#目次

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アンダンテ

選出作品 (投稿日時順 / 全23作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


mother of all scale

  アンダンテ

・・・・・(3) 
たましいが揺らぐから
止めてくれない
スカラップレースを羽織った
白茶けたぱふぃにっぷるの片方が
湿りをおびながらつぶやく

いくら寝ても寝足りないわ
実証できるほかのアイデアーが
胸の谷間に見え隠れしているのに
グリア細胞が溶け出し
ガリレオ温度計の浮きが暴れだすの 

・・・・・美・・・・・・・・・・・・・如  
鳥梅乃花・・夜万等之美尓・・里登母也・・此乃未君波 見礼登安可尓勢牟    
・・・・・・・・・・・・・安 
・・・・・・・・・・・・・伊・・・・・・・・・・・乎
宇梅能花・・都波乎良自等・・登波弥登 佐吉乃盛波・・思吉物奈利   
・・・・・伊
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(Man〓yo Luster XVII)

あらゆる方向は円周の中にあり
円心ですべての方向が消滅する 
存在と存在しないものは方向の差だ
空も有も方向の差だ
・・・・・・・(「失われた時 IV」西脇順三郎 1960.1)

西脇はなぜ…?
天の北極を鉛直に下ろさず垂直面と交わる方位を北とする
東西南北が接する方位を何と呼ぼう天と地というわけには
言葉が役立たぬ世界と言葉が役立つ世界は方向の差なのか

そうそう、きのうこうり魔に数学教師が襲われたのよ
なにかの間違いだったらしいわよ
こわッ
まちがいならいいのよでもまちがいかどうかわからないのは困りものね
ほら数学教師は信仰心が篤いから
帰って井戸替えでもしなっくちゃね

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*註解
萬葉集巻第十七;三九〇二、
・うめのはな みやまとしみに ありともや かくのみきみは みれどあかにせむ
萬葉集巻第十七;三九〇四 
・うめのはな いつはをらじと いとはねど さきのさかりは をしきものなり
こうり魔;公理魔


mother of all scale

  アンダンテ

(4) 
炬燵いっぱいの雨が吹き込むしぶきがまるくあった。
暮らしに関係した残念な思いを賛成できなかったのは、馬鹿だったり賢くなかったりこぼすことなくお腹を痛めた味瓜の種をひろうなんだかさっぱり判らない者たちの武者ぶるいのせいなのか。

落し蓋をしたら何処までも落ちていく。サイクロイドの軌跡をばらまいて遊ぶ星たちをゆすぶって幾何学模様でたぶらかそう。

0+0ι行方不明になった実数と虚数のさかいめの座標、点でない点たち。割らなければならない1の割れない1の正体。


mother of all scale

  アンダンテ

...........(6)
ふさがった平面にあった平面だ
波外れたホップステップ草臥れて逆ジャンプ

濁流に置きどころもなく沈むとはかぎらない
から何時になくはにかむ
更衣室の逝かれ狂女
都会のサンタクロースと片田舎のサンタが言い争うまに
メチロンを肩に打たれ脳停止

протроυпрσs ημαs (Аqιб)
(то)
прσтεроυ тηΦυσει(тεληs)

意識は保たれるほどに深水に沈むから
枯れ木が置かれているように
存在が存在すると規定するのは大きなかげり

.................〜ワンラ〜

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*註解
・われわれにとって先なるもの
・本性上先なるもの
・Аqιбтотεληs:アリスとテレス


冬そらの下で

  アンダンテ

(I)
美は捌かれた。涙が剥がれるほどに視界は断ち切られ、冬の色は雪の欠片がこぼれたままに滲んでゆく。いもりが花の陰にかくれて、倒れた木瓜の木の裂けぎわから一筋に降りた蜘蛛の絲を見つめている。やがて居なくなった雀たちを包んで、おそくなって大抵の夜がふけてゆく。

(II)
冬の日射しはすっかり痩せ衰えた地表をねぎらい、高圧線に触れた糸切れ凧をつまみ損ねて出てゆく。差し詰めな間柄でもないのに、除夜の汽笛を合図に生き物たちが騒ぎだし、曲がった煉瓦を風の温度になじませた幾つもの小さな祠がいちどきに冬ぞらの下に現われた。

(III)
 Go to the moon at once! 途切れた太古の吐息がしめ出されて来る。アーキアの確かな足取りを追って迫り来るCO2とN2。燃ゆる海に沈むふたつの月。1兆4600億日のあやまちが搾りたての星空から漏れ始めた。冬枯れのこわれた情念の果実がおどろの道にころがる。

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*註解
・祠:ほこら
・Go to the moon at once! :すぐ月のところに行ってよ!
・アーキア:古細菌
・1兆4600億日:約40億年
・おどろの道:棘の道


冬空の窓の下

  アンダンテ

(IV)
and yes I said yes I will yes (Ulysses 18)
そうよしてっていったわしてって (〜James Joyce〜)

Please do not shoot the Gunman.He is doing his best. (Impressions of America)
あのひとを撃たないで。頑張って私を攻めてるんですもの。(〜Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde〜)

Come in ,come in! (FAIRY TAIMM [THE FISHERMAN AND HIS WIFE])
来て、入ってきて!(JACOB & WILHELM GRIMM)

(V)
結露が付着した指先の跡がはめ殺しに残っている。9度のカノンが止まったまま、発香するマリアの叫びが持続する。小ぶりね。今日はやけに攻撃的だ。

(VI)
血の湿した落とし紙を無造作に畳にほをった。駄目よ!絞めつけながらそう言い放つ。
ちのしめしたおとしかみをむぞうさにたたみにほをっただめよしめつけながらそういいはなつ

隣に坐ったナースのポケットに手をいれたっぷり撫でたのが馴れ初めでした。あいつはそう語ったという。
となりにすわったなーすのぽけっとにてをいれたっぷりなでたのがなれそめでしたあいつはそうかたったという

土砂降りの中で抱き合った。乳首がない。小さな歯がすき間を挟んで並んでいた。ズボンをばくった。
どしゃぶりのなかでだきあったちくびがないちさなはがすきまをはさんでならんでいたずぼんをばくった 

五円不足して酒場食堂を出た。女は作業勤帰りの銭湯へ男はそのまま東7下開放病棟へ戻って行った。
ごえんふそくしてさかばしょくどう…をんなはさぎょうきんつとめかえりのせんとうへをとこは…ひがしななした…びょうとうへ…

女は男の■■■■■■■■■そして■■■■■■■■■■男に■■■■■■■やがて女は男を■■■■■■
をんなはをとこの□□□□□□□そして□□□□□□□□□□をとこに□□□□□□□やがてをんなはをとこを□□□□□□

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*註解
・Ulysses 18:ユリシーズ第18挿話
・James Joyce:ジェイムス・ジョイス 
・Please do not shoot the Gunman.He is doing his best.: Please do not shoot the Pianist.He is doing his best.
・Impressions of America:アメリカの印象
・Oscar Fingal O'Flahertie Wills Wilde:オスカー・フィンガル・オフラハティ・ウィルス・ワイルド
・FAIRY TAIMM [THE FISHERMAN AND HIS WIFE]:童話集『漁夫とその妻』
・JACOB & WILHELM GRIMM;グリム兄弟
・訳:アンダンテ
・はめ殺し:開かずの窓
・9度のカノン:2段鍵盤付きクラヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏<ゴルトベルク変奏曲> 第27変奏 大バッハ作曲
・ばくる:交換する
・■:□


存在の冬空(VII)

  アンダンテ

雲                               
   
霧芝の山では人が焼かれていた 
うつろな心に刻まれた雲が
文字より先の歌を奏でる
            
花                              

師走の朝が山へはいる                       
鶫が忙しそうに冬のゆくえに花卉を放る               



the poetry of the Japanese,by the Japanese,for the Japanese
なんて浅ましい冬の目覚めだ

調べ                               

自分の中から意味やイメージが取り払われる
他者との出会い                          
そして言葉の素材だけ残る 

雲隠れ




存在の冬

足早に追いついた冬の扉をあける
すべてのものが存在の中で
遠い記憶となる

inscape

空のくちくらを破る
もうひとつの空が落ちてくる
そうだけどちがう祭囃子がちらばって
親水性の生き物の影をおびやかす
 Pourquoi une apparence de soupirail blemirait-elle au coin de la voute? (rimbaud〜)

時間

Time present and time past
Are both perhaps present in time future,
And time future contained in time past.
If all time is eternally present
All time is unredeemable.
[Four Quartets‐Burton Norton 〜 Thomas Sterns Eliot 〜]

ショパン

ショパン嫌いのグールドを嫌う遠山一行のショパン好き
ピアニストたちが好むショパンを好まないピアニスト
ききわけのない耳を持ったあ〜たとあ〜しの円舞曲
濡れ衣を着た聴衆のおべべが乾くまで弾き続けた

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 *註解
・鶫:つぐみ
・花卉:くさばな
・放る:はふる 
・the poetry of the Japanese,by the Japanese,for the Japanese:母国語の、母国語による、母国語のための詩
・雲隠れ:源氏の物語四十一帖
・足速:あしばや
・inscape:interior + landscape(造語です)
・くちくら:検索ワードを入力してください
・Pourquoi une apparence de soupirail blemirait-elle au coin de la voute? 〜rimbaud〜:ひとつの空の片隅に、またひとつの空が蒼ざめてあるのは、如何いうわけだ? 〜ランボー[少年時‐V]
・型:かたち
・Four Quartets‐Burton Norton 〜 Thomas Sterns Eliot 〜 :四つの四重奏‐バ−ント・ノートン 〜トーマス・スターンズ・エリオット〜(訳はご自由に)
・グレン・グールド:1982年(50歳没)
・遠山一行:2014年(92歳没)
       


go down like a lead balloon (I)

  アンダンテ

神豚麺を食べた
違った春を待ちわびて
マルチェッロの協奏曲をワイルドのピアノで聴く
鷺沢萠をもとめて神保町に来たのだが
八木書店の女主人に『ない!』と即答された

腕相撲して香水のほのかなる

十七ではへぬとなく乳母
りんの玉二個じゃ足りぬと承知せず
もっとしたがる筈だがと奥が戸立てと諦める

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*註解
・lead balloon :鉛の飛行船(バンド名Led Zeppelinの由来源)
・マルチェッロ:アレッサンドロ・マルチェッロ 1673年生
・ワイルド:アール・ワイルド 2010年(94歳没)
・鷺沢萠:2004年(35歳没)
・腕相撲して香水のほのかなる:『B面の夏』黛まどか
・戸立て:とだてぼぼ


go down like a lead balloon

  アンダンテ

(III)

セックスは全人の愛の証しではないのでセックスを愛したとしてもひ弱なわたしにとってセックスは愛し難いものだった。行為は理屈では無いと言っても桃色兎になるのは無理と言うもの。明確な意思が伝わった指先の動きが僕を惑わしたとしても、それはきみの罪ではない。おどんがうつしんだらみちばちゃいけろとおるひとごちはなあぎゅう シムチョンbleuの四角いオブジェを雨あがりの空にあらわれた君の残影に套ねた。天道虫が転んだ。Le vierge,le vivace et le bel aujourd’hui とろりとした金星の影が三日月を犯す。いろいろと並ばれていたをとことをんなたちがつくづく死ぬのがいやになったと冷めかけたお茶をにぎりしめて生きているのでした。冬ざれの空のおもてを鉛の風船がいつも生理中とタンポンの糸を垂らして走っていたのでした。

*註解
・おどんが……:五木の子守唄
・シムチョンブリュ:深青
・套ね:かさね
・Le vierge,le vivace et le bel aujourd’hui;<Mallarme(1842―1898)>生娘で、生一本、今日の今日とて絶世の日(アンダンテ訳)


go down like a lead balloon

  アンダンテ

(V)
こ〜うしてトートシューズの旅は終わりました。クレド、いつも後ろの正面にいましたね。黄色と白どちらの水仙がお好きですか。今日も私の命日です。毎週水曜日が定休日ですのでいらして下さい。櫻もちるに嘆き、月はかぎりありて、出でて色道ふたつありまして尽きること無いそうですってよ。思わず欠落したままごとが面白くって詩をかいているのかい。そんな私の乳房をもむ皸まじりの手の豊かさがまだ踏みもせずかかあの金玉を撫でまわしたとしても、それはあなたの罪ではないのですよ。アタイのダーリンを盗んだあんたは悪い奴。悪い奴?対応する事実はどこにもないわよ。語りつくせぬことはしゃべりなさんな。


*註解
・クレド:(そんでも)
・櫻もちるに嘆き、月はかぎりありて:井原西鶴『好色五人男』
・色道:女色、男色
・皸:ひびわれ
・語りつくせぬことはしゃべりなさんな:Ludwig Wittgenstein『Logisch‐Philosophische Abhandlung 7(論理哲学論考)』


『在りし日の歌』 ― 各論

  アンダンテ

・・・・・・・(一)含 羞  ― 在りし日の歌 ―

・在りし日。それは時剋る日。近未来に跨った消えゆきし時。それは回想における記憶の黄泉がえりとしてではなく、風の音に打ち紛れつつ、ふと鮮むように出象する。

・・・吹く風を心の友と
・・・口笛に心まぎらはし
・・・私がげんげ田を歩いてゐた十五の春は、
・・・煙のやうに、野羊のやうに、パルプのやうに、

・・・とんで行って、もう今頃は、
・・・どこか遠い別の世界で花咲いてゐるであらうか
・・・耳を澄ますと
・・・げんげの色のやうにはじられながら遠くに聞こゑる

・・・あれは、十五の春の遠い音信なのだらうか
・・・滲むやうに、日が暮れても空のどこかに
・・・あの日の晝のまゝに
・・・あの時が、あの時の物音が経過しつつあるやうに思はれる

・・・それが何處か?――とにかく僕が其處へゆけたらなあ……
・・・心一杯に懺悔して、
・・・恕されたといふ氣持ちの中に、再び生きて、
・・・僕は努力家にならうと思ふんだ――
(『未完詩篇』より)

・嘗って、菅谷規矩雄が(とても咀嚼されたは思えぬ不快な文章の中で)語った懸念 ―「……この詩が現にそうかかれてある形として、この詩に過去としてかかれた像そのものが、彼の内部を仄燃えあざやかせるか。」― とは裏腹に、日が暮れても其の一行一行の詩の中に、あの日の昼のままにあの時あの物音が、仄燃えあざやぎて在った。

・・・黝い石に夏の日が照りつけ、
・・・庭の地面が、朱色に睡ってゐた。

・・・平の果に蒸氣が立って、
・・・世の亡ぶ、兆のやうだった。

・・・菱田には風が低く打ち、
・・・おぼろで、灰色だった。

・・・翔びゆく雲の落とす影のやうに、
・・・田の面を過ぎる、昔の巨人の姿 ――

・・・夏の日の午過ぎ時刻
・・・誰彼の午睡するとき、
・・・私は野原を走って行った……
・・・・・・・・・・(「少年時」詩集『山羊の歌』))

 『少年時』にあって、在りし日の序曲として惚ほれてあった情景は、『含羞』に至って、在りし日として常に鮮やがれてある情景となった。中也は、在りし日に生きていた。現実とは、何時の日か消滅する物者とのとの盲目的出逢いである。どれ程、<あらはるものはあらはれるまゝによいといふこと!>と心に納得させようとも、<汚れなき幸福!>があろう筈もなかった。
 噫、生きてゐた、私は生きてゐた!紫雲英の色のように羞ぢらいながら聞こえて来る少年時。其の、いのちの聲に、中也は、在っても在られぬ羞ぢらいの心で応えるしかなかった。


*註解
・含蓄:はぢらひ
・剋る日;きわるとき
・風の音にうちまれつつ/ふとあざむ…:『未完詩篇』の中の詩「風雨」にある詩句。
・菅谷規矩雄;1989年(53歳没)『空のむこうがわ』(中原中也と現代「現代詩手帳」昭和37年7月に収録)
・黝い;あかぐろい
・兆;きざし
・面;も
・午過ぎ;ひるすぎ
・午睡;ひるね
・<あらはるものはあらはれるまゝによいといふこと!><汚れなき幸福!>;『山羊の歌』の中の詩「いのちの聲」IIの最初の節」にある詩句。
・惚ほれて;おぼほれて
・紫雲英;げんげ


・・・・・・・・・(二)むなしさ
 
・偏菱形が圧し潰されて平み付く有様。其れが聚接面……。サイクロイドの軌跡は、胡弓の象を連想させる。胡弓の音が絶えず為ている。減り縮こまる宇宙が軋めくように。


*註解
・為ている:している


・・・・・・・・・(三)夜更けの雨 ― ヱ"ルレーヌの面影 ―
 
・・・雨は 今宵も 昔 ながらに、
・・・・・昔 ながらの 唄を うたってる。

・「夜更けの雨」の出だしである。ヴェルレーヌの「忘れた小曲」III を指すものと思われる。例えば、
 
・・・・・・・・・・・町にしづかに雨が降る
・・・・・・・・・・・・・・・・・・アルチュウル・ラムボオ
・・・ぬれ冠る 私の心は
・・・あめが降りそそぐ街、
・・・なのに此の怠さは
・・・湿らう私の心は?

・・・おゝ優ばむ 音の雨
・・・地そして屋根から!
・・・憂さ霽れない心のため
・・・おゝ 歌う雨!

