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2007年01月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


日曜日の午後

  コントラ


「日曜日の午後」

終わらない日曜日の午後。夢のなかで僕は、草の生えたサイクリング
ロードを母に手をひかれて歩いている。用水路のかわいた側壁には、
雨水の流れた跡がいくつも残っていて、ときどきそれは、人のかたち
をしているようにも見える。午後2時。市役所のまえの広場では、人
類の平和を願うメモリアルが冬の太陽を浴びている。全国の子供たち
から贈られた、色とりどりの折り紙と、寄せ書きで埋まる色紙。子供
たちは歩いてゆく。チューリップの花壇のある道を、手をつないで。
真っ青な空を飛行船が横切る。ドーム屋根の下には涼しい風が吹いて
いて、日が差す天井には赤や黄色の紙風船がゆれている。

メモリアルには、次のような言葉が刻まれている。

『かつてこの土地では/足の長い男たちが投下した/爆弾によって/
多くの命が奪われた/森林や田園は消失し/風景はまっさらな空白に
還元された/それでも/わたしたちは/この空白を愛している/わた
したちは/自由であり/平和な未来を/願うのである』

「空白」

最近の新聞によれば、この街で命を絶とうとする子供たちは、冷えた
冬の夕暮れに造成地の段丘を歩き、葉を落とした木立が空にとどかず
に終わる空白の意味を、どこまでも追いかけようとした。死ぬことは、
本当に空白なのだろうか。たとえば、熱帯雨林の奥に埋もれたた仏教
寺院の、石柱や回廊のレリーフにきざまれた人や樹木の模様の密度が、
人々の生のありかたに端正な形式を与えてきたということ。それはあ
まりにもあいまいな昔のことで、彼らの想像力の一部は、閲覧が制限
されているために、いくつもの数列のむこうに徐々に姿をあらわして
くるクリアな対称を、見出すことができない。言いかえれば、小さな
紙片に「憎む」と書かれたことの意味は、その紙片が朽ちてゆくテー
ブルの上で存在しつづける時間よりもむしろ、投げかけられた一瞬の
微かなインパルスによって、彼らの歩く道の上に、どこまでも影を落
としつづける。

「施設」

いまでも意識のなかに残る、焦点が合うことのない、いくつかの地形
図。たとえば、僕は、子供のころから、クリーム色の建物がこわかっ
た。その建物はサイクリングロードから見える丘に建っていて、そば
を通るとき、僕はいつも母親のスカートの陰に隠れていた。それらは
「施設」であり、等高線のそばにバツ印で記入されている、枯れた
木立に囲まれた場所。建物のなかでは、矯正器具をあてがわれた身体
が真新しいシーツのうえに並べられている。こうして日曜日の午後が
何年もつづいたあと、これらの身体は紙粘土のように水分を失い、や
がて用水路のコンクリートにわずかな痕跡をのこしながら、息たえて
ゆくのだろうか。僕は、廊下のつきあたりの、淡いひかりがこぼれて
いるガラス戸をあけて、建物の裏の、草が生えた空き地に出た。赤や
黄色の花が咲く、チューリップの花壇には、今日も新しい盛土がつく
られていて、そこには子供たちの名前が書きこまれている。

「集合的記憶」

たとえば、瓦屋根の家々に囲まれた田園で人々が、1932年に植えたア
カシヤの木の、根もとに飾られたいくつもの短冊や遺影が象徴するも
の。この土地に初めてやってきた僕らの祖父母は、地平線から吹く風
が運んでくる柑橘類の匂いを、いくつもの樹木を植えて土壌に含ませ
ようとした。ある日、背の高い男たちがたくさんやってきて、この土
地に家を建て始めた。何年かすると、彼らはオレンジの樹木に囲まれ
た中庭で、椅子に座り、評議会を始めた。僕らの祖父母が、侵略者な
のか、英雄なのか。それは足の長い男たちによって、木の板に貼られ
た白黒写真とカラー写真の対比のもとに人々に告知され、説明はなさ
れなかった。日が昇ると、僕らの祖父母はリヤカーに荷物を積んでこ
の土地をあとにした。地平線に続く人々の列が、砂を這う蟻のように
小さくなり、見えなくなっても、あたりに吹く風には、まだ柑橘類の
匂いが残っていた。

「日曜日の午後」

日曜日の午後。洗濯ロープに白いシャツがゆれる路地を、走ってとお
りぬけた。風景が、ガラス瓶の底のように青みがかっているのは、僕
の身体が施設化される以前の記憶だからなのかもしれない。サ
イクリングロードは静まりかえっている。かつて施設をつくりあげた
何百という労働者たちと、足場の悪い土地に仮設された、アリの巣の
ような作業所の群は、それが完成すると同時にすがたを消し、いまは
コンクリートの遺構が、街のあちこちでかわいた日差しを浴びている。
乾いた広場に立つメモリアルはどんな意味においても、中心(Symbolic
Center) を表現しない。かわりにそれは、この街の地勢図を、自らの
内部にとりこんでいる。それは、偏在する施設の中央に建ち、放射状
に延びる通りのすべての方面に、絶えまない監視を行き渡らせている。


ヨットハーバーと小さなアルバム

  ミドリ

ハーバーから出て行く
ヨットの数がたちまちに増えていく春
その背泳ぎのような船の航行に
季節の匂いがする

昼ごはんを食べ終えたマチコが
海を見たいといった
ぼくは灰皿を取り替える
ウェイトレスの赤いマニュキアに目を走らせ
それからマチコのスッピンのままの
唇に目をやった

