#目次

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樫やすお

選出作品 (投稿日時順 / 全23作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


  樫やすお

私は貧血のまま図書館の椅子に座り続けていた
はじめ目の前がしらしらしてきて、まっ黒になったのだ

目を開けていた

太陽の温かさを感じたが、光の痛みを感じなかった
私は視力がもどるのを待っていた

私は目に見えないものを一切信じない
梢のはずだから、その音を潮騒とは思いたくなかった

静かだ、右前に座っている人の感じが掴めない
血が再び色を染めればまた現れるだろう
きっと、そこにある

光は見えなかった

私の視覚はいま何を映しているのだろうか
そもそも何を見てきたのか
いま見る私とかつて見ていた私は何か

私は神に、種明かしを、本物を見せてくれと祈りかけた
理性はそれをすんでのところで喰いとめた
そして永遠の墓標にそれを刻みつけた

        *

安楽が訪れた、視覚が回復した

私がまず見たものは、
所々の影が白く塗り潰された図書館だった

右前の人は顔を伏せて
青く細長い指に支えられた本を眺めていた

彼女、はいきなり身を乗りだして私の喉に噛み付いた

        *

こうして私は白いベッドの中で四つ目の視覚を得た
 


庭木の皮

  樫やすお

私は知れないと悟った
それでもたくさん近くで見た
アスファルトに、
川辺で、


あれです
街路樹の数千の鱗
――その思惟をとらえる

憶えています
すすきの原っぱに居りまして、
生殖がごわごわしておりまして、
――その思惟をとらえる
だから引き抜いてあげました
――アア、
引き抜けば
彼らはケラケラ笑って死ぬ

部屋にいても
街にいても
耳の後ろがイライラする
夜の草むらのコオロギ
触りたい

思惟
南山を見る
あら思惟
ああ
思惟です


風土

  樫やすお

今朝、飼犬の、黒い、目を見ていたら
撫でるのをやめてしまった

私らの風土は、砂漠に発生した、
畸形ブナの性別だ

閉じられた窓辺の夢が、今日もまた尾をひいて
――ソラ、飛ンデイク
夢が
風景から風景へと過ぎ去り
もう私はただ、ひとをおもいだす
いつかは一日でも私の世界で死にたい

私らの風土は、ほら、
それすらが夢だった

  *

私は一人の藁
咆哮と華麗なオーケストラのどまん中で
自分の尻を握りしめて勃起した
そして
空ではないどこかへ吹き消える


高原に草々が次々と遠くへなびく
狂想曲をぶちまけながら
風が張り裂けるのだ
灰色の霞にある太陽はほんとうに赤い
何か不変のものがあるような気がして
今日も私らはどこかで愛撫しあう

こうなったら合葬してくれればいい
木の歌を聞くひとなどやりきれない
あのひとは、どうしたらいいだろうか?

 (今、坊主が崖から俺をぶん投げようとしている)
 


