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作品 - 20150218_283_7921p

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ソファ脳

  池田

仕事から帰宅した私は、居間のソファの上に見慣れないものがこんもりと置いてあることに気付いた。

脳であった。

私はこれまでの人生においてそのようなものを目にした経験は一切なかったので、それが人間の脳であることをどうやって知ったのか未だに思い出せないし、今でも例えば鹿の脳を見せられたとして、果たしてそれが人間の脳であるか鹿の脳であるかを瞬時に判定できるかと言われれば、当然分かってたまるかなどと思うのだが、あの時、居間のソファに置いてあった脳は確実に人間の脳であったと、当時も今も確信できるのが不思議である。

脳といえば人体を構成する臓物の中では最も高度に発達した部位であるはずだ。私のような半端者に自らの貴重な臓物をプレゼントしてくるような奇特な輩がいるわけがない。これはきっとこの脳の持ち主(脳主)ではなく、他の誰かによる私への贈り物なのだろうと私は一瞬で考えをめぐらせた。

脳のような奇怪な物質でも、贈り物であればなんとなく可愛らしく見えてくるものだから不思議である。と、急に私は嬉しくなって小躍りした。普段贈り物などあまり手にする機会もなければ、ましてやそれが貴重な人間の部位なのであるから嬉しくなるのは当然であろう。

しかし同時に私はこれは贈り物ではないのかもしれないという考えも抑えられなくなっていた。

まず私はこういった贈り物を受け取るような立場の人間ではないし、何よりも奇怪なことにこの贈り物は差出人が不明なのである。通常、贈り物というのは送り状や包み紙などと共に渡されるものであり、それ故に差出人が判明するのだが、この脳はとえいば剥き出しの状態、つまりあるがままの破廉恥な姿でスポンと私の家のソファに投げ出されているわけであり、これが贈り物であろうはずはないのだ。

さらに、脳を摘出されているということはこの脳主は既に死亡している可能性もある。いや、間違いなく死んでいるはずだ。なぜならば脳というのはいわば人体の中枢であり、コマンダーである。コマンダーがいない部隊は早々に死滅する運命にあるはずなのはどんな戦争においても真実である。

もし仮に第3者が私にこの贈り物をしたとすれば、その第3者はこの脳主を何らかの方法で死亡させ、脳を摘出し、私の家のソファにそっと置いたのだとも考えられる。その場合、その第3者は殺人罪に問われるのでありこれはおおごとである。なんと私はいつのまにやらこんなおおごとに巻き込まれているかもしれないのだ。ワラッチャウネ。いや、待てよ、そもそもこの脳主を死亡させたのはその第3者とは限らない。自然死かもしれないし、贈り主とは別の第4者かもしれないのだ。多人数で死亡させたのであれば第226者などが存在する可能性だってある。私は愚かなことに脳主の死因を考えながら眠ってしまった。

明くる朝、目覚めた私はこの脳主の死因を考えることをスッパリとやめてしまう。手がかりが乏しすぎるので考えてもしょうがないのである。手を切りたいのである。

であるならば、私はこの贈り物を素直に受け取って使うべきなのかもしれない。さて、それでは脳とは何に使うものなのか。それを考え始めた途端、自然に笑いが込み上げてきて、喉の奥の方から驚くほど大きな音がした。「パックルポーン!!!」

その音に驚いた妻が寝室から駆けつけてきてソファを見て「ぎゃっ」と驚き、私に枕を投げつけ、台所にある包丁で自分の喉を切ったかと思えば、そこら中を駆け回り己の血液をあちらこちらに飛び散らせ、私が「落ち着いてよ、もう」などと言えば包丁を持った手を私目がけて突き出してくるので、大声を出して恫喝すれば今度は近所を駆けずり回ってそこらじゅうの人をリビングに招き、通報などというものをされ、私はあえなく御用となって、刑務所に入所した初日にいきなり大男達に体中の穴という穴全てにペニスを入れられて、俗に地獄の苦しみといわれるものを味わった挙句、あっという間に10数年の歳月が経ち、釈放となり公園のベンチに座っているところを浮浪児達に拾われぐちゃぐちゃになった枝豆と日本酒を片手に今日も地獄音頭をひけらかすのであった。

文学極道

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