それはただ
なんのへんてつもない
いつもの朝で
鳥なんか
さえずっていない
都会のマンション
いつものように
マサルとともに
きらく庵
202号で
目を覚ます
あまり眠れなかったけれど
歯を磨いて
ズボンを履いて
作業所に出かけてゆく前のひととき
ぼくにとって残念なのは
ニューヨーク摩天楼の朝でも
浅く長いシエスタのあとの
目覚めでもなく
恋人ととなりあわせの美しい朝でもなく
ガンジスのほとりの
瞑想のあとの時間でもない
なんて
ことではなく
マサルを起こし
1杯15円たらずの
そう濃くはない
コーヒーを入れてやり
ゆうべの悪夢を聞いてやり
自分のコーヒーを入れ
二人分の卵を溶き
ご飯をよそい
みそ汁を注がせ
ときどきマサルの失敗を
笑って叱る
そんな腕のいい家政婦のような朝
なんのことはない
いつもの朝
けれど
もしかあす
ほんとうに
とれない詩の賞の話が
降って沸いて
月給20万の仕事を手にして
躁も鬱もやってこず
呪文のようなお薬に頼る
必要もなく
マサルやぼくの病の再発と
きらく庵の
だれかとの
残酷な死別などを
恐れる必要もなく
障害者の寄り合いのような
きらく庵を
晴れて
出ることができる
ほんとうに
幸せな
明日が来たら
ぼくは今日の日を
忘れてしまうだろう
花ちゃんののんびりした足音も
アッくんの愚痴と
壁ごしに聞こえる
障害者の限定された苦労話に
そうだそうだと
一緒に腹を立てることも
たとえさまざまな
偶然で与えられたにせよ
用意したご飯を前に
マサルはおごそかなこどもの目になる
ぼくは穏やかな目をした
父親になる
テーブルのあいだに
訪れる
ぼくらの朝の食事の前の
静かな静かな
時間
それがこの世で
二度とない
得がたいときであるように
蛇口からしたたる雫も
ふるえる冷蔵庫のタービンも
笑いとともに
減ってゆくコーヒーや
部屋ぜんたいに広がってゆく
卵の焦げた香りさえもが
特別にかしこまって
神聖な時間であるように思える
いつもの朝のこと
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選出作品
作品 - 20180525_733_10470p
- [佳] ある朝にぼくは - 岡田直樹 (2018-05)
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
ある朝にぼくは
岡田直樹