心理を疑獄する狐の疑惑

  樫やすお

ブナの森には雨が降る
白い蛾の何匹もすれ違う中
いつの間にか、そこにある
手に取ることができるのは緑に染まった雨の色

埋葬された密林の奥深く
残されていた いつかの冬の白雪は
雲雀の声に甦る
海面の亀裂
光が洩れる蒼の襞

風景の その風景の霞む森
ここが
森なのだ
と 触れる霧

枝を払って進んだ先で 白い蛾を五匹つかまえた
指の間の雫のように 零れて風に浚われた

不思議な声がする
「私はここにいる、分らないだろう? 」

この硝子のような森と雨
遠くからの印象は
確かにそれと知れたのだが
 


一つの風景のスケッチ

  樫やすお

硬質な林檎は凝結している
手にとって捧げる物は
並木道に人々は傘をさして行く
紅いハイヒールの逆光を感じ
塵が宙を移動する
格子の目を瞑り
そっと静まりかえって
森が固い感触を持ち
「私」の塑像が
多彩なカーテンに包まれて
白さを増してゆく
観念であり
芝生の複雑な緑に囚われている人々の
「原像」は「時間」と「音」であり
「私」は「原像」を所有していない
(ベランダに立ち
並木道に降る雨を聴く)
深部に消えて行く印象に
追いすがり 抽出される
piano 月
土に 落とされてしまう
雨に混じっている
レールが軋んでいる
区別するとすれば
それは 一掴みで逃げてしまうだろう
植物を手に取ると
『理解できない感触』
或いは
『何らかの感情を探る』
この枯葉は「死」か「孤独」か
「私」は隠喩にまみれて
歪んでいる 歪めている
痴人の識別する無我の我
言葉の無い裏づけ
裏づけの無い言葉が発音され それは意味する
写真を何枚も燃やし
煙が色を含んで立ち昇る
体が膨張していくような開放感が
次々と闇に葬っていく
空虚で内面が研ぎ澄まされてゆき
それは 限りない球体のはじまりの地点でもある
真空の内部を「音」が掻き乱している


居るのが嫌だった

  樫やすお

忘れてしまったこと、
怒りや悲しさ
まとまった思い出と
人々のたくらみ。
力の美しさは、
絶えず人々を向わせる
ファシズムだ。
だから僕は、
単純な自然か
素朴な都市の中に隠れる。
そして憧れは
音のない世界へ帰るのがわかった。
家を出たときから
気づいていた、
柔らかいつまさきは
遠くへは行かないこと。
待つことを知って
はじめて瞬間が熔け出す。
カーテンの中に居る
諸々の、
求める人
求めない人
そんな理由など始めからなかった。


slime

  樫やすお

交尾する植物
わたしは牧草をたべる
木化する皮膚
凋む闇を握る
陽が昇っていた

岬の
墓場の空白を埋めるように
やさしく膨らんだ花
季節は
仄かに息づいている

爛れた海女の頬を撫でる
泣いているのは
わたしではなくて
どこかの遠い中心だった

恐怖を待つ
静かな森
都市に生きる虫の
あたたかい笛の音

無数の四肢が再生する
枯れ木はわたしを愕かせ
山の輪郭がこぼれた


冬の雨

  樫やすお

猫は町に行く途中に殺されるであろう
雨後の漁港に繋がれて
少女に手を引かれながら殺されるであろう

私はガードレールの下で歩き疲れて長い間眠っていた
日本海に目を瞑った深夜だった
地下茎は凍てついて
再構成される記憶の中で
今夜も夜行列車が新潟に向うな、と
レールの軋みが聞こえて目を覚まし
列車がフミキリにさしかかると
眠りの中に、
ぼそぼそと低く呟きながら揺すられる人々が現れる

ぼやけた私たちは海底のゆるみに走り書きされた
港町に住む少女のピアノ線は
明け方に張りつめて、
膨らみあう両目を向け
水平線を押し殺そうとしている
少女ははらはらと熱を重ねて
誰にも見られないように舌を噛み切った

なにげなく小刻みしている波頭に
しなだれていく私の影も何度も死んだ
次々と思いに換えられてしまう
沖に奪われてしまった
ガラスのような色

何かを残されていったような気がして
私はたくさんの貝殻を蒐集した

電柱の重い骨格だけが空にかかり
ベランダに隅なく日が射した
海浜をめぐる裸足が
曙光を踏み分けて進むと
猫は強熱にうなされて
今朝、
工場のドラム缶の上で轢死した


驟雨

  樫やすお

冷たい雨滴を吸い、縁の下には昔のままにスニーカーが投げ捨てられてある。苔むした石畳の崩れ目に落ちていた懐中時計は私の耳朶に鈍く縋りつく。
その秒針の音の底澄みに、凍えた男の濁声が執着していた。彼女の足音だけが鋭く露を刺し、頬から多くの瞬きが零れた。

私はそわそわして木の皮を梳っている。

橋桁のそばで捨て犬が鶏の脚を銜えて佇んでいた。暗闇に、その双眼の潤いが脆く像を繋ぎとめ、空獏を見つめている。

公衆トイレの窓
堀の中に飛び込んだカラスが
溺死し
月は揺する
極度に緊張して柔軟性を失い
舌が
闇の中で湿りつく

墓石は空間に重くある。
人々は知らず顔で、トタン屋根の貸家をとり壊すことにいつまでも夢中だった。夜風の中に、剥がれた茜色の塗料は川面を底深く沈み、貧しげなフナに呑み込まれて重量を失った。

