と真顔で訊いた

ぼくがクマと出逢ったのは偶然といってよかった
南の島の離島を旅していたとき
寂れた居酒屋で話しかけてきたのが彼だった
クマは都会の出身だと言った
そして街を出て 田舎で暮らす良さを懇々とぼくに説いた
そこで握手し分かれたきりのある日の3年目

マンションの隣室で男女が言い争っている声がした
ドアがガンっと開き もの凄い音がしたので表へ出た
水色のワンピースの可憐な少女にグーでのされ
ぐったりとテラコッタタイルの床に横たわっているクマがそこに居た

ぼくは少女に訊いた「どうしたんですか?」
彼女は凄い目でぼくを見た
そしてバン!っとドアを閉め部屋の中に入ってしまった
ぼくはクマを背中に担いで自分の部屋に入った
ソファーに担ぎ上げると
ぐったりと力の抜けきったクマの体はいやに重たく感じられた
200kgはあるだろうか?
腹の周りのお肉がぶよぶよで 
どうみてもメタボ?って感じだった

クマが目を覚ましたのは翌朝だった
ぼくらは
テーブルを挟んで朝食を摂った
トマトとレタスにゆで卵 そしてトーストに牛乳
ぼくはクマに言った
「そのTシャツ、少し小さいね」


 ビー玉として

  殿岡秀秋

ガラス球の奥をのぞく
青や橙の羽根が開く
見る角度を変えると
幾重にも折り重なって
色彩の羽根が続いている
小さなビー玉の無限の奥行きに
少年は憧れる

ビー玉を増やすには
小遣いを溜めて買うほかに
自分のビー玉を賭けて
友だちと競技して
勝たなければならない
獲るか獲られるか
心臓が震える遊び

増えたときはいいが
ビー玉を獲られたときは
宝の山が崩れ
自分を囲んでいたものが消えて
残されたからだがみすぼらしく見える

部屋をビー玉で埋めるために
少年は海賊になろうとおもった
競技なしで
ビー玉を手に入れるために
戦国時代の刀を手にいれようと考えて
計画を友に語る

海賊が欲しがっているものは
黄金や宝石だと
幼い子を見るような目で
友はいう

そのとたんにビー玉は
色のついたガラス玉になり
ゴミと一緒に
母が捨てるのを
止める気力もなくなる

鬼ごっこをしていても
子でも鬼でも
どうでもいい気分になる
真剣さがないといわれて
友といさかいになる

憎しみが芽生え
友の顔から
彼の好きな女の子まで嫌いになり
ともに遊ぶことさえなくなる

そのころのままの顔に
ときおり夢で会うほかには
友の居所すらわからなくなった

半世紀を経て
ぼくはビー玉であることに気づく

海賊が欲しがる宝石ではないが
わたしにとっては
色あざやかだと
ぼくを認める人がいる

ぼくはその人のために輝く
面は凹み
無数の傷はついているけれども
指につままれて


en voyage 旅行中

  はなび

赤い旅行かばん
白いワンピース
青い帽子

水色のシャツ
チョコレート色のスーツ
紫色のネクタイ

飛行機に乗って
ふたりで
黄土色の大地へ
深緑色の熱帯へ
白い海辺の街へ
群青色の森林へ
灰色の曇り空へ

運河でゴンドラに乗って
市場の人ごみで鬼ごっこして
カフェで向かい合って
カメラ構えて気取ってポーズ

迷子になって
口論して
アイスクリーム食べて
夕日を見よう

道に転がるオレンジ
窓辺のベコニア

泡立つ金色の気泡が
ぱちぱち跳ねる

電車とバスを乗り継いで
知らない人にこんにちはを言って
知らない人におみやげもらって

小さな人形
新聞紙にくるまった豆
走り書きの電話番号
くせの強いアルファベ

ポケットに入れたまま
食堂でおとといの新聞を読んでる
ジュークボックスで踊る
女の子のステップ

バネのように子鹿のように
踊るアルファベ
踊る針の音
ぱちぱち跳ねる

赤い旅行かばん
山吹色のワンピース
ピンクの帽子

クリーム色のシャツ
まっ黒スーツ
しましまネクタイ

まっすぐな道の途中
エスキモーの真似して
どちらがよく似ているか
競争しよう

冗談ばかりの陽気な支配人
フロントの女の子
はにかんで目配せ

冷たいシャワーで凍えそうになって
ぶるぶるふるえて
ざらついた毛布にくるまって

