#目次

最新情報


選出作品

作品 - 20151102_007_8393p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


僕のノートに

  

「芋虫」

僕は草花が好きなので、成長したくない。
なぜかいうと、僕は僕の季節に従って、
変化するだけ。
芋虫は蛹の中で、うちの家の庭木を、
食べ尽くしたこと、ぜんぶ忘れて蝶になれっ。
子供の頃、虫かごの中でたくさん殺した。
お母さんが怒るので、先生に言われた通り、
標本にしたりした。



「キャー!」

小学校まで、一人で歩いて1時間、
それからみんなとバスに乗って、さらに1時間かかった。
僕のクラスは8人で、男子は菅君と僕の二人だけだった。
菅君は、毎週お母さんに花束を持たされていた。
それはとてもきれいな花で、いつも教室の花瓶に飾ってあった。
菅君は、いつも先生から、ありがとうと言われていた。
僕も先生に、ありがとうと言われたかったので、
雑草をいっぱい摘んで、先生に渡した。
先生のありがとうは、菅君のありがとうの時と少し違った。
次の日、僕は養殖池から飛び出して、
地面でピチピチ跳ねていたマスを捕まえて、
ランドセルに入れて先生にあげた。
先生はキャー!



「首吊り」

僕の作文が選ばれて、
南海放送のテレビで発表されることになった。
放送の日、お爺ちゃんは市内のうどん屋で
それを観て泣いていたらしい。
作文の内容は、
僕が大人になったら、
お医者さんになってお爺ちゃんの病気を
治してあげるというものだった。
その日の放課後、僕は校庭のスベリ台のてっぺんに、
なわとびの片方を括りつけ、
もう片方を自分の体に巻きつけてすべって遊んでいた。
けれど、体に巻きつけた方のなわがつるっとすべって
首にひっかかってしまい、首吊り状態になってしまった。
僕は意識不明で救急車で運ばれ、
ウンコもオシッコも垂れ流しだったらしい。
気がついたとき、新しいパンツをはいていた。
僕は診療所のベッドで横になりながら、
「1日に2回もテレビに出るところやったんよ。」
と、お爺ちゃんの顔をみて言った。





・地獄へ落ちないためには
天国を作らないことです





「おえっ!」

僕が中学生の頃、
小児がんを患ったとき、
新しいお母さんはきた。
僕は抗がん剤の副作用で、
口にするものぜんぶ吐いていた。
だけどもたくさん夢があって、
食べたいものはいっぱいあった。
ある日、鶏のカラアゲが食べたいと、
つい言ってしまって、
それから新しいお母さんは、
毎日、鶏のカラアゲを持ってきた。
毎日、鶏のカラアゲを運んでくる、
新しいお母さんのこと、
お父さんは感謝しろと言うので、
僕は毎日、カラアゲをトイレに流していた。




「風呂桶」

お父さんが家に帰ってこなくなって、
僕はせいせいしながら夜遊びをしていた。
ある日、めずらしくお父さんが家に居るので、
僕は二階に非難していた。
すると、一階から女性の大きな叫び声がするので、
そろそろと降りて覗いてみると、
玄関のガラスが割れていて、風呂桶に裸の女の人が入っていた。
それを別のもう一人の女の人が、仁王立ちして睨み付けている。
僕はチャンスと思って外に出て、さっさと自転車に乗って出かけた。
小児がんの再発で、「コバルト照射」という治療をうけることになった。
お医者さんは、副作用として脱毛と無精子になる恐れがあると言った。
毛は既に抜けているので、気にならなかったけど、
無精子というのは大人になったときの自分に、
どのような影響を及ぼすのか想像がつかなかった。
僕は16歳のときに、ひとりの女性を孕ましてしまったことがあるのだけど、
あれは本当だったのだろうか?僕は今日も自転車に跨ったままだ。



「ひっ算」

ひっ算するとき、
10とか9とかとなりに貸してあげるやん?
あれ返さんでええの?
気が付いたときはもう遅かってん、
そのまま今日まできてしもたわ。



「バブルの欠片」 

初めてのサラリーマンは、訪問販売のセールスマンだった。
法外な価格の商品を買ってもらいに一件一件を虱潰しに、
クロージングしてゆくのだけど、自慢ではないが、
全社員2000人の中で、15位の成績をあげていたことがある。
なぜ、そのような成績を、僕が売り上げ続けることが、
できたかというと、過去に押し売りをされて、もう訪販はこりごり、
という奥さんを見つけて、なだめてすかして、
また買って貰うのが、僕の得意技だったからだ。
それもクーリングオフ制度がはじまって通用しなくなった。






・飛び降り自殺の死因の多くは
落ちているとき
一度に処理しきれない数の
思いが一気に脳へ流れ込む
パンク死だそうです







「人売り」

1993年、僕が勤めていた不動産屋は、ラブホテルも経営していた。
僕はそのラブホテルに住み込みで働き、仕事は主に雑用をしていた。
当時はたくさん日系ブラジル人が日本に出稼ぎに来ていた。
会社のラブホテルにも住み込みのブラジル人がたくさん働いていた。
僕はブラジル人にポルトガル語を教えてもらったり、
ブラジル流の誕生パーティーをしてもらったり楽しい毎日だった。