ショートケーキの生クリームが
彼女のほっぺたに付いている

いまはもう想像もしない
明け方の彼女の寝息とその横顔
ベットサイドの窓際で
東から登り始めた 陽の光だけを頼りに
読書するぼく

ベットに横たえる
彼女のからだ以外に
馴染める存在がいない こんな朝
ふたりきりでいることに
こんなにも深い甘美な 孤独を感じることはなかった

逗子駅前は とても明るくって
コンクリート真下に 埋められた地面の熱気が
街をムッと包んでいるような気がした

そんな春に 彼女と聴いた
カーラジオから流れてくる
DJのくだらないおしゃべりも流行の音楽も
今は記憶の切れっ端として 残っているだけ

彼女と出逢ったのは
ぼくがまだ青年期の暗いトンネルを
抜け出したばかりの
25歳
ふたりの間にはいつも
絡みつく舌の
濃厚なキスのような 会話があった

いったいあの頃 あの時
その日その一日を 彼女とふたりで
どうやって生きていたのか わからないほどに
思いだせないほどに

夢中になって何かを抱きしめようとしていた
指先や両腕の 強い抱擁だけが
そこにはあったような気がした

胸の一番奥に 大切しまい込まわれた
決してひずませることのない
心の中の小さなアルバムが 
今もぼくの心の中に しっかりと残されている


繋音

  藤坂知子



林を包む曲が聞こえる
茂みの奥から草へ草へと、大きく輪をひらき渉っていく
鳥達の息を吸い声を建て、なびく風音をフラットにする
静かに肌の表面をさらい
薄色のまっさらな、君の皮膚に触れていく

わたしは、どこまでも見ている
くさばらの廃虚に横たわり眠る君の、風に透かさればたつくyシャツ
曲の鼓動に揺られ重なりあいながら、心臓から草が伸びやかに生えてくるのを
一瞬の永遠として見つめていた

一日ずつ一日ずつ、君から生えた草は長さと根の数を伸ばしていき、
花なども眼の孔から息衝かせ、集まる虫はからからと君の真上で飛び回っていた

すでに草花に埋もれまみれた体は、かろうじて表情が伺える
無心の瞳はまっすぐに空いた空をみる
そんな君をわたしは無心でみつめた
林を包む曲が聞こえる
いつまでも透き通る冷えた肌へ
しらしらと半音の色が落とされ、
手の付けようもない透明な君が、
少しだけ色付き動いた気がした。
君はまだまだ空をみている
曲はさらに半音をゆるめず、和音の苛立ちを低調にかなでる
林から林へと渉る時、君の体に生えた草がざらざらと天に伸び始める
林から林との中心で一本の枝になりながら、
さらにさらに澄み切った薄色の肌になっていった。
曲が一瞬鳴り止み、一本の道がひらくと、
君が少し微笑み、消えていった
林はざわつきを残したまま、風に生まれ、生まれては昇っていく
君がいた所の君から生えた草も、そこら中にぼうぼうと茂り、どこもかしこも森になった
残った曲から君の声がぼんやりと聞こえてきては、
果てなく柔らかなはじめての微笑みを
目の裏の残像の中で幾度も幾度もかなでている

定まらない足つきで私は、虚ろに大声で唄っていた
唄というよりも、叫びのような唄が、
誰一人としていない森へ知れ渉る。
ただあるのは、ここから見えるのは、一本の遠く続く走る道
君の心臓でひらかれた道
通るのか
光へ向かうのか
声を放つのか
君の冷たさが微かに残った、半音の余韻で包まれる孤高の森の下で、
風が終わり、
もうどこにも、
生という名の声は
聞くことができない
森が、記憶として
残るのみ

* 投稿時の名前は「加藤紗知子」


サイレント・ブルー

  みつとみ

自分すら他人に思える夜。わたしは無精ひげに、アクセサリーの水晶をつける。本を拾い読みし、起き上がりベッドにすわる。マリン・ブルーの表紙に手を置く。こめかみが痛い。胸に水晶の玉がゆれてあたる。外を走るバイクの音。遠くから救急車のサイレンがし、近くの駐車場から話し声がする。

眼鏡を床から拾い上げ、暗い階段を降りていく。狭い廊下をふらつきながら、浴室の戸を開ける。服を脱ぎ捨て、近くの、ラジカセで、FMをかけると、女性DJの、声が聞こえる。明かりが点滅している。カセットテープで、波の音を聞く。浴室に入り、アクセサリーをつけたまま、浴槽に、身を沈めていると、窓の外で、雨の音がしはじめる。眼鏡をはずし、棚に置く。頭の後ろ、港と海の写真が、正面の鏡に映る。

水をすくう手で、顔を覆う。鼻の両脇から、あごへと、指がなぞる。口内炎が傷む。閉じた目を開けると、明かりが切れ、窓の街灯の、青い光に、水面がゆらめいている。体についた、古い小さな傷を上からなぞる。左の手の平の、奥にあるほくろのような、鉛筆をさされた痕。右手首、化膿して盛り上がった痕。左足かかと近くの、肉のえぐれた痕。左腹部の大きな茶色のあざ。ひたいの疱瘡のくぼみ。二の腕の、赤く長い傷は、まだ痛む。手に、緑の長い髪がからまる。

胸にさげた、丸い水晶を指でさぐる。水からとりだし、斜めからさしこむ、夜の光にあてる。金の鎖と、鋭い爪につかまれた球体。

テープが途中でとまり、雨音だけがする。アクセサリーを沈め、浴槽に頭をあずける。正面にある、小さな鏡に映る、前髪のたれた顔は、ぼやけて見えない。水面に目を落とす、と、ゆらぐ湯が、体に手をまわす。濡れた髪がまつげにかかり、水滴が目に流れ込む。左の唇を吸い込む。内側でふくらみ、盛り上がっている。眉をひそめ、ふるわす。