・・・ないI  故など
・・・萎えた心の奥に浸み入る
・・・誰も!退く者など?
・・・この哀しみに故など。

・・・この上もなく 傷く
・・・故しれない事ゆえ
・・・慈む事も怨む事も無く
・・・私の心は こんなに傷く。
・・・・・(『言葉なき恋歌』の中の詩「忘れた小曲」III −アンダンテ訳−)

・エピグラムにラムボオの<町にしづかに雨が降る>が置かれてある。
・在りし日は、私たちが住む不断に続く日常と変わりはない。それは、同じ空間・同じ時間に属する。でも、何かが違っていた。例えば、希望の在り方が違っていた。既に決定された過去としての未来の連続の中に生きる。在りし日に生きるとは、そういう事だ。それは、菅谷規矩雄の示す《現在する過去》などという、そもそも曖昧で、さゝらほうさにロマンを追求する者の表現に身を置いて生きる夢とは、無論違っていた。
・過去としての未来、それは未来であるが為に記憶にない。そして、過去であるが故に希望は夢と消える。

・・・中原中也の限られた空間
・・・例えばそれは外へのひろがりにおいてまず《白き空盲ひて》(臨終)というように空を限り、またそれにむかいあうごとくに、地上の彼自
・・身にむかう視線は、《神様が気層の底の、魚を捕ってゐろたうだ。》(ためいき)というところで、ゆきどまる。この盲でた空、あるいは気層
・・の底をつきぬけることは、ついに、中原中也の視覚的認識のなしえないことであったとおもわれる。これらの二つのイメージは、互いにむ
・・きあう鏡面のように、中也の空間意識の臨界線をなしている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(『空のむこうがわ』)

・〔無限〕という括弧つきの概念を、何の躊躇もなく心受する。人は透色の空の下で、いつまでも昏惑の日々を繰り返すのか。無限に向き合って自我とやらの拡充を目論む者は、何も菅谷規矩雄に限ったことではない。そして、その者の多くは、無限に対して、<空のむこうがわ>と同類の隠喩を無鑑査に宛がう。
・現実とは、何時の日か消滅する物者との盲目的出逢いである。無限に外は無い。空のむこうがわが無限だとしたら、空のうちがわも無限である。さすれば、私たちは『有限』なる概念を捨てざるをえない。それにしても、空のうちがわに身を置く私たちが、無限なる存在であったとは……。

*註解
・現在する過去;『空のむこうがわ』にある言葉。「……古典的な時間の遠近法。厳密な現在と過去の区分。この区分の秩序がまもられているかぎり、隠喩はその本性を充分に詩のうちに展開しえないし、また現在する過去、という内在感覚もとらえきれないだろう。……」
・さゝらほうさ;見境なく・我武者ら・矢鱈滅多
・『言葉なき恋歌』の中の詩「忘れた小曲」III;原文を記す。
・・・Il pleut doucement sur la ville
・・・・・・・・・・・・・・・・(A.Rimbaud)
・Il pleure dans mon coeur
・Comme il pleut sur la ville,
・Quelle est sette langueur
・Qui penetre men coeur?

・O bruit doux de les pluie
・Par terre et sur les toits!
・Pour un Coeur qui sennuie
・O le chant de la pluie!

・Il pleure sans raison
・Dans ce coer qui s’ecoeure
・Quoi nulle trahison?
・Ce deuil est sans raison.

・C’est bien la pire peine
・De ne savoir pourquoi
・Sans amour et sans haine
・Mon Coeur a tant de peine.



・・・・・・・・・(三)早春の風

・いかにも早春の風を思わせる前三連なのだが、……転調は目叩く間の風折のように、何時も物者たちを見舞う。

・・・・・鳶色の土かほるれば
・・・・物干竿は空に往き
・・・登る坂道なごめども

・鳶色の土か掘るれば――空の奥の変転する出来事に呼応するかのように、土がおのずから穿たれ、物干竿は空に突き刺さり、坂道は平ぐ。


・・・・秋色は鈍色にして
・・・・黒馬の瞳のひかり

・・・このすばらしいイメジとおもわれる二行に実は、いかなる《かたち》も識別されていないことを注目しておこう。空間にかたちを見出す
・・こと、存在しないものを、かたちとして感受し、識別することにおいて、中也は」がいかに困難を示すかを、この詩は典型的に示している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(『空のむこうがわ』)

・私が度々、菅谷規矩雄の文章を引き合いにするのは、菅谷規矩雄に代表される――<すぐれて知的>とおもわせて、実は盲覚の独芝居にすぎない――この種の判断に拠って、中也の詩の世界が歪められるのを危惧するからである。そして、今引用した前節で次の様に判断している。

・・・第一行、《秋空は鈍色にして》という、この鈍色の空は、いわばスクリインが像をつくるために必要とする陰影感を、かろうじて確保して
・・いる状態である。しかもそれが空白化してゆくことのさけられないものであることを、第ニ節の《白き空盲ひてありて》が、示している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(『空のむこうがわ』)


・「臨終」の全文を挙げておこう。

・・・秋色は鈍色にして
・・・黒馬の瞳のひかり
・・・・・水涸れて落つる百合花
・・・・・あゝ こころうつろなるかな

・・・神もなくしるべもなくて
・・・窓近く婦の逝きぬ
・・・・・白き空盲ひてありて
・・・・・白き風冷たくありぬ

・・・窓際に髪を洗へば
・・・その腕の優しくありぬ
・・・・・朝の日は澪れてあり・
・・・・・水の音したたりてゐぬ

・・・町々はさやぎてありぬ
・・・子等の聲もつれてありぬ
・・・・・しかはあれ この魂はいかにとなるか?
・・・・・うすらぎて 空となるか?

・<水涸れて落つる百合花>。この極めて具象的一句は、「早春の風」における<鳶色の土かほるれば>と同様、空の奥の変転する出来事に呼応するかのように、しかも他の事象と識別された時制を伴って置かれてあることに注目しておこう。
・「百合花水涸れて落ちぬ」でもなければ「水涸れて落ちぬる百合花」でもない。それは、<水涸れて落つる百合花>。
・百合花は、何の受皿もなく落下する。過去形を拒み逃去する地上。動熱の苦しみ定まらぬ百合花の霊は、一体何処へ落ちゆく。<神もなくしるべもなくて><うすらぎて 空となるか?>。この二句は、「落つる」という時制であるが故に、正にそこから導かれて来る二句なのだ。
・<秋色は鈍色にして/黒馬の瞳のひかり>。鈍色の秋空は、やがて、すべての事物を呑み込んで減り縮こまり消滅する臨終の空。秋空は、空のうちがわの終焉を暗示するかのように地上を見詰めている瞳の気配。
・<白き空盲ひてありて>。白き空は、秋空が瞬き、まさに瞳が動くことに因って迫りくる空の奥。不可得な過去として現在に光速で近づく空の奥。
・<うすらぎて 空となるか?>。この空は、空の奥が変転する時、新生するもうひとつの空。それは、「憔悴」(『山羊の歌』)の中にある空、<やがては全体の調和に溶けて/空に昇って 虹となるのだらうとおもふ……>と同じ空。
・三つの異質な空間 ―― それぞれの空 ―― が伴ふ時制は微妙に同一に保たれ、其々の空間は明らかに有限なかたち、即ち空として示されていた。
・鈍色の空も、白き空も、過去形の時制を伴った事象 ―― 婦・白き風・その腕・朝の日・水の音・町々・子等の聲 ―― と同様に、空の奥が神さえも律することの出来ない転調に見舞われる時、泯滅する運命にある。

・「憔悴」III を挙げておこう。

・・・・・・・・・・・・・III
・・・しかし此の世の善だの悪だの
・・・容易に人間に分かりはせぬ

・・・人間に分からない無數の理由が
・・・あれをもこれをも支配してゐるのだ

・・・山蔭の〓水のやうに忍耐ぶかく
・・・つぐむでゐれば愉しいだけだ

・・・汽車からみえる 山も 草も
・・・空も 川も みんなみんな

・・・やがては全体の調和に溶けて
・・・空に昇つて 虹となるのだらうとおもふ

*註解
・目叩く:めたたく
・秋色は鈍色にして/黒馬の瞳のひかり;「臨終」の最初の二行(『山羊の歌』)。


・『在りし日の歌』 ― 各論

  アンダンテ


・・・・・・・・・・(五)月

・この詩の制作年次は未詳である。昭和八年五月、中也は牧野信一・坂口安吾の紹介で「紀元」の同人となった。「紀元」昭和九年一月号に、この詩「月」は発表された。

・・・太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
・・・次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
・・・・・・・・・・・・・・(「雪」『測量船』より)

・『測量船』が世に現れたのは、昭和五年十二月であった。この頃、三好達治は小林秀雄と共にボードレール『悪の華』を翻訳していた時期でもあった。

・・・灌木がその個性を砥いでゐる(「月」四行目)
・・・姉妹は眠つた、母親は紅殻色の格子を諦めた!(「月」五行目)

・泥塑人を掘り出すような描写に、泥塑人は頷かない。<灌木がその個性を砥いでゐる>のだ。この殆ど描写の転回のみで成り立っている詩は、実は三好達治へのアイロニーではなかったのか、私にはそう思える。
・中也の未刊詩篇〜ノート翻訳詞の中に、(蛙聲が、どんなに鳴かうと)という一篇がある。そこには、灌木の個性さえも否定して、もっと<営々としたいとなみ>を模索する中也の姿がある。この詩の第一節を挙げておこう。

・・・蛙聲が、どんなに鳴かうと
・・・月が、どんなに空の遊泳術に秀でてゐようと
・・・僕はそれらを忘れたいものと思ってゐる
・・・もっと営々と、営々といとなみたいいとなみが、
・・・もっとどこかにあるといふやうな氣がしてゐる。

・(蛙聲が、どんなに鳴かうと)の制作年次は昭和八年五月〜八月と推定されている。ノート翻訳詩とされているが、誰の詩の翻訳か定かでない。私が思うに、ノートに書かれたこの翻訳詩は、実は中也のものではないか。詩の成立の時系列にこだわり過ぎると訳が分からなくなる。詩は処女作が後々の詩を越えて行くこともあり得るのだ。

・・・砂浜や山々を越えたむこうに、仕事の新生を、瑞々しい叡智を、独裁者達と悪魔どもの退城を、迷信の幕切を祝う為、地上の『降誕祭』
・・を称える為、いの一番に駆け付ける人々として!―― 何時の日、俺達は行くのか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(『地獄の一季』の中の詩「朝」より−アンダンテ訳−)

・・・Quand irons-nous,par dela les monts,saluer la naissance du travail nouveau,la sagesse nouvelle,la fuite des tyrans et des
・・demone s,la fin de la superstition,adorer―les premiers!―Noel sur la terre!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(Matin;Une Saison en Enfer)

・そのいとなみは、ラムボオが覗いた空の奥の、又その奥の遐い遐い処にあって、蛙聲が水面に走って暗雲に迫る転調の時を、中也は俟つしかなかった。


・**********
*註解
・紅殻色:べんがらいろ
・遐い遐い:とお〜ぃとお〜ぃ
・俟つ:まつ


・・・・・・・・・・・(六)青い瞳

・・・「六月四日(土曜)
・・岩野泡鳴 三富朽葉 高橋新吉 佐藤春夫 宮沢賢治」

・昭和二年の中也の日記の一節。三富朽葉については、福士幸次郎から富永太郎を経由して中也のもとに伝わり、線条の空となって中也の心に沁みいった事だろう。

・・・輝き出る星の表を
・・・赤い、赤い太陽が渡って行く。

・・・街の上の隅々に
・・・匂いと彩の巣食ひ初める
・・・黄昏

・・・黄色い灯火の冴えて、
・・・暗い影絵の揺れる時、
・・・徂き戻る、紅い幻
・・・しなやかな腕に囚われて
・・・銀の線条を織る夜。

・・・光を夢みて、其処此処に
・・・蹲るやうな
・・・泣き叫ぶやうな夜、
・・・物狂はしく打たれて
・・・穴へ誘うはれる歓楽……
・・・・・・・・・・『焔の絵』(「赤い舞踏」より)― 三富朽葉 ―

・<私はいま此處にゐる、黄色い灯影に。(「青い瞳」1夏の朝)>。この句に見られる<黄色い灯影>は、明らかに朽葉の<黄色い灯火の冴えて、/暗い影絵の揺れる時、/徂き戻る、紅い幻>を踏まえている。しかし、朽葉と中也とでは決定的な違いがあった。それは、象徴を目的とする者と象徴を手段とする者との違い。空間を同じく象徴的に暗示するにしても、その空間に対する構え方が違っているのだ。
・朽葉の暗示した徴は、朽葉の感性の反応である意識のゆらぎであり、それが紅い幻という象となって空間の其処此処を<徂き戻る>。空間は無限即ち分割され得ない個体性という前提のもとにあり、朽葉の感性即ち個性は、縦んば幻という象であれ、保存されたものとしてある。象徴が目的となる由縁だ。
・中也の<青い瞳>は、「臨終」の<〓馬の瞳のひかり>と同様に空のうちがわ空の奥の消滅の信号として、象徴的に有限な空間を暗示している。空間が消滅することによって物の関係性が保存されない空のうちがわにあって、<黄色い灯影>は、中也という感性即ち個性が剥がされた他者として徴され、虚無の隙間に溶けていくものの客観的な象として暗示されている。無論、この象は自然主義者達が唱える客観的描写によるものではない。空のうちがわ空の奥には、客観的描写という目的に耐える物はないのだ。物の個体性が保存されない空間にあっては、「あれ」とか「これ」とか言う自己同一性はない。<私はいま此處にゐる、黄色い灯影に。(「青い瞳」1夏の朝)>。中也が空のうちがわで此處と暗示する時、「ここ」とは虚無の隙間であるしかない。


・・・Elle est retrouvee.
・・・Quoi?-L’Eternite.
・・・C’ st la mer allee
・・・Avec le soleil.
・・・・・・・ (L’Eternite-A.Rimbaud-)

・中也は、ラムボオの「永遠」の最初の節を次の様に訳している。

・・・また見付かつた。
・・・何がだ? 永遠。
・・・去ってしまつた海のことさあ
・・・太陽もろとも去つてしまった。

・おおむね小林秀雄訳に頼った訳なのだが、この第一節については、大抵の訳者が永遠繰り返す日没を念頭に置いた訳し方をする中、中也の独自性見られる。そして、そのことが、何も中也自身に引き付けすぎた訳でないことは、第五節の前二句

・・・La pas d’esperance,
・・・Nul orietur
・・・・・・・(L’Eternite-A.Rimbaud-)

・・・絶望の闇がつづくのだ、
・・・陽はもう昇るまい。
・・・・・・・(「永遠」より−アンダンテ訳−)

・そして、ラムボオ『言葉の錬金術』で次の様に言って「永遠」引用していることからしても明らかである。

・・・Enfin,δ bonheur, δ raison,j’ecartai du ciel lazur,qui est du noir,et je vecus,etincelle d’or de la humiere nature.
・・・・・・・・・(Une Saison en Enfer;Delires II)

・・・到頭やった、おお何たる幸せ、おお何たる智力、俺は暗闇に貼り付く、蒼空を引っ外してやった、そして俺はいた、素の炎が金色に煮
・・え滾る最中に。
・・・・・・・・・(「錯乱」II 言葉の錬金術より『地獄の一季』−アンダンテ訳−)

・火花に辷り込んで歩哨に立つ魂は、中也の<黄色い灯影>と透かし重なる。


・**********
*註解
・三富朽葉(みとみきゅうよう):明治二十二年八月十四日、長崎県にて生まれる。大正六年八月二日午後、銚子君が浜にて遊泳中、溺死する。
・「赤い舞踏」:明治四十三年三月、『自然と印象』第十集に、「赤い舞踏」の総題のもとに発表された四篇の中の一つ。他の三篇は「経験」「黒掴」「午後の発熱」。
『自然と印象』は、明治四十二年五月、人見東明・加藤介春・福田夕咲・今井白楊・三富朽葉の五人によって結社された「自由詩社」から発行されたパンフレットである。後に、福士黄色雨(幸次郎)・山村暮鳥・佐藤楚白、斉藤青羽の四人が加わった。明治四十三年六月十五日、第十一集をもって終刊となった。
・徴:しるし
・徂き戻る:ゆきもどる
・縦んば:よしんば
・去って:いって
・最中に:さなかに


・・・・・・・・・・・(七)三歳の記憶

・未来が希望もなく記憶もない過去だったとしたら、私たちが回想する過去とは、一体何なのか。「三歳の記憶」が<隣家は空に 舞ひ去ってゐた!>で終止していた事に、私は繰り合わせの効かないジレンマに陥った。
・時は泡影のごとく、空蝉は皆てこねて在った。<知れざる炎、空にゆき!>。私は、中也の人知れず在る孤独な魂に胸を打たれた。

・・・……私の世界は
・・・そこに住みつくためにあるのではない
・・・そこから出ていくためにあるだけなのだ
・・・おおこれら
・・・「詩作の陳腐な古物」たち

・・・構えは要らない
・・・言葉をねじ伏せて進むつもりなら
・・・言葉が私をみちびくだろう
・・・・・・・(『場面』の中の「夜の樹間」より ―渋沢孝輔―)

・この渋沢孝輔の最初の詩集のエピローグにある数行を、中也は<ああ>の二音で導く。表意する者は、先ず、我慢の祭の火中に身を曝し、その炎を被かねばならぬ。この数行の表意は、言葉で行為されてはならぬのだ。

・・・掾側に陽があたつてて、
・・・樹肥が五彩に眠る時、
・・・柿の木いっぽんある中庭は、
・・・土は枇杷いろ 蠅が唸く。
・・・・・・・(「三歳の記憶」)

・今にも臠殺されてゆく空の兆しを暗示するかのように、この一節は置かれてある。そして、私にはこの一節がラムボウの次の一節を喚起するものに思えてならない。

・・・Puisque de vous seules,
・・・Braises de satin,
・・・Le Devoir s’exhale
・・・Sans qu’on dise:enfin
・・・・・・・ (L’Eternite-A.Rimbaud-)

・・・お前たちしかいない、
・・・サテンの燠火よ、
・・・燃えながら瞳を凝らして
・・・ただ黙々と…衰え果つ。
・・・・・・・(「永遠」より−アンダンテ訳−)

・中也は、昭和十二年十月刊行『ランボオ詩集』(野田書房)の八月二十一日附の「後記」で、次の様に述べている。

・・・繻子の色した深紅の燠よ、
・・・それそのおまへと燃えてゐれあ
・・・義務はすむといふものだ

・・・つまり彼には感性的陶酔が、全然新しい人類史を生むべきであると見える程、忘れられてはゐるが貴重なものであると思はれた。彼の悲
・・劇も喜劇も、恐らくは茲に発した。

・枇杷いろに発熱した土、その上を蠅が揺蕩う。―― 油一滴、屁もひらず ――そんな呪文を唸らせ蠅は、虚空の闇へ誘われ発つのか。

・・・あゝあ、ほんとに怖かつた
・・・なんだか不思議に怖かつた。
・・・それでわたしはひとしきり
・・・ひと泣き泣いて やつたんだ。

・・・あゝ、怖かつた怖かつた
・・・――部屋の中は ひつそりしてゐて、
・・・隣家は空に 舞ひ去つてゐた!
・・・隣家は空に 舞ひ去つてゐた!

