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作品 - 20141108_635_7740p

  • [優]   - 前田ふむふむ  (2014-11)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


  前田ふむふむ

    
       


血液のように夕陽が射している
時々 ベランダから 鳩が囀る音がする
  
マッチ売りの少女は
おばあさんの幻影を消さないために
残りのマッチをすべて擦ったとき
ほんとうは
いったい 何を聞いたのだろうか

    
アウシュビッツ収容所に送られる
車両に乗るまえに
看守の眼を盗んで 咄嗟に
ポーランド人の床掃除の子供たち群れに
紛れた
ユダヤの少年は
そのとき 何を聞いたのだろうか

こうして静かな思索に耽っていると
金属音のような耳鳴りが大きく響いてくる
医者が処方した薬を 随分と飲んだが 
ほとんど効果はない

  1

赤い稜線が 空に 覆われながら 没して 
暗さが密度を上げている
わたしは 一日の疲労を癒すために
真白い霧に包まれたいと
街路灯が整列している 
アスファルトの道を 歩いていると 
視界が見渡せる 少し離れているところで 
霧が コップの水が溢れるように 湧き出ている 
確かめようと 近づくと 錯覚だったのか 
そこには ただ 澄んだ空気が 
覆っていて 
霧だと思ったものは なかったのだ

急いで歩いたせいか 息があがっている
立ち止まり バッグからハンドタオルを取り出し 汗を拭った

しばらく 眼を瞑り 呼吸を整える
すると 荒い胸の奥底には ぼんやりとしているが 
みずの流れがあり 
そこに浮かぶ もうすぐ輪になる
たくさんの細長い紙切れの
先端どうしが 
輪を結ぶかとおもえば 離れていく 
そして
離れている紙切れの先端どうしが 
輪を結ぼうと 徐々に近づくが 
結局 結ぼうとしない 
延々と その繰り返しを 
わたしは 塞がった眼のなかで眺めているのだ

煌々とした 街路灯がうしろに走っていく
神経回路のように ヘッドライトとテールランプが
交錯して 闇に溶けていく
街並みは 断崖のように聳えている
だいぶ歩いただろうか
よく覚えていない
でも もう何年も歩いている気がする
そして いつまでも
坂を下りている感覚がする
それに合わせるように
段々と 足は重くなっている
少し疲れを忘れるために
頭のなかを空っぽにしていると

それは 何の前触れのなく やってきた
わずかに出ている 蒼い月あかりが 
急に 白く霞んできて
わたしが待っていた 
霧が一面に 勢いよく 
わたしを覆い あっという間に 視界をなくしている 
それと同時に 胸のなかに棘として痞えていた 
みずに浮かぶ 細長い紙切れの先端どうしが 
おもしろいように 次々と すべての輪を結んでくる

胸の芯からの 叫びのような
その衝動を わたしは 何と名付けているのだろう
突然あらわれる あさひのような 
堰を切って落ちるみずのような
何ものかを 
あるいは 何ものかと言えないものを

眼の前にある街路灯は 霧にかすんで
空気が凍るくらいしずかで
わたしの強く打つ鼓動は
この夜のはるか向こうの
真昼を歩いている


   2

 (世界――患者 F・Sの症例 )

