秋―― 流れる底辺の
1
ふかく ふかく 靄のようなひかりの
記憶のなかに 身体を浸していると
さらさらと透明なみずが
胸の底辺を流れていて
きっと わたしは その暗い川を抱いているから
震えながらも
手にペンを持てているのかもしれない
しずかな囁きにより
わたしを包んでいる
近くで傍観する書架の群れは
日々 わたしの痩せた欲望で
面積を広げている
病床のうちに
枯葉のような生涯を駆けぬけた古い詩人の墓標が
三段目の棚に眠っている
若い燃焼のときが 産声をあげた詩集に眼をやれば
詩行の欠片が
わたしの痛みのなかで躍動する
それは 壊れた人形を抱えたわたしを
仄暗いベッドから 引き摺りだしてくれた
脈打つ無辜のかなしみの声である
だから
わたしの皮膚のしたにある
消えそうな細い線を繋ぐたびに
薄いカーテンのむこうがわに 希望のあかりがみえて
わたしは それを掴もうと
陽炎のように消えそうだった意志に
身を委ねてきたのだ
いまも 三段目の墓標には 赤い血の跡が付いている
鋭敏な指先で触れれば
胸の水面が丸い弧を描こうとする
一番奥に佇む言葉のみずうみは
いつでも
折れそうなときに
わたしに諦めた橋を渡らせて
死にかけた胸に火を灯して
図形だらけの都会の雑踏のなかの
生きようとする喬木の模様に
わたしを
誘ってくれる
書架の隙間から
月がでている
窓枠の線の内側と外側では
絶えずみずが循環する右脳の森が
わたしのなかで脈を打っている
2
ボールペンの先が 掌に刺さった
痛いと思わず声をあげた
わたしには 痛みを感じる理性が残っている
この意識の地平という
水底の断崖には 願望とやがて忘れ去られるかなしみが
渦を巻いているのだろうか
わたしは ふたたび戻らぬ病棟を
何度も振り返ると
手を振り
虚空に眼を泳がす少女が
夜ごと こころの眼窩に宿るが
少女の手は わたしの胸に繋がることはない
その砂のような味に わたしは 声をあげて呼ぶこともできない
喉の奥に 固い痛みが 棘のように 走るが
こうして 眠ろうとしている時間に
いつも
書架がしずかさを饒舌に語りはじめる
きょうは
三段目の墓標は 背表紙が いつも違う顔をして
煌びやかに 飾り立てている
嬉しいことも そして かなしいことも
幻惑―― 逆光の冬の
風が一度もやまない場所を知っている
子供のときのように
ぶきように草笛をつくった
それから 青い空にむけて 吹いてみても 聞こえない
突風が
やめることなく わたしを叩いている
おもわず 高圧線の鉄塔のふところに
身体をいれて 逆光線を顔に浴びれば
わたしの身体から 黒いぶよぶよになった影が離れていく
でも 不思議だ この鉄塔のなかは
父の遺影 幼いころの家族写真 母が赤子のわたしを抱いている写真
父と二人で撮った大学の入学式の写真などが
一面 埋め尽くされている
広々とした河川敷なのに
不似合いな 風鈴の音がする
その方向をむくと
長くつづく土手の上の道端で
黒い帽子を被り
グレーの分厚いセーターを着た男が 立っている
右肩を落として 少し傾いている
右手には 傷を負っているのか 血が流れている
血はズボンにたれている
男は その傷を手当てするでもなく
眼は虚空を見ているように ぼんやりとしている
男の傍を通り過ぎるものは 何人かいたが
その異様な風体に 誰も気づかない
別れを惜しむ 寂しさのように
草を踏む音が聞こえた
何者かが近づいているのか
今まで気がつかなかったが
いつからか
男が かなしいほど
鋭い眼を見開いて わたしをじっとみているのだ
怖くなり 反射的に
思わず眼を瞑り 視線を避けた
でも そのままでいるのは もっと恐ろしく
手に力瘤をいれて
思い切って
眼を見開き 男を睨み付けた
土手の上には 誰もいなかった
若いマラソンランナーが 男の居たうえを走り去っていく
ときどき 見る幻覚なのだろうか
わたしは 風に飛ばされそうな 黒い帽子を被り直してから
買ったばかりの グレーのセーターを着た肩を狭めた
凍るようにとても寒いのだ
気がつかなかったが どこかでぶつけたのか
右手から血が流れている
あわてて ハンカチで止血をした
指をなめると 苦い味がした
胸のなかに 糸のように絡まりつづけた
数滴の苦さかもしれない
さっきから わたしの身体が空洞をつくり
うなりをあげて
風を通している
顔が引きつってくる そして 視界がぼやけてくる
冷たい雨が降っているわけではない
風が容赦なく わたしの顔を 叩いているからか
わたしは 風に折れた草のように
鉄塔から
勇気を出して 最初の一歩を出した
そして 思い出したように
土手の方にむかって歩き出した
傾いている右肩を
懸命に直しながら
遠くで 市役所の 迷い人の放送が
スピーカーから流れている
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選出作品
作品 - 20150128_816_7878p
- [優] 季節の底辺についての二つの詩 - 前田ふむふむ (2015-01)
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季節の底辺についての二つの詩
前田ふむふむ