・彎はれた瞳は動いた。1934年の日記には、こうある。

・・・「僕は泣きながら忍耐する。そして僕の求めてゐるのは、感性の甚だしい開花だ。」

・それは、葉が悉く散って狂い咲きするように、不気味な、それでいて自然な開花であるに違いない。


 **********
*註解
・知れざる炎、空にゆき!:『山羊の歌』の中の詩「悲しき朝」にある詩句。
・隣家:となり
・被かねば:かずかねば
・樹肥:き やに
・中庭:に わ
・唸く:なく
・臠殺;れんさつ
・義務:つとめ
・彎はれ:ひきまかなはれ


・・・・・・・・・・・(八)六月の雨

・虚無からの目差しが、尚以て抒情であった。そうとしか言い様のない、極めて中也的抒情がここにはある。「近頃最も感心した佳品」(昭和十一年七月『燈火言』「四季」)と、この詩を三好達治は評価している。それにしても、三好達治の謂ば正調とも言うべき抒情詩『少年』と転がして見ると、その瞳の光差は大きくずれていた。ふたりの目差しの出立つ所が違っていたのだ。

・・・・・・・少年
・・・夕ぐれ
・・・とある精舎の門から
・・・美しい少年が帰ってくる

・・・暮れやすい一日は
・・・てまりをなげ
・・・空高くてまりをなげ
・・・なほも遊びながら帰ってくる

・・・閑静な街の
・・・人も樹も色をしづめて
・・・空は夢のやうに流れてゐる
・・・・・・・(三好達治『蟹工船』より)

・・・またひとしきり 午前の雨が
・・・菖蒲のいろの みどりいろ
・・・眼うるめる 面長き女
・・・たちあらはれて 消えゆてゆく

・・・たちあらはれて 消えゆけば
・・・うれひに沈み しとしとと
・・・畠の上に 落ちてゐる
・・・はてしもしれず 落ちてゐる

・・・・・・・・・・お太鼓叩いて 笛吹いて
・・・・・・・・・・あどけない子が 日曜日
・・・・・・・・・・畳の上で 遊びます

・・・・・・・・・・お太鼓叩いて 笛吹いて
・・・・・・・・・・遊んでゐれば 雨が降る
・・・・・・・・・・櫺子の外に 雨が降る
・・・・・・・・・・・・・・・・・・(「六月の雨」)

・中也はラムボオの十四行詩『母音』を、昭和四年頃訳していた。そして、その最終節の部分を、何の躊躇もなく、中也は次の様に訳す。

・・・O、至上な喇叭の異様にも突裂く叫び、
・・・人の世と天使の世界を貫く沈黙。
・・・――その目紫の光を放つ、物の終末!
・・・・・・・・・・(『母音』−中原中也訳―)

・・・O,supreme Clairon plein des strideurs estranges,
・・・Silences traverses des Mondes et des Anges:
・・・--O l’Omega,rayon violet de Ses Yeux!
・・・・・・・・・・(Voyelles -A.Rimbaud-)

・・・オー、恐ろしくも甲高く鳴り満つ 至上の喇叭よ、
・・・天空と 天使たちを突き抜ける 沈黙よ。
・・・― おお オメガ、終末の双眸より来る 紫の光、あり!
・・・・・・・・・・(『母音』−アンダンテ訳―)

・六月の雨の<みどりいろ>は、このオメガからの目差しなくして誕生し得なかった色象ではなかったか。


**********
*註解
・眼:まなこ
・面長き女:面長きひと
・畠:はたけ
・櫺子:れんじ


・・・・・・・・・・・(九)雨の日

・・・雨の中にはとほく聞け、
・・・やさしいやさしい唇を。
・・・・・・・・・・(「雨の日」

・ちぎれたひとひらの中に宇宙波濡れ通って在る。例えば、次の二人の詩人の七行詩を約めて、この二行に中也の抒情はある。そして、我が一条氏の詩に繋がっていく。

・・・種子の魔術のための幼年
・・・ひとつの爆発をゆめみるために幼年のひたいに崇高な薔薇いろの果実をえがく
・・・パイプの突起で急に寂しがる影をもたぬ雀を注意ぶかく見まもる
・・・井戸のような瞳孔の頭の幼い葡萄樹はついに悦ぶ
・・・金魚は死を拒絶した
・・・雨のふる太陽
・・・かれの頚環の晴天
・・・・・・・(「аmphibiа 」― 瀧口修造 ―)

・・・南風は柔い女神をもたらした。
・・・青銅をぬらした、噴水をぬらした、
・・・ツバメの羽と黄金の毛をぬらした、
・・・潮をぬらし、砂をぬらし、魚をぬらした。
・・・静かに寺院と風呂場と劇場をぬらした、
・・・この静かな柔い女神の行列が
・・・私の舌をぬらした。
・・・・・・・(「風」―西脇順三郎―)

・・・完全球体の炸裂する
・・・朝宵に
・・・丈高の夏草がしだれる雨樋を
・・・流転する魂の模型は
・・・悪質な仮構に断続的に注がれ
・・・そこに佇む書割の
・・・祠に
・・・群生する蝉の仄かな喚きが
・・・人の狂いと交響する
・・・故に私は
・・・彼らの羽ばたきを借り
・・・日曜の死さえも祝祭しながら
・・・瞬目の中で
・・・虚無の螺旋を窒息する
・・・・・・・(「安息」― 一条 ―


 **********
*註解
・約めて:つづめて
・「аmphibiа」:瀧口修造(1979年 76歳没)『瀧口修造の詩的実験1927〜1937』の中の七行詩
・「風」:西脇順三郎(1982 88歳没)「Ambarvalia」の中の七行詩


ちょっといいですかThis Is Just to Say

  アンダンテ

・it’s・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・くるりと
・may・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・羊羹
・and・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・の
・・・the・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おもて

・・・・・golden-week・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・切っても切らなくても切り口

・peachMan・・・・whistles・・・・・・・・・・・・切り口・・・・・・それはは羊羹でないとしたら
・far・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・羊羹
・and・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は
・wee・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・食えん

実数体の完備性がぶっ飛ぶ。完備ではない隙間 物の成立。


・・・Let us see,is this real.・・・・・・・・・・いくら思考と対象という存在を
・・・Let us see,is this real.・・・・・・・・・・同一のものとみなしても
・・・This life I am living?・・・・・・・・・・・対象という存在は依然として
・・・You,Gods,who dwell everywhere.・・・・・・・自己の外に存在している
・・・Let us see,is this real.・・・・・・・・・・死ぬことによって
・・・This life I am living?・・・・・・・・・・・無に帰したと言ったら
・・・・・・・・・(Indians song)・・・・・・・・・・・・・・・(木乃伊に失礼だ)

対象を存在と見なしたことにより、矛盾を置き去りにして自己と対象をジンテーゼしたヘーゲル。絶対知という神様宣言。残念なことに「神」対「対象」という図式がどこまでも付いて回る。 



・・・Because Icould not stop for Death ―・・・・・・唖者からその夢を奪うように
・・・He kindly stopped for me ―・・・・・・・・・・ 私は言葉をうしなう
・・・The Carriage held but just Curselves ―・・・・どうしてかって、言葉は論理的で
・・・ And Immortality.・・・・・・・・・・・・・・・ないからさ。
・・・・・・・(Emily Dickinson)

いくら言葉を研ぎ澄まそうとも、論理的結末は一つにならない。論理的結末が一つなら言葉など要らない。


・・・I never saw a Purple Cow,・・・・・・・・・・・・・・・嗅ぎ分ける鼻がないわけではない、
・・・・I never hope to see one;・・・・・・・・・・・・・・・・マスクすると自分の口臭が気にならないだろうか
・・・But I can tell you,anyhow,・・・・・・・・・・・・・・鼻にかかったマスクをずらすと
・・・・I’d rather see than be one.・・・・・・・・・・・・・・ヨーグルトを口に含まなくても臭みが消える。
・・・・・・・・(The Purple Cow -- Gelett Burgess)

わたしは鼻呼吸が苦手だ。死ぬほど好きと語りえぬ告白を示されたら、瘋癲のたこ焼きみたいな顔したダノン好きなヴィトゲンシュタインは、それは説明にすぎないと拒否するのかな。

**********
*註解
・it’s:E.E.Cummings(1894-1962)-‘in Just - ‘ 引照
・peachMan:新造語(桃売り)
・羊羹の切り口:大森荘蔵『流れとよどみ』1章「時を刻み切り取る」
・Emily Dickinson:(1830-86)
・Gelett Burgess:(1866-1951)


『在りし日の歌』 ― 各論

  アンダンテ

私が作品について語るには、先ず、いったんその作品を作者不詳にする必要があるのです。作者を作品解釈の唯一の拠り所にしない事、それが肝心なのです。作者を無視するのではなく距離を置くこと。作品を通じて作者を抽出するのです。ロラン・バルトが言うように《ある作品が「永遠」なのは、不特定多数の人に唯一の意味を植え付けるからではなく、ひとりの人間に多種多様な意味をもたらす(『批評と真実』》からで。また、バルトは言います。《読者とは、あるエクリチュールを構成するありとあらゆる引用が、何一つ失われることなく記入される空間に他ならない(「作者の死」)》と。ダンテの作品がそうであるように、ジョイスの作品が然り、西脇順三郎の作品が然り、そして、田中宏輔氏の作品がそうであるように。

・閑話休題


・・・・・・・・・・(十)春

・この詩は、「悲しき朝」(『山羊の歌』)と同じく「生活者」昭和四年九月号に発表された。制作年次は未詳である。恐らく長谷川泰子が去って行ったのちの春、大正十五年頃の作と思われる。中也はこれより先、長谷川泰子と出逢った頃、『分からないもの』という小説を書いていた。大正十二年末頃、富永太郎とも小林秀雄とも出逢う前の時期のことだ。

・・・グランドに無雜作につまれた材木
・・・――小猫と土橋が話をしてゐた
・・・黄色い壓力!

・これは、その小説の中にある『夏の晝』と題された詩。
・グランド・材木・土橋・小猫――これは単なる叙景詩ではない。ここに表出されている風景は悉く人工的で、猫さえも人に和う獣としてある。そして<黄色い壓力!>という一句が置かれることによって、人の世の地上の模写にすぎなかったこの有り触れた風景は、音無しの狂気を湛えた場面へと一変するのである。昭和三年、河上徹太郎に宛てた手紙の中で、中也は次の様に言っている。<「私は自然を扱ひます。けれども非常にアルティフィシェルにです。主觀が先行します。それで象徴は所を得ます。それで模寫ではなく歌です。……(後略)」。>詩作の初学び期、既にこのような詩観が作品として結実していた。 

・・・大きな猫が頚ふりむけてぶきっちょに
・・・一つの鈴をころばしてゐる
・・・一つの鈴を、ころばして見てゐる
・・・・・・・・・・(「春」より)

・在りし日において見られるこの抒情歌は、紺青となって空から降りかかるしずかな春の、しずかな春の狂気の今日と同時進行している場面として歌われてゆく。

**********
*註解
・和う:あう
・初学び:ういまなび
・紺青:こ あを


・・・・・・・・・・・(十一)春の日の歌

・中也は、衰弱してゆく我が身を見送る。

・・・うわあ うわあと 涕くなるか(「春の日の歌」第三連三行目)
・・・ながれ ながれて ゆくなるか?(「春の日の歌」第四連三行目)

・ここで旌はされている「なる」という断定の助動詞「なり」の活用は、その事を能く愬えている。素より中也は語法にいついて厳明な姿勢で臨み、正鵠を射るように賓辞を配している。中也の詩に見られる破格は、真剣で持って開く刀背打の破調だという事を知らねばならない。

**********
*註解
・旌はされ:あらはされ
・愬え:うったえ
・刀背打:みねうち


・・・・・・・・・・・(十二)夏の夜

・『在りし日の歌』後記に「作ったのは、最も古いのでは大正十四年のもの、最も新しいのでは昭和十二年のものがある。」とある。
・大正十四年下旬、長谷川泰子は中也の許を去る。<「七月中原は山口へ帰った。九月最初の媾児。小林は二十三歳、泰子二十一歳である。」(大岡昇平『朝の歌』)。>中也が富永太郎の紹介で小林秀雄を訪れたのは、四月初旬のことだ。

・・・――疲れた胸の裡を 花辯が通る(「夏の夜」第四連三行目)

・十年の年月を経て、「雨の日」でこの花辯は次の様に夢となって出現する(『在りし日の歌』では「雨の日」は「夏の夜」の前におかれている)。

・・・わたくしは、花辯の夢をみながら目を覺ます。(「雨の日」第一連四行目)

・花辯は泰子を彷彿させる喩えには違いない。この詩は、泰子が去ったのちに書かれたものなのか?私は泰子が去る前だと思いたい。花辯は、
去る前の泰子の顔ではなかったか。恐らく、大正十四年七月から十一月の間の作に違いない。
・この詩は、『在りし日の歌』の流れを先取りしている。

・・・開いた瞳は をいてきぼりだ、(「夏の夜」第三連二行目)

・この<をいてきぼりの瞳>が<〓馬の瞳(「臨終」)>や<動かない瞳(「〓い瞳」)>よりも先の発想である事を、中也は知らずに詠む。
・初節の<あゝ 疲れた胸の裡を/櫻色の 女が通る/女が通る。>から<――疲れた胸の裡を 花辯が通る。//疲れた胸の裡を 花辯が通る>
と振る強引とも思える畳み掛けと、<開いた瞳は をいてきぼりだ、>との取り合わせは何故か『在りし日の歌』の時の流れにそぐわない。燃焼できずにいる中也の生理が、夏の靄の中に暑く徘徊っているようだ。
・空焚き寸前の空間。二人の男と、一人の女が現有している筈の生存空間の中で、中也一人が時差ボケしていた。どちらがの姿が滑稽か。決定的結びつきと思われる瞬間を胸に抱き生きる男と女の姿と、そんな人間現実からいつも取り残される中也の姿。男と女、そこが問題だ。

**********
*註解
・胸の裡: むねのうち
・銅鑼:ごんぐ
・著物:き もの
・徘徊って:たちもとって


・・・・・・・・・・・(十三)幼獣の歌

・昭和十二年八月二十一日の日附を持つ『ランボウ詩集』の後記で、中也は次の様に言う。

・・・所で、人類は「食ふため」には感性上のことなんか犠牲にしてゐる。ランボオの思想は、だから嫌はれはしないまでも容れられはしまい。
・・勿論夢といふものは、容れられないからといつて意義を減ずるものでもない。然しランボオの夢たるや、なんと容れ難いものだらう!