土臭い残雪にぽつぽつと
足跡を辿ると
カーテンのほつれ目に
青白くヒヤシンスが湧き出した

私はその軒下で雨止みを待っている

夏にできたつばめの巣には、生きなかった卵が残っていた。その一つを手にとって握り潰すと、枯れた粘液が硬い手首を伝って、袖口から私の体温を貪った。


よく陽のあたる場所にて

  樫やすお

朝霧のなかを
葉のさきをすべる つめたい
雫のように
流れた 
天井の水 あれは私の
カナリアの飲み水だ

ぶわぶわとふくれだした
トースターのうらの
ものの影から
カナリアは死んだ
床のうえで
あわの実がちらばって
あなたは羽を焼かれ
カナリアは
うすい翼のさきに風をうけて
明けきった空に鈴の音を聞いた
あのときも

あなたは露で身をぬらし
古い土に寝ころがっていた
瀬のきわでは蛙たちはもつれあい
一匹は石のうえでないていた
私は私で昔のオルゴールのぜんまいを回し
なんだかうれしくなっていった

あなたはとても重く 
籠の中でぼそぼそと
ちいさな影を揺すって
しゃらしゃらと目でわらう

鈍く漂っているように
籠の底にしがみついていて
もう昔のあなたのようには
うつくしくない

たたみのうえに糞をして
陽の中で死んだ
あのときのあなたのようには
うつくしくない


無常の

  樫やすお

公園のトイレのガラスのない窓で
固い土に生えた松がゆれ
一羽のカラスが枝を越え
ボートを押した浅瀬
私はそこで足を止め
糸雨を浴びる
目をぬらし
捨てられた傘がばたばたと動くので
動くので、私は足を止め
追い立てられたように
顔を赤くする

 ★

踏み固められた地べたの
ブランコの下
が見えた
リボンは夜闇に赤く
もっと長くのびる
便器で圧された尻
を這うギョウチュウ
白い生き物の巣を一つ抱えた
窪地が 木が
不思議に怖かった

 ★

(ばばに乳を吸わされた)
箪笥のつめたい錠前を舐めた舌で
御前の傷口にキスして
やろう
引き出しの十円玉は
御前に全部
呉れてやる

 ★

仏壇の障子に穴を開け
空は明け
薄い窓のモザイクを漏れた
それは夕日
赤ん坊のようにして
足を止め
黒い金具ばかり見つめ
私はたしかに
死んだひいばばの声を聴いていた

私はすぐに襖を開けて返事する
「なにー」
 ――聞こえますか?
「なにー」
 ――聞こえますか?

ワタシノコエハキコエマシタカ?

 ★

なにが聞こえます 残響は
ピアノを弾いているのは
私です とどめることは
できません 
叩きつけられた音で
河畔がゆらめいて見えるのは あれは
私です とても長いあいだ枯れ葉に
圧されているのです

 ★

身をゆすり そうしてあなたは
世界のなかを
閉じました 私の傍へきて
たちなさい

――響きは、
  聞こえますか?

 ガラスのない ガラ
 スのない窓で松がわれわかれ私は
 死んだひいばばの声を聴いていた
 
 ボートを押した浅瀬
 私はそこで足を止め
 糸雨を浴びて
 目をぬらす


黙契

  樫やすお

人の影が
また私を迎えた朝だった

「さようなら」

朽ちたベンチが
おまえの居場所だ
だがそうやって目が覚めたときに
おまえがいつもそこにいた


(ここから消えてしまえ)
おまえはもはや肉声しか聞こえない
鉄柱をこする陽の音がする
おまえの行く先もまた
反転し続ける


(外部ではなくて内部から)
すがりついてくる肉声が
水上でわれた
それまでの視線から逃れでた私が
すでに包まれていた
それまでのほんの数瞬の間を穏やかな陽にあたり
おまえは
池の底に身をたくわえている魚類の皮を剥いでいた


