なだらかな石段がつづく坂のたもと。コンクリートの壁によって仕切られた、隣り合う念仏寺の敷地と小さな町工場との境。その境の前に敷かれる薄汚れた煎餅板の上で、墓参りや散策に訪れる人々を横目に陣取る猫。おまえがいる。ふさふさと白に茶を染めた清潔な毛並みを揺らし、ふくよかにみなぎる首筋を撫でてやると物欲しげに声をたてる。頭を垂れ瞼を閉じ、前脚をそろえ、置物であるようにして、じっとただずむ。
うららかな晩秋の昼下がり。私は買ったばかりのデジタルカメラを取り出し、おまえにレンズを向ける。無私の時であった。標準の画角からやがて広角を選んだかと思えば、気怠いばかりのうつらうつらとするおまえの顔までにじり寄り、鋭く張る銀髭。そして淡い薄桃に色づいた肉が小さく円形をなし剥き出している顎の真下。そばに両膝をつき、ボディをやや上向きに固定し接写を試みる。澄み渡る空。そっと開いた金色の眼。焦点を瞳孔に合わせ、はるか遠くを眼差す、一瞬を切り取る。
撮影を行う合間に近くのコンビニで買ってきた、ミンチ状になった魚の身を差し出してやると、こくりこくり頭をもたげるおまえは大きく伸びをして、眼下に散らばる赤茶けた泥のようなものに鼻頭を近づけ、確かめながらゆっくりと口中へと含み、数分後にはもらさず平らげる。悠々と毛繕いで締めてみせる。そして眠る。
人の話し声が聞こえる。コツコツという乾いた靴音とともに、石段をやってくる。おまえの左耳。わずかに後方へ反る。置物のまま。瞼が開かれていく。速度が上がり大きくなる。フレームを決めピントを合わせ、かまわずレンズを定めるとシャッターボタンを押しこんだ。バンッ!。あたりに破裂音が響く。ファインダー。視線。空をさまよう。靴音の主は携帯電話を片手に私の脇を小走りに過ぎていった。
木々の梢が擦れあう
コンクリートの壁が翳りはじめる
隣り合う念仏寺の敷地と町工場との境。わずかな隙間を隠すように立て掛けられている、縦長の青いプラスチック板が塞ぐ。その下方。地面を底辺とする矩形をしたものが覗き見る。薄暗く遮るもののない一本道。煎餅板を蹴り上げて飛び込んだか。そして駆けたか。待ちつづけた。しかしいつまでも現れない。
住宅や個人事務所などが建ち並ぶ静かな脇道を進み、霞がかる街と地平に浮かぶ空とを望む、照り返す夕陽が美しい一角。そこからなだらかにつづいていく長い石段を下りきりたもとを越えると、歩道を挟んで再び広い国道が横たわる。北に南に往来を繰り返す忙しない車輌の群れ。それらと対峙するように鎮座していたおまえ。ときに門前に建つ石碑をよじ登りてっぺんから勢いよく隣の石碑へと鮮やかに飛び移ってみせた。地面に背をこすりつけてはばかることなく白い腹を見せた。闇の猫。無邪気に時を戯れ、今もそこに生きるか。
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選出作品
作品 - 20160913_742_9100p
- [優] 口縄 - 湯煙 (2016-09)
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口縄
湯煙