初めて現代詩を読んだのは、柏駅のビルにある書店で現代詩手帖を立ち読みしたときだった。当時私は19歳で、漠然と沢山の出会いを受け身で待っている孤独な少年だった。だが現代詩は私のそのような欠落を埋めるものではなかった。それは落雷のように、発火のように、刺突のように、私の空洞の底を突き破ってどこか遠くへと去っていった。私は突き破られた傷の痛みを現代詩との出会いの証拠としてその後大事に保存するようになった。
――草の種の表皮が破れて小さな芽が出てきた。真っ赤な芽が辺りに散在する宇宙に一斉に見つめられ、弱々しくその真っ赤な色を恥じた。だが芽を組成する幾何学はすべての宇宙を証明する可能性だけを持っていた。
現代詩を書くとき、それに先立つ静寂が熟していく。詩を書くということは、粘土をこねるようなもの。充満した液体が閾を超えて溢れ出していくようなもの。そこには語りえない技術が詩の源泉に介入していて、技術は否定に否定を重ねて、最終的に肯定にまでは至らない緩やかな証明を与えることで詩行が生まれる。決して治癒に至らない火傷、裂傷、骨折が、その熱ゆえに身近な道具を鎔かし尽くし、抽象的な合金を作り上げる。もっとも光り輝く憎しみが、その矛盾ゆえに生活の細々した豊かさに休息を求める。
――草はすべての方位に向かって頑なに分枝していった。いや、方位は意味を持たなかった。枝を生やすごとに周りの空間は全く別のものになり、新しい空間に突き刺す試みが必要だった。草には花の概念がなかった。
やがて、私の中の詩人は一度苛烈に死んだ。私の持っていた詩人観に私自身がそぐわなくなってしまったのである。詩人とは純粋な否定の機械でなければならなかった。伝統の重苦しさを否定し、社会の押し付けてくる責任を否定し、他者との連帯を否定し、言語を憎まなければならなかった。だが私はもはや否定の絶対性に縋ることができないほど、すべてを愛しすべてに与える人間になっていた。否定の原理が愛の原理にとってかわるとき、その原理から演繹される私の詩人観も、張り巡らされた緊張する神経が緩まるように重力を確かに感じるようになった。否定が死に孤独が死に傷が死に憎しみが死んだとき、私はその夥しい死骸の上に新しく生まれ変わっていた。さようなら、はじめまして。
――草はようやく花を咲かせた。これまで咲いていたと思っていたのは色違いの葉っぱに過ぎなかった。本物の花が、星々が蜜を吸いに来る花が、アジア・アフリカ・アメリカ・ヨーロッパ、あらゆる地域の草原を埋め尽くした。
詩は世界だった。詩は物語だった。詩は無数の人物の相克の舞台だった。詩は明確に概念を述べるものだった。詩は小説だったし、詩は評論だったし、詩は戯曲だった。立体から平面、平面から線、線から点へと分析される人生のあらゆる細部に、瞬間から出来事、出来事から物語、物語から歴史へと総合される人生のあらゆる運行が宿っている。謎を謎のまま証明し隠すことで詩は成立し、喪失の痕、獲得の痕、流れの痕の上に正確に立つことで詩は育っていく。詩は痕跡を歌うものなので、常に何かを失っていると同時にその何かの痕を必ず得ている。ひさしぶり、ひさしぶり、ひさしぶり、ひさしぶり。
――草は実を生らせた。実はそのまま熟し、草の枝に生ったまま発芽するだろう。今度の芽は緑色だ。大地と風と日光と雨とをどこまでも流れていく変化する緑色だ。草を取り巻く人生群はせわしなく生活する。草もまた内部において生活する。生活の散らばったところに宇宙の中心はささやかに宿っているのである。
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選出作品
作品 - 20140401_382_7382p
- [優] 草 - zero (2014-04)
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草
zero