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作品 - 20140612_265_7483p

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


偽オルフェウス的な試みの二つの詩

  前田ふむふむ

境界      

それは灯台のように 
ひかりを発してゆらいでいた
そこから一本のながい縄が垂らされていて
その先端には
なにかをむすんで吊るされていた
鳩が交差をくりかえして飛んでいる
背景はやや赤く 皮膜のような靄に
覆われているせいか 暗くぼんやりとしか
見ることができない
それはわたしが意識すると遠ざかり 
意識せずにいると
ひたひたと近づいてくる

わたしは ずいぶんと長いあいだ 
いまおもえば その陰鬱な
風景をみているようなのだ
一本の縄の先端のものが 
なんであるかわからないときは 
不安であって眠りにつけないで 
夜をあかしたものだ

しかし 多くはその先端の縄のなかには 
白くてやわらかい肌に
わずかな布をおおっただけの少女が 
ぼんやりとした
ひかりに 悲しい顔をうかべて 
わたしのほうをみているのだ
わたしはいつか かならず助けなければならないと 
そのすがたを眼にきざみこんで
一日を懸命にすごした
いやだからこそ 
裸足のような気持ちで 
街にでていくことができたのだし 
森のなかでみちにまよっても寂しくはなかった
どこまでもつづく空を
青くみることができたのだ

雨が窓をいつまでも
打ちつづける夜だった
それはひかりをぼんやりとゆらしてやってきた
うめつくすほどの鳩が飛ぶそのなかから
吊るされた一本の縄の先端で
少女はうすく笑みをたたえていた
胸はあつい高揚からなのか
ほそい血管がうきでていて 
恍惚とした顔からは
すべてがみたされたような眼で 
わたしを 射抜くようにみていた

なにか黒くつめたいものが湧きあがり 
わたしはもっていたガラスのコップを握りつぶして 
こなごなにして割った
右手から血が流れおちていった
いつまで見ていたか 
おぼえていない

ぼんやりとひかりを発している場所がある
わたしは 熱病にうなされているような 
ある確信をもった眼をして 
険しい坂道を登っている
全身が汗ばんできている
ずいぶんと長い間
苦労して
暗いなかを歩いたが
眼の前には やっとあかるいひかりが
わたしの安堵した足は
軽やかになり 速度を早めて
開放のひかりに
向かった

坂を登りきると
それは 靄に覆われていて
灯台のようにひかりを
発してゆらいでいた



蒼い夜の夢想             


はじまりは いつもみる景色だ
居間のテーブルには 白い皮膜のような
汗をおびている
ビニール手袋が置かれていた
手袋はしずかに脈打ち 呼吸をはじめる
おもむろに
前にひろがる暗闇の衣服を剥ぎとると
夜は 両手を濡らして
ケモノのような
艶めかしい声をあげている

どのくらい経っただろうか
どこからか読経が聴こえてくる

一面 どんよりとした空気が 
わたしの熱を帯びた息で震えると
眼をひからせた二匹の青い犬が 暗い踊り場から
わたしの耳のなかをかけていった

わたしは 電灯のスイッチを点けた
そして 
左足の踵から階段を降りた 

読経の
その低い声が 少しずつ大きくなってくる

足裏は 硬く 冷たい(こんなにも 段差があったのか)
手すりをもつ手先が ひとりでに震えた
下は 暗く 真冬に
マンホールを覗いている猫のように心細い 
冷たさの先は 空気を捲いていて ゴーゴーと鳴り響いている
心臓の温もりが 口から零れ出すと
眼のまえの仄白い装飾ライトが 脈を打ちだし
少しずつ 昇っていく

読経は絶えることなくつづいている

やがて 両足が慣れる頃
眩暈が全身をしばってくる
狭い 一人しか通れない階段を 暗い大勢の影が
少しずつ 昇っている
なぜか懐かしい顔ばかりだ
その最後に 灰色のスーツの影が 
わたしの横を すれ違った
鋭い矢のようだが 息が聞えなかった
あれは 父さんだろうか
もう どのくらい階段を降りたのだろう
段々と 氷のような冷たさが 全身を覆っていて
足は感触がなくなってくる
用心深く 足を降ろしていくが
いつになっても降りつづけている
わたしは いったい どこに行きたいのだ

雪が降っていた
あれは
父の葬儀のときだった
母が箸で骨壺に骨をうつしている
悲しみのあまり
父の遺影は
天井を刺す錐のような泣き声を
あげていた
その姿は
少しずつ昇っていった
姉が 十三歳の多感な腿を血に染めた日 
その戸惑いを 壁にカッターで刻んだ 
消えかけた書き込みが
わたしの荒れた呼吸に合わせて 
これも 昇っていった
同じ頃だったと思う
幼いわたしは やわらかい母の傍らで 
いっしょに汗をおびて
暗闇を剥ぎとりながら
はじめて
夜をつくったとき
打ち寄せる波のように
轟音をたてて
胸のなかに大きな空洞をつくった
その暖かな感覚には
階段の途中ではあったが
広い居間があり 
明るさを落とした蛍光灯が ぼんやりと点灯している
テーブルの中央にある大きな篭には 
産声をあげたばかりの
一匹の青い子犬が 小声でないている
わたしはその犬を抱きかかえようとしたが
不意に睡魔がおそったので
思わず 数回 まばたきをすると 
わたしは 眼を覚ましたのか
ひとり 居間のテーブルに座っていた

読経の声はいつの間にか消えている

目の前には 安物の木皿のうえに
水気のない林檎が 積まれている
それが四角い卓上鏡に
死んだように映っている

階段のほうに目をやると
踊り場では わたしの後姿を
少年のわたしが見ている
少年は ひかりに満ちた階下に降りていった

文学極道

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