時の重さを計ろうなんて、見なれたタオルに顔を埋めていた頃。
現象は、見せつける、それに変わる言葉も、検索出来ないほどの
既在。初夏はもうすでに眠りを、昼間から気だるい倦怠を、再放
送をなん度も見せられるにつけ、台所に経つ彼女の臀部が、時の
重さを、土偶の偶然の出土・尾てい骨を割られ、出血し出現する
、限定された信仰を、既にもたされて、開示されてしまっている
《自分》。世界は何も語れず、歴史病的社会は、何かと時の権力
者を照らすに好都合な光を見ない限り、身体を賭したりはしない
。尾がある犬の時間性…眠っている間、アンリ・ルソーの「黒い
ライオン」善悪の彼岸を《今》渡ろうとした瞬間。それは尾てい
骨を割られ人類として、時間性を回復させられる「眠った女」か
?それは、尾を踏んづけられ、身体中踏み潰され「犬肉」にされ
てしまった犬が、この世に残した「ひと吼え」か?
這い根は、老犬に踏んづけられた記憶を思いだし、語り始める。
それは時間性では吊るされず、空間性として物体と見なされる。
渇きは、吊るされる。獲物を吊るして、見せつける《あいだ》。
それは鳥か?ハンガーには、顔用のタオル、手用のタオル。廊下
には陰洗用バケツが、ポツリ。判別のつかない、これはタオルか
?ぞうきんか?作品としての「擦り切れた雑巾」には、いかなる
非秘蔵性が、秘められて在るというのだろうか?国家の、政府の
空間性の本質の内には、非科学的な歴史学はあるとしても、考古
学はすでになく、地質学は無視され、古生物学的知見によって、
人体解剖されても彼らには気づかれない。通常「日の丸」は、非
本来的に、「吊るされて」在る。その本来的時間性は、止まって
在る。美は知られては、ならない。無規定的な美でなければ…と
もかくどんな「風に」でも、吹かされなければ、それも、矢張り
、秘蔵されたままである。
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選出作品
作品 - 20150526_309_8094p
- [佳] タオル - れたすたれす (2015-05)
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タオル
れたすたれす