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作品 - 20141126_895_7771p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


意識の運動について四つの詩

  前田ふむふむ



涼しい風が吹いている
川沿いの土手に繁る草は 笑顔のようにそよいでいる
仰向けになって寝ていると 
そこには 自己主張する青い空
そして
白い入道雲が わたしに覆いかぶさるように
睨んでいる 
あの入道雲の右あたりに 大きく鋏をいれ
四角く切りぬいたら その向こうには何があるのだろう
空は痛みのために
血を流すのだろうか
もし 切り抜いた向こうに 違う空があるのだとしたら
どんな空 なんだろう

昔 
見知らぬ世界に
風が通りぬける道がある と聞いたことがある
夜の漆黒のなかで 見たことがない一角の白い馬が 静かに息づいていて 
水晶のように透明な植物が一面
咲きほこり なめらかな風が 吹いていると
わたしは 幼いときに
確かに 聞いたことがある
そこがどこにあるのか
誰かに たずねてみても 知ることはかなわない
でも その夢のような場所をもとめて
ひとは 叶えたい願いを 風に流すのだろうか
あるいは 灰色の罪や悔いを
石のように積みかさねて
許しを乞うたのかもしれない
なぜか そのような気がするのだ

だからなのかもしれない
さわやかな 初夏の朝
ひとりで コーヒーを飲んでいるとき
ふと その風を感じたことがある
そんなとき
わたしは 鋏を入れて 毟るように
朝の陽ざしを 
白い清潔な窓を
テーブルの青い紫陽花を
コーヒーの香りがするダイニングを
すべて切り抜いて
目覚めたばかりの眼窩に仕舞込んだ
すると そのあとには 
ただ欠落した大きな穴が
胸の底で 呻くような低い轟音をたてて開いていて
切れ端には 血が滲んでいる

わたしは その度に 強い痛みを感じて
気丈な外見とは 裏腹に
後ろめたさと 後悔を隠して
誰もいないところで
切り抜いた
切れ端を 謝りながら 胸の底深くに埋めるのだ

もうすぐ命日になる
父の遺影が仏壇に飾ってある
きょうも
抑えられない欲望が命令する
ひかりに充ちた
風がとおりぬける道を 見るために
きょうは あの思い出を 迷わず 切り抜こうか
もう 分からないくらい 長い間 
血だらけの手だから
わたしはこうして 力強く生きている



生きる男  患者T・Cの症例

旗のようにつづく樹木の参道に わたしは 痛めている足を 引き摺りながら
自分の未来の平穏を願い 胸をときめかせて 大きな大樹の下の古びた神社に
やって来た なぜなら ここで聞いたことを 実行すれば 必ず 幸せを実感す
る生活が 約束されていたからであるし その他のいくつかの自分が望む答え
が 約束もされていたからだ
高価な衣装で着飾って 無表情な能面をつけた神官が 奥のほうから現れて
落ち着いた声で尋ねた 左の小高い丘に設えてある絞首台と 右の裾野にあ
る安息の揺り篭を差して 「どちらがおまえの未来か 答えてみなさい 」と
いった そして 神官は 右の揺り篭に 毒薬を置き 左の絞首台の前で 幸
福という名の詩を朗読した 空が溶けるような 甘美な朗読が 半ばにくる頃
期待とは裏腹に わたしはその不受理に 湧きあがる怒りを 抑えきれずに
 落ちている石で 神官を殺した カラスが洪水のように いっせいに飛んで
きて神官を 突いて食べている わたしは その時から 答えのない世界にむ
かった
空が 赤い血を浮かべているようだった 激しい動揺で 朦朧とした意識で歩
いていると 殺伐としたY字路にぶつかった すると そこに すでに死んだ
神官が現れて さきほどの神社とは逆に 右の道には絞首台 左の道には揺り
篭があった そこには毒薬は置いてなかった 代わりに ばらばらに離散した
家族が仲良く立っていた
誤解だったかと わたしは 後悔の念で 大声で泣いた そして 以前より強
い怒りで死んだ神官をふたたび殺した 神官は 幼い子馬のようだった 
涙が涸れて 笑い狂い 草が水滴で濡れる朝まで歩いた 
朝陽が眩しさを増してくると ふたたび Y字路が眼の前に現れた 今度は
逆に 右の道に揺り篭があり 左の道に絞首台があった 絞首台の上には毒薬
があり 一方の揺り篭のそばで 死んだ神官が わたしを嘲笑した視線で 幸
せのための詩を朗読した やがてその朗読は高笑いに変わった その作為的な
悪意に わたしは 死んだ神官を 何の戸惑いもなく殺した 神官は ウサギ
のように弱々しかった 
ある時 通勤電車のなかで 柔らかい座席に腰をおろしていると わたしは
 神官に囲まれていることに気付き 眼をつぶった そして 到着駅に着くと
 激しく嘔吐した わたしは 急ぎ足で まっすぐ家にむかったが 見慣れた
Y字路に来ると 強い頭痛に加え 急に目が見えなくなり 立っていられず
 意識が薄れてきて 気を失った 

