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作品 - 20170714_078_9763p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


映写機

  北岡 俊

安価なナイフの鈍い銀反射は、男の瞼の何重もの歴史の波の皺を再現する。
右手の人差し指がナイフの刃上部に添えられ、ナイフの刃から男は男を覗き込み、人差し指の左横で頼りなさげな親指がナイフ側面に寄添う。左手は、これから切り落とされるであろう仏麺麭の端を押さえている、刃は素早く引かれ、硬くなってしまった仏麺麭は木製の卓に直に置かれ、マリー・アントワネットの頚椎に食い込んだギロチンのように仏麺麭を切り落とす。
口髭に、一つの縮れた雪に似た白埃が乗っている。男はそれには気がつかず、たった今断首されたマリーアントワネットの頭を口に入れ、ヤニに染色された異様に大きな齧歯類の二本の前歯を主に使いそれを、些か強引に噛み切る。すると、噛んだ衝撃で屑が血液や脂のように、口の端、木製卓の上、髭、に飛散した。髭の上の白埃は、もはやどれがそうであったかは見当もつかない。

白くくすんだ老女が二階の自室の窓に寄りかかり、外を眺めている。すぐ下に見える街路樹の並んだ通りには、幼い兄妹がおり、兄は裾の短い赤い水着だけで、妹は袖のないワンピースに紙のように薄い白い肌の透けるカーディガンを羽織っている、兄は脇に大きなオウム貝の殻を抱え、それを取ろうと手を伸ばす妹を突き飛ばす、その勢いで臀部から地面へと妹は倒れる。妹はすぐには起き上がらず、ヴァギナのように開かれた深いオウム貝の殻の穴を見る。
窓枠は固定されており、内側からも外側からも開閉することはできず、単にその役目は、外を眺める為、陰気な正方形で、ベッド、箪笥、小さな椅子、それと老婆を置いておく為だけの部屋に、日中、花瓶の中に水を注ぐように明かりを差し入れる為だけにある。老婆はその光のせいでくすみ、白髪が星雲のようになっている。口を円に動かし、時々、粘り気のある音を立て、ゆっくりとそのまま眠ってしまうかのような瞬きをする。
部屋の入り口から老婆を眺めていた男は、右手に小さな仏麺麭の切れ端を、左手に常温の水を半分程度いれた小さな洋杯を持っており、老婆に近づくと、老婆は男が、男の手が持っている仏麺麭の切れ端に目を向け、それしか動きができないかのように何度も首を振る。態とらしく溜息をつき、男は老婆の古書の湿気によれた表紙カバーのような唇に仏麺麭を押し付ける、乾いた音がし、老婆は尚も自ら仏麺麭に顔をこすりつけるみたいに首を振る。その反動で男が左手に持っていた洋杯から水が少し溢れた。麺麭屑が辺りに、老婆の口の周り、男の手上、床などに散らばり、男は残った仏麺麭を老婆の白髪目掛けて投げつけ、手を払い、早足で部屋から出ていく。男が出ていくと、老婆はまた窓の外に目を向ける。仏麺麭は床の上、置き去りにされたヘンゼルとグレーテルの表情をし、洋杯から溢れた水を含んだ。

その夜、老婆は箪笥の下着類を仕舞っている上から二段目の奥にあった、サイズの小さい黄緑色のレオタードを引っ張り出すと、それを着て、部屋の、凝縮された太陽系のような裸電球の照明の下、舞踊をしたり、スクワットの真似をしたり、時々、無意味に跳ね上がり奇声を張り上げたりする。
男は庭先から、手にビール瓶を持ち、窓から見える、隔絶されたそれをセピア色に眺める。周囲に明かりは無く、夜が夢をみており、その夢が四角く切り取られ、男を通じ、脳が縦に急回転し、目がレンズとなり一筋の光を伸ばし、映写機の様子で、像を映す。
ビール瓶の中はすぐに空になり、そこを水太りした夜風が通りすがりに、傴僂の低い姿勢で覗き込む。

文学極道

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