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作品 - 20160718_122_8972p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


センテンツィア 

  山田太郎

  
空がゆっくりと落ちてきて、夜になると、闇が呼びかけるように地の底から光の洪水が押し寄せる。光の海とダンボールハウスの浸透圧がかさなる時刻、一艘の小舟が歌舞伎町のガード下をくぐる。たちまち光の泡が押し寄せ、かれは、だれからもみえなくなる。
鸚鵡貝にみたてたアスファルトと鉄のオペラ座。その地下道に一匹の鴉がいる。飛べない羽をたたみ、この一年、ずっと爪先をみている。
失恋した元プロレスラーが、いくあてもなく足音を響かせて通る。正気を失ってしまった哀れな肥満体の男は粗相をした女優のように内股で歩いている。
口からどろりと灰色の影を吐いた不動産屋の老人は老人斑の浮いた禿頭を断頭台に乗せるように伏して壁際で酔い潰れている。
片脚のない中年女が地下道の出口を探している。首の腱を針金のように張り、「あ」音と「い」音を間欠的に交互に突き上げながら、もと来た道をいざりながらまよっている。粗末な服と同じくらい粗末な皮膚は黄ばんで干からびている。瞳だけが朝露のように透明でうつくしいほかは。

墓石がそびえたつ地表には無数の数字たちが、笑いさざめきながら革靴やハイヒールを履いて交信し、小さなパネルに収斂されていく。それを人工衛星が回収し、支払い能力の多寡に換算して地表に送り返す。

はじける光を背景に長い黒髪を垂らした、リヤカーのジュジュがゆく。痩せ細ったジュジュの歩行は止まっているかのようにみえる。引き上げられた後足が前足と入れ替わるまでに、風景はすっかり変わる。それはリヤカーに積まれたゴミの重さのせいかもしれない。あるいは、ジュジュは、暗黒舞踏のカリスマのように路上でダンスを踊っていたのか。いや、かれは、闇からの光に目がくらみ、独りでオリエンテーションをこころみていたのだろう。目立つものは殺されるぞ、といわんばかりに。慎重に。それにしてもどこへ?

リヤカーを引くジュジュの影をプログラミングされた男たちの影が追い越していく。電荷のように瞬時に数百メートル先へ。そこへデフラグされた女たちの笑い声が星のように落ち。フォーマットされた恋人たちが再フォーマットされた恋人たちと行き交う。
数字は名詞を口にし、幽霊は感動詞を叫ぶ。

地も木も空も鏡でつくられた森がある。
その扉がひとつ ──ちりんと鳴って、丁寧に包装されたおんなたちが黒い紳士を送り出す。角柱に映った巡礼の男の汚れた姿をみて女のひとりが小さな声をあげる。男は白い歯をみせて微笑んでいる。振り返ってもだれもいない。男の断片はすくなくとも幾度もの屈折と反射を繰り返してそこに届いているのだろう。漫画喫茶、居酒屋、キャバクラ、ホストクラブ、風俗店、ラブホテル、パチンコ店の柱や庇や窓ガラスや扉のなめらかな鏡のなかを巡ってきたのだ。男はひょっとするとそのビルの裏道を逍遥しているのかもしれなかったし、笑いかけているのは野良犬の仔にだったのかもしれない。

露店には黒い手で摘まれた果物が山積みになっている。それはもうだれの汗も爪痕も残さない。それはもう巨大タンカーを映さない。それはもう西陽の影になった木立のシルエットを映さない。それはもう舟になった男の瞳にも映らない。果物売りにはかれがみえない。

夢のスクエア ── 祭壇は酒場の裏にあって、そこには色ガラスの林があった。色ガラスの底には琥珀色の吐息が忘れられている。ちりちりちりと空から落ちた光がガラスの肩にのってちいさな火花をあげた。かれは跪き、祈りを捧げる聖者になる。祝宴がはじまる。天体からも、その姿はみえない。

文学極道

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