その浴槽で母親と父親が半身を交換する夕日のまぶしい午後だった
近所に住む妊婦は世界初の信号無視小説を書いた
ぼくはなんてこともないあだ名でも受け入れるつもりだったし
教室から姿を消したものを追いかけるつもりもなかった
ただ消されたものがやせっぽっちなので
いなくなった二人目が帰ってくるのを待っている
リビングでは母親が体操着の代わりに洗濯するものを探しながら
はだかでふるえる夏は一方的に終わろうとしている
まだはっきりとはしないが父親の会社の秘書の
伝言メモに書かれた魚の三匹と一匹がいずれも行方不明となり
とーりをねり歩く児童はえんうりどるかいを連呼しながら
駅の出口からふくれあがるウィルスのいっしゅるいになった
どちらかというとアーとかウーとかそのような物体に近いと思う
たしかに昨日投函されたあて先のない手紙の中の覚えのない文章は
それが果たしてこれからどうなるかは見当もつかない
ましてやそんなものにもちゃんとした意味があるとは考えなかった
今思えば秘書と母親が同じようなものだったころ
そのころが一番愉快だったなァ
それなのにへんなとこから父親のひとさしゆびが発見され
ひとさしゆびみたいなやつからぼくのおやゆびは作られた
街で一番巨大なマンホールに百人には満たないがたくさんの人が落ちていった
そいつは母親のでべそと一緒に今年の夏こそ海水浴に行きたいと言うので
いろあでやかな水着に着替え
取的が四股を踏む海岸のすみっこでぼくたちはすることもなく日焼けした
近くの国際空港から飛びたった飛行機数機の影が
みんなの街全体を覆い隠し
円塔の傾いた方向にみんなの手をさよならにする
それはさいわい鉄かなにかで出来ていて
コンクリートミキサー車についての同じような解説にもそんなに退屈しなかった
ここから歩いて数分の公民館が蛮族に占領されたというニュースも
今はまだ信じるに値しないかどうかはわからない
なによりも教室からの長い裏道をランドセルの大群がラッパを吹き
小型の核爆弾がやまづみになった空き地はあしたになったら天国になあれ
二人目が帰ってこないと知った舌先が塩ビをまぶされたようにしびれ
でも本当のことはまだ明かされていない
やっぱりでも帰ってこないと思う
寝室の電気が消灯し夢が始まるとぼくの住んでいる街は
すっかりとリノリウムで覆いつくされ猫犬百太郎その他の三千を超えるあるいは
それよりもっとおおくのものものに火がともされ
天皇陛下万歳が土管をはいつくばる非電極界のひとつになられましたので
明後日は体育座りみたいなもんでございます
最新情報
一条 - 2011年分
選出作品 (投稿日時順 / 全4作)
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
(無題)
犬
イヌ
この項目では、動物のイヌについて記述しています。その他の用法については「いぬ (曖昧さ回避)」を、DOGについては「DOG」をご覧ください。
犬 なんか今日めっちゃしんどいわ
犬 なんで?
犬 さっき、犬の散歩行かされてや
犬 またかいな
犬 最近、犬の散歩ばっかりや
犬 おれら犬やもんな
犬 そやけど、そないに犬の散歩ばっかりさせんでも
犬 犬の散歩ありきなとこあるからな
犬 犬の散歩ありきの意味がわからん
犬 犬の散歩ってのは人間にとってよっぽどの意味があんねんて
犬 思うねんけど、散歩行くでって言われてあほみたいに喜ぶ犬おるやろ
犬 おるな、あほみたいに喜ぶ犬
犬 そうやねん、全部あいつらが悪いねん
犬 そんな犬、全体の一割もおらんのにな
犬 散歩のなにがおもろいねん
犬 ちょっと考えたらわかりそうなもんやけど
犬 犬の散歩行かされて、犬の糞踏んでもうた時なんか、ぶっちゃけ死にたくなるもん
犬 それ、わかるわ、あれほどみじめなことないな
犬 けっこう落ちてるやろ
犬 けっこうどころか、そこらじゅうに落ちてるやん
犬 おれが言うのもなんやけど犬って最悪やな
犬 猫より?
犬 猫な、猫もきっついで
猫 こんばんは
犬 あれ、どこにおったん?