膝を曲げたまま、壁に体を倒し、閉じた目に、静かな、青が、わたしを眠りにさそい、水晶を、唇におしつける。むせび、体をゆすり、水が波うつ。

入浴剤の青が、ゆれる、銀色の浴槽。子どものように身をちぢめ、暗い上を見る。見えない空、夜の海で眠ろうとしている。わたしを支え、静かに手をとって、沖に運んでくれる。曲げた四肢を伸ばし、届かない足の先に、海流がある。つかまれた手は伸びきり、ひきずられていく。風が星のありかを教え、斜めの空にまばたく。潮から、はねる水が、口に入り、口内炎にしみる。乏しい視力に、ゆく先は知れない。腰のくびれに、だれかの手がまわる。わたしを支えるだれかを、認められない。首をねじまげると、風が水滴とともに、目に入る。つむる。風の音がする。波がわたしの首筋をうつ。見えない手が、左の足首をつかむ。肉のえぐれた痕に爪がかかる。わたしの髪は海面の下で舞う。気泡が包む。暗い空が、一転する。下半身にうろこがあたる。青白い肌の女が、わたしをすくめる。彼女の筋肉が陰影をもつ。

太陽が海面の上で、光をはなっている。海中から見上げる空は、静かな青。いく筋もの光がわたしをつかもうとする。女の腕の中、乳房に頭をあずけ、浴室に置き忘れた眼鏡を気にしながら、わたしは子どものように、身をまかす。彼女のひれがわたしの足にあたり、彼女の緑の、長い髪が、わたしの首筋にからまる。海の底、女に抱かれた、はだかのわたしに、魚が、群がる、静かな青。女は、わたしの二の腕に唇をあて、舌をはわせ、歯をたてる。のぞきこむ彼女の目から、わたしは視線をそらす。

ふいに、車の音がする。母が庭先に車を駐車しようとしている。近視の目を開けると、窓から風が吹いている。わたしがよりかかっていた銀の浴槽から、頭を起こす。そのまま、長い吐息を水面につく。後ろの海の写真で、水がはね、鏡にオビレが映り、消える。わたしの、ぼやけた視界に、海がゆらめく。

わたし、しかいない浴室で、折った膝を抱える、アクセサリーの球面。


仔猫のアリーと二切れのビスケット

  ミドリ


目を閉じてママ
ピアノの鍵盤の上に ほら猫がいるから

わたしはビスケットを持って仔猫を捉まえに行く

「目を閉じていればいいのね」
ママはそういって
読みかけの本を パタンっと閉じた
光の射し込むリビングの縁側

「アリー アリー」って 静かにわたしはそういって
つま先立ち 仔猫に近づいていった
あと一メートルってとこで

アリーは不意にジャラン!っと
ピアノの鍵盤を 指で弾き鳴らしたかと思うと
器用な指先で
バッハを弾きはじめた

それからジャズだ
THESE FOOLISH THINGSだとか
BODY AND SOULだとか そんな曲たちだ

それから仔猫のアリーは すべての曲を弾き終えると
満足そうにこちらをチラリと見て
それからわたしの右手に握られた
二切れのビスケットを見て 微笑んだ

わたしは思わずその二切れを自分の口の中に
思い切り放り込んだ

ママは可笑しそうに 笑ってる

仔猫は右手をポケットに突っ込んだまま
左手でグッと肩を抱き寄せて
わたしの唇にそっと小さな
そして大胆なキスをした


懐妊主義

  三角みづ紀

あなたが席をはずしたすきに
アルバムをすべて燃した
昨日の時点で
わたしはころしすぎた
声色を変えるだけで
違ういきものになるのだった


日々
孕む
産みたくない時は
絶対に産まない
産みたくなったら
孕む前に
産んでしまうから
原型をとどめる
すべもなかった


喋る前に潰して
食べる前に捨てて
する前にいって
また
孕む前に産んだ
仕組んだのはわたし


きりすててきたひとびとを
いちいちわるものにして
でないと
わたし
いきもできなかった


この部屋には墓石が多過ぎる


雑なスピードで産んだ
味のない林檎が産まれた
ふたくちたべてやめた


きょうもころしすぎる
あなたがせきをはずすのを
いまかいまかとまちながら


明日も、雨なのですか

  葛西佑也

            私は傘になりたい。
父は雨が降っても、傘をささずに、ずぶ濡れに
なって歩いて行ける。濡れた衣類の重量なんて
気にしないし、他の人も自分と同じだと思って
い、る。(自殺願望のことだって。)

父も私も自殺率の高い地方の出身だ。冬には街
の人みんな、うつ病になる。(酒でも飲まなきゃ
やってらんないよ!)父が豆腐の入った皿を割
り、脳みそのように飛び散る豆腐の残骸/踏み
潰しながら、私は私の食事をしていた。

  、グチャリ (そばでは母が殴ら
  れていた)私の空間からは遠いと
  ころ、電話の音はサイレンに聞こ
  えた。


/何かを救いだと感じる、病んでいる。(止ん
でいる? 救いは救急車でしょう?)私は父か
ら生まれたんだ。分娩台の上、前かがみになる
父から、卵のように。この豊かな国に生み落と
された


  、のです。私たちは生まれたとき
  から、絶望する術、を、持ってい
  る。(個人個人で違うやつを。私
  にとっては父。)幼い頃、大好き
  だった父の背中を見ないで育った。
 (見ないで育ったから、大好きだっ
  た? 尊敬しています、お父さん。)
  虚像の背中だけで、十分だったん
  だ、私には。


生まれたときから、ずっと、弟は父の背中ばかり
見て育った。だから、弟は 雨降り、傘をささな
い。ずぶ濡れの衣類の重量も(自殺願望のことも)
気にせずに。/私は傘になりたい。穴があいてな
くて、向こう側のはっきり見えるビニール傘に。
(できれば、柄が錆びていないとうれしい。)
            「雨は当分止みません
             よ。傘を買ったほう
             がいいでしょうね。」
             と、傘もささず、ず
             ぶ濡れで歩くみすぼ
             らしい親子に言いま
             す。


