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作品 - 20200805_024_12041p

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『源氏物語』私語 〜桐壷〜

  アンダンテ

〜 桐壷 〜

紫式部、本名は藤式部。真名仮名まじりの文面を制する者。
『源氏物語』が紫式部によって、いつ起筆され完成したのかは不明。『紫日記』の寛弘5年(1008年)十一月一日の項に『源氏物語』に関する記述がある。


 ・左衛門督「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ。」と、うかがひたまふ。
源氏に似るべき人も見えたまはぬに、かの上はまいていかでものしたまはむと、聞き
ゐたり。「三位の亮、かはらけ取れ。」などあるに、侍従の宰相立ちて、内の大臣の
おはすれば、下より出でたるを見て、大臣酔ひ泣きしたまふ。権中納言、隅の間の柱
もとに寄りて、兵部のおもとひこしろひ、聞きにくきたはぶれ声も、殿のたまはず。(『紫日記』)


・入らせたまふべきことも近うなりぬれど、人びとはうちつぎつつ心のどかならぬ
に、御前には御冊子作いとなませたまふとて、明けたてば、まづ向かひさぶらひて、
色々の紙選りととのへて、物語の本ども添へつつ、所々に文書き配る。かつは綴じ集
めしたたむるを役にて明かし暮らす。なぞの子持ちか、冷たきにかかるわざはせさせ
たまふ。と、聞こえたまふものから、よき薄様ども、筆、墨など、持てまゐりたまひ
つつ、御硯をさへ持てまゐりたまへれば、取らせたまへるを、惜しみののしりて、も
ののくまにて向かひさぶらひて、かかるわざし出づとさいなむなれど、書くべき墨、
筆などたまはせたり。 局に物語の本ども取りにやりて隠しおきたるを、御前にある
ほどに、やをらおはしまいて、あさらせたまひて、みな内侍の督の殿にたてまつりた
まひてけり。よろしう書きかへたりしはみなひき失ひて、心もとなき名をぞとりはべ
りけむかし。(『紫日記』)


これは、あくまでも目安。紫式部が創作したものだとしたら彼女の生息期間内となる。所詮、創作物は虚構の世界。そう割り切れば こんなことはどうでもいいことに違いない。だがどうなんだろう。彼女は自作のことをどう思っていたのか。これほどの大作を物にしたのだから、日記は創作メモになりそうなもののそうではない、ダンテが生れる三百年前、この奇蹟としか言いようがない潔さ。そして、ダンテを上回る創作力。なんなんだ。

むかし、むかし。あるどこに、身分は低くけれどあまたの女御や更衣を差しおいて、帝をひとり占めにした更衣がありんす。
 御つぼねは桐壷なり。帝は、あまたの女御たちの部屋にも目にくれず桐壷の更衣の許へ。女御たちはこころ穏やかならず。更衣がお上がりになる折には様々な嫌がらせをして道をふさぐ始末。帝いとどあはれと御覧じ、西の御涼殿に元からおられた更衣の曹司を他に移させ、その部屋を上局として賜はる。

 光源氏はそんな桐壷の更衣と桐壷帝の間に産まれた子だ。


 ・さきの世にも御ちきりやふかかりけむ世になくきよらなるたまのをのこみこさへ
うまれ給ひぬいつしかと心もとながらせ給ていそきまいらせて御覧するにめつらかな
るちこの御かたちなりみこは右大臣の女御の御はらにてよせをもくうたかひなきまう
けの君と世にもてかしつきゝこゆれとこの御にほひにはならひ給へくもあらさりけれ
はおほかたのやむことなき御おもひにてこの君をはわたくし物におもほしかしつき給
事かきりなし
 

『源氏物語』は千年以上前に書かれた。そして、≪いつれの御時にか≫はそれよりも百年余り前を設定した物語。今でいえば、関東大震災以前を想定した物語、そこの登場人物は紫式部の存在を知りえないのはいうまでもない(無論、小説だから無茶振り勝手気儘かまわない)。作者の腕のみせどころ満載。単なる光源氏のをんな巡り五十四次ではない。そうでなければ、西鶴も三島由紀夫も恋焦がれて今源氏を起草するわけがない。


・かきりとてわかるゝ道のかなしきにいかまほしきはいのちなりけり


もののあはれは心のやまい。沙良毛と言いたくなる精神の悪戯に違いないので要注意だ。肉体的な人の痛みすら知ることはままならないのに、ましてや万物のもののあはれを知るなんて、そんな離れ業できっこない。源氏にもののあはれを読み取らなければならない、そんな脅迫観念は願い下げだ。死に行くさだめにしても生きたいと切に願うにしても、そこにはもののあはれが飛び火して心が揺れる。そう感じるのは、言葉を媒介しての理解があってのこと。だが、その感じ自体は言葉で表せない。もののあはれは知ることも知らせることも出来ないだろう。りんごは真っ二つに切られようとも沈黙するしかない。そもそも、もののあはれのあはれとは名状しがたい情感を名付けた言葉なのだ。


・世にたくひなしとみたてまつり給ひなたかうおはする宮の御かたちにも猶にほはし
さはたとへん方なくうつくしけなるを世の人ひかるきみときこゆふちつほならひ給て
御おほえもとりくなれはかゝやく日の宮ときこゆ 


源氏を名乗ることは、直宮が臣下になることを意味する。占いは凶。皇族のままでは帝位を目論むとあらぬ疑いがかかる。帝の器は勿論のこと類まれな光のオーラを纏った容姿。こうして光源氏が誕生した。皇族で誰に気兼ねすることなく帝が寵愛した藤壺。亡き桐壷の更衣とまがう立ち振舞いに光源氏が恋慕する。かゞやく日の宮藤壺の出現。新たな物語が始まる。

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