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作品 - 20160514_783_8827p

  • [優]  死活 - 飯沼ふるい  (2016-05)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


死活

  飯沼ふるい

葉桜の並木道を一台の霊柩車が行進していくのは
28℃
「にじゅうはちどしー」
と、略さずに呼びたい一日
の真白い光
噛み砕くと
腐った果実のにおいが広がる





額から垂れる汗の微温さや性器の湿り気がどうしようもなく不快だった。このまま町の風景に鈍く固着していく予感が、僕を解放してくれる誰かを求めずにはいられなくさせた。密林のように舌を絡ませあい、じゅくじゅくと沸騰しては冷えて固まる死という堆積物をお互いの肺胞におさめあう誰か。そんな血みどろの想念を、丁重に運ばれていく骸へ注ぐ視線の裏で患いながら、誰にも悟られないよう親指をそっと掌へしまった。

誰もいないのに。





着信音で意識を取り戻す。まどろみから抜け出しきれぬままに通話ボタンを押して「はい?」と寝ぼけた調子を隠しもせずに相手を問う。

スピーカーの向こうから「きみ」の葬儀の日取りを伝えてくるのは昔付き合っていた女だ。
女の、重力そのもののような重たくのっそりした声に押し潰されて瞼を開くこともままならない。手探りで卓袱台に置いたはずのライターと煙草を取る。ライターを摩擦する音をマイクが拾いあげたか、嫌煙家の女は黙りこんだ。
煙草を肺の奥深くへ充填させる。眩暈を感じるまで息を止める。吐く。ねばついた口腔から漏れ出る煙は電灯の紐に絡まりもつれながら消えていく。こめかみが脈打っている。

どくどく、どくどくと。

死ぬのはいつだって僕ではない。ざらついたライターの歯車を親指でこすりつづけていたら火がつかなくなってしまった。

二週間洗っていない寝間着には煙草の脂と寝汗がたっぷりと染みているはずだが、それすらももうわからないほどに身体と馴染んでしまっている。その身なりのままサンダルに足を突っ掛け、99年式のパジェロミニに乗り込んだ。





入道雲が膨れ上がっている
そのしたでくすぶる初夏
空の密度は息苦しい
(ガラスを幾重にも重ねたように
(透明だが、透き通ってもいない






  背中に、
  背中に、舌を這わせた
  脊椎の窪みへ舌をぴたりと合わせ
  丹念に
  丹念に
  舐めた
  「きみ」の身体から滲んだ皮脂は
    とにかく苦かった
  執拗に吸われた「きみ」の肌には
  紅い斑点が浮かんだ
  僕の舌が舐めた跡は
  蛞蝓の這いずった道筋のように光っていた
  どんなに「きみ」を汚しても
  「きみ」は微笑むだけで
  僕を許した


     夏の陽射しに顔をしかめながら
     腐りかけの桃を握る
     いつかの祖父
     枯れ節のような指に
     濁った果汁が媚びるように絡んで汚かった


    牡丹雪は
    降っていたか

  菜の花は
  揺れていたか

   合唱コンクールの
   課題曲を
   思い出せない

  川に投げた
  地蔵の頭は
  見つかったのか


 あぁ、なにか、そう、今は
 今(であったこと)に蝕まれているらしい

たしかなのは
霊柩車は空を辿って行ったこと
(油彩画のような重たく厚い青空を
(成層圏まで沸き上がる陽炎にのって

 28℃
 「にじゅうはちどしー」
 と、略さずに呼びたい一日に
 28℃
 「にじゅうはちどしー」
 と、略さずに呼びたい一日に
 まぎれもなく、そこには


入道ぐも






        入どうぐもも



  28℃
  
  28℃
  「にじゅうはちどしー」
 と、


           にゅうどうぐももも 

  略さず呼びたい一日の
 屁
           ぐももも

  28℃
   「にじゅうはちどしー」
   と、略さず呼びたい一日は

   略さず呼び、呼びたい一日は
  28℃
  「にじゅうはちどしー」
  「にじゅうはち
    と、略さず
  「にじゅ「にじゅはち「にじゅはちど「にじゅはちどしと、略、略さず呼びたい
  呼び爆撃と、屁がぐももも
 がぐもももも
  「にじゅうはちどちちちちちちちち」
  にゅうどょうぐももももももも
 ここにきて
  びちょびちょの
  28℃
  「にじゅうはちどしー」
  と、略さず呼びたい
 と、煮えている僕のなかから
  霊柩車、空になってーー


歩道を歩く女の子のスカートが短い





女が言うには車はおもむろに路肩へ突っ込んでいったらしい。
飛び散った「きみ」のどこかの指のひとつは天を指すように突っ立ち、まるでアスファルトから勃起したぺニスのようだったという。