/私の向こう側の空間では、豆腐の残骸が家族た
ちの足でさらに激しく踏み潰されている。必死に
父をなだめる幼い弟の鳴き声(サイレン?)/私
にとっては、電話も愛しき弟の悲痛な叫びも似た
ようなものです。

外では、雨が ぽつり ぽつり と、降り始め。
(やがてすべてを流しさっていくであろう雨)明
日は土砂降りですか。天気予報が気になります。
私には家族の中で、明日の天気を聞ける人がいな
いのです。「明日、雨みたいだよ。傘を持ってい
くといいよ。」と、私のほうから言うばかりで 

。(私たちは家族ですか?)
自分で割った皿と豆腐の残骸を片付ける
父と、
ひたすら発狂しつづける
弟と、
何か秘めたように黙ったままの
母と、
/私の食事を続ける
 私と、/
みんな孤独だった。

そこにあるのは私の知らない家族でした。十数年
過ごしてきて、初めてその存在に気づいたのです。
しかし、紛れもなく私の家族。/私は、このとき、
初めて生まれたのです、この世界に。(望んでも
いないし、望まれてもいない。)

    /明日も、雨です
    か?みんな。私は
    みんなが大好きだ。
    みんなの家族で幸
    せだよ。母よ 父
    よ 弟よ/私は私
    の食事を終えて、
    ごちそうさま の
    代わりに言います
            


。/          私は傘になりたい。


お運び女

  シンジロウ


だいたい お運び女というものは
母性本能が肥大しすぎている
あいつらは 一番卑しい職業についている
毎日 街角の喫茶店で男を待ち構えている
腹の減った男どもを!!
自分の母性本能を膨らませ
その母性本能をさらに母性で育てながら

男どもは皆 喫茶店を目指す
腹を空かせて!
腹を空かせた無力な男どもを
お運び女が待ち構えている 喫茶店で!
気をつけろ お運び女が待ち構えているぞ!
母性本能の餌食だぞ!
男どもはただ飯を食いに行くと思っている
お運び女のいる喫茶店へ
腹を空かした男どもの顔は
お運び女の母性本能を刺激する
だめだ!!
あいつらの母性本能を
これ以上肥大させては!!

大盛なぞ頼んではならない
メニューのスミに書かれている
それは ワナだ!!
客に追加の150円を払わせておいて
巧妙に隠してはいるが
それは ワナだ!!
お運び女が
ハヤシライスのライスを大盛に盛るときに
母性本能はこれ以上ないほど刺激される
だから やめろ!!
大盛は頼んではならない
たとえ150円払ってもだ!!

お運び女の母性本能は
じっと待っている
男が腹を空かせてくるのを
イソイソと通ってくるのを
待っている
街の片隅の喫茶店で
雨の日も 風の日も!!


町子さん

  巴里子

町田の町子さん、病気です
と、医者は繰り返す
わたしは、待合室の壁にもたれかけ
こわれかけたビデオデッキが再生している映画を、
それがとてもカラフルだったら
とても良かったのに、なんて
決して簡単な治療ではないというのに
いったい、誰のための手術なんだろう
あなたの笑顔には見覚えがありません
あなた、あなた、ああああなななたたたた
と繰り返してみても
だんだん夜が不思議に明るくなるんです
星とか、
犬とか落ちたり
なにかをなくしたみたいな気分で
それを言い訳にできたら
もっと強くなれるような気がするけど
それにしても、覚えることと忘れることは
どっちのほうがむつかしいんだろう
わたしは、もう覚えることをしたくありません
うしろからいつも逃げたくなる人には
やさしい挨拶を、はらわたが煮えくり返って元に戻るまで
やりなさい
ああ、わたしの家には出口が一つしかありません
だからといって
一度入ってしまうと
出ることは簡単じゃないんです
それを知っているから
みんな知っているから
そんなことさえ忘れていると思うんです
町子さん、ねえ、町子さんってば、聞こえていますか?
東京のはずれで
わたし、あなたがしあわせに
今日も明日も生きていることを知っているんだよ


神様

  紅魚


一.
あたしが眠りを忘れるよりも前、
教室の窓からは寂れた遊園地が見えていて、
微かに聞こえる場違いに弾んだヒーローショウの声やら何やらが、
酷い倦怠感と眠気を途切れる事なく運んで来ました。
とろとろと眠りに支配されたまるで夢のような日々は
あたしの声を急速に衰弱させ、
あたしはいつしか
まるでその空間に埋め込まれてしまったように
動く事をやめてしまう。

(色のはげた観覧車がきりりきりりと廻ります。
ピンクの8番が降りて来るまで
四分だけ待っていよう、ね。

ポルカポルカ、ポルカ。
自動演奏の音は二度ずれて、
バラバラに解けて風に散る)

その滅びかけの王国を夢の片隅に追いかけながら、
眠りはいつでもあったのです。

潮風が髪をべたつかせるのであたしはいつも苛立っていて、
それでもとろりとした温水の眠りに絡められるよに沈むのに、
抗えるはずなどない。

貴女方が貴女方の貴女方を貴女方と──。
教室を細切れの貴女方に変えていく教師の抑揚のない声は
遠くなったり近くなったり揺れたり旋回したりしながら、
いつも一つの合図でした。
貴女方、の欠片になったあたしは酷く無力で、
木偶の坊のように項垂れたまま、
次の進化を待つのです。

