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作品 - 20160903_260_9071p

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四の月になると

  牧野クズハ

四の月になると優しさを装った行商人が春の風と共にやって来る。全てを不問に付す免罪符を手にして。四月に蔓延する桜の花弁から漂い出す絶望の匂いに酔った人々に、法外な値段で免罪符を売り渡していく。桜が咲かなくとも、絶望という罪を背負っている私は彼の去来を歓迎しない。絶望することは罪ではない。絶望は人間固有の本能の一つ。私はずっと鋭いナイフを研ぎ澄ませ、頸に当てては嘔吐するイメージを浮かべては泣き続けている。

五の月になると腕無しの医者が初夏の病と共にやって来る。新緑の季節に飛散する、虚無という病原菌と共に。医者は求める人全てに処方箋を配り歩く。人々は薬で楽になる。私は彼の薬を強く拒む。虚無は諸悪の根源であるという彼の謳い文句を拒絶する。虚無は病ではなく業なのだ。人間全てが少なからず抱えているもの。私はそれを受け入れる。虚無と踊れ。遊べ。薬など必要ない。

六の月になると法螺吹き天気予報士がやって来る。雨は数週間降り続き、じめじめした天気が続くと嘘八百を並べる。六の月の雨は私たちの心から吐き出される汚水なのだ。年に一度の排水処理期間だ。街は洗われることなく、毒されていく。この季節に雨傘は手放せないでしょうと似非予報士は言うが、それよりも高性能の防護服が必要だろう。私はこの毒の季節を待ち望んでいる。私たちの真実の味を楽しめることに。毎朝天に向かってこの身を毒水に晒すのだ。持て余した少しの寿命と引き換えに。

文学極道

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