ぎしぎしうるさい老人みたいなマットレスに
思いきり乱暴に飛び乗って笑いながら眠ろう

眠りに落ちそうな瞬間
耳元でペンの音が聞こえるのが好き
革の手帳とインクの匂い

誰もいない岩だらけの入り江
少し離れて背中を見てたら
青い空に消えて溶けてしまいそうで
急に怖くなった そんな夢を見た朝

目が覚めてひとりぼっちじゃなくてうれしい
半分ひらいた唇と伸びかけのひげを指でなぞる


飛行機とポテトチップ

  はるらん



床にこぼれたポテトチップを
拾おうともしないで
すぐにいつも新しいのを
買って来る、それが
僕の暮らしのすべてだった

部屋がゴミで一杯になると
僕は足の裏の汚れを
少しだけ気にしながら
ドアを閉め すぐに新しい
マンションの鍵を手に入れた

そんな風に女のコたちと
サヨナラするのは いとも
たやすいことだった
僕がサヨナラと口に
したわけでもないのに
女のコたちはいつも

「あなたは嘘がつけない人ね」
と、笑いながら、しかし、
そのスカートの下に隠してあるものを
二度と見せてはくれなかった

持てるカードはすべて使い
新しいマンションに引っ越しても
ポテトチップはやっぱり床にこぼれ
なぜだろう、僕は初めて
背を丸め、それを拾い
その瞬間、涙が零れ落ちた

部屋に散らかっている沢山のゴミ
いつか缶ジュースの空き缶の
博物館を作りたいと本気で
倉庫を借りようか、なんて思い

ジーンズやTシャツを買ったときの紙袋
スニーカーの空き箱や壊れたアンプ、
ライブのチケットや、切れたギターの弦
そんなものすべてが僕の足跡だったなんて

少しだけ泣いてから
部屋のゴミを燃えるものと
燃えないものとに分けて
Yesだけではダメですか?
Noだけではダメですか?
答えをいつも先送りにしていた僕だった

汚れた服やタオルを洗濯機に放り込んで
グルグル回る泡を見つめながら僕は
先週の母からのメールを思い出す
「お盆は、いつ帰るの?」と

僕はその返事を、たったいまメールした
「飛行機が取れたら帰ります」と、
こぼれたポテトチップを口に入れながら


きみは国境線という概念をもたずに、それをこえていった

  K,y

りん(RIN/凛?)とした手つきでアルファベットを並べるきみの、て、に、あわく(淡く?)、て、を、重ねるううううううう、う、
う。 きみの質問にひたすら、否(INA)とだけ答える。いたるとところが戦場であり、戦場では、ぼくときみとの距離は、実際以上に遠くなる/Ruuuuuuuuuuuuu、運動神経の悪い全ての生物が逃げ遅れては、存在自体を忘れられてしまう。 TEとTEを重ねて、その先に見るものは、いつかの街の風景ではなく、ただひたすら果てのない道が続くという現実(TADAHITASURAHATENONAIMITCHIGATUDUKUTOIU///)…。

ぼくとあなたとの距離というものは
さよなら(さyo-なRぁ)
という何の変哲もない
単なる別れの言葉
の重みを
全く異質なものへと
変えてしまった

「 ふーあー 
         ふーあー? 
           あしたは、まちあわせ、はちじに、はちこう
ふーあー あー、 ちこくはげんきん  ふーあー?
  てをつないで まちを、あるく ふみしめる こんくりー
と      の   みち        あしたは 
  はれ ですか?                          ふーあー?  
  ふーーーーーーーーー ふふふふふーーーーー
これは わらいごえなんかじゃ
ない                    のっ。   ふーぁーa? 」

イーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーNぁ/(否)
忘れ去られた戦場からやってきた
(みすぼらしい)兵隊が
街で発狂する女子高生を確保する
少女性を失わない生物たちは
近所の公園で遊んでいるが
聞き覚えのある音楽が
生物たちに
さよならと言う言葉を
いとも簡単に
吐かせてしまう