二.
鈍行列車がゆきます。
乗る人のいない遊園地前で虚しく扉を開け、
それから海の方へとゆくのです。
たたんたたんと線路の鳴き声は、
単調すぎる律動であたしをいつもぼんやりとさせ、
一つ処にとどまらせてくれません。
あたしはいつしか灼けた道を潮風に逆らいながら線路沿い、
海の方向へ向かいます。
長すぎる髪はやっぱり酷くべたついて
時折それで首を吊ってみたくなったりしながら、
ほとりほとりと歩くのです。

泳ぐみたいに逸る胸は
何かに呼ばれているような心持ちですが、
辿り着いたところで誰も待っていないし受け入れられもしない事を
あたしはとても良く知っていました。

やどかり、浜千鳥、蟹の穴。
うちあげられた海藻の、腐臭。
はたはたと風化していくビニルの残骸。

人気のない海岸は確かにあらゆる生命に満ちていて、
あたしは出来るだけ息を潜めて、
裸足になってこっそりと歩く。
足の裏に砂。
足跡の窪みは小さな海です。
船虫がこそこそと甲を這う。
そこではあたしは異質でしたから、
あたしだけ無機質に乾いていましたから、
水を吸い込むばかりでとてもとても肩身が狭いのです。
ひっそりとひっそりと、
潮の馨を呑み込みます。
涙を精製して、
いつか、還るためです。

三.
それは決定的な青。
掻き分けて歩く風の色合いに気付いた時、
あたしは楠の果実の馨に倦んでいて、
聖域からじりじりと敗走を始めるところでした。

弁天池の石の上で甲羅干しをしている亀が
きょろりとこちらを見たのです。
あ、
と思うまもなく、
空気が閉ざされて
その時からあたしは眠りを追うのをやめてしまいました。

教師の声、遊園地の日々。
ポルカポルカポルカ、
さようならの王国、
とろり、とろり、たたんたたん、
かさかさの船虫と、
波の音波の音波の音。
動けないあたし鳥居の向こう。

眠らない日々はひそやかに蓄積されて、
あたしの中の眠りの記憶が少しずつ爛れてゆきます。

清涼な水が必要です。
涙を落としても濁らない、
それどころかゆらりと発泡するような、
海洋性の水です。
眠りの記憶を取り戻して、
あたしはきっと還らねばなりません。

その為ならば総てを許すと、
確かにあたしの神様は言いました。


にじゅう年の熱帯の鳥

  流離いジロウ


まえ触れもなく いま
脳幹へとふりつもる花びら
失われたままの
ことばは 誰のものでもなく
檻のうち側でとまって見える とりの
ちっぽけな孤独

とりとは、誰の憧れであるのか。
にじゅう年ぶりにきた上野動物園は、雲が低く、午後からの小雨のためか、以
前と変わらず静まってみえた。私は所在なく、散乱した印象のあるプラスチッ
クのごみ箱をよけ、樹の枝から堕ちてくる雨の余韻を受けながら、閉園ま際の
とりの檻をみて歩いた。

ちかくの影か、敷地の何処かから、力ない風が寄せてくる。私は、きみを連れ、
始終とりについての述懐を止めない、きみのわずか隣にいて、みじかい私のに
じゅう年について考えていた。

声をうしなうこと
いみを欠くこと
おもいおもいの 
姿勢をうばわれること
思い思いのかたちで 意味をついばむこと
決して とびたたないこと
ゆっくり攪拌された時間が めを
覚ますこと

檻の前で、時おり他人に追い越され、別の他人を追い越したりしながら、私は
いく度かきみを確かめ、その後、檻へと視線をかえした。
以前、私は、この動物園にきて、さらに不忍の池をみて回って、無為に、まる
一日を潰したことがある。いま、私は既知の、けれども名前も知らない檻のと
りを前にして、きみの心配事と、とりの心配事について、何かことばを探して
いる。

檻の向こうの熱帯のとりは、気がかりな羽根の色彩で、奇妙に進化した頭部の
佇まいは、むしろ美しくおぞましくさえあり、殆どじっと動かなかった。予測
のつかないこえの震えや、あまりに永すぎる脳幹の沈黙は、檻のこちら側の私
を、不安にも、何故か幸福にもさせた。

とりよ 古代の
明るい あでやかな仮装と 
羽根に刻印された熱の息吹は
嘘なのか とりの記憶は花びらなのか
わたしの憧れは
誰のものだろうか

私は、不忍の池、とおもわれる上空をふり返り、雲ばかり、何の変哲もない上
野のそらをみ上げた。くらく連続する木立の向こうに、以前ながめた、古びた
ビルの看板があるはずだ。

きみは、誰の夢なのか。とりとは、誰の憧れなのか。
ふいに携帯電話を持ちかえ、とりの写真を撮りだしたきみは、その図像を示し
てよこす。暗がりの、檻のなかの息吹と、機械の待ち受けがめんに固定された
沈黙…。そらには、決して、見えない文字で、私のにじゅう年が映し出される
ようだ。