(それは銃声だ)
足跡にそっと触れる 
地べたでもがきそこなった人間が互いの背中をさすりあっている
おまえを呼んで
皮だけでかろうじてつなぎとめられていた右手がぼたりとおちた熱を
おまえは感じた
ほらそこに おまえの足許に
窓の床がある
尾びれを
木陰で休ませてあげなさい


(わずかな位置をずらしあい)
吹き消された
水面に静もる雪のように
覆いかぶせてくる森の
繁殖がたまる
雨にぬれた羽がほぐれたときに
それもまた陽にあたる
葉をふるう薄靄の中を歩く
土にこぼれおちた何もないようなひしめきが
やさしいステップを踏んでいた


ほころぶひとみ

  樫やすお

ペダルを返してく
橋の下で車輪が転がって
そのままうろうろと水草が揺れているあたりまではまりこむ
固い手すりにこすれた手でもちあげようとしても
あがらない
水辺が日と移り
絶え間なくマンホールに転ぶひとたちが
朝に
私んちの木を折ってった
水がしみてきて
これもまた
立ちあがろうとしなかった


(古い牛乳瓶を拾う)


そのかすれた緑色の文字は
夏に歯を見せあって
私の知らない遊びが
ぶちわっているオタマジャクシの
目のない顔を
少しだけわらい
思いがけず集められた河原でながいこと
殴りあっていた


(ペンキのしたの廊下でぽしょり)


すたすたと歩く先生の跡から
ふるえている
土管のなかでのように輝くしずくを点々と
しぼり
すべて干されてしまうまで
音がする

見送った


(夜が近づいているよと言われた)


胸がすっと
風にのり おくれ
遠くのガレージで
シャッターのしまる高い「音がする」

私がハッとして
見ていた


地の船

  樫やすお

地底はあつく盛りあがり覗きこむようにしていた
船室のカーテンがどのようなリズムで揺れるのかそれだけが心配だった
うずしおを手の中でまるめ
私は更地にこぼされた砂粒をふみつけた

まあたらしいジャブローの水を
爪の先にあてがっておくと
ひとりのゆるがしたまなざしが
遠くもってゆく
もちこたえて
泥から与えられた尖った指先が
水上に描かれた文字がこぼれるとき映しとるほどに
精密な「水浴」について
囁きかけていた

私は線上に転覆してゆく船腹の横に隠れて息を継いだ
そのときは見つめ返すだけだったから
色の抜けた水面がうち混じれて
重なり合ってくる
空と空
に耳を傾けて落ちていた

額に息を吹きかけるように
めくれあがる葉のうらの一枚一枚が
流れにひたされて
魚類の粘液がその気孔から洩れている
私の虹彩にすりこまれてくるこれらの残像が後からするすると抜け出して
波の上を濁らせた

複眼レンズで捉えられた穴のない裸体のようなものが浮かびあがり
喫水線を呑みあげて
粗い光がその隙間を埋めている


(わるい思い出でなければいいのだが)


もう動けないくらい私は足を地面に差し入れて
たなびいている桃色の花弁を
鼻先に吸いつけた
新聞紙が燃えつきてゆく速度で滝を啜る遺伝が私に与えられ
ほんとうにそういうものがあればいいのだが
いまはそれも洩れてしまうから仕方ない
いつかの浜辺に打ち上げられていたまだ腐肉のついている鯨骨がそのときに現れて
その眼の在った部分が赤くひん曲がり
私をよこめで睨みつけて
風の中に消え去った

こうしてテレパシーというものがレールの軋む音の後に感じられ
私のような受体に垂れ流されてくる
これらの喚声が
次々に波の上を濁らせた
それらは黒い浮腫のように水面で詰まり
時折森の鳥たちが啄ばみにやってきた


(めずらしい歌声を持っているな)


鳥たちの囀りに気づくまで
私は立ちつくしていたのだが
いつしかこのうすい胸の動物を強く握り締めたいと思いだし
一足毎に重心を移動させていた
そのたびに土塊が植物を纏いつけてえぐりだされ
私の叫び声の代わりに喉の奥から多くの原油が溢れ出した