だーかーらー




Daaaaaaaaaaaaa…


(あの人はコンクリートが好きだった。夏は熱く、冬は冷たいコンクリートをどうしようもなく愛でていたので、あの人は、あの人の舌で、コンクリートを舐めまわしていた。あの人にとってコンクリートは「まち」そのものであり、また、「せんじょう」でもあり、コンクリートこそがあの人にとって唯一の「素直/SUNAO」なものであった。/並べられたアルファベットは崩壊した。もはや、AtoZの順番は守られることなく、バラバラのジグソーパズルのごとき(ごーとーきー)秩序の無さで、ぼくときみ、と、の、キョ、リ、ハ、マスマス ト オ ク ナル/ノデス。)


皿を拭う

  右肩良久

 トラウト博士が僕に言う。「失われることは、またある種の獲得でもあるんだ。」と。僕は断続して欠落する記憶に困惑させられていた。つまり僕の日常は穴だらけである。あそこと思ったものがここにあり、ここと思ったところはどこにもない。つじつまの合わないシュールな空白が僕を苛んでいる。博士は続ける。
「君の脳は蜂の巣のように浸食されている。隙間だらけだ。だが、この世に純粋な空白はあり得ない。隙間に入り込んでいる何かが、君が新たに獲得したものだ。」
 僕は黙って窓の外を見た。向かいの病棟、三階、一列二十七箇所の窓のうち八箇所が解放されている。中庭に茂る桜の葉は盛夏の勢いを減速し、ようやく色を落とし始めた。


「何か、ですか?」と僕は問い返そうとして、やはりそれは忘れることにした。


 僕は白い皿に布巾を当て、皿と布とを円周方向に動作させることで水滴を除去する。白い皿と白い布巾、だ。次の白い皿と、パートナーをチェンジした白い布巾だ。皿だ。
皿皿皿皿皿皿だ。
皿、しかし倦怠はない。皿は常に新しく、また常に新しい場所へと僕が皿を追い込むからだ。
 厨房の奥では2人の男性と2人の女性が、肉と野菜を洗う、切る、煮る、焼く、蒸す、炒めるなどの動作を俊敏に繰り出している。長靴がコンクリートの床に流れる水をぴち、ぴち、ぴちゃぴちゃと撥ねている。僕の横でフォークを磨いている飯塚さんが、僕に身体を寄せて「お前さ、ほんとにちゃんとチンポ立つのかよ。女にや○○○○○△△み□□□○△り○○○×○□」と言う。彼の手元では常に6本のフォークが扇型に展開し、効率的にこすられて光沢を与えられていく。僕の視線は天井に張り付いて、僕と飯塚さんの二人を斜め三十二度くらいの角度から見下ろしている。食物の匂い。
 今から二十三年前の八月十八日が浸食を受ける前に束の間光を放ったのだ、飯塚さんの磨いた二十三年前のフォークとともに。そして新しい皿。


 トラウト博士の言に従うのであれば、僕は新たな獲得と向かい合わねばならない。それは死と相似形でやがて死と重なる種類の、言葉の介在を許さない、直接僕の主体と向き合う存在である。それについて言及できない存在の、しかし確かな質量。肌の匂い。ため息。


フテクサレテモカオハマエニツイテイルノダ

  はなび

地下鉄が地上から地下へ潜る
風圧が生暖かく内股をなでる
臭い飯だと知らずに食べているということも知らず
知らず知らずのうちに皆帰る家が無い

トランペットからは肺病の匂いがしていたので
取り憑かれた様になって男もまたあちこちの電柱にぶつかりながら
犬の様にして欲しいと泣き叫ぶ女の暗い部分に懐中電灯を照らし
バス通り沿いの青果店の店先で微笑むサクランボの明るさを探していた

日中は晴れて夕方から深夜にかけては雷雨
明日の約束が不意に消えていったので
追いかけるようにして盛り場への急な階段を駆け下りて
空白を埋めるために始めから
目の潰れそうな質の悪いアルコールで注射針を消毒するみたいな素振りで
腕まくりして血管叩いて乾いた大地に足踏み鳴らす瞳孔開かせた民族の祈りに
少しでも近づけるよう心をこめてお願いしながら宝くじ買うのだけれど