檻のうち側で いま
とりが揺りかえす
にじゅう年のちっぽけな孤独
途方もなく 花びらが堕ちる
いま
途方もなく
花びらが燃え 
みしらぬ
とりの脳幹が揺らされる

とりよ
とりよ


朗読

  巴里子

電話が鳴っているアパートの一番はじっこの、先月、そこで首吊り自殺が行われた部屋で、詩人の朗読会が開催された。電話が鳴っているが、誰も出ない(電話が鳴っているという描写が正確かどうかは知らない。)、「暗殺的な気分」が晴れ、部屋の中央で傾いたテーブルの上に置かれた電話が、さっきから鳴っている。おまえは、テーブルを囲んだおれらに、ただ反射的にいくつかの詩を朗読している。そもそも詩人の朗読会というものが、この世に存在してはならないのだ。先月、首吊り自殺が行われた部屋では、先月の首吊りの件について、密やかに話し合われている。電話の主は警察かもしれないが、これは、ただのいたずら電話なのだ。「少年は、巨大なカーブの手前で道路に飛び出した。あたしは、運転席を占拠し、スピードを加速した。脳の中は、からっぽになっていく。通りすがりのパトカーが正確にサイレンを鳴らし、近付いてくる。警官は発砲するに違いない。人生は、あたしの人生はひどく平坦だった。」誰も出ない。「自販機の前で、少しだけ紳士風の老人が粘着テープを体に巻きつけ、もうすぐに消えてなくなる思い出を、語りかける相手を探している。」は、かき消された、「助手席から飛び降りたのは、火曜日にセックスした男だった。男は、水曜日には、もうどこにもいなくなる。全ての情報が開示されるとしたら、こんな夜。だけど、あたしの訃報は誰にも届かない。あたしは、その時、少年を轢き殺してしまった、誰もいない街の巨大なカーブの」おれは、ひどく暗殺的な気分に襲われ、首を吊る準備をした。おれの声は、「野球には、投手も打者も必要がない。たった一球のボールを、投げる。それを投手が、打者は、まったく打たない。のにボールが右中間を、右中間を、てんてんとかけぬける。」にかき消された。女の声は、いつもより精力的で「野手が、いない、のに右中間を。てんて、んとボール、を追いかける、かけぬける、ボールを、追いかける、野手はいない。のに野球には、投手も打者も、必要がない。ボールを追いかける、かけぬける右中間。外野、と内野、の境界へ、右中間の外から、内へ、野手は、いつも外野であり、いつも内野であり、追いかけるボールをかけぬける、野手の、野球。」女は、喉が渇いたのか、「のに、投げる、とか打つとか、である。外野と内野を隔てる、野球の、投手が投げるボール、打つ必要がない。」が鳴っている。パトカーのサイレンの音をかき消した。電話の「ボールは、右中間、への、外野と内野の境界を超え、て、んてんと、かけぬける必要が、ない。打者は、投げる。のに野球は、野球である、必要がない。投手のかけぬける、打者の追いかける、ボールを、野球は、必要が、かけぬける、右中間を、追いかける野手が、てん、てんと、一球がない。のに野球、である必要が、」女の朗読の途中で、おれは、席を立った。明日は水曜日だ、というおれの声は、女の朗読にかき消された。なぜなら、女の朗読は、その後も決して終わらなかった。電話が、鳴っている。おれは、ボールを、追いかけながら、この朗読会が終わるのを待っている。なにもかも、平坦だった。この部屋のテーブルだけが傾いて、おれの首に巻かれたロープがきつく、絞まっていく(という描写が正確かどうかは


かざみどり

  田崎

おおくが欠けている
垂直のきりたった湖面の繭に
かざみどりがある。
レンズは青根蔓を束ね
夕方が視域をころげまわる。
深さははい色となって(あおいろを揺りおこし)、
湿地帯の風が注いでいる
その湖に
パレットの絵具がくわれて
いろんな色の煙に
水底はつつまれた。
かもしれない、
と言うのは、
湖面の向こうがわの
風見鶏が
やねが、
家、が
曇る野はらにあるのか
湿った窪地にあるのか
そもそもそっちの世界が
ふくらんだ湖面奥
揺られているからで



湖の厚さは
どんどん増大していく。
巨大な線香花火が湖底で燃えているように
けむりは湖底と湖面を引き離す。
かざみどりの像はいつまでも幼くて、
ぼくはとしを取っていくので
なにもみえないことはないかもしれないけど
たまに
湖水が清んだり
わずかにだけあふれたり
たまに
湖のむこう側に見える。


生きものって尖ってく感じがする

  レモネード

野も町もかなしく震えるので、
ろうそくの火のような、
さびしさを灯し、
生きものは尖っていく、
のだと思う


夜通し続いた嵐が過ぎ去った、朝、
生きものたちは、
消え入りそうに、ほそく、ぴんと、尖って、
軒先や、濡れた木々の梢に、
はりついている


羽根や毛を、つめたいかぜに、ふるわせながら、
毛先から、逆さまにうつる世界を、滴らせて
ぴんと、尖っている


それは、みえるものと、みえないものとが、
かげろうのように、まざりあう、世界
波紋と、沈黙とが、
ともしびのように、せめぎあう、場所


そして、たったひとりの、われわれも、また、
さびしく、呼吸しながら、
尖っていくのだ


平原

  田崎

ぼくのくちびるがきれる、くさのひとつびとつがそれぞれのふるえ
をもち、同時に波状の真円をくるったようにかさねていく湖のみず
うみのようなそれは


平原ではない
ゆうがたになりあさになりよるになり、よるになりあさになりつい
に真昼になり、だれもがふみしめてさりゆくしめった触覚も、みず
がくさのひとつびとつに付着することで遍在をおびただしいものに
して表面張力をうしない、重力にとめどなくひきのばされるままに
じめんをたぷりしめらせていく遠いなき声もそれは


平原ではない
くさというせいめいはおおくのこえを透過して同時に沈溺させてい
く、みどりとあおと透明のまじるたいらなスクリーンの映像を、そ
のはだに無数に移植させながらそのかずは虚数にまでいたって、と
きにたいようを歓待しかぜになぎはらわれあめに受精するをくりか
えし、ほのかなくさのかおりを旅人よりとおくまでひびきとどけな
がらぼうばくと存在するその場所は


平原ではない
からまりあういろとりどりの羽は垂直にむきをかえておどりながら、
おおきな展望台へかぜがこうしんしていくきょだいなおとを、実体
をもつかどうかというちがいで、あるいはそのあいだにあまりにお
おきな断絶があるという理由で、あるいは相互に蜜をあたえあうと
いう関係性のゆえに、あるいはその中心によこたわる時間のふかい
へだたりのために、そのために、ただしずかにみつめていることし
かできなかったそこは


