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作品 - 20150307_495_7948p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


蒼いひかり――三つの破片

  前田ふむふむ

ピアノのある部屋

頭が金槌で打たれているように痛む
激しくピアノが鳴り響くなかを
二十年前に死んだ父のなきがらを背負って
みず底を歩く
呼気が泡になり 上に次々と昇っていく 
深い暗闇から太陽のひかりに向かって
水草は 引っ張られるように 伸びていて
溺れた獣が生贄となっている 魚たちの狩場に 魚が一匹もいない
そこには 墓碑が林立している墓場のような 
夕暮れを迎えた森がある
その陰鬱なみどりをすすんでいくと
柿の木が庭に立つ
一軒の小ぢんまりとした木造の家がある
玄関のドアを開けて入ると
父は わたしから 浮くように離れたので あわてて手を伸ばしたが
届かず 抱き戻すことができずに 
少し みずのなかを漂ったが
ひとつの狭い部屋で 消えていなくなった
取り返しのつかないことが起こり
とても悲しくなり
動転して取り乱していると
ここはみず底だという意識はまだ あるのだが
いつの間にか 呼気の泡は消えている
わたしは 落ち着くために ゆっくりと呼吸を整えると
そこは
暗く 壁一面に まだらに黴が繁殖し 
湿気が充満し 
重苦しい時が流れている
その暗い部屋の真ん中に ピアノが一台置いてある
長い歳月を重ねた 古い一台のアップライト ピアノが置いてある
わたしはそのピアノをじっと見ている
なぜか 訳もなく みているだけだ
しばらく眺めていたが
無性に 理由が知りたくなり
わたしは過去の書棚から分厚い百科事典を
取り出して調べてみた
百科事典は 五十音順ではなく
使い勝手が悪かった
眼が文字で溢れるほど
長い時間を掛けて 探してみると
「わたしとピアノ」という項目の言葉が載っていた
生唾を呑みこんで 覗くように見てみると
その解説文は全文 黒くマジックで
塗り潰されていた
驚いて 落胆したが あきらめずに
わたしはさらに丹念に 過去の百科事典を調べた
すると
「わたしとピアノについての解説文を黒くマジックで塗り潰した理由」という
解説文が載っていた 
だが その解説文は再び 黒くマジックで塗り潰されていた
唖然としたが 納得できずに なお わたしは更に深く調べようと
「わたしとピアノについての解説文を黒くマジックで塗りつぶした理由を書いた解説文を塗りつぶした理由」を
探して見つけると
これも 全文 黒くマジックで塗りつぶされていた
胸が張り裂けるような 強い鼓動が わたしの全身を覆っていた

鼠色の雲が裂けて ひかりが身体を射し 
わたしは眩しさに眼を逸らした
ソファーから ゆっくりと起き上がると
夏の日差しを受けて大きな黒いわたしの影が 
わたしの前に不気味に立っていた
それはあの大きな父のように見えた
そして、ピアノの音色が―― 
今日も聞こえる
大きな黒い影のなかから 激しく軋むような呻き声を上げ
隘路に迷い込んだように ピアノの鍵盤が
いつまでも
一番高いオクターブの シの音を 連弾している



精肉譚

市場は 朝早くから 
人々の熱気に溢れており
生肉のほのかに甘い匂いが あたりを覆っている
市場の中央にある精肉店では
ガラスケースのなかに
豚肉のブロックが 積み重ねられている
その赤い血を腸に詰め込んだ
ソーセージがぶら下がっている
ぶつ切りにされた鶏肉が 部位ごとに
大皿の上に盛られている
店頭に立っている
親方の威勢の良い声が 路上に響いていく

裏手の狭い作業場では 
家庭の生活を補うために 学校を休んでいる
七人の子供が集められて
手際よく 鶏加工の流れ作業を行っている
眼を大きく パチクリさせた
幼い男と女の子たちは
手馴れた手つきで
一人目の子供は 鶏の首を切り 血抜きをする
二人目の子供は 鶏を熱湯の中に入れる
三人目の子供は 鶏の羽を毟り取り
四人目の子供は 鋭いナイフで鶏の頭と足を切り落とす
五人目の子供は 鶏を部位ごとに切り離し
六人目の子供は 鶏の内臓を取り出す
七人目の子供は 鶏の全ての部位を仕分けする
さあ 笑顔いっぱいにして
一人目 二人目 三人目 四人目
五人目 六人目 七人目
さあ、気合をいれて
一 二 三 四
五 六 七
繰り返される 爽やかな絵巻物
ノルマを全てやり終えると 鶏の血と脂で汚れた手を
手桶で洗った子供たちは 
店の親方から 報酬を貰うと
嬉しそうに街中へ

仕事が終わったから
はやく みんなで仲良く遊ぼう
一人目 二人目 三人目 四人目
五人目 六人目 七人目
本当に楽しいね 面白いね 嬉しいな
一 二 三 四
五 六 七
・・・・・・
あとでもう一回手を洗わないとね
ねえ もう一回やろうよ

夕陽が西空で真っ赤に染まっている



伝書鳩

十二段の階段を昇ると わたしの部屋がある
飛べない伝書鳩が 千羽棲みついている部屋がある
暖かい羽根布団のやさしさよ わたしは癒される
わたしは眠る 千羽の伝書鳩に埋もれながら
わたしの部屋の閉じた窓には 小さな穴が開いてある
外を覗くために 錐で開けた穴がある
千羽の伝書鳩は いつも穴を覗いている
穴の向うには 疲れ切ったわたしがいる

ああ 午後の海は真冬の嵐のようだ

鋭く尖った岬に 小さな古い灯台がある
岬の灯台には 激しい波しぶきを被った
細いジグザグ道を行かねばならない
その道は 途中 いくつもの寸断された溝があり
誰も行くことができない
更には 灯台の窓は
悉く 内側から 頑丈な板で塞がれて
釘で打ち付けられていて 
なかを見ることが出来ない
でも わたしは行ったことは無いが
灯台に住む美しい少女を知っている

一度だけ 恐る恐る部屋の小さな穴を覗いたとき
少女をみたことがあった

細い絹を纏っただけの 裸体だった

灯台が月の光で海に浮き上がって映る 穏やかな夜
わたしは 高まる心臓の鼓動を握り締めながら
部屋の小さな穴を覗いてみた
すると 灯台から 窓板を勢いよく突き破って
血だらけになった 千羽の伝書鳩が飛び出し
夜の海をいっせいに駆けていった

海はすべて 伝書鳩で埋め尽くされた
     
十二段の階段を昇ると わたしの部屋がある
わたしの部屋から悲鳴に近い泣き声がする
わたしは 今日は手紙を読んでいる
昔 一度読んで
長い間忘れていた手紙を 読んでいる
隔離された結核病棟の女性が
黄ばんだ古い紙の上で
空しく絶望の声を上げていた

文学極道

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