 *


鳥たちの眼は黒い沼のように吸い込まれている
憔悴した後の足がさらさらと水をたどり
樹木のようになった私は
鳥たちの屍を上空に繁らせた


「インスタントクラブ」と記されたチラシ

  樫やすお

(車輪をつめてゆく土手で)

水面を繊毛が波うっている
よく見ればそれは日に焼けて日だまりをすいすいと持ち上げて
後ろからついてくる
船べりは岸辺に乗り上げてしまって
「腹減ってない?」と独り言を私は言った
このとき地元の青年団は結婚式を終えたばかりで
豊満な黒目から
たのしみがつきないように
少しずつ残されてきた男たちをあやし
立派な箱に入れられた杯をうけとらせていた

 *

これでもう安心立命大丈夫
地表から払いのけられたのだな私
すこしでも
「わらいたいところだが」
こんなことだったらそそくさと筋骨隆々たる男たちをつれてきて
殺すために持って行かせればよかった

(スカートにこびりついているよ塩が)

大写しにされた塩が
何かひとつでも疑問をもちかけてくると
私はふんふんと頷いてやった
電信柱に貼られてあるこれらのチラシには
電話番号と時間が記載されており
ほんとうのことは教えない

ちょっとでも郊外に出て行くと通過して行く
自動車は無数に
尽きることがない
スニーカーに泥がこびりついていて
私はそのことも知らずに橋桁のそばにしゃがんでほおっと上を向いていた
陸橋の上を細い腕があらわな女たちが素通りし
船底を抜けてくる海水みたいな音がして
私は落ちていた雑誌を傘の先に引っかけて手繰り寄せていた

顔をあげると背骨がぱきぱきした
隣にいたまだ若い男が降ろしたザックからガスコンロを引っぱり出してお湯を沸かしはじめ
石と石のあいだの雨水が溜まっているペットボトルにぽつぽつと
再び雨が降り
それはどこまでも足をのばして


「死んだか死んでないかはわからないけどさ(と男は会話する
  明日のこの時間には
  単独登攀するんだ
  俺もどこまでもついてくよ
  だからおまえにもとっといてほしい(と男は私のしゃがんでいるそばにコーヒーを置いた


「最後くらい軽やかに決めてくれ(と私は橋の裏を仰ぎながら言っていた


いつしか私たちは浮かばれるんだろうか
と聞かれ
私は頷いた

(それはいつなのかわからない、時間との約束だった)


蝶々

  樫やすお

また私の、悲しい試みが笑われたそれは私が
ちゃくせきしていると僅かな沈黙を隠すため
に仕方なくわき起こるものなのだが私はそれ
に耐えなければならなかった、沈黙に
                 遠く及
ばない地点から海がはじまっている」そこか
ら水源までの距離を踏査しつくしたものは誰
一人としていないしかし「かつての地上」か
らそれを絵に納めようとした何人かの見知ら
ぬ友人たちが歩きはじめたのもあるいはこの
地点であったかもしれない。


見つからない
      一つの木陰ががやつれた私には
必要だったのに/(多くの時間を費やして蹲
っている最果てで)結局むすばれることのな
かったむなしい宙を埋める試みに「沈黙であ
ったがゆえに」跳梁する私たちは電線に引っ
かかっていた……


「朝起きたときにはもう朝は過ぎていて、そ
の日の朝刊にはたくさんの事件のことが載っ
ているのだが私は構わない何が起ころうと、
私を助け出すか他人を助け出すかそれはどち
らもふさわしく思われるのだが、」何より大
切であったのはこの蝶/ここを自由に行き来
する

  
羽音に合わせてりんぷんが部屋に満たされた
私の呼気はやがて高まってベランダでたばこ
を吸っていた見知らぬ友人が砂を一握り下さ
った。


ニナ

  樫やすお

わたしには子供の頃にニナという
アメリカ人とニホン人のハーフの友人がいました
目の色はつやのない青灰色に曇っていて
虹彩の形が黒くくっきりとしていました

ある日ふたりでシーソー遊びをしていると
日が暮れて
公園の木の上にはたくさんのカラスが舞い戻ってきました
自転車に乗ったひとが大勢やってきて
彼らはわたしたちをじろじろと見つめて
肩で息をしていました

