あの木がさらさらと風を濾しているから
今日も青く澄んだ空には風が吹いている
この木はあちこちに生え育っているから
手を伸ばしちぎりとってはプーと鳴らす
親指ほどの楕円形の葉をそっと唇にあて
甘い香りに見上げると、かぶさるように
滴るように、藤の花によく似た白い花房
葉を凌駕して、ゆたりゆたり揺れる初夏
この木に名前は必要なかった
気がつけば目の前にあったから
子供の頃、多くのものがそうであったように
そしていつの日か
僕はこの木の名前を知った
*
〈ニセアカシア〉
生まれたときから既に 君たちは
軽んじられている
差別されている
蔑まれている
ニセモノ
二番煎じ
と
でも君たちは気にしない
呼ばわる声に耳もかさず
のびのびと、どこ吹く風
甘い香りのする白い花房
これでもかとぶら下げて
ニセアカシア
それはただの呼称
名前は他から区別し
認識するための
僕らの道具
けれども 悲しいかな
僕は君たちに告げねばならぬ
深い意味を持たぬ「ニ・セ」という音も
何らかの風味を伴わないではいないのだ、と
*
甘い香りに誘われて見上げると
やはり、ニセアカシアの花盛りだった
たぶん、目に映る光景に大きな違いはない
けれど僕は見るたびに、思い起こすたびに
片隅に「ニセアカシア」と銘打ってしまう
しなやかで粗野な繁殖力に満ちたこの木が
何の紛い物でもないことを知ってはいても
すぐ前に、手を伸ばせばいつもあったのに
そして今も変わらずあるというのに
いつの間にかに距離ができ
その距離を測る
名前に
知に
囚われたのは、僕
頑なに隔たってゆくのは、僕
あの頃に戻れないなら、いっそ
*
ああ、僕の上だけ雨よ降れ
まとわりつく
このニセモノの花の香りを
洗い流してしまえ
最新情報
選出作品
作品 - 20160601_130_8859p
- [優] あの木 - 宮永 (2016-06)
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
あの木
宮永