翌日 よれよれの服を着た男が 顔を自分の家の前のどぶに 突っ込んだまま
死んでいた 
通行人は まるで気づかないように 通り過ぎた 
不注意の事故とみなされて 「40歳の無職の男が栄養失調により意識障害を
起こし転倒して死亡」と小さく新聞に載った 
とても 寒い日の極めて小さな出来事であった 
男は 神官を殺した数だけ 生きた 
男は 神官の質問に答えなかっただけ 生きた

男が行きたいと願った
近くの神社では 月例祭がおこなわれていて やさしい顔をした神官が
氏子たちが揃う前で 恭しく神前に頭を垂れていた





よく空をみているね―――といわれたことがある
「あの透明な色のなかにとけてしまいたいから」と 嘯いた
ほんとうは 無意識にみていたのだから 
わたしの足跡のように

わたしは はたして自分が思い描いたことを 出来たことがあっただろうか
世の中のひとが 普通に出来ていることを何ひとつ出来ていない気がする
いつも 心は空腹で だからといって無性に食べたいことはなかった
もう 終わりにしてもいいと思うけれど 
日陰で 隠れるように 地味な花を
咲かせていても 苦情を言われることはないだろう

今年は確定申告に行かなかった 
有り余る医者の領収書を眼にしていると 
生きている決算書のような気がして もう これ以上 
惨めな清算をしたくないと わたしは 紙切れのような薄い歩みを 
ごみと一緒に焼却した

春が軒下にたっていた 
夏が木に香ばしい汗をかいていた 
わたしは 一度も その優しさを口にしたことがなかった 
何度も 胸の透き間を 風は吹いたのに

わたしは 欠如という花束を握り 怯えている少年の声をよく聞いた
時間を忘れて ともだちと楽しく 地面の上に白いチョークや蝋石で書いた線路が 
切断されて わたしの前にある

雨が降っている

通販で買ったストーブは 冷たい身体を暖めてくれる
やがて 鼓動が 穏やかになる頃には わたしは 宛先のない手紙を書いている
柔らかな枕元に耳を当てると なつかしい電車のレール音 時間を走る電車の窓の外には
荒れ果てた平原があり 蹲っていた わたしがいたと 
そのわたしを探しにいく遠い旅にでると

テレビはついているが 音は聞えない

ドアを叩く音が途絶えてどれくらいたつのだろうか
朦朧とした瞑りのなかで 冬が香ばしく 窓枠の影を痩せたひかりが暖めてい

若い手を握ったきのうは 土のなかに沈んでいる
数年を跨いで 
本の間に 埋もれていた友人の手紙を見つけて 
遅れた返事を書く
宛て先のある手紙
ボールペンの先から 過去がみずのように湧き出てくる
窓のそとは 立ち上がった夕暮れ
赤い色が そっと 空のうえから ドアを叩いた
ひととき
わたしの鼓動が 熱を帯びて全身をおおった
       
空は きょうも 上にある


未明のとき

    1

いまおもえば どれくらいあっただろう
女が長い髪を振り乱し 
胸元ははだけ 汗ばんだ口元から
呼気が 荒々しく吐き出される
足は 一日を歩き切ったように
かくかくと 小刻みに震えている
けれど 顔を見ると
眼はみずうみの底のように 冷たいしずかさを
横たえている
殺意に似たものがしずかに鳥のように舞う
そういう無名の夜を 女を抱きながら ふたりで 
いくどか 通り過ぎた気がする

日常は悪意に満ちている
そこは境界のこちら側にいる
主観という震えるような囁きの舞台
やさしさに満ちた そして 軽蔑に溢れたことばが舌の上を飛び交う
暖かい風と 冷たい手のぬくもりが わたしの肩にふれる
そのひとつひとつの綻びに 
雨音のように浸みこんでいる 悪意がある
こうした いつでも掴むことができる 悪意があるから 
わたしは すすんで積極的に
ひとに向き合って生きていけるのだろう
けれど ふとした瞬間に 
音楽のような鼓動を 固く凍らせて
切り立つ断崖のうえに 冷たい幕をひろげた
無名の花が咲く時間がたしかにある
家の壁が 軋みをおこし
窓ガラスが ガタガタと音をたてて振動する
そんな夜が絶叫した未明に
恐ろしさで 時間の針ですら 振り返る
おぞましい正気が顔をだしてくる
それを見せるために 
夜は わたしの胸の底まで 
しずかな砂漠を一面にひろげているのか

「まってください」
女が バス停車場で乗り遅れて
あわてて 乗り込んだのだ
汗ばんだ声 呼気は 途切れ途切れに 上ずり
顔は昂揚として 恥ずかしさで 赤みを帯びている
落ち着こうと
つり革を握るか細い手の白さのうえに
痛々しい 赤く滲んだ傷がある
その切れ目から 
境界のむこうにある
無名の夜がしずかに 
覗いていたような気がした

女は何かを感じたのか
わずかに わたしの視線をけん制するように
一回 振り向き
清楚な眼をみせると
ふたたび 何もなかったように
そとの街並みを見ている

文学極道

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