ドイツモコイツモフテクサレテイヤガル
もしくはパー子かパー介か
地下鉄の排気口からゾロゾロっと出てきて
スロットマシーンの前で「777」と口ずさむ
ポリティックとメルヘンの共存が
ナイフの突端で滴っていたって
リズミカルな歌のように怒鳴り散らして
ある女 金切り声で「わたしにもやらせてよ!」
ヒステリイ

雨雲がグングンに水分を蓄えて黒く黒くカラスの内蔵のように黒く
イカスミ吐き出すOLのように黒く
ユウキダセ
フテクサレテモヤツラ皆カオハマエニツイテイルノダ


給水制限の朝(Mr. チャボ、正義と友情と愛とナントカと)

  Canopus (角田寿星)


雨は降らなかった 猛暑だった
埃っぽい早朝だった
突然のはげしいノックの音に眼をこする
ふあい なんか事件っすかあ 立ち上がりながら
生あくびひとつ 鍵は開いてますよお
次の瞬間 ドアノブが壊れそうな
いきおいで回って

青ざめた怪人サボテン男が顔をのぞかせる
ぼくは背中をぽりぽり掻いている

「どうかたすけてください」
絞り出すように話す怪人サボテン男は
先週の決闘の痕も生々しく
頭と両腕に包帯を巻いてて 首にはカラー
(そうだ 町内ガマンくらべでぼくに負けて倒れた時に
 火鉢に激突しておでん鍋に腕を突っ込んだんだっけ)
両眼もまだ渦巻き模様のまんまだ

フラワー団の怪人たちは花の改造人間だから
水だけでもしばらく生きられる
ところが折からの水不足で
総統以下 怪人たちに甚大なダメージが
「このままではフラワー団が滅びてしまいます
 人助けだと思って どうかおねがいします」
いやいや君たちは怪人で ぼくは正義の味方で

ぐるぐる目玉の半病人サボテン男とともに
釈然としない気持ちのままフラワー団基地へむかう
街はずれからさらに山をひとつ越えて
「花 売ります フラワー団」の
粗末なちいさい看板が立ってる側道を右にはいる
せまい砂利道をぬけると 視界がいっせいに広がり
いちめんの花畑が
つよい陽射しを一身に浴びて

枯れかかっていた

怪人たちはユリ男もヒマワリ男も土気色の顔で
両脚をバケツに突っ込んだままぐったりしてる
眼を閉じている 顔にセミがとまって鳴いている
バケツの水が緑っぽく淀んでいる
総統がいちばんひどい
腕がぐにゃりと萎れて骨が消えている
おっさん おっさん タケのおっさん
人間だった頃の総統の名前をぼくは繰りかえす

「みんなグロッキーで動けるのはぼくだけなんです」
ふらふらと悲しげにつぶやくサボテン男
…戦闘員A氏は? 彼はまだ生身だろ
「A氏は今は電車通勤です 九時には来ますよ」
そうだよね たしかA氏結婚したんだっけ
フラワー団からの招待状に欠席の返信を出したことを思い出す
みじかい祝電を送った ほんとは行きたかったんだ
ほんとだよ

軽トラックを調達してきた戦闘員A氏があらわれる
「チャボさんは大丈夫だったんですね」
と 流れる汗も拭わずにA氏
ああ ぼくは試作品だから おかげでいつも腹ぺこだけど
軽トラの荷台にはポリバケツが山と積まれてて
きっとあちこち駆けずり回ってかき集めたんだろう

「さ ぐずぐずしてられません 行きましょう」
ながい沈黙があって ぼくはうなずく
「はやく 水を」

水源地へ突っ走る軽トラック
運転席に戦闘員A氏 助手席にぼく
「ぐーるぐーる ぐーるぐーる」
荷台ではサボテン男が
ポリバケツの山といっしょに揺れている
「昔を…思い出しますね」
うん… 戦闘員A氏はマスクの下で苦笑い
ぼくは外の景色をながめるふりをする

この後に起きたこと ぼくらがしたことを
ぼくはここに書くことはできない

戦闘員A氏とかたく抱きしめ合って
サボテン男の肩をポンとたたいて
かわいた朝のなかを
無言のまま
家路についた
喉はからからで
セミがみんみん鳴いてて
バイトを休んだ言い訳をあれこれ考えながら

文学極道

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