ガラスに夜のにおいが沁み込んでいました
わたしたちの手は
鋭いガラスの破片を握り締めていました
わたしたちはただ茫然と
たくさんのひとの前に立ち尽くしていました

「帰ろうっ」とニナが言いました
すると
大勢のひとの胸が突然戦慄きはじめて
わたしたちを捕まえて
殺そうと、
機会を窺っていました
さらに多くの自転車が
3本しかない公園の電灯に照らされながら
わたしたちの前に停まりました

ニナの顔が水中でのように青白く膨らんで
脱脂綿に血が滲んでゆくように
わたしたちの視界からぼやけてゆきました
「やめてぇ!」とわたしは叫び声を上げました

誰かの首筋に鎖が耀いていました
ニナはその鎖を手繰り寄せるとそのひとに
そっと微笑みかけました
ニナはまるで天使のようでした
やがて彼女は目を瞑ると
アスファルトの暗い淵へと
静かな灰となって消えてゆきました


オートマティック

  樫やすお

昨日と今日という区別はくだらない
ただのっぺりとしたものに彼らは乗っていて
そうしてどこまでも全自動で
いけると知っている

ぼくは黒板に目を向けたとき
必要なことすべてをやってのけていた
ただし緑色の粉が水槽に落ちたとき笑っていたものは
たいていが死んでいるか
死にかけているものだった
死すらも劇的だ
ぼくは彼らの性愛にも見飽きたら
成人式の後の残滓ともども彼らが
プロペラに挟まって死ねばいいのに
と強く願うことになるだろう

粉々になった剥き出しのガラスでも
それが風に吹かれていれば
誰も痛みを感じない
それと同様に
少なくとも彼らだけは
自分たちだけで何かをやっているとは
まったく信じていなかった
それでやたらとわめきたてるというわけだ
その馬鹿さ加減を身をもって
表現することが狙いだったのだ
感動的なんだ
きもいしね

美しく生きるということが
ありうるとしたら
成り行きのほかにはないのかもしれない
それが奇跡かどうかなんてぼくにはわからない
でも破れたビニール傘をさし
星の光をよけて眠る不思議な夜が幾夜かあっても
ぜんぜん困らない
役にたたないしね


  樫やすお

わらうふりはやめろ
内部の閃光へと
むなしい風のこがれは身を散らす
苦い胚乳があったから
木が真っ先に倒れて
おれは厚い炎に包まれる

おまえの言葉には終わりがないから
聞き飽きた
風のように頭をぶん殴ってやる
痛みをとがった角膜に溜めておけ
おれたちは地底で殴りあう

 *

ぎしぎし鳴らして生まれでた
するとあらゆるものがマグマを呑んでいる
水が根を浸せば空にも枝がのびるのか?
はじめから枯れているものはもう見るな

骨を燃やしたら
空気には毛が生えた、誰もこたえない
背骨のなつかしい時間帯
遠い、
何度も訪れた見知らぬ地名を口にすると
おれのヘッドランプは
ちょうど電池が切れそうになっていた

 *

おれの手が土を握ると
触れたところから鉄になる
おれの最後の言葉は
肉にしか刻めない


中心には風がない

  klo

星に駆けあがろうとするスカーフ
壊されたばかりで
まだレンガが燃えているのに
喉の禿げあがった鳥たちが舞い降りてくる
足跡はまだ温かい

ぼくは猫の腹を流れる川に耳をつけた

切れていく雨音、
倒れたドア
ぼくは目を閉じた
ぼくは目の奥に奪われていく

電柱には虫の影がぼろぼろになってくっついていた
七色の瞬きは死んだ人を流して
最後には空にぽんぽん投げ出してしまう
ぼくの舌は
喉にからまって煙をあげた
空が、
ぼくの肺で羽根が裏返る
草の恵みを
光が、焼き払ってしまう

