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作品 - 20170803_915_9814p

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草花ノート あとがき

  

僕の悲しみは暴れ馬のようにのたうち回っているので、
手綱を雑草に委ねました。
雑草はアスファルトの裂け目や、線路の上や、荒地にも、
どこにでも生えているので、悲しみの痛みを癒すにはもってこいです。
少し目線を落とすだけで、彼ら雑草にはいつでも出逢えます。
とても身近に居てくれるので、僕はほんとうにいつも心強いです。
だからとうぜん雑草に対して感謝をしているのですが、
気高い雑草は僕に謝られるのを何時も拒みます。
人間が付けた名前で呼ばれることについても、「なんだかなぁ。」
と思って首を傾げているようです。
又、写真を撮られるのも嫌がっているようです。
それでも僕は花期に入ると写メを撮ってツイッターへ、
名前と一緒に画像をアップするのですが、このときツイッターに
貰ったファボのことを、雑草に知らせても、「なんだかなぁ。」
という感覚を抱いているように思います。
とくにその写真がデジタルカメラの場合は、とても嫌がっているようで、
彼らの言い分によると、そのデジタル画像は永遠に再現だそうです。
それよりフィルムカメラに収め、生命をデジタルのように再現するでなく、
思い出は再生を繰り返し、そしていつか色褪せて尽きろと言うのです。
僕がバイトで仕方なく草刈りしているときも、「許してな。」
と心で念じながら草刈機のスロットルを全開にしながら謝ると、
「なんで謝られる必要があるのかなぁ?こちらとしては謝られると、
許したり、許さなかったりしなくてはならないではないか?そんなの面倒だ。」
と、謝罪も門前払いされてしまいます。その他にも、日差しの強い日に隣に座り日陰を作っても、
光合成の邪魔だ!というような顔をされます。
そんな雑草ですので、僕を操る手綱さばきを想うと、甚だ僕と雑草は相性が悪いように思います。
だけども僕が雑草に手綱を委ねる理由は、これは植物全般に言えることなのですが、
植物を枯らせる、もしくは殺すことは神様でもできないからです。
なぜなら、雑草は誰かに枯らされたり殺されたりする前に、自分の意思で枯れ、
自分から死ぬからです。
ですので花屋の鉢植えの植物であっても誰も枯らすことはできません。
「わたし、すぐ枯らしちゃうの。。」なんて言っている人は、
そうとう酷い思い上がりです。ですから傷つかないでください。
雑草は、他人に罪を被せません。だから僕は安心して、
のたうち回る暴れ馬の悲しみを、手綱が切れるその日まで雑草に委ねているのです。

文学極道

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