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作品 - 20171113_298_10028p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


非詩の試み

  芦野 夕狩

よくされる話だけど、僕と君とは何か使命をもってこの世に生まれてきたわけではない。
世界平和も戦争も町内会の清掃活動も、僕らの運命とは何らかかわりのないことだ。
そして、言ってしまえば、僕が君を愛することも、その逆も、僕らの運命とは無関係である。

運命とはつまり自らを導く道程を信ずるかどうかによってその性質を変え、
一度空虚を味わった人間は、運命とは空虚そのものである、と知るのだ。

フランスのアランという哲学者が、
愛は感情に属するものではなく意志に属するものである
と記した書物があったはずだ。
この言説はいささか現代的ではないかもしれない。
というのも、この言葉の内部には人間のどうしようもない自己承認欲求を満たせない何かがある。
愛が感情によるものではないのだとしたら、
自身に愛をそそぐ者は意志によってその行為を貫いているのであり、
結論として、どうしようもなく、空虚な答えを導き出してしまう。
つまり、愛する者の対象は決して自分でなくともかまわないのではないか、という結論を。

コーヒーを淹れようとした手が震える
雲雀の声だけがどこまでも遠く響き渡ってゆく朝

ただ、僕らはどうしようもなく時間的に、空間的に、制限されており、
例えば地球の裏側にぴったりとお互いの隙間を補い合える相手が存在すると仮定したとしても、
その相手と出会うことはとても面倒な話だろう。
たとえ同じ町内いたとしても、そんな悲劇とも呼べぬ悲劇はざらに起こりうるのだから。

選び選んで選び抜いた相手ではなければこそ、それが我々が呼ぶ運命とは似つかない代物であるからこそ、
愛はたえざる意志によって選び取らなければならないものだということを知る。
それは多分に空虚なものであり、ときに愛されるものの心に、遅効性の毒を植え付けてしまう。

けれども、お互いなにかの間違いで、
ちょっとした空調の誤差かなにかで生まれおち、
賽子の偶然によって隣に居合わせ、それを少しだけ心地よいと感じたこと。
愛するという選択と、そうではない選択の扉が、
合わせ鏡のように延々とゆくさきを遮っている

と、ここまで書いて、これでは詩とは呼べないね、と笑っていられる朝
これが詩でないのなら、詩ってつまらないものね、と君が笑ってくれる朝

文学極道

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