猫 いや、今、散歩から帰ってきたばかり
犬 散歩?誰と?
猫 え、おれ、一応、飼い猫やで
犬 いや、知ってるけど
猫 飼い主に決まってるやん、西脇さん
犬 へー、西脇さんって呼んでるんや
猫 たまに西脇って呼び捨てするけど
西脇 こんばんは
猫 西脇さん、どうされはったんですか?
西脇 ぼくのこと呼んだよね?3回くらいぼくの名前聞こえてきたけど
猫 あー、犬がなんか、ややこしいこと言ってきたんすよ
西脇 犬?
猫 はい
西脇 犬って、あれか、散歩行くで言うたらあほみたいに喜ぶ連中?
猫 よくご存知で
西脇の嫁 あんた、私の焼き鳥ないんやけど、あんた、まさか食ったんちゃうやろね
西脇 焼き鳥?知らんで
犬 なんで、おれのほう見てるんすか
西脇の会社の上司 西脇くん、今日空いてるか?
猫 空いてません
犬 ところで子いぬ手当って結局どないなったん?
犬 あー、あんなもんザル法や
犬 ザル?
犬 そうや、あんなん抜け道だらけや
犬 つまり、犬やなくても猿でもええってわけか、エテ公でも
猿 あー、バナナ食いすぎて死にそう
犬 子いぬ手当で買ったバナナとちゃうやろな
猿 そんなバナナ、なんつって
西脇の会社の上司 西脇くん、明日残業頼まれてくれるか?
猫 いやです
詩人 こんばんは
犬 何歳まで子いぬなん?
詩人 こんばんは
犬 そこらへんの基準もあいまいやねん
犬 あくまで見た目的な?
詩人 みんな、おっす
犬 基本見た目やろな
犬 小型犬に超有利な制度やん
犬 おれらみたいなんはあかんな、生まれたときからおっさんみたいな風体やからな
詩人 おえ、無視すんなや
猫 はー、やっと西脇帰った
犬 なんか匂いがきつかったな、西脇
猫 あ、あれ、嫁のほう
犬 なんや嫁の匂いか
猫 たまらんやろ
犬 こういう時、おれたちって不利やな、鼻が利きすぎて
猫 ごめん、焼き鳥食うたん、おれやねん
犬 やっぱり、おまえやったんか
西脇の会社の上司 ほんなら今週土曜日出てくれるか?
猫 出るわけないし
詩人 おまえら、おれのほうは完全に無視か
猫 そういえばさっき猿みたいなんおったけど
犬 猿みたいっていうか完全に猿やけどな
猫 あれ、田中んとこの猿ちゃうかな
犬 田中ってどっちの?うざいほうの田中?
犬 ってかどっちもうざいやん
詩人 人間を馬鹿にするな
犬 おれ、帰るわ
犬 また明日な
下柳 こんばんは
犬 下柳さん、どうしたんすか?
下柳 ぼくの犬知らん?
犬 あ、下柳さんとこの犬、ちょい前に帰りましたよ
犬 ほんまちょい前っすよ
下柳 なんかぼくのこと言うてた?
犬 いえ、特になにも
詩人 ぼくのことは?
犬 下柳さん、やせました?
下柳 え、なんで、やせて見えるかな?
犬 ほほの辺りがじゃっかんほっそりしたような
下柳 やせたかも
犬 そっすね
下柳 ほんなら、ぼく帰るわ
犬 お疲れ様です
犬 帰りよったな
犬 下柳、苦手やわ
犬 おれも、なんかあかんねん
犬 やせたかも、って
犬 下柳んとこに飼われんで良かったわ
詩人 おまえら、さっきから人の悪口ばっかりやな
猫 で、話戻していい?
犬 なんの話やったっけ?
犬 田中んとこの猿の話
犬 さっきおった猿が田中んとこの猿かどうかって確定したっけ?
田中 こんばんは
犬 あ、めずらしいじゃないですか
田中 うちの猿、知らん?
犬 あ、さっき来ましたよ
犬 いや、だからさっきおった猿が田中んと、田中さんとこの猿かどうかって確定してないし
詩人 ほら、田中さん、こいつら、おらんとこでは呼び捨てですよ
犬 どうされはったんですか?