・幼獣が抱く星も。なんと受け容れ難い夢であったことだろう。

・・・獣はもはや、なんにも見なかった。
・・・カスタニエットと月光のほか
・・・目覺ますことなき星を懐いて、
・・・壺の中には冒涜を迎へて。

・この第ニ節は、<カスタニエットと月光のほか>が<見なかった>に掛かるか、或いは<目覺ます>に掛かるかによって、獣と星の性格がまるで違ってくる。中村稔は『中也のうた』に於いて、「およそ詩を味讀することと謎解きとは全く関係ない。」と断った上で次の様に言う。

・・・……ここでうたわれているのは、目覺ますことない星をいだき、火消壺の中に冒涜をかかえて、カスタニエットと月光のほか何も見ない、
・・そのために燻りつづけてやまない一匹の獣の心である。……

・<見なかった>に掛かる解釈なのだが、成程そのようにうたう詩人もいるに違いない。しかし、それは中也の歌ではない。詩法に従うのは謎解きではないので、私は<目覺ます>に掛かる熟読を採る。

・・・カスタニエットと月光のほか
・・・目覺ますことなき星を懐いて、

・<目覺ます>は、他動詞「目覺す(めざます)」の連体形であり、中也は自動詞「目覺める(めざめる)」の連体形「目覺める(めざめる)」を用いてはいない。私たちが見ていると思っている星は、火消壺の外に輝く星ではない。実は、私たちは火消壺の中にいて夜空を眺めていたのに相違ないのだ。幼獣が抱く星は、夢からうつつに返る星ではない。それは、カスタニエットによって呼び起こされ、月を弾けて栄える夢の星。カスタニエットは燧石と共振している。燧石を打って造った星の光を浴びて、月は明るむだろう。

・・・獣はもはや、なんにも見なかった。

・正になんにも見ない獣として、中也は句点を打つ。それはカスタニエットと月光だけを見るような中途半端な姿ではない。見るという創造物を知る行為を放逐してしまうほど無防備になって、燧石を打って自ら星を造る営みに没入する幼獣の姿なのだ。
・神もなく認識もない<太古は、獨語も美しかつた!……>と、中也は歌う。そこには、美の発見と創造とが一緒である営みがあった。

**********
*註解
・燧石:ひうちいし
・太古は、獨語も美しかつた!……:「幼獣の歌」終連第四行目


・・・・・・・・・・・(十四)この小兒

・詩集『在りし日の歌』の題名には、「去年の雪」「在りし日の歌」「消えゆきし時」「過ぎゆける時」などが考えられていた。題名『在りし日の歌』、第一パート標題『在りし日の歌』、「含蓄」の副題「在りし日の歌」が付けられた正確のな時期は不詳。清書した原稿を小林秀雄に渡したのは昭和十二年九月二十六日。恐らく、この頃には決定していたものと思われる。長男文也が生まれたのは昭和九年十月十八日、亡くなったのが昭和十一年十一月十日。中也は、上野孝子のお腹にいる時から文也のことを日記に書き、死後「文也の一生」を起こしている。

・・・黒い草むらを
・・・コボルトが行く
・・・・・・・(「シャルルロワ」)

・コボルトは洞窟を番する精霊。黒い草むら、そしてコボルト。この詩句の持つイメージから「この小兒」と「幼獣の歌」は生まれた。

・・・コボルト空に往交へば、

・このコボルトは空高く飛び歩く精霊ではない。黒い草むらをコボルトが行く。揺れる葉先が、この小兒にとって空のすべてなのだ。割れた地球の片方に腰掛け見えた空。それは空高く聳える空ではなく、浜と水平に臨む海の果ての空だった。

・「この小兒」は昭和十年五月頃制作された。
・詩集『在りし日の歌』の扉に添えられた献辞「亡き兒文也の霊に捧ぐ」は、ヴェルレーヌの『言葉なき恋歌』に流れる無人称的抒情の燈火を呼び熾すように、聞こえぬ音を奏で続ける通奏低音となって名辞以前の世界へと誘う。

**********
*註解
・「シャルルロワ」:−ヴェルレーヌ−『言葉なき恋歌』ベルギー風景
・往交へば:ゆきかへば


・・・・・・・・・・・(十五)冬の日の記憶

・この詩の単調な調べは、何故かヴェルレーヌの詩「秋の歌」を呼び起す。

・・・啜り泣きつきなく
・・・ヰ”オロンを弾く
・・・・・秋の一日
・・・打ち沈むたましい
・・・心悲し
・・・・一色の日々。

・・・・・狭まる息かながら
・・・・・そして蒼ざめながら
・・・・・・・時鐘の鳴り響く日々、
・・・・・私は自分を思い出す
・・・・・在りし日のかずかず
・・・・・・・そして私は噎び。

・・・私は吹き立ち上がり
・・・吹き迷う風に乗り
・・・・・ひたすらに漂う
・・・そちこちで
・・・まるで
・・・・・落葉のよう。
・・・・・・・・(ポール・ヴェルレーヌ「秋の歌」:『土星びとの歌』― アンダンテ訳 ―


**********
*註解
・一日:ひとひ
・心悲し:うらかなし
・「秋の歌」:『土星びとの歌』― ポール・ヴェルレーヌ ―
・・・・・・CHANSON D’AUTOMNE
・・・Les sanglots longs
・・・Des violons
・・・・De l’automne
・・・Blessent mon Coeur
・・・D’une langueur
・・・・Monotone.

・・・・・Tout suffocant
・・・・・Et bleme,quand
・・・・・・・Sonne L’heure,
・・・・・Je me souviens
・・・・・Des jours anciens
・・・・・・・Et je pieure.

・・・Et je m’en vais
・・・Au vent mauvais
・・・・Qui m’emporte,
・・・De ca,de la
・・・Pareil a la
・・・・Feuille  morte.
・・・・(Poemes Saturniens,1886 -–Paul Verlaine -)


・・・・・・・・・・・(十六)秋の日

・「秋の日」の脚切は、散らう落葉のように往還を蔽う。そして夏の「夢」は、躍り滑る幾千もの浪の鱗を刷るように水面を圧す。

・・・・・・・夢
・・・一夜 鐡扉の 隙より 見れば、
・・・・海は 轟き、浪は 躍り、 
・・・私の 髪毛の なびくが まゝに、
・・・・炎は 揺れた、炎は 消えた。

・・・私は その燭の 消ゆるが 直前に
・・・・〓い 浪間に 小兒と 母の、
・・・白い 腕の 踠けるを 見た。
・・・・その きえぎえの 聲さへ 聞いた。

・・・一夜 鐡扉の 隙より 見れば、
・・・・海は 轟き、浪は 躍り、
・・・私の 髪毛の なびくが まゝに、
・・・・炎は 揺れた、炎は 消えた。

**********
*註解
・「夢」:『未刊詩篇』の中にある詩。昭和十一年、『鶴』七月号に発表。尚、「秋の日」は『文学界』昭和十一年十月号に発表。
・鐡扉:かねど
・轟き:とどろき
・燭:ひ
・直前:ま え
・腕:かひな
・踠ける:もがける


・・・・・・・・・・・(十七)冷たい夜

・睡魔がさざ鳴き、衰弱が詩人の鼓動と共に前進して行く。昭和十一年、それは雨が色褪せする季節だった。濡れ冠る中也の心はわけもなく錆びつき、いや止処もなく錆びつき、そして風化して行った。

・・・丈夫な扉の向ふに、
・・・古い日は放心してゐる。
・・・・・・・(「冷たい夜」第二連一行、二行目)

・丈夫な扉の向こうでは、絆が足掻き振り棄てられる兒と母が、海老のように反っくり返った目をして、黒い浪間に溺れていた。

・・・おお浪よ、おお船!凡てを飛び越えよ、飛び越えよ!
・・・昔はわが魂は塵を嘗めた。今は此上ない血潮に地を塗れしめる。
・・・《おお季節、おお寨!
・・・如何なる魂が欠点なき?》ジャン・アルチュウル・ランボオ。
・・・・・・・(「鑠けた鍵」より ―三富朽葉 ―)

・ものの数ではない生命の為に、幸福という季節は一体何時やって来るのか。中也は、「幸福」と題してラムボオを次の様に訳す。

・・・季節が流れる、城寨が見える。
・・・無垢な魂なぞ何処にあらう?

**********
*註解
・止処:とめど
・此上:こよ
・寨:とりで
・《おお季節、おお寨!/如何なる魂が欠点なき?》:ラムボオ『地獄の一季』の中の「錯乱II」に出てくる詩句。三富は小林秀雄よりも早くラムボオに触れ『アルチュウル・ランボオ伝』を起こしている。
・・O saisuns,O chateaux
・・Quelle ame est sans defauts?
・季節:とき
・城寨:おしろ
・魂:もの
・「幸福」と題して:「新しい韻文詩と唄」では、無題。尚、『地獄の一季』の反古草稿では、この詩の位置は空白であり”Bonr”と仮題のみ記されている。又、別の草稿の冒頭に散文で”c’et pour dire que ce n’est rien ,la vie ;voila donc les Saisuns.”(生命なんぞ取るに足りぬという事を言う為に…季節が、ほら季節が其処にある。)と一行記されている。


・・・・・・・・・・・(十八)冬の明け方

・「冷たい夜」は『四季』に、「冬の明け方」は『歴程』にそれぞれ発表された。これより先、中也は昭和十年五月『歴程』第一次創作号に「北の海」(『在りし日の歌』)と「寒い!」(『未刊詩篇』)を発表していた。
・地上はやりきれぬほど寒く病み、雨が色褪せする季節に春はない。パンドラの匣にユピテルの電光が通る。失せゆく希望を後びさりしながら眺めている瓦。此処には、とりとめもなく風化してゆく風景があるばかりだ。

・・・空は悲しい衰弱。
・・・・・・・・私の心は悲しい……
・・・・・・・・・(「冬の明け方」第二連五行目)

・気づかぬままに其の一生を終える小兒、或いは自らを知ってでもいるように立ち昇る煙。悲しみは上の上の空へと、道伝いに足を引き摺りながら歩いてゆく。

・・・生きてゐるのは喜びなのか
・・・生きてゐるのは悲しみなのか
・・・どうやら僕には分らなんだが
・・・僕は街なぞ歩いてゐました
・・・・・・・(「春の消息」『未刊詩篇』より)

・殻を失った軟体動物のように無防備な中也の命は燻り、剥き出しになった血は異次元の季節の中へと浸透してゆく。だが其処には、あの黄金時代の城寨は何処にも見当たらなかった。

・・・太古は、鮮やぐ俺の記憶を辿れば、俺の生は心という心が無垢に舞い、酒という酒は溢れ出る饗宴であった。
・・・・・・・(ラムボオ『地獄の一季』***** の中の冒頭の詩節 ― アンダンテ訳 ―)

・・・Jadis,si je me souviens bien,ma vie etait un festin ou s’ouvraient tous les coevrs,ou tous les vins coulaient
・・・・・・・(Une Saison en Enfer *****)

・永遠の春を見出そうとするラムボオの望みが、地獄の一季節への扉を開く序幕であったように、――中也も又、扉の鍵を手にしたのか。否、むしろ補綴の効かない半透明の扉、なにものでもない扉そのものと化した。
・生からの離脱?とんでもない。彼ほど生への密着を苛酷なまでに試みた者はいない。虚無。それは言葉ではない。生を分離させる接着剤なのだ。私のこの表現は間違いだろうか。そうではない。言葉で考えると矛盾に思えるだけの事だ。水中の天井が同時に水面であるように、それは名状しがたい事実なのだ。

・・・さわることでは保証されない
・・・さわることの確かさはどこにあるか。
・・・・・・・・・・(大岡信『さわる』より)

・私たちが小石を拾うとき、それは小石に触れているのではない。さわることができないと知ったとき、私はいのちが目覚めるのを覚えた。Quelle ame est sans defauts? 如何なる魂が疵なく目覚む(アンダンテ訳)。不透明な孤独となって虚無の中へと没入してゆく。この亡念の境に身を置く中也の姿は、昭和二年小林秀雄宛『小詩論』に於いて既に認められる。中也はラムボオを引いて、次の様に結論を下す。

・・・Ah! Que le temps vienne,
・・・Ou les coeurs s’eprennent!
・・・そして僕の血脈を暗くしたものは、
・・・「對人圏の言葉なのです。

・・・Je ne suis dit:Laisse,
・・・Et qu’on ne te voie,!!!

・そして、昭和二年八月二十二日の日記には「ランボオを読んでいるとほんとに好い氣持になれる。なんときれいで時間の要らない陶酔が出来ることか!/茲には形の注意は要らぬ./尊い放縦といふものが可能である!」とある。

・・・なにも
・・・ない
・・・隙間が

・・・渚なみ
・・・と
・・・砂浜に
・・・さわる

・・・さわる
・・・乙張と
・・・さわる

・・・なにも
・・・ない
・・・隙間が
・・・なければ

・・・なにも
・・・ない

・・・渚なみ
・・・も
・・・砂浜
・・・も  

・・・なにも
・・・ない
・・・・・(大岡信「さわる」より)

・虚無の隙間に現象と実像を尋ね探るに似て、物質を現象と実体とに識別する行為は夢魂のざれ事に違いあるまい、何処までも物質を辿り、漁り捲ればいい。もがく指先では、嘗て実体と呼ばれていた虚無の隙間と、そして今もなお現象と言う名の意識対象とが空掴みのまますり抜けている。灰白の闇の中で言葉が呻吟う。あなたは、何時の日か目覚めるのだろうか。

・・・青春が嗄れ
・・・呪縛に囚われた、
・・・優しさ故に憧れ
・・・俺は身を崩した
・・・・・(「最も高い塔の歌」― アンダンテ訳 ―)

・中也は翻す、小難しい意識を吹き飛ばすかのように三観を込めて!!! qu’on ne te voie,!!! そして虚無からの目差しを以て抒情する。

・・・農家の庭が欠伸をし、
・・・道は空へと挨拶する。

・この飛動的風景は、誰の意識にも昇ることなく中也の現身に寄り憑く。それは、現在が虚無の持続と化した者の当然の帰結に違いなかった。何故なら、未来が希望もなく記憶もない過去として立ちはだかる空の奥を覗いてしまった中也にとって、対人圏の言葉に凭れかかり意識したとしても、今私たち見ている風景は在りし日の風景でしかなかったからだ。

・・・天は地を蓋ひ、
・・・そして蛙聲は水面に走る。
・・・・・・・(「蛙聲」第三連『在りし日の歌』)

・・・その聲は水面に走って暗雲に迫る。
・・・・・・・(「蛙聲」最終句)

・空の奥が変転する瞬間の兆し、そんな風景の振る舞いがあった。

・・・qu’on ne te voie!!!

・誰もお前に気づかぬように虚無の隙間に埋まり、空の奥のその奥の虚無の空である現在へと逃脱する事、それが中原中也という詩人の生活空間であり、生活方式だったのだ。

**********
*註解
・Ah! Que le temps vienne,・・・・・・・ああ!絶頂の時は来ぬものか、
・Ou les coeurs s’eprennent!・・・心が酔いしびれる そんな!
・Je ne suis dit:Laisse,・・・・・・我が身に言い掛かった‥埋まれ、
・Et qu’on ne te voie,・・・・・・・誰もお前にきづかぬ様にだ、
・・・(Chanson de la plus haute tour:「最も高い塔の歌」― アンダンテ訳 ―
・意識対象:こ と ば 
・呻吟う:さまよう
・Je ne suis dit:Laisse,/ Et qu’on ne te voie,!!!:中也はラムボオのこの二句を次の様にやくしている。
・・私は思った、亡念しようと、/ 人が私をみないやうに。
・欠伸:あくび
・蛙聲:ぁ せい


・・・・・・・・・・・(十九)老いたる者をして
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・――「空しき秋」第十二

・詩集『在りし日の歌』には、[在りし日の歌]という標題を持った四十二篇と[永訣の歌]という標題を持った十六篇、合わせて五十八篇の詩が収められている。『老いたる者をして』は、その第一部四十二篇の折り返し点に位置する詩のように思える。副題に配された「空しき秋」の二十数篇は、関口隆克・石田五郎と共同生活していた下高井戸の家で一晩の内に書き上げたという。昭和三年十月、中也二十一歳の時だ。関口隆克によると十六篇あったとのことだが、いずれにせよ昭和五年五月『スルヤ』で発表された第十二篇を残して他は散佚したという。

・・・老いたる者をして静謐の裡にあらしめよ (「老いたる者をして」第一連一行目)

・対人圏の言葉の中で生きつづけ老いてゆく者にとって、<静謐の裡にあらしめよ>とは、山奥に幽閉されるに等しく苦痛を強いられる日々に違いない。悔いる事は、人にとっていつの日も非現実的な事柄なのだ。

・・・そは彼等こころゆくまで悔いんためなり (「老いたる者をして」第一連二行目)

・<悔いん>、この「ん(む)」という語り手が非現実な事柄と知りつつも願わずにはいられない助動詞の一語に由って、中也という詩人の生活空間が現実の中に流れ出す。この詩が、単なる諧調の整った抒情とも在来の老いの境地とも異なっているのはその為なのだ。

・・・こころゆくまで悔ゆるは洵に魂を休むればなり(「老いたる者をして」第二連二行目)

・洵に魂を安らかにすれば、必ずこころゆくまで悔ゆる事が出来る。そう、詩人は歌う。虚無の隙間 ―― それは、空に触れ風に触れ小浜に触れ、然も振れることなく静謐の裡に在る。物事は単に物が有るという事実から起こるのではない。虚無の裡に物が存在する事に由って、はじめて物事が起こるのだ。物は意識の有無に関与することなく、虚無の隙間に置かれて在る。意識せねば知れざる物として在り、意識すれば知られる物として在る。

・・・あゝ はてしもなく涕かんことこそ望ましけれ
・・・父も母も兄弟も友も、はた見知らざる人々をも忘れて
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
・・・・・・・・反歌
・・・あゝ 吾等怯懦のために長き間、いとも長き間
・・・徒なることにかゝらひて、涕くことを忘れゐたりしよ、げに忘れゐたりしよ……
・・・・・・・(「老いたる者をして」第三連および反歌)

・「空しき秋」が作られた時と前後して、中也は『生と歌』の中で次の様に言っている。

・・・……辛じて私に言へることは、世界が忘念の善性を失つたといふこと、つまり快活の徳を忘れたといふことである。換言すれば、世界は
・・行為を滅却したのだ。認識が、批評が熾んになつたために、人は知らぬ間に行為を規定することばかりをしだしたのだ。――考へなければ
・・ならぬ、だが考へられたことは忘れなければならぬ。
・・・直覚と、行為とが世界を新しくする。そしてそれは、希望と嘆息の間を上下する魂の或る能力、その能力にのみ関つてゐる。
・・・認識ではない、認識し得る能力が問題なんだ。その能力を拡充するものは希望なんだ。
・・・希望しよう、係累を軽んじよう、寧ろ一切を棄てよう! 愚痴つぽい観察が不可ないんだ。
・・・規定慾――潔癖が不可ないんだ。
・・・行へよ! その中に全てがある。その中に芸術上の諸形式を超えて、生命の叫びを歌ふ能力がある。
・・・……

・「空しき秋」二十数篇はヴェルレーヌの『叡智』を意識して書かれた。理解する事と影響を受ける事とは別物だ。その意味で中也はヴェルレーヌにより憧れ、ラムボオよりも触発されたと言える。