女は僕が「きみ」の指で犯される夢で夢精したことを知っているに違いない。





コンビニの冷房は汗ばむ体に辛くあたる。
ライターと香典袋を購うと、それだけで一日の予定が終わってしまった。アイスもいちど手に取ったが、なにか不謹慎な気がしてもとの場所に戻した。
ギンギンの陽射しを刑事ドラマの主役でも演じるように睨み返して車に乗り込む。
来た道をそのまま逆に走っていると、フロントガラス右上端にぼやけた染みが浮いているのに気がついた。
手を伸ばして拭こうとするとそれは汚れなどではなくて、目の前を覆うガラスなんかより遥か彼方の青空で溶けかかっている月だった。
精液を全身に浴びたような白ーー。そんな喩えが頭に浮かぶと、恐ろしくなった。今ここに僕がいることが恐ろしくなった。

女の子をまた見かけた。女の子は女の特徴をやおらに主張する格好をしている割に化粧もしておらず、幼い面立ちをしていた。本当に幼いのかもしれなかった。女の子に乱暴すれば気も紛れるかと思ったが実行できる訳もないので想像の内に留めた。その想像をも振りきるようにアクセルを踏み込んだ。
バックミラーを覗くと女の子は気のない顔で、けたたましい音を散らす割にのんびりとした速度で逃げていく僕の背中を眺めていた。





生まれたての姿の僕は野グソするようにしゃがみこみ、アスファルトに融着した「きみ」の指を尻の穴にねじこんでいく。
体を上下に揺らすたび、手入れの行き届いた爪が僕の内側を引っ掻くから気持ちよさなど微塵もない。それでもあの出所の分からない恐ろしさから逃れるように、執拗に「きみ」の指とまぐわう。「きみ」の指を尻の口で豚のようにむしゃぶりながら、喘ぐ。喘ぐたびに還っていく。祖父のいやらしい手を見て目を背けたあの頃へ。精液を知らなかったあの頃へ。





いつかの祖父は、幼い僕のイチモツをしごくことで愛を教えた。僕を取り繕う魂とか精神とかいう類のものは、脳髄から脊椎へ雪崩れこむ、抗うことのできない激流に飲み込まれ、あの濁った果汁となって祖父のもとへ放たれた。祖父の愛に体が応え、おぞましい快感と底知れぬ悲しみが残った。
そして理性が、自分の中身は腐っているのだという理解を引き連れて帰ってきた。息もきれぎれに、こんなものを吹き出してしまう自分のことを、どれほどの汚物であるか責めたてた。密室で、河川敷で、公園で、銭湯で、体をがくがくと震わせて濁った果汁を放つときの、暗い目の僕を、祖父はいつも恍惚と眺めていた。愛のために命の純度は落とされていった。

それから10と余年経った頃に付き合っていた嫌煙家の女は、クンニリングスの恥ずかしさが好きだと言った。僕はそんな自分の様を鏡で鑑賞すればいいと提案し、ベッドの脇に持ってきたスタンドミラーに向かい合わせて股をひらかせた。祖父のいやに優しい手を迎え入れるかつての自分の姿が重なった。いびつに窪んだ性器へかしずくように顔を埋めた。熟れすぎて爛れたあけびのような窪みからは、やはり腐った臭いが広がる。人は生きながら腐っていく。腐るところがなくなると人は死ぬ。僕の舌が女の腐敗をさらに酷いものにさせた。女はひどく恥ずかしがった。つまり悦んでいたのだが、僕は吐き気がするほど女を軽蔑した。腐っていくことが悦びとは。しかし僕にとって、軽蔑は愛と同義であるのも事実だった。





そしてただ微笑みの印象を残して大破した「きみ」とはいったい誰であったのか。





喘ぐ。喘ぎながら僕は穴という穴から汁を垂らす。汗も涙も鼻水も腸液も、こぞって僕を汚くしてくれる。ブラブラ揺れるイチモツを握り、唯一まだ汁を垂らしていないその最涯の穴から、僕の髄まで絞り出そうとする。祖父はとうとう僕の尻穴に指の味見をさせずに逝った。外で小便を垂れるのと同じ種類の心地好さや幸福な感じにまみれている。武者震い。イチモツと陰嚢の狭間が震えはじめる。

ひくひく、ひくひくと。

もういい
飛び出していけ
なにもかも失ってしまったのだ
なにもかも失ってしまえ
「きみ」という
一過性の無間
引きずり抜かれていく
「さんじゅうろくどごぶ」の体温
頭のなかも真っ白に
込み上げてくる嗚咽
真昼の月はぼろぼろと崩れ
失いかけた我が名を取り戻すように
「きみ」の名を絶叫する

「きみ」の名を絶叫する

文学極道

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