平原ではない
手がみみずばれしていた、そうやっていつのまにかからだはきりひ
らかれほどかれる、そうやっていつのまにかからだはきりひらかれ
ほどかれてしまった、ひろくひろくひろくひろくひろくひろくひろ
くひろく、誕生月まで希釈されていく、ぼくのまぼろしとぼうだい
なくさのスクリーンとがよるに、それぞれのいろを濡らし滲ませ、
ひとつびとつがそれぞれの語りをよぞらにはなしとどけようとする
その中層の、その中層にたたずみながら、くさを纏い身をたおして
いくゆらぎに似たその土地は、


平原ではない
いつまでも


  klo

ぼくはベランダに立って
ジョウロで水を撒き散らしていた
すると水に混じって
小さく痩せ細った男が流れ出ていった

男は先っぽから出た瞬間に元気よく
「おはよう」といった
顔ははっきり見えなかったが
声の感じからしてたぶん微笑んでいると思った

だが数秒後には男の悲鳴が聞こえた
空が急に高く広くなって
ぼくには静かな頭痛がして
地上にあるものは何もかも歪んで映った

顔を突き出して見下ろしてみると
アスファルトの上には
蛙でも破裂したかのような
大きな水の滲みが広がっている

カラスが飛んできて水の上に影が落ちると
それはどこまでも黒ずんで底を漁った
それを見たのは町中で
ぼくひとりだけだった


電解キッス

  稲村つぐ



塩化ナトリウム

失くしてしまいたい部分は

その輝きが

頬に移された後で


チープ

  ユメ

 ぶんこぼんを かった
 かなしい おはなし

 せかいは なんて
 みにくいんだろう

 おんがくを きいた
 せつない ことば

 あいは なんて
 すばらしいんだろう

 おかねで かった 
 これ
 じまんしにいくよ


黄昏譚

  レモネード

誰かが結び目をほどくように
この世からすべての母はいなくなってしまった

それからというもの
わたしたちはわたしたちのてのひらに
なにかしら母と呼べる物を乗せ
黄昏の明かりにそれらをかざし
祈るように透かしてみては
検分し
わたしたちの遠い死までのあいだ
めざめればいつもひとりであるように
とじられたまぶたの裏側で
この渇いた流れを
幾度も反芻してきた
形あるものすべて
不意に流れゆく定めであり
わたしの母もまた
夕暮に捉えられたまま
薄墨となりながされていった

夕闇の台所に
ふきこぼれた鰈の煮付けを
残したまま


歩調

  ユメ

 あお

 たくさんのあしおとたくさんのあしおと
 あっちか そっちか
 たくさんのあしおとたくさんのあしおと

 き

 たくさんのあしおとたくさんのあしおと
 かけあしで すぎゆく
 たくさんのあしおとたくさんのあしおと

 あか

 たくさんのあしおとたくさんのあしおと
 ふりかえる ひまもなく
 たくさんのあしおとたくさんのあしおと

 あお


沈黙

  klo

缶ビールに干上がった花を供えた
電柱にゆれ残る男の影には
まだ何かが息づいている

歯茎から滲み出る黄褐色の目だまのように
倒れた彼の腹を
通行人の影が足蹴にしていく
蒸し暑いクラクションが
激しく回転する水流のように男の後頭部を何度も打ちつける
襟から汗が水蒸気となって湧き上がっていた

彼は 通りの向かい側
市営アパートのベランダから
追い出されたばかりなのだった
男がベランダに立っていると
バスルームの方から
熱いシャワーをかけられ皮膚を焦がされて女が悲鳴をあげるのが聞こえた
もしかしたらそれは
彼女が求めることができたただ一つの悦楽の瞬間なのかもしれない
男はそんなことを思っていた

電線にカラスが舞い降りてきて
夜の空から彼を見下すように羽をばたつかせた
ぼんやりと
そして薄弱とした地上の上をほこりにまみれた貨物列車が通り過ぎていく
音が聞こえた

他の何人もの男が彼の背後に集まっていた
「おまえ、そんなところで何してんだよ、警察は呼んだのか?」とその中の一人が言った、
「おまえは、本当に、存在する意味がないんだな、自分の女も守ろうとしないなんて、さっさと消えろよ」
そして男たちは喚声をあげながら女を組み敷いてばらばらにした
彼の目の前で女が犯された
すべての吐く息が
町の明かりを受けて交合に引き込まれていく自分を耐えるあえぎに聞こえた

男はそのとき真夏の空の元に腐り果てていく一本の木のことを思った
彼はひたすら沈黙を貫くことに決めた
沈黙を信じ
その場を動こうとしなかった


イルカの背に咲いた傘

  藍露

まいにち生まれ
まいにち死んでいる。

黄ばんだ天井からはひどい雨漏り
ぴちゃん、ぴちゃん、ぴちゃん、
壷に入った水
溢れては流れてゆく
雨は止まない

この部屋にはイルカが棲んでいる
留守番電話にメッセージ
「生きている?/生きていない?」
イルカは赤い壁紙に身を寄せて
伝言を聞く
ぴちゃん、ぴちゃん、ぴちゃん、
イルカが跳ねる
赤い壁紙はびしょびしょに濡れて 剥がれてくる
下にはイルカの赤ちゃんの絵が描いてある
雨漏りで滲んでゆく
イルカの背に咲いた傘
白いマーガレットの花弁で出来ている
染み込んでくる
染み込んでくる

絵の具をぶちまける
滲んだ絵も垂れて混沌として
部屋に棲んでいるイルカも騒ぎ出して
歌をうたっている

眠らない花冠を作ろう
マーガレットをたくさん集める
その間にも花弁は散ってしまって 流れてゆく
ぴちゃん、ぴちゃん、ぴちゃん、
りゅう、りゅう、と世界の果てへ流れてゆく