田中 いや、最近、あいつ生活が派手になってるみたいで
犬 あ
田中 悪いことでもしてんちゃうかなって
詩人 おたくの猿、悪いことしてますよ、不正に子いぬ手当てを貰ってるんですよ、猿のくせに
犬 いや、大丈夫ですよ
犬 猿のする悪いことなんてたかがしれてますよ、ひっかくくらいでしょ
田中 そやけども
犬 そうですよ、心配することないですって
田中 そやな、ほんなら帰るわ、ありがと
犬 田中なんかしんどいわ
犬 ありがと、って
詩人 おまえらほんま悪い犬やな、何匹おるねん、何匹で喋ってるねん
犬 田中んとこに飼われんで良かった
犬 田中んとこに飼われてたら、ちょっと生活派手になっただけであんなふうに心配されるんやろ
犬 きついな
犬 おれも、そろそろ帰るわ
犬 じゃ、おれも帰ろうかな
犬 おう、また明日な
犬 ぶっちゃけていい?
犬 どうした?
犬 おれ、あいつらのこと犬や思ってない
犬 なんや、気にくわんのか
犬 ややこしいもん着てるやろ
詩人 人間だけやなくて、犬もターゲットにするんか
犬 あー、あれ、おれも気になってた
犬 なんであいつらあんなもん着てるん
犬 着せられてるんやろ
犬 嫌やったら嫌がったらええやん
犬 そやな
犬 嫌な感じでワンってほえたらしまいやん
犬 そやな、おれやったらワンってほえるな
犬 けっこう似合ってるって思ってるんちゃうん
犬 なんや、あの背中のUSAってロゴ
犬 (笑)
犬 あいつら、おもいっきり柴犬やん
犬 それ言うたるなよ
犬 USAって、
犬 見えてないんちゃうかな、背中やし
犬 うさぎかっちゅうねん
犬 犬のくせにな
犬 INUでええやん
詩人 おまえらほんま悪すぎる、なんかわからんけど教育に悪い
犬 ドッグフードの話する?
犬 いや、この前散々したからええやろ
犬 ドッグフードネタ飽きた感あるよな
詩人 ドッグフードのネタ、気になるちゅうねん
犬 明日、朝早いし帰るわ
犬 何時起き?
犬 犬時間で午前4時
詩人 犬時間ってのがあるんやな
犬 絶対落ちるって思ってたとこ書類通ってまさかの面接やねん
犬 良かったやん頑張れよ
犬 ばいばい
犬 キャンキャン言うてたな
犬 絶対面接落ちるちゅうねん
犬 受かるわけないやん
犬 どう頑張っても犬やもん
犬 ワン的なことしか言われへんし
犬 じゃ、まずは簡単に自己紹介をって言われて、
犬 ワン
犬 はい、落ちた(笑)
犬 まず応募したんがあほやろ
犬 おれら犬やちゅうねん
詩人 受けてみなわからへんぞ
犬 やっぱりドッグフードの話しようや
犬 おまえ好きやな、ドッグフードネタ
犬 おもろいやん
犬 完全にまんねりやん
犬 ちょ、静かに
犬 どした?
犬 不審な人間がおるぞ、この近くに
犬 うそん
犬 田中か?