部屋は 水滴がたまるほど湿っていて 視界が全くないほど暗い そして
身体が触れている 壁や床は とても固い石でできている 何故か わたしは
 白い包帯を全身にまかれ がんじがらめされ 閂のようなものに 包帯の端
を結わかれていて 身動きできなくなっている 口も塞がれて なにも喋れな
い そして 暖房もない寒い部屋に 汚物まみれで 閉じ込められているのだ
 馬鹿げたありえない話だ どうしてこんな状況なのだろう わたしは精神も
肉体も健全だ こんなところを早く出て 若いのだから もっと 学問をして
 豊かな人生を謳歌したい そうだ好きな女性と街を歩くのだ だが現実は最
悪だ 意識は すでに消えそうだ でも もう何日も ものも食べずに みず
も飲まずに どうして生きているのだろう そのためか 身体は以前より軽く
なっている 不思議なことに ここには誰も来ない 白い包帯で巻かれているか
ら病院なのだろうか でも いままで 医師も看護師も見たことがない 考え
たくないが わたしが凶悪な精神病の患者で やむ負えず 閉じこめていると
しても 医師は診察のため 様子を見に来るだろう あるいは牢屋なのだろう
か しかし もっとも劣悪な独房であっても 一日に数回の食事と 監視の見
回りに誰か来るはずだ もしかしたら誘拐されて ここに閉じ込められている
のだろうか でも誘拐犯は見ていないし ただ単に 長い間 監禁したままで
 何のメリットがあるのだろうか どれも多分違うのだろう そもそも こう
して拘束されていることを 誰も知らないのだろうか あるいは みんな知っ
ていて助けてくれないのだろうか もう どのくらいこのままなのだろうか
 忘れてしまった いずれにしても どんな犠牲のうえに わたしが居たとし
ても この状況を 変えたいと思うのは 身体的苦痛もあるが それより 孤
独ゆえかもしれない 誰かに会いたい 
まさかと思うが壁のむこうから声がする 気のせいかもしれない
 聞こえたり 聞こえなかったりするのだから 幻聴だろうか でも声がとて
も愛おしい 多分 人と繋がりを持てるのは 声によってなのだろう こうな
って初めてわかる たとえ姿が見えなくても わたしに他者が生まれてくるか
らだ 今は 幻聴であるその声だけが わたし自身の存在確認なのかもしれない
珍しく 陽がさしているような気がする すると わたしは全く 気がつかな
かったが 口を塞がれて 包帯をグルグルに撒かれた人が 暗い部屋の一番奥
に 十数人 蹲っていたのだ そうか閉じこめられていたのは わたしだけで
なかったのだ わたしは 精一杯の呻き声をだした 彼らはわたしに気がつく
と 呻くように 話しかけてくる わたしは 嬉しさのため声にならない声で
泣いた
一年の多くを雨が降りつづく 都会の街のはずれに 長さ3.5メートル 高
さ2.5メートル 幅2.4メートルの ひとつの 放置され 全く見向きも
されない 小さなコンテナハウスがある 
傍によると なかから 異臭が流れてくる
覗いてみると 男が鏡に向かってぶつぶつ口ごもった独り言をいっている

    3

(声についての試論)

大空を 誰も射止めたことのない 鳥が飛んでいる 衆目のなか 一発の銃弾
が撃たれた 羽は砕かれ 動かなくなった鳥の死骸が 横たわる その衝撃で
 鋭利な光線のような 空白が生まれる

わたしは驚き 唾を呑みこむと その出来事は 四角い 紙のように切りぬか
れる その沈黙を 事実として 胸のなかに水滴のように落とすと そこから
 はじめて 声は生まれる

鳥の損傷した肉体の詳細は 多くは 道端に 置き忘れられて 小石の生涯を
終えるだろう

だが とくに 声の底にあり 意識に残る 最後の鳴き声には 暗闇に浮かぶ
一輪の白い水仙のような 夜の輝きがある

そこから声の意味を問うために わたしは 思索の陰鬱な暗闇を わけもなく
立ち入らねばならない
となりに自分の幻影を 引き連れて 糸杉の並木をいくども 疲れ果てるまで
 歩かなければならない
傷口のひらいた 派手な装飾をしている そんな 死んでいることも気づかな
い 奔放なものたちと 終わることのない対話を かさねなければならない

声は 生まれたときから 後戻りできないものだと 覚悟したのだろうか や
がて わたしを離れて あるいは わたしと再び結びつき 波紋として つ
ぎつぎと 人々の記憶のなかに 刻まれていくかもしれない 
やがて 人々と触れ合い 傷つけ合い そして ひとの狡猾や欺瞞を食らい
立ち止まった その曲折

高低の測りを正確に求める 人々の分別という呵責さに そのノマドのような
自由を 削ぎおとされ 未踏をいく冒険者のかたむきを 永遠のなかに 深く
沈めて 思考を停められたものとして また 数式の針のように 決して狂わ
ない定義として それは 人々の憧れとなるかもしれない つまり 銃口を
 いつまでも射手に持たせつづけて しずかな佇まいと 分厚い名声を携えた
 木漏れ日のような経歴に 浸りつづけるだろう

しかし 同時に そのくつろいだ身体には 鸚鵡のように いつまでも 同じ
意味を喋りながら 死者も寄り付かない空を 旋回しているのだ そして そ
こから派生して 生まれてくるものは お互い しがみつき合っていて いつ
までも 死ぬことはない 