**********
*註解
・静謐:せいひつ
・裡:うち
・在来:ありきたり
・洵に魂を;まことに たまを
・徒なる:あだなる
・熾ん:さかん


『在りし日の歌』 ― 各論 /『山羊の歌』― 反唄

  アンダンテ

・・・・・・・・・永訣の秋
・・・・・・・・・・・(二)一つのメルヘン

・・・秋の夜は、はるかの彼方に、
・・・小石ばかりの、河原があつて、
・・・それに陽は、さらさらと
・・・さらさらと射してゐるのでありました。

・時を跨ぐのではなく、遮断されずにはるか彼方の二次元の地表を保ったまま、垂直に割った時間たちがそれぞれ違った風景を醸し出す。遠景は時差ボケではなく、詩的事実として表流する。

・・・「詩的真実」に従って溝に水が流れ出し、根元から濡れ始めた棒杭の先に翡翠がとまった。
・・開いた翅が閉じる。水が流れるとせせらぎの音が立ち始め、その静かさが遠い囀りや葉擦れの
・・音を際立たせた。
・・・・・・・・・・(「詩」と「詩論」― Migikata [11906-文学極道])

・・・だから翡翠が杭の先から見ているものは詩であって詩ではない。主体の外側にあり、内実を
・・持たない詩の外形なのだ。世の中の表象の表面を流れる「詩的真実」が真実とは名ばかりの、
・・時間軸上の座標点の転変に過ぎない事実を、言葉自体の持つ性質が最初から内包している。詩
・・の言語は時間の経過に晒され、洗われているばかりではない。相対的に真実の具現をコントロ
・・ールしているわけだ。言葉がなければ、時間は経過しないということ。言葉は時間経過の中で
・・自ら表出を全うする仕組みを持つということ。
・・・・・・・・・・(「詩」と「詩論」― Migikata [11906-文学極道])

・時間がなければ言葉は作用できない。真実が詩的である有り様は、時間がなければ進行しない。<言葉は時間経過の中で自ら表出を全うする仕組みを持つ>は「時間がなければ言葉は作用できない」と同義だ。しかし、何ゆえにMigikata氏は<言葉がなければ、時間は経過しないということ>と言うのだろうか。いくら開けゴマ!と叫んでも開かないのは何故だろう。時間は経過しているはずなのに。時間は主観的に流れていたのだろうか。言葉の持つ隙間はさておいて、モノの持つ隙間(持つとは妙な言い方だが)、なにもない隙間をデフォルメすることは出来ない。

・・・さらさらと

・射している陽から流れる水へと、さらさらと琵音を奏でることに拠って詩的事実が伝わってゆく。

・・・やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
・・・今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
・・・さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……

・<ゐるのでありました…‥>詩的真実が現実味を帯びる。

********************
*註解・
・Migikata氏は返信の中で次の様に言っている。
・……
・・作品は言葉でできています。言葉で作品世界がコントロールされているということです。じゃあ、作者が言
・葉を完全にコントロールできているかというとそうではない。言葉自体の持つ文脈、大きなバックグラウンド
・や内包された隠れた意味が、世界に別の顔を持たせる部分もあります。この作品の前半では、「「詩的真実」に
・従って溝に水が流れ出し」のように、わざと主観と言葉により表現された客観世界の境を曖昧にしてあります。
・それは言葉とモノとの持つ隙間をデフォルメしたということです。だから時間は主観的に流れる、その主観は
・言葉によって作られている、言葉が時間を作っている、言葉がなければ時間は経過しない、という無茶な論法
・が展開されるのです。……


・・・・・・・『山羊の歌』― 反唄
・・・・・・初期詩篇
・・・(一)春の日の夕暮れ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・反唄
トタンがセンベイ食べて・・・・・・・・・・鴉が鳴くから帰ります
春の日の夕暮は穏かです・・・・・・・・・・つきたての餅を腰に提げ
アンダースローされた灰が蒼ざめて・・・・・五十三歩が逸れました
春の日の夕暮は穏かです・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・邪魔になったら
吁! 案山子はないか――あるまい・・・・・呼んでください
馬嘶くか――嘶きもしまい・・・・・・・・・
ただただ月の光のヌメランとするまゝに・・・春の夕暮れは
從順なのは 春の日の夕暮か・・・・・・・・だれ一人拒まない
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・夢の孤独に寄り添います
ポトポトと野の中に伽藍は紅く・・・・・・・
荷馬車の車輪 油を失ひ・・・・・・・・・・サブマリンの棲む
私が歷史的現在に物を云へば・・・・・炎天の底の水たまりに
嘲る嘲る 空と山とが・・・・・・・・・・・接続できずにいるのです
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
瓦が一枚 はぐれました・・・・・・・・・・邪魔になったら
これから春の日の夕暮は・・・・・・・・・・呼んでください 
無言ながら 前進します・・・・・・・・・・
自らの 靜脈管の中へです・・・・・・・・・両手に私をのせて伺いますから

・・・エピローグ
・中也は、本来ダダイスト達の無造作で気ままな反抗とは無縁だった。海に打ち込む錨を地上に垂らし、測量技師のような目つきで垂直を保つ。

**註解********************
・*詩集『山羊の歌』は、昭和二十二年八月二十五日創元社発行『中原中也詩集』に拠る。
・*吁:ああ *嘲る:あざけ *自ら:みづか
・*高橋新吉の『茶色い戦争』によると、中也は「ダダイスト新吉」の詩の中にある次の詩を覚えて
・いて好きだと言った。
・・・少女の顔は潮寒むかつた
・・・うたつてる唄はさらはれ声だつた
・・・山は火事だつた
・*草稿では<私が歷史的現在に物を云へば>の次行に<現在と未來との間に我が風の夢はさ迷ひ>とあるのを
・抹消。


・・・(二)月
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・反唄
今宵月はいよよ愁しく、・・・・・・・・・・鎖骨に遺る天使の歯形だ
養父の疑惑に瞳を瞠る。・・・・・・・・・・面影を残した星の生家に
秒刻は銀波を砂漠に流し・・・・・・・・・・みたび 咲く存在と夢
老男の耳朶は螢光をともす。・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・きみのひとみがぬれている
あゝ忘られた運河の岸堤・・・・・・・・・・うちにひめたおもいを絶ち
胸に殘つた戰車の地音・・・・・・・・・・・きみのたましいを砕いて
銹つく鑵の煙草とりいで・・・・・・・・・・からっぽのカプセルの中に
月は懶く喫つてゐる。・・・・・・・・・・・うまれたての螢をつめこむ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
それのめぐりを七人の天女は・・・・・・・・さて 存在という存在はそれが存在するだけで
趾頭舞踏しつづけてゐるが、・・・・・・・・うっとうしい しかし
汚辱に浸る月の心に・・・・・・・・・・・・思考が未踏の存在をつくるとしたら
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なんの慰安もあたへはしない。・・・・・・・ああ 生殖器は美しい
遠にちらばる星と星よ!・・・・・・・・・・心臓はあわれだ 
おまへの抉手を月は待つてる・・・・・・・・脳は威張り散らす
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・エピローグ
・内意を持ち込まない名辞以前の状態にある時、最も簡素な姿として自同律は完結している。私たちは、蛙聲と同質の関係を結ぶ。

**註解*******************
・*愁しく:かなしく
・*瞠る:みはる(原文は環境依存文字[目扁と爭]のため表示出来ず代用。)
・*秒刻:とき *懶く:ものうく
・*抉手:そうしゅ(原文は特殊文字[曾と部首:りっとう]のため表示出来ず代用。「會と部首:りっとう+
・手:かいし」の場合は「首切り人」の意)
・*生殖器は……:ウイリアム・ブレイクによる


・・・(三)サーカス
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・反唄
幾時代かがありまして・・・・・・・・・・・There was a naughty boy
・・茶色い戰爭ありました・・・・・・・・・===イケナイ子がいました
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・And a naughty boy was he
幾時代かがありまして・・・・・・・・・・・===ほんとに、イケナイ子でした
・・冬は疾風吹きました・・・・・・・・・・For nothing would he do
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・===だってなんにもしないで
幾時代かがありまして・・・・・・・・・・・But scribble poetry
・・今夜此處での一と殷盛り・・・・・・・・===詩ばっかり、書いていたんだもん
・・・・今夜此處での一と殷盛り・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・so much depends
サーカス小屋は梁・・・・・・・・・・・・・upon
・・そこに一つのブランコだ・・・・・・・・===実に多くのものが
見えるともないブランコだ・・・・・・・・・===そこには
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
頭倒さに手を垂れて・・・・・・・・・・・・a red wheel
・・汚れ木綿の屋蓋のもと・・・・・・・・・barrow
ゆあ―ん・ゆよーん・ゆやゆよん・・・・・・===白い鶏の
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・===そばで
それの近くの白い灯が・・・・・・・・・・・
・・安値いリボンと息を吐き・・・・・・・・glazed with rain
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・water
觀客様はみな鰯・・・・・・・・・・・・・・===雨水で
・・咽喉が鳴ります牡蠣殼と・・・・・・・・===てかった
ゆあ―ん・ゆよーん・ゆやゆよん・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・beside the white
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・chickens.
・・・・・屋外は眞ツ闇 闇の闇・・・・・・===赤いネコ
・・・・・夜は刧々と更けまする・・・・・・===車。
・・・・・落下傘奴のノスタルヂアと・・・・
・・・・・ゆあ―ん・ゆよーん・ゆやゆよん・・・・O Romeo,Romeo!wherefore art thou Romeo?

・・・エピローグ
・ゆあ―ん・ゆよーん・ゆやゆよん・・中也のやるかたない音表の漂失感は、埴谷雄高の花粉症の気怠いうたかたの零れ Pfui!(ぷふい!)と同様、それぞれ体鳴する音の響きとなって、言葉では癒せない怠惰、その天秤を正確に狂わせている。
・ここまでに取り扱った三つの詩は、風化した淘の上の記憶を揺り起こし、そのことに因って抒情は恢復している。中也の心がどんなに涸れようとも、変わらぬ資性として抒情はあった。・

**註解**********************
・*一と殷盛り:ひとさかり *倒さ:さかさ *屋蓋:やね *安値い:やすい 
・*咽喉:のんど*刧々:こふこふ *淘:ゆら
・*There was a naughty boy……:John Keats(ジョン・キーツ 1795-1821)
・*so much depends……:William Caelos Williams(ウィりアム・カーロス・ウィりアムス1883-1963)
・*O Romeo,:William Shakespeare(ウィりアム・シェイクスピア1564-1616 )「Romeo and Juliet II,ii」


『在りし日の歌』 ― 各論

  アンダンテ

・・・・・・・・・・・(二十)湖上

・・・波はヒタヒタ打つでせう。 
・・・風も少しはあるでせう。
・・・・・・・(「湖上」)

・この未来を誘惑する単純な語り口は、私たちを昔話の入り口へと誘い込む。

・・・あなたはなほも、語るでせう、
・・・よしないことや拗言や、
・・・洩らさず私は聽くでせう、
・・・・・・・(「湖上」)

・よそよそしくも秒針時計に近づき反転をうながすようだ。

・・・われら接吻する時に
・・・月は頭上にあるでせう。
・・・・・・・(「湖上」)

・接吻のくだりは、ラムボオの「冬に微睡みし夢」が下敷きになっていると思われる。後に、中也は「湖上」の詩法を用いて訳している。同じ「……でせう」なのだが、「冬の思ひ」では不器用な翻訳ながらも取り留めもない恋の進行に一役買っているのに対し、「湖上」では一向に進行しない恋の軈て洵涕に濡れたエレジーへと移行する。

・・・月は聽き耳立てるでせう。
・・・すこしは降りても來るでせう。
・・・・・・・(「湖上」)

・本来なら気の利いた此の句も、中也の強迫観念とも言える宇宙転変のイメージと重なって不気味な現実性を帯びた句としてある。この強迫観念は、硝子体の中を浮遊する黒い煤のように、恐らく一生拭い去ることの出来ぬまゝあり、どの詩にもその影を落としていた。それは、中也の言う<現實の奇怪性>に違いなかった。

**********
*註解
・拗言:すねごと
・接吻:くちづけ
・「冬に微睡みし夢」:原題は “Reve pour I’hiver”。 ラムボオ自筆原稿の末尾に「70年十月七日、車中にて」と記されている。
・下敷き:大正十五年一月、中也は正岡忠三郎からベリションによるメルキュール・ド・フランス版のランボー『作品集』を貰った。
・訳:「冬の思ひ」と題して訳している。
・軈て:やがて
・現実の奇怪性:昭和十年五月二日の日記に次の様にある。「君等には現實の奇怪性が見えてをらぬ。それ故余は諸君が奇怪に見える。」


・・・・・・・・・・・(二十 一)冬の夜

・・・みなさん今夜は靜です
・・・・・・・(「冬の夜」)

・「春の日の夕暮れ」を彷彿させる書き出しで始まるこの詩は、昭和八年一月三十日付で安原喜弘に送られている。この詩の前半は、泰子が小林の許へ去った大正十四年の春に書かれたと言っても不思議でない程、初期の詩風を引き込んでいる。
・昭和三年四月、中也は小林秀雄に “Me voila”という断片を書き残している。

・・・人がいかにもてなしてくれようとも、それがたゞ暖い色をした影に見え、自分が自分で疑はれるほど、淋しさの中に這入った時、人よ憶
・・ひ出さないか? かの、君が幼な時汽車で通りかゝつた小山の裾の、春雨に打たれてゐたどす〓い草の葉など、また窓の下で打返してゐた海
・・の波などを……

・「俺は此処に居る」そよぐ空気が、そう耳元でさゝやく。
・秋山駿は −『知れざる炎』評伝中原中也 ー の中で、<……それよりも、この Me Voila という言葉が、次のランボオの詩の一節から発想されたものではないか。と考えることに興味をもつ。>と言って、『地獄の季節』の「悪胤」の一節(小林秀雄訳と原文)を引き、<この「te voila」(貴様がさうしてゐる)が、化けて出て来たものではないかと思う。……>と想見している。「悪胤」を読み取ると、ラムボオの詩句には静謐の裡で涕き凍みずく中也の思いの色が内焔として佇む。例えば、”Mon innocence me ferait pleurer.”「罪無くして泣けて来る。」と「老いたる者をして」の <あゝ はてしもなく涕かんことこそ望ましけれ> とは、洵涕する共晶の声である事に気づくだろう。
・昭和十年『日本詩』四月号で発表した決定稿と安原に送った草稿との間に移文が存在する。草稿には <いいえ、それはもう私のこころが淋しさに麻痺したからです?/淋しさ麻痺したからそんなことを云ふのです/(以下略)>という一連が、2の第一連と第二連との間にあった。”Me voila”で語った詩想を色濃く再燃させた一連に出くわし、私たちは今、昇華して空気に埋まる中也の結晶に触れる。

**********
*註解
・”Mon innocence me ferait pleurer.”:Une Saison en Enfer - Mauvais sang
・「罪無くして泣けて来る。」:『地獄の一季』-「悪い血」(アンダンテ訳)
・原文:
・・Sur les routes,par des nuits d’hiver,sans gite.sans habit,sans pain,une voix etreignait mon Coeur gele:≪Faiblesse ou force:te voila,c’est la
・force.Tu ne sais ni ou tu vas ni pourquoi tu vas,entre partout,reponds a tout.On ne te tuera pas plus qu sit u etais cadaver.≫Au matin j'avais le
・regard si perdu et la contenance si morte,que ceux que j'ai rencontres ne m’ont peut-etre pas vu.
・・冬、夜な夜な、衣食に事欠き住むところもなく道々をほっついていると、ひとつの声がして、俺の凍えた心を絞めつけた。『行キダオレルカ、ソレトモ生キ存エ
・ルカダ.オマエハ此処二イル、ソレハ生キ止マッテイルコトジャナイノカ。ワケモワカラズ当所モナクウロツクオマエ、行ク先々デ首ヲ突ッコミ、応エヨ、ナン
・デモカンデモダ。屍モドウゼンノオマエヲ、モハヤ殺シ二カカル奴モアルマイ二。』朝になると俺は、すれ違う者達も多分俺だと気づかぬ程。殆ど死んだ目付をし
・し憔悴仕切った有様だった。


『在りし日の歌』 ― 各論
・・・・・・・・・・・(二十 二)秋の消息

・青山次郎は『眼の哲学』-「知られざる神」で次の様に言っている。

・・・支那の文化は筆の文化である。支那のアノ文字でも言葉でもなかった。
・・・我が国では、少く共そういう風に支那の文化を受けついだ、フシがある。
・・・床の間に「書」を掛けるが、人は画でも見るように書を眺める。だが画でも見るように書を眺めていたのでは決してない。書そのものが
・・言葉だから、人は画でも見るように書かれた言葉を眺めたのである。

・・・・・閑さや岩にしみ入る蝉の声

・・・眼に見えるようだと言うが、眼に見えたのは言葉である。言葉の魅力で「立石寺」が見えるようだと解するなら、俳句ではない。見なけ
・・れば成らないのは十七字の組み合せである。
・・・十七字には、十七字を支えている姿がある。繰返すようだが、書かれた言葉を床の間に飾って、それぞれ形を得た言葉を画でも見るよう
・・に眺めたのが「書」である。この見方は千年来間違ってなかった。能も茶も一つである――結果として、書そのものの内容が、同時に見え
・・る言葉に生まれ変わったのである。

・言葉が論理に支えられているとしたら。私たちは論理の確かさを何をもって識るのだろう。論理という言葉の持つ力に酔いしれているなら、それは論理的とは言えない。
・「秋の消息」。知覚表象を言語化した中也の行為の詩的結実として、この詩は私たちの前にある。

**********
*註解
・青山次郎:明治三十四年六月一日、東京市にて生まれる。昭和五十四年三月二十七日没。昭和十三年四月、中也の詩集『在りし日の歌』(創元社刊)を装丁。


・・・・・・・・・・・(二十 三)骨

・・・實生活は論理的にやるべきだ!實生活にあつて、意味のほか見ない人があつたら、その人は實生活意外にも世界を知つてゐる人だ。即ち
・・科學でも藝術でもない、大事な一事を!
・・・げにわれら死ぬ時に心の杖となるものがあるなら、ありし日がわれらの何かを慄はすかの何か!
・・――生を愛したといふことではないか?
・・・小學の放課の鐘の、あの黄ばんだ時刻をお憶ひ出すとして、タダ物だと思ひきれるか?