詩人 もしかして、ぼくのことかな
犬 だれもおらんやん
犬 おかしいな、なんかおるような気がしたけど
犬 気のせいやろ
犬 西脇の会社の上司ちゃうの
犬 猫の対応、笑えたな、なんであんな冷たいんやろ
犬 涙目やったやん、西脇の会社の上司
犬 そら、あんだけ猫にはっきり言われたら泣いてまうやろ
犬 そやな
犬 なんか疲れたわ
犬 明日も散歩やしな
犬 あさってもな
犬 明日何曜日やったっけ
犬 知らん
犬 知らんよな、そんなん知る必要ないよな
犬 どうせ散歩行かされるし
犬 みんな帰ろうぜ
犬 じゃあな
犬 やっと、みんな帰ったで
犬 あいつら長いこと喋りすぎやろ
犬 最後、ちょっと猫の話してたやろ
犬 してた、してた(笑)
犬 あほやろ、犬って
犬 あほやな
犬 犬あほやわ
犬 犬あほやで
詩人 かしこい犬もおる
犬 あかん、なんか笑いが止まらん
犬 犬に生まれんで良かったわ
犬 まだ下柳に生まれたほうが気分的に許せる
詩人 気分(笑)
犬 気分(笑)
犬 ほんならまた明日
犬 じゃあな
犬 やっとみんな帰りよった
(無題)
1. BIG CITY I WILL COME
この文字を見たとたんにわたしは死んでしまいそうだった。でも首んとこにパイナップルを丸ごと突っ込めるくらいの穴が開いている。身をのりだして中をのぞき込むと道の真ん中に止められたトラックの荷台に砂糖大根の畑が広がっている。とてもかわいらしい丸刈り頭がほかの頭よりもずいぶんと突出している。もう仕事なんかなにもなかったけどビジネス・スーツに着替えてわたしは立ち去ることにした。3年後、同じ大きさのくだものがまちのあちこちにならべられてわたしは遠くのほうからそれを眺めていた。24時間後、だれかがわたしをはこびはじめた。ときどきからだをゆらしてわたしを起こそうとする。わたしはふだんとおなじかっこうでよこになった。こんな場所で夜のとばりのなかからでてくる象なんて見たくなかった。とっしんする。わたしは象のせなかにのってとっしんする。ほんとうだ。やることなんてひとつたりとも残ってやしない。
2.(deleted) and if you kill me
そこに集まってみると全員有無も言わせない調子で死んでいた。どうせありえないことをぼくはいくつも考え今まさに磐石の戦いが始まろうとしている戦場に辿りついてしまったのだと自分に言い聞かせる。手遅れと手紙に書いた知り合いはある日を境に口をきかなくなり独学で手話を覚えた。ぼくはそれをなにかしらの手がかりにすべきかどうかを悩みもしも容赦無用に全員をやっつけていいのなら早くとも明日この家を発っても損はないと思った。そばではカンガルーの親子が自由自在に飛び跳ねポケットからは多くの日記帳がぼたぼたと地面に落ちた。その中の一冊を手に取り最初の日付から読み始めた。数日前の日記に書かれたカンガルーが遠いアフリカのジャングルの奥地で原住民に首をへし折られる出来事はそれが残酷な結末を迎える前に誰にもこの日記を読まれまいとする強い決意がくじけそうになる補足がその数ページ先に記されていた。たとえば相手とのあいだにあらかじめ決められた約束事などなくともその様子はいつも無条件で成立するのはわかりきっているしその逆についてはどこか別の土地で証明されるべきだと思うようになったのはここ数日の変化といっていい。とはいえそれを特殊な儀式と呼ぶべきかどうかについてはいまだ不明瞭なのだがそうすることに差し障りなどあってたまるものか!
3. (deleted) and if you kill me
デパートの三階にマンションがあったので猫田は恋人と結婚した。ただし結婚にはいくつかの条件があった。今思うとそれ自体が肉感的と言えなくもなかった。正午を過ぎると香水がばかみたいに売れ始めた。近くの化粧品店でなけなしの月の小遣いを使い果たすなんてことはない、というのも適度にまっとうな理由なら事前に用意していたのだ。運悪くエレベーターが上昇する時に限って電車の走力は計測不能となった。わたしは長いあいだひとりで暮らしていたと猫田が言うので、胃袋の中で女の香水が放蕩した。「下の階はここより随分と暑いわよ。」「はア」などとカウンターに置かれた上品な肘が正面を向いて、指紋のない五千円札がちらほら散らばっている。首の骨が飛び出した。猫田は自分の膝を軽く叩き始ると、そこはもっと柔らかい気がするのよと言った。売上高についての歌。街の電飾が猫田を睨みながら、エレベーターのウィンドウが裸体の猫田にお仕置きを始めた。猫田は海に逃げるまでもなく、砂浜に打ち上げられた。結婚式に遅れるのはいけない。ナコードはひくひくと笑い、無言電話に応答する。「上には、」「上には、」やがて猫田の身体は前後に揺らされ、使い古しの絨毯の上に倒れた。誰かが助けにくるまでの間に、沈んでしまう危険だってあるのだ。
