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牧野クズハ

選出作品 (投稿日時順 / 全3作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


(無題)

  牧野クズハ

君が裏返しにした愛の
中を覗いて見たら
ピンク色の襞に覆われ
ジェル状の粘液が
そこら中から迸り出ていた
私は一旦愛を元に戻した

君が見せてくれた裏返された愛に
私は戸惑いを隠せなかった
君は言った
一緒にこの愛の中で暮らしていこうと
私は躊躇いながらも
首を縦に振った

愛の口をめくり上げて
私たち二人は愛の中へ飛び込んだ
愛の口が閉じられて
真っ暗闇の中
饐えた臭いのする
胃酸のような分泌液が
襞中から溢れ出てきた
私たちは分泌液を浴びながら
どろどろした愛の中で
口づけを交わし 抱き合った

愛液がじわりじわりと
まず君の両足を溶かした
そして私の脇腹 左足
愛が分泌する消化液は
私たちの細胞を分解していく
不思議なことに痛みはなかった
最後に目だけが残った時
君の身体はばらばらに崩れ去っていた
私たちは肉塊と骨と血液の澱となり
愛液の海の中で浮き沈みしていた

身体を失ったはずなのに
心はとても澄んでいて
心に溜まっていた
憎悪や厭世観
虚無感や絶望は
一つの純粋さに昇華された
そこにはちゃんと君もいた
私と君は一つの純粋な意識となり
言葉など交わさなくとも
私たちが一つの言葉となり
それが表す意味となった

今までになすりつけられた
呪われた汚辱を
削ぎ落とされ 浄化され
私たちは一つの愛となって
誰かが私たちの口をめくり上げて
抱き合って入ってくるのを
待ちながら暮らしていくんだ


四の月になると

  牧野クズハ

四の月になると優しさを装った行商人が春の風と共にやって来る。全てを不問に付す免罪符を手にして。四月に蔓延する桜の花弁から漂い出す絶望の匂いに酔った人々に、法外な値段で免罪符を売り渡していく。桜が咲かなくとも、絶望という罪を背負っている私は彼の去来を歓迎しない。絶望することは罪ではない。絶望は人間固有の本能の一つ。私はずっと鋭いナイフを研ぎ澄ませ、頸に当てては嘔吐するイメージを浮かべては泣き続けている。

五の月になると腕無しの医者が初夏の病と共にやって来る。新緑の季節に飛散する、虚無という病原菌と共に。医者は求める人全てに処方箋を配り歩く。人々は薬で楽になる。私は彼の薬を強く拒む。虚無は諸悪の根源であるという彼の謳い文句を拒絶する。虚無は病ではなく業なのだ。人間全てが少なからず抱えているもの。私はそれを受け入れる。虚無と踊れ。遊べ。薬など必要ない。

六の月になると法螺吹き天気予報士がやって来る。雨は数週間降り続き、じめじめした天気が続くと嘘八百を並べる。六の月の雨は私たちの心から吐き出される汚水なのだ。年に一度の排水処理期間だ。街は洗われることなく、毒されていく。この季節に雨傘は手放せないでしょうと似非予報士は言うが、それよりも高性能の防護服が必要だろう。私はこの毒の季節を待ち望んでいる。私たちの真実の味を楽しめることに。毎朝天に向かってこの身を毒水に晒すのだ。持て余した少しの寿命と引き換えに。


彼方

  牧野クズハ



水のない河を
素足のまま
渡っていく
投げられた小石
のように水面を切って
小さい波を
残していく
爪が割れた右足が
捨てられた釣り糸に
絡まり縺れて
水底へ沈んでいく
ゆっくりと手招きする向こう岸
をぼんやりと見ながら
その時私は魚になって
苦しい苦しい
という言葉を
見つける

 
私を掬い上げた
舳先のない船は
暗闇の中に浮かぶ
工場群の照明に
点された仄暗い道標
に沿って進んでいく
錨を下ろしたまま
がりがりと河底を削って
流れの速い河から
黒く死んだ海へと流れ出る
エンジンのない船は
潮に逆らい暗礁に
乗り上げて燃え上がる
船員のいない船は
色を奪われた煙を上げて
黙したまま呻き続ける
燃えているのは私の体
いつの間にか舳先と化していた


焦げた船の骸たちは
見えない波に揺られて
砂浜に打ち上げられ
燻ぶり続ける
どこからか子供たちが
やって来て私を持ち上げ
はしゃぎながら駆けていく
夜の砂浜で拾った
貝殻や小石、ロープや私を
積み上げては崩し
積み上げては崩し
子供たちは
きゃっきゃっと笑う
その時舳先は初めて
向こう岸の明るさを
盗み見てしまった

文学極道

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