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作品 - 20151029_873_8384p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


飛べない時代の言葉から―― 森番

  前田ふむふむ

       

    1   街の――

分厚い雲間から腕が伸びるように 
ひかりが アスファルトをかぶった街路に 
照射し
いつも用心のため 雨傘を携帯する 
きみの 体温は 少し 暖かいだろうか
グレーのランニングジャケットを着た
女性が白い息を吐きながら
速足ですれ違う
枝を折るような朝だ

青い蝶が 断崖を越えていく
夢のような景色が
胸のなかを
棘のように通り過ぎることがある
それは 誰もさわっていない
積もった雪のような希望や 
砂漠のような眼窩を
胸に向かって 射抜いていく
あかるい日差しのように見えるが
とても 大切なものが
泥だらけの地面に落ちて
拾い上げても
もとの形状には戻らない
そんな穴が
火を点けて 燃える紙のように
ひろがっていく

だから
ひとに気付かれないように
靄でかすむ胸のおくに
隠し
それを覆う肋骨のカーブで
牢獄のように
しばりつけ
堪えず ことばごと 失わせてしまう
それはとても苦しいので
わたしは
鋭利なナイフをとりだし
氷のような皮膚に
突き刺し
こわばった肉をほぐしていく
カチとドアの鍵があくように
骨を除けていく
やわらかい空気が
堰を切って 
喉元を涼しくぬらし
呼吸をするたびに
傷口は大きく開いていく
それが
暖かいということか

やけに肉好きの良い
カラス一羽が 車道のセンターラインを
彼此 五分以上
越えたり 戻ったりしている
カラスの足に
布切れが絡まっていて
戸惑っているのか
たどたどしい歩きだ

苛ついた わたしは
センターラインめがけて
小石を投げつけた

カラスは
わたしを睨み付けると
勢いよく 
寒空を飛んでいった


   2  森の――

花弁を剥きだしにして 
白い水仙が咲いている
その陽光で汗ばんだ起伏を這うように
父を背負って歩く

父はわたしのなかで 好物の東京庵の手打ち蕎麦が
食べたい 食べたいと まどろみながら
青い空を見ている

「父さん もう笑ってもいいよ」

心臓の穴を舐めるような 苦痛の病身をもてあまして
一九四一年十二月
丙種合格 徴集免除
日本建鉄・三河島工場に勤務した
うしろめたい空と 同じ空を見ている

うすい雲が貼りついた
あの空を落下するように
雲雀が飛ぶあたり
初夏であるのに 父の葬儀は冬を運んでいた
悴んだわたしの手は 繋がれた家族の手は
父の遺骨に触れ 
病のために その子供のような
小さすぎる軟らかさに 一日を彼岸まで
泣いた

白昼が刺さる わたしの背中で
少し動いている父をきつく抱く
あのときと同じ 子供のような軽さが熱を帯びてきて
わたしは いつまでも
父をおぶっていられると思う

ふいに 海を見たい衝動にかられて
生まれたときから 壁に吊るされている
古い額縁に納まった絵画を――
解体のために錨泊地に向う軍艦が浮ぶ海を
撫でるように見つめる
あの夕陽に見えるひかりは
世界を何度も縛りつけていて 
微動もしない
わたしの冷たくなった性器を貫き
その大人びた海に 黄金色の氷のような砂を塗した
静けさが 毛穴から滲み込んでくる

あのひかりのなかに
わたしはあしたを 見ているのだろうか

眼を瞑ると 波のおとが聴こえる
岬からせりだした浜辺は白く
透明なさくら貝に耳を当てれば
溢れるひかりに包まれた わたしの――
度々 隠れながら視線を注ぐ
薄紙のようなわたしが 
日傘を象る木陰で
寂しく蹲っている

動き出したバスは 豪雨で木が倒れて
渋滞に巻き込まれたようだ
世界の果てにある岸壁まで 灰色に染めるほど
憎んだ 意味を断定する行為を
わたしは 胸のなかで
突き刺さる
鋭利な刃物のような直線を引いていた

バスは混んでいて
探る手つきで
困っている少女に忘れかけた傘の所在をおしえてあげる
造花でない笑顔
気がつけば わたしの暗室に閉じこめていた
暖かい鼓動が 全身をめぐって
両手には もえあがる夏を握っていた

いつものように 携帯電話をひらき
見知らぬ友人を見つめる
わずかに 眼から流れるものがいて
四角い光源を湿らせながら
いくつかの文字列のあいだに
抑えきれない固めた声をしまった

天気予報をみる
窓の外は 雨を窄めているが
ながあめの始まりを告げている
わたしは 明日から
雨に煙る森に入らなければならない

文学極道

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