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作品 - 20200415_863_11814p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


水槽の底で

  左部右人

水槽の牝牛は息を吹き返すのを待ち望み、
小判鮫は牝牛が一分一秒でもはやくこと切れるのを
牝牛の皮膚のすぐそばで、待ち望む。 
何遍も、何遍も、
恒星の如く、周回している。

「お姉ちゃん、あのお牛のまわりにくっついているお魚、どうしたの、あんなにあんなにたくさんくっついていたら、お牛さん、ゆっくり眠れないよ」

水槽を取り囲む観衆は、
ざわっ、ざわっ、と
(まるで腫物にでも触れるように)
(娘の品性を凌辱する継母のように)
目を背ける。

お姉さんと呼ばれた女は、一匹の牝牛だった頃の話を
ゆっくりと、
海底にちゃぽちゃぽと沈殿した記憶の砂利を掬うように、
ゆっくりと、
ゆっくりと、引き摺り上げる。

「そうね、この町が楽園だった頃には考えられなかったでしょうね、この町が楽園だった頃には、でもね、覚えておきなさい、お姉さんも、お姉さんのお母さんも、お姉さんのお母さんのお姉さんも、そのまたお母さんも、みんなみんな、あの牝牛のように
……………………………………………………
目を覚ますのに、必死なのよ」

牝牛は手足をじたばたと
痙攣させている。
(観衆は)
(熱い吐息を吐いて)
(牝牛の目覚めを、静観する)

「だからあなたも、いつかきっと思い出すわよ、瞼をとじた時に、ほら、ご覧なさい」

とんとん、肩をさすられた娘は、
水槽の中で、
陽光を待ち侘びる牝牛の姿を、すっと
見つめる。

「そっか、お牛さん、眠りたくないんだね、そっか、そっか、はやく起きていたいのね、あっ」

 痙攣する指先に、小判鮫の鈍い歯が、
すらすら
すらすら、と
食い込んで、
「ああ、また、駄目だったのね」
「あの牝牛は私の娘だったのよ」
観衆は、どっと深いため息を吐いて、
(どうやらすっごく冷たかったらしいと)
(後日、娘が聞かせてくれた)

牝牛は骨の髄までしゃぶられて、数粒の砂利となって、小判鮫は、水槽の奥へ、散った。
(そうして空になった水槽に、)
(今度は一匹の牡牛が、投擲された)

「あなた、運が良かったのよ」
牡牛の入った水槽を前にして、お姉さんと呼ばれた女が、娘の髪を丁寧にさすっている。
水槽に映った娘は、気持ちが良さそうに、
屈託もなく、わらっていたらしい。

文学極道

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