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作品 - 20160616_702_8892p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


NOBODY CAN HEAR YOU

  山田太郎

ときどき、
もうすぐ死ぬことを
忘れている。

そのことにはっと気がついて、
まだ死んでいないことが、
少し、うれしくなる。

そんなときは、
過ぎきし人生を振り返ることが多い。

とにもかくにも
しあわせな人生だった。
奇跡のような伴侶にも巡り会えたしね。

なしえなかったことより、
言えなかった言葉のほうが多く
いまとなっては悔やまれるが。

人間は、死ぬとはかぎらない、
という名言を吐いたひとがいた。
それから半年後に亡くなったと聞く。

歳のせいで本が読みづらくなったから、
朝から晩まで
ネット配信のドラマをみている。

日本のテレビはみない。
新聞も読まない。ラジオも聞かない、
人と話もしない。
携帯の電源はいつも切ってある。

ここ数年、他人とまともに話したのは
イーオンのレジ係りだけだとおもう。
(袋いれますか)(お願いします)
これが毎日交わす唯一の対話。

対話とはいえないかもしれないが、
人はもう表見上の言葉で交流しているのではなく、
暗黙の傍白のようなものを
キャッチしあっているのではないか。
ずいぶんいろいろ話したような気がしている。

昼間からカーテンを閉ざし
HULUやNETFLIXに釘づけの日々が続いている。
お茶とお菓子を用意し
たえず口をもぐもぐさせて、
ドラマのお風呂にはいっている。

この歳でスケーターとしてのフィットネスを維持するため
酒もタバコもやめた。
コメ、小麦などの糖質をすべて断ち
乳製品いっさいを排除してきたのに、
とうもろこしでできたキャラメルコーンだけは
一日中、手放せない。
わたしのからだの半分は、
お茶とキャラメールコーンでできている。

わたしが死んだらよく燃えるだろう。
煙は飴色で、キャラメルコーンのすこし甘い香りが
火葬場の周辺に漂うかも知れない。
ちょっとした見ものだ。

さて、お陰で、
簡単な英会話は字幕をみないでも
わかるようになった。

印象に残ったドラマは、
なんといっても、
『野望の階段』(ハウス・オブ・カード)という政治内幕ドラマだ。
スリリングである。

スリリングというと、
主人公のアンダーウッド、(わたしは木下さんと呼んでいる)
が命の危険や地位を失う危機にさらされる
とおもうだろうが、そうじゃない。

人が人としての存在を自ら否定する、
その葛藤の過程がドラマチックに描かれている。
日本人がふつうにもっている美意識やモラルを
キュートにひっくり返してくれる。

ふつうの神経ならぜったいに譲れないモラルや信念を
かれや彼女らは地位や名声のためにその手で壊す。
これがなんとも無残で痛い。痛いけどおもしろい。

権力者やセレブが次々に登場し、
無慈悲かつ欺瞞に満ちた駆け引きが展開される。

たまに、なんとも理解不能なシーンにでくわす。

使えなくなった新聞記者を地下鉄の線路に突き落として
自殺を偽装することもいとわない大統領候補の木下さん、
なにを血迷ったか、
木下さんに向かって批判的な言説を大声でわめいている
ずた袋のように汚れた路上のホームレスにちかづき、
同じ目線にしゃがんで、
語りかける。

NOBODY CAN HEAR YOU
NOBODY CARES ABOUT YOU
NOTHING WILL COME OF THIS

ド迫力の演技。
しばらくキャラメルコーンをくわえたまま、
息をのんでいた。

わたしがいわれたような気がした。
そういえば子どものいない木下さんも家に帰れば、
寝る直前まで独りで、
テレビゲームに熱中している。
議員なんて選挙に落ちればつぶしが効かないガラクタだ。
主人公はいつでもホームレスに転落しうる契機と戦っている。
ホームレスの無念、怒り、憎悪、悲しみ、孤独。それは、
主人公の木下さんのものでもある。
ホームレスたちの無慈悲、冷酷、残忍な政争や謀略が、
世界の頂きにおいてスパークする。

ああ、もうすぐ死ぬ身であることを
すっかり、忘れていた。
世の中はうまくできている。

文学極道

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