・・・(社交家達といふものは理智で笑つて感情で判斷する。即ち意味に忠實でないからだ。――)

・・・・・・*

・・・さうしてよき心の人よ、あれら手際よい技能家や學者等を恐れたまふな。あれら魂が希薄なために、夢が淺いので歯切れが好いばかりだ。
・・――彼等が歯切れの好いことは彼等の人格と無關係だ。

・・・・・*

・・・地上を愛さんために、人は先づ神を愛す必要がある!
・・・・・・・・・・(『Me Voila』―a Cobayashi)

・このなんとも言えず解りずらい散文を読み下すヒントは、約一年後(一九二九・一・二〇の日付の)に書かれた、次の詩の中にあるように思われる。

・・・神よ私をお憐み下さい!

・・・・私は弱いので、
・・・・悲しみに出遭ふごとに自分が支えきれずに。
・・・・生活を言葉に換へてしまひます。
・・・・そして堅くなりすぎるか
・・・・自堕落になりすぎるかしなければ、
・・・・自分を保つすべがないやうな破目になります。

・・・・神よ私をお憐み下さい!
・・・・この私の弱い骨を、暖いトレモロで滿たして下さい。
・・・・ああ神よ、私が先づ、自分自身であれるやう
・・・・日光と仕事とをお與へ下さい!
・・・・・・・・・・(『未刊詩篇』「寒い夜の自我像 3 」)

・言葉で表現され得ない観念というものはない。だが、現象の背後に事物があると思われているようには、言葉で表現され得る観念が実在しているとは言い切れない。「無限」という観念が実在する為には、無限という言葉の意味が「存在」という『場所と形式』に適合するか否か確かめる行為がなされなければならないだろう。<実生活は論理的にやるべきだ!>と中也は言う。論理的に生きるとは、そういうことなのだ。
・<この私の弱い骨を、暖いトレモロで滿たして下さい。>みつばのおひたしを食ったこともある、恰度立札ほどの高さにしらじらととんがった骨は、〓気の底に冷たく沈む青空の中で、小學の放課の鐘の、あの黄ばんだ時刻からヌックと出た骨。
・私たちが棲む空間は実生活以外の世界でもあるのだという大事な一事に、あなたは達は気づいただろうか?

**********
*註解
・〓気:こうき


・・・・・・・・・・・(二十 四)秋日狂亂

・「秋日狂亂」は昭和十年十月『旗』十三輯に発表された。昭和十年は、出版社の依頼もあってランボオ翻訳に専心していた年である。中也は『イルミナシヨン』の「放浪者」を訳していないので推測の域を出ないが、恐らく小林秀雄からこの詩の知識を得ていただろう。両方の詩の終節を並べてみると、二人の詩人の核心が滲み出て愛塗れるイメージが湧いてくる。

・・・「對立」の概念の、去らんことを!
・・・・・・・(「砂漠の渇き‐5」『未刊詩篇』より)

・「空間」を無限なものと見做して実在するという実在論的見地に立とうと、或いは「無限なる空間」を直観形式とする観念論的見地に立とうとも、私たちは有限なる事物の影すら知覚する事はないだろう。無限を有限と対立する肯定として捉える認識がある。無限なる存在を識る事なくして、有限なる存在を識る事はない。それはそうかも知れない。しかしそれなら、それらが対立する概念と識るのは何故かを問わないのは、妙な話ではないか。「存在すると思える事」と「思える事が存在できる事である事」とは、別の話であると私には思われる。
・無限を「有限なるものが数限りなくある」という意味ではなく、「果のない単一なるもの」として捉えるなら、無限には空間は無い。存在の形式としての空間を宥さない場所(内容)として、無限は存在するしかない。空間は存在の形式としてあり、事物は存在の内容としてある。事物は場所(内容)として存在しているのであって、「現象(物の外面的現われ)がそこにある」場所として空間が存在しているのではない。現象がそこにある場所に存在するものは、物(本体)である筈だ。場所は形式ではない、内容だ。「空間は知覚の形式(形態)である」(カント)という言い方は魅力的ではあるけれど、「空間は存在の形式である」に較べて論理的ではない。何故なら、知覚は存在ではない。知覚は存在する(できる)もしくは存在しない(できない)もの、又はものではないもの。
・「存在」とは、内容と形式の総体としてある。言葉の魅力で恰も知覚が内容と形式の総体であるかのように思わせる言い方をするなら、それは論理ではない。いっそう「知覚は存在の形式である」と言った方が潔い。論理を支えるものは言葉だ。言葉は、語の組み合わせからなる形式(言い方)なのだ。
・形式(形態)として存在しているのは空間。ウソのような話だが、「事物には形態はない!」というのは本当の話。


・・・・・・・・・・・・・存・・在
・・・・・・・・・―――――― ――――――
・・・・・・・・/内 容・・・・・・・形 式\
・・・・・・・・・・II・・・・x・・・・・II
・・・・・・・・・場 所・・・⌒・・・形 態
・・・・・・・・・・↓・・・・対・・・・↓
・・・・・・・・・事 物・・・立・・・空 間
・・・・・・・・―― ――
・・・・・・・/無・・有\
・・・・・・・・限・・限


・無限と有限は対立する肯定ではない。対立共存させること自体が矛盾だ。対立するのは、内容(場所)と形式(形態)だ。無限と有限は対立する事なき否定。無限(場所)と空間(形式)は対立する否定。有限(内容)と空間(形式)は対立する肯定だ。有限なる事物が存在できる為には、「存在」の裡にある場所と形態が対立する肯定でなければならない。
・水に浸った蒼い手は、水に触れたのではない。雨に濡れ亙る舗石は、悲しみに触ったのだとしても雨に触れたのではない。事物と事物との間にある隙間。 その隙間は、事物を拡大して見ると現れて来る原子の隙間と繋がっている。そしてこの究極の隙間は、空の奥のその奥の虚無の空へと連なる。私たち有限なる事物は、存在の形式(形態)である究極の隙間を介して宇宙の果と限りなく近くに生きていると言えるかも知れない。

・・・ではあゝ、濃いシロップでも飮まう
・・・冷たくして、太いストローで飮まう
・・・とろとろと、脇見もしないで飮まう
・・・何にも、何にも、求めまい!……
・・・・・・・・・・・・(「秋日狂亂」最終連)

・形態として存在しているのは空間。鏡に映る私の姿は、実はこのなにもない空間の側にある。それは、あたかも太いストローでシロップを飲み干すかのように何もない隙間に囲まれた私という内容(場所)を刳り抜けば、透き通った軌跡が在りし日のように残されるのに似て、そこには私の姿は何処にも見当たらない、それこそ <何にも、何にも、求めまい!……>としか、言いあらわし方(方式)が見出せないのだ。
・あなた達は、水中の天井がじつは水面であるという不可思議な絡巧に気づいただろうか?

**********
*註解
・場所は形式ではない、内容だ。:ラムボオは場所と形式を求めて、さ迷った。『イルミナシオン』の「放浪者」は、次の様な一節で終結する。
・・・俺は、彼奴が太陽の子として原子の居所へ回帰するよう、本気で思いそうしたのだ。―― して俺たちは洞窟の水と道々のビスケットで命を繋ぎ、さ迷った。
・・して俺たちは、場所と形式を解明しようと焦りながら。(アンダンテ訳)
・・・J'avais en effet,en toute sincerite  d’esprit,pris  L’engagement de le rendre a son etat primitif de fils du Soleil,- et nous errions,nourris
・・du vin des cavernes et du biscuit de la route,moi presse de trouver le lieu et la formule.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(『Iluminations』「Vagabonds」 -A.Rimbaud-)
・カント:ドイツの哲学者インマヌエル・カント(1724〜1804)は、彼の哲学の前提の一つとして、「空間と時間は知覚の形態である」を提唱した。
・事物には形態はない!:「おれがいまここにいるというのはとんでもない間違いで、ことによると、おれという人間は全然存在していないのかも知れないぞ」秋山駿は『知れざる炎』で、小林秀雄が中也の「三人姉妹」の中のセリフ(上述)‐副人物の口真似する姿を伝えた、大岡昇平の証言(『在りし日の歌』)を引用している。そして、「おれがいまここにいるというのはとんでもない間違い」――そこに彼のレアリテがある。彼は、もう生活の中にはいないのだ。それにもう、現実の上に自分を出現させようともあまり思っていないのだ。…(中略)…彼のあの「在りし日」が流れ出すのは、この奇妙な「レアリテ」の穴からなのだ。と述べている。
・絡巧:からくり


火変わりの歌

  アンダンテ

  『賢治とその詩片たち』(その一)

わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(春と修羅 第一集「序」より― 宮澤賢治)

このプロローグは不要だった。『有明』のように、火を当てて他の追従を宥さない「美」を創出する賢治が、落花生の渋皮のような念仏を唱えるとは甚だ疑問だ。こう言えば、賢治の審美的な詩の世界のみを強調するかのように見えるかも知れないが、そうではない。

起伏の雪は
あかるい桃の漿をそそがれ
青空にとけのこる月は
やさしく天に咽喉を鳴らし
もいちど散亂のひかりを呑む
(「有明」*六行目は略)

いうまでもなく、冬の夜の幽麗なけしきだ。だが、冬の景色を筆でなぞっただけのことなら、詩のこころは浅く、もいちど散亂のひかりを呑むことはないだろう。賢治は「美」を極めようとして美の求道者になったのではない。 

 ……遠くでさぎが鳴いてゐる
 ・・夜どほし赤い眼をして
 ・・つめたい沼に立ち通すのか……
 ・・・・(「業の花びら」*『春と修羅』 第二集から外された部分より)

アインシュタインの一般相対性理論が世に出た時、賢治は二十歳のころだった。それが、この青年にどれほどの衝撃を与えた事件であったかは定かではない。だが、いつしか上気した雫が濡れた窓ガラスの乾く間もなく賢治の心に吸い込まれて行った。かといって、賢治が「四次元」を意識した脳の震盪とこの事とを、ことさら意味づけることは控えよう。人々が色々と異論を唱え、赤い目のさぎを傷つけても青い目のさぎを傷つけても意味はない。 


火変わりの歌

  アンダンテ

『賢治とその詩片たち』(その二)

 高村光太郎は「彼の本体から迸出する千のエマナチヨンの一に過ぎない」と評している。賢治の人格がどのようなものであろうとも迸る化学反応は、削られたブロンズの端くれの一つに過ぎないのか。言い得て妙な話は、何も言い得てないに等しい。光太郎の意図を無視して揶揄してるわけではない。立ち入れば訳の分からない言動に惑わされることを危惧している。
 いくら四次元を振りかざしても、知識の偏倚はいかんともしがたい。アインシュタインをして
ようやくミンコフスキー時空(三次元空間と一次元時間からなる四次元時空)に時空の曲がりを導入出来たというのに、なにげに四次元を持ち出し論じるのか。賢治研究家はよほど頭脳明晰らしい。解らぬ熟語を用いて進むはずもない論を進める。頭の中は跡形もない赤嘘のオペラとなったに違いない。

 風が偏倚して過ぎたあとでは
 クレオソートを塗つたばかりの電柱や
 逞しくも起伏する暗黒山稜や
 ・・・(虚空は古めかしい月汞にみち)
 研ぎ澄まされた天河石天盤の半月
 すべてこんなに錯綜した雲やそれらの景觀が
 すきとほつて巨大な過去になる
 (『春と修羅』第一集「風の偏倚」より)

 空気抵抗を避けた達磨が脚を出してぶっ翔ぶものだから、たまげてしまう。この作品に作者の爪痕を探るのは無意味だ。クレオソートを塗つたばかりの電柱が自然景観に埋没する、気の遠くなるような透明度が底のしれない洗いがけの空虚を満たす。それにしても、賢治の詩片には中也と違って句読点がない。句読点は日本に於いては漢詩に句読点や返り点を付けて読みやすくしたのが始まりだろう。詩歌においては句読点を付けないのが基本なのだが。賢治は、律義にも基本を守っている。そうは言っても、賢治作詞作曲の『星めぐりの歌』では句読点を付けているので、遊びこころ有りと言うところか。

 あかいめだまの さそり
 ひろげた鷲の ・つばさ
 あをいめだまの 小いぬ、
 ひかりのへびの とぐろ。


 オリオンは高く うたひ
 つゆとしもとを おとす、
 アンドロメダの くもは
 さかなのくちの かたち。

 大ぐまのあしを きたに
 五つのばした ・ところ。
 小熊のひたいの うへは
 そらのめぐりの めあて。
 ・・(『星めぐりの歌』)

 もひとつ、賢治作詞作曲「イギリス海岸」という詩がある。

 Tertiary the younger Tertiary the younger
 Tertiary the younger Mud-stone
 あをじろ罅破(ひわ)れ あをじろ罅破れ
 あをじろ罅破れに おれのかげ

 Tertiary the younger Tertiary the younger Tertiary the younger
 Tertiary the younger Mud-stone Mud-stone
 なみはあをざめ 支流はそそぎ
 たしかにここは修羅のなぎさ

 実は、私が『火変わりの歌』を起こしたのはこの詩がきっかけだった。ちょうど、私がこの形態の詩を作っていた時、賢治のこの詩に出合った。驚きと烏滸がましいが私自身が誇らしかった。
 この形態の詩は、調べたところ「イギリス海岸」一片だけだった。童話『イギリス海岸』(農学校スケッチ)「イギリス海岸」の中に《日が強く照るときは岩は乾いてまっ白に見え、たて横に走ったひび割れもあり、大きな帽子を冠ってその上をうつむいて歩くなら、影法師は黒く落ちましたし、全くもうイギリスあたりの白堊の海岸を歩いているような気がするのでした。》とあり、文語詩稿〔川しろじろとまじはりて〕ではこうある。引用しよう。

 川しろじろとまじはりて、 うたかたしげきこのほとり、
 病きつかれわが行けば、 ・そらのひかりぞ身を責むる。

 宿世のくるみはんの毬、 ・干割れて青き泥岩に、
 はかなきかなやわが影の、 卑しき鬼をうつすなり。

 蒼茫として夏の風、 ・・・草のみどりをひるがへし、
 ちらばる蘆のひら吹きて、 あやしき文字を織りなしぬ。

 生きんに生きず死になんに、得こそ死なれぬわが影を、
 うら濁る水はてしなく、 ・さゝやきしげく洗ふなり。

 それぞれの作品の時系列が定かでないので、どういう関係かは断定出来ないが、どれかが由来元、それは確かか。
 Tertiary the younger Mud-stone Mud-stone単に、地質学の専門家でなければ発想出来ないわざというだけではなく、賢治自身が発想となって詩の一片として零れ出たとしか言いようがない話。そもそも花巻には海がない。修羅のなぎさ。中也が「汚れつちまつた悲しみに……」で歌った、路に落ちた汚れ小石のように地に平伏する悲しみがある。

 たけにぐさに
 風が吹いてゐるといふことである

 たけにぐさの群落にも
 風が吹いてゐるといふことである
 ・・(『疾中』から「病床」)

 病床にあって書き上げた詩片。だからと言って、手術室に待ち伏せして医師の所見をメモって一体なんになる。医者でもないのに病気を治そうというのか。そうでないとしたら、病人の身体検査は失礼、作品に対する誠実さに欠ける態度ではないか。慟哭は人を驚かす装置ではない。慟哭は人に感銘を呼起こす楽器ではない。
 いふことである 言割りを入れることにより、よりいっそう光景に対する情感が深まる。賢治は、不思議な黄いろになっている月を見る。キリストが見たゴルゴタの丘の上空の黄色い裂け目を見ていたのかも知れない。

 ひとはすでに二千年から
 地面を平らにすることと
 そこを一様夏には青く
 秋には黄いろにすることを
 努力しつゞけて来たのであるが
 何故いまだにわれらの土が
 おのづからなる紺の地平と
 華果とをもたらさぬのであらう
 向ふに青緑ことに沈んで暗いのは
 染汚の象形雲影であり
 高下のしるし窒素の量の過大である
 (『詩ノート』 一〇八四 〔ひとはすでに二千年から〕)      

 ヒデリノトキハナミダヲナガシ(『補遺詩篇』〔雨二モマケズ〕)と記された、花巻市中北万目の地にこの詩碑が建っている。賢治の死後、ようやく念願のダムが出来この地は潤い、田んぼは一様夏には青く秋には黄いろに輝く。

**註解**************
*底のしれない洗いがけの空虚:『春と修羅』第一集「風の偏倚」
*不思議な黄いろになっている月;『春と修羅』第一集「風の偏倚」
*ゴルゴタの丘の上空の黄色い裂け目;サルトル『文学とは何か』加藤周一訳


『源氏物語』私語 〜桐壷〜

  アンダンテ

〜 桐壷 〜

紫式部、本名は藤式部。真名仮名まじりの文面を制する者。
『源氏物語』が紫式部によって、いつ起筆され完成したのかは不明。『紫日記』の寛弘5年(1008年)十一月一日の項に『源氏物語』に関する記述がある。