ある日、社長がブラジル人たちを他社のラブホテルに派遣したいと言い出した。
そして、普段からブラジル人と仲がよかった僕がその部門の担当主任に抜擢された。
僕は異国の友人に日本で新しい職場で働くためのコツを教えたり、
派遣先に営業をかけたりと、忙しくなった。
会社から新しいスーツと金縁のメガネ、それから新車を買ってもらった。
仕事が軌道にのりだした頃、ブラジル人と僕の関係は、よそよそしいものになっていた。





問題の多いラブホテル

いくらブラジル人を派遣しても、逃げ出してしまう、
問題ばかり起きるラブホテルがあった。
業を煮やした社長は、SSランクを派遣しろと言う。
SSランクとは、子連れで出稼ぎにきている夫婦者のブラジル人のことで、
家財道具や荷物が多く、子供の学校の転校手続など諸々面倒なので、
逃げ出す確立が低いだろう、という意味でそう呼んでいた。

辛い休暇

今回こそは逃げられないように、いつもより念入りに計画を立てた。
まず、派遣当日の2週間前から、ブラジル人に自分達の荷物をすべてまとめさた。
それをすぐに派遣先のラブホテルに送ってしまう。と同時に2週間の休暇をあたえる。
祖国の裏側、ニッポンまでわざわざ働きにきている彼らにとって、
この2週間の休みは、精神的に辛かったと思う。
裸同然の生活をさせてから、派遣先のラブホテルへ連れていくことにした。

黒塗りの予感

派遣当日、社長はぜったいネジ込んでこい!と言ってベンツの600を貸してくれた。
ブラジル人の家族も、最初は社長のベンツに乗ることができて嬉しそうにしていたけれど、
だんだんと車内の空気は重苦しくなってきた。
子供がぐずりはじめたので、なんどもトイレ休憩をして、外の空気を吸わせた。
僕は運転をしながら、できるかぎり楽しい話をしようと努めたけれど、
それも尽きてきてしまい、子供は泣きつかれて眠ってしまった。
派遣先のホテルに着いたときに、子供が起きてまたぐずり出すと厄介だ。
ウィンカーをだす音が鳴るたびに、黒塗りのベンツのなかは、
右折ならコッチコッチ、左折ならアッチアッチ、僕たちの思いが揺れる。

ラブホテル到着

目的のホテル街に入っても、派遣先のホテルに直行できなかった。
わざと車をぐるぐるまわし、ここのホテル街は立地的に便利なことを説明しながら、
そんなウソ話を聴きながらでよいので、子供がやんわり目覚めてくれるようにと。
問題のラブホテルの支配人は、はじめてブラジル人を派遣した頃に比べると、
差別的な感情は、なくなってきているように感じた。
そして笑顔で迎えてくれたが、子供は親のうしろにすぐに隠れてしまった。
支配人自慢のペロペロキャンディーにも、この子はまったく屈しない。

人が逃げたあと

床に落ちている長い髪が、縺れた思い出を梳かすことができないでいる。
案内された部屋は、まるでスラムに迷い込んだような貧しい部屋だった。
こちら側としても、支配人に袖の下も潜らしてあるし、何度もウハウハ接待もした。
しかもSSランクのブラジル人を連れてきたのだ、これでもしも、
支配人の小言のひとつでも、会社に持ち帰れば、社長は間違いなくキレるだろう。
社長が座っている椅子の、後ろの壁に掛かっている散弾銃ときたら、時々本当に火を噴くので、
そのときは何匹の鴨が落ちる?

ブラジル人が施設の説明を受けている間、

------------------------------------------------------------------------------

1993年、細川内閣の誕生、自民党は結党後はじめて野党に堕ちた
1994年、羽田内閣発足、羽田内閣は短命に終わる
1994年、同年、村山内閣発足
1995年、1月7日、■関西・淡路大震災
1995年、8月15日、村山談話で謝罪の意を前面にあらわした村山富市は、
マスコミのプロパタンガに煽られた国民から反日売国奴と叩かれた

1996年、村山内閣失脚
1996年、同年、自民党は与党に返り咲き、橋本内閣発足

--------------------------

2009年、自民党歴史的大敗、民主党が大勝利、鳩山内閣発足
2009年、同年、小沢一郎は500人を連れて訪中「小沢訪中団」
2011年、1月31日、小沢一郎、東京地裁に強制起訴「陸山会事件」
2011年、3月11日、■東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)
2011年、同年、管直人総理大臣失脚
2012年、民主党大敗、野田内閣失脚、民主党野党に転落
2012年、同年、自民党、公明党、連立で与党に返り咲く、第2次安倍内閣発足
2015年、深夜、僕は○○屋にきた。お金を入れてボタンを押し食券を渡す、これでOK。
お肉は、心から産まれた瞬間から、フィクション生み続けている怪物だと思う。

-----------------------------------------------------------------------------------

1993年、僕は別室で支配人と契約書を交わし、少し談笑してラブホテルを出た。
ブラジル人は最上階の窓から手をふり、僕の名前を呼びながら、大声で何か喚いている。

「ツギ、イツクルー??ツギ、イツキマスカー!!」

「早く来るよー、頑張ってやー!」

僕はそう言って、ベンツから手を振ったけれど、スモーク張りの窓を閉め切ったとき、
「まわりに声が響くやんけっ、もっと静かに話せやっ!」
とひとさし指を口の前に立てて「シーッ!」の仕草をした。


耳をすましてごらん?