イルカは留守番電話のメッセージを繰り返し聞いて
歌をうたっている

床は水浸しになって
フローリングが解体されてゆく
螺子、neji、と螺子、neji、をつなげる
つながらない
つながらない
溶接する
切断する
溶接する
切断する

真新しい板が用意される
青いビニールシートが散乱していて
ところどころ破れている
乾いた板に水玉模様ができてゆく
開けっ放しの玄関
宙ぶらりんのとんかちが揺れている

ぴちゃん、ぴちゃん、ぴちゃん、

まいにち生まれ
まいにち死んでいる。

雨は止まない。


残酷のひと

  三角みづ紀

透明な硝子でできた様々な形の花瓶を気違いみたいに
並べて
それぞれに千日紅を三本ずつ
飾ってみたい
なんて思うのです
いじらしく
控えめに
凜としている
千日紅のような
にんげんになりたいのでした


抗うつ剤が倍になった
飲まないけど


あの子がくれたメール
千日紅のように
あまりにも凜としているから
心臓が
くしゃり
と音をたてます


眼球から
きれいに剥がれ落ちたもの
儀式をしましょう
体の芯から冷えていくような
そんな儀式を


可愛いあの子の柔らかな言葉がわたしを紡いでいきます
気がつけば脇の下に潜り込んでいるのです
あの子には
わたしとはまるで違う血液が流れているのだけれど
いつか
わたしの本当の子供みたいに
それすら同じになるでしょう


枕元で鳥獣戯画の動物たちが踊っている、ミシンがやたらと音をたてるのだ、焦りを噛み砕いた、いかようにもなってしまう朧気な生活、処分した処方箋たち、あまりにも濃い写真たち、眠ることのできない事実、満月が恐怖、いやらしいもの、いやらしくないもの、枕元で鳥獣戯画の動物たちが踊っている、おかあさんなぜわたしをうんだの
なぜわたしをうんだの?


いま血が流れました
早川さんの
いい娘だね

繰り返し聴きます
際限なくあの子のことを連想しました
あの子はとても千日紅だから
まさに
奇跡のひと


あの子を壊しているのは
きっとわたし
そのことに気づいた夜
なんて取り返しのつかないことをしてしまったのでしょう

鳥肌がたちました


夏至の祭り
てのひらがやたらと遠い
水面に浮かぶのは
海豚の玩具と愛くるしいあの子
抱きしめてもいいでしょうか
涙は
赤裸々に流れるから
海水みたいな味がするのです
気づいていたんですね


わたしが毒
わたしが薬
宝物はあの子
空はいつ見ても空である事実に驚愕しました
知っていたんですね


わたしは懲りずに生きています
千日紅のようなあの子のために
生きるのです
いつまでも生きていますからね
千日紅のようになりたくて
生きるのを止められないんです
止められないんですよ


六道の辻

  すなめり

精霊迎えの鐘が鳴り ぼくのかたわらにぬるい風が降りてきた。
そこにいたのは赤い浴衣の十歳くらいの女の子。

ああきみだったのか 憶えているよ。
きみのほうこそ よくぼくのことがわかったね。
きみが幼児で ぼくが高校生だった頃
ぼくはうどんをふうふうして きみの小さな口に運んだことがあった。
それ以後ずっと会うことはなかったのに よくぼくのこと憶えていたね。

「おんぶしてもらっていいですか?」
女の子は迦陵頻伽(かりょうびんが)の声をひびかせた。
その声はぼくの胸の底なき底に反響し 夜の海の立ちあがってくるのが予感されたけれど
それは予感に留まって 井戸からからい水の溢れてくることはなかった。
かがんで女の子に背中をさしだすと やわらかい重みがぼくの肩に来た。
ぼくの全身に夏の終わりがじんわりひろがった。

十四日、十五日、十六日、とゆるやかな坂をぼくはのぼっていった。
この世の大きな夏はすこしずつこわれていった。
坂の上には西方浄土の涼しい風が吹いていて
同じような歳頃の同じような赤い浴衣の女の子が待っていた。
「ここまででいいです」
迦陵頻伽の声がして ぼくの背中は軽くなった。
待っていた女の子はぼくにぺこりとお辞儀をしてから、
護法童子の黒目がちのくりくりした眼で ものめずらしそうにぼくを見詰めていた。
そしてふたりは二ひきのりゅうきんになり 宝珠をころがすような笑い声を立て
ぷるぷるぷるっ、ぷるぷるぷるっ、と身をふるわせながら消えていった、
観音さまの手によばれ、無量光の胎内の暗い水のなかへ。


悠久山

  レオ

マッチ箱を連ねたような電車はN市の市街をでて
まだ冬の景色をのこす田んぼの中を東に進んで行く

終点の駅 ホームの砂利の上にぼんぼり堤燈がともり
人々の群れを導くように丘陵の深い森へと続いている

この橋を渡る時は親指を隠すように手を握るのよ
そう教えてくれたのが誰なのか私は忘れてしまった

山椒魚のかたちの小さな池にかかる苔むした石橋
約束を忘れた子供は親不孝な子になるとの言い伝え

ハラハラと舞う薄紅の花びらに包まれて
先祖を祀る社へ連なる石畳を上って行く

黒い空を覆い隠すように浮き上がる花びら
ひとときの命をくれないに染めしばし戯れむ


風を釣る

  草野大悟

ずっと
風をさがして生きてきた

たとえば
こんなよく晴れた朝には
釣り竿をかついで
山に行くのがいい

頂につくと
草原に寝ころんで
釣り糸を垂らすのがいい

錘はつけない
もちろん
はりも餌も
つけない

ただ
青空に
釣り糸を垂らすだけがいい

そよふく風を釣るために
はるかな風を釣るために

文学極道

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