 ・左衛門督「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ。」と、うかがひたまふ。
源氏に似るべき人も見えたまはぬに、かの上はまいていかでものしたまはむと、聞き
ゐたり。「三位の亮、かはらけ取れ。」などあるに、侍従の宰相立ちて、内の大臣の
おはすれば、下より出でたるを見て、大臣酔ひ泣きしたまふ。権中納言、隅の間の柱
もとに寄りて、兵部のおもとひこしろひ、聞きにくきたはぶれ声も、殿のたまはず。(『紫日記』)


・入らせたまふべきことも近うなりぬれど、人びとはうちつぎつつ心のどかならぬ
に、御前には御冊子作いとなませたまふとて、明けたてば、まづ向かひさぶらひて、
色々の紙選りととのへて、物語の本ども添へつつ、所々に文書き配る。かつは綴じ集
めしたたむるを役にて明かし暮らす。なぞの子持ちか、冷たきにかかるわざはせさせ
たまふ。と、聞こえたまふものから、よき薄様ども、筆、墨など、持てまゐりたまひ
つつ、御硯をさへ持てまゐりたまへれば、取らせたまへるを、惜しみののしりて、も
ののくまにて向かひさぶらひて、かかるわざし出づとさいなむなれど、書くべき墨、
筆などたまはせたり。 局に物語の本ども取りにやりて隠しおきたるを、御前にある
ほどに、やをらおはしまいて、あさらせたまひて、みな内侍の督の殿にたてまつりた
まひてけり。よろしう書きかへたりしはみなひき失ひて、心もとなき名をぞとりはべ
りけむかし。(『紫日記』)


これは、あくまでも目安。紫式部が創作したものだとしたら彼女の生息期間内となる。所詮、創作物は虚構の世界。そう割り切れば こんなことはどうでもいいことに違いない。だがどうなんだろう。彼女は自作のことをどう思っていたのか。これほどの大作を物にしたのだから、日記は創作メモになりそうなもののそうではない、ダンテが生れる三百年前、この奇蹟としか言いようがない潔さ。そして、ダンテを上回る創作力。なんなんだ。

むかし、むかし。あるどこに、身分は低くけれどあまたの女御や更衣を差しおいて、帝をひとり占めにした更衣がありんす。
 御つぼねは桐壷なり。帝は、あまたの女御たちの部屋にも目にくれず桐壷の更衣の許へ。女御たちはこころ穏やかならず。更衣がお上がりになる折には様々な嫌がらせをして道をふさぐ始末。帝いとどあはれと御覧じ、西の御涼殿に元からおられた更衣の曹司を他に移させ、その部屋を上局として賜はる。

 光源氏はそんな桐壷の更衣と桐壷帝の間に産まれた子だ。


 ・さきの世にも御ちきりやふかかりけむ世になくきよらなるたまのをのこみこさへ
うまれ給ひぬいつしかと心もとながらせ給ていそきまいらせて御覧するにめつらかな
るちこの御かたちなりみこは右大臣の女御の御はらにてよせをもくうたかひなきまう
けの君と世にもてかしつきゝこゆれとこの御にほひにはならひ給へくもあらさりけれ
はおほかたのやむことなき御おもひにてこの君をはわたくし物におもほしかしつき給
事かきりなし
 

『源氏物語』は千年以上前に書かれた。そして、≪いつれの御時にか≫はそれよりも百年余り前を設定した物語。今でいえば、関東大震災以前を想定した物語、そこの登場人物は紫式部の存在を知りえないのはいうまでもない(無論、小説だから無茶振り勝手気儘かまわない)。作者の腕のみせどころ満載。単なる光源氏のをんな巡り五十四次ではない。そうでなければ、西鶴も三島由紀夫も恋焦がれて今源氏を起草するわけがない。


・かきりとてわかるゝ道のかなしきにいかまほしきはいのちなりけり


もののあはれは心のやまい。沙良毛と言いたくなる精神の悪戯に違いないので要注意だ。肉体的な人の痛みすら知ることはままならないのに、ましてや万物のもののあはれを知るなんて、そんな離れ業できっこない。源氏にもののあはれを読み取らなければならない、そんな脅迫観念は願い下げだ。死に行くさだめにしても生きたいと切に願うにしても、そこにはもののあはれが飛び火して心が揺れる。そう感じるのは、言葉を媒介しての理解があってのこと。だが、その感じ自体は言葉で表せない。もののあはれは知ることも知らせることも出来ないだろう。りんごは真っ二つに切られようとも沈黙するしかない。そもそも、もののあはれのあはれとは名状しがたい情感を名付けた言葉なのだ。


・世にたくひなしとみたてまつり給ひなたかうおはする宮の御かたちにも猶にほはし
さはたとへん方なくうつくしけなるを世の人ひかるきみときこゆふちつほならひ給て
御おほえもとりくなれはかゝやく日の宮ときこゆ 


源氏を名乗ることは、直宮が臣下になることを意味する。占いは凶。皇族のままでは帝位を目論むとあらぬ疑いがかかる。帝の器は勿論のこと類まれな光のオーラを纏った容姿。こうして光源氏が誕生した。皇族で誰に気兼ねすることなく帝が寵愛した藤壺。亡き桐壷の更衣とまがう立ち振舞いに光源氏が恋慕する。かゞやく日の宮藤壺の出現。新たな物語が始まる。


『源氏物語』私語 〜帚木〜 〜空蝉〜

  アンダンテ

・・・〜 帚木 〜
  
 ・はゝき木の心をしらてその原のみちにあやなくまとひぬるかなきこえんかたこそなけれとの給へり女もさすかにまとろまさりけれは
 ・かすならぬふせ屋におふる名のうさにあるにもあらすきゆるはゝ木〻ときこえたり


 帚木の巻名は源氏と空蝉の歌のやり取りから来ている。
 ・帚木のこゝろを知らで薗原のみちにあやなく惑ひぬるかな
 この源氏が空蝉に送った歌は古今六帖五雜思の歌
 ・そのはらやふせやにおふるははききのありとてゆけとあはぬきみかな
を本歌としている。

 「帚木」はいたずらに長く退屈でくだらない。光源氏はさほど複雑な人物ではないので、余計な伴奏はいらない。「空蝉」への導入部として、かろうじて終部に存在感を示しているにとどまる。


 ・……ことかなかになのめなるましき人のうしろみのかたはものゝあはれしりすくしはかなきついてのなさけありをかしきにすゝめるかたなくてもよかるへしとみえたるに……


 「もののあはれ」が初見される場面。夫をなおざりにして、ことさらもののあはれを吹聴し和歌に身を入れ込むのもどうかと思う。そう、左馬頭に言わせている。藝術至上主義云々ではない、よくもながなが女の品定めに與をついやすのか。読者を憤慨させるほど上手い言葉運び、感服するしかない。


 ・……こゑもはやりかにていふやう月ころふひやうおもきにたえかねてこくねちのさうやくをふくしていとくさきによりなんえたいめむたまはらぬまのあたりならすともさるへからんさうしらはうけ給はらむといとあはれにむへむへしくいひ侍いらへになにとかはたゝうけ給はりぬとてたちいて侍にさうさうしくやおほえけんこのかうせなん時にたちより給へとたかやかにいふをきゝすくさむもいとおししはしやすらふへきにはた侍らねはけにそのにほひさへはなやかにたちそへるもすへなくてにけめをつかひてさかにのふるまひしるきゆふくれにひるますくせといふかあやなさいかなる事つけそやといひもはてすはしりいて侍ぬるにおひてあふことの夜をしへたてぬ中ならはひるまもなにかまはゆからましさすかにくちとくなとは侍きとしつしつと申せは君達あさましとおもひてそら事とてわらひ給ふいつこのさる女かあるへきおひらかにおにとこそむかひぬたらめむくつけき事とつまはしきをしていはむかたなしと式部をあはめにくみてすこしよろしからむ事を申せとせめ給へとこれよりめつらしき事はさふらひなんやとてをり……

 蒜を使っての神経戦。にほいを口実に門前払い。臭い歌のやり取り。だまって聴いてればなん
だこれは、つくりばなしにも程がある。そう籐式部丞を責め立てる。「をり」式部は負け惜しみを
言いながら坐っていやがる。
 退屈だとは言いながら、ついついのめり込んで読まされてしまう。いまさらながら、紫式部は
凄い。

 紫式部は、九九六年父藤原為時が越前の国司になった時、京を離れている。民衆の逞しさに触れたものの、『紫式部集』に次の歌を残す。
 ・磯がくれおなじ心に鶴ぞ鳴く汝が思ひ出づる人や誰ぞも
 擬人法を用いて、京の都を恋しがっているのだ。宮中の女は、京の鳥籠のなかで外の空気を吸うこともかなわず一生過ごすことになる。紫式部は外の風にあたって自分の居場所を思い知った。


 ……けはひしつる所にいり給へれはたゝひとりいとさゝやかにてふしたりなまわつらはしけれ 
 とうへなるきぬをしやるまてもとめつる人とおもへり中将めしつけれはなんひとしれぬおもひのしるしある心地してとの給をともかくも思わかれすものにおそはる心ちしてやとおひゆれとかほにきぬのさはりてをとにもたてす……


 夜ばいするも、「や」と怯えさせ残念な結果に終わる。色男もかたなしだ。『源氏物語』は人に
読ませるために書かれた物語。かって芳賀矢一が≪乱雑な書物が日本の大古典であることは情けない≫と嘆いたが、古典的名作を読み解くような気構えは捨てよう。


 ・……まことに心やましくてあなかちなる御心はへをいふかたなしとおもひてなくさまいとあはれなりこころくるしくはあれとみさらましかはくちおしからましとおほすなくさめかたくうしと思へれはなとかくうとましきものにしもおほすへきおほえなきさまなるしもこそ契あるとはおもひ給はめむけに世をおもひしらぬやうにおほほれ給なんいとつらきとうらみられいとかくうきみのほとのさたまらぬありしなからのみにてかゝる御こころはへをみましかはあるましきわかたのみにてみなをし給ふのちせをもおもひ給へなくさめましをいとかうかりなるうきねのほとを思ひ侍にたくいなくおもふ給へまとはるゝ也よしいまはみきとなかけそとておもへるさまけにいとことはりなりおろかならす契なくさめ給ふ事おほかるへしとりもなきぬ……


 初めて拒絶された光源氏。強引にリベンジを果たす。そもそもエロスなきプラトニックな関係などなく、論より関係。むかしの人は直接的だ。関係した後でも論は遅くない。空蝉はなにを今更とおもうかもしれないが、源氏への感情のうらおもてをこれっきりとしはぶきし、他言はしないでと言い残す。<とりもなきぬ>鳥が鳴くにも、こぬ人に別れを告げるもない。空蝉は光源氏との関係を絶つ。


 ……人にゝぬ心さまのなをきえすたちのほれりけるとねたくかゝるにつけてこそ心もとまれとかつはおほしなからめさましくつらけれはさはれとおほせともさもおほしはつましく……いとおしとおもへりよしあこたになすてそとの給ひて御かたはらにふせたまへり……


 光源氏は空蝉の弟に取り入り、なんとか空蝉の心を引き入れようとするのだが、百パーセント純毛である空蝉にお手上げだ。宮中での男女の恋沙汰は、むろん現代の恋のゆくえでは測れない。だが、心の乱れはそう変わらないだろう。おもわせ振りは、今も昔も恋の谷間へと揺り落とす。

*****註解
:底本には『校異源氏物語』池田亀鑑編著を用いた。



・・・〜空蝉〜
 ・うつせみのみをかへてける木のもとになを人からのなつかしきかなとかきたまへるをふところにひき入れてもたりかの人もいかにおもふらんといとほしけれとかたかたおもほしかへして御ことつけもなしかのうす衣はこうちきのいとなつかしき人かにしめるをみちかくならしてみゐたまへり……あさましと思ひうるかたもなくてされたる心にものあれなるへしつれなき人もさこそしつむれいとあさはかにもあらぬ御けしきをありしなからのわか身ならはととり返すものならねとしのひかたけれはこの御たゝうかみのかたつかたにうつせみのはにをく露の木かくれてしのひしのひにぬるゝそてかな

 再度の夜ばいも空蝉に逃げられ、間違いと気づきながらも空蝉の夫伊予介の先妻の娘軒端萩を抱いてしまう。この窮地に及んでもちゃっかりしている光源氏。
            
 ・空蝉の身をかへてける木のもとになほ人からのなつかしきかな
空蝉が残して行った小袿をいつも手元に置いて見ている。空蝉は人殻で「空蝉」の巻名の由来となる。空蝉と光源氏の恋のみちゆきはもどかしい不倫。
・空蝉の羽におく露の木がくれてしのびしのびにぬるる袖かな
               
 源氏が和歌をいたずら書きした畳紙の片っ方に想いしたためる。この和歌は伊勢御の引歌と見られている。しかし、この歌が伊勢御のものかは不透明なので何とも言い難い。しかしながら「空蝉」はこの一首に語り尽くされている。

 ここまで読んできて『源氏物語』にはあからさまな都の四季の描写がみられない。
 

 ・春はあけぼの。やうやうしろくなり行く、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。
 ・夏はよる。月の頃はさらなり、やみもなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。……雨など降るもをかし。

 『枕草子』はいきなり季節めぐりからはじまる。


 ・秋のけはいの立つままに、土御門殿の有り様、いはむかたなくをかし。……やうやう涼しき風のけしきにも、例の絶えせぬ水の音なむ、夜もすがら聞きまがはさる。

 『紫日記』もあきらかに清少納言を意識して「秋のけはい」を醸し出している。

 
 ……月はいりかたのそらきようすみわたれるに風いとすゝしくなりてくさむらのむしのこゑ〜もよほしかほなるもいとたちはならにくき草のもと也(「桐壷」)

 季節は即物的に置かれる。吹く風にみだれ髪がさわぎ、顔を打つようだ。
 桐壷の更衣は夏に死に藤壺は春に死ぬ。


 ……野わきたちてにはかにはたさむきゆふくれのほとつねよりもおほしいつることおほくてゆけの命婦といふをちかはす(「桐壷」)

 夏も深まり、野分めいた風が吹く中、荒れた庭をさらした更衣の里に靫負の命婦が訪れる。
 夏の夜の悪夢のようなあはれさだ。


 ・すゝむしのこゑのかきりをつくしてもなかき夜あかすふるなみた哉えものりやらす(「桐壷」)

 鈴虫が鳴きつくしても、それにもまして涙が止まらないと命婦が歌う。


 ・いとゝしく虫のねしけきあさちふに露をきそふる雲のうえ人かこともきこえつくなんといはせ給ふ(「桐壷」)

 なき濡れている草深い侘び住まいにお見舞い下さりまして、尚も涙の露を置き添えて下さいました。そんな愚痴をこぼしそうに存じます。そう更衣の母君は車に乗れずにいる靫負の命婦の許へ伝える。

 このようにして、何気なく四季へ心配りがなされていく。


 清少納言も和泉式部も紫式部と同じ空気を吸っていた事実がある。記録はあっても、千年後も名を遺すことは尋常なことではない。


*****註解
:底本には『校異源氏物語』池田亀鑑編著を用いた。


『源氏物語』私語 〜夕顔 〜

  アンダンテ

・・〜夕顔 〜

 ・六条わたりの御しのひありきのころ内よりまかて給なかやとりに大弐のめのとのいたくわつらひてあまになりにけるとふらはむとて五条なるいゑたつねておはしたり


 ・うき 夜半の悪夢と共になつかしきゆめ
 ・もあとなく消えにけるかな 晶子

 源氏が六条に恋人を持っていたころ、御所からそこへ通う途中で、だいぶ重い病気をし尼になった 大弐(だいに) の 乳母 (めのと)を たずねようとして、五条辺のその家へ来た。(与謝野晶子)

 六條あたりに人目を忍んでお通ひの頃、内裏(うち)からそちらへお出ましになる中宿(なかやどり)、大貮(だいに)の乳母(めのと)が重い病気で尼(イ)になつたのを見舞つてやらうとお思ひなされて、五條にあるその家をねて、お立ち寄りになりました。(谷崎潤一郎)

 六条辺への源氏忍(しの)びのお通いの頃、宮中からおさがりになる時の中休みの場所として、大弐(だいに)の乳母(めのと)が重病にかかって、そのために尼さんになってしまっていたので、それをついでに見舞ってやろうと、五条にあるその乳母の家を探しながらやって来られた。(今泉忠義)

 六条のあたりのさる女のところへお忍びで通っていた時分のことであった。
 ちょうど内裏(だいり)からその六条へ通う途中の中休み所として、源氏は五条にある乳母(めのと)の大弐(だいに)の家を探して訪ねていった。(林望)

 その夏も、終わりに近づいていた、
 都を南へ六条あたり――その頃私は、そこにある邸へと、忍んで通わなければならなかった。
 宮中を出て六条まではかなりの道程(みちのり)になるその中宿(やどり)にと、ちょうど私の乳母(めのと)がひどく患った挙句(あげく)に尼になったというのがあったから、それを見舞ってみようかと思い、五条にあるその尼の住み家を訪ねて行った。(橋本治)

 六条のあたりに、源氏の君がお忍びでお通いになっている夏の頃のことであった。御所から退出なさるお中休みを兼ねて、大弐(だいに)の乳母(めのと)が重い病にかかって尼になったのを見舞おうと、前ぶれもなさらず五条にあるその家を訪ねて行かれた。(円地文子)

 源氏の君が六条のあたりに住む恋人のところ、ひそかにお通いになられている頃のことでした。その日も、宮中から御退出になり、六条へいらっしゃる途中のお休み処として、大弐(だいに)の乳母(めのと)が重い病気にかかり、尼になっているのを見舞ってやろうと思いつかれて、五条にあるの家を尋ねていらっしゃいました。(瀬戸内寂聴)