うまくやらないと、

誰かがまた、

地震を起こすかもしれないから。







・笹舟を流して海まで追いかけた
海は大きな僕の溜め息でした







「どうしようもない」

広島に住んでいた頃、
スナックのおねえちゃんと、
いい感じになりかけた。
そのおねえちゃんは、
バレーボールの選手みたいで、
僕よりだいぶ背が高かった。
一緒に歩くだけで、
僕は優越感に満たされ、
自分の努力だけでは、
手に入れることのできない、
どうしようもないものを征服した、
気持ちでいっぱいになった。
かなり幸せだったのだけど、
そのとき勤めていた、
会社の社長に、寝取られた。




「タンス一揆」

僕のうちは天皇家に、
代々仕えてきた、
由緒正しい家系で、
勲章もたくさん残っている。
この桐の箪笥は、
明治天皇から直々に、
拝借したもので、
元禄時代に有名な職人が、
作ったものだそうだ。
お父さんも、お爺ちゃんも、
すごく自慢していたので、
ほんとうにすごい箪笥だと思う。
ならば銀行から貯金を全額おろして、
明日からタンス貯金に切り替えよう。




「寺の鐘」

詩って、なぜ、
言に寺と書いて、
詩と読むのだろう?
と、よく考えていた頃、
それが、自分にとって、
どうでもよいことだと、
気がつくまで、答えは、
必要ないということを、
詩は僕の中で毎日、朝夕、
教えて聞かせてくれる。
詩はあなたの心を映す鏡である。

「ゴーン」




「ミッキーの暑い夏」

彼女が友達と、ディズニーランドに行くと言いだして、
なぜか僕は、留守番することになった。
その日から、ミッキーがどうの、
ドナルドがどうの、パレードがどうの、東京がどうのこうのと、
その話ばっかりで、この女マジでうっとしいと思った。
だから僕は、ミッキーの中には、ハゲ散らかした汗臭いおっさんが入ってて、
楽屋にいるときは、シャブいきながら酒のんどるんや、
そやないと、あんなアホみたいなテンション、ありえへん、と、
彼女が出発する前日まで、さんざん愚痴り続けた。
すると彼女も、「詩とか書いてる奴ってキモイと思う、
だからあんたはキモイと思う。」
と言い返してきた。だから僕も、
「俺はミッキーの中のおっさんみたいなもんやさかいな。」
と言い返した次の日から、
クーラーのリモコンが見つからない。






・公衆便所の落書きテロリスト






「雑草」

オカタツナミソウ
ヤブタビラコ
オニタビラコ
ミズタビラコ(キュウリクサ)
カタバミ
イモカタバミ
ムラサキカタバミ
オッタチカタバミ
アカカタバミ
キランソウ
シハイスミレ
カキオドシ
ツボスミレ
トキワハゼ
シャガ
ヤブジラミ
ツルニチニチソウ
クサフジ
アカバナユウゲショウ

好きな雑草の名前を言いだすと、キリがない。
正直、マジで面倒くさい。
けど、もしも愛ならこのくらいの距離感でちょうどいい。




「おーるぱーふぇくと!」

はじめていった海外はスペインだった。
ポイっと一人で出かけてみた。
成田から羽田、そしてヒースロー空港で
JALからBAに乗り継いだ。
海外の飛行機は想像以上に外国していて、
僕はかなり焦っていた。
そのうえ、はじめての海外で、
はじめてのロストバゲージを、
経験する羽目になり、
僕は到着ロビーのカウンターで、
荷物が見つからないといくら説明しても、
係りの外人のおねえちゃんは、
白いのばかり優先して、
まったく相手にしてくれなかった。
それからも、あっちだこっちだと、
ロビーを2時間ぐらい、
ウロウロたらい回しにされた。
それでもまだ見つからないので、
「見ていません!」
と大きな声で言うと、
「見ていません?」
と大きな声で聞き返された。
よくわからないけれど、
それからやっと、僕の荷物を探してくれた。
僕の荷物はまだ、
ヒースロー空港にあるということだった。
それからさらに、1時間ぐらい、
手ぶり素ぶりのやりとりで、
明日の昼ぐらいには、
宿泊予定のホテルに荷物が届くよう、
手配をしてくれることになった。
これで一応ひと段落・・・、
まだ胸に不安を抱えたまま、
この場を立ち去ろうとしたとき、
係りの外人のおねえちゃんは、
嬉しそうに親指を立てながらこう言った。

おーるぱーふぇくと!






・地下鉄のホームで釣り糸を垂れていると
でっかい朝が釣れました

文学極道

Copyright © BUNGAKU GOKUDOU. All rights reserved.