1
野いちごを食べながら
ほそいけものみちをわけいった
かなり歩いたあと
蔦が一面絡まり 頑丈にできている
鉄の門があらわれた
それは みちの終わりを告げていて
なかには
白い壁に覆われたふたつの塔をもつ建物が
わたしを 見下すように聳えていた
とり憑かれたように 門をくぐろうとして
小さな胸の皮膜が
苦しく突き上げられてくる
こんなとき
わたしは からだの芯を走る
押し寄せる波を 泡のひとつひとつまで
説明できるような気がした
建物のなかは
大きな吹き抜けのホールがあり
崩れた屋根の裂け目から
西日のひかりを享けいれている
2
池袋から 武蔵野の深い地層にむかって
西武池袋線が糸のように流れる
みずのような物腰で
赤茶色のローム層を踏み分けて
電車は清瀬駅に滑りこむ
駅からつよく歩幅を広げて
みどりいろを濃厚に塗られたあたり
太陽が うつむき
かなとこ状多毛積乱雲に浮かぶ
白い壁の病院に
わたしは
休日のときを横たえる
屋上に
ふとんのシーツ バスタオル ハンドタオルなどが
数十本 物干しされて 風にゆれている
「小児特殊病棟100号室」
看護師がせわしなく動くなかで
子供の眼は
世界の果てをみていた
わたしは子供を直視することが出来ず
眼をそむけた
その後 経過はいかがでしょうか
ありがとうございます と
永遠に着地しない言葉が飛び交う
廊下の靴音が 乾いている
湧き上がるしずかさは
一房 二房 三房とわたしの手をもぎながら
清瀬の森の欠落を 埋めている
重たい足で
病院の門を跨いで
娑婆の空気を吸う と
空は 冬になっている
雑木林の奥から 溢れる血液が降りてきて
切り裂かれた傷口が 閉じられない
冬のきつい寝床を抱いた川面を
わたしは 両肩の内側におさめて歩く
淡いひかりに微分された流れは
遅れながら ついてくる
流れが ようやく わたしに追いつくときの瞼に
打ちだされる 漠寂とした河口にむかって広がる
みずの平野を 濡れた風でわけて
その香りをあげる 草のなかに
わたしは 声をあげて 身をまかそう
冬から飛び出した白い壁の眩しさが 眼に焼きつく
洗濯物の匂いが浸み付く病院は
名前のない窓を開いて
虚無が旋回する雑木林に透過した
何人ものきみを導いて
きみは
白い病院が浮ぶ青い空より
ふたたび戻ることはなかった
空さえも見えない わずかに灯る祈りのとき
灰色の遺骨を迎える家族は 絶えて無く
わずかに流れる近傍の川を
きみが眺めていた まどろむ視線の残影が
うろこ雲のむこうに沈んでいく
忘れられた声を胸にまとめる その寂しさに
わたしの乾いた眼が 冷たく濡れる
絶え間なく湧き上がる病院の煙突のけむりは
空の四方に突き刺さり 痛みを受け取る
夥しい雨のおちる場所は
こうしてできるのだろう
季節だけが 翼をひろげて 病院の白い壁を
ひたしていく夕暮れに
わたしは 川面を両肩の内側におさめて歩く
せめて 優しさを演じて 両肩のなかだけで
号哭を見つめていたい
凍える一吹きの風に鳥は 声を失うが
あすには 華やいだ活気のある街の
豊かな肉体に浸るのだ
川面が 両肩を乗り越えてゆく錯覚を
いくども 病院の白い壁が 試みているが
わたしは 川面のみずのかなしみを
今日だけは 小さな眼差しで包みこもう
白い病院が おもむろに夜の暗闇に沈み
うすいひかりを携えて
無垢なきみたちの廃墟の足跡が
透明な螺旋をなして
空に駆けあがる
轟音をあげる沈黙の垣間を
川は 遅れながら 病院の凍える門に流れてゆく
黒く染まった冬を 永遠に抱いて
わたしは 川面を両肩の内側におさめて歩く
足が萎え 涙が消えるまで
3
壁に耳をあてると
ここで聞いた
胸がつぶれそうな辛い会話は
ひそひそ話になり
いくえにも混ざり
黄ばんだ壁の汚れにすいこまれていった
わたしは かぼそい背中を壁にあてて
痛みをおびる冷たさのなかに 溶けてゆけば
矢をいぬく視線が からだを通り抜けて
会話の断片が その後から
針のように刺していった
階段の手摺で
おもわず指を切る
その切り口から
翳むように 一輪草が
夜の浅瀬に咲いていた
気が付けば
夜の匂いが消え失せていて
わたしは 門のまえで 佇んだまま
青い空を眺めて
小さな篭に入った野いちごを
ひとつ またひとつと食べている
大きな絵画の前にいるように
わたしは あの日から
ずっと 鎖で閉じられた
錆びた門を潜ることがない
つむじ風が足元から生まれて
空にむかって伸びていった
どこから来たのか
子犬が うわんうわん と
いつまでも
門に向かって吠えつづけている
はるか遠雷がきこえる
最新情報
選出作品
作品 - 20141013_309_7701p
- [優] 遠雷 - 前田ふむふむ (2014-10)
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
遠雷
前田ふむふむ