 アットランダムに現代語訳を並べてみた。勿論、形式的にはどんな形をとろうと著者の見識に委ねる。だが、訳というからには原作者が残した一字一句を無視しては失礼、『源氏物語』という日本語でなされた文を取り扱う時の基本姿勢だ。つまり、まず原文を読めなくてはいけないという当たり前の事。
 この場面は、倖うすき夕顔と出会うきっかけになる重要な書き出し。源氏の浮気こころも空蝉との微妙な不倫で終わり夏も過ぎ、秋が訪れ十七歳の源氏は十九歳の夕顔に恋をする。


 六条わたり(京極)に住む六条御息所との忍び逢いのをり、内裏をお出になる道すがら、大病をわずらい功徳として出家している大弐の乳母をねぎらいに五条の家を訪ねなさった。(アンダンテ)


 ・心あてにそれかとそみるしら露のひかりそへたるゆうかほの花(夕顔)

 ・心あてにをらはやをらむはつしものおきまとはせるしらゆきのはな(古今和歌集 秋下 躬恒)

 凡河内躬恒による。余談。百人一首に収められているこの歌は、正岡子規によって≪初霜が降ったぐらいで白菊が見えなくなるわけではない。これは嘘の趣向である≫(『五たび歌よみに与ふる書』)と批判された。
 夕顔はおおよそ光源氏だと思いはかり、今生の別れを暗示するかのように夕顔の蔓を白き香りついた扇にのせて渡す。


 ・よりてこそそれかともみめたそかれにほのほのみつる花のゆふかほ(源氏)

 扇にちらし書きされた歌を見て、このまま見過ごせない浮気こころをのぞかせ畳紙に筆跡を変えてまでして御随人にもたせる。 
 後に、夕顔は「帚木」で雨夜の品定めの話で聴いた頭中将のゆくえ知らずの女だとわかる。お互い名を知らせることもせず、夫持ちで身分の違いからゆるされぬ恋の深みに嵌ってゆく。そして、六条御息所を慕う妖怪に呪われて夕顔は息絶える。名前を明かさなかった夕顔は、本当は三位中納言兼中将の娘だった。頭中将の愛人となって玉鬘を産むが頭中将の正妻に追い出され居所を転々とする。
雨夜の品定めの話にでてくるおんなが、後に源氏が関係するという図式は一度だけではない。期待を裏切られるようでつまらない、又かだ。


 ・……よひすくるほとすこしねいり給へるに御まくらかみにいとおかしけなる女いておのかいとめてたしとみたてまつるをはたつねおもほさてかくことなることなき人をいておはしてときめかし給こそいとめさましくつらけれとてこの御かたはらの人をかきをこさむとみ給……

 ・……なをもてこや所ににしたかひてこそとてめしよせてみ給へはたゝこのまくらかみにゆめにみへつるかたちしたる女おもかけにみへてふときえうせぬむかしの物かたりなとにこそかゝる事はきけといとめつらかにむくつけゝれとまつこの人いかになりぬるそとおもほす心さはきに身のうへもしられ給はすそひふしてやゝとおとろかし給へとたゝひえにひえ入りていきはとくたえはてにけりいはむかたなし

 夢枕に立った物の怪。臨家に住む嫉妬する六条御息所の生霊か、夕顔と逢う荒廃した院に棲みつく六条御息所を慕う妖怪かは定かではない。いずれにしても、六条御息所と結びつく。
 六条御息所にはモデルがない。まったく想像上の人物、紫式部が創造した人物だ。源氏との直接の接点がなく、絶世の美女申し分のない身分と知力の虚像がなまなましく行き交う。源氏との躱しか方は身の上も知られたまわず物の怪に取りつかれた夕顔の介抱。足げく通う六条わたりなのだが、その様子がなにも語られず状況報告に終始する。


 ・……君はゆめをたにみはやとおほしわたるにこの法事し給てまたのよほのかにかのありし院なからそひたりし女のさまもおなしやうにてみえけれはあれたりし所にすみけんものゝわれにみいれけんたよりにかくなりぬることゝおほしいつるにもゆゝしくなん

 夕顔の四十九日の法事を終えたあくる夜、せめて夢にでも夕顔に逢いたいおもう。かのありし院で見た同じ物の怪がぼんやりと現われる。源氏は荒廃した院に棲みつく六条御息所を慕う妖怪に違いないと薄気味悪くおもう。
 夕顔が息絶えたかのありし院は具平親王の千草殿を拠りどころにしている。夕顔の宿には道元の碑が建っている。


 ・秋にもなりぬ……六条わたりにもとけかたかりし御けしきをおもむけきこえ給てのちひき返しなのめならんはいとをしかしされとよそなりし御心まとひのやうにあなかちなる事はなきもいかなる事にかとみえたりをんなはいとものをあまりなるまておほししめたる御心さまにてよはひのほともにけなく人のもりきかむにいとゝかくつらき御よかれのねさめねさめおほししほるることいとさまさまなり

 ≪をんなはいとものをあまりなるまておほししめたる御心さまにてよはひのほともにけなく≫源氏十七歳、六条御息所二十四歳。をんな(女)の一文字で源氏と六条御息所の関係の情の深さをあらわす。それにしても源氏は助こましだ。『光源氏物語』というよりも『女源氏物語』がふさわしい。むずかしく考えずに一字一句あじわうことが肝要だ。


 ・いつれの御時にか女御更衣あまたさぶらひ給けるなかに

 ≪どの帝の御代であったか≫とおおむね訳される。何故だろう。時代設定はなされている。村上天皇の御代だ。どの帝の御代であったかと訳すことは、令和時代はどの時代だと言うのと同じだ。当時は帝が祭りごとをつかさどっている時は、帝を固有名詞で呼ばないならわしだった。紫式部はそれに倣ったのだ。≪昔々、その御代≫という意味だ。とはいっても、これは物語なので桐壷帝が必ずしも村上天皇である必要はない。モデルとしては醍醐天皇を想定していたらしい。


********註解
:底本には『校異源氏物語』池田亀鑑編著を用いた。


『源氏物語』私語 〜夕顔 〜

  アンダンテ

・・〜若紫 〜

私語をひとつ。思うんだが『源氏物語』のような古典は、原文もしくは現代語訳を読んでみて興味が湧いてこなければ、その作品は駄作だ。解説で読みたくさせるような小手先の啓蒙ごとき行為は無駄な作業だ。そんなこと、作者は望んでいまい。受験勉強ではあるまいし、虎の巻は必要ない。一生かかっても読み通せない。それでいいではないか。人生ってそんなもんさ。読むことがライフワークになる作品。ざらにあるもんではない。


古風なやり口だが、本に名刺を挟んでひとめ惚れした娘のそばに忘れたふりして置いて行く。いつの世もそうらしい。北山へ持たせた祖母尼君への立て文の中に小さな結び文を入れる。

・おも影は身をもはなれす山櫻心やかきりとめてきしかと(源氏)
夜のまの風もうしろめたくなむ
 
 ≪夜のまの風もうしろめたくなむ≫朝まだき起きてぞ見つる梅の花夜の間の風のうしめたさに(拾遺・春上 元良親王)

あなたのシルエットがまぶたに焼きついて、あなたを想う余り浮かぶ身もありません。源氏はわずか十歳にも満たない若紫を見染て、なかば誘拐に近いかたちで身元に置きやがてレイプしてしまう。難波津(古今六帖)もおぼつかなく一字間をおいて書く手習いの字が見たいとせがむ源氏。レイプして男が三日通えば公認の仲になるシステムにあって、十歳にも満たない若紫を熟成していただく愛のかたちを描いた紫式部は何者だ。なぜ晩婚なのか、道長に迫られたイカレタをんななのか。清少納言は紫式部のことをどう思っていたのか。あれほど『紫日記』でこきおろされたのに、清少納言は紫式部のことを一度も言及していない。恐らく、二人は面識がない。
紫式部は清少納言と入れ違いに宮使いしている。『紫日記』」とは言ってもフィクションが入り混じっているのだから微妙なところだ。
 小説を起こすように和歌を物語に織り込む。しかも、その数が尋常ではない。『紫式部集』パートIIが出来るほどだ。
 和歌の訳は俵万智がいい味をだしているものの、十七文字の置き換えの感がいなめない。そもそも、和歌を現代語に訳すのにどれだけ和歌に利益があるのだろう。短歌を和歌になおすのはどうだろう。そんなことする人が現われるとは思えないが。千年のちの同胞を馬鹿にして嗤うことだろう。千年前の人が和歌を未来語になおして伝えるのは不可能なように、短歌を千年後の未来に残すのではなく、未来語になおすことは不可能だ。これは現代人の驕りで和歌・短歌たいする越権行為なのだ。あなたは自分の詩がそんな扱いを受けるのを黙っているのだろうか。


 ・をとこ君はとくおき給て女君はさらにおき給はぬあしたあり(「葵」)

新枕をかわした時のことを、たった一行足らずで表す。若紫十四歳。
ふと思うのだが、紫式部ならどんな俳句を思いついただろうか。
・・障子の穴から覗いて見ても留守である(放哉) どうだろう。


 ・あやなくもへたてけるかなよをかさねさすかになれしよるの衣を(「葵」)
 
気もそぞろしょうこりなくそばにいて抱くのは衣だけ命(こころ)がいたむのだと、辱めを受け前向きになれず伏せていた若紫の枕元に契りを交わした印しの文を置く。したごころ見え見えの流し文だ。


 ・……いとをかしきもてあそふなりむすめなとはたかはかりになれは心やすくうちふるまひへたてなきさまにふしおきなとはえしもすましきをこれはいとさまかはりたるかしつきくさなりとおもほいためり(若紫)

胸いっぱい無邪気な人形だ。すこしの疑いもなく寝食共にするとは、一風変わった私の秘蔵ッ娘よ。若紫は紫の上として以後の巻に語り継がれていく。


********註解
:底本には『校異源氏物語』池田亀鑑編著を用いた。


『源氏物語』私語 〜野分〜

  アンダンテ

・・〜野分〜

遣唐使が廃止され、国風文化の最中(さなか)に『源氏物語』は書かれた。藤原道長を中心に置
く摂関家の時代は、謂わば第一次鎖国時代だった。安史の乱で楊貴妃が殺され、その後唐王朝は
衰退の一途をたどっていった。そんな折、菅原道真は唐に見切りをつけ遣唐使の廃案を朝廷に提
出した。その後、唐が滅んだので打ち止めになった。もし遣唐使が続投していたなら、超貴族
(藤原家)とその顔色ばかり窺う貴族たちの巣窟、宮廷社会という極めて特殊舞台での紫式部の
活躍はなかったかも知れない。玄宗帝は息子の嫁楊貴妃を略奪、年は倍以上離れていた。


 ・御屏風もかせのいたくふきけれはをしたゝみよせたるにみとをしあらはなるひさしのおましにゐ給へる人ものにまきるへくもあらすけたかくきよらにさとにほふ心ちして春のあけほのゝかすみのまよりおもしろきかはさくらのさきみたれたるをみる心ちす……
 ……かのみつるさきさきのさくらやまふきといはゝこれはふちのはなとやいふへからむこたかき木よりさきかゝりて風になひきたるにほひはかくそあるかしと思ひよそへらる

 野分は毎年、秋にやってくる。屏風などは片隅にたたんで寄せてあり、御簾も巻き上げられたり
もした。それは、垣間見のチャンスでもあった。夕霧の垣間見が始る。「きよら」と最上の誉め言
葉でたたえられた紫の上は樺桜、玉鬘は山吹の花、明石の姫君は藤の花に喩えられた。


 ・いまゝいれるやうにうちこはつくりてすのこの方にあゆみいて給へれはされはよあらはなりつらむとてかのつまとのあきたりけるよといまそみとかめたまふ

 夕霧十五歳。垣間見のエキスパート父源氏に垣間見さえも固く禁じられていた紫の上の姿を風見舞の折つい垣間見てしまった夕霧。風が吹き荒れ夕霧 のいるところが見えそう。いったん退き、源氏が帰って来たところにさも初めて参上したかのように声作りして簀の子のほうに歩み出る。≪されはよあらはなりつらむ≫源氏は節穴ではない。夕霧の所作はばればれ。そのことには深く立ち入らず、大宮の住む三条の宮ついで秋好中宮のところへ風見舞にいくように命じる。


 ・空はいとすこくきりわたれるにそこはたとなく涙のおつるををしのこひかくしてうちしはふき給へれは中将のこはつくるにそあなるよはまたふかゝらむはとておき給なり……

 ・しのひやかにうちをとなひてあゆみいて給へるに人ゞけさやかに おとろきかほにはあらねとみなすへりいりぬ……

 ≪しはふき≫≪をとなひ≫前述の≪こはつくり≫と同じく咳払いの意。まめ人と言われる中将は
よく咳払いをする。咳を聴いただけで中将だと源氏に気づかれるのだ。同じ伝達の咳払いでもそれ
ぞれニュアンスの違いがある。式部は聴いた者の反応と絡ませ、じつに巧妙にその場に溶け込ませ
る。

 ・
 ・なにゝかあらむさまさまなるものゝ色とものいときよらなれはかやうなるかたはみなみのうへにもおとらすかしとおほす御なほし花文れうをこのころつみいたしたるはなしてはかなくそめいて給へるいとあらまほしきいろしたり

 源氏のお伴しながら、秋好中宮、明石御方、玉鬘そして花散里を見舞う。花模様を織り込んだ布
地に、最近摘み取った紅花とつゆ草の花で染めた二藍色の着料。あまりにも素晴らしい。花散里の
染色の見たては南の上(紫の上)にも劣らないと源氏は感心する。


 ・中将にこそかやうにてはきせ給はめわかき人のにてめやすかめりなとやうのことをきこえ給ひてわたり給ぬ……

 源氏は三十六歳、若紫を見染て二十年近くの月日が過ぎている。若紫から野分まで二十二帖で埋まっている。これは単純なストーリーではない。様々なプロットが絡みあって転回していく。

********註解
:底本には『校異源氏物語』池田亀鑑編著を用いた。


平家物語

  アンダンテ

(一)天草本平家物語

『天草本平家物語』(1592年・文禄元)では、平家の由來が聞きたいという右馬之允(うまのじよう)の問いかけに喜一檢校の坊は≪まづ平家物語の書き始めには、奢りを極め、人をも人と思はぬやうなる者はやがて亡びたといふ證跡(しやうぜき)に、大唐(たいとう)・日本において驕りを極めた人々の果てた樣態(やうだい)をかつ申してから、さて六波羅の入道前の太政(だんじやう)大臣〔マヽ〕清盛公と申した人の行儀の不法なことを載せたものでござる。≫こう答える。

抄者ハビアン(Fucan Fabian、恵俊・1565年(永禄8年)- 1621年(元和7年1月)の生きざまは、そのまま小説になるほどだ。『イソップ(伊曽保)物語』翻訳(1593年・文禄2)。『仏法』(1597年・慶長2)を編集したのち徹底して仏教批判の立場を取る。林羅山と論争し(1606年・慶長11年)当時支持されつつあった地球球体説と地動説を主張した。修道女と駆け落ち(1608年・慶長13年)して棄教し、『破提宇子』(1620年・元和6)を出版キリスト教を批判して日本イエズス会から即座に禁書とされ「地獄のペスト」と評された。((*ハビアン – Wikipedia 参照))

いくら≪日本のことばとイストリヤ(歴史)を習ひ知らんと欲する人のために≫((*原書扉紙))
書かれたとしても、『平家物語』を教材として『天草本』を起こした者が、その象徴である
・祇園精舎の鐘のこゑ
・諸行無常のひびきあり
・沙羅双樹の花の色
・盛者必衰のことわりをあらはす
このくだりを飛ばすとは……。≪祇園精舎の鐘の声≫の表現自体は『平家物語』のオリジナルではない。当時、観想念仏を呼び起こす決まり文言として祇園精舎が流布していた。問題なのは聖地が見つからない。祇園精舎の位置がどこなのか定まらず、そこにあったという無常堂の存否も定かでない。祇園精舎の手引きともいえる『祇園図経』は、本当に史実に基づいた記録なのかも怪しいのだ。アンコールワットが聖地だと誤解する事態がおき、参拝する茶番も発生した。

 ・おごれる者もひさしからず
 ・ただ春の夜の夢のごとし
 ・たけき者もつひにはほろびぬ
 ・ひとへに風のまへのちりに同じ
 軍記と仏教説話とのフュージョン。あたりまえの事だが、『平家物語』は平家(側)の人々によって語られた物語ではない。語るにも語りうる平家の人々はほぼ全滅していてこの世にいないのだ。この長大な物語の資料は畢竟源氏(側)の人々によるものが大きい。『平家物語』成立を伝える資料として『徒然草』第二百二十六段がある。その中に慈円の名が出てくる。慈円はこの長大な物語を統括するプロデューサーの役割を担っていたのではないか。『平家物語』の有名な冒頭のくだりは慈円の手になるという夢想を呼び起こすのだ。


******* 註解 *******
*出典:『天草本平家物語』(岩波書店 1927.6.28)新村出 序並閲、龜井高孝 飜字
*誤記・誤植と思はるゝものは原形そのまゝを載せて左側に小さくマヽ(原のまゝの意)を配す。
*「祇園精舎のうしろには よもよも知られぬ杉立てり昔より山の根なれば生いたるか杉神のしるしと見せんとて」:『梁塵秘抄255』
*「かの須達長者の祇薗精舎造りけんもかくやありけんと見ゆるを」:『栄花物語』
*「娑羅双樹の涅槃の夕までのかたを書き現させ給へり」:『栄花物語』
*「鐘の音のここかしこに聞ゆるも、ぎをんしゃうじゃの無常院の夕暮の心地す」:『高倉院升遐記』
*「釈迦如来、生者必滅のことはりをしめさんと、沙羅双樹の下にしてかりに滅を唱給ひしかば」:『保元物語』

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