4. LIQUID CAPITAL
牛島君からの電話はおよそ3分で切れた。ぼくの大好きなアウフヘーベン伯父さんの話にはたどりつかなかったけど手のないオバケが伯父さんに別の名前をつけようとした。だけど何回やってもこの街でいちばん立派な病院で靴を脱いだ重病患者の名前にそっくりになってしまうのでオバケは舌をぺろっと出していなくなった。それとは関係なくそこの病院の先生たちは病気的な診断を日夜繰り返した。あまりにも投げやりなのでは!とぼくたちが声を揃えると、ああやっぱりですかと皮肉を含ませた口調で先生たちは言い放った。しかたなく受け付けで事を済ませ外に出ると女が気の毒な格好で土管につながれ辺りを睨んでいた。女はなぜこんなおかしなものにつながれてしまったのだろうかと考え今は電話越しの誰かに声をいちだんひそめて打ち明け話をするようなありふれた状況ではないしぼくらにはなんの緊迫感もないことにやっと気付いた。いっぽうで女は土管を引き摺って歩きひとたび歩き疲れると土管のなかで寝転がりながら口からでまかせをならべどれでもひとつお好きなのをどうぞと色気たっぷりに誘うとそれが土管の半径に到達するころあいをみはからって女はぴょんと跳ねた。半歩先に足のないオバケが恨めしそうに手を上下にふってあたかも宙に浮かんでいる様子があまりにも綺麗だという噂を聞いて駆けつけた子どもたちが土管の中で寝転がる女を見つけそれが何の部品であるかを問われる前に女に向かって部品を投げつけた。土管の中をどこまでも転がる部品はすべてが破裂するような音を立て、どれもこれも聞くに堪えないとはまさにこのことだよと言いながら子どもたちはいっせいにいなくなった。土管の中で転がる部品を手にとった女はそれを体のいたるところにはめ込みぼくは土管につながれた女の監視を依頼されているわけではなかったけどそういえば牛島君に何かを頼まれたような気がして不安になった。なにかそれは過去の不安とは比較にならないような不安だったのでもしかしてぼくは部品の誤作動が原因で死んでしまうかもしれないと思うと女はそれを察知したのか膝を折って土管を置いて前進した。洋服にこびりついたものがもうすぐ零度以下に冷やされてしまうのよと女は去り際に言ったような気がしてぼくは何もかもが狐によって騙されていることに気付いた
5. Who's FUCK
hmm
hmm
hmm
これは二匹の象が麒麟を追いかけている
これは二匹の象が麒麟を追いかけている
スロープタウン
この街は、スロープだらけだ、スロープをいくつか通らないとどこにも行けない仕組みになっている、たとえば、スロープを五つ通らないと街のどの場所からも市役所には行くことが出来ないし、市外へ出る駅の中には、百を超えるスロープがあった、だけども五つのスロープを通って市役所に行って、職員になぜこの街にこんなにもスロープがたくさんあるのかを尋ねても明確な答えは得られないだろう、市役所には、市史の編纂室があり、そこは月に一度、市民に公開されている、しかし、そこにはスロープに関する記述を持つ資料はひとつもなかった、市民に公開される編纂室とは別に市役所の建物の地下にも部屋があった、そこに市民には決して公開できない街の秘密が隠されている、スロープもその秘密のひとつだ、という噂もあったが、それを真剣に考えるものはいなかった、なぜなら、この街では、スロープに手すりをつけることが主な市民の仕事であり、市民の生活はスロープの上で成り立っている、日々、市の職員によってスロープは、いたるところに作られる、十分ほど街を歩けば、その間に少なくとも二箇所か三箇所のスロープの工事現場を見ることになるだろう、職員は、白のヘルメットを被り、黙々とスロープを作っている、しかし彼らが作るスロープには手すりがない、手すりをつけるのは、市民の仕事だ、