ただ 世の中の気まぐれによって その裂け目から あたらしい物語を あた
らしい事実を 湧水のように つくっているのだ
ときとして 撃たれて 死んだ鳥が錐のような声をあげて
西の空に飛んでいく

   4

(「やす」くん――患者 T・Rの症例)

「りく」ちゃん と どこからか声がする
人見知りの僕に 「やす」くんという仲の良い友達がいた 「やす」くんは僕
を「りく」ちゃんが 親しみがあるから良いよと 最初に呼んだのだ その後
 みんなが「りく」ちゃんといい その呼び名は 二十歳を超えて 今でも言
われている この笑顔をたやさぬ「やす」くんは 物知りだった 「断食芸人」
という奇妙な物語や アレキサンダー大王がダータネルス海峡を渡った本当の
理由など 僕は眼を丸くして聞いた ある日 「やす」くんは マフラーを忘
れたので 家まで届けようと 僕は 知らない場所を尋ねながらいった 「国
境の公園」といわれるむこうに 高い壁があり それを潜ると 人気のない街
並みが続いていた そこは 薄暗くまるで死んでいるような精気を感じられな
い 不思議な感覚がしていた その二番目の三叉路のところに 「やす」くん
の家はあった 大きな鉄でできた戸を開けると 動物を絞め殺す鳴き声がした
 幅一メートルくらいの細い石を引き積めた道を 暫らく通って 玄関のとこ
ろに来ると 「やす」くんは 凍る眼で 僕をみて 奪うように マフラーを
取った 僕は 「やす」くんと声をかけて 手を差し出そうとしたが なぜか
 身体が動かなかった 街並みの異様な薄暗さと 余りの不快な感覚のため
 今まで現したことがない 軽蔑の眼でみていたのかもしれない 「やす」く
んは急いで家の奥に隠れていった 「やす」くんに会ったのは それが最後だ
った 次の日 学校に行くと 「やす」くんの席はなかった 先生は出席の点
呼で 「やす」くんの名を呼ばなかった 先生に「やす」くんのことを尋ねる
と とても 穏やかで落ち着いた顔をして そんな生徒はいないという 回り
をみると 理由はわからなかったが 「やす」くんと仲の良かった かこちゃ
んも けいくんも みんな楽しそうに 笑っている 「やす」くんのことを話
すと 誰も「やす」くんのことを知らないという 僕はとても悲しくなった 放
課後 かこちゃんと けいくんが 新しくお墓を作ったから いっしょにお参
りしようと 僕を誘ったので ついていくと 名前のないお墓だった かこち
ゃんとけいくんは 泣いていた 僕は誰のお墓か尋ねると「やす」くんのお墓
と小さく言って 私たちが天国に送るのといって泣いた 僕も訳もなく悲しく
なり 三人で夕暮れまで泣いた
それから十年がたった
大学生のときの春先の頃だった 大学巡回バスのなかで 「りく」ちゃんとい
う声がしたので 振り向くと 同い年くらいの学生がつり革をもって立ってい
た 学生は全く素知らぬ振りだったが おもわず「やす」くんと言っていた 
学生は 驚いて不思議そうな顔をしていた それ以上話しかけようとはしなか
ったが あれは「やす」くんだったかもしれない 
僕は 次の日 「国境の公園」にいった
その向うには 街の近代化で 高層マンション群が連なっていた 僕は 子供
の時と同じ 公園のブランコに乗った 「やす」くんの名付けてくれた「りく」
ちゃんという声がいまでも聞こえる でもどうしてだろう 僕は「やす」くんの
顔を知らないのだ 僕は あれから ずっと ブランコに乗っている
僕の脇で 「りく」ちゃんと 声がする
いっしょに来た彼女が もう帰ろうと言っている


         5

どのくらい歩いただろうか
いつまでも
アスファルトの道を歩いていると
遠くで おーい と 呼ぶ者がいる
振り返ると 通行人が
ハンドタオルを落としたと持ってきてくれた
お礼を言ってから
ふと わたしは ほんとうは
二度 声を聞いているのではないかと
立ち止まった

わたしは 友人の見舞いに行ったのだ
胸のなかが ざわざわして 
何か起きてないか 心配になり
スマートホーンを取り出して
友人に メールではなく
電話をした

空には
巨大な入道雲が浮かび
蝉が 鳴り止まない

文学極道

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