残された街を
ぼくは揺れて
噛み切られた水平線の焦げたところから
まだ生きていないぼくを見つけた
風の重力と、
ハガキを燃やして
黒点が
細胞に紛れ込んでくる

ガードレールの下には川が流れた
ぼくはすでに
ぼくはロープを食べてしまった
ぼくには髭が生えてくる
ぼくは鉄の肺を手に入れて
夕日を浴びていた
まだレンガが燃えている
ぼくは
街の名前を、思い出そうとする
ぼくは
誰かの足跡を見つけた


洞窟

  klo

住宅地に立っていた
豪雪のために傾いたフェンスの奥から
ぼろぼろに凍りついた飼い犬が
わたしを見ていた

夏が終わってから
ろくに散歩にもつれていってもらえなくなった
冬になると弱った足を引き摺って
小屋の周りを歩き続けた
誰にも相手にされなくなっていた

いま
その飼い犬は
わたしの目の前で死のうとしていた
毛の抜け落ちた糞まみれの体が
雪を汚していた

飼い犬の死んだ瞬間が
わたしにはわかった
すこしだけ
犬の両目が沈み込み
結晶を流れていくような気がした

路上には
また別の犬が死んでいた
胴が自動車に切り裂かれて
動転していた

腸がはみ出して腐り落ちている
まだかすかに息づいていた
わたしは犬の胴を背負って
冷たい空気を吸い込んだ

背負った犬は
わたしの背後にすぐにしみこんだ
わたしは歩き始めた
路はどこまでも延びていた
その先は白くかすれてはいたが
わたしにはどこまでも続いているように思われた


  klo

ぼくはベランダに立って
ジョウロで水を撒き散らしていた
すると水に混じって
小さく痩せ細った男が流れ出ていった

男は先っぽから出た瞬間に元気よく
「おはよう」といった
顔ははっきり見えなかったが
声の感じからしてたぶん微笑んでいると思った

だが数秒後には男の悲鳴が聞こえた
空が急に高く広くなって
ぼくには静かな頭痛がして
地上にあるものは何もかも歪んで映った

顔を突き出して見下ろしてみると
アスファルトの上には
蛙でも破裂したかのような
大きな水の滲みが広がっている

カラスが飛んできて水の上に影が落ちると
それはどこまでも黒ずんで底を漁った
それを見たのは町中で
ぼくひとりだけだった


沈黙

  klo

缶ビールに干上がった花を供えた
電柱にゆれ残る男の影には
まだ何かが息づいている

歯茎から滲み出る黄褐色の目だまのように
倒れた彼の腹を
通行人の影が足蹴にしていく
蒸し暑いクラクションが
激しく回転する水流のように男の後頭部を何度も打ちつける
襟から汗が水蒸気となって湧き上がっていた

彼は 通りの向かい側
市営アパートのベランダから
追い出されたばかりなのだった
男がベランダに立っていると
バスルームの方から
熱いシャワーをかけられ皮膚を焦がされて女が悲鳴をあげるのが聞こえた
もしかしたらそれは
彼女が求めることができたただ一つの悦楽の瞬間なのかもしれない
男はそんなことを思っていた

電線にカラスが舞い降りてきて
夜の空から彼を見下すように羽をばたつかせた
ぼんやりと
そして薄弱とした地上の上をほこりにまみれた貨物列車が通り過ぎていく
音が聞こえた

他の何人もの男が彼の背後に集まっていた
「おまえ、そんなところで何してんだよ、警察は呼んだのか?」とその中の一人が言った、
「おまえは、本当に、存在する意味がないんだな、自分の女も守ろうとしないなんて、さっさと消えろよ」
そして男たちは喚声をあげながら女を組み敷いてばらばらにした
彼の目の前で女が犯された
すべての吐く息が
町の明かりを受けて交合に引き込まれていく自分を耐えるあえぎに聞こえた

男はそのとき真夏の空の元に腐り果てていく一本の木のことを思った
彼はひたすら沈黙を貫くことに決めた
沈黙を信じ
その場を動こうとしなかった

文学極道

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