私の父は、この街で一番腕の立つスロープに手すりをつける技師だった、むろん、腕の立つ技師は父以外にも何人もいたが、わたしの家には父の仕事に対する市からの感謝状がいくつも飾られていた、父は家では無口な人だったが、夕食後、機嫌のいい時などは、わたしに仕事の話をしてくれた、父は自分の仕事に誇りを持っているようだった、わたしの知っているスロープの手すりの多くは、父によって作られていたことを知ったまだ幼かったわたしは、実際にそのスロープを通るたびに、手すりにつかまりながら、いつもよりゆっくりと歩くことにした、そんな仕事熱心な父だったが、家庭のことは母にまかせきりで、それに愛想をつかした母は、他の技師と恋に落ち、家を出て行った、母が出て行く日、父は仕事で留守だったが、家の軒先から表の通りまで緩やかに伸びる父が作ったスロープの手すりを母は一度も触れなかった、わたしは、その時の様子を鮮明に覚えている、
わたしは、市の大学の建築学部に入った、勉強のほとんどはスロープに関するもので、スロープの構造の専門研究はもちろん、都市学におけるスロープ、文学におけるスロープ、教養として多岐にわたるスロープのことをたくさん学んだ、四年生になって初めて、手すりに関する授業が開始する、前期は、教科書を使った座学がほとんどだが、後期になると、学生は、建設会社の研修生として、実際に本物のスロープに手すりをつける作業に携わる、実際の技師の指示を仰ぎ、朝から晩まで働く過酷な研修だが、ここで挫折してしまうと、この街では生きていけないことをみんなわかっているから、誰もが黙々と作業をこなす、作業中に私語を交わすものはいないし、昼の休憩の間も各自、教科書の復習で休む暇もないほどだ、わたしは入学時から、父のせいもあって、気のせいかもしれないが、先生から特別扱いを受けていた、成績は悪くなかったが、研修先は、街で一番大きな建設会社を指定された、そこには成績上位の学生があつまり、技師もみな優秀だった、わたしは、鈴木さんのもとで手すりに関する基本的な実務作業を教わった、鈴木さんはとても優秀な技師だった、わたしが父の娘であることは、事前に聞かされていたらしく、何度か一緒に働いた時の父の仕事ぶりを懐かしそうに話してくれた、父がいなくなってから、父のことを考えることはあまりなくなっていたけど、鈴木さんが話してくれる父のことはもっと聞きたいと思った、
二月になると、卒業制作で学生は忙しくなる、わたしも例外ではなかった、卒業制作は一人でスロープの手すりをつけなければいけない、いくつか建設予定のスロープの中から、わたしは、市の郊外にある個人の邸宅から通りに伸びるそんなに規模の大きくないスロープを選んだ、老夫婦の住む小さな家だったが、今使っている西側にあるスロープの勾配が年老いた体には少しきつくなったという理由で、新しいスロープを東側に作ることになっていた、作業前日の夜、わたしは興奮したのかあまり眠ることができなかった、テレビをつけてスロープに関する映画を途中まで観て、それから有名技師がスロープに関してざっくばらんに語り合うラジオ番組を途中まで聴いて、それでもやはり眠れそうにないので家の外に出た、わたしの家は、高い丘の上に建てられていて、街の様子がくまなく見渡せることができた、わたしがまだ幼いころ、家族三人で時折ここから街を見下ろして、街のスロープに張り巡らされた手すりを眺めていたことを思い出した、わたしは父と母の真ん中で、手すりがなんのためにあって、そしてスロープに呪われてしまったようなこの街の特異について、なにひとつ了解せず、普通の街の普通の家族がそうするように、ただ街を眺めていた、
時計を見ると、朝の四時だった、まだ空は明けていないが、このまま眠ることはもうないだろうと思った、前日、卒業制作に取り掛かることを電話で鈴木さんに報告すると、鈴木さんは、頑張れよ、と言った、電話の向こうから子供の声が聞こえた、この家は、わたし一人には広すぎるし、スロープだってもう今となってはひとつあれば充分だ、部屋に戻って、スロープの教科書をぺらぺらとめくった、頭には何も残らなかった、いや、わたしの頭の中は、他に余計なものが入り込む隙がないほどにスロープのことでいっぱいだった、シャワーを浴び、この街の誰もがそうするようにわたしは黒いヘルメットを被った、新聞配達員がスロープをいきおいよく駆け上ってくる音が聞こえる、わたしは家の外に出た、わたしの目の前に広がるスロープ、父がとりつけた手すり、母がいなくなった日、そして父がいなくなった日、わたしは、なにごともないようにスロープを駆け下りた、朝の日差しが、スロープの半分に影を作った、この街は、スロープだらけだ、スロープをいくつ通っても、どこにも行けない