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作品 - 20140416_488_7399p

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春の座標

  Lisaco



都会から片田舎の町へ引っ越した十年ほど前のこと
車で通勤する途中に梅の花が見事に咲く家があった
その家がある通りは
片側に冬枯れした田畑が続き
もう片側は山の斜面になっていた
所々樹木が覆いかぶさるような道は
対向車とやっとすれ違える道幅で
いくつものカーブを抜けた先に
湖畔に面した県道があった
田圃の遥か向こうに見える湖面は
いつもまばゆいばかりの光が湛えられているように見えた


狭い道沿いの家々は山側の僅かな平坦地に点在し
どの家も古びてひっそりとしていた
梅が咲く家は日当たりの悪い山影に位置し
今にもモノクロームな景色に溶け込んでしまいそうだったが
よく見れば荒れているわけではなく
寧ろ整然とした佇まいから
人が住んでいることがわかった
梅の木は玄関が見える板塀に沿って植えられ庭へと続いた
庭には数十本の梅の木が植えられていたと思う
その紅白に咲いた花だけが
寂れた一帯に射す冬の日差しのようだった


急にそんなことを思い出したのは
立ち寄ったホームセンターで桃の苗木を買ったからだった
店の入り口付近のガーデニングコーナーには
開きはじめた蕾をつけた苗木が何本も入荷していて
透きとおるような純白の花をつけた一本が目に止まった
ラベルには寒白桃と書かれており
小さなポットの中で
生きるエネルギーに溢れるような苗木だった
その輝かしいほどの花を見た時に
不意にあの家の梅の花を思い出し
その家の主が梅の木を植えた理由を想像した


勝手な想像ではあったが
十年前には想像すらしなかったことだった
翌日、庭に苗木を植える時に
その想像は私自身のものとなっていた
来年も、再来年も咲く、
自分の背丈よりも大きく育ってゆく苗木を植える
いつか
鳥が訪ねて来るかも知れない、と


もう何年もあの道を通っていないのに
もう何年もあの道を走り続けているような気がする、

文学極道

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